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2017年10月

2017年10月 3日 (火)

松下家墓所へのお参り

 松下幸之助経営塾のOB会が、高野山開創1200年祭の期間中に高野山で開催されるご縁があった。2015年4月24日、松本明慶先生が造仏された開眼後の四天王像を撮影する目的も兼ねて、泊り込みで高野山にでかけた。

 高野山に行く途中の和歌山市で、松下幸之助翁のお墓に寄り、経営塾の仲間全員でお墓参りをした。松下家のお墓は、広い墓地に上品なたたずまいで建立されていた。この近辺は、松下家の土地で一部を松下公園として市に寄付をされている。その横に松下幸之助翁誕生の碑が立っており、その碑文の主がノーベル賞受賞の湯川秀樹博士であった。

 

松下幸之助翁のお墓

 松下家のお墓は、広い敷地に上品なデザインで簡素なお墓が建立されていた。気品が漂っている素晴らしいお墓である。しかし松下家のお墓は全体のデザインには品があるが、難点が墓石の材質である。墓石はアメリカングレーという石で、高価ではあるが、柔らかい石である。墓石の加工中にそれを見た人が、「なぜ幸之助さんともあろう方の墓石が、あんな石なのか」と業界で話題になったという。この墓地の設計は松下家に出入りをしているゼネコンが取り仕切り、傘下の輸入代理店の関係で、アメリカングレーという石になったようだ。ゼネコンの担当者が、石に対して無知であったようだ。

 

プロの無知が露見

 墓参りをした日が、たまたま雨上がりの翌日で、墓石が水を吸って色が変わっているのが写真から判別できる。硬い石ではこんなことにはならない。その道のプロとして知らないとは恥ずかしいこと。柔らかい石は、雨で水を吸い、冬季で氷点下になると吸い込んだ水が凍結して、石を痛める。

 後日、石屋さんから色々と石の知識を教えてもらい、松下家へのお墓参りをしたご縁に感謝をした。不思議なご縁である。お墓にお参りした日が、雨上がりの日でなければ分からなかったご縁である。

 

後日談

墓所の入り口に名刺入れがあり、そこに自分の名刺を入れた。後日、松下家から丁寧な墓参りのハガキの礼状が届いた。流石である。

 

図1 松下家の墓所

    水を吸っているのが分かる

図2 松下幸之助翁誕生の碑

図3 松下公園

 

2017-10-03

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年10月 2日 (月)

魂の会話という演奏会プロジェクト

 2017年9月29日、「世界で一流の音楽を楽しむ会」主催のドイツトップチェリストの「TIMMコンサート」が大垣市音楽堂で開催された。私はスタッフの一人として、写真撮影・ビデオ撮影を担当した。プロの演奏を相手に、本格的な撮影・ビデオ撮影は初めての経験であった。その過程でリハーサル中の演奏家の行動がレンズ越しに垣間見えてよき経験となった。今までの人生でも、なかなかこんな機会はない。

 2年前も同じTIMM親子と河村先生の演奏会であったが、それから場数が増え、私のクラッシックの造詣が少し深くなり、今回のリハーサルの見聞を、レンズを通して見て、いろんな面が観えてきた。

 リハーサルでは、フルサイズCCDの一眼レフに、100~400mmズームレンズを装着して最後列席から約300枚を撮影した。しかし本番では一眼レフのシャッター音が問題になるので、本格的な撮影は遠慮して、無音の小型デジカメで数枚の撮影にとどめた。リハーサルで、しっかりと撮影出来て良かったと思う。現在、無音シャッターのカメラを手配中で、10月10日前後に入荷予定である。次回の演奏会には間に合いそうである。

 

デュエット演奏

 「デュエット演奏とは、二人の音楽家が楽器を媒体として作り上げる魂の会話プロジェクトである」が今回、私が体得した演奏会の定義である。そのプロジェクトは試行錯誤の産物で、一つひとつ、丁寧にお互い音を確認しながら作り上げる芸術作品なのだ。一人の音楽家の出す音は、魂の響きである。魂とは己の内なる「鬼」が「云う」と書く。己の魂の叫びをピアノなりチェロに託した音を響かせる。

 ピアノが「タタタッタ…….ターン(どう? 美しいでしょ?)」と鍵盤をたたくと、チェロが「ビンビン ビーン(そうだね、ぼくも同感だ!)」と会話をするが如くに音が流れるのがデュエット演奏である。交互に魂の会話を交わすのが、美しいハーモニーになってくる。美しくなければ、魂の会話が成立していない。

 

リハーサル

 リハーサルでは、TIMM息子がピアノの位置を観客席側に50センチ前に出すように指示をした。最初の位置では、舞台が広すぎて、客席から見て奥過ぎると言う。そこまで気を使ってのリハーサルである。

 TIMMパパは、TIMM息子と河村先生のデュエット演奏を観客席から聴いて、アドバイスをしている。それも観客席の場所を2回変えての助言である。

 リハーサルでは、3人が会話をしながら、演奏の微調整を繰り返し、それがすぐどう演奏に反映されて、変化したかが、わかるので興味深かった。3人が、「ここはもう少しテンポよく、もう少し強く、アレグロで、この間を強調しよう」とかの会話をしているようである。2人が小フレーズを演奏後に話し合いをして、すぐそれが演奏に反映される。それも目で合図をしたり、直接相手の所に行き、楽譜で示しての微調整である。

 

本番演奏

 「本番では、完成された演奏であり、その苦労のプロセスは見えない」と素人の私は思っていたが、実際は上手くいくかどうかは賭けで、上手く行く場合もだめな場合もありと河村先生から教えられた。人生と同じで、本番で練習通り、理屈通りにはいかないようです。それが人生の面白さでもあるのだ。今回、河村先生の本音を聞かせて頂いたのも大きな学びであった。今回、そのリハーサルの一部始終を見聞できたのは幸いであった。どんな人生のプロジェクトでも、一人では完成しない。共に戦う仲間との会話と魂のぶつかり合いがあって、素晴らしいプロジェクトが完成する。人生演奏は、いつも本番の演奏なのだ。主役は己である。ダメでもともと、チャレンジを続けていきたい。

 

図1 TIMM親子 Juernjakob Timm、Juernjakob Timm

図2 Juernjakob Timm と河村義子先生

図3 ピアノの位置を変更

図4 Juernjakob Timm と河村義子先生

図5 Andreas Timm と河村義子先生

図6 Juernjakob Timm と河村義子先生

図7 Andreas Timm と河村義子先生の極秘会談

図8 TIMMパパのアドバイス

図9 客席で二人を見守るTIMMパパ

図10 Andreas Timm から河村義子先生へ極秘指令

図11 席を変えた場所で聴き入るTIMMパパ

図12 開幕での河村義子先生の挨拶

図13 本番でのJuernjakob Timm と河村義子先生

図14 本番でのTIMM親子と河村義子先生 

 

2017-10-02

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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学ぶとは自分探し

 学ぶために記憶するとは、単に個別の項目を覚えるのではない。個々の項目と他の項目の関連を学ぶことなのだ。本を読んで新しい知識を得るのは、今まで学んで構築した脳内のネットワークを強固なベースにする手段である。単なる一項目を覚えても、人生では何も役立たない。それが自分の人生とどういう関係があるかまで、掘り下げて学ぶことが学問である。単に覚えることは受験勉強の抹消の技でしかない。学ぶ以上は、自分自身の癖や性格までを直さねば、本当の学問ではない。受験勉強はその入り口での練習なのだ。

 

科学

 科学の「科」とは、「禾」偏に「斗」と書く。稲を収穫して、それを秤で計測することを意味する。科学は幹を枝に分解して、枝を葉と花に分解し、花を花びらと雌しべに分解し、細かく細分化して本質を究明する学問である。現代は、余りに細分化しすぎてがため本質を見失いがちになっている。病気になり西洋医学がその病名を探求し治療法を開発するのだが、病気は治りました、病人は死にましたということも起こりがちである。

 経済を究極に細分化した果てがグローバル経済主義で、理論的には正しく、個別には成功するが、社会全体は不幸になる理論である。個人主義の欧米では、経済万能主義に行き着き、これに邁進中である。ねずみが集団となり、狂ったように暴走していき、海に突っ込んで行き全部が滅亡する様を思い描いてしまう。

 

哲学

 哲学や宗教、そして東洋思想は、その末端からその根源に向ってその源を探る学問である。木を見ず森を見て、その本質を究明する。東洋医学は西洋医学と違い、その病気のもとになった原因を探し、元から治していく治療方法である。

 歴史を学ぶとは、人間の営みを学ぶことである。2000年前の人間の行動と現代人の行動に、差などはない。史記、十八史略、三国史、ローマ史を読むと、人間の行動は変わっていないことが良く分かる。

 

経営

 経営とは、人間の歴史を学ぶことである。「経」とは、縦糸と横糸の関係を象形文字として現している。いままで連綿として営まれた歴史を、現代という流行の横糸で織りなした状況を、盛んに火を燃やして陣屋のなかで活動している様を表現した字が「営」である。今起こっている事象は、過去の事象の流れのなかで、今の事象はどういう関係にあるかを解明するのが、学びである。今の事象だけに振り回されていると、本質が分からず、間違った対応をすることになる。そのために、その関連を学ぶことが、歴史と経営を学ぶことなのだ。オックスフォード大学には経営の学問はない。経営は歴史を学べば、不要であるという考えである。

 

自分探し

 学びを怠った民族は、滅亡するしかない。その事例は歴史の上に死屍累々と山積する。今の中韓の歴史の対応をみていると、考えさせられる。歴史は繰り返すので、歴史を学ばない愚かな国に振り回されることはない。

 組織の長が自分探しを怠ると、組織の崩壊になる。己に与えられた才能は、何のために神仏から与えられたのか。組織の中の長という「分際」で、自分の役割は何かを忘れると、組織は悲惨な状態になる。自分探しの自覚がなく、組織の長として長期政権で君臨すると、回りのヒラメがイエスマンばかりになり、自分は偉いのだとの「自己洗脳教育」を17年間も受けることになる。行政経営のPDCAも回らず、反省もなく、業者との癒着にも不感症になってしまう。己の思い込みの政策が、良かれと信じ込んでいる故に、それが逆に民に苦しみを与えていても、回りの取り巻きの誰も本当のことを言わない。まるで裸の王様である。大垣市政を反面教師としたい。 

 個人的に自分探しを怠ると、己を見失い自虐的にも、攻撃的にもなる。挙句にうつ病に罹り、幽霊となり、認知症にもなる。学問をするとは、自分を見失わないための手段である。人として、当たり前のことをして、頂いた命を全うしたい。

 

2017-10-02

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年10月 1日 (日)

子供たちを食い物にする大垣市長

 日本の未来を背負う子供たちには、正しい教育を与えなければならない。営利企業の金儲けの道具に使われてはならない。その子供たちを役人の自己満足で取った予算の間違いを誤魔化すために、こき使われてはならない。子供たちは勉強にその時間を使って欲しい。

 2017年10月1日の大垣元気ハツラツ市は、中川幼稚園の園児達、興文小学校の児童たちが、大人の金儲けと市長の行政の失敗の尻ぬぐいのために駆り出された。それも参加校は違うが、毎回のことである。大垣元気ハツラツ市は、私企業の営利団体である大垣駅前商店街の活性化のために、市民税で行っている月1の行事である。幼稚園、小学校の職員は、大垣市に人事権と補助金で縛られている。大垣市長名の行政の要請があれば、断ることができるわけがない。  

 各商店街がイベントで高校や中学、小学校に、その種の要請をして、いまだかって受諾されたことはない。知人の元校長先生に意見を聞いても、そんな要請をすること自体、言語道断であるという。これが大垣まつりや十万石まつりの公式行事なら別である。元気ハツラツ市は、あくまでも一部の営利企業の団体の行事である。

 

ハツラツ市の実態

 2017年10月1日の大垣元気ハツラツ市でも、大垣駅前商店街のお店がある歩道はシャッターが目立ち、人通りもガラガラである。それも毎回である。中央の大通りに店を構えた露天商と商店街の飲食店で、多くの来客は、飲み食いをしていて、見た目は盛況ではある。しかし物販店で買い物をする人はごく少ない。なにせ買い物品を抱えて、アピタまでの遠い道を歩くのは苦痛である。商店街で1,000円の買い物をすると抽選で当たる500円の買い物券を商店街が出しているが、あるお店では、本日はその利用は1枚だけであったと言う。つまりお客の大多数は駅前商店街で買い物をしていない。

 

当日の当てつけ休業

 市役所からの開店の要請があっても、16店舗は、元気ハツラツ市の当日にお店を休業している。どうせ元気ハツラツ市の当日は商売にならないからだ。それは抗議の意味もあるだろう。現在、大規模小売店が閉店して、跡地がマンションになったタマコシやヤナゲンB館を含めて、50のテナントがあったと推定して計算すると、駅前商店街の192店舗中、117店舗が店を閉めた。それは60.9%になる。現在、75店舗しか残っていない。そのうちの21%のお店が、元気ハツラツ市の当日に休業である。閉店になるお店は現在も増加中である。この数値は、あくまでもメインの駅前通りだけでの集計である。横道に存在する商店街を含めると、もっと数が多くなる。

 誰の為のハツラツ市なのか。市民の税金の無駄使いである。結果として、商店街の声を無視して、実態も調査せず、お店がつぶれるのを助長したのだから行政の背任行為である。

 元気ハツラツ市の当日(10月1日)、どれだけのお店が休業しているかは、写真に撮って自分の目で確認した。前日の9月30日(土)、全商店の開閉店状況を写真に撮って、それとの比較で算出した数値である。

 

来訪者の行動

 多くの来訪者は大垣駅北側の大規模小売店のアピタの無料駐車場に車をおき、元気ハツラツ市を楽しんで、最後にアピタで買い物をして帰る。元気ハツラツ市スタンプラリーのスタートがアピタなのだ。その客の多くは市外からの客である。市外から来る客と市外から金儲けにくる露天商と外部資本のアピタを喜ばせ、市内の駅前商店街の商店を閉店に追い込むために、大垣市民税が使われている。それが7年間も続いている。会計報告もなく、売り上げが増えたとの嘘の「大本営発表」があるだけ。

 

利権?

 なんとかして欲しいと商店街の店主達の多くは訴えるが、利権があるかよほど美味しいものがあるとしか思えない商店街組合のボス達は、その声を握りつぶしている。商店街組合の幹部のポストは、ボス達だけで持ち回りで、その座を手放さない。ハツラツ市を開始して7年間が過ぎた。それで活性化ができれば、まだしも、この3年間だけでも約40店舗が店を閉めた。現在で、駅前商店街の表通りだけでも61%のお店がシャッターを下ろした。今さらに閉店する店が加速している。市長やヒラメの取り巻きも、聞く耳を持たない。大垣市長は商店街街からの話し合いの場の申し出を「今はその時期ではない」と拒否である。市民税1,200万円、県民税100万円、商店街組合費500万円の合計1,800万円を、毎年投じて市役所と商店街の幹部だけが取り仕切って行っている行事である。7年間で1億2千600万円が消えた。企業経営の基本のPDCAは回らず、その会計報告は誰も知らない。

 

図1 中川幼稚園の園児の演技(2017/10/1 10:05)

図2 興文小学校の児童の合唱 (2017/10/1 10:35)

   これを練習するのに、勉強時間を割いてのことである。それも日曜日の休日の出演である。付き添いの先生たちの人件費は市民税である。

図3 繁盛する露店(大通り中央部)(2017/10/1 12:35)

   露店のほとんどは大垣市以外の業者

図4 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 12:54)

図5 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 14:12)

図6 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 14:13)

図7 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 14:19)

図8 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 14:41)

図9 観客がいないパーフォマンス(2017/10/1 10:33)

   これで商店街が活性化するのか。司会や伴奏音楽のアンプの操作の数人の人件費も税金

図10 観客がいないパーフォマンス(2017/10/1 12:51)

         タレントの人件費にも税金が投入されている。   関係者数人の人件費もかかる。

図11 この場に政治は持ち込まないで欲しい(2017/10/1 12:29)

   これでは商店街は活性化しない。

 

2017-10-01

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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