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2020年5月 4日 (月)

「知情意」の世界を考察

「知情意」を活かす

 人生成功の秘訣は、切り替えを早くすること。何時までも愚痴っていてはダメ。それを「智慧がない」という。智慧ある人はグズグズしない。人生はいつもルンルン気分の時ばかりではない。不遇の時でも、愚痴を言わず、早く気持ちを切り替えよう。その不運は、いつまでも続かない。

 心豊かな人は無理をしない。ジックリと見ていく心がある。それがである。情とは「忄(心)」が「青い」と書く。つまり心が青春である状態である。心が青いから、余裕があり、感受性が豊かなのだ。「怕」とは「心」が老人のように「白く」なって、恐れている状態を示す。心が老化しては、感情は動かない。

 何ごとも「有意」で事に当たる。「無意識」で行動してはダメである。どんな状況でも、どんな些細なことでも、真剣に「意」を込めて事に当たる。無意識にやってはダメなのだ。

 馬場恵峰師の知己塾(2006年12月2日)での言葉を編集・加筆。  

 

西洋人と日本人の差

 「知情意」とは「知性」、「感情」、「意思」の意味で、哲学者カントが提唱した言葉と言われる。人間はこの3つのバランスの上で動いている。西洋人は、知と論理構成を優先して動いている。テクニカルライティングもその技法は、論理構成が主体である。それが発展してAI技術となっている。

 ところが日本では論理構成より情が優先される場合が多い。その「情」には義理、徳、恩義、情熱、悲情が含まれ、人は論理だけで物事を処理しているわけではない。

 人に頼み事をお願いに行って「君の言うことはさっぱり分からないが、私は君が好きだから、賛同してあげる」と支離滅裂な展開になることがある。

 私は会社時代では、この論理性を最優先にして仕事を進め、文書で相手を説得してきた。しかし私の文書は、冒頭に結論を単刀直入で書くので「君の書く文書はキツイ」と敬遠され、仕事が理屈通りに行ったわけではない。

 「日本人だから“情”を大事にして何が悪い。ものごとは論理だけではない」と暗に煙たがられてうまく行かないことが多かった。要は、「俺はあんたが嫌いだ。言うことの理屈は合っているが、賛同できない」である。ミシガン大学で学んだ論理構成の無力さに途方に暮れた。

 コミュニケーションは相手に合わせて、その論理構成を変える必要があるようだ。コミュニケーションとは意思の伝達である。文書で当方の意図は「伝」はされても、実際の相手の心に「達」するのは難しい。日本では、それには「情」を付加することが必要のようだ。だから私は文書に人格を込めて、その「情」以上の価値を込めるように心がけている。

 

2020-05-04 久志能幾研究所通信 1566 小田泰仙

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