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2021年4月 6日 (火)

40年来の友を疎遠にさせた一言

 

 40年来の友から「〇日から〇日の3日間、孫が家にくるので電話をしないでくれ。」とメールが来た。

 一日24時間もあって、会社の仕事中でもあるまいし、一日の中、たった3分間の電話時間が取れないの? 空いている時間に電話を寄こせないの? 電話が来ても、「今忙しいので、後で電話をする」と言えば済む。それを「電話をするな」では幻滅である。なにか裏切られた気持ちになった。

 彼とはこの数か月間、毎日電話で話をしていた友である。その電話も「かけ放題契約」の私からだけである。彼からは電話はかかって来ない。彼は電話代を奥さんに管理されている。

 

たった一言

 彼からのこの通知以来、彼とは疎遠にした。電話をする気を無くした。自分が相手からどう思われているかが分かって幻滅したからだ。いくら隠しても、たった一言で、その人の本音が露見する。人間性の有無で交友関係がどこかで破綻する。

 人生の目的は、金儲けではない。人格の向上である。魂の向上である。品格の向上である。人物になることである。最終的には、佛になることである。

 

 神は人体を創造するとき、各器官を骨や皮でその内部を保護する構造にされたが、心だけは無防備にされた。そのため、無意識のたったの一言が人の心を暖め、タッタのひとことが人の心を傷つけたりする。

 だから友の為に諫言する場合は、グサッとする一言で刺そう。武士の情けである。そうしないと友は気が付かない。

P10500042  馬場恵峰書

2021-04-06   久志能幾研究所通信 1975 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年4月 5日 (月)

友とは互いの尊敬があって持続可能

SUSTAINABILITY(持続可能な社会)の実現

 

 持続可能な社会の実現の要素は、多様性の容認、環境の維持、環境負荷の低減、環 境に考慮した適切な消費が必要である。

 持続可能な友人社会は、それの条件が維持されてこそ、成長する。成長が維持されないと崩壊する。それはガラス細工の花瓶のようなもの。

 

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

 Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

     “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 キングスレイ・ウォード著『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(城山三郎訳 新潮社刊1987年)

 

 「信用は壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

 

多様性

 人は多様性ある友と交わって成長できる。同じ性格の仲間とだけ群れると、成長は限定される。日本の成長が停滞しているのは、多様性を阻害している社会体制にある。

 小さな零細企業で働くのと、大企業で働くのとは、その点で人物形成の出来に差が出る。50人規模の会社社員と1万人規模の会社社員では、その成長の差は大きいと感じた。私が定年退職後、大垣に帰郷して一番驚いたことは、出会う人物たちのスケールが小さく、視野が狭いことだ。その考え方が偏狭なのだ。それは小さな会社では、付き合う人の多様性の数が絶対的に少なく、切磋琢磨できる機会が少なかったと推定される。

 その機会が少なければ、自分でその機会を作らねばならぬ。その機会を作ってこそ、成長できる。

 

道場破り

 江戸時代、地方の剣術の名人は、江戸の町道場の師範に決して勝てなかった。その原因は、江戸では道場破り目的の剣士が多く訪ねてきて、他流試合をせざるを得ず、腕が磨かれたためだ。地方の道場では、そんなことはあり得ない。地方の名人は、井の中の蛙となっていて、腕が上がらなかった。

 自分も井の中の蛙となり、「井の中の蛙大海を知らず」となっていないか、反省しよう。

 

平均気温の上昇

 人類が生産活動をすれば雰囲気の温度が上がる。自然の理である。人の交流があっても、その中に熱気を帯びないと継続が難しい。冷めた、醒めたピザのような冷たい関係は避けたい。お互いの成長のために熱き議論、熱き情熱、熱き交流が必要だ。

 一方だけにエネルギーが流れるだけの関係では、平均気温が下がり、持続可能な友人社会の維持は難しい。お互いが刺激を受け、お互いに成長してこそ、友人である。

 

友は共

 友は共に成長してこそ友である。友はお互い励ましあい、刺激し合って歩んでこそ友である。それが友との環境で、平均気温が上昇することである。その意欲をくじく冷言を言うのはご法度である。

 50年来、年賀状のやり取りをしていた幼友達がいた。私が癌になりその年と翌年、年賀状が出せなかった。その友からの年賀状は絶えた。私が癌で手術をしたことを相手は知っている。その友とは縁を切った。

 

活動の環境負荷(体への非健康的負荷)

 周りの環境は、拝金主義の食品メーカの跋扈で、体に悪い影響を与える食品が氾濫している。

 ある友は、スィーツに目がない。ホテルでバイキング形式の会食する度に、ケーキ等を人の2倍も3倍も食べる。私は彼の健康を気遣い、洋式ケーキの害、砂糖の害、小麦粉のパンの害、油の害を説明して、食べるのを控えるように助言するが、効果はない。注意した時は、私の助言を多少は守るだが、次の機会の会食の時は、全く元の木阿弥になっている。彼は甘いもの誘惑に洗脳されて自制心をなくしている。つくづくと助言の虚しさを感じた。

 助言は単なるアドバイスではない。真剣に相手の命を思っていう諫言である。人生の最大の不幸は、それを真摯に聞く友が滅多にいないこと。

 

より良い正規の消費を

 ある友は、携帯電話も以前のガラケーからスマホの家族割に奥さんが変えたようで、しぶしぶスマホを使っている。だから電話代も奥さんに管理されているようで、彼から電話が来ることはない。私はかけ放題プランで契約しているので、電話はいつも私からである。

 なにか目下扱いされているように感じ始めた。私は彼の「下僕」ではない。そういう状態で友人関係の持続的継続は難しい。

 友人関係の維持に、出すべきものを出さないと、維持さえ難しい。そのお金が世に回って、社会が繁栄するのだ。それを安いからといって、中国共産党の中国製に手を出すのはご法度である。

 

正直な製品を使う

 中国製の安い製品は日本の技術を盗み、奴隷労働を使って作り、公害を垂れ流して作ったものである。技術開発費も不要で、人件費も激安で、公害対策をしなくても生産できるので、安く作れる。それは我々の社会を崩す要因になる。それが日本に氾濫すると日本の雇用が喪失する。汚染された食品と黄砂の害で健康が害される。回り回って、私の首を絞め、中国製を買った日本人の首を絞めている。

 私は貧乏になっても、中国製品には手を出さない決意である。現在のウイグル族の奴隷労働で作られた激安製品を買うのを自慢するようでは、人格が疑われる。

 

2021-04-05 久志能幾研究所通信 1974 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月 4日 (日)

レクサスの魔女の声に洗脳される

G-Linkのオペレータサービスの魔力

 

 レクサスLSに乗って一番しびれたのは、搭載されていたG-Linkのオペレータサービスである。

 搭載されたナビでボタンを押すだけでオペレータが呼び出だされる。

 「ハイ、小田様、今日はどんなご用件でしょうか?」

 「〇〇に行きたいのですが」

 「ハイ、かしこまりました。〇〇市の▽△ですね」とオペレータは目的地を確認して、オペレータがナビを遠隔操作で目的地の設定してくれる。自分がわざわざ設定しなくてもよい。

 そのオペレーターは最高の接客対応が訓練されていて、感動してしまう。

 これには痺れるし、庶民は舞い上がってしまう。実際に私は舞い上がって「しまった」。後から思うと「シマッタ」である。自尊心をコチョコチョとくすぐられる心境である。トヨタも商売がうまい。

 しかしそう何回もあちこちに遠出するわけでもなく、そのうち利用しなくなってしまった。

 

格物致知

 人は全て人任せにすると、脳の働きが弱くなる。使わない器官は退化する。その麻薬もたびたび使うと麻痺をする。そのうち、このシステムにはお金を払わねばならないことに気が付いて、このシステムを解約した。

 レクサスを持つとお金が湯水の如く飛んでいく。洗脳されるとは恐ろしい。人間は愚かなことをして、愚かなことをしてはならないと気が付く。それを格物致知という。

 結論は、レクサスはお金があれば天国、だ。私はお金がなくなり天上界から蹴落とされて、いま人間界をさ迷っている。人間界はいろいろとあるから面白い。

 洗脳されて、少しお金を使ったが、絞首台に登らなかったことを喜ぼう。

 

2021-04-04   久志能幾研究所通信 1973 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

テレビに洗脳されると認知症へ

テレビ洗脳支配の手口

 

 TVのバラエティ番組、グルメ探索番組、お笑いバラエティ等を集中して見続けることは、市庁舎を痴呆症にする洗脳教育と同じである。テレビの痴呆的番組と距離をおき、自分と家族を理知的、理性的な世界に置きたかったら、テレビ番組は見ないことだ。テレビ局は、痴呆的番組で国民を洗脳し、CMで嗜好品の中毒状態にして、視聴者を食い物にしている。

 

視聴者をバカにするためのマニュアル

 下記のマニュアルは玉木正之氏出演したテレビトーク番組の台本である。『時事英語研究』1994年1月号で紹介された。

 これを見ると、テレビ局はテレビを見ている人間に考えさせないようにしているようだ。その手管に嵌れば、無意識にCMの製品に手が出て、その結果益々テレビ局の売上が増大する。 

 自然界には「使わない器官は退化する」という大原則がある。現在のテレビ番組は視聴者から思考能力を抹殺するようにしている。テレビのばかばかしい番組を見ることはとは、ばかになる練習をすることだ。

 

某トーク番組の台本 

 『○△(番組名)をより面白くするために』

 ・正論  より 本音

 ・抽象的 より 具体的   ←抽象的に考えるのが成長。その逆

 ・理論的 より 体験的   ←論理が人生を正しく導く。その逆

  ・考える より 遊び感覚  ←これではバカになる

 ・重い  より 軽い

 ・泣き  より 笑い

 ・悲観的 より 楽観的

 ・隠す  より 顕す(露顕)

 ・流れ  より 飛躍    ←論理の破綻である

 ・じっくり より ざっくり ←バカになる練習だ。

  *意見、反論は指名がなくてもドシドシご発言ください

  

酒を飲んで放送

 1970頃の私がまだ大学生のころ、東海テレビの「ナイトショー」で風刺コントの特集番組があり、私に「かたえくぼ」の常連として出演依頼が来た。そのリハーサル後、本番前の小1時間ほどの間にスタジオ内のバーカウンターで、酒を飲まされた。ディレクター曰く「皆さんにリラックスして喋ってもらうためです。多少顔が赤くなっても、ライティグで目立ちません」。なんといいかげんなことかと感じた。上記の台本を見てテレビの本質を悟った。

 

2021-04-04   久志能幾研究所通信 1972 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年4月 3日 (土)

ゆでガエル洗脳病をぶっ飛ばせ(9/11) テレビ

「テレビ、マスコミ洗脳病」をぶっ飛ばせ

 

事例1

 ある家に家の契約書の関係で訪問した。居間で打ち合わせ中、ずっとテレビがかかっていて、鬱陶しかった。少し苦情を言うと、彼の妻が亡くなってから、テレビをつけていないと寂しくて仕方がないという。これはテレビに洗脳されたのだ。

 見るとはなしにテレビを見ていると、飲食物のCM、グルメ番組ばかりが目に飛び込んでくる。思考力が失せ、行動力も失せ、飽食の習慣に洗脳されて、病気に一直線である。ワイドショーでは、痴呆的扇情的なコメンテーターがまくしたて、洗脳されてしまう。コロナ騒動でも、日本と欧米に差を区別できなくなり、ワイドショーに煽られて、新型コロナの恐怖に陥ってしまう。立派な洗脳である。それはオウム真理教の恐ろしさと変わらない。

 

事例2

 ある老夫婦の家庭に、乞われてパソコン操作を教えに行った。その居間で、その人の老婦人が見るとはなしにワイドショーを見ていた。私は乞われて教えに行っているのに、同じ部屋でそのテレビの音がうるさくて不快であった。相手の家がそんな対応なので、パソコン操作を教えて、早々に退散した。

 インテリなのに、客が来ていてもそんな対応しかできなくなっていた。両老人は、人間性が劣化していた。テレビに洗脳されて、常識と人間性を失ったのだ。

 

日本中でテレビ洗脳中

 2013年10月11日、馬場恵峰宅を訪問して、帰りの飛行機を待っている時のこと。誰一人いない長崎空港の出発ロビーで、大型テレビがワイドショーを放映していた。なにか現代社会の象徴のような風景である。そうまでして日本人をバカする洗脳をしたいのかと。相手は金儲けで必死である。

 その昔、シガニー・ウィーパ主演の映画「エイリアン」を思い出した。エイリアンが、人間を捕まえて毒で動けないようして繭の中に閉じ込め、その人間の体内に我が子を生みつけ、我が子の餌として人間を生かしておく情景である。

 

誰が儲けているか

 テレビは現代人の生血を吸って繁栄している。人を洗脳して、頭の中に住み付き、テレビを見ないでは過ごせなくさせる。そして二度と戻ってこない大事な時間がテレビに吸い取られていく。食べてはいけない食料品のCMに洗脳されていく。正にエイリアンに頭が占領されている。あとは痴呆化の進展があるばかり。それで誰が儲けているか、考えるべきだ。

 なんで、「みのもんた」ごとき愚劣な司会者が、数億円の年収を得るのか、それを許容する視聴者にも責任がある。

 テレビのワイデショーで「○○が健康に良い」と特集を洗脳放映すると、売れすぎて途端にスーパーの売り場から○○が消滅する。1973年のオイルショック時のトイレットペーパ騒動を思い出される。余りに刹那的な流行を作る出す現代のテレビである。日々日本の知性が劣化していく。テレビが過剰に扇動し、人を洗脳し、付加価値の生まない時間を増大させている。時間と知性と健康を貪り尽くすエイリアンというテレビ洗脳マシンの繁殖である。

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長崎空港 出発ロビー  2013年10月11日11:19

誰もいないロビーでテレビと言うエイリアンが吼えていた

 通っている眼科医院でも、診察の順番取りために朝一番に行くと、誰もいない待合室で朝のモーニング番組が付けっ放しである。愚劣な番組ばかりを見ては、眼も更に悪くなるにと思う。人が来て、美味くもない食品のCMをさも美味そうに繰り返し流せば、見せる洗脳教育でその製品は売れる。そして段々日本人が劣化していく。愚劣な事件が起きるのも故あること。グルメ番組の視聴率を見て、テレビ局はますます下劣な番組を流す。悪魔のサイクルである。

 

2021-04-01  久志能幾研究所通信 1971 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

人喰い人種の饗宴 = 面会とは命(時間)を喰う饗宴

 

 吉田茂は長生きの秘訣を「人を喰うことだ」と答えたのは有名な話だ。人と面会するとは、その人の持ち時間(一生で使える時間=命)を自分のために消費させる饗宴だ。人食いの饗宴である。夢ゆめ、手ぶらで行くべからず。土産を持って行け。その人が消費した時間(命)が、その時間に見合う価値ある土産を与えよ。そうしないと、時間泥棒(殺時ン)になってしまう。

 

人との面会とは真剣勝負

 その人の面会は、今生の最初で最後の出会いと思え。お互い、明日は分からない。その対応が悪ければ、二度と会ってはもらえないかもしれない。相手だって生きるのに忙しいのだ。

 特に高齢の師ならなおさらのこと。私は良き時に多くの時間を馬場恵峰先生と真剣に共有できて、幸せだったと思う。そうでなければ悔いが残った。馬場恵峰先生に再度会いたくても、もうそれは叶わない。

 

土産

 土産とは、その人に価値ある情報であれ。土産とはお菓子ではない。スィーツは人の命を削る。糖分は病気の元である。

 くだらない話題で時間を無駄にしてはならない。話を雑にするから、雑談になる。その雑談が、後日、お互いの付加価値(金)にならなければ、無駄な会話である。

 

気配り

 最大の気配りとは、相手に対して全力で向き合うことだ。真の信頼関係はここでこそ生まれる。(田中角栄)

 相手と話している時に、携帯電話に応答するのは言語道断である。それだから人生で失敗する。その行動が己の人生の全てを象徴している。それこそが相手への最大の侮辱である。それは自分の人生を侮辱している。今、目の前の人物こそ人生最優先の人物なのだ。

 

話題提供

 相手が興味を抱かない話題を提供してはならない。自分の趣味が万人に受けるわけがない。その人にはお宝であっても、多くの人は釣りも石も株もユーチューブ等も興味がない。それに興味を示さない相手に見せつけるのは、宴会で嫌いな食品ばかり押し付けるようなもの。会社の接待宴会での幹事の心得と思え。ヤクザの襲名披露宴会ではないのだから、対等にお互いが成長できる話題を土産として持って行くべし。

 

2021-04-03   久志能幾研究所通信 1970 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年4月 2日 (金)

ゆでガエル洗脳病をぶっ飛ばせ(8/11) スマホ脳病

「スマホ脳病」をぶっ飛ばせ

 スマホは人を奴隷にする。スマホがないと落ち着かない人は、スマホ奴隷となっている。一日に2600回以上もスマホを触り、一日に4時間もスマホに拘束され(若者の7割は7時間もスマホ漬けになっている)、10分に一回はスマホ画面を見ないとやって行けない。それは立派なスマホに洗脳された奴隷である。

 そのため人生の生産性が落ちている。学習能力も落ちている。学校の成績も下がっていく。人間性も落ちている。IQ値も下がっている。

 人間性とは共感性、他への配慮心であり、感受性、思考性である。要は廃人への道を歩いている。だから貧乏になっていく。その分、GAFA に利益が転がり込む。

 

スマホの害

 人間として、人間性を向上させずして、幸せにはなれないし、お金も集まらない。スマホを捨てて、人生の荒野を目指せ。人の歩かない裏道、荒野に金塊が埋まっている。

 スマホに洗脳されると、成功報酬(ドーパミン)に扇情されて、短期的欲望に支配されて、長期的な目標が達成しづらくなる。学業の成績は下がり、対人的配慮感情が劣化して、人生の成功には程遠くなる。小さな画面だけが、全世界の情報と勘違いして、思考が劣化する。

 

ドーパミンの罠

 脳内の成功報酬システムに、ドーパミンというモルヒネ作用がある。脳内の成功報酬システムは何百万年もかけて発達してきた。そのモルヒネ作用を使い、人類が生き延びて遺伝子を残せるように人間を突き動かしてきた。つまり食料、他人と交流、セックス等によってドーパミンの量が増える。食べる楽しみ、他人との付き合いでの生存情報の共有、セックスで快楽を得ることで、人類が生き延びてきた。

 同じ原理で、スマホもドーパミンの量を増やす。それがメールの着信音で、スマホを見たい衝動に駆られる理由である。脳は常に新しいものを求める。それは周囲の環境を理解するほど、生き延びられる確率が増えるからだ。だから人は常に新しい情報を求めて、スマホをクリックする度、脳がドーパミンを放出する。だから人はますますスマホが手放せなくなる。

 

天才ジョブス

 スマホを創ったアップルのジョブスは、その害を熟知しており、自分の子供にはスマホもiPadも与えなかった。

 「うちでは、子供たちがデジタル機器を使う時間を制限している。

    スティーブ・ジョブズ(アップル社創業者)

    (アンデシュ・ハンセン著『スマホ脳』新潮社p170)

 

ビル・ゲイツ

 ビル・ゲイツは自分の子供が14歳になるまで、スマホは持たせなかった。現在、スウェーデンの11歳児の98%がスマホを持っている。ビル・ゲイツの子供は、スマホを持たない2%に属していた。(『スマホ脳』p82)

 

携帯電話(スマホ)の非携帯

 恥ずかしながら、私がスマホを持ったのは70歳を超えてからだ。ずっとガラケーで不便を感じなかった。最近、半強制的に、いやいやスマホに変えさせられた。最近は、その害に気がついて、出かける時はスマホの非携帯を実行している。特別の連絡があれば帰宅後、固定電話かスマホに着信履歴が残る。それから対応しても、問題がある事象はほとんどない。

 

2021-04-02  久志能幾研究所通信 1969 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月31日 (水)

大垣没落は四低、三高が原因

自分の劣化は四ケチが原因

 

 日本と大垣市が没落したのは、日本政府と小川敏が、四低(投資せず、賃金抑え、効率を低く、精神性を低く)したためである。

 これは日本がこの30年間、衰退し続けた原因でもある。大垣の病状と日本の病状は同じである。小川敏を他山の石とすべきだ。

 日本や大垣の指導者はエリート意識が高く、上から視線で頭が高く、プライドが高い。これ三高なり。美味いものを業者と会食し、必然的に肥満になり、高脂血症である。これが都市と体を病気にして、没落の原因となった。

 

 自分が成長できないのは、四ケチ(自己投資をケチり、自分への報酬をケチり、効率向上をケチり、魂の浄化をケチり)したからだ。自己成長を計らず、無駄なことに時間を使い、煩悩に支配され、精神面の向上を図らなかったからだ。大垣や日本を批判する資格はない。まず自分の生き方を変えるべきだ。大垣と日本の衰退を、自分の鏡とすべきである。

 

投資をせず

 具体的には、日本政府と小川敏は都市開発をせず、インフラ整備をせず、治水の投資をせず、教育への投資をしなかった。10年前に、「仕分け」として当時に民主党がインフラへの投資を削減したツケが回ってきた。現在、各地で堤防の決壊が頻繁に起きている。

 小川敏は、駅前商店街の再開発は20年間、やるやると言いながら、全く開発をしなかった。する気がなかったのだ。

 都市の命は、血流に相当する道路が決める。その道路インフラを全く進めなかった。都市が酸欠状態になっている。

 小川敏は治水では、危機管理として排水ポンプの維持管理が全くできていなかった。それを連合自治会から指摘をされても、回答さえしない。

 小川敏は台風21号の被害で、慌てて危機管理室を作ったが、生活安全課の名前を変えただけで、実質は何も変わらなかった。

 小川敏は大垣市の児童生徒一人当たりの教育費を県下最低に落とした。文化芸術への投資も最低にした。未来への投資を削減したので、大垣の未来は暗い。

 

 小川敏は行政の情報開示量を低くし、市民支援を低くし、教育支援を低くし、治水レベルを低くし、危機管理意識を低くし、政治の流動性を低くした。

 そうなった真因は、小川敏が高齢になり、頭が高くなり、上から視線となった三高であった。

 

 人間でも節制、節約を極めると、生きる意欲が減退する。人間は体を動かし、頭を使い、お金を使い、移動して、人生を活性化しないと、老ける一方である。

 

賃金を低くし

 己は財布を自分有限会社の専務(妻)に牛耳られ、自分への投資が出来なかったのではないか。自分の家庭内給与を低く押させられたので、自己投資が出来なかった。自分へのご褒美のニンジンを用意できなかった。ニンジンが無く、鞭ばかり打たれたから、人生の途中で挫折したのだ。つまり自分の生き方の効率を向上させられなかった。

 

時間効率を低く

 時間は命である。命とは、一生で使える時間の総数である。安ければよいと、時間効率を無視して走り回っている。

 「時間は命」という概念を忘れ、値段だけにつられて、遠くまで買い物に行き時間を無駄にしている。ますます貧乏になっていく。

 安いもの買うとは、安い外国製品を買うことで、外国製品が日本に溢れ、日本の雇用が無くなり、益々日本人労働者の賃金が下がっていく。生活苦に追われ愛国心も薄れていった。悪魔のスパイラル降下である。そんな国が発展するわけがない。

 

魂低化(精神の痴呆化に傾く)

 日本の役人も大垣の役人も、精神的に拝金主義、利己主義に走り、国の為、大垣の為に働く意識が希薄になり、精神面の劣化が進んだ。役人は利権に走り、国民の健康を害する添加物、農薬の使用を認可し過ぎていった。それが日本人の病気の一因となっている。医療費はこの40年間で4倍に増えた。

 マスコミは拝金主義に染まり、下劣な番組や記事を狂映している。日本人は本を読むことを止め、スマホ画面にかじりつき、ゲームに没頭する。

 日本の若者の3割が一日に2時間超えでゲームに没頭している(2019年、国立病院機構久里浜医療センターが発表、中日新聞2019.11.28)。日本人が劣化して当然である。

 文科省は英語やプログラミングの教育には力を注ぐが、人間としての育成を図ろうとしない。教育を計画する役人が劣化している。修身という概念さえ忘れようとしている。

 

最終目的

 自己研鑽に目覚め、スマホを断ち、拝金主義を避け、人生の真の喜びに目覚め、時間は命であることを意識しよう。命は刻一刻と尽きていく。生きていく最終目的は、人間になることである。人格者になることである。佛になることである。

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 馬場恵峰書、文責は小田泰仙

 「音」とはこの世に残す業績

 

2021-03-30   久志能幾研究所通信 1966 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年3月27日 (土)

「いつかはレクサス」病から解脱  天国と地獄

 

 「いつかはクラウン」ではなく、「いつかはセルシオ(レクサスLS)」がこの20年間の私の夢であった。だって僕は普通の男の子なんだもの。しかしセルシオを買うなんて、夢の夢と思っていた。クラウンは運動神経の鈍いオッサン用と思って全く興味がなかった。

 それが瓢箪から駒の如く、2018年にレクサスLSを買うことになってしまった。夢を見ると、何時かは実現するものだ。だから大きな夢を見よう。下記はその顛末記である。

 その結論は、愚かなことはやってはいけないが、やってみないとその愚かさに気が付かない、であった。愚かなことをやって、少し賢くなった。

 

家族葬で駐車場係

 2000年代の最初のころ、社長が現役で亡くなられて、葬儀のお手伝いで駐車場係を担当した。家族葬だと聞いていたので、それにしては駐車場係?と思っていたら、現地に続々とレクサス、センチュリーで弔問客が到着した。クラウンなどの大衆車?は一台もない。総数60台前後である。レクサス、センチュリーばかりで壮観であった。Tグループの家族葬での家族とは、Tグループの社長達であった。

 やはりレクサスは、黒塗りが映える。一部上場の社長で、自分でハンドルを握り、走ってもサマになるのがレクサスであった。センチュリーは後部座席が主で、それを所有して運転すれば、専属の運転手とみられてしまう。やはり買うならレクサスである。

 

天国

 2018年に馬場恵峰先生ご夫妻を彦根と関ケ原合戦場跡、伊勢神宮、大垣、岩村に招待した。その時に、馬場恵峰先生ご夫妻の送迎にレクサスを使用した。その心づもりがあったので、レクサスを買うことに躊躇は無かった。三根子先生に大変喜んでもらえて良かったと思う。それが少し遅れれば、ご縁のなかった行事である。恵峰先生は今年の正月、三根子先生は、昨年の3月に亡くなられた。レクサスを買って送迎できたのは、よきご縁であったと思う。

 

 2019年、癌の術後の治療で、距離15キロほどの医院に半年間、週2回のペースで通院した。その時、レクサスでの移動は楽であった。流石に高級車である。真夏の最中でも、安心して快適に通院できて、病み上がりの身には助かった。その時は、レクサスを買って良かったと、自分の決断に褒めたあげた。

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2018年3月 馬場恵峰先生ご夫妻を大垣から犬山名鉄ホテルまでお送りした。

犬山名鉄ホテルにて

 

地獄

 レクサスを買うと、重量税88,000円、保険88,000円、車庫代290,000円(年間)がかかる。車がデカく全長5メートルを超えるので、通常の車庫に入らない。別途、車庫を借りねばならなかった。他にガソリン代等、もろもろのお金がかかる。

 二号さんにいつも構ってやらないと、直ぐむくれる。癌の手術で2か月間、乗らなかったらバッテーリーが駄目になってしまった。その出費が大きかった。バッテーリーを上げないように、定期的に一定の距離を乗らねばならぬ。だから妾とレクサスは、乗らないときの維持費が大変なのだ。半端な金があるだけでレクサスを買うと地獄である。

 乗るときも、車体がデカいので、トラックを運転するつもりで運転しなければならぬ。小さな路地には行けない。スーパーに買い物に行くにも気が引ける。結局、以前の車(車歴20年)と二台持ちになってしまった。

 

レクサス価格の地獄

 また車の維持で、小さなことでもレクサス店に行かないと、修理も部品の補給もできない。不便である。なぜ他のディーラで点検・修理ができないのか、不満である。だからレクサス店は、集金マシンである。

 

 同じ型番のドライブレコーダーを付けても、レクサスは10万円、カローラ店なら6万円であった。レクサス店の言い分は、「大事な車だからドラレコのメーカから出張して取り付ける」とか。だからその人件費が含まれるので高い。なぜカローラ店の整備員がドラレコを取り付けているのに、レクサス店の整備員は取り付けることが出来ないのか。違和感を覚えた。

 

個人で買う車ではない

 レクサスを買う客層は、法人客が9割である。私のように個人で買うのは1割で、酔狂者である。法人は稼いだ利益を圧縮して税金を少なくしたいので、敢えて高いレクサスを買う。税金で持って行かれるより、高い経費のレクサスを買った方がよいのだ。

 レクサス店の内装にも、接客にもお金がかかっている。イベントにもお金がかかる。その費用は車に上乗せされる。だからレクサスは異常に高い。此の世で只のものはない。資本主義社会の原則である。それを忘れると、私みたいに痛い目に会う。

 

夢から覚めて

 2年間の天国と地獄を見て、目が覚め、レクサスを手放す決断をした。2年間、3千キロほど乗って、買い取ってもらえた金額は購入金額の半値以下である。最後に地獄を再確認した。良き勉強になった。

 レクサス洗脳病から解脱して、レクサスとは、こういうものかと納得した。乗るまでは憧れの車であったが、買ってみて、乗ってみると、「ああこういうもの」とその病気から目覚める。洗脳と同じである。何事も体験してみないと分からない。それが智慧である。後悔はしていない。良き経験であった。

 お金が有り余っていれば、レクサスを買ってもよいが、そうでないと買うべき車ではない。それが結論である。長い一生で浮気と同じである。

4k8a93781s  馬場恵峰書

2021-03-26   久志能幾研究所通信 1962 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年3月25日 (木)

ゆでガエル洗脳病をぶっ飛ばせ(6/11)青春

「お役人病ウイルス」をぶっ飛ばせ(その3)

 この失敗の記録は、大垣市行政の危機管理の失敗記録として後世に残すための記す。間違いを原因と再発防止の記録として残さないと、悪夢が再発する。

 

「ヒラメ病」をぶっ飛ばせ

 独裁的な市長が20年間も無能無策で君臨すると、部下はヒラメにならざるを得ない。市役所の職員にも家庭があり、子供がいる。それを上司に逆らっては左遷されてしまう。だから「お役人病ウイルス」が蔓延した。その病状は、目が上目つかいになり、上しか見なくなる。市民を見ることは無くなる。

 長期独裁政治からは、都市衰退病が生まれた。それで大垣駅前商店街が消滅した。小川敏市政20年間で駅前商店街の60%のお店が消滅して、現在残っているのはたった20%である。それも風前の灯火である。この3月末には、郭町の吉田肉店が閉店である。

 大垣市民の不動産財産額が半分以下に激減した。結果として大垣市民は貧乏になった。私も貧乏になった。これが刈谷市なら、現在の2倍以上の不動産財産を持ててたことになったのに。全ては都市の支配者の責任である。

 大垣市の税金も高くなった。さらに市民サービスが低下して、市民のみんな不幸になった。

 大垣の経済成長率がマイナス1%で、大垣市民が貧乏になった。世界経済の劣等生の日本政府でも、プラス1%の成長率なのに、だ。

 未来の背負う大垣市の子供の教育が悲惨になった。

 ヒラメの職員では、危機管理もできず、市民の命が危険に晒される。

 

「万歳突撃、猪突猛進病」をぶっ飛ばせ

 日本政府は30年間、ずっと緊縮財政とほざいて、4回も税を上げ、日本経済を崩壊させた。「ゴルゴ13」が愛読書と公言するような元総理経験者で80歳の現財務大臣が経済の舵を取るようでは、お先真っ暗だ。日本のトップの痴性が露見である。

 大垣市の小川敏は、20年間、ずっと節約、節約と言いながら、自分だけは無駄遣いをして大垣経済を崩壊させた。市制百周年記念行事で3億5千万円も散財して、その会計報告さえ秘密条令を盾に公開しない。それでどういう付加価値を大垣市にもたらしたのか。その翌年も大垣市の公示地価は下落である。この行事の失敗が明白である。

 小川敏は県下一豪華な新市庁舎を建てた。市民一人当たりの負担金は県下一である。大垣市を賢政で発展させたのなら許せるが、愚政で衰退させたのだから許せない。

 小川敏は、小倉前市長の放漫投資を抑制したのは良いが、未来への投資を削減しすぎである。それを吝嗇という。過ぎたるは猶及ばざるが如し。それは両親からの洗脳であったようだ。

 

「知識偏重学閥病」「老害病」をぶっ飛ばせ

 50年前の記憶力テストの成績だけが良かった人が、行政の指導者では、都市は衰退が必至である。50年前、頭脳明晰であった人が、70歳になって頭脳明晰であるわけがない。普通の人は、ボケが始る。日本の指導者層は、高齢者ばかりで、老害の影響が大きい。日本の指導層の若さが失われて、日本の活力が失われた。

 日本政府の森喜朗元オリンピック会長(1937年生まれ、82歳)、麻生大臣(1940年生まれ、80歳)、二階俊博幹事長(1939年生まれ、82歳)、菅総理(1948年生まれ、72歳)が政治を牛耳っていれば、日本の活力が失われて同然である。

 大垣市の小川敏は1950年生まれ、70歳である。これがその老害での事例である。

 

 柔軟な発想の福岡市の高島宗一郎市長(1974年生まれ、46歳)に率いられた福岡市は、日本一の成長を遂げている。福岡市は起業も第一位で活発だし、子育て体制も素晴らしく、人口増加率も第一位である。

 大垣市とは大違いだ。大垣で成長したのは、御用新聞のフェイクニュースだけである。大垣市は、この20年間で大垣市民の財産や付加価値が半分以下に激減した。

 

 小川敏は20年間、無能無策政治の独裁政治で70歳まで、大垣に君臨するから、ヒラメ軍団が繁殖し、腐敗が横行する。長期政権で腐敗しなかった歴史はない。リーダには若く、燃えるエネルギーがないとダメである。リーダが老いて疲れていては、大垣市行政の方向付けの行動が鈍る。

 年老いても心が青春でないとダメである。IT化と掛け声だけで、格好だけのシステム導入をすれば、税金の無駄遣いだ。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。それが自然界である。

 小川敏の辞める弁が「心身ともに疲れた」では、大垣市が、老害で衰退したことの証しである。

 心が青春でない政治家は去れ。

 

青春の心

 下記の詩「青春」はよい詩だ。夢を与えてくれる。私はこの詩を座右銘にしている。かのケンタッキーフライドチキンのおじさんも、あの事業を50歳の半ばから始めたことを思うと、肉体的年齢で青年や老人の区別などで頓着していられまい。私は死ぬまで青春として生きていきたい。

 この詩をマッカーサーは東京のGHQの執務室に掲げていたという。松下幸之助翁もこの詩をアレンジして、自分の座右銘にしていた。この詩を愛読した世の著名人は多い。かのマッカーサー司令官も解任されて日本からの帰国後、議会で「老兵は死なず。ただ消えそくのみ・・ 」と演説したが、この詩が頭にあれはもっと違った表現をしたと思うのであるが。なんと元気のない表現であろうかと残念に思う。私は彼が軍人としての役目を終え、次の自分の青春として役目を模索していたと私は信じている。そうでなければ、この演説は、「青春」を座右銘にしてきた人の言葉ではない。

 青春を続けるためには、自分への設備投資が不可欠である。個人でも企業でも、未来への設備投資なくして発展はない。私は、自身への投資を疎かにしたことはないと自負できる。

 大垣市がここまで没落したのは、小川敏に「青春の心」がなかったからだ。最初から、エリート意識で、保守的な老人の心境で政治に取り組んでから、青春の心は不要であった。だから大垣市は没落した。小川敏は後ろ向きの節約節約ばかりで、未来への投資を削減したためだ。よりによって大垣の未来を創ってれる子供たちへの教育費を、小川敏は最低レベルまで落とした。情けない。

 

青春              サムエル・ウルマン

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。

 

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

 

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心もしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥となる。

 

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から、美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。

 

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲歎の氷に閉される時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波を捉えるかぎり、80歳であろう人は青春として生きる。

  宇野収・作山宗久著 『青春』より(産業能率大学出版部刊)

          1994.05.23一部修正追記 小田

 

 

2021-03-25   久志能幾研究所通信 1961 小田泰仙

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