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2018年9月

2018年9月22日 (土)

カテゴリー 追加

英語版を追加します。過去の記事を随時、英訳してアップします。

カテゴリー名 「0_english edition(英語版)」

今日、「Sara is actually a "Bewitched" ♪」をアップします。

本日、サラさんの京都公演の4回目(最終)に行ってきました。報告は後日に。

2018-09-22  久志能幾研究所  小田泰仙

2018年9月21日 (金)

小川敏市政の危機管理は、危篤状態

 2018年9月4日,台風20号の影響で、私の住む大垣市内の町内でも大きな被害を受けた。ビル上から屋上床の防水シートが飛んで落ちてきて、道路をふさいだ。これは重くて人手では動かせないほど。これが人に当れば、命が危ない。空き家の家の立木が倒れて、道を塞いだ。

 

大垣市役所の対応の無様

 緊急連絡で、9月4日16時40分ごろ、大垣市役所に電話をしたら、大垣市役所は停電で対応がドタバタであった。私が当方の場所を連絡するのだが、担当者が「市役所は停電で暗くて地図もよく見えない」との返事で、その確定に手間取った。結局、大垣市役所は、その日の20時ごろまで停電であった。私の地区は停電にならかったが、大垣市の南の区域は翌朝まで停電であった。

 

問題点

 問題点は、災害時の司令塔であるべき大垣市役所に自家発電設備が貧弱であったこと。知人の電気工事屋から聞けば、大垣市役所の非常事態での対応のレベルが、人モノ金で、お粗末に尽きる。緊急事態の対応が全くなっていない。

 そんな状況で、小川敏市長は愚劣な市制100周年記念行事に3億4千万円もばらまくのだ。私には、小川敏大垣市長の痴呆的な神経が理解できない。22年完成の新市庁舎の謳い文句が災害に強い新市庁舎である。現在の市庁舎に自家発電がチャチすぎて使い物にならない状況で、いつ何時、もっと大きな災害に見舞われる恐れがあるのに、その備えがないも等しいのだ。

 今の非常事態に常識的に対応できない役人達が、新しい市庁舎で、まともな計画、設計ができるか疑わしい。自家発電施設は、災害本部だけなら1億円もあれば、市役所の部分的な自家発電は整備できるだろう。しかしそれを実施する気配はない。

 

地方自治の痴呆自恥

 現在は、大垣市民の命が危険に晒される事態も想定される最近の異常気象の災害危機状況である。しかし、小川敏市長は、そんなことには気が回らず、大垣市制100周年記念行事に総額3億4千万円をばらまき、偽ネス痴呆水饅頭を食べて、悦に入っている。

 大垣市行政組織には危機管理室がない。相応の組織はあるが、その位置付けが、火葬場管理の部署の後なのだ。それで小川敏市長の考えがわかる。この人に大垣市民の命は預けられない。

 

2018-09-21  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年9月20日 (木)

警老の道、走る世間は痴鬼ばかり

ヒヤリ事例の状況

 2018年9月18日、10時ごろ、私は市内の三差路で、左折中に右から来た老人の自転車と接触しそうになる、怖しいヒヤリ事例に遭遇した。幸い、接触には至らず事なきを得た。

 私が前に車に続いて左折中に、後方から怒声が聞こえたので、私はその状況が理解できないまま、ひとまず車を止めた。相手は、車を止めた運転席の私に近づき「気を付けろ」と怒鳴った。私は状況も理解できず、平謝りをしたので、相手はふて台詞を残して走り去った。相手は、70歳くらいの男性の老人であった。

 急いで帰宅して、ドライブレコーダーの画像を検証して、ヒヤリ事例の状況を確認した。これは最新の安全装置をつけても防げないヒヤリ事故であった。

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   右側の陰から自転車。その自転車は、一瞬、電柱の陰にかくれる。

 私は前方の車と左前方を注視。逆光で右側は見にくい。

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  自転車は右電柱の陰に隠れている

33   私は左前方を注視して走行。自転車に気が付かず。

   自転車は、私が前車に続いて曲がろうとしているのに、止まると思って前進。

 

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ヒヤリの原因

・私が、生活道路を走った。

 他の道は、右折専用信号がなく、この経路が右折専用信号のある道であった。当日、基幹道路の車通行量が多かったので、安全上でこの道を選択した。

・私は、見通しの悪い左折の方から車が来ないか、左進行方向ばかりを注視して、右側の方向の注視が疎かになった。右折の方向の道は鉄道線路で行き止まりなので、車は滅多にこないため、来ないと思い込みをしていた。

・私が、一旦停止の場所で停止しなかった。

 私は、前の4台の車が一旦停止線にも止まらずに、曲がっていったので、安全と思いこみ、続いて曲がってしまった。私を含めて全車が一旦停止違反違反である。それほど、ほとんどに車は、一旦停止もせず、左折側だけ確認して曲がっていく。下手に止まると追突される。

・相手の自転車の老人が前方安全無視で、5台の車が目の前を連続で左折していくのに、自分が走れば、車が止まると思って止まらずに直進してきた。私には、左前方ばかり気に取られて、右から来る自転車が目に入らなかった。

・相手の老人は、私を怒鳴りつけて、そのまま走り去り、次の見通しの悪い交差点を安全確認もせず、停止もせず、そのまま左折して視界から消えた。

・視界が逆光で、自転車の老人が目に入りにくかった。朝10時、東向きに太陽に向かって走行して、まぶしかった。自転車が太陽の光の方向に入っている。 ドライブレコーダーの画像もハレーションを起こして、自転車が見えにくい。

・その自転車にはバックミラーがなかった。私が中学生のころ(50年前)、学校から自転車にバックミラーをつける指導があった。今回は、その安全の基本さえ守っていない痴老人であった。

 

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  すぐ先の見通しの悪い4差路を、自転車の老人は停止せず左折

 

今回のヒヤリ事故からの学びと再発防止

・生活道路を走るべきではない。

・老人の自転車は、目もなく、ブレーキもない暴走車と思え。

・痴老の自転車は、見境なく地獄から飛び出してくると思え。

 いたるところで、暴走運転の自転車は走っている。

 スマホをしながら、走っている若者の自転車も多い。

・老人を含めて、自転車は交通ルールを守らないと思え。

・360度監視のドライブレコーダーを検討。

・高齢者には、自転車にも運転免許が必要。

 

地獄の口を開ける痴人

 事故を起こせば、車側が一方的に悪者にされる。相手が転んで、あちこち痛いと訴えれば、一生その責任を問われるかもしれない。医者も、それを否定できず、治療費を稼ぐため、患者の肩を持つ。今回が、そうならなかっただけ、幸いであった。私は、安全運転には人一倍気を付けているが、今回は油断したようだ。下手すると、相手は当り屋であったかもしれず、大事に至らず、仏様にご加護されたと思う。この翌日は、墓参りの予定だったので、ご先祖様が守ってくれたのだろう。感謝。

 

2018-09-20 久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月19日 (水)

花より団子の墓参り

 2018年9月19日、8月のお盆に行く予定だった墓参りを本日、行ってきた。大垣から名古屋に住む叔母を車で迎えに行ってから、彦根の墓地に行ったので、往復で318キロの走行距離となった。朝8時に出て、帰宅が夕刻の6時である。名古屋市内の渋滞もあり、長時間の運転は60台後半の私には応えた。若い時は良いが、年齢を重ねると、遠距離・長時間運転は、安全上で控えるべきと、再確認した。来年は、叔母に大垣まではタクシー・電車で来てもらい、それから車で送迎しようと思う。

 

お花のお供えをヤメ

 最近、近所の花屋と道徳的なトラブルがあり、今年はお花を買わずにお墓参りをした。そのトラブルが、商売道義上、宗教上、信用上で、あってはならないトラブルで、その花屋とは縁を切った矢先である。そのトラブルを佛の啓示と思い、いつもその店で準備して彦根に持っていくお花を取りやめた。その代わり、お寺さんにお供えするお菓子を奮発することにした。

 法事の時は、きちんとお花をそなえればよい。毎日は、自宅の仏壇に、お花とお供えを供えてして、お花の水を替えている。私は毎日、朝のお勤めで読経し、写経をしている。

 今日の墓参りで、この1年間の写経分を持参し、お焚き上げをお願いした。毎日写経と言っても、一日は数行で、1週間で般若心経が1枚である。それは恵峰先生が、毎日、数行でよいから、写経を続けるとよいと教えられたのを実行している。

 

変更事項

 考えれば、お墓にお花をお供えしても、炎天下では、水の補給をしないと数日で枯れてしまう。私には遠隔地のため、毎日の水補強は不可能である。お墓にお花を供えても、ご先祖様以外は誰も喜ばず、現世では己の見栄でしかない。お寺さんもお花の枯れた後の後始末で、仕事が増える。

 それでそのお花分の金額をお菓子のお供えに代えれば、それがお寺さんとしてお参りに来た人への茶菓になり、お寺さんも喜ぶ。私も、墓参りでの必要総金額が減る。ご先祖さまも、子孫が、金銭的余裕ができてうれしいはず。ご先祖、お寺、当家、菓子屋の4方に益があり、花屋だけが損である。それも経済の原則で、因果応報の帰着である。

 

40万円の節約

 当家の墓は3基あり、3対のお花のお供えが必要である。彼岸とお盆の時のお花代がかなりの出費である。特にお盆時は、お花にホウヅキの花が付き値段が跳ね上る。花屋には稼ぎ時で、客が足元を見られているようで、何か、納得できない。

 この処置で、概算すると、40年間で40万円程の節約となる。ご先祖様も子孫の節約での金銭余裕ができ、お喜びのはず。

 

時期の変更

 今年の夏は異常に猛暑で、とても墓参りに行く元気がなく、この9月の涼しくなった時期の墓参りに変更した。お寺さんに聞けば、このお盆は、お参りにみえた方が少なかったとか。

 今回の墓参りでは、9月の涼しい気候で、落ち着いて墓前で手を合わせることができた。来年も、この時期の墓参りに変更する予定である。お墓が地元にない場合は、何も8月15日のお盆の時期にこだわる必要もあるまい。自宅の仏壇の前で、お盆のお供えをすればよいこと。

 

2018-09-19  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月18日 (火)

サラさまは、実は「魔女」だったんです♪

 2018年9月17日、大垣駅でサラ・ディビスさんにサイン会の写真データを進呈したあと、電車を待つ少しの時間、待合室で歓談をした。

その時、私の書庫と猫足のピアノの写真をノートPCに入れた写真で見せたら(見せびらかし?)、サラさんが書庫の中の、「奥さまは魔女」のビデオセットケース(全256ストーリー分)を目ざとく見つけ、鼻を「奥さまは魔女」のサマンサのようにピクピクさせて「オー、bewitched(奥さまは魔女)!」と嬉しそうに言ったのにはビックリ。「奥さまは魔女」はアメリカでも、大人気のホームコメディ番組であった。サラさんのなかなか茶目っ気ぶりにも、ユーモアにも感心した。サラさんはフィラデアフィルのテンプル大学の教授なのに、だ。

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サラさんの魔女ぶり

 サラさんのピアノ演奏会を聴いて、いつもピアニストの芸に感心させられる。11桁の携帯電話番号がなかなか覚えられない私は、曲をピアノで弾くのに、暗譜ができず、悩んでいる。それを100曲も超える曲のレパートリーを持ち、暗譜で演奏して、その音楽性が素晴らしく、サラさんのような天才ぶりを、魔女のように見えてしまう。

 サマンサは、人間社会で暮らすときは、魔法を使わず、人間と同じ生活をした。サラさんもピアノを弾くときは、魔法を使わず、血のにじむ訓練をして、今の技量を獲得したはずだ。それを人から見ると魔女の魔法のように見えるのだ。魔女のサラさんはたまに魔法を使って、舞台で日本語を話す。たどたどしいのが愛嬌。でもそれは聴衆への愛なのだ。

 

「奥さまは魔女」の主テーマ

  このコメディー番組がアメリカで熱狂的に支持されたのは、訳がある。単なる娯楽コメディーではない。この番組の変わらぬテーマは、

 自分を押さえつけ、社会に順応させるのをやめよ。

 仕事の都合より、心の都合を優先させよ。

 なんだかんだと言っても、すべてに勝る愛を優先せよ。

 自由と平等を尊び、人種差別やマイノリティへの差別をなくせ、である。

 

 だって、魔女はマイノリティなのだ。しかし人間はみんな兄弟なのだ。顔や色が違っていても、同じ仲間なのだ。サラさんもマイノリティだが、音楽への愛が、全てを打破する。

 

Bewitched Forever(「奥さまは魔女」よ、永遠に)

Sara Davis Buechner Forever

 

2018-09-18  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月17日 (月)

サラ・ディビス コンサート in 大垣

 2018年9月17日、大垣スイトピアセンタ文化ホールで、「サラ・ディビス・ビュックナー コンサート」が開催された。「世界で一流の音楽を楽しむ会」が高校生以下の生徒にあしながチケット」をプレゼントしての音楽会である。残念なのは、運動会や雨で順延になった行事のため、120名を予定していた「あしながチケット」が半数ほどしかはけなかったようだ。残念ではあった。台風の影響もあり、秋は学校の行事が目白押しで、致し方ない。

 それでも迫力あるピアノ演奏を楽しめて満足である。私は、5月29日に多治見市で開催されたコンサート、この9月に8日、12日、15日、22日と4回連続で開催されている京都アルティでの公演を3回まで聴いているので、「安心して」(?)鑑賞ができた。今度の9月22日が京都公演の4回目で最終日である。

 それでも、サラさんがピアノを弾くとき、感情をほとばしるがごとき表情で、悲壮な顔、悲しそうな顔、嬉しそうな顔で、顔全体、腕全体、体全体を使いピアノを弾く姿に感銘を受けた。普通のピアニストで、あそこまで感情表現が豊かな人はいない。

 

大垣駅でお見送り

 サラさんに「なぜ、そんなに悲しそうな顔で弾くの?」と、サラさんが電車に乗る前に、大垣駅の待合室で聞いたら、やはり感情が自然と乗り移って、大きな身振りになるようだ。サラさんは明るく、それでいてシャイのようで、握手をして、とてつもなく柔らかな手であったので驚いた。私は、あれだけ柔らかな手を握ったことがない。それでどこからあんな迫力ある連打ができるのやらと、不思議に思った。

 サラさんを乗せた19時4分発の電車は、3分遅れで大垣駅を出発した。私はサラさんを見送って、今、原稿を書いている。

 

写真データを進呈

 演奏と打ち上げ会が終わり、私は大垣駅で待っていて、サラさんに今日のロビーのサイン会で撮影したデータ121枚をSDカードに収めて進呈した。ノートPCで、その写真を見せて大変喜んで頂いた。後から郵送で贈るより、京都への帰途の場で、写真データを贈れば、どれだけ喜ばれるかを考えて、演奏会終了後、自宅に帰って準備をして大垣駅に向かった。喜んでもらうなら、最高の喜びになるようにするのが、私の流儀である。これは馬場恵峰先生の後姿から学んだ。

 

ピアノの音色の差

 今回、大垣での公演は、第一部をホールの中央で聞いて、第二部の時、前列2列目で聞いて、聞こえ方の差を確認した。大垣文化ホールのピアノはスタインウェイである。

 京都府民ホール・アルティ設置のピアノはヤマハCFX で、アルティではピアノの真ん前の10mの最前列席で聞いた。それとの比較で、スタインウェイのピアノの音色にハッキリとした華やかさを感じた。ところが、それを文化ホールの中央で聞くと音色が穏やかになって、華やかさが消え、その差がはっきりしない。音の音量が小さくなるので、意外と迫力がない。しかしバランスの良い音では聞こえるので聞きやすい。やはりピアノの直接音が聞ける最前列席がメリハリがあって良いようだ。これが今回の新発見である。

 アルティのヤマハCFXは、硬いというか真面目な音作りで、少し面白みがない印象を受けた。スタインウェイとヤマハの違いがやっと判ってきたようで、自分の耳の成長を感じて嬉しくなった。

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  京都 アルティ  最前列席より

2p1050326  大垣 文化ホール 中央部席より

3p1050330  大垣 文化ホール 2列目席より

小川敏市長も厚かましく参加。金は出さない

 どういう訳か大垣市長と県会議員がこのホールで聴講していた。大垣市は、この芸術行事にビタ一文も出さない。このコンサートは、大垣の未来を背負う子供たちを大勢招待しているのだから、本来、大垣市制100周年記念行事の一つとして、開催すべきであった。小川敏市長は、今年の1月の河村先生主催のドレスデン管弦楽団の演奏会でも顔を出したが、大垣市として金は一銭も出さない。どういう心境やら。市民として悲しいことだ。

 パンフレットには、このコンサートの「後援」が大垣市、大垣市教育委員会とあるが、名前貸しで、お金は一銭もださない。お金を出しているのは「協賛」と書いてある名簿である。それなら名前を書かなければよいと思う。悪い慣習で致し方ないようだ。私も今までは、一番のスポンサーとして協賛してきたが、今回は事情があってパスをした。人間関係は難しい。

 

サイン会

 演奏会後にロビーでサイン会が開催され、大勢の子供たちが並び、サラさんが大サービスで、付き合っていた。小さい子供たちと、はしゃぐようにサインとツーショットで大サービスである。微笑ましい風景で、私はカメラマンとして大忙し。

 演奏会途中で、サラさんが、小さい頃、母親に連れられてピアノの演奏会に行ったことを今も覚えていると、たどたどし日本語で話をして、私や会場の皆さんが驚いた。

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 今週土曜日、9月22日がサラさんの京都公演の最終日である。再会を約束して、私は大垣駅発の電車を見送った。

 

2018-09-16  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年9月16日 (日)

お金の作り方、私の金銭哲学

 2018年9月15日、京都府民ホールのアルティでのサラ・ディビスさんのコンサートのため京都に出かけた。アルティは、松本明慶仏像彫刻美術館より徒歩5分の場所にあるので、先に美術館を訪れた。昨日は、演奏会後に知人と食事をして帰宅が遅くなり、更に町内で不愉快な事件があり、ブログがアップできず恐縮です。

 

明慶さんのお話し

 美術館では、珍しく松本明慶さんが居られて有益なお話が聞けた。

 「今まで創ってきた仏像の新しいアイデアは、ものになるのに、10年はかかった。いくら私に力があっても、一人ではできない。皆の力があってできたこと。エジソンンも弟子が5000人いて、それを実用化するのに大きな力となった。エジソンのアイデアも、いうなればチャチなアイデアであるが、それを実用化するには膨大に人工がかかる。エジソン一人で、それができたわけではない。松本工房も40人の弟子がいて、その皆の力で今のアイデアが込められた仏像ができている。」と。

 

お金つくりの蘊蓄

 昼時、明慶さんから、美術館前の喫茶店でカレーをご馳走になった。明慶さんに出会って、8年目で初めてのこと。ご縁のカレーを食べるにも、10年くらいはかかるのを実感した?(笑) 食事をしながら明慶さんは「小田さんは、どこからお金を作っているの?」と聞かれたので、思わず私の金銭哲学と、その蘊蓄を述べて感心してもらった。

 「お金を使わないから、お金が残らない、豊かになれない。お金を使わねば、お金はたまらない」と私の金銭哲学を披露した。

 

お金は人生劇場の入場券

 貧しい身なりの独居老人が亡くなって、後から床下に、数千万円の札束が発見されたという話をよく聞く。お金はお足である。お足を足止めするから、お金に恨まれて嫌われるのだ。水とお金は、流さねば腐ってくる。恨まれる。お金を足止めすれば、お金エコノミー症候群になってしまう。それでは豊かになれない。

 一万円札は日本銀行券で、お金ではない。本当のお金とは「金塊」である。一万円札の日本銀行券は、人生劇場の入場券でご縁の交換チケットも兼ねている。それも有効期限があり、生きている間しか使えない。

 

退職金が紙くずに変身

 たまに預金封鎖、銀行券更新があり、紙くずになることがある。母方の祖父が退職金を銀行に預けていたが、昭和22年に新円切り替えの憂き目にあい、紙くずとなった。その話をよく母から聞いた。お金を銀行に預けていたためである。お金は「天」に預けねばダメである。

 

お金の魂

 お金は使ってこそ価値がある。お金を正しく使うと、お金がお友達を連れて帰ってきてくれる。正しく使わないから、大切に扱わないから、お金が己を見限って逃亡するのだ。

 モノには精霊が籠っているが、お金には魂が籠っている。お金の「魂」は、己の心に住む鬼が云うと書いて「魂」である。お金の使い方に、己の本心が現れる。その本心を見透かして、お金は逃げもし、寄ってもくる。全て己の心が決めること。

 

ご縁兌換券

 お金はご縁の出会い用の交換券である。お金を使って、出かけ、良いものを買い、良い出会いを見つけ、新しいご縁を捕まえるのだ。そのご縁が自分の未来を創る。そのお金を銀行や床下に閉じ込めて、預金通帳を見て自宅で一人、ニタニタしていては、幸運の女神とは出会えないし、誰も寄り付かない。

 

馬場恵峰先生の無価珍

 馬場恵峰先生は、自費で中国に240回以上も行かれた。一回30万円の旅費として7千万円ほど使った。形には何も残っていないが、しかし頭の中には智慧とご縁がお宝として貯まった。それを無価珍という。無価珍とは、計り知れない価値あるお宝という意味である。それで今の馬場恵峰先生がある。現在92歳、現役で、頭脳明晰である。60歳の時、社会貢献として1億円の借金をして350坪の土地に日中文化資料館を建設した。24年をかけて、借金を完済した。84歳の時である。

1img_3558   日中文化資料館

2img_3557   付属図書館

人への投資

 私は買うなら一番良いものを、付き合うなら一流の人と、そのためにお金を惜しまない。トータルでは、その方が人生経営が効率的で安く、お得なのだ。だから預金通帳の残高は少ないが、無価珍というお宝は貯まった。

 お陰で超一流の先生達の謦咳を聞くことができた。早稲田大学名誉教授篠田義明先生、ミシガン大学のスチブンソン教授、マセイズ教授、馬場恵峰先生、松本明慶先生、三好輝行先生とご縁ができた。

 

本への投資

 その出会いと同じ価値のある本の出会いのため、私は本代もケチらない。昨年は、書籍代が65万円であった。本の内容を、自分で経験して、それを本にすることを思えば、1000円の本代は、安いのだ。そう思って本を買っていたら、いつの間にか、本の総重量が4トンを超えた。高さ2.4m×長さ20mの本箱分の蔵書の量である。それの本棚(3列のスライド本箱)と収納書庫もリフォームで700万円をかける羽目になった。本は重いので床の補強が大変であった。その投資をして多少は智慧が付いた。

 

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日本企業の守銭奴

 今の日本の景気が良くならないのは、貧乏人が預金通帳を見てニタニタしていると同じである。企業は社員の給与を上げず、内部留保に努め、設備投資も控えている。これでは、企業は成長しない。社員は給与が上がらないので、財布の紐を閉めてお金を使わない。悪循環で、これでは景気が良くなるわけがない。

 

布袋様

 布袋様は弥勒菩薩の化身である。菩薩とは如来を目指して修行の佛道を歩く仏様である。布袋様は、現世で自由奔放に諸国を背中に袋を背負って歩く禅師である。その袋を堪忍袋という。その堪忍袋に無価珍を貯めている。無価珍は、諸国を歩き回ることで、経験を積み、智慧が付き、それが何物にも代えがたいお宝となっている。布袋様は、その堪忍袋の口をギュッと握りしめて、それが外にこぼれないようにしている。でもたまには、堪忍袋の口を緩めて、怒りを見せて、持てる智慧を少し出すのも、仏様の愛嬌である。豊かになるために、布袋様を見習って生きよう。先人が考えた智慧は素晴らしい。

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 馬場恵峰書画

2018-09-16  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年9月14日 (金)

現代版「生類憐れみの令」が人を殺す

 個人情報保護法は、現代版「生類憐れみの令」である。「個人情報を守ることが一番大事で、全て公開しては駄目と個人情報保護法は決めている」と、大勢の人は思い違いをしている。政府はその間違いを正すことを意図的に放棄している。その考えが、戦前の言論封鎖の状況に重なる。そのせいで、地域の互助会機能が崩壊しそうである。私の家族も政府の情報封鎖が原因で先の戦争で殺された。ご先祖探しでも、個人情報保護法を盾に取られて、自分の家系も調べられない。個人情報保護が、地域の互助活動より大事なのだ。異常である。

 

町内の大騒動

 私は町内敬老会担当の役員として、9月初旬に敬老会準備で、情報の共有化、町内互助会の運営援助、高齢者へのご奉仕活動円滑化の為、敬老会の名簿を班長さんだけに公開した。

 その後、ある老人が、この件で個人情報保護法違反だと、怒鳴り込んできて大喧嘩となった。某班長がその名簿を某氏に見せたのを目撃したとの事。

 これを言い換えれば「敬老会用のお金を強制集金して、その金で町内の誰にお祝いをしたかは極秘で、それを公開すれば個人情報保護法違反でお上に訴えるぞ。」である。

以上がクレーマの言い分である。

 私の町内は世帯数が多く、半数の世帯に77歳以上の高齢者がおられる。来年度は1割の増加である。この状況でも、誰が高齢者かを近所の人に言うのはご法度なのだ。なにかおかしい。

 

日本政府の見解

 内閣府は「個人情報保護法に関するよくある疑問と回答」http://www5.cao.go.jp/seikatsu/kojin/gimon-kaitou.html#2_1で、下記を公開している。

「個人情報保護法ができたことにより、学校や地域社会において名簿を作成・配布することはできなくなったのですか」との質問に対して、「個人情報保護法上、本人から適切に同意を得ることなどにより、従来どおり、名簿の作成・配布を行うことができます」と回答している。“本人から適切に同意を得ることなどにより”とあるが、これが極めて困難であるから、やむを得ず名簿発行を止めているのが世間の実情である。こんなことも知らずに傍若無人に言いがかりを付ける痴人がいて、自治会の現場は混乱して、担当者が泣いている。内閣府も何の補足説明もせず放置している。無責任で、呆れる他はない。

 皆の幸せになる地域活動、サークル活動で、事前に皆さんの了解をとれば、名簿作成・配布は自由なのだ。それを政府は公開したがらない。国民の孤立化をもくろんだ情報操作としか思えない。

 

悪法の弊害で家族が殺された

 個人情報保護法を痴呆的に守ったら、地方自治の町内の互助会機能が崩壊する。個人情報保護法は天下の悪法なのだ。悪法を痴呆的に守り、自分の頭で考えず、国の悪策に盲目的に従うから、日本は国民が知らない間に戦争の道に導かれ、尊い300万人の命が奪われた。戦争の費用は、国家予算約7600億円で、日中戦争開戦当時の一般会計に対する比率では280倍という天文学的金額が、国民に情報を公開せず、騙して使われた。

(加谷 珪一氏の試算で https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52599?page=3)

悪法を自分の頭で考えず、声を上げないから、国の方向を誤らせた。正

論を言えば、お国の政策に協力的な痴呆者が、仲間を国に売って、特高警察が、正論者を逮捕して言論を封鎖した。それが戦前の状況である。今の個人情報保護法の扱いと同じである。

 そのせいで私の父の弟の2人が、シベリア抑留とインパール作戦で、シベリアとビルマで土になった。

 私が家系図を作ろうと、2014年に、ご先祖の戸籍を京都府庁で調べようとしたら、個人情報保護法のため、調査を拒否された。なぜ自分の過去が調べられないのだ。

 

悪法に市民の声を上げよ

 市民にとって悪法なら、悪いと声を上げ、抵抗しないと、町内の互助機能が崩壊する。本来は市民を守る法律なのに、市民を不幸にする法律となっている。国も生きた生命体だ。だから、間違いもするのだ。

 この法律での罰則の対象は、営利目的の企業が対象で、非営利団代の自治会への適用は未記載である。それを痴呆者が勝手に拡大解釈して、自分で自分の首を絞めて、大勢の人を不幸にしている。戦前の状況と何が違うのか。

 個人情報保護法は、営利組織が個人情報を悪用するのを防ぐのが目的で制定された。それが自分の頭で考えない人が、過剰反応して、愚かな狂騒曲を演じている。それでは自治会互助機能は崩壊する。

 

敬老会運営で名簿非公開は、原爆開発PJと同じ手口

 個人情報保護法を悪用すれば、敬老会の名簿はマル秘扱いである。各班長は、各班で担当の高齢者しか教えてもらえない。全体像が分からない。

 米国の原爆開発も、首脳部が科学者に関係する情報しか与えず、全体像を知らせず、担当の科学者は何を開発しているか知らず、悪魔の兵器を開発した。

 個人情報とは、氏名、生年月日、住所、電話番号で、その人が特定できる情報を、営利企業に営利目的に使われるのを保護する法律である。

 それ拡大解釈して、自分で自分の首を絞めていて、愚かである。太平洋戦争も、愚かな大人が、悪法を後生大事に守り、朝日新聞と毎日新聞が戦争を煽り、それを信じた愚かな大人が日本を破滅の道に追いやった。

 その愚かな大人の子孫が、今度は敬老会で、敬老会のために汗を流している仲間に怒鳴り込んできて、悪法の個人情報保護法を正しいと盲信して、仲間を責め立て暴言を吐く。そして互助組織を崩壊に導くのだ。

 

現代版「生類憐れみの令」

 大垣市は情報保護を盾に、税金の無駄遣いをマル秘にしている。痴呆の老人は、誰もお上の横暴を指摘しない。これでは、日本は良くならない。江戸幕府の「生類憐れみの令」と同じ悪法が「個人情報保護法」と私は思う。大垣市は個人情報保護と、大垣市行政費用情報公開の何方が大切か、分からない痴呆自治体である。

 個人が個人情報保護法で、ああ勘違いの大喧嘩をしているのに、大垣市は、それを隠れ蓑に、行政の無駄遣いを隠している。それは大垣市の組織情報である。それこそ公開すべき情報である。

 

下記規定の罰則は営利企業対象。非営利の自治体は記載なし

個人情報保護法の罰則規定

個人情報取扱事業者は法の定める義務に違反し、この件に関する個人情報保護委員会の改善命令にも違反した場合、「6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金」の刑事罰が課せられる。加えて、漏えいした個人情報の本人から、漏えいによる被害や、実被害が無くても、漏えいしたという事実による損害賠償民事訴訟のリスクが発生する。これらによって、大規模漏えい事件事故の場合は巨額(総額)の賠償金支払いに直面する可能性もある。

 

2018-09-14  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月13日 (木)

今の話し相手が運命の人

 今日は冷やかしで、ベンツ店と個人営業の小さな車販売店(全メーカ取扱い)に、行ってきた。ところが、営業マンと打ち合わせ中に、その営業マンに割り込みの携帯電話がかかり、それの対応の姿で、お店とその人物のレベルが分かり、人生の学びとなった。

 

ベンツ店で

 ベンツ店では、若い営業マンが接客したが、その場に携帯の電話が鳴り、「ちょっと失礼」と向こうに行って話し込み、さらに奥の部屋に行ってしまった。戻ってきたのは、8分後である。私は、内心怒り心頭であったが、表には出さず対応した。それで営業マンとお店のレベルが判明した。

 人生では、目の前にいる相手が、最優先なのだ。今が一番大事なのだ。その対応の様子で、私は人を判断する。今対面している人が、この世で、今の時間で、一番あなたの運命に沿った最適の人なのだ。仏様はそれでその人の今後の運命を振り分ける。私は閻魔大王様の代行として、その人に「不適」の人物評価の判決を下した。

 

小さな車販売店の対応

 その後、訪問した自動車販売店のお店でも同じことが起きた。若造ならともかく、人生経験豊富な70歳代のオーナー社長がその低落なので、この人との今後の付き合い方を見直すことにした。

 

私の電話対応マナー

 私は誰かと面談中にかかって来た電話には、面談中の相手には断って出るが、電話の相手には、「今接客中なので、後で電話をします」と電話を切るのを基本としている。電話に出ないのも、相手に失礼である。それも相手の時間を奪うこと。

 しかし割り込みの電話を続けると、面談中の相手の時間を奪うことになる。時間とは、その人が一生で使える命の期間である。割り込み電話に出て、長話をすれば、相手の命の一部を盗んだのだ。また「かかってきた電話の人の方が、(貧乏な)貴方より大事な人だ」と相手に宣告すること。そんな失礼なことはない。やはり、ベンツ店はお高くとまっているようだ。そういう接客の教育をその店ではしている。客にその侮辱をしたと思わない人と付き合っては、人生は終わりである。だから、さようなら、である。

 

ベンツ車を理解

 今回、ベンツ店に行って分かったことは、ベンツのクラスとお値段である。今まで全て同じに見えて区別がつかなかったが、Cクラスがトヨタマークχクラス、Eクラスが、トヨタクラウンクラス、Sクラスが、レクサスLSクラスであると理解できた。CとEクラスは、各々日本車より100~200万円高いだけで、べらぼうに高いわけではない。ところがSクラスは、日本車に比べて約800万円も高い。その値段差の付加価値に興味を抱いた。

 日頃、日本の道路上で見るベンツ車はCクラスが多く、そんなに驚くことはない。ドイツに行けば、トヨタマークχが走っていると同じである。そのほとんどが中古車である。これでベンツを見てもあまり驚かなくなった。冷かした甲斐いがあった。しかし冷かしでなく、正規に購入検討をする身分に早くなりたいもの。

 

2018-09-13  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月12日 (水)

一国は一人によって興り、一人によって亡ぶ

 一国に限らない。市も会社も組合も自治会も家庭も同じである。その興亡の要となるものは、指導者の徳である。

 

古代史

 シーザーによって1000年も続いたローマ帝国が成った。これは史上最長の帝国である。その後に、スペイン、オランダ、英国が帝国を築くが、その繁栄は100年しか続かない。

 

第二次世界大戦史

 ルーズベルト大統領は、戦争をやりたくて仕方がなかった。その画策で、日本は戦争に追い込まれた。世界中が戦争に巻き込まれた。当時のABCD経済封鎖とハルノートの最期通牒は、戦争宣告と同じである。日本は、立ち上がらないと、日本中に失業者が溢れる状態になり、人が餓死して国が倒産する状況に追い込まれていた。「おしん」も東北大飢饉の影響で、僅か米俵1俵で奉公に売られた。そんな貧しい時代の日本があった。それが遠因で226事件が起きた。その貧しい資源の無い日本に対して、経済封鎖は死刑宣告同然である。そうやって日本が先に手を出すように仕向けたルーズベルトである。

 指導力あるリーダがいなかったので、日本は中国から撤退できず、米国の策謀に嵌まって、太平洋戦争に突入した。指導部は終戦の決断もできず、天皇陛下のご聖断でやっと終戦となった。

 ヒットラーの狂気で、ドイツが破滅した。

 スターリンの狂気で、5000万人が殺されたソ連の暗黒時代がある。スターリンの支配で、父と叔父がシベリヤ抑留の憂き目にあった。その叔父はシベリヤの土になった。

 牟田口廉也中将の功名心に取りつかれた狂気で、叔父がインパール作戦でビルマの土になった。

 

現代史

 岸首相の決断で日米安保条約ができて、日本は安定した経済成長ができた。それがなければ、赤い国に侵略されたかも知れない。

 毛沢東の誤指導で2000万人が餓死した大躍進時代がある。

 習近平の指先一つの指示で、赤い中国が、反日活動で燃えたり、友好関係になったりとカメレオンの様である。

 鉄の女サッチャーの経済指導で蘇った英国がある。

 メルケルの誤った移民政策で混乱を極めるドイツと欧州がある

 村上富市首相の危機管理意識無き判断で阪神大震災の救援対応が遅れ、助かるべき多くの命が失われた社会党の時代がある。

 鳩山・菅の首相で混乱を極めた民主党時代の哀しい日本の時代がある。

 北朝鮮の将軍様の指導で、北朝鮮は貧困のままに置かれている。

 トランプ大統領の指導で、アメリカファーストの体制が築かれつつある。

 

一人の指導者の判断

 全て一人の指導者が国を興し、一人の指導者の判断ミスで国を混乱に導き、国を滅亡させた歴史の事実である。遠い歴史の昔話ではなく、今我々が直面している現代歴史の現実である。

 

大垣行政の例

経済の無策

 小川敏大垣市長が17年間も君臨したので、大垣駅前商店街は餓死寸前になっている。大垣駅前商店街の61%がシャターを下した。文化関係に金をケチるので、大垣の芸術は衰退寸前である。

 他市がリ二ア景気に沸いているのに、大垣市駅前の地価は下落の一途である。大垣が名古屋のベットタウンに陥られて発展の足をすくわれている。大垣駅前商店街は衰退の一途である。

 

役人だけ甘い汁

 大垣市民の年収は、全国平均の100万円も少ない状態に置かれたままになった。それでいて、大垣市会議員の年収は全国の上位に位置する。

 小川敏市長の愚策で、大垣市制100周年記念行事に、3億4千万円も散財をしているが、何一つ大垣の未来には貢献しない。潤うのは、役人と結託した業者だけ。ますます大垣は衰退していく。

 

生徒は悲惨

 大垣市長の驕りで、豪華な新市庁舎は建つが、大垣市長の無策で大垣市内の小学校のエアコン普及率は県下最低である。人から言われて慌てて整備をする低落である。小川市長は、マスコミや政府、自民クラブから言われて、しぶしぶエアコン導入を来年度中と決めた。それも来年の6月迄ではないのだ。人から言われないとやらない情けない市長である。岐阜県の他市は殆ど100%の設置率である。今日でも遅いのに、来年度に設置など、遅すぎる。

 一人の指導者が正しい判断をすれば、こんな悲惨な大垣市にはならない。小川敏氏には徳がないからだ。

 

2018-09-12  久志能幾研究所 小田泰仙  

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