c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2023年4月14日 (金)

宗教団体脱会後(11/12) 無職を生きる

忙殺

 仕事を受け持つと忙しい。忙しいとは、心を亡くすと書く。心が殺されるのだ。その仕事に縛られるとは、奴隷である。奴隷は洗脳されていやいや働かされている。還暦になれば、会社と言う宗教団体から定年という名目でお役御免にされる。だから、定年後は自由人として無職を貫こう。無職ほど、やらねばならぬことが増える。仕事なら、言われた一つのことだけを期限通り、やればよい。要求された仕様だけ満足すれば、それで終わりである。それは職人の世界。

 

無職

 しかし無職ではそういうわけにいかず、以前より忙しい。それはお金の問題ではなく、自身の満足度であるからだ。それにはジレンマがある。仕事ならコストパフォーマンスがあるから、無制限に時間をかけるわけにはいかない。

 しかしそれを自分の天職として取り組むら、自分が満足するまでやり続けることが出来る。だから社会に役立つことを真剣にするには、無職でないとできない。

 

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2023-04-14  久志能幾研究所通信 2668号  小田泰仙

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2023年4月12日 (水)

宗教団体脱会後(8/12) 大垣市長の洗脳工作と闘う

 

 宗教団体と同じ体制の「会社」に勤めると、教祖様(社長)からの指示に黙って従って働くしかない。教祖様の命令は絶対だ。逆らえば左遷である。家族の生活も懸かっている。だから会社員は、納期厳守、コストダウンの要求の厳しい仕事で頭がいっぱいで、己が住む市町村のことにまでは気が回らない。そのサラリーマン生活も自宅と会社の往復だけで、大垣市との接点は少ない。それが大垣市長の付け目で、市民に対してやりたい放題である。だから市民は市からの通達をそのまま信じてしまう。それは洗脳状態にあると同じである。

 

定年後にやるべきこと

 脱会後(定年後)は、洗脳状態から目覚め、社会の諸問題に真剣に向き合うべきだ。そうすれば今まで如何に洗脳されて来たかが分かる。もっと大垣市や日本社会の諸問題に目を向けよう。そうしないと貧乏から脱却できないし、認知症にも罹ってしまう。

 その病状の一端が、選挙での投票率の低さである。市民が声を上げない限り、大垣は良くならない。

 

洗脳の目的

 洗脳の目的は、洗脳する相手からの搾取と自分達の利権確保である。それは新興宗教団体の手口を見れば明らかだ。大垣市民は前市長、現市長から搾取されてきて、持っている不動産財産額の半分を巻き上げられた。22年前に比べて大垣市の公示地価は半値以下に暴落している。家を持つ市民は、一家庭あたり約1,000万円の被害である。しかし多くの市民はそれに気が付いていない。それが洗脳と言う恐ろしさだ。

 

前市長の洗脳の手口

 市民は「大垣は子育て日本一(を目指す)」という前市長の言葉で騙された。実態は、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。子供の教育環境は劣悪である。要は言葉の洗脳である。

 前大垣市長から大垣市商店街の活性化として「元気ハツラツ市行事」というおまじないで大垣駅前商店街の店主は騙され続けて、前市長市政20年間で60%の店がシャッターを下ろした。店主達は完全に洗脳状態にされ、店を潰された。現在、大垣駅前商店街は20年前に比べて20%の店しか残っていない。

 

石田大垣市長の洗脳の手口

 石田仁大垣市長は「ゴミが増えている」と大嘘を言って、ごみ袋有料化をごり押しした。

 しかし大垣市の中央部にある私の町内では、この10年間で10軒も家が減った。また次の10年間で20軒が減る予想である。私の町は約100世帯で、大垣市内で平均的な世帯数である。それが20年間で、合計30軒の減少とは、約3割の激減である。

 また大垣市は10年前に比べて家庭ごみ量は35%も減っている。そんな状況で、なぜゴミが増えたと言うのだ。データは嘘をつかない。

 大垣市より財政が豊かでない岐阜市は、ゴミ袋の有料化を実施していない。大垣市より質素な新市庁舎である。大垣市の新市庁舎は県下一豪華で、岐阜市のそれより2割も豪華である。

 だから石田仁大垣市長の言うことは大嘘で、その政策は、利権確保、役人達の収入増のための洗脳攻撃である。

 市長は市民にとって親も同然。それが子供である市民を不幸にする政策に邁進している。安全対策も大嘘、子育て日本一も大嘘、行政サービス最低である。こんな大垣に誰がした。

  大垣市民が洗脳から覚醒し、声を上げて、選挙でその意思を示さないと、大垣は滅びる。

 

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2023-04-11  久志能幾研究所通信 2665号  小田泰仙

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2023年4月10日 (月)

憎っくき相手も老いる 恨みは恩讐の彼方

 

命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするい蹝跡なし

 「修証義」第一章 総序

 

 先日、6年前の会議で非常識な言動で会議を混乱させた相手と、同じ会議場で再会した。私は6年前の仇を取ろうと手ぐすね引いて準備していたら、再会した相手がよぼよぼになっており、準備した「言葉」が雲散霧消した。相手は80歳を超えており、歩くのも支障がでている。往年の元気さは全くない。

 人は75歳を超えると急速に老いる。日本人の平均寿命は81歳でも、健康寿命は72歳である。世間では人生100年時代とはやし立てているが、100歳以上の人数は、全国で9万526人(2022年9月15日現在)で、全体の0.075%でしかない。要は、100歳以上の人は、千人に一人の確率で、稀有な存在である。殆どの人は72 歳で老化が顕在化して、80歳でよぼよぼになるのだ。

 いくら壮年期は元気はつらつで組織の頂点に立ち、我儘独裁的に過ごしても、老いは冷酷に襲い掛かる。その時、自分の人生のツケをはらうのだ。

 

人生は恩讐の彼方

 そこに人生を見た。相手の姿が、明日は我が身で、それが未来の自分の姿なのだと思い至った。だからこそ、人生での謙虚さと健康と若さを維持する努力が大事だと改めて思った。人生と言う入れ物も頑丈でなければならない。人生と言うライフフレームの剛健さと、人生の精神状態が健やかにするように心がけよう。傲慢に過ごすとライフフレームに早くガタが来る。

 

馬場恵峰先生の人生

 それに併せて馬場恵峰先生の93歳の時の元気さを思い出し、生涯現役を心がけた恵峰先生の偉大さに改めて感銘を受けた。馬場恵峰先生が寝込まれたのは、死の直前の1か月程であった。

 下記の写真は、馬場恵峰先生が卒寿(90歳)記念で写経書展を開催され、その開催式に挨拶をされたときの写真である。

 

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 馬場恵峰卒寿記念 写経書展 2016年12月9日 長崎県波佐見町

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 馬場恵峰書

 

2023-04-10  久志能幾研究所通信 2664号  小田泰仙

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生きるとは

 

 生きるとは、「必ず死ぬ命」を抱えて、過去、未来を振り切り、今を自分に与えられたお役目に全力で取り組む活動である。

 

 私は人生を2005年3月27日に、そう定義した。先日、過去の京大カードの中からこの言葉を発見した。2005年とは、定年の5年前である

 

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 活動をせず、無為に生き永らえるだけでは、生きたとは言わない。人生で何をやったかが問われる。そう思ってがむしゃらに生きてきた。

 

 お役目とは天命である。そのお役目は、「私」にではなく、「自分」に与えられたお役である。

 

 自分と言う存在は、ご先祖を10代前に遡ると1024人の親が存在する。そのご先祖1024人以上の家系の代表として、DNAを引き継ぎ、今を生きている。

 

 人は人生劇場で、お役が与えられる。主役の王様の役も有れば、脇役もある。奴隷の役もある。天が差配した役をえり好みはできない。その役も、時代と場所で位置付けが変わる。その時代も場所も親も自分では選択できない。

 

 自分が戦争時代に生れて、特攻隊に選ばれたやも知れぬ。戦争に一兵卒として駆り出され、ソ連のシベリアに抑留されなかったことを喜ぼう。終戦後、父と叔父がシベリア抑留の身となり、叔父はシベリアの土になった。

 

 自分とは、全体の中の「自ら」の「分」である。周りに支えられた存在である。

 それに対して「私」とは、利己の世界である。「私」とは、稲(のぎ偏)を、腕(ム)で抱え込んだ姿の象形文字である。

 

2023-04-09  久志能幾研究所通信 2663号  小田泰仙

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2023年4月 3日 (月)

宗教団体脱会後(7/12) 生前火葬から逃走

自尊心と誇りが燃やされ灰になる

部長の末路

 定年退職とは生前葬である。定年延長として会社に残ると会社で「生前火葬」の葬儀がある。生前火葬では魂が焼かれる。生前葬が終わったのだから部長、課長の肩書は剥奪され、無地の白い名刺となる。白い経帷子のような派遣社員制服を着る。そして自分より能力の低い部下に、引導を渡される。派遣社員扱いで働かされ、自分の自尊心と誇りが燃やされ灰にされる。職位権限がないので、周りから軽んじられる。2,3年も務めると焼きもちの火よりも強烈で、長時間の火力に嫌気がさす。満期の5年の刑期を務める人は稀である。よほど面の皮が厚いか心臓に毛が生えているか、家のローンが残っているかでないと、続かない。その定年後の5年間で、すっかり精力、気力が燃やされて、魂の抜け殻だけが残り、生前火葬が終了する。あとは徘徊の人生が待っている。

 

料理長の末路

 職人の世界でも、辣腕の料理長として長年君臨していても、定年になって元の職場で働けば、若造から「ジジイ」扱いされ、「おいジジイ、この皿洗っとけ」である。「ジジイ」ならまだましで、「クソジジイ」ではプライドも消滅である。

 

逆縁の菩薩

 私は定年後の元部長が、昔の部下の課長の下でヘイコラとしている卑屈な姿を見て、定年後に会社に残るのをやめた。定年後の悲惨さを教えてくれた元部長は逆縁の菩薩であった。

 定年後の5年間で仕事は同じ、給与は半分以下で働けば、精力と気力を使い果し、その後の起業がほぼ困難になる。定年後の起業には体力も気力もいる。その大事な時期を生前火葬で灰にされてはかなわない。定年と言う生前葬が終わったら、その後は人生の主として歩みたい。裕福でも奴隷生活は嫌である。

 

コンビニ店の奴隷並みに転落

 定年後、会社に残って働けば、元基幹職でも給与は約三分の一に激減する。それでも年金よりは倍近く多い。定年後の計画がないなら、それでもかまわない。それでは、年間1,800時間の自由が奪われる。定年後の自由時間は、サラリーマンという奴隷生活から解放された黄金の時間である。

 年金での生活にプラス150万円程を稼ぐために1,800時間の自由時間が奪われる。150万円を1,800時間で割ると、ファーストフード店やコンビニのアルバイトの時給以下となる。

 時給 1,500,000円÷1,800時間=833円/時間

 

 会社は、経験豊かな人材を格安でこき使える。自分の老計・死計を考えると、有益な選択肢ではない。それで私は、早期入棺を拒否し、生前火葬から逃走した次第である。

 

生前火葬から逃走

 誰にでも守るべき自尊心がある。それを放棄するのは奴隷の人生である。還暦まで生きてきて、そこまで落ちぶれたくはない。私は、絡め手の引き留め工作を振り切って、焼かれる前に逃亡した。生前火葬からの逃走後に、多くのご縁が生まれた。生前火葬されていれば、新しい人生は生まれなかった。

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現代社会の病

 現代の日本社会が停滞しているというが、現在の会社組織が持てる人材を有効活用せず、経験豊富な人財を奴隷のように処遇している結果なのだ。年功序列を捨て、安易な拝金主義に染まった結果が、今の日本の没落なのだ。1%の富裕層と99%の貧民層の格差社会を生む真因である。そこを見直さないと、日本の復活はない。

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  馬場恵峰書

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2023-04-03  久志能幾研究所通信 2660  小田泰仙

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2023年4月 2日 (日)

宗教団体から脱会後(6/12)未病との戦い

健康管理から未病管理に

 人は60歳までは生命力があるから、煮ても焼いてもそんなに早くは死なない。会社という宗教教団は、定期的に健康診断をして健康を管理してくれる。60歳までは、体がまだ現役で病気にはなりにくい。

 しかし還暦を過ぎると免疫力が急に減少するから、病気を発症しやすくなる。免疫細胞に抑えられていたがん細胞も活性化する。だから定年後は、発病しないように、体を労わろう。健康状態の監視と無理のない生活を心がけよう。具体的には、早寝遅起き、少食、正しい食事、適切な運動を心がける、である。

 私は今まで健康であったので安心していて、還暦後の定期検診をさぼったらガンになった。実際は60歳以上ではがんの罹患率が急上昇する。

 

未病

 未病とは、「発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態」を指す。どんなものでも生老病死である。寿命80年の機器を60年以上もこきつかえばガタが来て当然である。還暦後は病気発症の直前である。それが未病である。その壊れやすくなった体を今まで通りにこき使うから、故障(死)してしまう。それは宇宙根源の理である。

 

戦死

 私が還暦になった時、今まで一緒に仕事をしてきた仲間の24名が世を去っていた。高度経済成長期、その後の失われた20年間、彼らはビジネス戦士としてがむしゃらに働いた結果である。今思うと、当時の会社はブラック企業であったのだろう。私は生き延びられたことをご先祖に感謝をした。

 

自衛隊

 その未病状態を病気にならないようにする防衛戦争は、体内の自衛隊(免疫細胞)が遂行している。その自衛隊を後ろから撃たないことだ。そんなことをすると、2018年11月、「自衛隊は暴力装置」と罵った民主党の輿石幹事長と同じ売国奴になってしまう。自衛隊が無ければ、今頃、日本は中国に尖閣諸島を盗られている。終戦直後は、日本に自衛隊が無かったので、竹島は韓国に不法占拠され、そのままだ。体の免疫細胞がなければ、人はすぐ死んでしまう。

 運動不足、夜更かし、深酒、大食いの禁止である。添加物満載のファストフードや外食、中食、コンビニ弁当等を控える、である。狂った生活習慣を避け、狂った食生活を止め、人間として当たり前の正しい生活を過ごす。それしかない。

 

現代病の原因

 現代日本のがんの増加、糖尿病の激増という現象は、拝金主義に侵された食品メーカに、心が侵蝕され、飽食に洗脳された結果である。儲かれば、相手が病気になることが分かっていても、毒ある食品を売りつける。それが現代の食品メーカである。自分の出世のため、添加物や防腐剤の認可を無制限する。それが日本の官僚である。それが現代の食品メーカ、官僚組織である。

 拝金主義の現代医療、対処療法の安易な治療法が蔓延して、病気が更に広まっている。だから40年前の4倍に医療費が増加して、病人も4倍に増えたのだ。

 2000年前と変わらない人間の精神耐力に、過度の拝金主義過剰の仕事を押し付けられて、体が悲鳴を上げて、鬱病、精神病が増えただけである。

 

必ず死ぬ

 人は生老病死が原則である。いくら頑張っても最終到達地は死である。せめて病になる時期、死の時期を少しでも延ばすのが養生である。慌てなくても、あっちから「お迎え」は来てくれる。死ぬ時に後悔しない生き方であれば、安心である。

 未病時代は、残された時間を考えて行動すべきである。時間など無限にあると思って暮らしているのが人間である。それは2000年前から変わらない。愚かさは、2000年前から少しも進化していない。医師から余命を宣告されて慌てるのは、今も昔も同じだ。それをローマの政治家セネカが述べている。

 

 

時間の浪費   p 35

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。

     「人生の短さについて」3-4

  中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』 岩波書店 2003年

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   馬場恵峰書

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2023-04-02  久志能幾研究所通信 2659  小田泰仙

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2023年4月 1日 (土)

宗教団体脱会後(5/12) 良く死ぬとは、NYの夢幻

 

 何もせず、無為に生き永らえるのは醜い末路だ。生涯現役で働いている姿は美しい。定年まで働けば、社会に対する義務は果たしたことになる。会社で働かなくなったら、その分、社会に貢献するために働けばよい。それが良く死ぬことだ。どうせ、人間は絶対に死ぬのだ。死ぬ時、後悔しないため、良く死ねるように行動したい。

 

 人は死後、何を集めたかでは評価されない。何を与えたかである。自分の人生と世の中にどんな感動を与えたかである。

 死ぬ時に思うことは、素晴らしい人生ではなくても、素晴らしく楽しんだ人生でありたい。それが良く死ぬことだ。

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大きな後悔

 死ぬ時の後悔とは、やりたいことをやってなかった後悔だ。人は何時までも若くはない。若い時にやれたことが、老いるとできなくなる。人は永遠には生きられない。生きているうちに、動けるうちに、やりたいことをやる。それがやれてなかったことが、死ぬときの大きな後悔となる。

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良く死ぬための条件

 いくら金があっても、健康でなければ旅行にも行けない。人にも会えない。美味しいものも食べられない。ましてや仕事もできない。良く死ぬためには健康であるべきだ。寝たきりで生きながらえても、生きたことにはならない。船が港を出て出航しても、その湾内を長い間、漂流しているだけでは、長い航路をしたことにはならないと同じだ。最期の1か月ほどは致し方ないが、それまでは現役で動き回るように体を健康に保つ取り組みをすることだ。馬場恵峰師も、94歳まで現役で過ごされた。死の直前の一か月ほど寝込まれただけだ。

 健康とは体と心の健やかさである。そのために日頃の節制が必要だ。

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大垣をよくするため

  大垣市の行政の恥部を世間に晒すのも、大垣をよくするための行動である。健全なる精神と体でなければ、大垣の恥部は見えない。恥部を明らかすれば、大垣市の皆さんが目覚めて、立ち上がってくれる。大垣をよくするための行動を取ってから引退すれば、良く死ぬことになる。市民が目覚めれば、大垣は良くなる。大垣は当時、西濃の小京都と呼ばれたのだ。大垣を良くするきっかけを作れば、あの世に逝ったとき、大垣を建設した先人たちからも褒めてもらえるだろう。

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 馬場恵峰書

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ニューヨークの記憶

 私は1994年、ニューヨークに10日間の旅行をした。その時に歩いた総距離が114㎞である。一日平均16㎞の歩きである。万歩計を付けて、ニューヨークの街を一日中歩いていた。下記の表は、その記録である。

 しかし今、私に同じことをできる体力はない。いい時に行って、いい思い出が作れて良かったと思う。今ならコロナ禍で海外にも行けない。

 また当時、世界貿易センタービルの最上階104階に上って、ニューヨークの摩天楼群を見下ろすことが出来た。その7年後、911テロで世界貿易センタービルは消滅してしまった。もう上りたくても、そのビルがないのだ。私には、人生の一期一会を象徴する事件であった。

 

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世界貿易センタービル104階からの展望

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 世界貿易センタービル104階から下を見る

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 世界貿易センタービル104階から自由の女神像が見える

 

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 フェリーからの眺め 

 右手に世界貿易センタービル、左手に自由の女神像が見える。

 もうこの世では眺めることができない姿である

 

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 馬場恵峰書
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2023-03-31  久志能幾研究所通信 2657  小田泰仙

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2023年3月28日 (火)

柴田節郎陶展 青磁の季節 決断の季節

 

 柴田節郎陶展で見つけた素敵な青磁を購入した。この茶碗で白湯を飲むつもりだ。今でも私は毎朝、起きた時に白湯を一杯飲んでいる。体には白湯が一番よい。よい器でよい飲み物を飲む。それが心身ともよい効果を得られる。百金の器では、魂の成長がないだろう。

 私が朝一番に飲むのはコーヒではなく、白湯である。白湯は50℃から60℃くらいが最適である。今は白湯でも、わざわざ沸騰させてから温度を下げなくても、温度設定できる電気ケルトでそれが可能となった。

 白湯として一度、水を沸騰させるのは、昔は浄水器がなかったからだ。水道水のカルキ等を除去するのには、沸騰させる必要があったから。

 

 

白湯の効果

 白湯を飲むと、胃腸全体が温まり活性化する。胃腸が活性化すると消化が促進され、老廃物の排泄も促進される。それで便秘防止となる。

 白湯を飲むと内臓が温まる。その結果、基礎代謝が上がる。基礎代謝が約1割上がる。その結果、血液のめぐりが良くなり、冷え性の改善や脂肪燃焼による肥満防止にもなる。身体が温まるとリンパの流れや血流が良くなり、体調がよくなる。

 

後日談

 10日ほど前、私はこの青磁の茶碗を買う予約した。先日、知人が柴田節郎陶展に来て、それを気に入って注文を入れた。しかし既に私がツバを付けていたので叶わなかった。

 芸術品との出会いは、一瞬である。一期一会である。その時、買う決断をしないと永遠にお別れである。先に買うと決断して予約を入れておいてよかった。

 決断もその決断をする回数で決断力が養われる。要は経験数で勝負である。失敗をしてもいいから、多くの決断をすることだ。小さな決断を多くすると、大きな決断はさりげなく出来る。

 

 

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 柴田節郎作 青磁茶碗    右側の茶碗を購入 (Saganにて)

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   自宅で撮影

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 波佐見焼  字は馬場恵峰書

 

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 波佐見焼  字は馬場恵峰書

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2023-03-28  久志能幾研究所通信 2655号  小田泰仙

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2023年3月26日 (日)

宗教団体から脱会後(3/12) 垢落とし

 

 自分の屋敷をゴミ屋敷にしてはならない。家で一番清潔にすべきは玄関とトイレである。そこが一番汚れやすい。つまり、入り口と出口を清潔に、である。

 汚れは、神学的な死である。また社会的な死である。そんな家には誰も寄り付かない。寄り付くのは貧乏神だけである。

 神様は超清潔好きである。伊勢神宮などは、その清らかさでピカ一である。身も心も洗われる思いだ。だからパワースポットとして、多くの人が集まる。

 

 自分の体という宇宙をゴミ屋敷にしてはならない。定年後に最も清潔にすべきものは、自分の心である。40年間も拝金主義の世界で生きてこれば、汚れや垢が心にしみ込んでいる。その汚れを落とすのは大変だ。体を洗う人は多いが、心を洗う人は少ない。体の汚れは見て分かるが、心の汚れは、自分では気が付かない。

 心の汚れた人と付き合うと、知らず知らずのうちに心が汚くなる。霧の中を歩くと、いつしか衣が濡れるのと同じである。よき香を焚くと、家の香りや自分が良き匂いに染まる。年老いても、孟母三遷の教えを守ろう。

 

 体の入り口は目鼻耳口皮膚である。そこが汚れていると、入ってくるものが穢れる。それで排泄が汚る。そして体全体が汚れてくる。汚れた人間関係、汚染された食べ物、フェイクな情報、それらに接すると、身も心も穢れる。それでは幸せになれない。それでは幸せの神様が去っていく。

 

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 馬場恵峰書

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新興宗教団体のお掃除

 天理教やその他の教団でも、境内の掃除の徹底さは驚嘆する。天理大学では掃除が履修科目になっていると推定される。天理教の本殿に参拝すると、天理大学の学生が広大な渡り廊下を拭き掃除している。それも天理教のショーなのだ。

 

 NB教では、広い本山の境内を信者に割り当てて掃除をさせている。遠方でも早朝に掃除当番が割り当てられて掃除である。信徒は来るまでの運転で疲れ、掃除で疲れ、その疲労で帰り道で死亡事故を起こしている。しかし信徒は泣き寝入りである。教祖様のご指示は絶対なのだ。早朝に掃除当番が割り当てらえるのは、一般見学者との鉢合わせを避けるためだ。入信したら、こんな過酷な掃除ノルマがあると知れると、信徒獲得に影響するからだ。

 

 宗教狂団では、不正なカネで汚れているから、掃除をしても幸せになれない。その前に心の掃除が必要だ。心の掃除をすれば、その宗教の真偽が見えてくる。

 

トヨタ教の掃除

 そんな教祖様のご命令ではなく、自分の人生の務めとして整理整頓清潔清掃躾は、幸せになるための定石の務めである。それをトヨタ教、日本教(JIS)では5Sと言う。それは教団を退団しても変わらない日本人の務めである。

 

 トヨタ教は5Sで世界一の自動車教団に成長した。Coco壱番屋の創業者の宗次徳二氏は、今でも朝4時に起きて、街の掃除を続けている。Coco壱番屋はギネスで世界一のカレー屋として登録された。

 

大垣教の掃除

 大垣教では、大垣市長が市内の掃除費をケチったため、市内が汚い。駅前や繁華街の共同トイレが薄汚く、それが原因で県内一の衰退となっている。

 

 大垣市前市長は、大垣市前前市長が3000万円で作った公衆トイレを、わざわざ壊して700万円で作り替えたと噂される。安くできたのにはワケがある。見た目はおしゃれだが、よく見るとシッカリと安普請である。数年で外壁の塗装が剥げてきている。女性用のトイレも数も3個から1個に削減である。そのため、大垣祭り等の行事の際は、トイレの前は長蛇の列となる。また安く作ったので、排水処理工事が手抜きで、頻繁に詰まっていて不潔である。

 わざわざトイレをつくり直したのは、カネを動かし、利権を得るためである。その罰当たり行為のせいで、神様の怒りを買い大垣市の没落は加速した。

大垣市トイレが汚いのは、市長のケチが原因

 http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2017/11/post-4f2e.html

 

2023-03-25  久志能幾研究所通信 2651  小田泰仙

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2023年3月24日 (金)

宗教団体から脱会後(2/12) 自分ファースト

 

全ては自分の幸せの為

 今までは猪突猛進のトヨタ教信徒として、教祖様の為、教団の為、お国の為に滅私奉公してきた。モーレツ社員とも揶揄されたこともあった。私は脇目も振らず、準ブラック企業で、高度経済成長期を仕事一筋に駆け抜けてきた。

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高度経済成長からバブル崩壊

 1973年から1990年の18年間で、前職の会社の売り上げは6.8倍に急成長した。その前の1966年から1972年までの6年間の成長は2.13倍である。毎年30%以上の成長である。平成時代の30年間で日本経済の成長率がゼロであった惨状から見れば、当時は本当に高度経済成長期であった。

 そして1991年にバブルが崩壊して、私の前職の事業部の売上は70%も減ってしまい、経営危機になった。そしてリストラが始まった。天国から地獄に突き落とされたのだ。当時の同業他社も多く倒産した。私はその社内リストラの前に昇格して、好調な事業部に異動となっていた。塞翁が馬である。

 リストラと言っても、社内の人員配置変更である。首切りではない。それがトヨタ教の凄さで、他社のような希望退職(首切り)はなかった。

 

 平成不況時以降に入社して働いてきた若者に比べれば、私の時代は幸せであった。頑張っただけの成果も手に入ったので、不幸とは感じなかった。しかし、今、冷静に当時を振り返ると、少々洗脳されていたようだ。

 

教祖様として生きる

 だから退団後は、自分が「自分人生有限会社」の教祖様として、自分の幸せの為に生きるつもりだ。今は洗脳された頭を正常に戻す「修行」に力を入れている。

 しかし還暦後に、自分を幸せにする時間は、少ない。そのことに思い至らず、時間など無限にあると錯覚している人は多い。日本人の平均寿命は81歳であるが、健康寿命は72歳である。72歳を過ぎれば、病院通いか、寝たきりか、認知症になる人が大半である。還暦後は、健康で走り回れる時間が12年しかない現実を正視すべきだ。

 

 自分は何のために生れてきたのか。最低でも一人に人間を幸せにする義務が私にはある。その一人が自分である。そのための残された時間は12年である。定年延長などすれば、時間はほとんどなくなる。だから私は定年延長せず辞めた。

 

天上天下唯我独尊

 お釈迦様が、ある王子から人生相談をされた。王子は妻からの「私とあなたと何方が大切か」との問いに悩まれていた。お釈迦様は、「自分も自分が一番いとおしく思う」と答えられた。

 お釈迦様が仰った「天上天下唯我独尊」とは、「この世で一番尊いものは自分である」との意味である。自分が一番尊いと思うから、相手も同じように自分が一番尊いと思っている。だから、相手も同じように大事にすべきとの教えである。

 退団後、会社を離れたら、会社ファーストを捨て、自分ファーストでよい。自分を大事にして、世の中に貢献すればよい。自分を大事にしない人は、他人も大事にしない。その極端な例が自爆型のテロリストである。

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2023-03-24  久志能幾研究所通信 2650  小田泰仙

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