c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2020年9月17日 (木)

磨墨知649.野鴨であれ。愛人を崖から突き落とせ

過保護が生命力を弱くし、活きる力(時間)を弱くする。

 

 「デンマークにジーランドという場所がある。大変、景色のいい所だ。その湖に毎年、野性の野鴨たちが翔んできていた。

 たまたま、この湖には人の好い老人が住んでいた。その老人は、大変な距離を翔んでくる野鴨たちに、遠くから大変だろう、と美味い餌を用意する。美味い餌と最高の景色。鴨たちにとって、この湖で過ごす季節は豊かで楽しく、健康的で恵まれていた。

 しかし、野鴨は渡り鳥である。一つの湖に住みつくことはしない。ある季節を過ごした後は、餌を求めて次の湖へ翔び立っていたのだが、その野鴨たちが、だんだん考え始めた。

 こんなに景色がいい、こんなに美味い餌がたくさんあるのだから、何も大変な苦労をしてまで餌を求めて次の湖へ翔び立つことはないではないか。豊かで楽しくて、健康的で恵まれた毎日。いっそのこと、この湖に住みついてしまえば良いではないか。野鴨たちは翔ばなくなった。

 しかし、そんな生活をやっていたある日、この野鴨たちに出来事が起きる。美味い餌をたくさん用意してくれていた人の好い老人が、老衰で死んだのだ。明日から、食べる餌がなくなった。そこで、この野性の野鴨たちは、何千キロも翔べる羽ばたきの力で、餌を求めて次の湖へ翔び立とうとする。しかし、どうしたことか、あの精悍だった凄まじいまでの羽ばたきはまるでなくなり、翔ぶこともできなければ、駆けることをできない。やがて、近くにあった高い山から雪を溶かした激流がこの湖へ流れ込んでくる。ほかの鳥たちは丘に駆け上がったり、飛び立つなりして激流を避けえたものの、今は醜く太ってしまったかっての野性の鴨たち、なす術もなくこの激流に押し流されてしまった。」      行徳哲男著『全生語録』より(2000年 全生塾刊)

 

1924年のIBM--「野鴨であれ」

 話は他愛ないが、この野鴨の話が強烈な哲学を生む。それがデンマークの哲学者キェルケゴールが残した「実存」という哲学である。この野鴨の訓えは、約70年前にアメリカの小さな会社の経営者トーマス・ワトソンに強烈な衝撃を与え、その社員たちとの間で合言葉を生むことになる。それが「野鴨であれ」である。1896年にタピュレーティング・マシン社として創立され、1924年にIBMと改称したこの小さな会社は、一時はコンピュータ界のガリバーと称される企業に成長する。野鴨の逞しい精神で、業界を圧倒したのであった。

 

落ちぶれた野鴨

 活力という野鴨の精神を失ない、傲慢になった企業が、どう落ちぶれたかを1992年当時のIBMが示している。「野鴨の教え」を忘れた時、企業や人は危機に陥る。当時、私は技術部のCAD管理責任者で、IBMと打ち合わせの機会が多かった。その当時、IBMの対応ぶりで、巨大企業としての横暴さに辟易していたのは、私だけではなかった。当社もその対応ぶりに担当者が不満を爆発させ、1999年、当社基幹CADがIBM製から競合製品に置き換えられた。それもIBMが野鴨でなくなった一つの象徴でもあった。その後、IBMが赤字に陥り、IBMの当社担当者がリトスラでその部ごと、別会社に移籍されたとかの生々しい激変ぶりを目の前で見せつけられるようになった。

 

2000年のIBM--VISONe--

 昔のIBM会社案内の冒頭には、この野鴨の羽ばたく写真が飾られていた。しかし、巨人企業となったIBMは、野鴨の精神をいつしか忘れたかのようであった。醜く太って動きの鈍い官僚的巨大企業となったIBMは、1992年に約50億ドルもの巨額な赤字を出す。野鴨が太ってしまい翔べなくなったのだ。そしてルー・ガスナーがCEOとなり、会社の5年越しの再建が始まった。その時を境に、そしてリクルートの関係もあり、会社案内のパンフレットもソフトトーンとなり、この「野鴨であれ」が会社案内や新入社員教育からも抜けていく。ここ10年くらいの新入社員で、この話を知っている人はほとんどいないという。2000年度の会社案内パンフレットにも野鴨の姿はない。

 

自社の鏡として

 当時(2000年)、その実状の詳細を各種の本で知って、当時感じなかった危機感を今、自分の会社に感じていた。他人は自分の鏡と言われる。同じように、他社は自社の鏡として見よう。そうしないと野鴨が業界のカモになってしまう。

 私は新規に企業との接触があると、無意識に会社案内を求め、目を走らせる。また英文の会社案内も求めることが多い。それを見れば、そこに会社の全てが「見える」からだ。会社案内がいいかげんだと、仕事の仕方、レベル、社員の姿勢もいいかげんである。これは私の経験から言っても、会社心理学(これは私の造語)から見ても間違いない。私の趣味は人間ウォッチングと会社ウォッチングである。私はこれを自己成長の学びのツールとして活用している。なにせ、「あなたは私の鏡」なのである。相手を見れば、自分と自社の良さ悪さが浮かび上がる。

 

「鏡よ、鏡よ、鏡さん、この世で一番美しい会社はどこ?」

 

2020年の世界

 その後、20年経った今(2020年)は、GAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)がこの世界を席巻し、IBMの姿は昔ほどの力強さがない。IBMに替わり、野鴨精神にあふれ尖った企業がIT世界を支配している。

 その昔、ソニーも尖った企業で、モルモットと呼ばれながら、世界を魅了する製品を次々に世に出して世界を席巻した。しかし、ソニーのストリンガーが米国の経営方式を導入し、成果主義経営が蔓延するとその毒素が体に回り、チャレンジ精神は殺された。それが今のソニーの惨状の原因である。ソニーはゲームや保険で稼ぐ企業に成り下がった。

 同じように日本では、政府の間違った経済政策、学閥横行、役人の利権あさり、年功序列の横行、成果主義の横行、国を捨てて海外で雇用を造る愚策、国民の低学歴化、女性の進出の遅れ、間違った労働管理、で失われた30年が過ぎた。高度成長期、エコノミックアニマルとまで揶揄された野鴨のような日本人は、野性味を失い、飼いカモになってしまった。

 

崖淵から翔ぼう

 部下や子供を良かれと思い、安穏で楽な状態にしてあげるのは、実はその人のためには害毒である。本当にその人のことを思えば、厳しい状況に追い込んで育てるのが親心である。それが危機管理で、頭で分かっていても、実行は難しい。それはその人を崖淵に追いつめ、突き落とすことだから。

 でも厳しさを分からない人は、崖下に突き落とすしかない。能力ある子虎は谷底から這い上って来る。そんな厳しさが最近のビジネスでは求められている。

 そうしなかった咎が、企業の倒産や負け組みという形に表れる。また17歳の犯罪の激増のように、子供の教育の失敗事例にも表れている。どんな局面でも人は危機感をもって生きて欲しい。野鴨のように。部下を持つリーダは危機感を持って部下を育てて欲しい。自らも自分を危機状態に身を置いて欲しい。

 当時(2000年頃)、私は心を鬼にし、愛する部下の成長を願って部下の首を荒縄で絞めることが多かった。絞める方は快感である(?)。当時、部下の係長から「オニ!」とよく言われた(笑)。だから決してパワハラでありません。パワハラなら、部下も上司に面と向かって「オニ!」なんて言わない。

 また理念に反した行動をとった他部署や他社の人には、荒縄を真綿に持ち替えて、じんわりと首をしめることにしていた。情報漏洩で危機管理の失態を犯した一部上場の会社役員を1時間かけて泣かしたこともある。相手を怒鳴るのではなく、「そんな危機管理状態で、貴方の会社は10年後、存続できるのですか?」、「その時、貴方の部下はどうなるのですか?」と優しい口調で、グサッと相手の心に囁き続けるのだ。

 

翔べ

 「飛ぶ」とは、小さな鳥が数キロからせいぜい数十キロを羽ばたくときに使う。それに対して「翔ぶ」とは、渡り鳥のように数千キロを渡る場合に使う。崖淵に立ったとき、我々は野性の野鴨として翔ぶ力をつけないと生き延びられない。私は下記の言葉を自分に言い聞かせて生きている。

 

 青春とは年齢の多寡ではない。精神が若ければ青年である。

 醜く太った体からぜい肉をそぎ落とし、青年よ、翔べ!

 

エピソード

 大学卒業当時から30キロも太れば、醜い野鴨である。当時の姿が恥ずかしい。昨年、癌を患い25キロの減量となった。仏様から罰が当たったのだ。お蔭でスリムな野鴨に戻れた。

039a09441s

 馬場恵峰書

 

2020-09-17 久志能幾研究所通信 1753  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月16日 (水)

磨墨知553 .先送りすべからず

 思いついたことは、とにかく手を付けてみよう。まず一歩先進、これが時間の無駄を無くす。

 プレーボーイの成功の秘訣は、まず良いと思った女に声をかける、とか?

 

 思いついたことは、潜在意識でできると判断したから、思いつく。その思いつたことで、出来なかったことは、能力不足ではなく、先送りしてやらなかっただけである。やるための智慧を出さなかっただけである。「できなかった」とは言い訳である。

 人生という時間は有限である。やらなずに先送りしているうち、タイムリミット(死)になってしまう。やって失敗の後悔よりも、やらずに死の床で後悔する方が、辛かろう。人は失敗から多くを学ぶ。

 

 失ったお金は、また稼げばよいが、失った時間、機会は取り戻せない。

 

 やってみて問題が出れば、修正すればよい。いままで躊躇していて、やってみたらあっけなく解決したことが多くある。その一歩踏み出す勇気がなくて、多くの機会を失っていたことに後悔である。自分がかわいくて、傷つくのを恐れていたのだろう。それは小さな問題だ。

 

経験の反映

 今までの先送りの失敗の痛い経験があるから、今回(2019年末)の第二の家を買うのに躊躇がなかった。ダメなら、その家を売ればよいと達観していた。多少の損の恐れはあるが、不動産だから価値がゼロになるはずがない。時間を無駄にするデメリットよりは、後悔をしないメリットと経験を積めるメリットの方が大きいと判断した。

 ミシガン大学テクニカルライティングセミナー参加(1994年)も、やってみて正解であった。それは「参加する」という決断と少々のお金で解決した。その後の私の人生を変えてくれた。それで世界が海外に広がった。

 

新しい道

 決断して行動するから、新しい道ができる。自分の歩いた跡が道になる。先送りしては、道はできない。人の道は、「動く歩道」ではないのだ。自分が道路上で、止っていれば、道は死ぬまで止っている。ニュートンの第一法則である。止っていれば、自動的に定年になり、「終わった人」になり、後は認知症への目的地に運ばれる。

 

死の床の後悔

 人間の犯す過ちは、人間で解決できる。しかし先送りして、やらずじまいになったことは、死の床では、取り返しがつかない。

 そういう決断をしない生活をすると認知症にまっしぐらだ。認知症になれば、死の床でその後悔もないから、安心だ(?)。仏様は、死にゆく人には優しい。仏様にそんな気を使わせるのは、私は気が引ける。

 この件で友人が呆れていたが、呆れられたので、この決断は正解であった。多くの人が賛成することは、常識的すぎて面白くない。常識からは、常識のモノしか生まれない。ODA佛教の試行は、超こだわりのオダワリ一辺倒である。

4k8a9380s

 馬場恵峰書

 

2020-09-16 久志能幾研究所 1752 小田泰仙 

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月14日 (月)

磨墨知590-3. 何を置いて逝くのか(改定)

老いて、追いて、負うて、於いて、擱いて、

 人間は一生をかけて(80年×365日=29,200日)、何を現世に置いてあの世に旅たつのか。自分は何をおいていくか、自問しよう。

 土から生まれた肉体は、いつかは土に帰る。土でできた肉体は大きな器である。最初は小さな器も、学びで大きくなる。その器に何を入れて昇華させるのか。それが人間の生き様であり、成果である。それが時間の創造である。

 かけた時間に相応して、人生が決まり、昇華する価値が決まる。人は何にお金を使い、何に時間を使い、誰に出会い、何を志したか、何時の時代に、何処で生きたかで、人生が決まる。人生は決して夢幻ではないのだ。

 

何を追うのか?

 己が生きた証を後進が継いでくれる。そのために、生前に何を追うのか?

何を追うて死ぬのか?

 河村義子先生は、大垣に音楽の文化を根付かせようと音楽に命を捧げた。その精霊の魂を後進が受け継いでいる。

 

何を負うていくのか?

 人は重荷を背負って長い坂を登っている。人生で何を背負っていく決意があるのか? それは途中で逝っても悔いのない重荷なのか? その覚悟が曖昧だから、人生が曖昧になる。

 私の枕もとの壁に、徳川家康公の家康遺訓の軸を掲げている。目覚めと就寝時に、嫌でも目に入り読んでいる。

 

 人の一生は重き荷を背負って遠き道を行くが如し。(家康遺訓)

 

何を擱いていくのか?(おいて  例:箸を擱く)

 自分にとって、人生で一番大事なことは何か? 死とは、それを擱いて逝くのだ。それは何かを認識して、死の直前まで、それを擱かずに全力投球しよう。私は死んだらペンを擱く。

 

何に於いてなら死ねるのか?

 人は金のためには死ねないが、義のためなら死ねる。何の義に於いて、この世を生きるのか。

 

 やることをやり切れば、後は野となれ山となれ、でよい。それが言えれば、良き人生であったと、安らかに永眠できるだろう。

 昨年、癌を患い、この項が頭にこびりついて離れない。それで以前(2018年10月26日)に公開した内容を改定した。

1

人生ホテルのチェックアウト

 人は人生ホテルに、裸でチェックインして、裸でチェックアウトする。どんな立派なホテルに泊まっても、いつかはチェックアウトしなければならぬ。それも自分の意思ではなく、ある日突然に追い出される。その時、身につけるのは経帷子のみ。その時、己は此の世に何を置いて逝くのか。それを意識して生きよう。

S   馬場恵峰書

2018-10-26   初稿

2020-09-13 改定 久志能幾研究所 1750  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月11日 (金)

あなたの目的は何?

 「人間はモチベーションで方向が決まる。お金が目的なら、それが達成できればそこで止まる。名声も同じだ。私の目的はゴルフなんだよ。」

  プロゴルファー 中嶋常幸  (PRESIDENT 2003.3.17 P17)

 

 「首位打者を目標にしていたら、どっかで挫折していたでしょう。

 “あれをやっておけばよかった”ということがないようにすることです」

     イチロー選手  2007年

 

 大垣市長の小川敏の目的は、大垣市長になる事だけであったようだ。現在の状況から判断すると、彼には大垣市民のため、何かを成し遂げようという志はなかった。だからそこで成長が止まった。そんな男が19年間も大垣市に君臨したので、大垣市民に不幸をもたらした。

 

感動と理動

 小川敏は頭だけを動かして大垣市を経営したから、市民の心を動かす政治が出来なかった。心が動けば、頭も動くのだ。そうすれば市民が喜ぶ政治ができたはずである。

 人は「感動」しても、「理動」はしない。今まで日本では、記憶力だけが優れていた人が評価される時代が続いた。50年前の記憶力だけの試験成績が良かっただけの輩が評価され、政治経済の舵を取った。俗に頭がいいいわれる人は、先例を重視して、新しいことは避ける傾向にある。だから日本の成長が止まり、大垣は没落した。「理」だけで考えるから、理性以上の考えに及ばないのだ。創造性が欠如しているのだ。理性とは理性でしか物事を考えられない偏った能力である。

 だから一流企業でトップの不祥事が続く。超一流大学出の人がオウム真理教に騙されて、絞首台に上った。金だけで物事を考えたから、日産でカルロス・ゴーンの事件が起きた。東大出ではない前市長・小倉満時代は、大垣は輝いていた。その後、東大出だけで評価された小川敏が大垣市を支配したから、大垣が没落した。理性だけでは、発想に限界があるのだ。それが現代日本の成長を阻害する病巣である。

 

私の夢

 だからこそ、自分は小川敏を反面教師として、一生かけても実現できないような夢を見ている。理屈で考えれば、アホかいなという大きな夢を見ている。

 夢を見るなら10倍大きくして、夢を見るようにしている。トヨタ自動車の大野耐一氏の教えである。簡単に実現できないから、自分は一生自己挑戦して成長できる。それが自分の成長戦略である。

 夢を見るなら利己ではなく、利他の夢を見よう。夢が実現したら、多くの人が喜ぶ夢を見よう。きっと神仏が助けてくれる。

 私の夢は、自宅にミニコンサートができる音楽ホールを造る事。そこで海外の音楽家達が、リハーサル、練習できる場所を提供することだ。現在、そういう場所がなく、音楽家が困っている。いくら練習と言っても大きなホールを借りれば、一日30万円の賃料が必用となる。

 

ブログの目的

 私のブログは、読んで少しでも生き方、人生を考える糧となり、何度でも読み返したくなる内容を書くように心がけている。自分の生き方の自省として書いている。私には書くことは生きることなのだ。そうしないと毎日欠かさず3年間も続けられない。 Img_5727s

 初めて馬場恵峰先生宅を訪問した時、お土産で頂いた書。

 2011年4月2日入手。東日本大震災直後で、その日にちを忘れない。

 

2020-09-11 久志能幾研究所通信 1745  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月10日 (木)

磨墨知331 ドラエモンを演じよう

 ドラエモンのように、どこでもドアの精神で人生を突撃しよう。運命のドアのカギは相手ではなく、自分が持っている。それに気が付くのが、悟りである。迷って百年、悟って一日である。迷い人との「差」を取るから、サトリである。人の付加価値とは平均からの差である。

 貯めこむ役者でなく、与える役者を演じよう。そこから縁が生まれる。縁には時間という利子がついてくる。

 私はドラエモン精神で、オダエモン(ODAエモン?)を演じている。ODAとは政府開発援助機構の頭文字である。だから名前のように援助しなくてはならぬ。

 

テクニカルライティングとのご縁

 私はテクニカルライティングを篠田義明教授から学んでいるうち、本場のミシガン大学のテクニカルライティングセミナーに行きたくなった。しかし行けるのは科学工業英語検定試験1級合格者だけだと思い込んでいた。知り合った後藤悦夫先生から、行く意思と金さえあれば(費用100万円)、誰でも受講可能であると分かりその気になった。残った問題は、会社で1週間の休暇の許可を得ることだけであった。それは簡単に解決した。それで私はこのプロジェクトのドアを開けて、科学工業英語のドラエモンになった。

 そのご縁で科学工業英語検定試験1級も獲得できた。当時、この検定試験制度が始まって17年目で、通算389番目であった。この試験は全国で年に5人くらいしか合格しない難問であった。43年たった現在でも、累計合格者は600人くらいしかいない。いくらTOEIC900点の英語達人でも、論理性がないと合格しない。

 私は3年の苦節でやっと合格できた。時に47歳である。当時、もう歳で記憶力が低下だなんて言っていられなかった。一回目は自費だが、2回目のミシガン大学セミナー参加は、会社からのご褒美として出張として行けた。それもその3年前にドラエモン精神でドアをこじ開けた結果である。

00010025s

 ミシガン大学ケンブリッジハウス(寄宿舎)。

一週間宿泊した。 1994年7月30日撮影

Img_4859sps

 馬場恵峰書

 

2020-09-08 久志能幾研究所通信 1742  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月 8日 (火)

磨墨知686-1. 「金はいくらでも出すから治して欲しい症候群」に罹らない

 嘱託で動いている70歳の人が、末期ガンを宣告され、「まさか、何で私が」と絶句した。藁にも縋るように、医師に「金に糸目はつけないから治して欲しい」と懇願したが、医師は拒絶した。

 それで治せるならノーベル賞である。絶望した患者は、「それでもお前はそれでも医者か、藪医者だ」と罵詈雑言を医師に浴びせて泣き崩れた。何処にでもあるドラマである。

 70 歳といえば人生の酸いも甘いも味わいつくしたはずである。緊急事態に重過すると、それが破綻して本性が露見する。他山の石としたい事例である。

 

癌という病気

 癌は幸せな病気である。国民の半分が癌になり、3割が癌で死ぬ時代である。癌が発症するまで長生きできるようになった証しである。その幸せを忘れて、じたばたするのは、わがままである。

 癌は死ぬまでに、かなりの時間的余裕がある。突然、3.11の津波に流されながら、なす術もなく死を迎えた方に比べれば幸せである。死の前にやるべき後片付けの仕事は多い。それをできず、亡くなられた方の無念がしのばれる。

 世界一の企業価値に成長させたアップルの創業者ジョブズ氏のすい臓がん、日本の名医が治療を担当した昭和天皇の腺癌、どれをとってもお金でガンが治った例はない。それを知っていても、「金に糸目はつけないから治して欲しい」というのが人間の性である。

 生あるものは必ず死を迎える。それを意識して70年間をどう生きたかが問われる。死は急に決まったわけではない。生まれたときから、死は必然である。それから逃れた人はいない。

 

時間価値

 人の時間価値は、(残りの人生価値)÷ (残り時間)で表される。

 残り時間が沢山あるうちに、健康に留意して過ごせば、終末段階で悔いがない。人生の最期で焦っても、手遅れである。そうならないように、日頃の健康管理と精進が時間節約となる。

 人生を正しく過ごすのに必要な設備は、体と頭脳と塊の健康管理である。体の健康管理を怠っては、頭脳の明晰化も魂の浄化もない。死んでもいいから健康でなければならない。死は人間には司れないが、健康管理は自分の手で制御できる。この世は因果応報。原因のない事象はない。その人の生活がガンを患うような生活習慣を長年続けて来たに過ぎない。

 金に糸目をつけないお金があるなら、なぜ、金に糸目をつけず健康を維持するための投資をしてこなかったのか。病気や癌に100%ならない保証はないが、少なくともその確率は減らせたはず。

 

狂った生活、狂った食生活の改善

 酒は飲む、タバコは吸う、夜遊びはする、飽食はする、運動はしない、ストレスは溜める、医師を罵倒する、これで、病気にならないのがおかしい。仏様も「そこまでは面倒を見られないよ」と仰せです。

 自分の生き様の間違いに1日早く気づけば、1日の儲けである。それが大きな時間創出である。間違いに気づく前に、癌が発見されたに過ぎない。癌は身内の正常な細胞が細胞分裂で暴走を始めることで発症する。不規則な生活のツケが細胞に回され、弱い細胞が悲鳴を上げて、細胞分裂の暴走が始まる。身内の細胞をいじめた咎である。全ての原因は自分である。

Photo  馬場恵峰書

 

2020-09-08 久志能幾研究所通信 1738  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月 7日 (月)

磨墨知620 神様は上から見ている

 天知る、地知る、汝知る。

 自分が何をしているかは、天は観ている。己も知っている。地獄の閻魔大王も閻魔帳をつけながら見ておられる。見ている人は観ている。自分の行動を一番、よく知っているのは自分である。その努力の結果は、自ずと決まる。自分を助けるのは自分である。ン十年後の閻魔大王様の審判の場で、胸を張れるようにしよう。

 

臨終

 38年後の薄れ逝く意識のなかで、108年間の出来事が、走馬灯のように走り逝く。そこに後悔の念を起こすまい。やって失敗した事例に後悔はない。よき想い出である。しかしやらずに過ごした計画には、大きな後悔が付きまとう。臨終の枕もとで、満足した出来事が浮かべば、良い人生だったと満足できる。素晴らしい人生ではなかったかも知れないが、素晴らしく楽しむ生き方をした、と自分を褒めてあげられるようにしよう。

Photo_3

 上図は2013年9月28日8:55、大垣市立図書館開館前に玄関の前で、時間を惜しんで参考書を広げる中学生の姿である。学期末試験の直前の先週土日は大勢の学生(約50名)が開館前の玄関前で行列を作っていた。160席の学習室が満席であった。しかし今日の9月28日は3名の学生が待っているだけである。試験が終ったので多くの学生は現金なものである。先週の大混雑が嘘のような1週間後の土曜日の朝の風景である。

 

 この方を「観自学菩薩」という。菩薩とは涅槃・真理を求めて修行中の仏の姿である。いい姿を見せてもらった。この子達が将来、私の年金の原資である税金を多く納めてくれるだろう。年金菩薩様でもある。感謝。私も生涯現役で頑張らなくてはならぬとの決意を新たにした。

4k8a02491s

  馬場恵峰書

2020-09-07 久志能幾研究所通信 1737  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月 6日 (日)

余命宣告 余生は死語 

 余命1ヶ月と宣告されたら、楽しいことをやって過ごせばよい。享楽的に過ごせばよい。誰も文句を言わない。

 しかし余命2年なら、その過ごし方を考えねばならぬ。享楽的に過ごせるのはせいぜい1ヶ月である。それより長いと、時間を過ごすのが苦痛になる。いくら楽しいことでも、1週間もそれに没頭すると、地獄のような辛さがでてくる。いくらテニスが好きでも、釣りが好きでも、将棋が好きでも、そればかりやっていると辛くなる。好きな趣味は、たまに、また仕事の息抜きでやるから楽しい。

 金があって、毎日毎晩飲みに歩いても、心の満足は得られない。何のために飲んでいるのか。それで自分の魂はどれだけ成長するのか。どれだけ人が喜ぶのか。酒が、体を痛めつけている。体が悲鳴を上げているが、肝臓は我慢の臓器で耐えて声を上げない。肝臓が声を上げた時は、手遅れの状態である。

 私は何度も酒で意識を失って救急車を呼ばれたことがある。私の体が、アルコールを受け付けない体質であることが分かったのは、還暦後である。それ以来、完全禁酒とした。

 

旅立ち

 金を持って三途の川は渡れない。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。全て置いていく。飲む打つ買うだけの人生では、死ぬ間際に後悔するだろう。誰からも感謝されず、世を去るのは辛かろう。何をするため生まれていたのかと。ご先祖はそんなために己をこの世に遣わしたのではないだろう。そのためには、やるべきことをやってから、旅立ちたい。

 余命宣告をされてから、決断に躊躇することが少なくなった。やって見て、ダメなら引き返せばよいのだ。大した話ではない。やるだけやって、後は野となれ山となれ、という心境に達した。

 

仕事は菩薩行

 人は、死後、集めたモノでは評価されない。生前に、与えたモノだけが評価される。仕事とは、やればやるほど奥が深く、やっていて楽しくなる人の修行である。仕事とは、人に与える布施行で、菩薩行である。佛になるための修行である。楽しくないのは、命を賭けていないのだ。人が喜んでいないのだ。人が喜ぶかどうかで、それが仕事であるか無いかが判別できる。

 舟を置き、橋を渡すも布施の檀度なり。治世産業固より布施にあらざることなし。(修証義)(檀度:布施の事)

 

余生はない

 頂いた命の意味を考えて、その命を全うするために、第三の人生を生きたいと思う。人生で余った時間などないのだ。私は「余生」を、死語として最後まで現役として生きたい。

 私も昨年初にがんの手術をして、医師から余命2.5年を宣告された。だからこの命を、子孫のため、世のために使いたいと思う。残された時間を有効に使いたいと、走り回っている。時間は命なのだ。

Img_47301s

 馬場恵峰書

Photo

 馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」

  久志能幾研究所刊  

2020-09-06 久志能幾研究所通信 1734  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月 3日 (木)

媚中の中日新聞、人命軽視、パンダ出産記事で洗脳

 2020年8月23日、中日新聞の国際面を見て呆れた。トップ記事に、中国による香港統制強化の記事が掲載されていた。その下の紙面に、ほぼ同等のスペースで「高齢パンダ出産 米の動物園」記事が掲載されていた。

 現在の米中の戦争状態になり、香港住民の命が危険に晒されている状態である。それなのに、中日新聞は故意として「高齢パンダ出産 米の動物園」記事を掲載する。公正な報道をすべき公器として恥さらしである。この内容なら、ベタ記事扱いである。中日新聞は、「香港統制強化の記事」のガス抜きとして、中国に媚びを売る紙面構成としている。

Dsc09761s

 中日新聞 2020年8月23日

 

戦争状態

 現在、米国と中国は戦争状態である。現代の戦争は実弾も爆弾も使わず、経済と情報を武器に相手国を攻撃する。米国は、中国要人の預金封鎖、入国禁止まで発令している。米国内の中国要人の160兆円の預金封鎖をしようとしている。スイスは米国と同調して、スイス銀行内の中国共産党員100名の秘密預金1200兆円の破棄を11月の国民投票にかける予定である。

 現代の戦争では、石油・資源・食料・情報・金融処置も武器になる。第二次世界大戦では、日本は欧米列強からABCD封鎖をされ石油・資源の輸入を止められて、戦争に突入せざるを得なかった。戦争を始めなければ、国内の多くの企業は倒産し、失業者が社会に溢れ、日本国民は飢えることになった。現在、米国は同じ戦法を米国は中国にかけている。

 米国は中国共産党政府が潰れるまで攻撃の手を緩めないだろう。だから、そのトランプ大統領への対抗で、中国による米国大統領選挙への妨害工作が激しい。全マスコミに手を回して、トランプ大統領への選挙妨害工作が続いている。

 有ってはならないことに、CNNはバイデン候補を偏狭に支持している。マスコミは、選挙では両候補に公平に報道しなければならないのに、その原則に反している。それさえ分からないまでに米国マスコミは堕落している。裏金が回っているようだ。日本のマスコミも同じである。

 

香港統制強化

 中国が香港の統制強化を始めたので、香港人745.1万(2018年)の命が危なくなった。中国共産党は香港返還後、50年間の体制維持の条約を反故にして、共産党に反対する香港人を、即、逮捕、死刑にさえ出来る法律を施行した。逮捕されれば、反逆分子として無期懲役、死刑である。下手をすれば、臓器摘出のドナーにもされてしまう。

 中国では年間20万件の臓器移植が行われている。中国政府は、臓器提供は死刑囚からというが、死刑囚は年間たった2千人だけだ。その臓器提供の大半が、強制収容したウイグル・チベット人からである。だから欧米が人権問題として中国を非難している。中国の現状は、ナチスのユダヤ人虐殺より酷い状態である。今は、そんな非常事態である。

 

媚中記事

 それなのに、中日新聞は媚中行為で、「高齢パンダ出産 米の動物園」を手放しのお惚けで掲載した。その記事で読者にどういう付加価値を与えるのか。読者は誰も喜ばない。情報とは、情けの報せなのだ。それは情けない話だ。

 中日新聞社は745.1万人(2018年)の香港人の命よりプロパガンダのパンダ記事が大事と判断した。中国による香港統制強化とパンダ高齢出産記事を同等に扱うのは狂気の沙汰である。

 パンダ記事のような目くらまし記事を載せるから、日本人が知らなければならぬ大事なニュースが隠されてしまう。それが中日新聞の魂胆だ。だから中国の手先としか思えない。

 中日新聞社は新聞を使った洗脳教育として、中国共産党万歳の宣伝機関になっている。中日新聞の記事を読んでいれば、読者は知らず知らずに中国に洗脳されてしまう。それでは尖閣諸島、沖縄まで中国に奪われるまで、気が付かないだろう。パンダの記事は、その油断をさせるためとしか思えない。これが中国の静かな死の侵略である。

 不自然な記事を見たら、この記事の目的は何? と自問しよう。疑問を持たないから、洗脳されてしまう。

 

三峡ダム報道の統制

 ニューズウィーク誌やYouTube では、三峡ダムの話題は頻繁だが、日本のメディアは三峡ダムの件をほとんど報道しない。三峡ダムの下流には6億人が住み、800社の日本企業に工場がある。さらに9個の原子力発電所が存在する。その地域の生産活動は、中国全土の25%に及ぶ。三峡ダムが崩壊すれば、その影響は東日本大震災や福島原発事故の比ではない。原発が9個もあるのだ。しかし中国共産党の締め付けのためか、中国に遠慮しているのか、日本のマスコミはほとんど報道しない。それでいて、今回のパンダの高齢出産報道である。狂っている。

 全世界が中国の異常な海外拡張政策とウイグル・チベットの人権問題で中国と対決姿勢を鮮明にしている。しかし日本のマスコミはそれを報道しない。日本のマスコミは、中国寄りで狂っている。

 

ゆでガエル現象

 日本のマスコミは、少しずつ紙面に中国の毒を盛り込んで報道している。少しずつだから読者は気が付かない。洗脳教育である。テレビマスコミで食い物ばかりのCMで、日本人が洗脳され、癌患者や糖尿病患者が激増した。それと同じように、毒に当たって日本人が痴呆化して、日本を守る気概が薄れていった。

 それが中国の付け目である。日本のマスコミはその片棒を担っている。だから、目障りな安倍首相を叩くことが横行している。海外では安陪首相の評価が高いのに、日本のマスコミと中国の報道だけが、酷評である。なにかおかしくないか。

 

現地現物

 この30年間、日本の国力の低下が著しいが、その原因の一つが、テレビ、新聞、スマホからの情報に洗脳されて、自分の頭で考えなくなったためだ。

 日本再生のために、自分の目で見て、自分の頭で考える。トヨタ生産方式の「現地現物」の精神を取り戻そう。与えられた情報ではなく、自分が意思を持って情報を探そう。

 自分の頭で考えなくて、日本が再生で来るはずがない。だから今はじり貧である。大垣市も小川敏の洗脳宣伝で、没落した。

 気を付けよう、与えられた情報には毒がある。美味しいモノには毒がある。

 

 現地現物:自分の足で現地に行き、先入観を拭い、自分の目で状況を完全に把握すること。問題点が見つかるまで、現場を動くな。

039a32571s

  馬場恵峰書

 

2020-09-03 久志能幾研究所通信 1729 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月 2日 (水)

磨墨知128 今ここ

 

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。波間に浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。」  方丈記

 

 だからこそ、今に全力を投入しよう。過去はない。未来もない。あるのは今だけ。「そのうち」などは永遠に来ない。「今のうち」しか時間はない。

 明日は事故で死ぬやもしれぬ。人の明日は分からない。やるべきことをやるには、今しかない。

4k8a07601s

 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」(2014年2月6日書)より P116

 久志能幾研究所刊 7000円

失明

 還暦を過ぎて国家資格の受験勉強中に、白内障と網膜はく離を患った。2週間ほど左目が失明状態に陥り、今まで見えて当たり前の世界から、見えない世界に追い込まれて、つくづくと、今が大切、今のうちしか時間がないと思い知らされた。勉強ができるのも目が見えるうち。生きているうちである。そのうちにやろうと思っても、やれるのは目の見える今のうちである。愚かな人間は失って初めてその価値に気づくもの。

 

癌で余命宣告

 河村義子先生の葬儀の後、私の体に癌が見つかった。自覚症状がなかったので、発見が遅くなり、癌が進行していた。手術後の診断で、余命2.5年を宣告された。やりたいこと、やれることは今しかないと痛感した。術後1.5年が経っても体は昔のようには動かない。体重も20キロ減である。つくづくとこの10年間、やりたいことをやっておいてよかったと思う。今しかないのだ。

Img_44212s

 馬場恵峰書

そのうち人生

 そのうちそのうちと弁解しながら日は過ぎる。そのうちって何時の内、いつのこと。そのうちお金でも余裕が出来たら。家でも建てたら、直したら。子供、孫から手が放れたら。仕事が落ち着いたら。時間にゆとりができたら・・・たらの人生誰の事。

 やる気のない理由を言葉巧みに繰り返して居るうちに結局たいして何もやらなかった。空しく人生の幕が下ろされて頭の上に寂しい墓標が立って脇役から主役に変わり、一生が終わるのだ。人生一日一日がブッツケ本番なのに・・・。

 今きた此の道帰られぬ。昨日、今日、今、人は人、自分は自分、くらべんでよか、・・・と。

 みんな違って当たりまえ。自分が変わろうとせん限り何も変わらん。人の出してくれる舟に乗っても見る事。迷って一年、悟って一日。欲なき人間一人も居ない。浴、抑、良い、善い、好い、翼ひろげて羽撃こう。一句添えておく。

 

 暇がない忙しいとは言うがもの 車止りしパチンコの庭

              平成16年11月朔日 恵峰遊詩

                          文 馬場恵峰

4k8a06791s

 馬場恵峰書「百尺巻頭書作選集」(2014年2月6日書)より

 久志能幾研究所刊 7000円  P85

 

2020-09-02 久志能幾研究所通信 1728  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。