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2018年10月

2018年10月13日 (土)

無礼者!手打ちじゃ 「朝鮮通信使」1

 2018年10月7日、大垣十万石まつりで、江戸時代に大垣を通過した「朝鮮通信使」の再現行列があった。

 そこで、無礼千万な痴態が頻発した。朝鮮通信使の行列に付き添いの関係者オバンが旅行バックを曳き、大丸のお土産紙袋をぶら下げ、その行列の横で、大きな顔をしてスマホで撮影しまくっていた。関係者が背広姿やTシャツ姿で、堂々と行列に同行した。それでも大垣市長は貴賓席で殿様役として、ニコニコ顔である。

 

大垣市民に無礼千万

 陰子であるべき付き添い人が、大きな態度で行列のど真ん中に居座り、行列の雰囲気を台無しにした。誰も注意をしない。礼儀知らずの痴呆の猿芝居である。儀式の規律も礼儀もあったものではない。大垣市民への侮辱である。

 こんな侮辱や無秩序の様を許すから、規律が乱れ大垣は衰退していく。昔は、西濃の小京都と言われた大垣に、今はその面影はない。こんな大垣に誰がした。今の市長である。

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リュックを背負った黒服の女性はなに? スマホで撮影中

 その後の白いカッターシャツの男は何?

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一番左の背広の男はなに?

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主賓の後ろでスマホをいじる男は何? 大垣市民も軽く見られたもの

神輿上の使者を演じるのは韓国の友好都市の市長

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左のオバンは何? 旅行鞄と大丸のお土産の紙袋で、スマホをいじって堂々と行進

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オバンが大垣市長をスマホで写している。市長も議長もご機嫌! 

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中央の黒服の女性は何?

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先頭のリュックの男は何? 二人目の女性がなぜ、現代のバックを抱えているの?

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中央の女性の現代のバックと帽子は何?  大垣市民も軽く見られものだ。

 

生麦事件の再現

 行列に参加した韓国人は、無礼で礼儀知らずと言える。「朝鮮通信使」行列は昔の大名行列と同じである。その行列に無礼を働けば、無礼者として、一刀のもと問答無用に切られた。生麦事件では、香港から来た外人が、日本の習慣を知らず、大名行列を横切って、切られて大事件に発展した。全ての責任は、相手国の礼儀を知らなかった外人に起因する。

 

韓国での軍艦観艦式の無礼

 同じ時期、2018年10月11日、韓国の海軍の観艦式に参加する軍艦に、韓国旗と国旗以外の掲揚を禁止した。しかし、それを守った国は参加国12か国中どこもなった。韓国軍さえ守らなかった。海上自衛隊は、艦艇に軍旗の掲揚をやめるのは法令違反になるので、参加を取りやめた。その韓国は、自分の通達した取り決めを破り、秀吉軍と戦った当時の韓国将軍の旗を掲げた。反日丸出しの行為である。こんな韓国に、ニヤケタ顔をする市長は、国辱者である。慰安婦問題も含めて、反日感情の強い韓国と、まともに付き合うと火傷をする。

 

2018-10-13 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

新幹線殺人事件への備え

 2018年6月20日に起きた新幹線内での刺殺事件で、この種の事件の時、座席シートが取り外して盾にできるとの話がどこかの紙面に載っていた。今回、2018年10月10日、馬場恵峰先生宅への道中の新幹線内でそれを確認した。そのきっかけは、車内販売でもらった釣銭を、座席の隙間に落としてしまい、取り出すとき、この件を思い出した。

 結果として、落とした釣銭は出てこなかったが、座席シートを外せる手順を確認出来て良かった。座席はマジックテープで止められており、簡単に外せた。備えあれば、憂いなしである。

 新幹線に乗って、こんな心配をせねばならいない時代になったのは嘆かわしい。 「自分の城は自分で守れ」というトヨタ生産方式を作った元トヨタ副社長大野耐一氏の言葉を思い出した。自分の城の中で、一番大事なものが命である。

 

2018-10-13 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月12日 (金)

磨墨知10. 行き先表示を明確に

組織・家庭と己の人生目標を明示しよう

 自分の行き先表示が明確でないと、あなたを探す人の時間を奪うことになる。通常の会社の事務所では、各自の机上や掲示板に、不在時の行き先が表示されている。それに、自分の行き先が未表示では、訪ねていた人に迷惑である。よく経験する不愉快は、ある会社に連絡したした時、当事者が不在で、どこへ行ったか、いつ帰るか不明の時である。いっぺんに、その人と会社の信用を無くすことになる。

 人の時間を奪う人は、自分の時間も信用も失う。自分の人生の最終行き先(人生目標)を明確にしよう。そうすれば回りが援助してくれる。回り道する無駄時間が節約できる。

 自分の目的地はどこ? 神様は貴方の意志を試すため、目的地への途中に美味なる罠を準備する。それに惑わされずに、わき目を振らず目的の山頂に向かおう。人生は、千曲がりの山道だ。いつの世も、気が付けば日暮れて山頂までの道遠し。

 

大垣の未来目標

 大垣市の行き先はどこ? いつ正常の航路に戻るの?

 神様は、死声百終焉祈念行事で、美味しくも怖ろしき罠を用意する。甲板上の宴に酔い痴れている間に、タイタニック号はしずしずと氷山に向かって突き進む。怠惰ニック号の操舵室では、船長は宴に気を取られ、未来など見ていない。他の船員も保身に汲々で、船長の背中を平目で見るのが精いっぱい。

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2018年10月7日 大垣十万石まつり 大パレードの宴。テント内が貴賓席。

ハゲハゲの横断歩道、後ろ右側の薄汚いビルが不気味。ここが大垣駅前通りの中心地。

大垣少年少女合唱団が、なぜ、旧藩主戸田公のお祭りに、韓国民族衣装を着て、大垣の歌「これまでとこれから」(100周年記念で市民税を使い作詞作曲)を歌うのか?

 

2018-10-12 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月11日 (木)

磨墨知9. 重要だが緊急でない事を大事に

「重要で緊急」な仕事よりも「重要だが緊急でない」仕事の方を大事にするべき。「重要だが緊急でない」仕事を日頃からきちんとこなしていけば、「重要で緊急」な仕事はそれほど多く出てくるものではない。「忙しい」と連呼している人は、「重要ではないが緊急」な仕事に忙殺されている。

今の自分の目的、業務目的、人生目的はなんですか?

 

大垣の重要な仕事とは

大垣市の都市づくりの未来計画は、緊急な事項ではないが、未来の子供のため、大垣市の未来のためには重要な仕事である。それを役所任せにするから、その時が来て慌てるのだ。今の大垣市の経済惨状は、20年前の「重要だが、緊急でない」大垣都市計画を疎かにした咎である。20年先の都市計画を重要な仕事ではないと怠慢な姿勢で取り組んだので、現状の衰退の緊急事態に慌てている。

昨年に大垣市が発表した「大垣未来ビジョン」を実行すれば、大垣の没落は間違いない。大垣市政は、誰もこの計画を重要だと思っていない。実にいい加減な計画である。現在、大垣行政は、緊急の大垣市制100年記念事業で、走り回っている。小川敏市長の頭に、大垣の100年の計はない。

大垣市のあるべき姿はなんですか?

 

2018-10-11  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

大垣行政は目玉の交換を

目玉の交換

現在、私は愛車を18年間も大事に乗っている。まだ11万キロ余の走行距離数で、エンジンも快調である。しかし車を10年も乗ると、経年変化でヘッドライトのガラス部(樹脂)が黄色っぽくなってしまう。まるで人間様の目の水晶体が、白濁して、白内障になったようだ。これはいくら磨いても元の透明度は得られない。明るさを取り戻す手は、ヘッドライト全体の交換である。

5年ほど前にヘッドライト全体を交換して、(ヘッドライトだけは)新車同然となった。この交換に約10万円も要したが、車のヘッドライトの明るさを取り戻せたので、交通事故防止となり、安全性も向上した。

小さな改善の積み重ねが、己の命を守ってくれる。(良性の)塵も積もれば、お宝だ。人生で勝利を勝ち取るには、大差は不要だ。微差の積み重ねが、人生を豊かにする。

 

人生のヘッドライト

人生で、一番大事なことは、周りと行き先を照らしてよく見ること。自分の存在をよく見てもらう事。そのために、己の行き先と自分の存在をより明るく照らすこと。事故のほとんどは、自分が相手を見えていないことと、相手が己を認識していないことに起因する。人生事故を防げ。

私が出張で1985年にスウェーデンに行ったとき、昼間でも車はヘッドライトを点けて走行するのを発見して感心した。交通事故防止のため法律で決められているという。己が見るのではなく、相手に自分の車の存在を知らしめるためだ。それは人生道でも同じ。

そのために、燈火としてのヘッドライトを明るくすることは大事だ。自分のやりたいことを、周りに知らしめることは、大事なこと。黙っていると、何を考えているか、どこに行くのか、回りは不安になる。己が燈火を明るく示せば、助言も批判もしてくれる。

 

大垣市政の行き先とは

今の大垣市長は、大垣市民をどこに連れて行こうとしているのか、その燈火が全く見えない。まるで灯の消えた中で盆踊りを踊っているようだ。「大垣未来ビジョン」は、役人の作った「お作文」で、紙面を字で埋めて、予算の消化のため、金を使って体裁を整えただけで、さっぱり行き先が分からない。

 

後世に悔いを残す行事ばかり

市長は、単に金を業者にばらまき、自己満足の虚栄の花を咲かせて踊っているだけのように見える。やっていることが、後世に残らない事業ばかりである。

大垣市制100周年記念行事で、大垣の歴史100年には無関係のミッキーマウスを呼んで、税金を600万円も浪費している。ミッキーマウスは、むしろ大垣大空襲を招いた犯人なのだ。

大垣のために釘一本打たなかった「大垣さん」100名を、全国から1000万円を出して招待して、一体何になるというのか。どういう経済効果を未来に残せるのか。大垣の恥さらしである。

 

地方紙の病状

痴呆紙が悪乗りで、一営利企業の「TDL宣伝パレード」や予算消化行事の「大垣姓100名無賃パレード」、一営利団体であるギネス社の金儲けの「毒饅頭共食い愚劣記録」を賞賛している。その行事に翌日は、大垣駅前通りが、いつもの幽霊通りである。それが分からないのでは、あほかいな、である。大垣が衰退すれば、地方紙も消滅するのに、それが分からないようだ。大木が倒れれば、寄生虫も死ぬのだ。地方紙の購読者数の減少傾向が止まらない。故あること。

記者さんよ、あなたの記事が、自社の新聞をダメにしている。もっと建設的な記事が書けないのか。貴方の記事が、己の未来を象徴しているのだ。お抱え記事を書けば、己の人生が、迎合の、思考なき人生を歩むことを予言している。

 

市長の病名

そういう事業を筆頭に、大垣行政のやることは愚劣な行事や事業ばかりである。小川敏市長は、人生の白内障に罹っているようだ。この病状を別名「よくない症」、「欲内症」、「儚い症」、「薄亡い症」ともいう。

我々は、大垣市という乗り物に乗って、あるべき未来に向かって自分の人生を進んでいる。その大垣の行き先を見つめる目玉が、白内障に罹っては、迷走である。目玉の交換が必要だ。

 

2018-10-11  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月10日 (水)

首狩り族の百年狂舞

大垣市議会能舞台での妖怪劇

「活動の阻害になる恐れがあるので、執行中の案件の予算はマル秘としている。公開は、今後の研究課題とさせていただきます。」

「その都度、適切に対応している」

これは2018910日、大垣市議会一般質問での能舞台で、小川敏市長が何度も繰り返した答弁である。

 

警察と泥棒

「大垣市役所の経済部長が、大垣観光協会の副会長を兼ねている。市制100周年記念事業の会長が、イベント会社の社長である。それは助成金を出す方と、受ける側が同じ人では、行司と力士が同じ役であると同じだ」と岡田まさあき議員が暴露質問で、小川敏大垣市長を追求しても、のらりくらりと「ノー能舞台」の決まり文句を繰り返すだけ。まるで痴呆舞台である。

 

お抱え新聞社は透明妖怪、全てスルー

本件は、翌日の岐阜新聞、中日新聞でも、スルーである。新聞社も大スポンサーなどには、逆らえない。これは議会を傍聴しないと、分からない極秘事項だ。大垣市政から、新聞社に圧力がかかったのではと、素人は勘ぐってしまう。

 

村八分の罰は首狩り

 大垣市議会は、首狩り族が跋扈する妖怪の集会場。美味しいプロジェクトの首を取って、美味しいところを独り占めする。大垣市が主催するイベントの美味しい案件を、イベント会社の主請負になり、その首根っこを押さえて、予算額の首を取る。「それのどこが悪いンヤ。そんなことを言うなら、お前は村八分だ」と。あな怖ろしや、首狩り族症候群である。

 

村八分の死例

 岐阜県のある若い市長が贈賄で起訴され、敗訴して辞職した。その期待された市長は、行政の改革を訴えて市長になったのだ。その純真な市長を贈賄で嵌めるのは、赤子の手を捻るようなもの。首狩り族の村で、首狩り反対を訴えたので、村八分にされ、嵌められて首を狩られた、と私は解釈している。敵が相手を贈賄で嵌めることなど、伝統の裏技で簡単なのだ。

 

首狩り族からの学び

かように、首狩り族の村で、反旗を翻すのは、困難を極める。相手も、首狩りをしなければ、己の首が狩られてしまう。可哀そうな立場なのだ。ビジネスでは、常に相手の立場でものを考えることが必要だ。首狩り族からの学びである。たまには首狩り族の身になって、考えよう。相手も辛いのだ。

 

首狩り族の掟

首狩り族の村で、酋長になっても、その周りの衆のほうが怖ろしい。操られた酋長はピエロである。ピエロに徹しないと、首を取られてしまう。それが首狩り族の世界の掟。

 犬でも猫でも、食べている餌を取り上げると、激高して噛みついてくる。それが首狩り族なら、なおさらのこと。よほど慎重に対処せねば、正論者が首を取られてしまう。それが前述の亡き市長の勇み足の教訓のようだ。

 

2018-10-10  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月 9日 (火)

大垣霊園で踊るミッキーマウスと妖怪

 ニューヨークの野獣の放し飼いのような都市での歩き方は、現地に行かないと分からない。そこで現地現物、格物致知の意味を学んだ。

 美濃地方の大垣市のように、妖怪や首狩り族がすむ田舎は、身の(美濃)危険を冒して、そこに住まないと現実は理解できない。世間の常識が通じないのだ。大垣市長が率先して妖怪軍団を引っ張っているようだ。

 

ミッキーの歓迎ぶり

 2018年10月7日は、天皇陛下皇后陛下が2012年に大垣に行幸された時よりも、もっとすごい歓迎をミッキーマウスは受けた。この日、ミッキーマウスは大垣駅前商店街のメイン大通りで、1日だけで30万人の歓迎を受けた(大垣市の人口16万人)。同日に岐阜で開催された「岐阜信長まつり」は、2日間でやっと28万人の人出である(岐阜市の人口45万人)。2012年12月5日、天皇陛下皇后陛下が大垣に行幸された時の歓迎者2万8千人などメではない。たかがアメリカ産のネズミごときの歓迎に嘆かわしいこと。

 大垣まつりでも、観客は2日間で、せいぜい30万人弱である。私は、いかにミッキーマウスの動員力があるかを思い知った。

 

小川市長が主役?ピエロ役?

 その沿道の30万人の歓迎者の雑踏の中、小川敏大垣市長は、大垣さん100名とミッキーマウス軍団を先導するように、アメリカの国旗を掲げた先導車に、アメ車のオープンカーに乗り、美女のミス大垣を脇に置いて、パレードで得意満面である。

 なにかおかしくないか。何か狂っていないか。この警備費600万円は、市民税である。なぜ市長がミッキーを先導してオープンカーでパレードする必要があるのか。なぜオープンカーにミス大垣を3名も同乗させる必要があるのか。北朝鮮の将軍様顔負けである。30万人の観客は、ミッキーマウスを見るために集まったのであって、大垣市長のパレードを見るためではない。大垣市長は貴賓席で、パレードを観閲すればよい。100周年記念大垣大行列と10万石まつりの主役は市民であって、市長ではない。

 

大垣市長の考え

 つまり、大垣市長とは、天皇陛下から叙勲された人を差し置いて、写真の中央にふんぞり返る様を掲載する無礼なお抱え岐阜新聞社を擁した村の村長で、田舎芝居の主役である。ミッキーマウス演芸団の前座を勤めるピエロ役でもあるようだ。

 10月7日の警備ぶりは、2012年の天皇陛下皇后陛下の大垣行幸時どころの騒ぎではなかった。大垣駅前の地下道、歩道橋を新設のベニヤ板でわざわざ封鎖して、万全の体制である。米国旗を掲げたバイクに先導されてのパレードである。ミッキーマウス様は、天皇陛下より偉いんだ。この歳になって初めて知った事実である。それを小川敏市長は、市民に知らしめた。小川市長は、米国のネズミ様の方が、天皇陛下より大事なのだ。

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 2012年12月5日、天皇皇后両陛下が大垣行幸時に、お出迎え時の注意を説明する警官。大垣学習館前。説明の警官が、沿道に10m間隔で配置されている。10分間ほどの頻度で、下記注意事項を繰り返し説明する。

①      御料車通過時は、前に出ない・押さない

②      御料車を追いかけて一緒に走らない、

③      旗の振り方は上品に小ぶりに(横の人に迷惑にならない)、

④      Z車が通過するまでその場を動かない(怪我防止)

天皇皇后両陛下が行幸啓される地では、このような対応がされている。 

これとほぼ同じ説明を、2018年10月7日の大垣大パレード時、TDLの警備員がした。

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2012125日、先導の皇宮警察白バイと先導車。

御料車も撮影したが、今回は不敬になるので割愛。

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スタンバイ中の先導バイク。天皇陛下御料車の先導バイクより立派なバイクがズラリ

05dsc03608なんで米国旗の下で、日本国の大垣市長を先導するのか。

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スタンバイ中の白いオープンカー。横の3名は、ミス大垣。この車に市長とミス大垣が同乗。公人として、なにかおかしくないか? なんで米国旗の下、パレードするのか。

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 パレード出発前の交歓会。しゃがんでいるガードマンが、事前に観客に事細かに注意をしていた。ガードマンも一人だけではない「追走したら制止しますよ」と恐い注意。2012年の警察官の注意どころではない。威嚇である。手前の青の柵も、その量が半端ではない。何処の費用か。明細がマル秘で不明である。

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バックダンサーを引き連れてパレード出発

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最後尾で追走するドナルドダック。青い服装、帽子は警備員。

 

2018-10-09 久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

野獣楽園を戦闘服で羊が歩く

NYでの安全対策                  初稿1994.05,23

 最近(1994年当時)、米国で立て続けに日本人留学生の射殺事件が起こり、平和な日本の世間を震憾させている。江戸幕末のころ生麦事件が起こり、日本はなんと野蛮な国かと欧米から非難された。しかし今は逆に、アメリカがなんと野蛮な国だと言われている。時代は変わった。この事件の本質は、日米どちらもケースも当事者の認識の貧困に起因する。

 

日本人留学生射殺事件

 米国で起こった事件を検証すると、どちらも夜11時、深夜の1時に発生している。これでは安全に対して、言い訳ようがないと思う。被害に会われた方には酷だが、時間的に外出するのは非常識であった。

 またもう一つの問題点として、コミュニケーション能力がある。上記の例で被害に会われた方は、大きな声でHELPと叫んだそうだが、これは現地での危険対応処置として最悪である。犯人もそんな声を上げられては、自分の身が危ないので、直ぐ単刀直入の行動に出ざるを得ない。この場合、 Don't kill me Money? と静かに聞くのが、この種の危険対応処置である。この種の事件はお金が目的であって、殺人が目的ではない。 HELPと言う言葉を知っていても、それでコミュニケーション能力があるとは言えまい。

 

生麦事件

 かの幕末の事件も、被害に会ったのは香港から来た外人で、日本の壊夷運動を知らなかったのと、大名行列に出会った場合の礼儀を知らなかったのが原因である。その同じ日、別の外人が同じように、その大名行列に出くわしたが、彼は馬から降り、道の脇に寄せて立ち止まって、行列に敬意を表している。当然何事も起こらなかった。安全はその国の文化や社会情勢を理解せずには確保できない。

 

放し飼い野獣の楽園を歩く

 我々がサファリパークに出掛けるときには、当然守るべきルールがある。NYの夜は野獣の動物園との認識が必要だ。日本の野獣は草食性だが、米国は肉食性である。そのために、NYでは戦闘服が必要である。その戦闘服とは、平日はビジネススーツ、週末はラフな服装で、日本の旅行者に思われなくする迷彩服である。できれば、ビジネスマンそのものの恰好のアタッシュケース、もしくは黒い鞄を抱えていると申し分ない。そうでないとここでは日本人の顔を付けているだけで、ハイエナの目標にされてしまう。カメラをぶら下げているなど論外である。

 もし現地人が「ミスター」と言って近づいてきたら、それは「私は泥棒ですが・・」と翻訳・解釈して逃げること。他人に無関心なニューヨック子が、旅行者に声を掛けるはずがない。用があるのは貴方の財布のみ。やるほうも生活がかかっていて必死だとの認識が必要だ。

 

私の被害事件

 これだけ、事前の安全研究をして、注意をしていたつもりでも、汁掛けスリに目を付けられるからNYは恐ろしい。私が、NYの繁華街を歩いていたら、後方から「ミスター」と呼び掛けられた。なにか危険を感じて「ノーJといって反対歩道へ走って、すぐ飛び込んだ美術館のショップ内でほっとしたら、背中にベッタリと白い液体をかけられていることに気が付いた。これが1994年5月の平日の午前11時30分ごろの、市最大の繁華街・5番街の近代美術館MAMO、アメリカクラフト美術館やCBSスタジオのある53Streetでの事件である。

 

当時の状況

 大都会では、この種の事件が発生しやすい死角が多い。こういう場所に限って、警官は立っていなかった。すぐ近くの街角には手持ち無沙汰で警官が、腐るほどたむろっていた。この事件は、NYの危険さの事前調査を十分にしておいたので、 1600円のクリーニング代だけで済んでラッキーだったと思うべきだ。ちなみに、この時の服装は、スラックスにブレザー姿で、手にポーチを持っていた。カメラはポーチの中に入れていた。

 

ゴルゴ13を目指す

 Avenue(大通り)はよほど良いが、Street(大通りと直角の通り)を歩く場合には、Streetによって道幅が異なるので、遠回りでもなるべく大きな通りを横切るのがよい。また歩く側も道路の左右の歩道の広いほうか、ショーウインドウのあるビル側を選ぶ気配りが必要だ。なぜなら狭いほうはスリ等で危険。

 その点、ショーウインドウ側は自分の後方が確認できてよい。また広い道の方が対向して歩いている不穏と思われる人物とも、意識して一定の距離をおいてすれ違えるので安心だ。

 また時々は、ショーウイドウに写る自分の姿を確認して、不振な人物が付いてきていないかチェックすること。立ち止まる場合には壁、支柱等を背にして待つこと。まるでゴルゴ13になった気分だ。

 NYっ子は、心をクローズして真っ直ぐ前を見て、物乞いや犯罪に関係しそうな輩と目を会わさないようにして歩いている。ここでは「見ざる、聞かざる、言わざる」で自分の安全を守るのが当たり前のようだ。こういったコミュニケーションを断絶して道を歩かねばならない現実に、アメリカの不幸を感じる。こうでないお上りさん(米国民でも)は、犯罪者にはNY市民から浮かび上がって目立ち、恰好の獲物にされてしまう。

 

お巡りさんも人の子

 NYの街角には警官が多くたむろっていて、いかにも犯罪都市を認識させられる。しかしこれがハーレム地区に行くと警官の姿が見えない。警官も5番街等の繁華街の安全な場所には立つが、危険な地区には立ち寄らないみたいだ。お巡りさんも人の子で、一人で街頭に立つのは怖いようだ。警官はほとんどパトカー内に潜んでいてけっして、車外には出ないようだ。警察は、殺人事件では儲からないが、地下鉄等の無賃乗車、ペットのウンチの不処理等の摘発には100$からの罰金を稼げるので、そちらに力を入れているとか。それは警官にとっても安全に稼げる業務である。確かに、殺人事件の捜査は命がけだ。

 

日本人である表示をしない

 以上の点で、日本人であることを示すステッーカ等は鞄につけないほうが良い。若い女性がルイビトンの鞄を見せびらかしように持歩いているが、海外には持っていかないのがよい。日本人の私の目から見ても、まるでひったくりのために目印をぶら下げているように見えるから。

 

警察にて漫才

 翌日、この事故の保険金請求の証明書をもらいに、近くの警察署に出かけた。そこの事務処理の黒人の若いオネーチャンに事情を聞かれ、証明書を発行してもらった。彼女は愛嬌がありすぎ、大げさな身振りで驚きながら、事故報告書をタイプしてくれた。彼女が、片言の日本語を口に出し「私は日本語の勉強中」と言ったのには、お笑いである。

 

野獣より狡猾な保険屋

 余程日本人のトラブルが多いようだ。しかし、この証明書は帰国後無駄になった。何故なら物損保険には3千円の免責が設定されているため、今回の1600円の損害では、保険金は下りない。この精神的苦痛はどうしてくれるんだ!  保険屋さんは肝心の時には、定款をかざしてスルッと逃げる。これでは儲かるはずだ。まあ現地でクリーニングに出さず、帰国後クリーエングに出したのでかなり安くなった筈ではある。それがせめてもの慰めである。

 

2018-10-09 久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年10月 8日 (月)

首狩り族は正しい

あぁ勘違い!認知症?KY(KYシリーズ その1)

 この世はとかく住みにくい。理に走れば衝突ばかり。利で裏に回れば大笑い。義に走ればピエロにされる。偽に走れば、自らが最優先(自優)。まともな神経では、鬱になる。自分も認知症になれば、極楽だ。

 世には、正気か、認知症か、KYしかいない。正気な人が鬱になる。とかく、正常人は、肩身が狭い。とかく大垣市は住みにくい。

 

法律を自分だKY曲(歪曲) 

 自分が使う公金の使用用途を、自分で条例を作り、マル秘扱いにする小川敏大垣市長はKYだ。それを追及しない地方紙も痴呆死だ。その条例を通した議会も認知症だ。声を上げない市民も認知症、それにワル乗りする市商連幹部も認知症である。罪の意識を感じないから、全員が認知症で極楽逝きで幸せである。認知な世界に住むには、認知に徹しないと、回りから精神異常者扱いにされる。

 

大垣市行政のマル秘レベル

 大垣市では、文科省に提出したマル秘の資料(小学校エアコン助成金の申請書)を、岐阜県庁で請求すれば、すぐコピーを出してくれた「これが何故、大垣市議会議員にマル秘なのか?」と岐阜県職員が呆れていた。とは、岡田まさあき市会議員が、9月10日の大垣市議会一般質問で暴露して、追及したこと。それでも、小川敏市長は少しも慌てず、のらりくらり。この神経でなければ大垣市長は務まらない。

 

報道の自優

 翌日の岐阜新聞も中日新聞も、議会報告記事として、この条例でマル秘扱いの文書の追及のことは全く掲載しない。大垣市長に媚びを売るのも、大新聞の大事な報道の自由だ。なにせ地元広告主からの宣伝費で食べているマスコミだ。偽に走るのが魔女リティ。それは「報道の自優(先)」という。

 

首狩り族は正しい

 ニューヨークのハーレムで、スリは犯罪だと言えば、笑われる。首狩り族の村で、首狩り反対と言ったら、村八分だ。それと同じ。首を取られた方が馬鹿なのだ。すられる方がアホなのだ。やる方も生活がかかっている。それを理解して上げねばならぬ。大垣市の認知症の人たちも、生活がかかっている。大垣の世直しの治療には、あと30年間の世代交代期間が必要のようだ。大垣の夜明けは遠い。

 

一過性の嵐

 2018年10月7日の大垣十万石まつりは、史上最高(?)の30万人で賑わった(大垣市人口16万人)。TDLのミッキーマウスのパレードがあった影響で、あまりの混雑ぶりに驚いた。この大混雑は私にも初体験。命の危険さえ感じた。大混雑の中、後ろから押されたら、倒れて圧死の危険性があった。そこまで大垣市は危機管理を考えていない。

 しかし、翌日の10月8日、体育の日は、大垣駅前商店街の通りは、いつものように幽霊通りで、ほとんど人が歩いていなかった。前日の人出は、単なる一過性の嵐であった。小川市長が撒いたミッキーマウスの煙幕に、大垣市民は騙されている。こんなレベルのお祭りに熱を上げる市長では、大垣市は少しも良くならない。市民が目覚ないと、大垣市の夜明けは来ない。

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大垣十万石まつりのパレード。この子供達が大垣を変えてくれる(上図は大垣北小学校、東小学校のパレード)。大垣中の全団体の約5000人がパレードを行い壮観である。201810711:20

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  あまりの人の多さに、テキヤさんも入れ食いだったという。出店をしなかったテキヤさんが残念がっていた。2018年10月7日

 

2018-10-08 久志能幾研究所 小田泰仙  

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磨墨知36.人生目標を明確にしよう

 (明智光秀は考えながら、考えている)「来る年も来る年もこのように歩き続けて、ついにおれはどうなるのか」と、ふと空しさをとおぼえぬこともない。人の一生というのは、ときに襲ってくるそういう虚無とのたたかいといってもいい。

   司馬遼太郎著『国盗り物語』後編 p145 (新潮社版)

 

 人生目標が明確であれば、その虚無感で無駄にする時間を無くせる。凡人の我々サラリーマンの日々は、変化のない日々の繰り返し。それにどれだけ耐えられるか、神様からの人生に対する問いである。誰がそういう道を選んだのか。自分自身である。全ての選択の責任は自分に帰着する。

 今日の就職難、減速時代、デフレの時代、混迷の時代には大会社への宮仕えが羨ましいかも知れない。しかし時代が高度成長期で、会社組織の部品として必死に動いていた時は、また感覚が違う。当たり前に、健康に働けた幸せは、退職後しか分からない。その幸せを理解する前に、多くの仲間が会社を去っていった。ある人は別会社へ、ある友は浄土へ。

 今、平穏な日々が送れる幸せを感じたい。そうでない人も多いのだ。その平穏な日々だからこそ、最期まで世に貢献できる人生目標を見つけて、前進したい。

 

2018-10-08 久志能幾研究所 小田泰仙  

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