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2020年6月19日 (金)

小川敏の騙しの手口(?)を公開

小川敏に騙されないために

 

 市長の小川敏は、新型コロナウイルス対策予算を補正予算として提出して、5月13日に大垣市議会で可決された。その報告が2020年6月15日付「広報おおがき」の「市長のかがやきメール」に自慢話として掲載された。このメールに典型的な詐欺のような表現が多用されていた。このメールは詐欺のような雛形資料として一級品である。

20200615

 2020年6月15日付「広報おおがき」

 

1 派手なキャッチコピーがあれば注意しよう。

 「緊急コロナ対策 ばんばろう大垣プロジェクトと銘打っているが、中身がなくお粗末な対策である。仰々しい名前で、いかにもやっているように見せる詐欺的手法である。

 今回の大垣市のコロナ対策費は、市民一人当たりに換算すると、海津市の10分の一以下である。

 大垣市のコロナ対策費は、前回の大垣市制100周年記念行事の予算3億5千万円より少ない2億円2480万円である。大垣市制100周年は、日本全国どこの都市も自動的に巡ってくる100周年である。しかし今回のコロナ禍は歴史的大災害なのに、小川敏は雀の涙金の支援で胡麻化している。市民を馬鹿にするな。

 自分たちが給与カットをしないことは、口が裂けても言わない。騙しのテクニックである。海津市は市長、副市長、教育長、議員が自主的に給与カットをしているのと大違いである。それでいて、小川敏らは経済的に年収が減っていないのに、特別給付金10万円を貰っている。

 国がやっていることを、大垣がやっているように記載するのも騙しのテクニックである。

 「かがやきメール」との題名も、騙しのテクニックである。このメールの何処が輝いているのか? 輝いていないから、後から突っ込まれないように「輝き」「かがやき」とひらがなである。文字数が多いと人は心理的に騙されやすい。

2 細かい話を始めたら、疑おう。

 細かい目玉の項目に目を逸らされず、全体として、その対策が、他市に比べてどういう位置付けかを考えよう。

 今回は、大垣市の対策費は海津市の10分の1以下というお粗末さである。小川敏は、それから目を逸らすため、細かい項目を4つも展開して話をごまかしている。総額で見れば、スズメの涙金である。

 このコラムの構成は、下記の4項目で、末梢的な話ばかりである。

 1番目の項目は子育て支援

   海津市より見劣りする支援だが、それを如何にも凄いと述べている。

 2番目が中小企業の支援

   国の支援と同じである。

 3番目がプレミア商品券の支援

   1割引きの商品券の販売などケチ臭い対策である。

   海津市は商品券を全市民に配布している。

 4番目が小中学校へのタブレット端末支給

   これは国が指導している内容で、全国の市は全て同じ対応である。

   大垣市が自慢する話ではない。何をいまさらである。

   大垣市の学校のIT化は県下で平均より遅れている。

   小川敏が教育費を自分たちの給与に振り向けためである。

 

3 結論がなければ、疑おう

  その文章で何が言いたいかを探る。

  細かい話を最初に持ってきていれば、それは騙しのテクニック

  各論ではなく、市民一人当たりの金額で判断する。

  総論、結論、全国でどういう位置付けかを確認する。

 

4 絶対額に惑わされない

  市民一人当たりの金額で比較しよう。絶対額が大きくても、市民一人当たりに換算すると、真実が見えてくる。

 大垣市のコロナ対策費は一人当たり1,415円、海津市のそれは15,149円。

 大垣市の児童生徒一人当たりの教育費を100とすると、多治見市のそれは158。

   それなのに、小川敏は「大垣は子育て日本一」と大嘘を言っている。

 

 小川敏は、市民から寄付金として、毎年7.2億円も強要して集金しているが、市民にはこの新型コロナ対策費で2.2億円しか還元しない。これが小川敏の本性を表している。

 

コロナ対策費比較

           大垣市     海津市

人口         158,832人    33,004人(2020年1月1日)

令和2年度一般予算   603億円     150億円

コロナ対策費     2億円2480万円   5億円

市民一人当たり対策費   1,415円   15,149円

 

 

一般会計に占める寄付金比率比較

  令和2年度一般会計収入 うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円    0.02億円   0.003%

.

大垣市の教育は県下最低レベル(2019年)

      一人当り予算   児童生徒数 

         千円  大垣100で   人

 多治見市    735    158    8,862  

 岐阜市     529    114    32,074  

 可児市     517    111    8,352   

 大垣市     465    100    14,400  

 各務ヶ原市   445     96    12,525   

 刈谷市(愛知県)918    197    11,120 

 

5 表現に騙されないように

 「~と思います」とあれば、定石の騙しのテクニックである。思うだけで、実際にやらなくても責任を問われない。小川敏の言葉には、この「~と思います」が多用されている。

この文章の末尾に、「継続的に暮らしや教育、経済などを支援してまいりたいと思います」とある。本来は、「暮らしや教育、経済などを継続的に支援します」とする。「~と思います」と書くのが詐欺的な(?)常とう手口である。

 「継続的に」の形容詞の位置も故意的に配置されている。そう書けば、「経済などを継続的支援して」に関して、責任を問われない。責任逃れの表現である。

 

6 そのコラム欄の図を疑おう

 コラム欄に顔をキャラクターにして載せるのは不要である。人の顔は年々変化している。それを似顔絵でごまかしているのは、要注意である。小川敏の顔が19年間も同じであるはずがない。今は老人特有のシミが顔に出ている。旨いものを食べ過ぎた肥満の顔である。小川敏自身が、公衆の面前で「私はメタボです」と自嘲している。

 そのキャラクター図は洗脳教育の図である。そのスペースがあれば、もっと伝達することを書けるはず。大事なことを伝達しないための誤魔化しである。

 

2020-06-19 久志能幾研究所通信 1638  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月18日 (木)

3.技術と芸術の対比 政治の位置付け 

3-1) レオナルド・ダ・ビンチ  

 以前(1991年)、パリ行きのジャンボ機の中で隣に座った画商より、「本物の絵の値段は人間一人の命の値段と同じ」と聞いた事がある。今回(1991年)、まだまだ私も若い時に、パリとロンドンの美術館で、絵画史上有名な実物の絵画をまの当たりにみて、その意味の微かな香りを嗅げたのは幸せであった。特に、芸術家であり技術者であったレオナルド・ダ・ビンチは、技術者としてなにかと注目せざるを得ない人である。今回彼の作品を目のあたりに接して何物にも変えがたい感動を味わえた。

 レオナルド・ダ・ビンチは技術者としての側面を持っている。そのため、その画風には何処か数学的に計算つくされた香りが漂ってきて、緻密な設計図を観る趣があり、技術者の一人として安心していられる。これが同時代若しくは現代迄の画家と違う所だと思う。また彼ほどあちこちの美術館、博物館に顔を出している芸術家はない。特に科学博物館まで出演しているのは彼だけである。(図7)

 歴史に残る作品は其なりの雰囲気を持っているが、技術者のハシクレの一人としてこういった物が残せる様な仕事がしたいという気持ちがある。科学工業英語セミナーの篠田先生の講義の出会いは、こんいう機会をもたらせてくれた。篠田先生に出会わなければ、コミュニケーションへの理解が違った方向を向いていたかもしれない。コミュニケーションは私もコンピュータのフローチャートを通じて求めていたテーマであった。それを篠田先生の講義によって頭の整理が出来た。

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  英国科学技術博物館にて  1991年6月9日

 

技術者の表現能力

 技術者と言う人種は、文学者(営業向きの人種と言っては語弊が有るが)と違って100を知っていても10とか20しか表に出さない口の重たい人種である。しかし後者は逆に100を知っていても、それを200にも500にも拡大して表現してしまう傾向にある。こう見るのは技術者としての私の偏見であろうか。

 しかし私は篠田義明先生から「自分の考えたこと、伝えたいことを必要かつ充分に簡潔に、表現する技術を学ぶことが仕事をするうえで重要だ」と教えていただいた。

 芸術と技術の違いは、その作品が個人に帰属するか組織に帰属するかで分かれる。芸術はその個人の持つ能力の最大限の表現となる。これは個人の能力そのものとなるので、数百年前の芸術作品に出会っても我々は感激出来る。しかし技術は集団の能力の結集したものであり、その作品毎にその技術を踏まえて自己発展していく傾向にある。この点から言っても過去の技術の蓄積、伝承は工業国家として欠けがいのない要素と成ろう。そういう点で個人主義の発展した欧米の技術面での最近の凋落ぶり上記の要素が一因と思えてしまう。

 芸術、文学、論文、エッセイ等はその制作上で習得しなければならない技法、手法が存在するが、それ以上に作者の思い、こだわり、心からの込み上げるもの、ある意味の怨念等が籠もっていない作品は、何処か美しいだけで線が細い。

 

3-2) 組織としての芸術、個人としての芸術

 古代、中世、近世、現代の美術を観て感じたことは、組織としての工芸美術品と個人の命の表現としの芸術の違いであった。

 芸術作品はその技法、技術としての発達は古代よりの歴史を見れば、確実では有るが除々にしか変化していないことがよいわかる。これは技術の発展の歴史に比べればその差は自明である。

 芸術の場合は個人の能力に依存する要素が極めて大きく、我々が現代の目で見ても、昔の作品はそれなりの価値観があり、現代のあるかなりの水準以上の才能が無ければ同じ物が生みだせない。だからこそ、こういう芸術作品は永遠に受け継がれていると考える。また当時と同じ感激が現代の我々も味わえる。これは人が命を捧げて編み出した物で、その価値は人間一人の値段と同じなのが理解出来よう。

 技術はあくまでも過去の蓄積の上に成り立っており、個人ベースと言うより組織としての作品の意味合いが強い。我々の技術は過去のだれかの業績の上に成り立っている事を認識すべきある。だからこそその権利として受けた恩恵を、今度は義務として後世に伝える義務がある。この技術伝承の形態の差は美術館と博物館とで良く識別できる。

 そういった意味で古代の王族用の美術、工芸品は多分に組織の匂いが感じられて、作成者の命の息吹が感じられにくく、感動が少ないように思う。これはその作品が命令によって作成され、あたかも工業製品を作るように製作されたせいだと思う。

              以上初稿1991年、2020年6月18日改定

 

経営・政治の設計図

 もともと政治とは自分の思想を実現する仕組みである。その政治の仕組みにトップに思想が表れる。それは経営であり、芸術作品でもある。仕組みである以上は設計図がなければならぬ。政治も経営も芸術作品であるので、そのスケッチ、図面、計画が緻密に計算されてなければ、完成した作品は、不良品になる。

 中曾根康弘元首相は、首相になる前、百冊近いノートにやりたいこと(国家のデザイン図)を書き綴ったといわれる。だから歴代の首相の中では光っている業績を上げた。

 それに対して大垣の小川敏は、前職の小倉満市長の突然の死で、たまたま市長の座が転げ込んできたので、大垣市をどうするかの計画など全くなかったようだ。だからこの19年間の市政では、無為無策の有様となった。

 芸術も政治もその絵を描くには、設計図が必用だ。大垣市の未来にどういう絵を描くか、その熱い思いがない輩が市長になると、その市は没落する。小川敏に支配された大垣が事例である。

 

人生経営の設計図

 自分の人生も同じで、その設計図、航海図がなければ、有意義な人生は送れない。その設計図も毎年、状況に合わせて修正を加えなければ、世相の変化に対応しなければ人生で沈没する。

 

2020-06-18 久志能幾研究所通信 1637 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 9日 (火)

小川敏は、現代のドン・キホーテ

小川敏は、言葉の使い方も知らない。子供と同じ。

小川敏は、「新型コロナ猛威」を「影響」としか見ない

小川敏は、「新型コロナ」を6選の事前選挙運動として活用

 

 小川敏は「新型コロナウイルスの影響」に市独自の支援をすると宣言している。小川敏は、全国で非常事態宣言まで出しているこの人類に猛威を振るう災害を単なる「影響」と扱っている。全世界で死者が40万人の死者、日本でも916人(6月8日現在)の非常事態なのだ。日本経済新聞は、その記事の中で、コロナの「猛威」との表現をしている(2020年6月8日付新聞紙面)。

 しかし小川敏にとってこの猛威の「災害」は「影響」でしかないから、大した対策を取らなくてよいのだ。小川敏にとって、この災害は、市民から寄付を受けて、新聞の売名行為で写真を掲載させられる絶好の市長選前運動なのだ。だから市民一人当たりで、大垣市は、海津市の1/10の対策費しかださない。

 

 「影響」とは「他に働きを及ぼして反応や変化を起こさせること」(精選版 日本国語大辞典)である。それは子供の認識である。今回の騒動は「災害」である。「災害」とは「天災、火災、事故など思いがけず受けるわざわい」である。

 

 小川敏は、「新型コロナウイルスの大災害」を「影響」として対応するから、金もケチり、自分達の身を切る痛みも感じない対策しかできないのだ。だから竹槍精神の「がんばろう大垣プロジェクト」を暢気に唱えて悦に入っている。まるで風車をドラゴンと勘違いして、突撃するドン・キホーテである。そんな認識しかできないトップでは市長の資格がない。市民の命が危ない。

Photo

『Wao! Club 2020年6月』より

 

2020-06-09 久志能幾研究所通信 1625 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2020年6月 5日 (金)

観察記:スミソニアン航空宇宙博物館と大垣市狂走(2/2)

大本営発表の亡霊

太平洋戦争のデータ

 海軍機のコーナで、太平洋戦争での日米の消耗戦の状況をグラフで示してあるのには感心した。時間系列で、沈んだ艦船のトン数、潜水艦の消耗トン等が日米の比較をグラフで示している。こういった冷酷な数値・グラフで示すのが、アメリカの合理主義である。人を説得するのは、感情を排した冷静なデータしかない。それこそテクニカルライティングの神髄である。他のコーナでは、ついぞこんなグラフにはお目にかからなかったので余計目についた。

 それに対して日本の大本営発表は形容詞に満ちて、精神論が前面に出る。いくら形容詞も使って表現しても、こういった数値、グラフの説得にはかなわない。何ごとも他と比較して考えないと、政府に騙される。日本国民は政府に騙されて、玉砕寸前まで追い詰められた。

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 太平洋戦争の日米の消耗戦のデータ。赤丸が日本のデータ    

 日米の格差が冷酷に表示されている

 

大本営発表に便乗の大新聞

 太平洋戦争中の大本営は、軍部に都合の良い報道しかしなかった。データの裏付けのない大嘘の発表ばかりであった。国民はそれが嘘であることに薄々は気が付いていたが、秘密警察の憲兵が怖しくて、口外できなかった。

 太平洋戦争前もイケイケどんどんの報道ばかりで、日本を戦争に駆り立てたのは朝日新聞等であった。曰く、満州は日本の生命線、満州を開拓しよう、鬼畜米英に負けるな、英霊の神風特攻隊万歳である。新聞社も戦争の記事のほうが景気良く、新聞部数も伸びるからである。

 

現代の大本営発表

 拝金主義のグローバル企業に支配されたマスコミは、反グローバル経済主義のトランプ大統領が大嫌いで、やることなすこと反対である。だから大手の米国マスコミはトランプの選挙の優位を報道できず、トランプ当選を予想できず大恥をかいた。また大手マスコミは、フェイクニュースが多いのが露見した。

 大手マスコミは、旧日本の大本営発表と変わらない。それはイギリスのEU離脱報道でも同じであった。今のマスコミは、拝金主義者に支配されている。それを念頭に報道を見ないと、洗脳される。

 現在でも、全世界が中国のやり方に大ブーイングをしていても、日本のマスコミはそれを小さくしか報道しない。日本のマスコミは、中国に気兼ねをしている。その原因は、マスコミのスポンサーである日本の大企業が、中国の商売に未練があるからだ。日本のマスコミは、中国に何度も煮え湯を飲まされても、強欲に取りつかれて、目が覚めない。中国が毎日、領空侵犯、領海侵犯をして、日本領土が奪われる危機があるのに、中国市場に未練がある日本財界の意向を受けて、日本のマスコミはそれを報道さえしない。

 

大垣市の御用新聞・岐阜新聞は大本営発表

 今でも大垣市の小川敏の意向を受けた御用新聞の岐阜新聞は、小川敏に都合の悪いことは報道しない。大垣の御用新聞の体質は、戦前と変わっていない。読売新聞が海津市の5億円のコロナ対策費を大きく報道しても、岐阜新聞は、2020年6月2日の紙面で、小川敏に気兼ねをして、記事中に小さく5億円を記載する。タイトルで「海津市、買い物券配布」である。完全に報道を捻じ曲げて、読者の注目を浴びない細工をしている。正に偏向報道である。5億円が、市民一人当たりで計算すると、大垣市の10倍であることは報道しない。

 岐阜新聞は、そのフェイクニュースまがいのタイトルで、大垣市の無策ぶりを目立たなくさせる意図が明白である。そのタイトルは嘘ではないが、報道人として無能のタイトルである。報道人は、「買い物券配布」といった抹消的な事象を報道するのは子供である。市長として、危機管理上でどうしたかを報道すべきである。

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 岐阜新聞 2020年6月2日

 

大垣市・小川敏の大本営発表

 大垣市では、小川敏が口先だけの宣伝で、市民に誤解を与えて続けている。結果として騙していると同じである。小川敏は針小棒大の言葉の魔術使である。曰く、大垣は子育て日本一、安全第一、大垣独自のコロナ対策、新市庁舎で街の活性化、元気ハツラツ市で街の活性化、カメの池で街の活性化、等である。すべて大ウソである。

 小川敏の19年間の無為無策で、県下で大垣市だけが、没落が一番大きい。大垣市の公示価格の下落が総てを表している。市場の評価は、神の如くの評価をする。(松下幸之助翁の言葉)

 今回の新型コロナウイルス対策でも、やっていることを針小棒大に説明するが、その対策費の総額は口が裂けても言わない。実質的に無為無策であることが露見するからだ。大垣市のコロナ対策費は、市民一人当たりで海津市の1/10以下である。この非常事態で、小川敏は危機管理能力がないことが露見した。彼は無能指揮官である。

 

2020-06-05 久志能幾研究所通信 1619  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 3日 (水)

小川敏コロナ対策は大便ごとき、海津市の1/10以下

 海津市(人口3万人、予算規模150億円)は、2020年6月1日、コロナ対策で5億円を補正予算計上すると発表した。それに対して、大垣市(人口16万人、予算規模603億円)のコロナ対策費は、たったの2億2480万円である。

 それを市民一人当たりで計算すると大垣市のコロナ対策費は、たった1415円で、海津市の1/10以下である。大垣市は、小川敏の口先だけ、カッコだけの対策である。それを小川敏は、針小棒大に発表する。その発表文に肝心の対策費の総額は記載されない。金額が少なすぎて恥ずかしいからだ。

 海津市は、その財源確保で、市長や副市長、教育庁が給与を20%~10%を減らす処置で、痛みを感じる対策を打っている。大垣市は全くその処置はない。ぬくぬくとした小川敏に、子育て日本一を謳うに資格があるのか。

 

コロナ対策費比較

           大垣市     海津市

人口         158,832人    33,004人(2020年1月1日)

令和2年度一般予算   603億円     150億円

コロナ対策費     2億円2480万円   5億円

市民一人当たり対策費   1,415円   15,149円

 

子供へ         5千円ギフト券    1万円を補助

市民へ          なし       3000円の買い物券

新生児に        なし        1万円を補助

一人親限定で      2万円

(数が少ない)

市長給与の減額     なし    市長の給与を 20%減

(財源確保)            副市長の給与を15%減

                  教育長の給与を10%減

        口先、カッコだけの対策  長が痛みを感じる対策

 

疑問

 何故、緊急事態宣言でも収入減の影響を受けない公務員が、特別給付金10万円を支給されるのか。世の中が狂っている。なぜ大垣市の役人は辞退しないのか。

 

大便のような対策

 大垣市のトピックス、新着情報の伝達に「おおがき便」と名付けるセンスを疑う。まるで長期政権で腐敗した大垣市市政の大便を連想させる。わざわざ「おおがき便(びん)と言い訳をしなければならないお粗末さである。この名前では(びんと毎回言い訳の活字を入れなければならぬ。そのスペース分、伝えるべき情報が減る。ひらがなも漢字でも、文字数が増えれば、その分、印刷費用が発生する。役人は命名の基本さえ知らない。私なら当たり前の誰でもわかる「大垣通信」と名付ける。

 「便」とは「人」と「更」からなり、「更」は力を加えて変えるの意味である。要は人(小川敏)の都合のよいように変えるの意味があるから、都合がよいの意味を表す。(『新漢語林』より)

 「大垣」をひらがなにする必然性もない。「大垣」「おおがき」とは全く違う意味なのだ。「大垣」が意匠登録してあるかどうかは未調査だが、その観点で、市の名前は漢字が正式である。

 名前は命なのだ。名前を見れば、全てがわかる。それを見れば、名付けた人物の性格さえわかる。命名者は、物事に名前を付ける際に、誤解を受けないような気配りさが全くない。コスト意識もない。杜撰な性格なのだ。上記の対策を見ると、役人根性丸出しのまさに大便のような対策である。

Photo

  コロナ対策費の総額はどこにも記載がない。小川敏は「がんばろう」の精神論の口先だけ。小川敏は金を出さない。

 

2020-06-03 久志能幾研究所通信 1617  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月 4日 (月)

「知情意」の世界を考察

「知情意」を活かす

 人生成功の秘訣は、切り替えを早くすること。何時までも愚痴っていてはダメ。それを「智慧がない」という。智慧ある人はグズグズしない。人生はいつもルンルン気分の時ばかりではない。不遇の時でも、愚痴を言わず、早く気持ちを切り替えよう。その不運は、いつまでも続かない。

 心豊かな人は無理をしない。ジックリと見ていく心がある。それがである。情とは「忄(心)」が「青い」と書く。つまり心が青春である状態である。心が青いから、余裕があり、感受性が豊かなのだ。「怕」とは「心」が老人のように「白く」なって、恐れている状態を示す。心が老化しては、感情は動かない。

 何ごとも「有意」で事に当たる。「無意識」で行動してはダメである。どんな状況でも、どんな些細なことでも、真剣に「意」を込めて事に当たる。無意識にやってはダメなのだ。

 馬場恵峰師の知己塾(2006年12月2日)での言葉を編集・加筆。  

 

西洋人と日本人の差

 「知情意」とは「知性」、「感情」、「意思」の意味で、哲学者カントが提唱した言葉と言われる。人間はこの3つのバランスの上で動いている。西洋人は、知と論理構成を優先して動いている。テクニカルライティングもその技法は、論理構成が主体である。それが発展してAI技術となっている。

 ところが日本では論理構成より情が優先される場合が多い。その「情」には義理、徳、恩義、情熱、悲情が含まれ、人は論理だけで物事を処理しているわけではない。

 人に頼み事をお願いに行って「君の言うことはさっぱり分からないが、私は君が好きだから、賛同してあげる」と支離滅裂な展開になることがある。

 私は会社時代では、この論理性を最優先にして仕事を進め、文書で相手を説得してきた。しかし私の文書は、冒頭に結論を単刀直入で書くので「君の書く文書はキツイ」と敬遠され、仕事が理屈通りに行ったわけではない。

 「日本人だから“情”を大事にして何が悪い。ものごとは論理だけではない」と暗に煙たがられてうまく行かないことが多かった。要は、「俺はあんたが嫌いだ。言うことの理屈は合っているが、賛同できない」である。ミシガン大学で学んだ論理構成の無力さに途方に暮れた。

 コミュニケーションは相手に合わせて、その論理構成を変える必要があるようだ。コミュニケーションとは意思の伝達である。文書で当方の意図は「伝」はされても、実際の相手の心に「達」するのは難しい。日本では、それには「情」を付加することが必要のようだ。だから私は文書に人格を込めて、その「情」以上の価値を込めるように心がけている。

 

2020-05-04 久志能幾研究所通信 1566 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年3月25日 (水)

磨墨知151-1 無意にブログを読み漁らない

結論が最初に書いていないブログを読まない。

付加価値がないブログを読まない。

自分の人生に影響しないブログを読まない。

それはTV番組でも本でも、行事や人との付き合いでも同じである。

題名に、話題(topic)と目的語(purpose)のないブログを読まない。

 

 「ブログはあくまでも個人日記。金の粒が落ちている可能性はありますが、金の鉱脈はありません。特にネット検索初心者にとってブログを熱心に読み漁るのはネットサーフィンにもつながる不毛な行為だと思います。」

  『内藤式「ザ・検索術」』の著者で心理学者の内藤誼人氏のコメント

  『プレジデント』2007.3.19号 p59

 

 人のブログを見ると、上記のコメントに納得させられる。そのブログの記事で何を言いたいのか、何を伝えたいのか、それが曖昧なブログが氾濫している。文書を読む以上、そこから得られる情報で自分の行動が変わらなければ、テレビを時間つぶしに眺めると同じで、時間の無駄である。時間は命なのだ。

 それはバラエティーショー番組で、見識のかけらもない芸人が、コメントを垂れ流す番組を見ると同じで、人生の無駄である。時間は有意に使わないと、人生が無意に過ぎてしまう。

 

無意から有意へ

 人は白紙で生まれてきたので、一番多く見たり、聞いたり、読んだりしたことしかできない。無意な情報に多く接せると、無意な行動しかとれなくなる。それは洗脳教育と同じである。それが認知症への階段を上ることになる。無意な情報を避け、有意な情報に接するべきなのだ。

 

情報の提供

 私はブログ記事を書く場合、読み手に何らかの付加価値を提供する意図で書いている。私は単なる日記としては書いていない。将来の行動にフィードバックできるように、事件の記録として書いている。

 私のブログでは、結論を最初に書き、ビジネス文書として構成している。それで何を伝えたいかを明確にしている。私が一番大事にしていることは、タイトルである。そこに文書の全てを表すタイトルにすることに注力する。次に大事なトピックセンテンス(核文)にも最大の注意を注ぐ。

 記事を読んでいただくことは、相手の時間を頂くことなのだ。自分の意見が正しいことを教えて頂いたのだと考える。人の時間を頂く以上は、倍返しで価値ある情報を提供することで、それに応えたいと思う。読んでよかったな、と思う記事を目指している。その情報で、少しでも読者の人生が変われば本望である。

 その情報で、読者の生きざま、行動、行く末に修正を加えて、皆さんの志、夢の実現に向けて、0.01歩でも前進すれば嬉しい。それで社会が良くなる。毎回のブログが私の遺稿なのだと決意して書いている。将来はこれを編集して出版予定です。

 

知りたることを教えざるは、金を借りて返さざるが如し(お釈迦様の教え)

Img_64031s  馬場恵峰書          時間は命なのだ。

 

2020-03-24 久志能幾研究所通信 1512 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 8日 (土)

「当ブログへの悪意あるコメント」を検証

 2020年1月23日付けの当ブログ記事「狂った大垣教育行政、働き方改善、児童を犠牲」に対して、匿名(ひまころ)のコメントが寄せられた。内容的に悪意ある妨害コメントである。彼は大垣市のまわしものと推定される。彼は大垣市を良くする運動の敵である。

 

道元禅師の教え

 「しるべし仏家には数の殊列を対論することなく、法の浅深を選ばず。ただ修行の真偽をしるべし」 道元禅師「正法眼蔵・辯道話」

 道元禅師は、教えが優れているかとかいないとか、そんな些細なことを討論するのではなく、その事の真偽、本質を問うべきで、それが正しかどうかだけを問いなさいと述べておられる。そんなことよりも自分が真実を行じ得ているかだけを問え、と教えておられる。

 

「ひまころ」氏は当ブログの主張を曲げて解釈

 この「ひまころ」氏のコメントの結論は、私が主張した「大垣の子供の教育環境が悪い」の論文の主旨を捻じ曲げ、論理を別に変えて論じている。要は著者の主張を妨害しているコメントである。

 「ひまころ」氏は、教員の給与は低いほど良いとの考えのようだ。1972年に総理大臣に就任した田中角栄元総理は、1974年、日本の小学校教育の質を高めるため小学校の教員の「人材確保法」を制定して、一般職員よりも25%も高い給与にする政治を行った。そうやって日本の未来を背負う子供たちのために教員を集めるため金をつぎ込み日本の未来のために「投資」をした。

 今の経済停滞の日本で、最優先課題は教育である。それなのに、教育行政に無能な小川敏は、田中角栄元総理と真逆の政策を執り、大垣市の教員の給与を県下最低レベルに落とし、一般職員の給与を県下一の高さに引き上げた。今は岐阜市のそれより200万円以上の差がある。それでは大垣市の子供の教育は他市に負ける。これでは大垣の子供達は、将来、正社員になれる人の数が減るはずだ。一生、フリータ、派遣社員では、生涯収入で正社員のそれとで2億円の差が発生する。

 「ひまころ氏」は、小川敏の肩を持つようだ。子供を持つ親に対して、恥ずかしくないのだろうか。大垣の未来を破壊する小川敏を擁護して、恥ずかしくないのだろうか。田中角栄が草葉の陰で泣いている。

 

コメント分析

 このコメントの内容を一文ずつ分析すると下記になる。要は、結論がない。思いついたことを書きなぐった。支離滅裂の出鱈目の論理構成である。何が言いたいか、全く分からない。悪意があり、文書の途中で論理をすり替えて、自分の都合の良い結論を出している。つまり当ブログを誹謗して妨害している。要は悪質な妨害メールであると結論付けられる。

 

ひまころ氏のコメント全文の検証

第一文  大垣の教育は低コスト体質でよい。

      (「ひまころ」氏は、大垣市の教員の給与が岐阜市のそれより232万円(ひまころ氏のデータで)も低くても問題とは思わないようだ。)

第二文  大垣市の人件費が一番安いと提示

(「ひまころ」氏は、教育に金をかけないのが素晴らしいと褒めている。要は大垣市の教員の給与や低いほど良いという考えである。それから推定すると、氏は教育行政以外の大垣市の行政関係者のようだ。普通の市民なら、こんな教員の年収データを出してこない。よほど深い関係のある関係者であると推定される。)

第三文  少ない予算で成果を出すのが評価される

      (「ひまころ氏」は、大垣市の教育の低コスト体質を褒めている。田中角栄元総理が知ったら激怒するだろう)

第4文  教職員の給与データ

       このデータの出典が明らかでなく、信憑性にかける。何時のデータで、誰が保証したデータなのだ。ここから分かることは、「ひまころ」氏は、緻密な仕事をしたことがない、仕事の出来ない人である。これでは出世は無理。)

第5文  大垣市職員の給与が一番高いが、微差である。

      (「ひまころ」氏は、だから大した問題ではないとしている。ここで論理が破綻している。だから「ひまころ氏」は、大垣市の行政関係者と推定される。)

第6文  大垣市の財政は県下二位

       (「ひまころ」氏は、だから大垣市職員の給与は高くて当然で、大垣市の教員の給与が低いのは知ったことではないと論理をすり替えた。)

第7文  大垣市職員の給与が高いのは時間外手当が多いだけ。

      (「ひまころ」氏は、だから大垣市職員の給与が県下一高くても知ったことではないと問題をすり替えた)

第8文  だから「久志能幾ブログは間違いだ」

      (「ひまころ」氏は、この一文を言いたいだけで、要は当ブログを妨害したいだけであると断定できた。)

 

 

コメント原文(ひまころ IP 221.45.6.2.)

児童一人当り教育予算が高いと一見良いように見えますが、逆に言えば高コスト体質ということなんですよね。

主な各市の教職員の平均年収を比較したら、大垣市が一番人件費が低いわけです。教育予算って大部分が先生の人件費ですから。大事なのは予算をたくさん使うことより、少ない予算でどれだけ成果を出せているかではないでしょうか。

 

■教職員の平均年収

 

大垣市 545万円

多治見市 585万円

岐阜市 787万円

可児市 667万円

各務原市 804万円

 

あと大垣市職員の年収が岐阜市より高いと言っても僅かな差ですし、内訳を見れば時間外手当てが多いだけですからね。

大垣市役所は岐阜市役所より労働の拘束時間が長いだけなのです。それがいいか悪いかはその人次第です。

 

あと財政力指数番付でいえば、大垣市は岐南町に次いで県内2位ですからね。岐阜市より全然いいわけです。

 

この記事は、都合のいいデータだけを持ってきて、都合のいい主張をしているだけだなと思いました。

 

投稿: ひまころ | 2020年1月27日 (月) 20時42分

 

コメント・メールの迷惑

 どんなメールでもコメントでも、それが掲示され、当方にメールで来ると、読まないといけない。それが妨害メールでも、である。その論理が出鱈目なら、それは仕事の妨害で時間泥棒である。それが今回の「ひまころ氏」のコメントに当てはまる。

 コメントを読むのは私だけではない。累計140,000回余を読んでくださった読者の時間を無駄にしているのだ。時間コスト一分100円で計算すると膨大な時間ロスである。いわば犯罪である。

 

IPアドレスは全世界で唯一

 IPアドレスは、各パソコンに付けられた全世界で唯一の名前である。だから、いくら匿名だとしてもその個人を特定することは技術的に可能である。ネット上に、そのアドレスで、各種のHP登録、アンケート投稿、商品購入、いいね」等のクリックで、そのアドレスの履歴が残り、それからその人の性格分析まで可能である。我々はIT技術の進化で、プライバシーが裸にされた世界に住んでいるのだ。「ひまころ氏」は、それさえ知らないIT音痴と推定される。文体も幼稚、論理構成もダメ、文書スタイルも幼稚なスタイルである。これでコメントをブログに流すと社会に害毒を流すことになる。こんな文書では、組織で出世もできまい。私が上司なら、左遷対象とする。

 なにより怒りが沸き起こるのは、大垣市と大垣市の教育、大垣市の未来を良く良くしようとしている活動を妨害したことである。要は「ひまころ氏」は大垣市の敵である。

 

2020-02-08 久志能幾研究所通信 1475  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月25日 (土)

アウトプットはスピード最優先 「非事勿主義」

 私のアウトプットは文書である。その出力の付加価値を上げるためには、スピードを最優先として処理している。

 私の文書に誤字脱字が多いと指摘する人がいる。過去の仕事仲間では、そういう人は、仕事の出来ない人が多かった。末梢的な事にこだわり、仕事の本質を後回しにする人である。文書を書いて仕事をしていない人たちである。

 

雑誌原稿のチェック体制の例

 私が前職で技術広報誌の編集業務をしていた時(実質的に編集長)、最終原稿を校正者5人ほどで集まって校正するのだが、それでも誤字脱字が見逃されることが多い。人は活字になるとそれが正しいと思い込んで、そのミスが発見されにくい。ましてやPCの画面上ではミスは発見できない。他人でも発見できないのに、本人ではなおさら発見が難しい。

 またその英文原稿を現地人に校正・添削してもらったが、その校正レベルが酷かった。現地人が英文の正しい英語に精通しているわけではない。英文でも、テクニカルライティング的にしかるべき書き方がある。それが印刷だと正しく見えてしまう。

 特にチェック者がいなくて自分だけで作る資料は、そのミスが多い。私もブログにアップする前に印刷して4,5回は紙でチェックをして修正をするのだが、それでも一人だけのチェックではミスを見逃すことが多い。ミスを無くすことにかかる時間は膨大である。

 それよりも、多少のミスを覚悟して、スピードと量で世に問うほうが、結果として良質な仕事が出来る。完全無欠の文書を作成するために、誤字脱字の校正に時間をかければ、その生産量は半分以下になるだろう。それでは仕事が回らない。

 

私の文書作成方針

 私がこだわるのは、文書の論理構成と文書の伝達意図の明確化、分かりやすい文言、スタイル、構成である。如何に早く理解してもらう文書構成にするかに心血を注ぐ。

 他人が私の文書で、誤字脱字を指摘するからには、その意味は通じているので、それをヨシとしたい。意味が反対に取られなければヨシとしたい。私はカネを貰って文書を書いているわけではない。出版する場合とは別である。多少の誤字脱字は愛嬌であるとしている。人は神ではないのだ。早く情報を伝えるのが最優先である。

 

な言葉よりも正しい論理構成

 往々に誤字脱字のない正確な文書は、竹下登元総理のような言語明瞭・意味不明の文体が多い。「誤字脱字のない文書でも、それで何を言いたいのだ」との文書にそれが顕著である。

 それより多少は言い間違いが多い田中角栄元総理の論法が、愛嬌があり、私は好きだ。それで角栄の言いたいことは理解できる。だから田中角栄総理は竹下登総理より多くの仕事をした。

 仕事でも多少のミスを覚悟して、前に進めた方が、多くの仕事と己の成長が出来る。石橋を叩きすぎて、その石橋を壊してはならない。それはお役人の世界である。

 

正確を期して何もしない役人

 だから役人に支配された日本はデフレ経済から脱却できない。間違えないように、指摘をされないようにと、慎重すぎて、役人は仕事をしないからだ。仕事を変えないからだ。そうやって、大垣の役人が何もせず、大垣を衰退させていく。

 

私の決断

 私が物事を決める場合、スピードを優先して決めている。決めて、間違っていることが分かれば、修正すればよいのだ。経営上の最大のミスは、間違った階段に上ったら、メンツで降りて別の階段に行くことをしないことなのだ。間違いは誰でもする。その間違いは早い方がよい。早い方がその軌道修正が楽だのだ。始めなければ、その間違いも気が付かない。命の時間は有限である。その時間を無為に過ごしてはならない。

 

アイデアが大事

 私はブラインドタッチで、頭に思いついたことを、消えないように早くキー入力することに全神経を使ってる。早くタイプするので、タイプミスも多い。当時、オアシスの親指シフトキーボードを使っていた時は、人の2倍の速度で入力をしていた。今は環境の変化で、しぶしぶローマ字入力だが、それでも超スピードで入力である。

 

スピードが優先

 1980年当時、私はローマ字入力、かな入力、親指シフトキーボード入力を入力速度を上げるために習得した。パソコンが出始めた1980年頃、高速キー入力を習得するため、BASIC言語でタイピングソフトも自作して練習に励んだ。全てはスピードを上げるためである。スピードを上げるとタイプミスも多い。そのミスよりも、浮かんだアイデアを大事の育てることを優先して仕事をしてきた。

 

人物鑑定

 それを文書内の枝葉末節である誤字脱字を自慢げに指摘する輩に出会うと哀れに見える。その人が仕事の出来ない人だと分かるからだ。文書を書いたことのない人だと分かるのだ。仕事の優先順位を考えることができない人なのだ。それも私が人物鑑定をするときのデータである。

 

人生はスピードによって決まる

 私は昔からよくいわれる「石橋を叩いて渡る」ということはやらない。石橋だったら叩かずに渡ってしまう。大丈夫だと思ったら時間をかけない。スピードを重んじる。私はスピードによって人生というものは決められると信じている。

 我々には神様から与えられた一定の人生しかない。それゆえ、与えられ、限られた間に、自分の要求をどれだけ満たすかといことが人生最大目標であるかから、それはスピードが絶対必要である。----本田宗一郎談

                 1995.07.22の書き抜き

 

 石橋を叩かずに渡ることによって被るデメリットよりも、人生をスピードアップすることによって得られるメリットのほうがケタ違いに大きい。

城山三郎・他著『本田宗一郎の「人の心を買う術」』(プレジデント社 1991年)

 

2020-01-24 久志能幾研究所通信 1460  小田泰仙

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2019年12月18日 (水)

マスコミの劣化が日本を滅ぼす

 私は以前、新聞や週刊誌を真剣に読んでいたが、最近は色眼鏡をかけて眺めるようになった。特に週刊誌はほどんど買わなくなった。私が新聞を買う時は、事件を異常な観点で記載してある場合、比較対象の資料にしたいので買う。

 以前の週刊誌は、世相を切る記事が多くて、読みごたえがあったように記憶している。今は、扇情的な記事やマッチポンプ的記事が多く、日本の存亡に影響する世界情勢から目を逸らすような記事の氾濫が多いようだ。

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  サクラは見飽きたし、愚かな薬物患者のことなど知ったことではない。

 2019年11月21日に日本経済新聞に掲載された『週刊文春』の広告 

 

世界情勢

 米中覇権戦争、北朝鮮の核実験挑発、韓国反日運動、英国EU離脱、移民問題、少子高齢化問題、憲法問題、尖閣・沖縄への中国の領海領空侵犯事件、日本景気を減退させる消費税増税等と大きな問題が目白押しである。

 それなのに、マスコミはその大事な要件から眼を逸らさせるような記事ばかりである。野党も本論を避け、わき道の議論ばかりである。マスコミも消費税の話しは肯定論ばかりで、それを避けるようにサクラ問題一色である。下劣な沢尻エリカのクスリ問題で大騒ぎである。一河原乞食芸人の犯罪など、日本の存亡には影響しない微々たる問題である。それが週刊誌では大騒ぎである。ワイドショーでも大騒ぎだろうと思う(私はテレビを見ないので推定)。

 

「非武装中立」論

 2019年12月9日、非武装中立論を主義とした日本社会党の石橋政嗣元委員長が亡くなられた。彼は非現実的な理論で日本を迷わせた罪人である。チベットが中国に併呑されたのは、平和憲法がなかったためではなく、軍隊がなかったためである。それでチベットの120万人(人口の20%)が虐殺された。日本人に換算すれば2千万人が虐殺された。戦後、竹島が韓国に奪われたのは、当時、自衛隊という組織がない時期であったためだ。韓国は敗戦のどさくさに紛れて竹島を強盗した。今でも中国は軍事を前面にフィリピンの領域で覇権争いを繰り返している。中国は東シナ海に空母を配置して、虎視眈々と沖縄を狙っている。非武装中立の空論では、日本は滅ぶのだ。非武装中立を謳った社会党が滅んだのは自然の理である。

 

間違った道への誘導作戦

 日米のマスコミはフェイクニュースを堂々と展開している。大事なニュースは報道させない細工をしているようだ。外国の意を受けた陰謀で日本人をノー天気にさせる作戦としか思えない。サヨクはよほど日本が嫌いで、日本を共産化したいとしか思えない行動である。マスコミには、外国の意を受けた工作員がいるとしか思えない。そんな記事を掲載して、誰が利を得るか、考えないと騙される。

 我々は、何が問題かを、冷静な目で見ないと、戦前のようにプロバカンダ作戦で、間違った方向に誘導される。ご用心、ご用心。

 それは優秀な人材がオウム真理教に洗脳教育されて大量殺人を犯したのと同じステップなのだ。オウム信者は、暗室で何度も何度も麻原の暗示をガンガンされて、麻原の盲目的信者になった。同じように、何度も同じ記事を繰り返されると、普通の人間は洗脳されてしまう。

 韓国の若者が政府の教育で、何度も反日教育を受けるから、反日韓国人が出来上がる。それと同じである。

 この手法は、米軍が開発した洗脳教育の方式である。これはベトナム戦争で心の病になった兵士を治療するために開発された心理学の治療法なのだ。それを麻原彰晃は悪用したのだ。私も自己啓発セミナーで、この手法の洗礼を受けたので、その効果の凄さを実体験した。だから私がこの解説を出来る。

 

報道とは解釈

 どんな事件も、事実ではない。それを見て報道する人間の解釈なのだ。事件とそれを見る人間の衝突が、解釈である。その人間がどう解釈したかで、事件は色付けされる。中国寄りの人間が報道すれば、サクラ問題で大騒ぎを報道して、領空侵犯問題や憲法問題から目を逸らさせたいだろう。中国との経済活動を推進したい日本経済新聞社は、中国寄りの報道をするだろう。それが世の掟である。そのように報道しないと、記者は首になってしまう。記者も家族もあり家庭があるのだ。社命には逆らえない。

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自然淘汰

 だから自分の価値観と見識を高めて、起きた事件を観ないといけない。それが学びである。今の報道姿勢のままではマスコミは滅ぶだろう。マスコミが自分の偏向報道で自分の首を絞めている結果である。世の中で存在の必要が無くなった時、その種は滅ぶ。それは自然淘汰である。インターネットがその代わりをしつつある。だから新聞社の部数の減少傾向は止められない。若者がテレビを見なくなった。見る価値、読み価値がないのだ。

 

2019-12-18 久志能幾研究所通信 1428  小田泰仙

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