2021年5月13日 (木)

「和敬静寂」を奉納

 

 和敬清寂とは、茶道の心得を示す標語であるが、もともとは禅の言葉でもある。茶道の祖といわれる村田珠光が、足利義政から茶の精神を尋ねられたとき、「和敬静寂」と、答えたという。この一句四文字の真意を体得し実践することが茶道の本分とされる。茶道と禅を極めた井伊直弼公が好んだ言葉でもある。

 その意味は、人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にするという意味である。特に千家ではこの標語を千利休の定めた「和」、「敬」、「清」、「寂」を表す「四規」として重要視している。四規「和敬清寂」の4つの文字の中に、お茶の心がこめられている。

 

 「和」とは、口+禾(音)で、音符の禾は、会に通じて、遇うの意味である。人の声と声とが調和をして、なごむの意味を表す。和とは二つ以上の数を加えた値という意味もある。人が出会うご縁は、その時には良い縁もあれば悪い縁もある。両方のご縁に出会って人生である。良い縁ばかりの人生はありえない。悪縁が逆縁の菩薩となって人を鍛えることになる。

 

 「敬」とは、攵+苟(音)で、苟は髪を特別な形にして、身体を曲げ神に祈る様をかたどる。攵は、ある動作をするで、お互いに敬いあうという意味である。

 敬を持って来たご縁をありがたく受け止める。それが人生修行である。

 

 「清」とは、目に見えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかであるという意味である。すべて修行と思えば、何事も受け止められる。

 

 「寂」とは、宀+叔(音)で、屋内がいたましく、さびしいの意味を表す。死の意味もある。安らかとか、どんなときにも動じない心をあらわす。

お茶を飲むとき、お点前のとき、また、お客になったとき、お招きをしたときなどに、この「和敬清寂」を念頭に行するのが茶道である。

 

一期一会

 併行して使われる言葉が「一期一会」である。全ての事象の出逢い、お客様との出合い、接遇は、無私に心で、分け隔てなく、平常心で接するのが、禅の心である。そうすれば正しい判断と正しい行動ができる。

 それ故、井伊直弼公はこの言葉を好んだのだろう。それは長い間、部屋住みとして冷遇された境遇に置かれた自身への戒めの言葉でもあったようだ。冷遇された境遇へも、分け隔てなく、自身への修行として捉えた直弼公の心であろう。

 

和敬清寂(わけいせいじゃく):宋に留学した大応国師が帰朝した際、将来した(持ち帰ること)劉元甫(りゅうげんぽ)の「茶道清規」を抄録して「茶道経」と名付けて刊行した。それによると茶禅儀の創始者は守端禅師で、その門下元甫長老が和敬清寂を茶道締門と定めて茶道会を組織した。これが和敬清寂の起源であるという。(「茶道辞典」より)

 

 ご縁があり、恵峰先生にこの書を楠の板材に書いていただき、お世話になっている菩提寺に2015年9月18日、奉納した。

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 菩提寺 お茶室  2015年9月18日

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  馬場恵峰先生   2015年9月11日  

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     下書き     2015年9月11日

2021-05-13 久志能幾研究所通信 2018 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

     

2021年5月12日 (水)

生前葬としての写経書展

 

 2016年12月8日、長崎県波佐見町で開催された「馬場恵峰卒寿記念写経書展」を撮影するため、福岡空港から高速バスで波佐見町を訪れた。この写経展は、大正・昭和・平成と、今まで誰も成し遂げていない。馬場恵峰師の90歳という年齢から考えると、この写経書展を今回開催された師の尊い想いが会場から伝わってくる。

 馬場恵峰師の人間としての歩みの証がこの写経展である。師はこの写経書展を己の生前葬として、自分の想い、書を通じて仏との語らい、宗派を超えての写経で歩みし生きざまを、参列の皆さんの人生への餞として開催したと語られた。

 

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、避けられない生老病死を経て、浄土に旅立つ。恵峰師は、生きている間に、どれだけ多くのお世話とご縁を頂いたか、その報恩感謝の気持ちをこの写経書展で示された。恵峰師は、それができるもの「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、感謝の表現をするなら、生きているうちにすべき」として卒寿記念の開催の決意をされた。

 恵峰師は、生まれ故郷で写経書展を開催できる仏縁、それに足を運んでくれる人との仏縁は、天の計らいであるという。生涯の旅をする皆様方が、写経書展で仏法の花の一端に触れていただき、現実の歩みの半生と先祖供養の一端として受け止めて頂けたら、恵峰師として本望だという。

 

運命のからくり

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚鏡の上に踊る虚花に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。

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 競争と道

 時代の流れで、世の書展は競書が多い。それは他人相手の闘いである。またその書展では、判別不能な抽象的書体を競い合う自己満足の世界に堕している例が多い。文字とは何かの原理原則を忘れた邪芸である。それに反して、写経書展は全くその対極にあり、自分との闘いの所業の展示である。それは仏道修行の一環であろう。「競争」という言葉は、明治以前には日本に存在しない。日本が開国して西洋の思想が入ってきて、福沢諭吉翁が翻訳時に創作した言葉である。西洋での弱肉強食の競争には必ず、勝者と敗者が生まれる。

 仏教にはその思想が薄い。東洋思想は共生である。日本で別の形で花開いたの形が「道」の思想である。武士道、書道、華道、等の芸事には勝者も敗者もない。日本の哲学は共生、利他、切磋琢磨、自己精進という言葉で象徴される。日本では、他人を蹴落として勝者になるのは美学とされない。それに写経はよく似合っている。西洋で、修行として聖書を写経するとも聞いたことがない。是非ではなく、そういう世界が存在するのを我々は認めるだけでよかろう。

 

 恵峰師は、この写経展を総括して「老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と写経展を回顧して漢詩を揮毫された。

 

自家のお墓改建

 ご縁があり、2015年11月に当家のお墓を三基再建した。その時、お墓の納めるため、毎日一枚のペースで、お墓の開眼法要前の四ケ月程で、為写経を百十枚ほど書き上げた。毎日、斎戒沐浴してからの為写経である。その後、三か月ほど中断したが、思いついて写経を再開して、今は5日に一枚のペースで為写経を継続している。

 写経をして体得したことは、写経は誰のためでもない、己の佛道修行なのだ、である。修業とは自分を見つめることである。謙虚になると自分の至らなさが見えてくる。ご先祖のご恩が見えてくる。恵峰師もそれを目指して写経をされてきたのだと思う。師は今までに2万字を写経された。それも半紙ではなく、軸や巻物に、である。半端な所業ではない。

 

佛縁

 今回、自分として写経書展を撮影する佛縁を頂いたことに感謝である。恵峰師との出会いの縁、書の撮影のため現代最高の撮影機材を買えたご縁、ここ数年間、恵峰師の書の撮影をしてきてベストの撮影技術を習得できたご縁、撮影のお手伝いのお弟子さんたちの協力のご縁があってこの写経展の写真集が完成した。どれが欠けてもこの写真集は生まれなかった。まさに佛縁である。

 

 「生前葬」では語感はよくないが、実際、生前葬は良いものである。渡部昇一先生もそれに類したことをして、良かったと感想を述べておられる。生前に親しい人たちと顔を合わせ、会食で今まで生きてきたご恩に報いる。生前葬をした後、恩師や友人の訃報に接せると、あのとき生前葬でお互い元気な姿で、昔を懐かしあえたのが何よりの供養だったという。死んでから葬式であってもその喜びはない。写経書展という生前葬で、多くの先生の知人が訪れてくれた。何よりの悦びであると思う。

 

 2016年12月8日の写経展から約4年後、2021年1月1日に恵峰先生は逝去された。先生が元気で良き時に、新型コロナも無き時に、生前葬として写経書展を開催されて良かった。生前葬は元気なうちに済ませるのが良いようだ。

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 写経書展会場    2016128日(開場前夜)

 壇上に100m巻物、50m巻物が並ぶ

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写経書展会場    2016129

2021-05-12   久志能幾研究所通信 2017 小田泰仙

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2021年5月11日 (火)

ご縁のリストラクチャリング

 

悪手の山     

 米長邦夫元名人は、その著書で、「人は悪手の中を歩いている、一手間違えれば簡単に人生が暗転する」という。同じ意味で、人生には多くの縁が溢れているが、その多くが悪縁である。因果応報で、悪縁と交われば人生は下り坂である。悪縁の人は、悪縁を招く習慣と考え方とそれに纏わりつく人脈がある。その腐臭がすさまじいが、鈍感な人はそれに気が付かない。知らずに付き合うと、悪縁が心に染み込む。「君子危うきに近寄らず」でありたいが、宮仕え生活ではそれもままならない。サラリーマン時代はその回避が至難の業であり、かなりの被害を受けてきた。まるでタバコ副煙流の害毒如きである。

 しかし定年後に組織を離れたことで、寄ってくる縁を選別できるようになった。些細なことや対応ぶりから、友人、知人、業者の人生哲学が垣間見えて、縁の鑑定ができる。それが悪性の縁と分かった時点で、その縁を切ることにした。よき人生は良きご縁から始まる。悪縁を切ると、空いた空間に良きご縁がすり寄ってくる。組織を離れたら、縁は自分で選びたい。

 

人生のリストラ

 リストラとは、事業の再構築(restructuring)が本来の意味で、首切りは単なる一方法論である。還暦後の第二の人生を門出して、正しい道を歩むために、人生再構築のリストラが必要である。

 企業経営でも、不正をする人、業績を下げる人、定年になった人はお払い箱である。そういう新陳代謝をしないと会社が左前になってしまう。同じ考えで、自分株式会社に害をなす縁者はお払い箱にして、リストラをしないと自分の人生が傾いてしまう。切るべき縁を切らないから腐れ縁となる。腐った縁は、周りに害を及ぼす。人生経営の6Sをして縁の整理整頓をすべきである。

 

食のリストラ

 生きていく為には食べなければならぬ。その食料が、添加物まみれ、農薬まみれ、養殖魚の病気防止で抗生物質まみれ、ショートニング、マーガリン、植物油まみれの加工食品でもお腹は膨れるし、当面は生存が可能である。しかしその食物は遅延性の毒である。10年、20年のスパンで食の人生を考えた場合、そのツケを慢性病、成人病、ガンという病気という形で支払う日がやってくる。日本をはじめ先進国で加工食品が増えるに比例して、医療費が増大している。

 

ご縁のリストラ

 社会で生きていく上では、ご縁が必要だ。しかし質の悪い縁に囲まれると、それが遅延性の毒として人生を覆い、不運という人生生活病に侵される。

 約束を守らない人、こちらが散々お世話をしたのに、恩を仇で返す輩、信心深くても己だけの幸せを願う人、苦情対応で不誠実な企業、新興宗教にはまっている人、車検を依頼した車を私用で乗り回す修理工場社長(ドライブレコーダで露見)、人の迷惑を顧みず自慢話ばかりする元副社長、前職の不祥事の責任を回避する後任の長、先祖を大事にしない親類縁者……….よくこれだけいい加減な人がいるものかと呆れるばかり。そういう人と付き合うと血圧が上がるので、自分の組織を守るため、その悪縁を切ることにしている。

 

人生のご縁収支決算

 人生とは、集めた¥高を誇る競争ではない。円を集めた額を誇示するのではなく、ご縁に接し、その縁に報い、よき縁を人にどれだけ分福したかに価値がある。人生は集めたものでなく、どれだけ与えたかで評価される。

 いくら集めてもそれを喜ぶのは己だけでは哀しい。お金は、あの世には持っていけない。人から分捕った分、不幸になった人がいる。グローバル経済主義では、99人の富をたった1人が強奪独占する。強奪した富には多くの人の怨恨が籠っている。

 

与えるご縁

 人に与えたことは多くの人が評価してくれ、その結果として与えたご縁に花が咲き、実が結ぶ。それでこそ、自分の人生の意味がある。悪しき縁からは、良き人生は生まれない。その縁の選別眼が人生価値を左右する。

 

ご縁の生老病死

 どんなよきご縁も、歳月という名のリストラが襲ってくる。歳月はご縁を待ってはくれない。どんなご縁も偶然から生まれ、生まれたご縁も、その死は必然である。だからこそ大事に育てて、ご縁を見送りたい。後悔のない見送りをするため、尽くして尽くせば、悔いはない。

Img_44131s  馬場恵峰書

2021-05-11 久志能幾研究所通信 2016 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月10日 (月)

がん専門医の余命宣告を信じるな

高血圧専門医の言うことを信じるな

「がん」という名の仏さまを信じよう

「体」という名の仏さまを信じよう

自分を信じ、安易な余命宣告の医師に怒れ。

そんなことで死んでたまるか。

真因を追及して行動しよう。

 

 がん専門医は、診断・治療はするが、病気を治してはくれない。がん専門医は、標準治療として手術後、抗がん剤治療を押し付ける。「抗がん剤治療をやらないと命の保証はしない」と脅す。

 私のがんのステージはⅢで、5年後の生存率は51%と宣告された。つまり統計上、5年後、同じ症状の人の半分は死ぬことになる。私は抗がん剤の弊害を知っていたので、抗がん剤治療を拒否して、医師とけんか別れをした。抗がん剤治療でがんが治るわけではない。抗がん剤はがん細胞だけでなく、正常な細胞も攻撃し免疫力を低下させる。高齢の私に抗がん剤は、体への負荷が大きすぎる。人はガンでは死なない。抗がん剤で免疫力が低下して、肺炎等を起こして、それで死ぬ。

 医師もがんになる。その確率は、一般の人と変わらない。医師もがんが分かっていないのだ。

 

素直でない私

 私は、がんになった真因を調べて別の対応をした。私は素直ではなかった。そんなことで死んでたまるか反骨心に燃えた。

 医師から「余命2年」と宣告されると、素直な人は、それを信じてその通りに亡くなるという。

 

 イギリスの大学病院キングス・カレッジで乳がん患者の気持ちの持ち方が延命にどう影響するかを調査した。同程度の症状の患者に、術後3か月の心理状態を確認すると、大きく4つに分かれた。

・絶望している人

・冷静に受容する人

・(がんであることを)否認する人

・闘争心を持つ人

そういう分類をして、13年後まで追跡調査をした。

一番長生きをしたのは、闘争心を持った人であった。日本人は冷静に受容しようとする人が多いのですが、そうするとわりと早く死にます。絶望している人も、もちろん長生きできません。

(「医師のがん告知を冷静に受け入れると早死にする」 PRESIDENT 2015.8.3 P19)

 

 

何故なぜを5回繰り返し

 統計によれば、日本人の2人に一人はガンになる時代である。がんは自分の組織が変化した現象である。なぜがんになったかの原因を見つけないと、いくら治療をしても再発する。トヨタ生産方式で、「何故なぜを5回繰り返し」て、真因を見つけないと、がんは治らない。がんの発生原因は、単に狂った生活、狂った食生活が原因である。私は生活の全てを変えた。

 高血圧症も同じである。医師は降圧剤を出すだけで、治療をせず、高血圧症になった真因を教えてはくれない。私は30年間、医師から降圧剤を飲まされ続けた。私は、目覚めて久留米の真島先生を訪ねて、その真因を見付けて2年がかりで高血圧症を直した。治療方法は食事療法だけであった。

 

がんは仏さま

 がんも高血圧症も、それは己の不摂生を教えてくれる仏さまなのだ。因果応報で原因のない事象はない。がんや高血圧症になった原因を、仏さまは病気という形で教えてくれている。高血圧症もがんの遠因である。それをガンと闘うとして、対処するから、がんに勝てず、死んでしまう。がんとは共存しないと駄目である。臭い匂いもがんも、元を断たなきゃだめなのだ。

 

2021-05-10 久志能幾研究所通信 2015 小田泰仙

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2021年5月 9日 (日)

恵峰先生を偲ぶ会(2)刺繍肖像画

 

 2021年4月12日、4月25日の「恵峰先生を偲ぶ会」の壇上には、馬場恵峰先生の刺繍肖像画が飾られていた。先生65歳当時のお姿である。

 この刺繍肖像画は、中国共産党が許可した毛沢東主席や中国の重要人物しか製作できない。これは上海美術研究所 陳小音さんの作品である。

 今までに製作されたのは10数点と推定される。なぜならこの製作には1年間が必要で、今はこの陳小音さんがカナダに亡命して、その後の製作がどうなっているか不明だから。

 日本人で製作されたのは、田中角栄首相(当時)、日中友好使節団長、参議院議長、そして馬場恵峰先生だけである。馬場恵峰先生の前の製作品がスカルノ大統領の肖像画であった。

 恵峰先生を偲ぶ会の展示として、先生に相応しい素晴らしい遺影の肖像画であった。この作品は、この30年間、日中文化資料館の玄関に飾られていた。

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 「恵峰先生を偲ぶ会での雛壇     2021年4月25日

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 馬場恵峰先生と陳小音さん 1992年頃

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Img_3691s  2011年4月2日 馬場恵峰師(85歳)日中文化資料館にて

2021-05-09 久志能幾研究所通信 2014   小田泰仙

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2021年5月 8日 (土)

飽食は死場腐の匂い

隣の死場腐はアホく見える(隣の芝生は青く見える)。

隣の客はよく喰う客だ

 

 先日、某カレーチェーン店でカレーを注文した。注文した商品が来るまで、私の隣のカウンターに座った若い女性客を見るとはなしに、観察して呆れてしまった。

 まず私と食べる量が違う。食べる種類が違う。食べるスタイルが違う。体格が違う(彼女は太り気味。だから必要エネルギーが違う)。

 これでは、彼女は加齢なる肥満神に恋されて、早晩、死場に送られる。肥満は万病の元である。現代人は飽食で、食べ過ぎである。彼女は飽食に魅せられた子羊であった。

 

死神の攻勢

 食品業界は、もっともっと食べろと、あの手この手で攻めてくる。敵の担当者も成果主義に攻められて、真地目にやらないと担当者はクビになる。だから敵も必死である。

 飲食店は、お客の健康など知ったことではなく、一番儲かる売り方で、客に食品を提供する。儲かるなら、客の健康を度外視して、必要以上の分量を標準分量として設定する。

 そうすれば客の体が大食漢になって、より多く食べてもらえるようになる。それが敵の付け目である。

 その昔、味の素が利益を上げる方法を社内で募集したところ、瓶の注ぎ穴の大きさを大きくするという案が採用されたという噂があった。それが食品メーカの体質を象徴した寓話である。

 

自分の城は自分で守る

 それ故、自分の城は自分で守らないと、食の業界から病気にさせられる。最大の自分の城とは己の体である。私が癌になったのも、この40年で日本人の癌が4倍に増えたのも、医療費が4倍になったのも飽食が一因である。

 飽食は肥満に繋がり、高血圧、糖尿病、癌、認知症等の多くの病気を招く。食べ足りなくて病気になった人はいないが、食べ過ぎで命を落とした人は多くいる。

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 馬場恵峰書

 

 それでも利益第一主義の業界は、その暴走が止まらない。それを止めるのは、己の自制心である。私は癌になって死線をさまよい、やっと目が覚めた。人は痛い目に会わないと、目が覚めない。

 

彼女との差 分量

 そのカレー屋では、標準のお米の分量は300gである。私が食べるお米の量は通常100gである。そのカレー屋では最低の分量が150gなので、仕方なく150gのスモールサイズで注文している。

 お米は糖質の塊である。それが300gもあるカレーは、食べ過ぎである。温かいご飯は食が進む。だから私は家では、なるべく「冷やし飯(冷めたご飯)」で100gに限定している。そうすれば摂取カロリーも20%も減る。

 

 私は癌の手術をしてから食事量が約4割減った。体重は25キロ減である。それからいくら食べても体重が増えず、この1年間ほど平衡状態である。それでも普通に生活ができているので、今までが食べ過ぎなのだ。

 

食べる種類

 彼女の選択は、トンカツと唐揚げをトッピングしたカレーであった。

 私の選択は、海の幸と野菜のトッピングのカレーである。私はドクターストップで油分の塊であるトンカツはご法度である。唐揚げもご法度である。

 この食生活では彼女は将来、高血圧、癌、心筋梗塞になる恐れがある。

 

食べ方

 彼女はスマホで動画を見ながらイヤホンで音を聞いて、黙々と食べていた。ゆっくりと咀嚼するのではなく、食べ物を流し込んでいるようであった。それではどれだけ食べたかが、自覚なく大食いしてしまう。体から満腹のサインが出る前に、完食してしまうからである。それが肥満の原因となる。現在の太った体が、日頃の生活ぶりを表していた。

 私は食べることに専念して、ゆっくりとよく咀嚼して食べた。意識しないと、カレーは流動食のように早く食べれてしまう。よく噛まないと、頭への刺激がなく、認知症になりやすい。

 

親の教え

 食事は真面目に、食べさせていただく命に感謝して、ゆっくりとしっかり咀嚼をして食べよう。

 2年ほど前、恵峰先生宅で食事をして、私はいつものようなペースで食べたら、恵峰先生から「小田さんは、食べるのが早すぎる。一口一口、感謝して、ゆっくりと食べなさい」と叱られてしまった。我々は他の命を食べないと生きていけない。そのため、他の命を頂くことに感謝が必要だ。そんなことで叱ってくれる人は親も同然である。恵峰先生のよき思い出である。

 

2021-05-08  久志能幾研究所通信 2013 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年5月 7日 (金)

友、縁報より来る。亦楽しからずや

生は偶然、死は必然

 友がご縁の報いとして来たら、全力で向き合おう。それが礼儀である。夢ゆめ、対談中にスマホをいじるなかれ。友との出逢いは一期一会。明日の命は分からない。

 ご縁が生まれるのも偶然である。その別れは必然である。だからこそご縁を大事にしよう。

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馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」より

 

雨友、晴友

 晴の時に歓談する友より、雨の日に声をかけてくれる友こそ、真の友である。

 前職で閑職に追いやられたとき、声をかけてくれた友が真の友であった。

 入院した時、見舞いに来てくれる友が真の友である。わずか10分ほどの距離でも見舞いにこないとは、….情けない思いをした。それは晴友であった。

 

静友、動友

 静かに部屋で、将来の夢を語り合うのが静友。

 車でどこかに動き回らないと、間が持てないのが動友。

 

悪友、善友

 やってはいけない悪事例を、身を挺して示してくれる師である。それを他山の石という。

 善友とは…….

 

登友、下友

 人生は生老病死である。人生の山を登る時期が春夏の時。何時しか秋になり冬がくる。冬になれば、山を下らねばならぬ。それを忘れるから冬山で遭難する。無事に下山して死ぬことが人生だ。還暦後、62,63歳で亡くなった仲間が多くいた。何のために働いてきたのか、残念だ。還暦後の人生が黄金の収穫期なのに。

 登山する成長期で、勢いがある時の友が登友である。定年になり、人生の山を下る時の友が下友。静かにこれからの後始末を語ろう。

 定年後、人生80年としても7,300日もある。毎日が日曜日ではいけない。一日8時間としても58,400時間もある。その道のプロになるためには、その道に5,000時間もかければよい。一緒にそれを励ましながらプロを目指せば、下友が登友に変わる。

 

燃友、消友

 人生に燃え、仕事に燃え、ご縁に燃える。そんな人が燃友である。さあ、友と炎遊会に行こう。

 生き方が強欲で生臭いと、水分が多くてなかなか燃えない。中途半端にやるから、疲れずに夜に眠れない。欲望を枯らして、よく燃え、よく働いた一日が、安らかな眠りを誘う。人生を完全燃焼で謳歌して、燃え尽きよう。それが安らかな永眠をさそう。 

 それを消す友となってはならない。燃えない生木ほど、扱いにくいものはない。死ぬときに、生木を割くような苦しみを味わう。死ぬときは、枯木のように自然に倒れれば、苦しみもない。

 

師友、死友

 いつもは師と仰ぎ、時には友として諫言もする。そんな仲が師友である。

 生は偶然だが、死は必然である。師友も何時かは必ず死ぬ。その師の志を継ぐのが死友である。死ぬ命を抱えて使命を全うするために生きるのが、死友である。

 何のために生物は死ぬのか。劣化した生命体を殺して、その遺伝子を新しい生につなげて、その遺伝子を継続させるためである。その生命体がいつまでも死ななければ、成長がない。

 カマキリのオスは、生殖が終わると、メスに頭から喰われてしまう。それも喜んで喰われている。喰われたオスの体がメスに宿った子の栄養となり、子孫が繁栄する。その時、脳内に麻薬成分が分泌されて、痛みはないようだ。それが自然界の仕組みである。生命体が「継続」をする姿である。我々も、喜んで子孫のために、為すべきことをして死のう。

 

2021-05-07   久志能幾研究所通信 2012   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年5月 6日 (木)

語感で洗脳 「ご苦労様」は上から視線?

 

 言葉は言霊といって、人の魂が籠っている。言葉が人を元気し、言葉が元気をなくさせる。ヒトラーは演説で同じ言葉を何回も使い、ドイツ国民を洗脳した。だから使い方次第で、言葉は凶器にもなる。ご注意を。

 

「潜友」

 その言葉を一番多く浴びるのは、自分自身である。だから後向きの言葉は、決して使ってはならない。後ろ向きの言葉を常用する友は、「潜友」だ。「後友」だ。付き合うと人生を潜水させてしまう。後ろ向きの言葉で後ろ髪を引かれ、チャンスを逃す。

 できなくても、できると言って、自分の脳を洗脳しよう。

 

洗脳

 仕事をしてもらった相手に「ご苦労様」は、上司が部下に言うように感じる。上から視線を感じる。

 また「ご苦労様」では、簡単な仕事でも、「俺は苦労をした」と洗脳されてしまう。「そんなレベルの仕事は苦労にも入らない」と自己暗示をすべきなのだ。そうすれば能力が向上する。

 

 「お疲れ様」と言うと、それは相手への洗脳教育のように見える。「貴方は疲れている 貴方は疲れている」と暗示をかけているように感じる。俺は元気だ、それを「貴方は疲れている」と決めつけるように言われるのは不愉快と感じる人もいる。

 

 「お元気様です」は少し構えた表現で、少し違和感がある。

 この場合「ありがとうございます」が一番無難のようだ。

 

冒頭の挨拶

 手紙やメールの冒頭で、「いつもお世話になっております」とは、私は滅多に書かない。末尾に「よろしくお願いします。」とも書かない。それは無意味な言葉で、時間の無駄だからだ。

 それを書いてくる手紙やメールを見ると、「俺はあんたの世話などしていない。それは嫌味かよ!」と勘ぐってしまう。で、要件は何だ?と言いたくなる。

 一行の文を読むのにも、命の時間を使っている。だから私の手紙は単刀直入に要件を冒頭に書く。私は、手紙に伝えたい要件だけを、簡潔に無駄なく全精力をかけて書く。そのための推敲に時間をかける。相手に時間を使わせないことが、最大の誠意である。それがご縁のあった相手への感謝の伝達である。

 感謝の念こそ、運命の扉を開く鍵である。運命の女神はしずしずと現れる。感謝の念がないと、通り過ぎていく女神の心を射ることはできぬ。感動したことに「感謝」とは、「感」じたことを「言」葉で「射」るのだ。

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         馬場恵峰書

戦争と平和

 毛筆の礼状では話が別である。それは和の道である。和の道では、心を伝えるのでも道草をすればよい。それが情緒である。私はビジネス戦争では、電子メール銃を撃ちまくる。私はそれから転戦して、別世界の芸術界では、パソコン機関銃を毛筆銃に持ち代えて、毛筆の手紙で相手の心を撃つ。

 

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心筆

 私はこの10年間、馬場恵峰先生への手紙をすべて毛筆で書いた。緊張して心を込めて手紙を書いた。ワープロで文面を作り、それから清書である。なにせ相手は書道の先生である。先生曰く「書は、下手でも丁寧に心を込めて書けば、誠意が伝わる」。

 しかし敵は私より上手で、恵峰先生の巻物の毛筆礼状と三根子奥様の毎回違うカラフルな和紙の毛筆手紙が交互にやってくる。返信にも恵峰先生ご夫婦の役割分担があるようで、毛筆の銃撃戦では当方の完敗である。

 その文面に「いつもお世話になっております」等の軽薄な言葉はない。文面に相手を思う心が溢れている。美辞麗句を並べなくても、毛筆で書いてあるだけで、私の心を撃ちぬく。

 恵峰先生の巻物の礼状は我家のお宝である。

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 馬場恵峰先生からのお見舞いの巻物手紙  

 

2021-05-06  久志能幾研究所通信 2011 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年5月 5日 (水)

大垣市、餓鬼状態で寄付金集め(2/2)狡猾手口

 

 以下、大垣市が餓鬼のように寄付金を集めている実態を列挙する。寄付集金団体は、大垣市の外部団体で、天下り先である。役人はこの70年間をかけて、自分達の待遇を良くする取り組みをして大垣市が半強制的に寄付を集めている事項を記す。

 今のままで異常な状態を国民が知らないと、日本国が壊れてしまう。

 

寄付金集金体制を構築

 各寄付金の募集団体は、役人の天下り先機関になっている。役人は天下り先で、高給を取って更に高額の退職金を得ている。だから大垣市はこの寄付金集金システムが止められない。止らない。それは既得権。それが税金の無駄遣いである。

 大垣市民は、義務として市民税、県民税、国税を納めている。行政はその予算内で福祉、森林整備、公共施設を整備するのが当然の義務である。個別の寄付の強制は税金の二重取りである。まるで「3000円ポッキり」と客引きに引きずり込まれたキャバレーで、追加料金をふんだくられているようなものだ。

 

赤十字社の寄付   500円

 強制ではないと宣言しながら、目標金額は3億円と明示している。この金額から逆算すると、岐阜県全世帯の78%の家庭から寄付金を集める試算である。

 請求者が「日本赤十字社岐阜県支部大垣市地区長」とあるが、誰が地区長なのだ。それが明記していなくて、黙って金を出せである。これほど市民を愚弄するものはない。

 なぜ日本赤十字社の活動が、政府の活動ではないのか。本来、赤十字社の仕事は政府からの100%予算でやるべき仕事である。そのために国の税金を徴収していながら、なぜさらに寄付に頼るのか。

 

日本赤十字社の実態

 日本赤十字社の実態は、役人の天下り機関である。義援金の配分も官僚の論理が前面に出て運営されている。

 (2011年3月11日に大震災が起きて)、6月時点で、2,523億円が日本赤十字社に義援金として集まったが、被災者に渡ったのはわずか370億円しかない。(週刊新潮 2011年6月16日号)

 そのため史上まれなる大震災が起きても人ごとのように役人の醜態が演じられていた。

 

ピンハネ

 大震災が起きて、義援金を日本赤十字社に送ると、2割がピンハネされて被災地に送られる。私はその実態を東北の知人から教えてもらって、先の東日本大震災の時、直接被災地(山田町)に義援金の送り先を変えた。

 大災害が起きると、日本赤十字本社がある街の飲み屋街が大繁盛するという噂がある。それを報じた週刊誌に、圧力がかかり、続報が抹殺されたという。

 

寄付は強制

 日本赤十字社は「会費の納入は決して強制ではありません」と言うが、大垣市から各自治会へ寄付の要請があれば、自治会の各班長が各家を集金で回る。班長が集金に来れば、世間体として出さないわけにはいかかない。実質、強制である。

 日本赤十字社の寄付では、寄付金総額の7%が、集金に協力した連合自治会にキャッシュバックされる。連合自治会内でのその使用用途は曖昧である。キャッシュバックを期待して各自治会役員は日本赤十字社の寄付金を集めているわけではない。裏切り行為である。

 またその寄付金は自治会費から、自治会住民の数分だけ勝手に大垣市に納金される。だから自治会住民はその実態を知らず寄付金を支出することになる。

 本件のような寄付集めは、憲法違反との最高裁判例が出ている。それにも関わらず、餓鬼状態の大垣市は寄付金集めを止めない。大垣の恥である。

 当町では、自治会から「寄付は自由」との通知があったので、今まで100%の家が寄付していたのが、現在は約75%だけの家が寄付するように変化した。

 

 

大垣市新市庁舎建設のため募金

大垣市新市庁舎前の「丸の内公園」整備のため募金

 大垣市は県下一財政が豊かで、大垣市新市庁舎建設の予算が正式についているのに、なぜ追加で市民の寄付を強要するのか。衰退の一途の大垣市が建てた新市庁舎は、県下一豪華である。岐阜市のそれより2割も豪華である。市民一人当たりの負担金は、大垣市の新市庁舎が県下で一番多い。大垣行政は狂っている。

 この寄付先の名簿を見ると、大垣市との癒着が疑われる企業が多い。

 

緑の羽募金     100円

 緑の羽募金の使用用途が国土の森林管理なら、政府からの100%予算でやるべき仕事である。

 

赤い羽根募金 + 年末助けあい募金 400円

 これは国の福祉政策の一環事業である。税金を集めながら、なぜ寄付に頼るのか。これも自治会から直接、市に払われるので、自治会住民は実態を知らない。

 政府は社会福祉に使うと宣言して消費税を8%に上げたではないか。税金を集めておきながら、なぜ寄付に頼る。

 

カーネーション募金

 これも本来、大垣が行政の義務としてやるべき事業。

 

社会協議会負担金

 これも本来、大垣が行政の義務としてやるべき事業である。わざわざ社会協議会を外部団体にて、経費を余分に使っている。なぜ大垣市組織と一元管理できないのか。

 

青少年育成推進費(寄付として強制的)

  これも本来、大垣が行政の義務としてやるべき事業。また本来の目的は、青少年を性犯罪から守ることが趣旨である。それが現在は逸脱している。

 

大垣市制100周年記念行事のため募金

 無駄で無意味な大垣市制100周年記念行事に、大垣市は3億5千万円も散財した。その1割でも節約すれば、赤い羽根募金、年末助けあいの募金額が賄える(400円×67,629世帯=約2千7百万円)。ところが、それも当初の3億円予算から、いつの間にか3億5千万円に増額されていた。大垣市の役人は、市民の金を自分のモノとして使いたい放題である。

 その翌年の大垣市の公示地価は下落である。この下落は20年続いている大垣市の公示地価は、20年前の公示地価から半分以下に暴落した。

 ご丁寧に、大垣市制100周年記念行事の会計報告はマル秘扱いで、公開されていない。大垣市議会で議員から質問を受け、当時の大垣市長・小川敏が「大垣市特別条令」を盾に会計報告の公開をそっけなく拒否した。汚職の匂いがプンプンである。

 

下図は日本赤十字社「実施のしおり」より

 なぜ責任者名が書いてないのか?

  後から責任を追及されるのが怖いのか。

 この目標額3億円は、岐阜県内の世帯数769,678(平成31年2月1日)より割り出された金額と推定した。全世帯の78%から集金するという仮定である。

 この「実施しおり」では「会費の納入は決して強制ではありません」と記載されているが、自治会を通した集金方法では実質的に強制となる。だから集金した団体に、大垣地区長の小川敏が「ご褒美として」キャッシュバックを実施している。

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 この目標額3億円は、岐阜県内の世帯数769,678(平成31年2月1日)より割り出された金額と推定した。全世帯の78%から集金するという仮定である。

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 日本赤十字社は「会費の納入は決して強制ではありません」と言うが、大垣市から各自治会へ寄付の要請があれば、自治会の各班長が各家を集金で回る。班長が集金に来れば、世間体として出さないわけにはいかかない。実質、強制である。

 

2021-05-05  久志能幾研究所通信 2010 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

大垣市、餓鬼状態で寄付金集め(1/2)末路

大餓鬼の死神、餓鬼状態で寄付金カツアゲ

 

官が富み、民は貧乏に

 大垣市の言いなりに寄付をしては、市民が貧乏になる。今は官が肥えて、民が貧乏になっている。大垣市民の平均年収の2倍以上の給与を大垣市の役人は貰っている。それもお手盛りである。大垣市の役人の給与は、岐阜市のそれを抜いて、県下一の高給である。

 役人の給与が安いというのは、40年前の話である。役人は、この40年間で少しずつ天下り先の外部団体を作り、利得を拡大してきた。それが今の寄付金集金システムである。

 その結末として、役人が公僕が私僕の利己主義に走り、結果として日本と大垣の衰退になった。私僕の政治屋がこの「失われた30年」を作った。政治家と行政家は結果が総てである

 

役人の罪

 今の役人は利己主義に陥り、公僕としての意識が希薄になっている。それが日本衰退の一因である。日本政府や地方の役人が進路を誤れば、日本や地方都市が衰退しても当然である。

 大垣市の市民税は、刈谷市のそれより年間で10万円も高い。それでいて大垣市の公示地価は、小川敏が市長に就任してからこの20年間で半値以下に暴落している。全国の地方都市の公示地価の平均値はこの20年間で10%ほどの下落である。それに比較すると、大垣市の下落率は異常すぎる。

 それに対して刈谷市の公示地価は、10パーセントも上昇である。その分、大垣市民は貧乏になり、刈谷市民は豊かになった。リニア景気に湧く名古屋近辺は、公示地価が上がり、豊かになった。中央政府に影響力の無力な大垣市は貧乏になった。

 

我々が為すこと

 それを改革する一歩は、お上から命令される寄付金の見直しからである。日本復活の為、もっと目を見開かねばならぬ。気を付けよう、天下り役人が我々の財布を狙っている。

 自分の財布は自分で守ろう。

 大野耐一曰く「自分の城は自分で守れ」。

 大垣市行政は、大垣市民を守ってはくれない。

 大野耐一はトヨタ自動車の元副社長。彼がかんばんシステムを始めとするトヨタ生産システムを作った。

 

 毎年5月には、大垣市から日本赤十字社大垣地区長から寄付の恒例の強制集金通知が回って来る。その他の寄付も目白押しである。大垣市は寄付金の集金に餓鬼のように狂騒している。大垣市の一般会計に占める寄付金比率は他市に比べて異常に高い。予算規模が同規模の刈谷市の400倍の寄付金依存度である。岐阜市のそれと比べても、10倍の依存度である。こんな恥知らずの都市はない。大垣市は奪う都市で、与えてくれる都市ではない。

 令和3年度の予算では、更に寄付金依存度が上がった。

 

     令和2年度 予算

      一般会計収入    うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円    0.02億円     0.003%

高崎市   1655億2000万円  1.30億円  0.078%

 

 新型コロナ禍真っ最中の先年10月には、「丸の内公園」整備への寄附金を募集した。新型コロナ禍の非常事態宣言下、市民は失業したり、仕事が激減したりして、収入が激減している。その状態で、大垣市民に寄付として「金を出せ」である。逆に市民に援助をしなければならない状態で、大垣市は高利貸しの督促のように、寄付金を集める。大垣市役所への出入りの業者には無言の圧力である。まるで「大餓鬼死」の死神のようだ。その大垣市の新型コロナ禍での市民への支援金は、海津市の10分の1という情けなさである。

 

大垣没落の真因

 大垣市の公示地価は、この小川敏市政になって20年間で半分以下に暴落した。公示地価はその都市の実力、価値、成長性、等を表す指標である。市場の評価は神の如くである(松下幸之助翁)。だから大垣の没落は神からの死刑宣告である。

 

 大垣が没落した真因は、大垣市政が市民から奪うだけで、与えなかったからだ。税金で他市よりも多く奪い、寄付という名で金を奪ったが、それに対して、ほんのちょっとだけしか市民に還元しなかった。海津市の10分の1というコロナ支援金の支給額がその答えだ。それで潤い、肥えたのは役人だけである。なんでコロナの影響ない役人まで、政府の支援金10万円がいくのか。大垣市の寄付金依存体制は氷山の一角でそれが全てを語っている。一事が万事である。

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 「広報おおがき」2020年10月1日号 

 

2021-05-05 久志能幾研究所通信 2009 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。