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2022年12月

2022年12月 4日 (日)

努力よりも選択が大事、4時間睡眠? 絞首刑?

 

 4時間睡眠、8時間睡眠のどちら?

 新興宗教か旧来仏教宗派?

 朝飯なしか三食か?

 肉食の可否

 パン食かご飯か?

 ながら勉強か集中勉強か?

 現役か浪人か?

 

 世の中には成果を上げようとすると色んな選択肢が出てくる。全て少しでも良くしたいとの願いから起きることだ。つい新しい方法に飛びつきがちである。新しい選択肢は、ご利益あらたかで、魅力に溢れているように映る。

 しかしその前提として、努力よりも選択が重要である。間違った道でいくら頑張っても、意味がない。

 

宗教の選択

 新興宗教の狂った教祖に心酔し、新興宗教団体で、必死の修行で正大師の座を得て、サリンを撒いて絞首刑になった教団幹部がいた。間違った選択肢を選んだのが原因だ。宗教団体の歴史はそれを選択する場合の大事な要素だ。古くからある宗派は、洗脳もお布施の強要もしない。

 私の定年後、入会したG経営研究会で知り合った人が新興宗教団体に入るように勧めてきた。その人はその会の元会長であった。信用しないわけがない。話の種に試しに入り、ダメならすぐ脱会と思っていた。どうも定年退職で退職金があり、暇もあるカモと見て、接近してきたようだ。しかし入会直前に怪しい事件の多さを知って、脱兎のごとく逃げだした。旧統一教会と同じような寄付事件、暴力事件がネット上で公開されていたのだ。古くからの仏教宗派は、勧誘は戒律で禁止である。それはキリスト教も同じである。勧誘をしてくる新興宗教は怪しいのだ。

 間違って入会すると殺人事件にさえ巻き込まれる。どうせやるなら教祖になって、1億円のお布施をしてくれる迷える羊を探して稼ぐことだ(?)。新興宗教を研究することは、人の精神的な弱さを観察出来て、勉強になるだろう。猜疑心一杯の人間が、洗脳されると1億円の寄付でもを簡単にしてしまう。おそろしいことだ。

 

睡眠法の選択

 私は、「4時間睡眠法」の本を読んで、時間活用の素晴らしさに洗脳された。私も短時間睡眠を試みたが、現実的に続かなかった。現実問題として、その著者は79歳で亡くなられている。その生活手段が良かったかどうかは、各自が判断するしかない。私は4時間睡眠が宇宙根源の法則の反していると思うからだ。それを批判していた同大学の渡部昇一先生は86歳まで現役で活躍された。

 

宿命という選択肢

 与えられた選択肢は、惨めなものかもしれないが、人には宿命に逆らえない場合がある。その場合の選択肢は、自分に与えられた最高の選択肢であるようだ。その場合は、その宿命に逆らわず、その道で最大の努力をするしかない。船が難破して、己が荒波に放り出されたとき、ちっぽけな板切れしか目の前に無ければ、それが人生最高の選択肢の浮き輪なのだ。

 それは新興宗教をえり好みするのとは違うのだ。パン食にするかご飯か等の問題は、自分の知識と知恵と宇宙根源の法則を総合的に考えて、選択すべきなのだ。人によって、その選択肢の回答が違う場合がある。此の世で生きているのは自分である。自分が周りの環境を判断して、最善と思う方を選択すればよい。どちらが良いかは神仏のみ知る。真理は一つであるが、その対象を切り方次第で、選択肢が変わってくる。

 私は東大入試が中止になった時、浪人を選択せず、入れる大学に進学した。父の定年の関係があり、それしか選択肢がなかった。それが後で幸運をもたらした。その過程でレッドオーシャン(血まみれの海)で闘ってきた愚かさを知った。人生は、敵のいないブルーオーシャンで闘えばよいのだ。

得た智慧

 還暦をとうに過ぎ、今までの経験から判ったことは、努力よりも選択が重要であることだ。それが分かるには、何度も痛い目に逢い、知識と知恵が年相応に付かないと判断できない。経験的に、長い人生の経歴が善悪を示してくれているようだ。凡人は知識と知恵を頼りに選択するしかない。それが概ね宇宙根源の法則に合っているようだ。

 

 

2022-12-04  久志能幾研究所通信 2559  小田泰仙

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2022年12月 3日 (土)

大地震対策 懐中電灯に羂索、不動明王の守り

ひも(羂索)付き

 現在、私の枕元の脇机には、非常時用の懐中電灯を置いている。しかし、その脇机上の備品が私の寝相の悪さで、よくテーブル下に転落する。それでもし地震が起きた際、その懐中電灯が脇机上から転げ落ち、手の届かない場所に転がってしまう恐れがあることに気が付いた。それで懐中電灯に紐をつけて、ベッド頭部の板に結ぶことにした。これで深夜に大地震が来ても、懸念事項が一つ減った。

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 不動明王は迷える衆生の迷いを右手の宝刀で断ち切り、左手の羂索で救い上げる。衆生が佛に救われるためには、羂索が必要なのだ。

羂索:仏語。仏菩薩の衆生を救い取る働きを象徴するもの。色糸を撚り合わせた索の一端に鐶、他の一端に独鈷の半形をつけたもので、密教で用いる。不動明王、不空羂索観音、千手観音などがこれを持つ。

 

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 松本明慶大仏師作 不動明王像

 顔は怒りの様相だが、目は慈しみの目である。

大地震対応

 車の非常用ハンマーも車が転倒した場合、何処に飛んでいくか分からないので、運転席下部に固定である。それと同じで、震度7の地震に襲われれば、ベッド横の脇机上の懐中電灯も同じである。最悪の時に、起こってはならない最悪の状態になるのが、世の常である。だからその最悪の場合を想定して備えるのが危機管理である。想定外は何時でも起きる。だれが東日本大震災を予想したのか。2035年±5年に起きると想定される南海トラフ大地震は、日本政府も認めている。だからこそ、自分で自分の身をまもることはすぐやろう。

 

数で勝負

 自家では非常時の停電対策で、懐中電灯をあちこちに配置している。それは私が頻繁にブレーカを飛ばしていた苦い経験からでた智慧である。停電で家中真っ暗になり、懐中電灯を探すのに往生していた経験からの智慧である。それで家のあちこちに懐中電灯が設置してあれば、明りに辿り着きやすいと考えた。

 

蛍光シールで対応                        

 最近は、更にその懐中電灯の胴体に蛍光シールを貼って、真っ暗でも探しやすいようにした。

 

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停電時の自動点灯ライト

 コンセント部には、停電になると自動で点灯する非常用ライトを設置している。取り外せば、懐中電灯としても使える優れモノだ。2,400円ほどで手に入る。

 

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 LEDナイトライト 懐中電灯 2WAY 自動点灯 明暗センサー フットライト 足元灯 防災 充電式     TDH-300 朝日電器株式会社製

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2022-12-03  久志能幾研究所通信 2558  小田泰仙

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2022年12月 2日 (金)

108歳を目標(12/14) ながらメシ 佛の怒り 死の海へ

 

 人が食品を食べるとは、他の命を自分が生きるために頂くこと。そんな厳かな所行中に、テレビを見ながら食べるとは、命を自分のために捧げてくれた生物、またその命を恵んでくれた神仏に対して冒涜である。神仏を冒涜しては、長生きはできない。

 そのテレビも食え喰えと洗脳説法のCMばかりなのだ。

 食品とは、自分が活動するエネルギーを得るためでもあるが、その食品の半分は、自分の体を作る素材となっている。その大事な体の建設作業中に、お笑いのテレビ番組で気を逸らしてはならない。その命の栄養素を全て吸収するつもりで食べるべきだ。

 ながら食事では、しっかりと噛むことなく食物を胃の中に流し込むことになる。咀嚼での信号が脳に行かず、満腹感が脳に伝わるのが遅れる。それでつい食べ過ぎてしまう。肥満こそ、病気に第一原因である。気の入らない食事行では、栄養も中途半端にしか、体に回らない。それでは長生きはできない。

 

 その食事が本当に正しい食事なのか?毒ではないのか? テレビに洗脳されながら食べていては、正しい答えに到達できない。

ながら人生での行きつく先は、病死、ガン死、認知症等の死の海である。

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正しい食事

 食べることは生きることだ。その姿勢で人生が変わる。その食を与えてくれた神仏に感謝をして、一口一口味わって食べる。食べ物に佛性がある。その佛性が己を育ててくれる。

 人生で出会うご縁も同じだ。出会ったご縁を大事にする。一期一会。最近では、料理を一杯並べ、食べ散らかすのがかっこいいと思っている人もいるようだ。そういう人が成功したことを聞いたことがない。

 

一杯のラーメン

 私が小学生の頃、母がインスタントラーメンをよく良く作ってくれた。母はそのラーメンを野菜等で増量し、2つに分けて出してくれた。一つは母が食べるためだ。食欲のある私は、母をけちだと思い、1食分全部食わせろと心の中で思っていた。母はそうやって節約していた。50年前は日本全体が貧しかったのだ。幼い私はそこまで頭が回らなかった。

 いまはその事を忘れて、日本全体が飽食に溺れている。テレビでは食べ物のCMばかりである。しかし日本の食料自給率が40%を切って、非常時は大変なことになるのに、日本人はノー天気である。その神仏からの警告が病気の増加であると思う。50年前は日本の総医療費が10兆円だったが、現在は43兆円を超えた。それでいて病気は減らず、がんは激増である。なにかおかしい。それを考えて、日本の事を考えながら、食べる時は食べることに集中しよう。何かが見えてくる。

一事一心一念道、一食一心一念道

 

東印請祖

 我々が呼吸をしていること自体、食べることが出来ること自体、お喋りが出来ること自体、一大経巻を説き続けることなのだ。(お釈迦様の霊鷲山会上の説法で)

 我々が一大経巻を説く行いとして食事をする時、よそ事をしてはならない。108歳を目指すために、心して食事をしよう。

 

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2022-12-02  久志能幾研究所通信 2557  小田泰仙

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2022年12月 1日 (木)

燃費の良い車に乗ってはならない

 

 重量ある人間が、一定の距離を移動するためにかかるエネルギーは、どんな車でもあまり変わりがない。自然界の物理の原則だ。

 燃費を気にするなら、車を使うより、歩くか電車を使うのが良い。燃費が良いとして、頻繁に長時間車を運転することになると、運動不足で早く極楽浄土にいくことになる。それこそ極楽運転道に反する行為である。 

 だから燃費の良いと謳う車には、裏がある。ハイブリッド車は、その燃費の良さ分だけ、価格が高くなっている。構造が複雑でバッテリー代等で、ガソリン車より高くなる。車費用の生涯総金額では、ガソリン車と同じである。ハイブリッド車は燃費の良さを先払いしているにすぎない。

 軽自動車は確かに燃費が普通車より良いが、その分、事故の際に人間を守る構造が弱くなっている。事故になった場合の損害額を、日本の全体で計算すれば、燃費の良さはチャラになる。軽自動車は事故時の損失が莫大である。軽自動車と普通車が正面衝突すれば、軽自動車の致死率は、普通車のそれの7倍である。

 電気自動車は、車生涯のトータルで、ガソリン車よりもエネルギーを消費し、CО2を余計に排出する。このまま電気自動車化を進めると、電気が足りなくなる。その場合、燃費(電気代?)は暴騰する。

 

命の浪費

 一番大きな問題は、命を無駄にすることだ。燃費が良いと勘違いをして、つい遠出をしてしまう。気が大きくなるのだろう。近場で食事をすればよいものを、燃費がよいと30分もかけて遠くの安い食堂の出かけてしまう。燃料代よりも安い昼食代よりも、その往復の時間が無駄である。時間は命なのだ。無為な時間を移動に使われる。知人がよく遠くの安いメシ屋の連れて行ってくれたが、その分の時間(命)が無駄になった。同乗中は何もできない死んだ時間である。

 また事故は走行距離に比例して、一定比率で発生する。燃費を気にせず多くの距離を走れば、その分、事故が増えるのだ。車は走る凶器である。意識せず、油断して走った時、事故は起こる。事故を起こせば、燃費のメリットなどすぐ吹っ飛んでしまう。

 私は市内以外の移動は、電車である。電車の中なら仕事が出来る。考えることも寝ることもできる。車ではそういうわけにはいかない。

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2022-12-01  久志能幾研究所通信 2556  小田泰仙

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