c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2021年8月18日 (水)

枯木ほどよく燃える、生きる意味

 

枯木ほどよく燃える

 年老いても、己にふさわしく燃えて人生をくらしたいもの。

 人は燃えずに、ただうかうかと暮らしていたら、火のつかない木炭のようなもの。炭は火をつけないで、そこいらにころがしておると、手を汚し、着物を汚し、物を汚しぱなしで迷惑をかけてしまう。ダラダラ暮らしの人間にしてもしかり。

 炭を火鉢にでも入れ火をつけるとアカアカと燃えて人の手を、部屋を温めて人の心まで豊かにしてくれる。人間もしかり。自分の仕事に、奉仕に燃えてこそ、大いに人のお役に立つことが出来る。

 人間とは、人の間と書く。人と人の間にあって生きること、人のお役に立って行く事こそ、人間の人間たるゆえんです。老いも若きもこのような生き方をしたい。(一休禅師の御教えより)

 

「手にとりて 浮世の世話をする墨は うすかれくろとなりにけりと」

    令和二年仲春「志の心得として」93翁恵峰書

  上記は馬場恵峰先生宅で見つけた軸より(2020‎年‎3‎月‎14‎日 撮影)

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生きる意味

 生きてやること(仕事、作業、様々な行為、奉仕活動)が、誰かのためにならないなら、その行為は、無為な利己行動で、犬畜生の行動と同じである。人はその行動を、誰かに喜んでもらって、人間として生き甲斐を感じるものだ。

 

 最近、スマホの画面にDocomoから超愚劣なマガジン記事が飛来した。「暇つぶしに最適のゲーム」の宣伝メールである。時間は命なのだ。それを暇つぶしで使うとは殺人行為である。映画監督の大林亘彦氏のように、がんで余命3ヶ月を宣告された人(当時)が、これを見れば、その時間(命)を俺にくれ。その時間を俺は映画作りに使う」と怒鳴っただろう。私もがんを患い、余命宣告を受けた。だから同じ言葉を吐きたい。この物言に、ドコモと言う会社の拝金利己主義、企業人の人間としての劣化を見て悲しくなった。

 

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あおり運転殺人

 最近、あおり運転常習者の狂人が、己を追い抜いたバイクを追いかけまわし、追突激突して、バイクの運転手を撥ね殺した。それで相手を撥ね飛した直後、「これでオシマイ」と言った記録がドラレコに残されていた。ゲームのやり過ぎで、人を殺しても、リセットボタンを押せばそれで済むと考えるように洗脳されたのだ。この殺人者にとって運転はスマホゲームと同じなのだ。狂人で、精神病である。

 

ゲーム殺人事件

 最近、スマホ脳の弊害が話題になっている。スマホゲームは日本人や世界の若者を廃人にする洗脳道具である。電車内では若者の多くがスマホにかじりついている。その大半がゲームをしている。スマホゲームからは何の付加価値も生まない。それどこか、それは時間を無駄にし、脳を破壊し、人を廃人にする兵器である。ゲーム会社のみが儲かる。これでは世相が狂うのも当然である。なぜそれを規制する法律がないのか。法律で規制すべきである。その害は、タバコ、アルコールより悪質である。

 

2021-08-18   久志能幾研究所通信 2123  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月13日 (金)

長崎原爆、恵峰先生の運命を変える

 

 2012年12月、馬場恵峰先生は大村市制70周年記念日中友好書画交流展で、長崎の原爆に関わる漢詩を展示された。

亡き母の魂と佛の計らいで五高(後の熊本大学)がある熊本に行き、長崎の原爆被爆を避けて生かされた。長崎大学に行った学友は原爆で斃れた。その深根を虚心に静慮して勉学に励み学友の冥福を祈る、とある。

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大村市制70周年記念日中友好書画交流展  2012年12月14日

 

 師は学友を長崎原爆で失った。本来なら自分も長崎大学の学生として、学友と共に原爆で死んだはずである。恵峰師の当初の志望校は長崎大学であった。それが学校からの指導で、五校(後の熊本大学)に「学校の名誉のためだ」として変更させられた。恵峰師はそれにしぶしぶ従った。学校として、進学の成果を調整していたのだろう。今でもよくある話である。それが恵峰師の命を救うことになる。

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長崎原爆

2021年4月11日 馬場恵峰先生を偲ぶ会での映像

 

 師は学友の死に接して、今後の人生は、学友の分まで精一杯生きようと決意をする。師の生き方が変わったのだ。

 人生は不条理である。恵峰師より優秀であった学友は原爆で死んだ。残された恵峰師は運命のめぐり合わせに、従うしかなかった。

 

 恵峰師が医学部を目指したのは、父の意向もあり、陸軍大学に進むと人殺しをせねばならぬので、敢えて医学部を選択した。当時の将校(軍事教練で学校に駐在)からは、執拗に陸軍大学に行くことを勧められたという。それを振り切っての医学部進学である。

 戦争が終わって、その呪縛が無くなり、師は当初の希望通りの大阪大学の文学部に編入進学することになる。そこで万葉学者犬養孝教授にであい、万葉集の世界を学ぶことになる。犬養孝教授は、昭和天皇に万葉集の進講をされた学者である。

 このめぐり合わせを恵峰師は、亡き母と仏様の計らいの深根を虚心に静慮して勉学に励み学友の冥福を祈ると、漢詩を読んだ。

 

「天之機緘不測」(菜根譚)

 天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は常々力説されていた。その原点は長崎原爆を避けることができた、天の計らいである。

 天から与えられたものが、学友が死を以て恵峰先生に与えたなら、精一杯生きるしかない。それが恵峰師の求道者のような生き方の原点であるようだ。だから結果として、恵峰師は94歳まで現役として活躍し、学友の分まで生きたと言えるだろう。師の活躍ぶり、世への貢献量は、人の2倍,3倍以上である。恵峰師は与えられた運命に従って生きた。与えられた命を精一杯生かすことが、新たな運命を拓くことを示してくれた。

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2021-08-13   久志能幾研究所通信 2118  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月11日 (水)

真犯人は誰? お盆の新幹線、超閑散(1/2)

狂った政策の怒積流が日本を襲う

 

 2021年8月9日、馬場恵峰先生の初盆供養法要に出席のため、長崎県波佐見町に出向いた。2021年8月9日、台風10号の影響で、のぞみ19号(名古屋発10:47)が、神戸と広島で強風回避のため、各30分ずつも臨時停車したので、所用時間が1時間も余計にかかってしまった。しかしその程度で済んでほっとした。

 

新幹線の営業状態

 今年は昨年よりも帰省客が激増しているとのマスコミ情報があった。しかし私が利用した「のぞみ19号」グリーン車10号車で乗客7人(定員68名)、指定席車11号車では7名と、乗車率は10%以下である(広島から博多までの走行中に計測)。1号車から3号車の自由席車両は乗客が結構多かったようだ(車内放送で推察)。前回(4月)乗ったときは、乗客は私一人で貸し切り状態であった。以前よりはたしかに「激増?」ではある。 

 2021年8月10日、帰路の博多16:54発「のぞみ52号」グリーン車10号車の乗客は、私を含めて3名の貸し切りであった。

 なおかつ新大阪・博多間は、車内販売は中止となっている。車内でコーヒーも水さえ飲めない。終着駅到着前のゴミ回収サービスもなくなった。情けない。

 

原因

 こんなことで日本経済はどうなるのか。どう考えても政府の対策が狂っている。緊急事態として人の移動を制限しているが、オリンピック開催をしながら、一方でダダ洩れの対策をしている。ワクチンさえ打てば、後は知ったことではないとの姿勢もうかがえる。だからワクチンを打っても、感染者が激増している。対策の根本が間違っている。儲かるのはワクチン業者だけだ。

 雨が降ったら傘をさすことだ。大雨が降ったら、構えて外出を控えることだ。人間は大自然の前では小さな存在だ。自然現象を支配しようと、画策する政治家が愚かなのだ。それをこのコロナ禍の大雨の折、大騒ぎをしてオリンピックを開催するから、天罰を受ける。それで医師団が足りなくなる。医療崩壊寸前となる。誤った手を打つから火傷をする。当然の帰着である。

 危機管理とは、最悪のことを考慮することなのに、それを考慮せず、内閣支持率向上の目的だけで、楽観的過ぎる対応をするから破綻する。日本経済崩壊寸前の現実が正しいのだ。菅総理の間違いを天は示している。天に唾してはならない。

 

自己防衛

 新型コロナ対策では、自分の頭で対策を考えることだ。扇情報道に惑わされず、新型コロナの真の姿を理解して、正規の対策を打てば、恐れることはない。

 なぜ扇情報道をするか、その真の目的を探れば、自身の身を守る対策が打てる。ワクチンを打ったからと油断して正規の感染予対策を放棄するから、感染する。疫病のウイルスは大昔から存在しており、人類とウイルスの闘いは続いている。科学技術を盲信して暴走している人類に対する自然界からの逆襲なのだ。地道で実直なウイルス感染対策こそが基本である。

 

今回の対策

 だから私は新型コロナウイルス対策として、3密を避けるため、グリーン車を利用する。更に少し費用が掛かるが、乗り換え回数が少なく、人との接触回数が少ない経路を選択した(米原経由でなく、遠回りの名古屋経由で)。僅かなお金で命の危機の防御が出来る。頻繁に新幹線に乗るわけではないのだ。

 危機管理とは、幸せを掴むために金を使うのではなく、最悪の状態を避けるための手段である。それは僅かな手間と金で済む話しである。

長崎に遠出しても、何処にも寄らない。宿泊したホテルでも、その隣に波佐見温泉があるが(宿泊者は無料)、敢えて部屋付の浴室を利用した。その波佐見温泉はかけ流しで有名な良質温泉であったが、今回は我慢した。

 

真因

 現在の日本の対策が混迷を極めているのは、長年の官僚・政治家の悪癖の相乗効果で、臨界点を超えて一挙にその害が噴出しただけである。縦割り行政、利権行政、責任回避行政、対処療法行政、見せかけ対策の弊害である。その弊害は、日本経済が停滞している原因と同一である。日本経済停滞の対策も対処療法ばかりで、一部の政治家が利権で潤っているだけだから、成果が少しもでない。だから失われた30年が過ぎた。余りに愚劣な政治家が多すぎる。その弊害が、新型コロナウイルス騒動で顕著に露見しただけだ。

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2021-08-11   久志能幾研究所通信 2116  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月10日 (火)

馬場恵峰先生の初盆供養

 

 2021年8月9日、8月10日に行われる馬場恵峰先生の初盆供養に出席のため、長崎県波佐見町に一泊2日で出かけた。そのため昨日のブログは休載しました。

 

 人は3度死ぬ。その人が肉体的に死んだのが1回目。その人を覚えている人が、亡くなった時が2回目。その人の生きた証がこの世から消えた時が3回目である。

 故人を偲んで追善供養をする間は、遺族の心の中に故人は生きている。師を思い出すことで、その師の教えを再確認している。追善供養で故人を思い出すのが、最大の供養である。だから私は、九州の波佐見町に初盆の供養に出向いた。親族以外で参加したのは、私だけであった。

 馬場恵峰先生から学んだことの一つが、「写経とは故人への一番の供養」である。その教えに従って、この2ヶ月ほどかけて、馬場恵峰先生と三根子先生の為写経各21枚、合計で42枚を書きあげた。それを持参して、この法要時にお寺さんに奉納した。

 2015年のお墓改建時には、約110枚のご先祖様の為写経を、奉納した。それがあったから、今回の為写経の奉納を思いついた。

 般若心経の一枚を書き上げるのに約40分から1時間を要する。机の上を清潔にし、身体を清め、心静かに無心に写経をする。よき精神修養である。一銭の金儲けにもならないのが、最大の功徳である。俗欲を捨てることが、写経修行である。自分の手を動かし、頭と体で体得することが智慧となる。

 それが終わって、しばらくたつと欲の世界に舞い戻ってしまうが玉に瑕である(?)。なかなか仏の境地(成仏)にはなれず、生臭くて我ながら困っている。

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4k8a02371s馬場恵峰書 

 2017年、私が恵峰先生に揮毫をお願いしたら、先生は私が写真撮影をしている間に、ささっと上記の書画を描いてしまわれた。当時、神業(佛技?)だと驚嘆した覚えがある。

2021-08-10   久志能幾研究所通信 2115  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月 8日 (日)

何事も上手になるための秘訣

 

何ごとも好きになるには好きで継続すること。時を活かせ。書だけではない、何事も好きこそ上達の秘訣である。好きでもないことに力を入れるのは愚の骨頂である。

 

 実行して見たら出来るかも知れないのに、なさず、学ばず…..、歳月は流れいつしか老化道を歩んでいる。早く気付いて、老華輝く道を歩み、幸つかめ。

 天分の才能は4分だけでよい。残りは鍛錬の為せる業である。

 書は体(手)で三分を覚え、目で三分を覚えて脳裏に刻むこと。耳から学ぶ四分が最強の力となる。仕事でもなんでも、同じである。耳から「もの」を見ることだ。目からものの叫びを聴くことだ。

 

 「耳」とは、「目」が4方向にアンテナが飛び出した状態を表した象形文字である。耳こそ最大のセンサーである。だから「地獄耳」という言葉はあるが、「地獄目」という言葉はない。

 習字から書道へ。書道から書芸まで高めよう。

 天命としての仕事も、仕事芸まで高めよう。生活のために働くから、作業になってしまう。魂の仕事をしよう。(馬場恵峰師の教え)

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2021-08-08   久志能幾研究所通信 2114  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月 6日 (金)

泰平の永眠誘う墓土台 たった1枚で 身閑安眠(3/3)

中国の石加工技術レベルに脱帽

 2015年10月27日、一枚作り巻石が彦根の石屋さんに到着したので、確認に行った。大阪の日本石材センターで見たときは、梱包された状態であったので、中身が見えなかったが、今回、その仕上げ状態を見て、中国の石材加工技術レベルに脱帽した次第である。

 

 残念な話であるが、現在では墓石加工技術では中国が日本の上を行っている。それを今回の墓造りで目の当たりにした。今回の一枚作り巻き石は、長さ3.6m、幅1.5 m、厚さ37cmである。この大きさの石を全面加工できる工作機械が現在の日本には無い。建設用の切断機ではあるのだが、墓石用の加工機ではない。現在は石材需要の量が激減して、経営的に成り立たないので、この分野から日本企業は撤退したという。

 日本人のご先祖を敬う心が薄れて、お墓づくりが衰退し、墓じまいが盛況になっている。これが日本の衰退の一因だと思う。

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石材加工の工作機械

 幅1.5 mの石材を加工するには、それを据え付けられる門型の石材切断機が必要である。これを加工した石材切断機はカッター径が120インチ(3,048mm)という。それでも、一度では加工できず、両面から二度に分けて切断する工程が必要である。右図は日本の業者が所有している機械であるが、この機械でカッター径が50インチであり、これから想定すると、4倍の大きさの推定で30m余の大きさの機械となる。

 工作機械はマザーマシンと呼ばれ、機械工業の基礎なすものである。現在、良質の工作機械を作り保有する国は日本、ドイツとなっているが、国策で工業化を進める中国は、工作機械開発でも恐ろしいエネルギーを蓄えているといえる。

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石材切断機  ダイヤストン株式会社所有  これで50インチの砥石径の大きさ

実際の120インチの砥石経の機械を想像すると、とんでもない大きさである。

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中国新幹線に見る脅威

 2007年4月の中国国鉄によるCRH型車両導入により開始された高速鉄道網は2011年末には 13,073 km、2015年末には 25,000 kmに達する計画である。

 2020年現在、中国高速鉄道の営業距離は3万6000キロで世界一となっている。

日本の新幹線は、40年間かけて2015年現在、フル規格6路線(合計2,616km)である。2020年で、2,997.1 kmである。

 中国は、15年弱で日本の総路線距離の10倍を敷設したわけである。その陰に右図のような建設機械がある。やはり数を稼ぐと、このような建設機械も開発して力を付けることが出来る。技術は単発勝負ではなく、量を稼いでその実力が磨かれる。残念であるが、技術力は金と人を投入しないと、持続できない。現在のの日本の停滞は、技術開発に金と人をケチッた咎である。

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中国高速鉄道を敷設する巨大マシーン

http://www.recordchina.co.jp/a122062.html

 

中国のモノづくりに刮目

 今回のお墓作りでは、一体型の五輪塔の球形部の加工が悪く、現地の検査員の検査に合格せず、検査員と現場サイドで大喧嘩をして、結局、作り直しとなったという。中国製のレベルではと当初はあまり重きを置いていなかったが、この顛末を聞いて、職人の世界の中国人の姿勢に襟を正した。日本の技術力の維持を願いたい。そのために必要なことは、何かを考えている。

 

日本経済衰退の一因

 共産党による強制的な実行力には恐ろしいものがある。技術はその実績量で、技術の蓄積ができる。日本の技術を導入したからと見下していても、数をこなせば、いつかは凌駕されるのが技術の世界である。そうやって日本も経済・技術大国のなったのだから。

 日本企業は中途半端なグローバル経済主義に染まり、中途半端な姿勢で経費削減に取り組み、中途半端な金儲けに走り方針で、技術開発に金を惜しみ、人件費は経費として削減を続けてきた。そのツケが日本経済停滞であった。

 日本人は、現在の経済大国の地位を獲得するために、先人が汗と涙の苦労をしたことを忘れている。まるで、それを成し遂げた教育環境、開発環境を空気、水のように感謝しない国民になってしまった。それがお墓の建立率が下がってきていることでも現れている。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」

   2018年10月31日書  久志能幾研究刊

 

2021-08-06   久志能幾研究所通信 2112  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月 5日 (木)

泰平の永眠誘う墓土台 たった1枚で 身閑安眠(2/3)

大きさに驚嘆

 中国での加工が終った墓石が、日本に入庫したとの連絡があり、2015年10月21日、石屋さんと一緒に東大阪市の石材センターに確認に出向いた。

 最初に目に飛び込んできたのは、石材センターの仮置き場に置かれた一枚づくりの巻石である。長さ3.6m、幅1.5m、厚さ37cmの一枚づくり巻石の梱包を傍で見て、「なんじゃこれは!」である。現物を見てから、とんでもないものを注文したものだと、吾ながら呆れた。

 図面から寸法を追えば、当然の大きさではあるが、実物を見て実感するのとは大違いである。どんな設計でも、やはり実物大のモックアップで設計検証をする大事さを実感した。

 石材センターの所長さんも、「今まで扱ったことがなく、一枚石づくりの巻石では日本一では」と言う。「これより大きい墓所の巻石は数多く存在するが、複数枚の石材を組み合わせて構築するので、一枚石づくりでは存在しない」という。そういうつもりは無かったのだが、結果としてエライことになってしまった。しがない年金生活者がやることではない。

 

ご縁の連綿

 今回の不思議なご縁で、3基のお墓を同時に建之することになり相応の大きさの巻石が必要となった。お墓の建之後に草取りや掃除等の手間を少なくする意図で一体構成を検討したら、たまたま大きな石材が在庫していて、それも、為替レート90円で入手した石材が偶然に在庫していたというご縁の賜物である。私の力ではない。何かに支援されたご縁の流れは恐ろしい。

 当家の墓石も、現在の大きさ9尺と同じであるが、座布団(ベッド)に相当する芝台が立派になった。それに加えてクリスタルグリーンブラックの色合いのため、大きく見える。五輪塔も、当家の墓石に合わせた大きさにした。北尾道仙さんの神道式のお墓は他の2つの墓石に合わせた大きさにしたため、現状よりも大きくなった。佛石、上台、中台、芝台のうち、佛石、上台、中台の一体型形式のお墓は、日本全国でも6体くらいしか存在しない(2015年当時)とのことで、石材店さんも構えていた。

 参考にしたお墓(松居家)の例では、納骨室の通気口を塞ぐ蓋が金属製であった。それでは石材との見栄え上で品がないと感じたので、材質を石材に変更してもらった。こんな石材への穴明けの加工は、普通はやらないとか。それもそうだと元機械設計者として納得である。これはコストアップの元凶ではある。結果として良い仕事をして頂いたと思う。感謝。

 半月形の石材は、風雨で水が通気口を通って納骨室の流れないようにするための水止めの堰材である。これも今回意図して追加した工夫である。

 

縁あり花開く

 遠戚の叔母が亡くなり、その家が絶家となったので、そのお墓のお守りをどうするかが問題になった。私がそのお守りをすると意思表示したことから始まったお墓造りである。本来、その叔母とは遠い親戚関係で、私がその墓を守る義務はない。叔母の墓は無縁墓としてお寺さんが管理する予定であった。その功徳か、その後に色々と不思議なご縁が連続して、今回のお墓改建の結末となった。世の中には「見えない何か」があると実感した。

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Img_7604sjpg 完成した三基のお墓石

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通気口の蓋と堰材

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2021-08-05   久志能幾研究所通信 2111  小田泰仙

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泰平の永眠誘う墓土台 たった1枚で 身閑安眠(1/3)

 (泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船) たった四盃で 夜も寝られず)

 (ペリー総督が率いる黒船が江戸湾に現れた時に歌われた狂歌)

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メンテナンスフリーで一体作り巻石

 従来式のお墓は、その土台を巻石で囲こむ「巻石部の土台」で構成される。この方式は、組み合わせた巻石部がずれたり、土台に蒔いた砂利の間から雑草が生えたりして見苦しくなりがちである。その防止のため、手入れが大変である。当家は遠方のお墓なので、その工数を少なくしたい方針で改建を進めた。

 その昔、父がお盆の墓参りに出かけた時は、炎天下でその周りの草取りが大変だったという話をよく聞かされた。そんな作業を無くすため、お墓のメンテナンスフリーの実現を計画した。

 石芝台も、一般的な工法で砂利を敷くと、その隙間から草が生えてくるので、除草の手間も大変で、それを考えて一体構成の石芝台とした。また一体構成の石芝台なら経年変化で枠石がずれるようなこともなく、耐震構成ともなる。地震や雑草の心配をしなくてもすむ。これでご先祖様も安心してのどかに永眠して頂ける。私も現世で働いた後は、のんびりと永眠できる。

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土台に雑草が生え、巻石がずれた例

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石芝台の構成    どうしても経年変化で隙間ができる

一枚作り巻石のご縁

 たまたま、お墓改建の計画中に、為替レート90円での「1枚ものの石」が在庫していると聞かされ、一枚作り巻石を作る決断をした。何かに背中から押された気がした。草取りの無駄排除や経年変化防止をする目的で進めたが、それが大きさで本邦初のものとなってしまった。

 

 「一体作り巻石」のサイズは、9寸のお墓(普通サイズのお墓)を3基と墓誌、塔婆立てを配置すると、相応の大きさが必要である。最低でも横3.5×縦1.5mの大きさとなった。

 下図は完成予想図

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 横3.5×縦1.5mの大きさに、石を切り出すため、一枚作り巻石の素材は3.9×1.9×1mの原石が必要となった。比重を3とすると重量は約21トンである。これを3.5×1.5×0.3mの板に加工した。それでも重過ぎるので、裏側を軽量化のため80mmほどの深さで全面削り取っている。それで2.5トンにまで軽量化をした。

 そうでないと2.5トンのフォークリフトで運べない。それ以上の能力のフォークリフトは、墓地の門の大きさの制約で墓地に入れない。本来、重機を使えば搬入は楽であるが、由緒正しき門があるため、重機がお寺の境内に入れないという制約があった。

 

見えないご先祖の力

 この大きな石が手に入ったのも、不思議なご縁の積み重ねである。一体構成に変更することに決断したのは、石田退三氏(トヨタ中興の祖、トヨタの大番頭)の師である児玉一造氏の言葉を思い出したからである。

 「何でも悪いことに使う金でなければ、後からそいつは何とでもなる。金のことでトヤカク考えていて、やらねばならぬことの時期を失するなぞ、おおよそ馬鹿げている」(石田退三著『トヨタ語録』)

 このご縁は、ご先祖様の見えない力に背中を押されてのことと思う。合掌

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  寺門の高さ・幅の制約

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墓地の入り口の制限

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 馬場恵峰書

2021-08-04   久志能幾研究所通信 2110  小田泰仙

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2021年8月 4日 (水)

熱海の土砂崩れ事故 未必の殺人犯はどうなった?

 

 7月29日、福岡県中間市で園児が酷暑のバスの中に9時間も放置され、死亡すると言う痛ましい事故が起こった。すぐ業務上過失致死の疑いで強制捜査が入った。当然である。ところがこの処置と比較すると、熱海市の土石流事故捜査の対応が異常である。

 熱海市の土砂崩れ事故では、20数人が亡くなられた。大量の違法土砂廃棄が原因の「未必の殺人」と言ってもよい。それなのに事故から1か月も経つのに、その太陽光発電設備設置で大量に土砂を廃棄した犯人が、捜査されていないし、マスコミも奥歯にものが挟まったような記事しか出てこない。

 その会社が現在存在しなくても、当時の社長名は登記簿で分かるし、所在も氏名も週刊誌の情報では、突き止められているようだ。それも前科のある人物である。それでも大マスコミは報道しない。

 太陽光発電設備設置では、静岡県知事の関与、大物政治家との利権問題が裏にあるとネット情報もあり、それでマスコミも一歩引いているという噂である。

 

新型コロナより恐ろしい「思考短絡・拝金主義」

 熱海の土砂崩れ事故対策、新型コロナ対策を見ると、現代の日本社会は、政界、行政、マスコミ、企業が、拝金至上主義のウイルスに汚染されているようだ。新型コロナより恐ろしい日本の病巣だ。

 日本の新型コロナ対策は、ワクチン接種対応や、オリンピック強行、出鱈目な規制乱発等で支離滅裂である。マスコミは過度に新型コロナの恐怖を扇いでいる。それで対策がかく乱されている。新型コロナの恐怖を扇げば、マスコミも視聴率が上がり、儲かるからだ。

 

ワクチン

 ワクチン接種の目的も、新型コロナ鎮静化ではなく、ワクチン販売が主目的であるようだ。なにせイベルメクチンの治療薬は600円だが、新開発のワクチンは2万円で販売できるからだ。製薬会社が、効果があるが儲からないイベルメクチンの生産を拒否して、新開発のワクチンを強力に販売を勧めて大儲けである。しかし2度のワクチン接種をしても、正しい対策をしないと、また感染するのだ。そのワクチン接種では、7万人に一人が死亡する。インフルエンザの予防ワクチンは、1千万人に一人の死亡率であった。新開発のワクチンは、安全性が100倍悪化した製品である。

 

汚染

 補助金をばら撒いても、それは増税で国民にツケを回す段取りが財務省で進められているようだ。役人は利権に汚染されている。すべての対策が後手後手にまわっているのは、役人やマスコミ、製薬会社、企業が利己主義、利権主義、保身主義で汚染されたためである。日本人の劣化である。

 次の選挙では、正しい議員に投票をしよう。棄権が一番の罪である。

 間違ったマスコミ情報を遮断しよう。洗脳されてはならない。

 自分の頭で、何が問題か、何が正しいか、判断しよう。

 

2021-08-03   久志能幾研究所通信 2109  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月 3日 (火)

「修証義」からの学び

 

 「修証義」は道元禅師が書かれた経である。現在でも通用する最高の哲学書でもある。私はこの20年来、毎朝、この経を仏前で読んでいるが、毎朝新たな発見がある。般若心経や観音経のように、難解な漢文ではなく、日本語の日常語で書かれているので読めば意味は直ぐ分かる。しかしその簡潔な表現が奥深いのに気がつくのには長い年月を要した。それは自分の人生での日々の経験が、修証義に照らされて人生を考える杖となったからだ。

 

基本の教え

 その教えの基本は「仏となるための教え」である。つまり、仏さまと等しいさとりを得て、仏となるための教えである。さとり(菩提・阿耨多羅三藐三菩提、この上なき正しいさとり)を求める心が、「菩提心」である。

 この「菩提心」を発すことは、「自未得度先度の心を発すべし」と述べられている。まず、自分のことを考えるのではなく、自分よりも他人を救いたいという心を起こすべきと説かれている。さとり、救いを求めようとする心を意味した「菩提心」は、「自未得度先度の心」へと高められている。この生き方は、「自分本位の心を捨て、世のため人のため、すべてのもののために尽くす」である。

 下記の言葉は自分の身を振り返り、身につまされる。真理は800年の昔と何も変わらない。当たり前を当たり前に記述したのが経である。

 

命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに証跡なし

 これは古希を迎え、自分と仲間の老いを自覚せねば悟れない心境である。

 

無常忽ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、只独り黄泉に趣くのみなり、己に随い往くは只是れ善悪業等のみなり

 死に際しては、どんなに金を積もうとも、無駄である。何も持ってあの世に行けない。人は必ず死ぬ。死ぬ体を抱えて、どういう生き方をするかが問われる。その老いた醜い病身は、自分の悪業が作った。

 

自他は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同時なり、是故に能く水聚りて海となるなり。

 全て受け入れるから佛になれる。清濁併せ呑むから佛になれる。

 

添付の書は馬場恵峰先生の書。2002年3月。  日中文化資料館 蔵

 

2021-08-02   久志能幾研究所通信 2108  小田泰仙

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