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2022年10月

2022年10月31日 (月)

人生は食べ放題の旅 バイキング店で体重を減らす

 

 この宇宙は全てバイキング料理店で構成されている。何をどれだけ食べようが、やろうが、集めようが自分のやりたい放題である。対価は全て自分の行動と言う貨幣で支払えばよい。

 そこで注意すべきは、己の「分」の問題である。人は往々にして自分の器(分)以上に集め、食べ、やりすぎるので、人生の破綻(地獄)を見る。人には肉体的制限と、時間的制限の限界がある。人には、最大で100年と言う時間制限がある。時間は貧富には関係のない佛様からの貸与品である。お金はいくら集めても、死ぬときに手放さねばならない。徳がないのに、不相応な財産を残すと子孫の財産争いで家が不幸になる。金にあかして美食に溺れる天国を味わっても、肥満からくる高血圧、心筋梗塞、脳梗塞、ガンに襲われて地獄を見る。病気とは、自制心に負けた己の食べ放題への対価である。

 

ダイエットは食べ放題のお店で

 私はダイエットのために、食べ放題のお店に通ったことある。昨年10月(2014年)から始めて、ほぼ毎日行って、2015年7月現在、半年間で約5kgの体重減となり、その結果として高血圧であった状態がかなり正常化した。

 毎日食べ放題に行くのは地獄である。それは、お代わり自由で食べられるのに、それを0.8食分で抑える自制心との戦いが地獄である。食欲があり、時間もあり、目の前に美味しいものが並んでいる。体力的に3食分でも楽に食べられるが、それを我慢する試練である。そのご褒美が体重減である。目の前に食べ物があっても、必要以上には食べないようになった。間食も減った。

 バイキング料理店のよい点は、自分の意思が強固なら、スイーツを控え、良質のたんぱく質、炭水化物、野菜等をバランスよく摂取できる。お代わりさえしなければ、食べ過ぎの危険性は少ない。

 この修行ができていない5年ほど前は、バイキング料理店でつい3食分を食べ、喜んでいた自分がいた。肥満が原因の病気と言う天罰を受け、目が覚めた。天罰を受けても目の覚めない人が多いのが哀しい。

 

棚ぼたの罠

 家系図に登場する家の親戚で、己の器以上に親からの財産贈与を得て、家が傾いた事例が多々ある。その人の器(分)以上の量を入れたがための咎である。人は立って半畳、寝て1畳、食べて飲んで1升である。それ以上に体に入れるから不幸の原因になる。「棚からぼた餅という遺産」の罠に嵌ったのある。最期になって、「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医師に言っても手遅れである。その前に、沸様が体の不調でその前兆を知らしていたはず。その類の愚か者が家系図に死屍累々である。器が小さいのに、それ以上に入れれば溢れるのは自然の理である。お金は貯めるのは簡単だが、使い方が難しい。

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 馬場恵峰先生書『人生訓八十恵峰』より

 

2022-10-31  久志能幾研究所通信 2529  小田泰仙

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2022年10月30日 (日)

死天王の教え 叔母の墓を守り、明徳を遺す

叔母の死

 親や近親者の死は、人生の儚さと人生の後始末についての最期の教えである。京都の格地の尼寺で住職をされていた叔母が2008年に亡くなった。私がそれを知ったのは2015年である。人間国宝であった日本舞踊四世家元 四代目井上八千代の葬儀(2004年3月)では、この安寿様が導師を勤められた。舞妓さんたちがお参りする尼寺である。叔母は、祖母の出の北尾家の最後の人であり、叔母が逝去された事でご先祖のお墓をどうするかの問題が表面化した。北尾家は井伊直弼公にご縁のある人であった。

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 東景寺 京都八坂神社の南側

 

見えざる手

 私は何かに背中を押される気がして、その墓のお守りを受け継ぐことを決意した。叔母の墓を受け継いでも、出費ばかりかさみ、何も得のない。受け継ぎをしなくても、私にはなんら道義的責任はない。私が受け継がなければ、お墓は撤去され、お骨は無縁塚に埋葬される。本来なら、父の兄の家族が受け継ぐのが正統である。しかし敢えて私が引き受けたが、それに後悔はなかった。

 菩提寺の檀家の中には、墓を受け継いで30年間、一度も墓参りに来ない家もあるとか。そういうお墓が菩提寺の墓地には50基ほどあり、お寺さんも困っていた。私はそんな不義理人にはなりたくなかった。

 

北尾家

 北尾家は私の父の母方の祖先で、北尾道仙は1860年3月3日の「桜田門外の変」の時、井伊直弼大老の行列の一人として歴史に関与したと推察されていた(本件は後日に真実が明らかになる)。この北尾道仙の墓を、粟野自孝様が守ってみえた。その御先代の粟野自照様(2003年1月90歳でご逝去)は、永平寺73世管長熊沢禅師(祖学泰禅禅師)に師事された。自孝様は私の父の従姉妹にあたる人である。自孝様は愛知専門尼僧堂の青山俊董堂長に師事された。2003年、私は青山堂長の講話集のCD「天地いっぱいに生かされて」等を数多く聴いていた縁があり、そのつながりに驚いた。

 私は自孝様より青山俊董堂長のサイン入り著書を数多く頂戴して、愛読書の一つとなっていた。

 北尾道仙の件は、自孝様も父の兄も調査をしたが、真実にはたどり着けなかった。

 

Photo_2 北尾家の墓 右から2つ目が北尾道仙のお墓

 叔母がこのように立派に整備し直した。

  2015年に私が小田家のお墓を改建して、既存のお墓の統合整理したため、現在(2022年)は更地になっている。

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叔母の死

 2015年3月に母と父の23回忌、13回忌を執り行った折、叔母が平成20年(2008年)に逝去していることが判明した。慌てて京都に走って確認したところ昨年(2014年)に7回忌が終っていた。叔母は財産やお墓のことも何も言わずそのまま、永平寺に東景寺大和尚として納骨されていた。戒名は「東景七世 大透自孝尼大和尚」という立派な戒名である。

 

 叔母はいつも何も言わない方であったが、意図があって親戚に連絡をしなかったのかもしれない。自分の代で家が途絶えることで、お墓の件で、菩提寺の住職にしかるべき対応をお願いしていたようだ。

 しかしその住職も昨年(2014年)、アル中・認知症で施設に入院してしまった。それで安寿様がどういうお願いをされたか不明である。安寿様もこれには想定外であったろう。その住職は私と同じ歳である。人ごとではないが、前住職の認知症はなるべくして発病した業である。天網怪怪疎にして漏らさず。それも20年のタイマー付きである。

 

回向のお経をあげる

 2015年4月27日、私は大本山の永平寺に出かけて、回向のお経を上げていただいた。親族控え室で小一時間ほど待ち、本堂に入った。その日は3家の納経の儀があり、8名の僧侶により読経を上げていただき焼香と拝礼をした。

 叔母は曹洞宗のお寺の住職であったので、永平寺の住職専用のお墓に納骨されていた。

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 永平寺  2015年4月27日

旅立ち

 自分も何時かは旅立たねばならない。その時、後の人に自分の意思が正確に伝えられるかは分からない。死人に口なしで意思が捏造されることもある。明日、不慮の事故や脳梗塞、心筋梗塞で倒れるかもしれない。この3つの死因の比率は約30%である。死後の準備の間もないまま、来世に旅立つ人が数多いのが現実である。今回の事象でそれの現実を教えてもらった。

 これらの事件が家系図の作成、遺言状の作成をする決断のご縁となった。

 つい最近も、ご近所(5軒先の家)で、孤独死され、死後10日ほど後に腐敗した状態で発見された事件が起きた。まだ60歳前の独居者であった。突然死はひと事ではないのだ(2022年10月30日追記)。

 

啓示からの決意

 今回の件はご先祖からの啓示である思った。私が叔母の先祖代々のお墓をお守りし、この機会に50年余を経過した小田家の墓を再建し、祖母方の先祖代々のお墓を統合・合祀する決断をした。同時に彦根藩に関係した北尾道仙の墓を再建する。

 50年余を経過すると、墓石の品質が明かになる。質の良い石は50年くらいでは劣化しないが、品質の悪い石は10年程でも劣化が目立つようになる。墓石のほころびが、魂を込めた仕事の大切さを教えてくれた。松居石材商店(文政12(1828)年創業)の松居保行店主が、本件で墓参りに行った時、たまたま仕事で墓地に来ていて、現物の墓石でその石の質の差を説明してくれた。

 

師天王の教え

 今の自分の仕事の品質(徳)が10年、100年、1,000年後に明らかにされる。それが明徳の現れである。今の仕事にどれだけの徳を込めるかである。松本明慶先生が高野山中門の四天王を納佛された。松本明慶先生が今後の1,000年間の高野山中門の守り佛に思いを込めて造立した志が伝わってきた。この明徳の教えこそが師天王の教えである。

 自分は明徳として、死んだ後、何を後世に残すのか、それが問われる。凡才の私は日々、その問いに苦闘している。

 

039a0677s松本明慶大仏師作 増長天 高野山中門 2015‎年‎4‎月‎25‎日撮影

039a0679s 松本明慶大仏師作 広目天 高野山中門  2015‎年‎4‎月‎25‎日撮影


2022-10-30  久志能幾研究所通信 2528  小田泰仙

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2022年10月29日 (土)

「いのち」とは「胃脳血」、霊止、自衛力

 

胃  食材

脳  考え

血  全身を巡る

 

霊止

 先祖、親、師、友のご恩があって今の自分がある。夢ゆめ「自分が」ではないと思うべし。自分の人生を謳歌するのが人間の生き方ではない。人として後に続く子孫のために生きるのが人の道。「ひと」とは「霊」が「止」まると書く。縁あって人間に生まれたのだ。豚に生まれなかった幸せを考えよう。

 

 自分がいま何故、この世に存在するか。ご先祖の中には、水子や夭逝した人たちが沢山いる。その人たちは、悪縁、悪病、を他の子孫のために一身に背負い亡くなってくれた。そのお陰で今の自分がいる。

 先の戦争で戦死された方や、特攻で命を国に捧げた英霊がいるから、今の日本がある。国のために命を投げ出す勇気を持っている自衛官がいるから、中国やロシアは攻めるのに躊躇している。だから今でも英霊は国を守っている。

 

命の自己防衛力

 人の体は、ガンを一箇所に悪腫を集めることで、全身に病巣が散るのを防いでいる。これは生物が持つ最高の防御システムである。その癌の病巣を取り除けば、癌は他に転移せざるを得ない。癌になった真因を取り除かないから、また癌になりやすい。元を断たなきゃダメなのよ。

 体の免疫細胞は、体に入ってきた細菌と戦って熱を出し、死んで膿として体外に出ていく。自分のために戦って死んでくれた免疫細胞に感謝をしよう。それを対処療法の解熱剤で発熱を止めるから、免疫力が弱くなる。ワクチンも良いが、それよりもまず、自分の免疫力を上げる取り組みをすべきである。

 KK息子もKM子も甘やかして育てられたから、精神的に成熟せず、我儘だけが強くなり、KK問題が起きた。ノブレスオブリージュを忘れて、国民を敵視する行動に走り、国体を危機に陥れたのだ。これをC国に付け込まれたら、国体という命が危い。国民の皇室への敬愛が無くなれば、国体を束ねる絆が崩壊して、日本国という命が死ぬ。皇室は、日本国民を束ね、一丸とする絆なのだ。それこそが日本の自衛力である。

 三田圭子は次男を甘やかして、毎月50万円もの小遣いを与えれば、良い子に育つと考えて、人間形成の教育を放棄した。その結果が、次男の麻薬所持容疑で5度目の逮捕となるのだ(2020年10月21日)。三田佳子は次男が逮捕された時、「息子には毎月50万円もお遣いを与えているから、不良などになるわけがない」と警察に怒鳴り込んだ。その子にしてその親ありである。

 彼女の良妻賢母の姿は、女優の演技だけの虚像の世界である。彼は正常な人格が育っていないので、自分で自分を制御できなくなっていた。自省力こそ、社会で生きていくための力である。社会のルールを守る。それが社会で生きていくための最低の自己防衛力である。自省力がないと命が危ないのだ。彼の社会的生命は終わったようだ。

 トヨタ経営の鉄則は、「自分の城は自分で守れ」である。私の前職の会社が左前寸前になった時、幹部が親会社に資金援助で泣きついた。そうしたら親会社からこの「自分の城は自分で守れ」の言葉だけをありがたく援助された(笑)。まあ厳しい言葉で、会社は持ち直したが........。

 コロナ対策でワクチンだけに頼るから、感染拡散がとまらない。それに付け込んで、コロナ対策で不正な金儲けをする輩が跋扈するのだ。必要なのは各人の自己免疫力の強化である。正しい経済政策である。それを間違えているから、経済が瀕死の状態である。岸田首相は、まさに決断なき検討死である。

 国の防衛を米国だけに頼ろうとするから、自立が出来ない。サヨクに付け込まれる。サヨクという獅子身中の虫こそが、がんである。サヨクは隣国の赤い手先である。日本の自衛力が弱まれば、隣国が大喜びである。尖閣諸島と沖縄への攻撃への邪魔がなくなるからだ。サヨクは売国奴である。

 

我とは何か、自分とは何か

 「我」とは稲(禾)を刃先がぎざぎざしたほこ(戈)で刈って、自分のものにしている様を表わす。「私」とは稲(禾)を腕(ム)で自分のものとして抱える姿を表している。「自分」とは、生かされている全体の中で、「自ら」の「分」である。己は世の中の一部として考える姿である。その反対が「利己」である。己のことだけしか考えないから、囚われの闇の世界に落ちていく。自分の一族の中での位置づけを考えよう。

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 「修身」の講義資料

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 馬場恵峰書

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2022-10-29  久志能幾研究所通信 2527  小田泰仙

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2022年10月27日 (木)

祈りは生命、宿命、運命、使命を霊的に結ぶ

 人の生命とは、一億円の宝くじが連続で百万回当たったと同じ確率で生まれる命である(筑波大学 村上和雄教授)。今、自分がこの世に生命を与えられて、存在していること自体が、奇跡なのだ。

 命には宿命があり、運命があり、生まれる命がある。その命には見えざる使命が与えられている。その使命に気づき、それを祈りで成就させるのが人間である。

 宿命とは、変えることが出来ない定めである。男性に生れた、日本に生れた、平成の時代に生れたという事象を言い、それはどんなに努力をしても変えられない。

 ウクライナ、中共、北朝鮮の土地に、生れなくかった宿命を喜ぼう。戦争の時代に生れなかった宿命を喜ぼう。それを思えば、現在の不幸など風邪のようなものだ。

 運命の「運」とは、十字路(しんにゅう)のど真ん中で、行く方向を見定め、力の限り自分の車を押していく様を表した象形文字である。宿命は変えられないが、運命は自分の力と意思で変えられる。

 奇跡で生まれた命をこの世で何のために使うかを問うのが使命である。人の生き方として、今の時代に生れた自分の命をどう使うかを問われる。それを考えないで生きている人は動物と同じである。それは、生きているのではなく、生き永らえているだけだ。

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家族の宿命と運命

 私の叔父(父の弟達)は2人とも、昭和19年、昭和20年にビルマとシベリアの土になった。死のインパール作戦と地獄のシベリア抑留での戦死である。二人ともまだ20過ぎの若さである。父も戦後にソ連の国際法違反の捕虜としてシベリアに送られたが、地獄のシベリア抑留から生還できた。その運命で、今の私の命がある。従弟は彼の父が結婚後出兵して戦死したので、父の顔を知らない。父や叔父たちが戦争の時代に生まれたこと、そういう親から生まれたのは、宿命なのだ。

 今の自分が置かれた幸せな宿命の位置で、どう生きるかは自分が定める運命である。幸せのおすそ分けで、後世の為に最大の貢献しよう。それが自分に与えられた使命である。

 先の戦争では、軍部やマスコミの嘘に押し流されてしまって戦争に追いやられた。政府やマスコミは愚民化政策で、国民を洗脳してやりたい放題である。我々はもっと現代の世相を勉強して、そんなことが二度と起きないように見識を高めねば、子供や孫たちをまた不幸にしてしまう。運命の十字路で、正しい判断をして、日本の運の行く方向を決めたい。その微力な決断が選挙での投票である。微力な市民の声を集めれば、大きな力となる。棄権だけは避けねば、後世に対して責任放棄である。

 

祈り

 祈りとは、宿命と運命を内面的につなぐ霊魂のシャトルである。「祈」りという漢字は、旁の「示」と偏の「斧」から構成される。「示」は生贄を捧げる台の象形文字である。神社関係の文字である。「斧」(きん)は獲物を取る道具である。つまり「祈り」の行動で、その実現が「近」いとも解釈される。

 祈りは運命に力を与え、新しい運命を生む。祈っても、行動無き祈りは戯言である。また感謝なき祈りは、神様に対して無礼で恩知らずである。神様はお賽銭を入れれば、祈りの成果が出てくるATMではないのだ。

 祈りとは、神様に実現ための行動を約束することだ。祈りは自分の潜在意識に問いかけて、その実現の為の行動を誓うことだ。神様の前で誓ったことが守れなくては、神様もその実現に手助けをしない。

 神様は祈りに対して、黙って見守ってくれるだけである。しかしあらぬ方向から、稀有なご縁を授けてくれる。そのご縁に実を結ばせるのは、自分の行動が必要である。

 

独白

 私は神様の前ではお願い事をしない。感謝を述べるだけだ。お願い事をするなら、それに相応する誓いを述べねばならぬ。その誓いが守れなければ、神様の信用を無くす。私はその自信がないから、感謝だけにしている。だって神様は何でも知っている。一回でもサボったことを黙っていても、天から見ていて騙せないのだ。

 Who knows である。誰が知ろうか、誰も知らない。自分がサボったことは誰も知らないが、神様と自分だけは知っている。神様も自分も騙せない。だから私は神様の前では感謝の言葉だけである。

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お賽銭、寄進

 世には100円のお賽銭で、10件ものお願いをする厚かましい人がいる。神様だって厚かましいケチには壁壁だろう。お賽銭額がその人の心の値段なのだ。神社の管理者も神社の社屋の維持管理、減価償却で大変である。お賽銭をケチるのは止めよう。神社の維持管理のために寄進をしよう。神さまも喜ばれる。私が伊勢神宮に参拝する時は、いつも式年遷宮の造営資金を寄進している。

 神宮司庁は、2013年までの各行事を含む第62回式年遷宮全体の費用は、建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円と公表した。 このうち、330億円が伊勢神宮の自己資金で、220億円が寄付で賄われた。赤ん坊も含めて日本人一人が、平均183円を寄進した。式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立柱建物で 正殿等が造られる。

 

縁ありて花開き、恩あって実を結ぶ

 

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 馬場恵峰書

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2022-10-27  久志能幾研究所通信 2526  小田泰仙

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2022年10月26日 (水)

108歳を目標(4/12) 良食生活、ノーパン生活

禁酒禁煙禁油禁揚禁糖禁燐禁粗禁座禁慢

 

禁酒

 禁酒禁煙は長寿の絶対条件である。私は酒飲みやタバコを吸う輩に、「それしか楽しみはないのか?」と言いたい。

 「酒は百薬の長」は平均寿命50歳の時代の昔話だ。

 「酒は百厄の兆」が人生100年時代の新格言である。酒は少量でも発がん物質となる。先に英国の学会でその研究論文が発表された。

 食品は胃の中で栄養として消化されるが、アルコールは薬物と同じプロセスで肝臓で分解されないと、体外に排出されない。要は毒である。その分、肝臓に負担をかける。WHОの見解では、酒は麻薬と同じ薬物に分類される。毎晩、薬物パーティーとして酒を飲んでいては、長生きなどできない。

 酒を飲んでグダグダと何回も同じ愚痴を言うのは、時間(命)の最大の無駄遣いである。酩酊した頭で何を広言しても、無為である。その愚痴を聞かされる方も、殺時間事件に巻き込まれ、大事な人生時間が失われていく。

 私は5年前から完全禁酒である。

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禁煙 

 喫煙は、本人よりも副流煙で奥さんの乳がんの確率を倍増させる。妻を亡くした夫は早死にである。タバコを吸う本人は、タバコのフィルターで毒素を少なくしているが、高温で熱せられて出てきた副縁流に含まれる発がん物質が奥さんを襲う。夫も息子も喫煙者なら、奥さんには地獄の環境である。肉親の命を脅かしては、己も長生きなどできない。

 

 岐阜大学の和田恵子氏らは、1992年9月から2008年3月まで、35歳以上の女性1万5,719人を追跡した。乳がん発症率は、主に地域の集団ベースのがん登録で確認した。喫煙状況などのライフスタイルは自記式質問票で、またアルコール消費量は食物摂取頻度調査票(FFQ)で評価した。

 非喫煙者の女性については、夫も非喫煙者である女性に比べ、1日21本以上喫煙している夫を持つ女性の乳がんリスクは1.98倍(95%CI:1.03?3.84)であった。(Cancer science誌オンライン版2015年1月23日号)

 

禁油

 現代の病気の多くが油や揚げ物の取り過ぎが原因で、血管内部にプラークが溜まり、それが高血圧、糖尿病、眼の病気、認知症、そして癌の発生要因となる。

 血管内部にプラークが溜まると、血流がスムースに流れず、血液中の免疫酵素も末端の毛細血管まで行かなくなる。そのため体の自律神経の作用で高血圧になるが、それを降圧剤で下げるから病気が起きる。医師は対処療法で降圧剤を処方するが、それで病気が増加する。降圧剤は、医師にとって処方が簡単で、かつ儲かるのでやめられない、止まらない。だから税収は60兆円しかないのに、日本の医療費総額が43兆円を超える状況となる。医は銭術である

 現代の和食店に行くと、天ぷらや揚げ物が必ずついてくる。そば屋でも同じだ。それだけ油が安易に使われている。揚げれば、食中毒を防げて、また味を胡麻化せるからだ。

 高血圧治療中の私は、脂分はドクターストップである。食事療法の甲斐があり、約2年で高血圧症が治った。

 

禁糖

 糖分は人間に禁断の麻薬である。糖の依存症は麻薬より強い。それが肥満につながり、早死コースである。肥満こそ万病の元である。

 私は清涼飲料水を絶対に飲まない。清涼飲料水は砂糖の塊である。清涼飲料水一本で、角砂糖10~16個分相当の糖分が入っている。炭酸は苦みを感じるため、それを補う形で多くの砂糖が使われている。それが肥満と糖尿病の遠因となる。

 

禁燐

 成分の取り過ぎは、腎臓を傷めて、寿命を短くする。腎臓の働きが寿命を決める。には有機と無機がある。

  無機は、ハムやベーコン、練り物、プロセスチーズ、インスタント麺、缶詰、ファストフードなどの加工食品に食品添加物として使われている。無機は有機に比べて、腸から吸収されやすく、血液中のの濃度(血清濃度)を上昇させやすい。そのため、無機が多く入っている怖れのある食品添加物入り加工食品は避けた方がよい。

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禁粗

 栄養素がないジャンクフード(粗末な食事)を取れば、長生きはできまい。ジャンクフードは工業製品で命がない食材だ。命がない食材を食べても、命は永らえない。私はポテトチップス、コーラ、ハンバーガー等は食べない。

 私はカップラーメンも絶対に食べない。若いころ胆石の手術をしてから、カップラーメンを食べると必ず下痢をする。カップラーメンには人間の消化に悪い油が使われているようだ。

 

禁座

 座り過ぎはタバコを吸うと同じくらい体に悪い。1日に座っている時間が4時間未満の成人と比べ、1日に11時間以上座っている人は、死亡リスクが40%も高まると言われる。「座り過ぎは世界で年間200万人の死因になる」という発表(2011年、WHO)もある。喫煙は世界で500万人以上、飲酒は300万人以上の死因である(WHO)。“座りすぎ”も喫煙や飲酒と同じように健康リスクを脅かす。

 

禁慢

 人間の体は繊細な精密機械である。慢心して食べたいものを無防備に食べれば、「毒」に当たる。それでは短命である。慢心こそ長寿の敵である。

 

ノーパン生活

 小麦に含まれるグルテンが細胞を攻撃する。世の中にはグルテンが合わない人が多数いる。だからグルテンフリーの食材が販売されている。

 私もパンを食べるとなにかお腹が張ったようになることが多かった。この事実を知ってから、パンを食べるのを控えている。ノーパン生活である。

 私もパンは好きである。しかし美味しいものには毒があるのだ。

 

狂った食生活を避ける

 これを食べれば長寿になると言う魔法の食材はない。危機管理として出来ることは、寿命を短くする危険性のある食材を出来るだけ摂らないようにするしかない。

 

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 馬場恵峰書

 

2022-10-26  久志能幾研究所通信 2525  小田泰仙

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本物の金銀、空手来空手去

 

金銀は、慈悲と情け、義理と礼、身の一代に使うためなり

        馬場恵峰師 知己塾 2013年5月9日

 

 カネはあの世には持って行けない。カネとは、人生劇場で与えられた役を演じるための準備費用である。その費用は自分で払う。より多く払えば、より良い役が与えられ、良い演技ができる。カネは、運命の方向を左右する「お足」である。その使い方で、方向が変わる。カネを貯めるものと勘違いして、それをケチるから、悪縁の事件で足止めされ、幸福になれない。

 グローバル経済主義者のカネの亡者は1%しかいないのに、使い切れないほどの金を取り込み、99%の人を貧困に陥れ、貧富の差を拡大させた。カネが何のために有るか、理解していないのだ。だからカネの亡者が戦争を招くマネーゲームに「狂じて」いる。それが原因で戦争が起きる。それがウクライナ戦争である。

 

空手来、空手去 

 意味:人は裸でこの世に来て、裸であの世に去る

  李秉喆(リヘイテツ)の座右銘

  李秉喆はサムスングループを創業した企業家。

 

 李秉喆は、稼いだカネを社会と国家の繁栄のために役立てたいとの思いでサムソンを育てた。

 その子息の李健熙(イ・ゴンヒ)が、その志を継いでサムスンを世界的企業に発展させた。しかし後継者の教育には失敗したようだ。李秉喆の孫たちが財産争いで裁判まで起して醜態を晒している。総帥となった孫の李在鎔は収賄で逮捕され収監された。恩赦で出所したが、その後は振るわない。子供や孫たちは李秉喆の座右銘を理解していないようだ。先代の苦労を忘れた後継者がかじ取りを始めて、サムソンは没落を始めた。

 サムスンの前身は、1938年、日本統治時代の朝鮮大邱市で、李秉喆が株式会社三星商会として設立された。蘇洞(現在の允恭洞)において40人の従業員を抱える小さな貿易会社としてスタートした。そのサムソンも世界的企業に成長したが、創立84年を迎え、100年を前に挫折しそうである。サムソンからは悪い噂しか流れてこない。

 

 トヨタ自動車は1933年に創業された。その後の展開でサムソンと比較すると、両社の行動に、仁義礼智信で差を感じてしまう。サムソンからは仁義礼智信が感じられない。サムソンはグローバル経済主義に徹した会社である。隙があれば他国から技術を盗んでも平気のようだ。人は使い捨ての社風のようだ。

 それが今後起こると予想される経済危機で、その差が明確になるだろう。

 

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  仁義礼智信 馬場恵峰書

 

Dsc01221s 馬場恵峰師 知己塾  2013年10月10日

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2022-10-25  久志能幾研究所通信 2524  小田泰仙

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2022年10月25日 (火)

108歳を目標(3/12) 食事が体の土台を造る

 

 食事こそ、体を造る最大の要素である。体が頑強でないと長寿など無理である。体は家に例えれば土台になる。その土台が規定通り造られていなければ、住める家などにはならない。地震がくればひとたまりもない。

 

土台を考えないでいて、家の構造ばかり考えたって、その家は住むに耐えられない家になっちまうでしょう。人生もまたしかり、であります。

  中村天風著『心が強くなる言葉』イースト・プレス    p48

 

建築物崩壊

 土台を作る材料の劣悪さと設計ミスから、1995年6月29日、韓国の三ユタカ百貨店が崩壊した。基礎工事の手抜きが原因で、地震が起きてビルが傾いた。手抜き工事で韓国製の橋が崩落した等の事例は数えきれない。韓国企業は建築業としての精神基盤が崩壊しているのが原因だ。

 

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  三豊百貨店崩壊事故  Wikipedia より

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 基礎工事、その材料の劣悪さは、基礎コンクリートに深刻な脆弱さを与える。コンクリートが豆腐状態のカスカスで、基準値の耐力がなく、自身の重みで破断して起こるべくして起きた事故であった。

 

人体構造

 人体も同じである。人体の構成臓器は細胞から作られる。その細胞は、食事から作られる。食事は運動エネルギーだけでなく、体つくりにも使われる。粗悪品の材料の食事をすれば、出来の悪い体が作られる。体の細胞は一生続くわけではなく、順次新陳代謝を繰り返し、入れ替わる。その周期はおおよそ6~7年ほどである。体の組織によって生まれ変わる年数は異なる。その細胞毎の入れ替わる周期は下記である。

 

赤血球: 120日

骨細胞:  90日

肌細胞:  28日

胃の細胞: 5日

小腸の細胞:2日

 

 組織は死ぬことで新しい組織に生まれ変わり、成長を続ける。新しい組織の元素は、日々食べている食事が原料である。その食事が不完全だと、栄養失調となり新しく生まれる細胞が完全な成長を遂げれない。正しい食事をした組織とそうでない組織に、10年後の成長に差が出るのは宇宙根源の理で、当たり前である。日々食べる食事は、活動エネルギーだけに使われるのではなく、その半分の量は体を作り直すための構造材料に使われる。新たに作られた組織が、欠陥品の材料(食品)を元にすれば、できる組織も不良コンクリ―トのように、耐力のない組織となる。それでは長寿は難しい。損な組織は、免疫力も小さく、新型コロナウイルスにも弱いだろう。体が弱ければ、精神的な耐力も弱く、突然死や自殺だってありうる。

 健全なる体に健全なる精神が宿る、は真言である。

 

ジャンクフードを食べさせるのは毒親

 栄養のある、毒の入っていない食品を食べないと、欠陥のある基礎となってしまう。ジャンクフードばかりでの食事では、栄養はないし、病気の元になる。

 農薬や防腐剤の入った食材では、体つくりに影響がでる。そんな食事では長寿は無理である。

 子供にファストフードばかり食べさせるのは、毒親である。子供がそれを食べるのを黙認するのも毒親である。

 食べ過ぎは良くないが、必要の量を食べないのでは、体が作れない。栄養失調では長生きできない。

 

 医食同源は真言である。病気になって薬を飲むのは、本末転倒である。薬は毒である。飽食の時代と言っても、栄養価がなく、毒の入った食材では長生きはできない。食費を削ってカネを作っても、人生は創れない。生命の存続の基本に立ち返ろう。

 

2022-10-24  久志能幾研究所通信 2523  小田泰仙

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2022年10月23日 (日)

高貴な後悔 オランダ皇太子(現国王)とのご縁

 

 私の今までの人生で一番高貴なお方に近づけたご縁は、オランダ皇太子ご夫妻(現国王)が臨席されたレセプション参加である。秋篠宮殿下ご夫妻も臨席されたレセプションである。

 2005年4月19日、「愛・地球博2005」のオランダ・ナショナルデーで、オランダ大使館主催のレセプションがヒルトン名古屋ホテル「扇の間」で開催された。私の部長が在日オランダ商工会議所会員の日本オセ(株)の重要なお客様として招待された。私は当時、技術部のIT関係で日本オセと商談を進めていた。日本オセは大型プリンターのメーカである。

 私が偉くて招待されたわけではなく、部長が招待されたが、「忙しいからお前が行け」と私に代理出席を任せられた。これもご縁である。とても美味しいご縁であった。

  

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 「愛・地球博2005」会場  2005年4月19日

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 壇上はオランダ皇太子ご夫妻 

 

 この招待参加者は「愛・地球博2005」会場でのイベント終了後、専用バスでヒルトン名古屋ホテルへ移動した。

 レセプション会場前で厳密なセキュリティチェックを受け、レセプションホール「扇の間」に入場した。そこにオランダ皇太子ご夫妻と秋篠宮殿下ご夫妻が参列され、至近距離10mの距離で拝謁できた。

 いい歳こいたオジサンたちがカメラを持ち、ミーハーになって、紀子さまに群がって行った。すぐガードマンに阻止された(笑)。最初に飛び出して行ったオジサンは紀子さまのいい写真が取れたとご満悦であった。トヨタ系会社の私のIT仲間の偉いさんである。当時、紀子さまは大人気である。私は遠くからこれを眺めて幸せな気分となった。

 

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 オランダ皇太子ご夫妻と秋篠宮殿下ご夫妻

  ヒルトン名古屋ホテル「扇の間」

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 紀子様

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  将来のオランダ国王は気さくに皆さんと歓談

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 その気になれば、オランダ皇太子の元に行って歓談できたが、流石に畏れ多くそれはできなかった。オランダ皇太子は気さくに会場のあちこちで歓談をされていた。

 その後、オランダ皇太子の妃が我々のOCEのテーブルに回ってこられた。感無量である。今にして、皇太妃とお話をすればよかったと、17年後の後悔をしている。高貴な後悔である。

 

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オランダ皇太子妃 歓談相手はOCE社長

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 私の目の前にオランダ皇太子妃   OCEのテーブル 

 その8年後の2013年4月30日、ウイレム・アレクサンダー皇太子は第7代オランダ国王として即位された。

 ウイレム国王は、2014年(平成26年)10月28日から10月31日まで日本を国賓訪問した。即位後、欧州域外の国家を公式訪問するのはこれが初めてであった。王太子時代の1988年(昭和63年)以降、通算で15回以上も来日されている。

 

ノブレス・オブリージュ

 欧州の王族が尊敬されるのは、ノブレス・オブリージュ(仏:noblesse oblige フランス語)として務めを果たしているからだ。ノブレス・オブリージュとは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。だから王族や貴族は、戦争になると真っ先に戦場の最前線で戦っている。貴族の戦死率は一番高い。だから尊敬されるのだ。

 

 A宮家、KK問題、KM問題で、国民が納得できないのは、果たすべき役目を果たさず、権利ばかり主張して贅沢三昧をしているためである。行動を観察して、それが尊敬できないレベルなら、ノブレス・オブリージュに反した行動であるのだ。高貴な人どころか下人のような振る舞いでは、国民に寄り添った皇族ではない。

 

 一国の首相にもノブレス・オブリージュが求められる。岸田首相は果たすべき決定もせず、最前線で弾に当たって死ぬのではなく、検討だけで死んでは(検討死)、恥さらしである。リーダの務めは決断をすることなのだ。決断のできないリーダは、首相失格である。

 

 市長や議員が、その地位でやるべきことを放棄して、利権ばかり追い求めれば、市民と遊離した存在となる。市長という立場にも、ノブレス・オブリージュが求められる。コロナ禍で市民が物価上昇で苦しんでいるのに、またゴミが16年前に比べて30%も減っているのに、ごみが増えていると大嘘をついて、ゴミ袋有料化を推進する大垣市長・石田仁、推進委員長の近沢正議員は、市民の敵である。

 

 自分が平民で高貴な身分でなくても、精神が高貴なら心の貴族である。そういう精神で、世のために過ごしたい。そうすれば下劣な番組や下劣なマスコミを避けることになるだろう。日本の精神レベルが上がるはずだ。

 精神が高貴でない皇族や岸田首相や大垣市長は、他山の石と思えばよいのだ。

 

  2022-10-23  久志能幾研究所通信 2522  小田泰仙

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2022年10月22日 (土)

108歳を目標(2/12) 科学的な健康管理

 

 病気になると、特に難病のがんになると藁をもすがる気持ちで、流行の民間療法に手を出し勝ちである。私は理系の人間なのに人間の弱さから、つい科学的根拠から目を逸らしてそれに手を出してしまう。長寿を達成するには、そういう間違った健康管理を避けねばならぬ。

 

 今の私のがんに対する見解は、「がんは生活習慣病で、その原因となった狂った生活習慣・狂った食生活を正さないと、がんは再発する」である。だから「がんを抑制する魔法の薬」、「飲めばがんが消える食材」などはない、である。当たり前の生活、狂っていない生活習慣・正しい食生活を送ることで、がんにならずに長寿が確保される。

 どんな薬でも、臨床試験で科学的に確認されたものを服用すべきである。科学は統計学なのだ。

 

父のがん

 20年程前の2000年頃、父が癌になり、入院して手術をした。その時、私もその種の民間療法に手を出した。それはアガリスクの溶液であった。自己啓発セミナーで縁のあった知人が紹介してくれ、それを購入して父に飲ませた。一瓶一万円である。父にはがんを告知していなかったので、それを飲ませるのには大変気を使い、結局、充分に飲ませられなかった。それもご縁である。

 今にして思うことは、そんな少量の溶液だけでガンが治るわけがない、である。がんは生活習慣病なのだ。がんの組織は全身を回っている。そんな小さな盃の液体量でガンが消えるわけがない。藁をもすがる人間には、それが見えなくなっていた。それでは108歳の達成は難しい。

 丸山ワクチンもその臨床データでは、有効性を実証できなかったようだ。

 

私のがん

 2019年に私のがんが見つかり、愛知県がんセンターで手術をした。その後、がんの標準治療コースとして抗がん剤治療を勧められたが、私はそれを拒否して、別の治療方法を探した。

 そこで横浜のビタミンC療法の医院を見つけ、そこで勧めれたギリシャ企業の最新血液検査をしてもらった。その血液検査費用40万円である。その結果で、がん再発のリスクを調べた。その分析に基づいて、最適なガン再発防止の薬を処方してもらった。それはアガリスクから派生した錠剤であった。しかしそれを飲むと体調が悪くなり、調べたら肝機能が低下していた。かかりつけの医師から、その薬を飲むことを禁止され、その後、肝機能は回復した。

 そのギリシャの企業はベンチャー企業で、科学的な裏付けデータの集積が不足していたようだ。それが効く患者もいたかもしれないが、私には合わなかった。薬とは毒物でもある。薬は患部には効くが、正常な細胞も攻撃するのだ。

  それを知っていたから、愛知県がんセンターでの抗がん剤治療を拒否した。高齢の私には正しい選択だったと思う。

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2022-10-21  久志能幾研究所通信 2521  小田泰仙

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2022年10月21日 (金)

108歳を目標(1/12) 総括

 

 先日、中学校卒業後46年目の「最後の同窓会案内」をもらった。「最後の同窓会」の言葉に反発を覚えた私は、108歳まで現役を目指すとのと決意を新たにした。いくら長生きしても寝たきり状態では意味がない。現役で社会に貢献してこそ長生きだ。

 生物学の理論的には、人間の寿命は120歳が限界のようだ。だから少し控えて108歳を目標とした。

 

 松下幸之助翁は120歳まで生きるのだと公言し、結果94歳で亡くなられた。松下幸之助翁は、若い頃は病弱で24歳まで生きられないだろうと医師から言われていた。それが94歳まで活躍されたのは、長く生きようと決意されたからだ。何事も決意をしないと実現しない。

 馬場恵峰先生は94歳直前まで、現役を続けられた。書家の藤田桃紅氏は107歳直前まで現役であった。

 私が108歳まで現役を続けられるかは、神仏やご先祖のご加護にもかかっている。何事も願わないと実現しない。棒ほど願って針ほどかなう。それでよい。強く願い、限りなくそれに近づくように精進を続ける。

 人は108の煩悩を持つ。その煩悩を年に一つずつ無くしていき、108歳で大往生したい。

 しかし人間社会は年功序列、先入れ先出しがトヨタ生産方式の原則で、長すぎる寿命は、社会に迷惑をかける。動けなくなったら静かにこの世を去ればよい。

その私の現在の取り組みを記す。

 

科学的な裏付けのある健康管理をする。

食事に最大限の注意を払う。

 良食生活(ジャンクフードを食べない)

 禁酒禁煙禁油禁揚禁糖禁リン禁粗禁座禁慢、ノーパン生活

運動を欠かさない。筋力を維持する。

睡眠を十分に。

健康とは体と心の健やかさ。心の栄養にも最大限の配慮する。

 ストレスを過度に受けない。

温かい部屋で過ごす。

体を冷やさない。

孤独は精神活動に良いが、孤立は精神的に危険

病気は神仏からの啓示。病気の真因を探してそれを潰す。

それより大事なことは、病気にならない生活をする。

対処療法の治療を受けない。

危機管理を重視。体の異変を早く検知。早めに手を打つ。

医師を盲信しない。医師以上の知識を持つ。

 現代の医者は部分最適、対処療法の治療しかしない。

 全体最適の治療、真因を無くす治療のを選択するのは自分の責任。

いつ死んでもいいように準備をしておく。

 何時か、その準備ができなくなる時が来る。だから早く準備をする。

 私は墓も作り、戒名も決め、墓誌に刻んだ。

一生かかっても叶わぬ大きな夢を持ち続ける。

断捨離をしない。

好奇心を無くさない。

体が動く限り現役を続ける。

社会に貢献できる活動をする。

アウトプットを継続する。

見送られるより、最後まで踏ん張って皆を見送ろう。この気概を持つ。

神仏ご先祖を崇拝し感謝する。

 

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 馬場恵峰書

2022-10-20  久志能幾研究所通信 2520  小田泰仙

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