c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2019年6月16日 (日)

死ぬまでにやりたい108の夢

 実現できないくらい大きな夢を持ち、それに向かって生きることは、天が命を与えてくれる。私は、死ぬまでにやりたい夢を考えてきたが、まだ108個に達していない。人間は108の煩悩があるという。その煩悩を打ち消すプラスの夢を持ちたいと思い、108の夢の実現を人生目標とした。

 

夢の計画と実績

 現状の私の夢は下記である。視える化、文字化をすると、実現に向かって、潜在意識が動き出す。お陰で、今まで21の夢が実現した。日暮れて道遠し、の感があるが、それでも少しずつ夢が実現するのは嬉しいこと。

 人生の夢は、棒ほど願って針ほど叶う、である。多く実現したかったら、多く望むことだ。だから控えめに(?)108の夢を設定した。その取り組み過程で、多くの学びがある。その学びが最大の収穫である。

 皆さんも夢を持つことをお勧めする。夢を持てば、その一部は何時か実現する。夢がないと永遠に実現できない。生き甲斐もない。日本人が夢を持って働けば、日本は再生する。今の閉塞感を打破しないと、日本は沈没である。

 

下りエスカレータ

 今年、私は癌が見つかり手術をして、余命2年を宣告された。6月現在も体重の減少傾向が止まらず、体もだるい。そのため思い切った取り組み必要と感じた。残った夢を完遂する意欲を喚起するのが、生きる力を得る方法だと思い、その計画を立案、見直中である。

 しかし命には、時間に限りがある。優先順位をつけて取り組まねばならぬ。病気を罹患するとは、人生で急行の下りエスカレータに乗ること。下りエスカレータを全力で駆け上がるつもりで、人よりも3倍は、働け、歩け、決断しろ、書け、発信しろ、祈れ、と自分を叱咤激励している。しかし思い通りにならない体が情けない。

 

死ぬ力

 未設定の29個の夢は、今から走りながら考える。やることがあることは幸せである。残りの夢の実現に向けて、取り組みながら、前傾姿勢で死にたい。そう簡単に死んでたまるか、の思いである。そのためには死ぬ力が必要である。ベッド上で植物人間状態になっては、死ぬに死ねない。死ぬ力とは、生きて108の夢を実現する力である。そうすれば煩悩が消える。

 

死ぬまでにやりたい108の夢(未達成分、順不同)

 英語の本を出版する

 「河村義子先生の追悼写真集」を出す

 音楽写真家としてプロと認められる

 音楽ホールを作る

 講演をする

 スポーツカーを持つ

 人並みの体力と食欲を持つ

 美術館を作る

 「大垣を良くする階」をNPОで設立

 書道を極める

 

 ベーゼンドルファーのピアノを持つ

 ヤマハCFX6を持つ

 ドイツ旅行

 スウェーデン旅行

 バルセロナ旅行

 四国お遍路の旅

 奥の細道の経路を歩く

 月山へ

 恐山へ

 大垣市の政治を変える

 

 日本の政治を変える

 ベストセラー著作を生み出す

 釈迦如来像(明慶作)を家に

 地蔵菩薩像(明慶作)を家に

 鹿児島へ旅行

 沖ノ鳥島へ旅行

 三界供養塔を寄進する

 執筆活動で食べ行ける状態にする

 写真家として食べていける状態にする

 癌にならない免疫力の高い体を作る

 

 「おだ仏教」を立ち上げ、教祖になる?

 屋久島へ

 ローマ訪問9回

 プリンスエドワード島へ

 ラテン語の習得

 イタリア語の習得

 鈴鹿サーキットで走る

 人気ブログランキングでトップ5に入る

 家を建てる

 欧州便か米国便のファーストクラスに乗る

 

 第二の書庫を作る  

 東山魁夷「道」の現地で日の出を見る

 中島潔のコレクションを作る

 岩村に馬場恵峰書の板書を100枚寄贈する。(3枚実現済)

 北尾道仙を探し出す

 仏像彫刻をする

 フィラデルフィアへの旅行

 「修身」の本を出版

 音楽活動支援NPОを作る

 絵を描く

 

 古書の読解能力をマスタ

 漢詩の作成能力を付ける  

 安らかな永眠

 突然死(脳梗塞、心筋梗塞)で死なない

 交通事故死の被害者にならない

 死亡事故を加害者として起こさない

 介護を受けずに、永眠

 今から(2019年)、無事故、無検挙(無違反とは言わない)運転

 以上 計58

 

 

実現できた夢

 ピアノ室を作る

 書庫を作る

 本を出版する

 ピアノを弾ける

 仏像を居間において考える場所を作る

 オーディオ室を作る

 英語検定1級(科学工業英語1級)取得

 文書作成能力を作る(論文募集で一位獲得 1991年)

 テストドライバー資格を取る

 高級車を持つ

 

 書斎を作る

 事業を始める

 東山魁夷「道」の現場に行く

 リトグラフ「道」を手に入れる

 グランドピアノを手に入れる。

 傾聴能力を向上させる

 ディベート能力向上(大会で優勝 2001年)

 真の師を持つ

 仏像を購入

 お墓の建立

 飛行機の操縦   以上計21

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2019-06-16   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月15日 (土)

初夢 B787-テーマパーク見学

 2019年1月1日、友人とセントレアに新設されたボーイング787のテーマパーク「FLIGHT OF DREAMS」を見学した。私の癌が発見される1週間前で、のんびりと正月休みを楽しんだ。正月にしては、このテーマパークは結構人出が多かった。

 ここは中部国際空港駅の改札口より結構距離があり、前回(6月5日)セントレアに飛行機の離着陸を撮影に行って、その後、行くことを体力的に躊躇してしまって、行くことを諦めた。つくづくと食べられること、歩けることの幸せを感じる。愚かな人間は、失うまで、それに気が付かない。

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787のテーマパーク外観

https://www.ana.co.jp/travelandlife/feature/original/vol235/

ライフスタイルマガジン ANA Travel & Life (トラベル アンド ライフ)より

 

実機を見学

 展示してある787初号機の旅客室内は、試作機の為、胴体部に客席はなく、全て計器類で埋まっているこのこと。だからコクピット部しか見学ができなかった。その計器は、デジタル化された画面が並んでいるだけだが、壮観であった。

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Boeing Factory  ボーイングファクトリー

 ここは、世界最大規模の航空機組立工場であるボーイングのエバレット工場のバーチャル工場の再現である。「そこにいるかのような体験ができる」が謳い文句。大型貨物輸送機ドリームリフターにより世界各地から輸送される部品がどのように組み立てられるのか、デジタル映像で見学できる。

 787の製造ラインは、デジタル映像として、流れ作業の様子が床のスクリーンに、コンベア上の映像として映し出されて、その工程ごとの詳細が、また別に映像で映し出される。旅客機が車と同じようにライン上で生産される様は、壮観である。

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大型貨物輸送機ドリームリフター

 セントレアの旅客機駐機スペースに、このドリームリフターが、いつも胴体を開けて駐機している。三菱重工で製作された787の部品が、ここからシアトルに空輸される。

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2019年6月5日撮影 セントレアで

 

Fly with 787 Dreamliner

フライ ウィズ 787 ドリームライナー

 787実機と館内空間をダイナミックに使用した映像と音のショーである。「4階の観覧エリアから見ると、建物の壁と床の境界がなくなり、現実空間が消え、やがて作品世界に没入し、まるで飛行機と一緒に飛んでいるかのように感じます」が謳い文句であるが、少々表現がオーバである。実際に体験すると「なんだ、こんな程度のもの!」が正直な感想であった。表現がオーバ―すぎる。

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 それよりも4階のコーヒーショップの席に座って、目の前に787の胴体が見える状態でコーヒーを飲むのはおつなモノ。飛行機ファンにはたまらない。

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SEATTLE TERRACE  シアトル街

 ボーイング創業の街、シアトルをテーマとしたエリアである。入場無料で飛行機の間近でシアトル本場の人気メニューやショッピングを楽しめる。我々は、混雑を避けるため、ここでシアトルの有名な寿司屋「シロウ カシバ」で1000円程のランチを早めに取った。1時間後の混雑を見ると、それは正解であった。

 「シロウ カシバ」は、新鮮な魚介類が豊富で日本食が大人気のシアトルで、「シロウ カシバ」は知らない人がいない寿司店だそうだ。シアトルで本格的な江戸前寿司を広める役割を担い、この度日本に凱旋したという。

 

BOEING STORE  オフィシャルグッズショップ

 米国外初出店というボーイングのオフィシャルグッズショップでは、飛行機のパーツ販売されており、私は河村義子先生を思い出し、つい衝動買いで、ボーンイング707のエンジンのタービンブレードを買った。

 その経過は2019年1月 8日 付けのブログ記事「河村義子先生の分身に出会う」を参照ください。

河村義子先生の分身に出会う - 久志能幾研究所通信

yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2019/01/post-d0c9.html

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フライ ウィズ 787 ドリームライナー

 夢とはいい言葉である。我々は夢を抱いて人生飛行を楽しんでいる。その夢の欧米までの飛行は、12時間でおわる。人生飛行の夢も、せいぜい60~80年間で終わる。何時かは着陸、死亡という結末を迎える。人生は80年(私の希望は108年?)、儚いものである。だからこそ夢を抱いて大きく飛びたいと思う。夢を見ない人生は、夢の世界でむなしい。実現できないほどの大きな夢を抱いて人生を歩みたい。夢は見たものが勝ちである。

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2019-06-15   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月12日 (水)

ガンを罹患して(2)死ぬ力に目覚め

 私は余命宣告をされて、生きる意味を再確認した。人生の残り時間を意識すると、無駄なことをやっているわけにいかなくなる。この世では、自分の意のままならぬ命である。己の意識に、冷や水をかけてくれたのが、余命宣告である。人生を全力で生きてきて、人生の第四コーナで、チェッカーフラッグが振られたのだ。

 

人の選別

 癌になってから、付き合って価値ある人と価値なき人との差が明白に見えるようになった。病気になり、命の危機に接せると、真の友人が明白になる。それが明徳である。口先だけの人が誰なのかが明白になる。そんな人と付き合っている時間はない。

 

此の世で残すもの

 今からは、集めることではなく、何を世に遺すのか、何を与えるか、何を伝えるかが、切実な問題である。己は、今まで何のために生きてきたのか、それが問われている。お金を残すために生きてきたわけではない。名誉を残すために生きてきたわけではない。自分の務めを精一杯生きてきた思いがある。

 

 それで遺産の処理方法も決めた。一部、公式の遺言状も作成した。お金を残しても、あの世にはもって行けない。お金はこの世での通行手形である。生きている間に使わないと意味がない。そういう点で決断が早くなった。使える時間が、命なのだ。

 

体の神秘の理解

 癌の手術で、たった一つの臓器を無くすだけで、これだけ体が辛いとは、想像できなかった。手術後4か月たった今でも、体力が回復せず、まともに食べられず、まともに歩けない。天は無駄なものは作らない。頂いた命の尊さと頂いた命に感謝の日々である。生きているのが奇跡なのだ。朝、目覚めるのが、奇跡なのだ。

 

死ぬ力

 頂いた命を、単に生き永らえさせるのでは、霊魂なき動物である。それでは人(霊止)として生んでくれたご先祖に申し訳ない。最期まで自分の意思で生きるのが死ぬ力だ。ベッドに縛り付けられ、管を体に入れられ、植物人間として生きるのは、死も同然である。単なる延命治療は受けたくない。最期まで、やるべきことをやり遂げて、人間の尊厳を保ったまま死ぬのが、死ぬ力だ。死ぬ力とは、生きる力である。

 お釈迦様の弟子たちへの最期の言葉が、精進せよ、であった。お釈迦様はあの世があるともないとも仰らなかった。ただ死ぬまで精進せよ、である。

 よく働いた一日は、安らかな眠りを誘う。素晴らしい人生でなくてもよい。やりたいことが出来て、悔いのない人生でありたい。よく生きた人生は、安らかな永眠をさそう。

4k8a99231s     2年前に馬場恵峰先生に書いてもらった色紙。文言は著者の作。

2019-06-12   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月10日 (月)

君が部長なら、誰を指名解雇するのか? その基準?

リストラで生き延びる人、淘汰される人

 あなたがある部署の部長と仮定して「部員30人中、9名の指名解雇者を選出せよ」との業務命令が上からきたら、どういう基準で選出するのか? 答えよ! リストラしないと会社が倒産して、4,000人全員が路頭に迷う事態になる。

 これは私の「修身」の講義で、対象が新人・中堅の技術者たちに出した質問である。私はこの回答には言及しなかった。その意図は、現実社会を中堅技術者達に知らしめ、自分がその立場なら、どうしたかを考えてもらい、働く意味、生きる意味を考えてもらうためであった。答えは各人の価値観で変わる。

 

実例

1960年頃 近江絹糸   経営不振で人員整理

  一級ボイラー士の有資格者も解雇され、大の男が泣いた。

  彼は、当時の父の仲間。当時私は小学生で、両親が夜、人員整理の話しをしていたことを良く覚えている。   

 

1949年 トヨタ自動車の人員整理・労使紛争

      創業者の豊田喜一郎が退任 

1954年 当社の人員整理   365人を解雇(全従業員の30%)

   「2度とこんな事態は繰り返さない」と社長は固く心に誓った

1993年 パイオニアの指名解雇

1995年 日産の座間工場閉鎖

2001年 松下電器の希望退社募集(実際は指名の肩たたき)

 

 

死の強制収容所アウシュビッツからの生還  

 

          死亡率    死者

ドイツ強制収容所  79% (ユダヤ人434万人 ガス室で大量殺戮)

シベリア抑留    12% (日本人7万人 極寒の屋外で強制労働)

          抑留初期は80%の死亡率

 

どんな人が生き延びたか?  どんな人が死んだか?

貴方が強制収容所の看守なら、どういう基準で囚人をガス室に送る?

 強制収容所では、看守も懲罰の対象であった。シベリア強制収容所の看守も懲罰的な意味合いでシベリアに送られ、その看守の役割を負わされている。看守自身も常にその業務成果が監視されているので手抜きはできない。

 

生きる目的

 その中で、看守から死の選別をされずに生き延びた人は、「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)ことが出来た。また未来に目的を持ち、自分の存在価値を認めていた人たちだけが生き延びた。

 それに対して、生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い、生きていてもなんにもならないと考え、自分の存在価値をなくし、がんばり抜く意味を失った人は、いくら若く頑強な体でも、あっけなく死んでいった。(「夜と霧」ヴィクトル・E・フランクルより)

 「昨日まで元気で働いていた若い頑強な仲間が、朝、隣のベッドで冷たくなっていた。」(シベリア抑留体験者の言葉。私の父もシベリア抑留者)

 

ガス室に送られないために

 ドイツ強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動が下記である。

 

◇ 働ける体であるように見せる

      働ける状態でなければ、自動的にガス室行き

      常に若く見えるように、行動した。

   立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばしていた。

      若く見えるように髭を毎日剃った。

   最後のパン一切れを人に与えても、ガラスの破片で髭を剃ってもらった。

       病気にならない--- 病人になれば、自動的にガス室行き

◇ 常に未来を信じる

     近い将来、講演会で自分が演説している姿を思い浮かべた。

◇ 収容所での苦しみは意味があると認識する

     無意味だとすると生きることの価値が無くなる

◇ 愛する人との魂での会話を絶やさない

◇ 感動を失わない

     沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動

◇ ユーモアを失わない

       自分を見失わない魂の武器

 

リストラの選別対象になる人

 「会社が倒産の危機に際した時、リストラの選別対象になるのはどんな人か」を考えて欲しい、との質問を新人にした。

 リストラされると今の経済状態では再就職は至難の技である。当時、年間34,000人の自殺者(2004年当時)がいて、増加の一途であった。それを受講生に考えてもらった。

 

生きるとは

生きるとは、

 ・生きる義務を引き受ける行為

 ・生きることへの問いに正しく答える義務

 ・生きることが各人に課す課題を果たす義務

 ・時々刻々の要請を充たす義務

 

 生を受けた以上、与えられた命を全うさせる義務がある。そうしないと、生を授けてくたご先祖に申し訳ない。今生きている己は、全てのご先祖の代表である。

 

苦しむとは、何かをなしとげること

  「夜と霧」ヴィクトル・E・フランクル

 

生きるとは、仕事をすること

 会社生活は、人生の一番大事な時(一番エネルギーの高い時、一番充実した時)に、一番多くの時間を費やす舞台である。そこで元気でないと、人生がうまくいかない。会社ではリストラ対象にされる。

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2019-06-10   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月21日 (火)

「追悼写真集 河村義子先生」の製作に着手

 河村義子先生が2018年12月25日に亡くなられて、半年が経った。当初、もっと早く追悼写真集を出す予定であったが、私が癌で倒れ、寝込んでしまったので、最近まで取り掛かりができなかった。

 最近、やっとそれに着手する元気が出てきた。まだまだ体力的には回復せず 、まともには動けないが、編集作業ならと少しずつ取り組んでいる。

 

先生とのご縁の始まり

 私は先生が亡くなる5年前にグランドピアノを買い、義子先生からピアノを習い始め、そのご縁で義子先生の演奏活動の写真を撮り始めた。その演奏会の写真数は8,000枚ほどに達した。お弟子さんに聞くと、それ以前の写真は、スマホで撮った写真くらいしかなく、本格的な写真は皆無という。私がプロ用の機材で写真を撮り溜めたのもご縁と思う。

 撮影用カメラも、この5年でCANON7DⅡ、CANON5DⅣ、SONYα9と三代も変わった。α9は、演奏会用の無音シャッターで、暗い舞台でも撮影が可能なカメラである。演奏会を撮影するのでなければ、買わなかったご縁である。

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  馬場恵峰書 人生六詞

 

ご縁

 今にして、一番脂ののった時期の義子先生の活動を撮影出来て、よきご縁であったと思う。遅からず、早からず、義子先生とご縁ができたのは、運命かもしれない。それこそ一期一会である。

 私の癌が見つかったのも、義子先生の死で、何か胸騒ぎがして検診を受けた経緯による。いわば義子先生の霊が教えてくれたと言える。もし検診があと半年遅れていれば、手遅れの恐れもあった。感謝です。

 

人生を完全燃焼

 義子先生もピアノが華やかに盛り上がった時代に、演奏家として活動できた。享年61で、見た目の若さを保ったまま、多くの人から惜しまれて亡くなられたのは、一面では幸せであった。現在は、ピアノ市場は衰退傾向である。義子先生がよぼよぼになって、往年の美しさが色あせてから亡くなられたら、こういう状況にはならなかっただろう。義子先生は、音楽で人のために役立つことを夢見て、人の2倍も3倍もの情熱をかけて、やりたいことをやり切って、命を全うされた。だから弔問客が、通夜と本葬で計1,000人を超えた。ある意味で羨ましい人生であった。私はその最盛期の記録を写真として残せたことを幸せと思う。

 私はその姿を私の母にダブらせて見ている。母は戦後、シベリア抑留から帰国した父と結婚して、裸一貫で、戦後の日本高度成長期を駆け抜けた。市内のある会社の社長から、「お前の母親は、大垣市内の社長を集めても、太刀打ちできる者はいない」と言われるほどの傑物で、その社長から一目を置かれていた。母は高度成長期、頑張ってその成果を手にして、日本経済のバブルがはじけた後、静かに世を去った。やりたいことをやり遂げた後で、幸せな人生であったと思う。

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  馬場恵峰書 人生六詞

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2019-05-21   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月20日 (月)

あれ食えこれ食え 痴呆CM 癌が増え

知足者富

 食べ足りないで早死する人よりも、食べ過ぎて寿命を早める人が多い

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馬場恵峰書

 

 テレビの番組は、CMで、食い物、食べる行為の氾濫である。どんなものも美味そうに食べているタレントばかりが登場する。

 ジャンクフード、スィーツ、清涼飲料水、お酒、ハンバーガー、マーガリン、油、ソーセージ、ラーメン等、全国各地のグルメ紹介、食べ放題特集、大食い番組等の氾濫で、国民が痴呆的にテレビを見てつけられている。まるで洗脳教育で、何かおかしくないのか。

 癌を予防し、肥満、糖尿病、高血圧等の病気にならないためには、食べてはいけない食材ばかりである。テレビ番組制作者は、スポンサー企業の顔色を見て、金儲けのために、そんなことは無視である。

 日本には食料ばかりの話しで、お心肥の話題がない。もっと心を養わないと、日本は衰退の一途である。

 この痴呆的なCM攻撃には自己防衛するしかない。自己防衛できない子供たちを、親は守る義務がある。しかし、その親が堕落しているのが現代日本社会である。自分が癌に罹患して、世の中に発癌性食材の氾濫を見て、その思いを強くした。

 

飽食の罪

 その昔、学校で悪さをすると、罰として水の入ったバケツ2杯(約10kg)を持たされ廊下に立たされた。それが今は、長年の飽食の罰として、肥満になると脂肪の塊(10kg)が身につけさせられる。天からの罰として、バケツの水と同じ重さを持って働かされていると同じである。肥満になれば、高血圧、糖尿病、脳梗塞、ガン、通風等の病気になるのは自然の理である。飽食が万病の元である。その結果、医療費も高騰の一途をたどり、40年前に総額10兆円であった日本の医療費は、現在、40兆円を超えた。医学が発達しても患者は増えている。これは人の食生活が贅沢になり、本能のまま旨いものばかりを求め、心の修養を怠った結果である。その罪悪の履歴(閻魔帳の記録)が体に付いた脂肪の重さで「情報公開」される。誰でも閲覧可能な情報である。見れば分かる。閻魔帳はあの世に無い。今の己の体が、閻魔帳として存在する。

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飽食の連鎖(food slave chain)

 テレビでは連日、グルメの番組、料理番組、行列のできる飲食店の特集、絶品食品の宣伝、スイーツ・ジャンクフードのCMが目に付く。締めくくりとして胃腸薬の宣伝を大々的に展開する。ここに「飽食の連鎖」で食い物の奴隷に成り下がった現代人を垣間見る。食い物を食い物にして、金儲けに走る企業の戦略が透けて見える。

 その結果が、日本の男性の40代~50代で肥満者が30%を超えている。20年前に比べると3割も増加である。肥満は病気である。この結果が、医療費40年間で、3.7倍への肥満化である。現代社会は病気製造の片棒を金儲け主義の企業が担いでいるといえる。更に製薬会社と医療産業まで金儲けで目の色が変わっている。人の命をネタに金を稼ぐのは、吸血鬼ビジネスである。

 最初は崇高な理念で始めた徳田氏の徳州会病院も、2012年に、その娘の堕落で世にそのスキャンダルを晒した。旨いものばかりを食って太った中年太りの姿は醜態そのものである。

 その誘惑に負けた食い意地の履歴が、己の肥満として閻魔帳に記録される。美味しいものには毒がある。それを防ぐのが克己心。何のために生かされた命かを自問しよう。

 

足るを知らず

 満腹したライオンは、目の前をウサギが通っても襲わない。それが自然の摂理である。ライオンでも本能として「足るを知る」のである。ところが現代人は、満腹でもあるだけ食べてしまう。テレビも食べろ食べろとグルメ番組の氾濫である。これでは、人間様も犬畜生にも劣る存在に落ちぶれる。その罰を糖尿病、高血圧、ガン、認知症として受けている。世の中では最高のことしか起こらない。ガンでさえ、己の細胞の「火事」を最小限に防ぐために命が起こす自衛活動である。病気になるのも、みほとけからのメッセージである。それに聞く耳を持たないのが現代人である。

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 痴呆的グルメ番組がオンパレード。それを視聴続ける人が情けない。

 面倒見のよいマスコミでは、胃腸薬の宣伝も怠り無く?

 己の子孫が、後年これを見たら先祖を軽蔑するだろう。

 これこそ河原こじきの仕事である。昔の芸人とは河原こじきのこと。

 

飽食の奴隷

 「足るを知る」を忘れ、自然との共生を忘れ、己の利益だけを追求するグローバル経済主義の影響で、食品メーカが人の健康は無視して少しでも食べさせて売上を高めることに奔走する。飽食と食品CMの氾濫に踊らされている現代から見ると、中世の貴族の食事を笑えない。人間は恵まれ過ぎると不幸になる。

 金持ちになり、美食を漁り、食べ過ぎ、生活習慣病になる。グルメと飽食を追求した結果は、毎日が辛い・・・とまるで悪魔のサイクルである。それなら最初のところを「足るを知る」に変えると、我慢もいらないし、生活習慣病にもかからない。毎日を楽しく過ごし、認知症にも罹らず長生きすることができる。

 現代の医療費の異常な膨張は、天からの警告である。認知症に罹った身内を見て反省しない人間が、同じように認知症の道を歩む。

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 「お心肥」 紙切り師 林家二楽氏作  「サライ」2013年3月号

 「お心肥」は、欲望のまま旨いものばかり食べず、切磋琢磨して知識や技術を身につけ、心を肥やすべしと説く。

 

 『命の器で創る夢の道』より

 

2019-05-20   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年5月19日 (日)

冷や飯を食わされ、命拾い

 1990年、私は主流である事業部署から、非主流の部署に飛ばされた。その原因の一つは、私が上司Uからの縁談の話しを断わり、上司の心証を害したこと。宮仕えは辛いものだ。古い体質の会社の人事とは、上司の露骨な好き嫌いである。結果として、この上司と縁が切れたことで、命を拾うことになる。

 

自己防衛

 この上司Uは、1年下の同僚Dを好き嫌い人事で、欧州の海外担当に飛ばして、死に追いやった過去がある。同僚Dは、純粋な技術畑の人間で、営業には向かない性格である。それが明白なのに、彼は上司Uに、パリに飛ばされた。当時、パリの現地法人は経営的に悲惨な状況となっていた。彼はそこで心労で心身疲弊して、帰国後、病魔に襲われ、50台半ばで帰らぬ人となった。私や仲間は、上司Uが殺したと思っている。私が現地で彼に再会した時、疲れた顔をしていて、愕然とした覚えがある。その時、我々が日本から来ているのに彼は多忙で、一緒に飯を食う時間も段取りできなかった。

 私の母はこの上司に盆暮れの付け届けを欠かさずにしてくれた。だから海外に飛ばされるまでの悲惨な人事異動は免れた。私も多少は智慧があり、表だって上司には逆らわなかった。今にして母に感謝である。

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 馬場恵峰書 2006年

 

冷や飯部署

 その部署は通産省の出先機関(NEDO)の委託研究プロジェクトであった。その仕事の成果は、当社の利益に反映されない。政治的な意味合いを含めての会社の業務である。立場的には、社内出向のような立場である。そのため仕事を現場にお願いしても、現場の人は、その仕事が会社の利益に直接反映されないことを知っているから、露骨に仕事を後回しにされる。回りの目も、今までのカンバン商品の開発を担っていた設計者への目とは、明らかに軽んじた扱いの目に変わていた。私の冷や飯食いの時代が始まった。

 それでも上司が変わると、こうも職場の雰囲気が変わるのかと思うくらいの変化があった。今までがあまりに異常であった。

 

冷や飯という御馳走

 この部署では、社外の一流の会社との交流があり、その面で遅れている当社のレベルをいかにそれらしく見せるかの苦労をしながら、社外の会社の実態を見させてもらった。共同研究会社は、キヤノン、ニコン、横河電気、不二越という一流会社ばかりである。

 キヤノンは、この国のプロジェクトをうまく活用して、社員の育成と技術開発の応用に展開していた。そういう会社の経営例を見せ付けられた。

 経営層がこの国のプロジェクトを軽視した咎は、30年後、キャノン、ニコン等が世界的な企業に発展成長をしたが、当社は吸収合併され、世から消えたことで明らかになった。ここに経営の差の全てが現れていた。

 私の上層部の経営者の口ぶりや当部への扱いを見ると、お荷物の部署に飛ばされたのを悟った。私がこの部署に異動する以前に、当時の上司Mが、「この部署は国とのお付き合いでお荷物だ」と明言していた。あるプロジェクトをお荷物として扱うか、技術開発のご縁にして成長の糧にするかの差で10年後の会社が変わる。正に人生と同じである。その扱いは経営者の責任である。この上司はやり手で、超スピードで役員までかけ上ったが、その後、仕事以外の不祥事で会社を追われた。

 各会社の相互見学会もあり、自社を他社の鏡として観る勉強になった。それに対して、その面の利用が薄い当社であった。一流の他社の設備、研究姿勢、体制を垣間見たことは、後年の経営の勉強になった。

 

国の仕事

 仕事的には、とんでもないレベルを要求される技術開発ではあった。従来の1桁も2桁も違う加工精度が求められ、サブミクロン、表面あらさのレベルがオングストローム、加工時間が数日の世界である。機械を作る前に温度管理がいるクリーンルーム相当の建屋を造ることにもなる。またお役所の関係業務のため、報告書作成ややり方の勝手が分からず、訳の分からない世界であちこち頭をぶつけ、恥をかき、部長に笑われながらの日々であった。社内では絶対に経験できない仕事ではあった。

 

あるはずのない欧州出張が、実現したご縁

 そのご褒美として欧州の大学、研究所への報告出張が降ってわいて来た。本来、部長が出張する予定であった。その前年に、生産技術部のK係長が米国の自動車会社に納入出張中に心臓麻痺で事故死をされていた。そのため、海外出張前の医師の診察が厳しくなり、上司の部長Sがドクターストップで出張不可となり、私にお役が回って来た。

 私は、前年に論文最優秀賞で欧州に出張したので、パスポートはある。時期的に今からパスポートを取る時間はない。英語の素養はある。担当係長として開発内容は熟知している。部内のメンバーではその全てで適任者がいなかった。昔の元上司Uは、私を出張させたくなかったようだが、どうしようもない。

 亡くなられたK係長も私が開発に関係した機械の納入時での事故である。それも北欧の自動車会社での機械の納入実績があって実現した受注での納入業務であった。今にして、不思議な巡り会わせだと思う。これは冷や飯を我慢して頑張ったので、ご褒美で咲いた花だと思う。

 

言志四録からの学び

 この時から28年経って、馬場恵峰師による「言志四録」を出版した。その中に「已むを得ざるに薄りて而る後に諸を外に発する者は、花なり」を発見して、この欧州出張ができたご縁の意味を確認した。冷や飯の時代でも、黙って努力をしてきた精進が、「欧州の報告会出張」という花を咲かせたのだ。

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 馬場恵峰書 「佐藤一斎著「言志四録」五十一選訓集」

 久志能幾研究所刊

 

欧州出張

 欧州での国の研究成果報告会として、パリ大学、英国国立物理研究所、クランクフィールド大学研究所、ベルリン大学、アーヘン工科大学、オランダ国立研究所で、研究成果報告会を経験できたのは、何ものにも代えがたい経験となった。それも「飛ばされた」お陰である。

 英国国立物理研究所では、ニュートンが万有引力の法則を発見したりんごの木の二世が植えられていた。ここは普通では足を踏み入れられない聖地であった。

 

大名旅行

当時「日本は欧米から技術を盗むばかりで世界に貢献していない」というバッシングが盛んであった。通産省の技官から「こせこせした研究成果報告会ではなく、獲得した技術を欧米に教えてやるとの心意気で行け」との指示と、単なる報告出張ではなく、「欧州の文化もゆっくり見て来い」との配慮があった。2週間で4カ国7つの大学・研究所を訪問する余裕の大名旅行をさせて頂いた。これは仏様からのご褒美としか言いようがない。

Photo  英国国立物理研究所でのプレゼン後の記念撮影。私が撮影したので私は写っていない 

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 ニュートンのりんごの木の二世

 左端が著者、右から二人目は団長の井川阪大教授

 

ベルリンの壁崩壊の跡

 1989年11月10日にベルリンの壁が壊され、1990年10月3日に東西ドイツが統一された。その1年後に我々はドイツを訪問した。統一間もない東ドイツに足を踏み入れ、その歴史の風を垣間見るご縁を頂いた。なんとも不思議な歴史的な出会いであった。

 そこで路上の止められていた東ドイツ製の車のレベルの低さを見て、如何に共産主義社会では、技術が進歩せず、停滞するお粗末さを垣間見た。やはり自由な競争がないと、技術も文化も進歩しない。

 

Photo_3   ブランデンブルク門(東ドイツ側より撮影) 

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  20年間時間が止まっていた東ドイツ市街

当社の共産党体制

 それと対比されるのが、当時のわが社であった。当社の役員の世界は、学閥優先で、人格的に劣悪な人間が、役員でのさばっていた。仕事の上の実力での競争がないから、経営がおかしくなっていった。特定の学閥の人間しか偉くなれない。まるで共産党の密室人事である。同じような体質の会社が、現在でも世にはばかり、世間を騒がし、没落していっている。日産、東電、三菱自動車等である。日本経済停滞の元凶である。

 当社は、その弊害で業績が上がらず、多くの社員を死に追いやり、最後は吸収合併されて、消えた。ダーウィンの法則で、市場の変化に対応ができなっかたので淘汰された。それは自然の理であった。同僚のD君は、その犠牲者の一人であった。その他にも、私が一緒に仕事をした仲間が、在職中に20人以上も死んでいる。異常である。私がその毒牙にかからなかったのが、仏様のご配慮と今にして思う。

 

2019-05-19   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2019年5月17日 (金)

モノには精霊が宿っている

 ものを入手する時、一度立ち止まって、そのものを入手して、それが自分の一部となって自分の付加価値が上げる力となるだろうか、と考えてみたい。そうすれば、無駄な買い物が無くなり、家がゴミ屋敷になることを防いでくれる。

 

貧乏と富裕

 貧乏人の家は、要らないものばかりであふれている。私の家がそうだった。捨てるという決断ができないから貧乏なのだ。人生では、両方(使用と保存)を選び、廃棄を選べないないので、人生が曖昧になる。金持ちの家は、すっきりして不要なモノがない。それは人生を曖昧にしないからだ。

 昔気質の母は、何でもため込む性格であった。モノのない時代に育った両親の世代は皆、そうであったようだ。それを非難はできない。今はモノが溢れすぎている。だから母が亡くなった時、軽トラックで5台分の不用品を廃却した。廃却にもお金がかかる時代となった。

 今回、私が病気になり、この3月に退院した機に、家に溢れていた不用品を整理、廃却した。それは100㎏に及んだ。着もしない服、使わない昔のPC、家電製品等である。家中がすっきりして、広くなった。

 

不要食品

 それは本当に食べたいモノだろうか。時間が来たから、空腹でもないのに食べてはいないだろうか。味わって食べているだろうか。無意識に食べれば、それは肥満につながる。病気も癌も誘発する。テレビの洗脳教育のCMで、無意識に食べてはいないだろうか。食べ物には命が籠っている。だから、食べ物を食べる時は、感謝して味わって食べるべきだ。そうすれば肥満にはならない。

 

無駄な悪縁

 そういう生活をすれば、時間を無駄に過ごす人との出会い、無価値な行事の参加、無駄な番組の閲覧も無くなるだろう。時間つぶしの痴呆的番組を見ても、何ら、自分の人生価値を上げられない。それらを無くせば、人生から悪縁が無くなる。

 

精霊を窓際族にしない

 モノには精霊が宿っている。モノを買ってしまい込んでは、モノの精霊をいじめること。モノの精霊を窓際族にするのは罪である。モノは使われてこそ、喜ぶ。モノには、それを作った人の汗が籠っている。自分が窓際族に追いやられた経験があるから、その心情がよくわかる。

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 馬場恵峰書 日中文化資料館蔵 2011年

 

2019-05-17   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月14日 (火)

癌に教えられる

物への執着心が消えた

 モノには精霊が籠っている。それを使わず、閉じ込めて使わないのは、精霊が悲しむことになる。精霊を悲しませて、己は幸せにはなれまい。

 私は癌になり、医師から「余命2年」と宣告された。そうなると、モノへの執着心がなくなった。どうせ来世にはもっていけない。この世で、自分を幸せにしてくれるものだけが、身近にあればよいではないか。物置になっていた自宅二階の一室から、約100kgの不用品を出して、惜しみなく捨てた。着られもしない服が大量にあった。色があせたシャツなど今更着られない。今まで、如何に不要なモノを保管していたかが、呆れるほどである。

 好きな絵も、選択して手放した。死後のモノの行き先も決めた。

 

お金への執着心が消えた

 癌になって、お金の執着心も消えた。死ぬときになって、預金通帳に100万円が多いか少ないかは、大した問題ではない。お金は、自分を幸せにしてくれる道具なのだ。Some moneyと稼ぐ能力があればそれでいいではないか。それを使わず、預金通帳に閉じ込めておくから罰が当たる。そう思うと、お金に最大限のお役目を果して欲しいと思う。もっと自分と他人を喜ばせていきたい。

 

人への執着心が消えた

 極限状態では、付き合ってきた人の真贋が見えてきた。今まで、誠実と思っていた人が、不誠実な人であったことが露見して、興ざめである。去る者は追わず、来る人が福の神である。縁なき衆生は、不義理という雑音を放出している。

 

誰のお陰で

 今、自分があるのは、先祖の親の師の友人の御恩があって、今の自分が生きている。ゆめゆめ自力とは思うまい。それに気が付かされた。

P1070060s   馬場恵峰書

時間への執着心

 余命2年と宣告されると、時間への意識が研ぎ澄まされる。時間に無頓着な人との付き合いは、今まで以上に避けるようになった。今できることは、今しないとできなくなる日が近い。思いついたら、すぐ実行するようになった。それでだめなら、方法転換をすればよいのだ。

 

弱者の眼

 癌の手術後、15キロも体重が減り、食べるに食べれない。悪循環で体力が激減である。歩いても、子供連れの親子に追い抜かれる情けなさである。弱者にならないと見えてこないものがある。如何に今まで自分が強者で、自己中心的に考えて行動した来たかを考えると恥ずかしい。癌になったのは、仏様のご差配であると悟った。今まで、見えてなかった真実に気付かせていただいた。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)

 

本、番組、行事とのご縁

 その本や行事に接して、今後の自分の生き方に糧になるのかを考えてから、選択して接する様になり、無駄なことに時間を無駄遣いすることがなくなった。ある番組を見終わってから、なんとつまらない時間を無駄にしたかに、後悔することが増えた。だからその前に、それを防ぐ智慧が付いた。番組途中でもスイッチを切ることにした。如何に今まで、付加価値が薄い情報に接してきたかにである。時間は命なのだ。

 

2019-05-14   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年5月 7日 (火)

「癌と共生」という戦略

 私は「がん闘病」という表現はしない。ガンは身内の細胞で、ウイルスのように体の外から来たわけではない。そのガン細胞を「闘って殺す」というのは、なにか違和感がある。自分の身内の組織が、自分の生活習慣が悪く、それを教えるために、ガンという逆縁の仏様になっただけだ。己が生活習慣を直して改心すれば、ガンも逆縁を正縁にしてくれると思う。

 ガンは闘って勝てる相手ではない。癌とは天からの使者なのだ。その使者と共生するのが、仏様のご意志である。

 戦略とは、「戦い」を「略する」こと。無駄な戦いを無くして勝利する方策が、戦略である。癌に勝つのではない、負けないようにするのだ。

 

定義

「癌」の字源

 癌は体の悪いモノの集積場なのだ。悪いものが全身に回ると敗血病になってしまう。それを防ぐために、一か所に毒を集める自己防衛機能が癌である。癌とは固い岩のようなものが体の中にできる。漢字の象形文字の意味は、それが食品に原因するとして、「岩」と「品」を含め、それに病の意味の雁垂れをつけて、「癌」という漢字にした。癌の原因は、食生活であると昔の人は知っていた。

 

伝えるべきメッセージ

 今、私がこの病気に罹ったことから学ぶことは何か、皆さんに価値ある情報として伝えることは何かを模索している。最大の伝えたいメッセージは、ガンにならないための情報である。また、ガンになったら、その対処法の情報である。

 

認識

現状を認識

 「忍」とは認識が源である。真実は、自分自身の「心」に「刃」を向けないと見えてこない。それが「忍」である。

P1050659s   馬場恵峰書

体の現状を認識

 本で癌を調べるのと併行して、現在の私の体内の癌の状態がどうなっているかを、血液検査で解明した。愛知県がんセンターの一般的な血液検査ではなく、横浜のハタイ・クリニックに行って、特別の血液検査「がん幹細胞検査」を受けた(4月2日)。その血液は、ギリシャのベンチャー企業に送られて分析された。血液中の癌の有無の調査だけだと20万円だが、その対策までの解析だと、追加で30万円である。計54万円(消費税込み)の血液検査で、価格に目を剥いたが、事前に資料を精査して信用できると判断して、お金を払った。

 その結果は、血液の単位分量内に、6.1個のガンの「細胞」があると分析された。普通の人は、5個以下のガン細胞の分量であるという。確かに、現状のままではガンが再発しやすい恐れがある。今後、その分析で、最適の抗がん剤種類の選定(これは不要になった)と最適の治療方法のサプリメントの選定をしてくれるという。今はその解析結果待ちである。

 この検査は保険がきかないので、高い。しかし世界でここしかないので、支払った。必要な時、使うべき金を使わないと手遅れとなる。失ったお金は稼げば取り戻せる。失った時間は取り戻せない。54万円の決断に後悔はない。

 

ガン手術後の体の状態認識

 2019年2月12日に手術して、3月9日に愛知がんセンターを退院したが、食が進まない。少し食べ過ぎるとすぐ吐いてしまう。食べられるのは、今までの1/4から1/3くらいの分量である。今でも3日に一度の頻度で嘔吐している(5月6日現在)。退院後、体重が15キロも激減した。いまだに下げ止まる傾向がなく、体重の減少が続いている。このため時折、余命2年の宣告が頭をかすめる。

 だから体がだるくて力が入らない。500mを歩くのが辛い。今は寝たり起きたりの生活である。頭と指先だけが元気で、このブログを書いている。我ながら情けない。体力低下が著しい。多分、免疫力低下も著しいのだろう。

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私の手術後の体重変化  15キロの激減(2月12日~5月6日)

 

抗がん剤治療の副作用を認識

 当初、4月10日より、抗がん剤治療を始める予定であったが、船瀬俊介著『あぶない抗がん剤』(共栄書房 2018年)で、抗がん剤治療の副作用とその実態を知った。薬物科の医師は病院の「標準治療」の指針に従って、盲目的にそれを強要する。私は抗がん剤治療を拒否した。それは自己責任で、最悪の場合は死であると覚悟している。

 今まで70年近く生きてきて、経験上で、そう間違った選択ではないと感覚的に感じる。もう十分に生きたではないか、との達観もある。母よりも長生きできそうである。後は野となれ山となれの心境に達した。

 それは一面、正解であったと思う。現状の体力が極端に衰退した状態で、抗がん剤治療をすれば、命が危なかったと思う。人はガンでは死なない。手術、抗がん剤治療、放射線治療で、体の免疫力が極端に低下して、肺炎、感染症に罹り死ぬ場合が80%という。

 

乳がん患者の闘病記で副作用を認識

 先日、26歳のタレントのYさんが乳がんと闘病するドキュメンタリーを見た。彼女は乳がんの摘出手術後、抗がん剤治療を2か月、放射線治療を1か月、ホルモン治療を半年の「標準治療」でガンを「殺す」治療を受けた。その番組で、抗がん剤の副作用の凄惨さを画面で見て怖しくなった。彼女はまだ26歳と若いのに、頭髪が完全に脱毛し、吐き気、倦怠感等に襲われていた。

 つい先日も、余命3ヵ月と宣告された大林亘彦監督が抗がん剤治療を受け、頭の毛が全て抜け、放射線治療を受け、疲れた姿をビデオで見て、陰鬱な気分になった。Yさんと大林監督は、抗がん剤の副作用を我慢しながら抗がん剤治療を受けたのだ。抗がん剤は、ガン組織だけでなく、正常細胞も無差別に攻撃する。それは放射線治療も同じである。彼女の放射線で焼かれた肌が痛々しかった。

 彼女は26歳という若さがあるから耐えられたが、高齢の私には耐えられないと思う。なにか自然の理に合わず、納得できない。この番組で感じたことは、「天は抗がん剤治療が間違っていると言っている」である。

 このがん闘病記で気になった彼女の生活習慣が、彼女の食事である。彼女がパン食の朝食を作って食べている姿が放映されたが、私の調査では、それは間違った食事なのだ。癌になった原因を除かず、今まで通りの生活をすれば、癌は再発する。その点はテレビのスポンサー企業への気兼ねで、避けて通っているようだ。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

5年後の生存率を認識

 私のガンは、ステージⅢb。5年後の生存率が53%である。つまり同じ病状の人が、5年後には半数が死ぬのだ。厳しい現実を認識している。そのために、愛知がんセンターの推奨する「標準治療」では、手術後の抗がん剤が勧められる。私はそれを拒否して、代替治療を模索している。

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 ステージⅢの生存率

 大鵬薬品工業の抗がん剤TS-1のカタログより。TS-1投与群のデータは疑惑あり。

 

日米のガン死の差を認識

 1985年「デヴュタ報告」として、「抗がん剤は無効である」と米国立ガン研究所長のデヴュタ所長が議会証言した。それから米国はガン治療方針を変更した。それから米国ではガン死が減少している。それに対して、日本は急増であるのは対照的である。

 日本では、ガン・マフィアが跋扈している。その首謀者に政府官僚がいる。

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 船瀬俊介著『あぶない抗がん剤』(共栄書房 2018年)より引用

 

原因調査

 医師はガンにならない生活習慣を患者には教えてくれない。医師は、近代西洋医学の抗がん剤や放射線治療等の対処療法しか頭にないようだ。それなら、自分でガンになった原因を特定して、その対策の道を拓くしかない。

 西洋医学は、科学の最先端を走っている。科学とは、物事を細分化して、それを追及する。科学の「科」とは、禾偏に「斗」から構成される。「斗」は秤のことで、精密に測ることを意味する。西洋医学は、その面を細分化しすぎて、本末転倒の事態を招いている。西洋医学の最先端医療で、「癌細胞を殺すことに成功しました。しかし患者も死にました」という悲劇を招いている。走り出した西洋思想は、悲劇であることが判明しても、止まれない。それが西洋思想の悲劇である。

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 馬場恵峰書 2014年

 

対策

 今、私はその死亡率47%の一人に入らないように、ガンの研究をして対策を練っている。自分の命に関することなので、必死である。ガンの調査のために購入したガン関係の本は、40冊を超えた。衆知を集めて、対象を解明し、対処方法を探っている。何事も、まず現状把握しなければ、前に進めない。

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ガンの研究

 無知は対象に壁を作る。そのガンの知識がなければ、医師の指示に盲目的に従うしかない。しかし、幸いなことに私はそれを調査解析する能力と時間がある。ガンを乗り越える治療方法を探索する能力があると思う。

 会社でも問題が起きれば、その原因を解明して、対策を打つ。私は自動車関係の仕事をしてきた。それで、多量のデータ解析をした経験が活きると思う。何故、何故を5回繰り返して、癌ができた真因を明確にしたい。トヨタ生産方式のやり方である。今まで得た知識、経験、知恵を全うしたい。得た知識や経験を血と肉にしないと、今までの努力が無駄になる。

 

本来面目

 己は己の体の組織一つ、自由にはならない。己の組織なのに、その組織が勝手にガンになっていく。己はそれを阻止できない。その癌と共生して生きるしか、なす術がない。それを「認識」して、己を生かす道をさぐっている。

 会社の組織も、社員がいくら頑張っても、日産のゴーン被告にように。ガン組織のような輩が跋扈して、会社を食い物にすることがある。しかしそれは日産の社風が生んだ産物なのだ。それは全て歴代のトップの言動が生み出したものだ。ガン組織のような輩を育てたのは、そういう風土にした会社歴代のトップの責任なのだ。

 それと同じで、己の体のガン組織は、己の長年の生活習慣が生み出した。癌防止と治療には、生活習慣を直すしかない。それは命の再生である。命とは、自分が使える時間量である。その時間を伸ばしたい。今回、私もガンになって多くの学びがあった。それを皆さんに伝えるのが、私の使命と思う。それまでは死ねない。

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  馬場恵峰書 2015年

2019-05-07   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。