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2017年9月27日 (水)

墓石の材質の選択

 2015年に自家のお墓を改建したが、そこで検討の対象になったのが、石材の選定であった。日本の御影石は一般的に高価だが良質である。しかしもっと安価でより良質の石材がインド産にあり、今回の選択とした。その理由は、硬い石は水を吸わず、凍結等での石の劣化を防止できるからだ。高価な国産のブランド石でも柔らかい石では水を吸う。吸水率で石の種類を見ると下記の差がある。今回選定したインドグリーンブラック(M-1H)は吸水率ゼロである。

 石材は自然天然材のため、同じ産地の石でもばらつきが大きい。公表データからおおよその傾向は分かるが、最終判断は、サンプル石材を叩いて、音を自分の耳で確認するのが良い。硬い石は甲高い音が、柔らかい石は低い音がする。私は自分の耳で確認をして納得した。

 

          圧縮強度 kgf/cm2    吸水率(%)

花崗岩(御影石)     1,500       0.25 

 安山石        1,000        2.5

 凝灰石               90                17.2

 砂石           450                11

 

愚かな選択

 同じ御影石でも前表のように、その硬度や吸水率にはばらつきが大きい。同じ御影石を使った碑でも、単に価格だけで御影石を選定すると、質の悪い御影石が提供される場合がある。図3,4の碑はある公共団体の祈念碑の例である。この碑を手配した担当者も、請け負った商社も、石材のことを知らないで入札方式で、コストだけで見合う御影石を選定して製作した。その結果がわずか15年後に、水を吸い冬季に凍結してヒビが入ったみすぼらしい姿の晒しである。個人の碑ならともかく、多くの人が目にする公共の碑には相応の石材を選定しないと、子や孫の世代に金をケチったことが露見して恥をかくことになる。

 

お地蔵さんの石材

 お地蔵さんの彫刻には砂岩が使われる。素材が柔らかいため彫刻がしやすい。しかし吸収水の高い砂岩は、長い年月で傷みが激しくなる。そのお地蔵様がお堂に納まっていれば良いが、外に露出した状態で祭られて、それが寒冷地だと傷みが顕著になる。

 私の町内の室村四丁目地蔵菩薩(明治43年(1910年)建立)は、昭和20年の空襲でナパーム弾を浴びたせいもあり、その傷み方は痛々しい。後ろの衣が剥げ落ちている。冬の雨の日に吸い込んだ水が凍結・解凍の繰り返しをして、105年の年月で現在の姿になったようだ。

 

50年後の成果

 石材の経年変化は50年後でないと分からない。墓石の素材の選択の責任を子孫がとることになる。そのため、私は石屋さんの勧めで一番硬い石を選択した。石も人も叩かれてその真価が分かる。そして長い歳月の風雪がその本質を明らかにする。

 

表1 各種の御影石の比較

図1 各種の石材のサンプル

図2 石材の硬さは叩けば分かる

図3 築15年でヒビが入った御影石(某記念碑) 

図4 水を吸っている御影石(某慰霊碑)

図5 風雪で傷んだ墓石 築52年

図6 室村町4丁目地蔵菩薩像の台座

 

2017-09-27

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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白檀の佛像とのご縁

 松本明慶先生は高さ5mの木造大佛を総白檀で製作された。この大きさの大佛を総白檀で造佛するのは1,400年の大佛造り歴史の中で初めてである。白檀は佛の宿る木とも言われ、鋼鉄のように硬い香木である。それ故、細かい細工をする彫刻には最高の木である。佛像という伝統工芸の制限多き世界での新技法の開発は、創造性そのものである。その過程で多くの工夫が盛り込まれ、汗と涙の苦労が窺える。その製作過程の記録はNHK「仏心大器」にある。オンデマンドでご覧ください。

 

白檀の入手

 総白檀の大佛製作には大量の白檀の材木が必要である。白檀は輸出制限のある木で、大量の白檀の木の入手にはインド政府の許可が必要だが、それがなかなか許可されなかった。担当部署にいくら説明してもその利用法が理解されないため、許可が下りない。インド政府曰く、「ラジブ・ガンジー首相を荼毘に附すために使った白檀の総量が4トンである。それなのに23トンもの白檀をよこせとは何事か」である。松本明慶先生は、その必要性を説明するため、白檀で製作する大佛と同じ構成で、紅松(ロシア産)で実物大の雛形大佛を作成して、白檀の木を無駄には使わないことをインド政府に実物で説明して、理解を得た。

ラジブ・ガンジー首相は1991年、スリランカの紛争介入を巡るテロで、遊説中に暗殺された。ラジブ・ガンジー首相はインディラ・ガンジー首相の長男で、初代首相ネール氏の孫にあたる。

 

白檀の原産地はインド。インドでは古くはサンスクリットでチャンダナとよばれ佛典『観佛三昧海経』では牛頭山に生える牛頭栴檀として有名であった。栽培もされ、紀元前5世紀頃にはすでに高貴な香木として使われていた。産出国はインド、インドネシア、オーストラリアなど。太平洋諸島に広く分布するが、ニュージーランド、ハワイ、フィジーなどの白檀は香りが少なく、香木としての利用は少ない。特にインドのマイソール地方で産する白檀が最も高品質とされ、老山白檀という別称で呼ばれる。

初めは独立して生育するが、後に吸盤で寄主の根に寄生する半寄生植物。幼樹の頃はイネ科やアオイ科、成長するにつれて寄生性も高まり、タケ類やヤシ類などへと移り、宿主となる植物は140種以上数えられる。雌雄異株で周りに植物がないと生育しないことから栽培は大変困難で、年々入手が難しくなっており、インド政府によって伐採制限・輸出規制が掛けられている。(Wikipedia 2014/7/17より)

 

見守り

 教育者の最大の務めは、生徒を黙って見守ること。ご本尊が家を見守ってくれる。みほとけの使者「魂」が、自分を見てくれていると思い日々、精進できる。みほとけはどんなメッセージを使者に託したのか、ご本尊に見守られ、「魂」に睨まれて考える日々である。松本明慶先生作「魂(オニ)」(白檀)は2014年3月18日納佛、仏壇に納める御本尊の釈迦如来座像(白檀)は2015年2月23日納佛、3月3日開眼法要を執り行った。3月3日は桜田門外の変の日である。それを意識せずに執り行ったが、後からそれを石屋さんに指摘され驚嘆した。ご縁である。

 

図1 松本明慶先生作 「魂(オニ)」(白檀)2014年3月18日納佛

   軸は馬場恵峰先生書  伊勢神宮御神水で磨墨

  

2017-09-27

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2017年9月26日 (火)

引き出物 白檀のお線香

 お墓の開眼法要の宴席の引き出物として、松本明慶佛像彫刻美術館館長の小久保さんと相談をして、白檀のお線香を選定して皆さんにお贈りした。松本明慶工房で佛像を彫った時に出る削り屑で作られたお線香である。

 今まででも、知人の訃報で香典を出せなかった時、このお線香を後供養として贈るときが多い。皆さんから喜ばれている。

 

佛が宿る木

 お釈迦様は35歳で悟りを開かれた。お釈迦様が歩いてこられると、1里先からよい匂いがしてきてお釈迦様が来られるのが分かったという。インドでは白檀は佛が宿る木として尊重されており、最高の香木とされている。白檀はお釈迦様の香木とされている。

 

人の香り

 私は、文書、声、姿、人相から伝わる香り、匂い、腐臭からその人物の評価をしている。直接、本人に会わなくても、その言動をみれば、おおよそ分かるものだ。目指す生き方として、己の言動から白檀のような良い香りを発散する人間になりたいと思っている。

 

図1 白檀のお線香 松本明慶工房製

 

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2017年9月25日 (月)

開眼法要後の粗宴の講話

 開眼法要後の宴席で恵峰先生に法事にまつわる講話をお願いしておいたので、宴席でのお話が知己塾の講話のようになってしまった。想定以上のお話をして頂き感謝です。ためになるお話でお土産話として持って帰っていただいたが、荷物にもならずよき引き出物であった。親戚から、「こんな格調高い法事は初めて」と大変喜ばれた。普通の法事では、大人が酒を飲んでウダを巻く例が多いとか。

 

焼香の作法

 焼香のやり方で正しい方法でする人が極少である。学校でも教えてくれない。ましてや親でさえ知らないのが大半である。焼香を人差し指でつまむ人が多いがとんでもないやり方である。人差し指は、生活の指であり、生きていくためには無くてはならない指である。人を指したりもするし、鼻をほじくったり、指を曲げて稼ぐの泥棒を意味する。親指や小指をまげたのを泥棒とは言わない。悪さをするのは人差し指である。佛様に捧げる香を掴むのにその人差し指を使ってはならない。

 焼香は親指と中指と薬指と小指で香をつまみ、人差し指は添えるだけである。親指はご先祖様、一番長い中指は森羅万象を象徴し、長生きをすべき自分自身を象徴する。薬指は薬と言うように、人生の艱難のときに助けてくれる師を象徴する指である。小指は子孫を象徴する。その4本の指で香をつまみ、生活の指の人差し指をそっと添える。宗派によって焼香の回数は違うが、一回目の香は目の上まで捧げ、ご焼香をする。二度目はそのまま焼香する。

 

自分の人生を表す手

 自分の手は自分の人生を象徴している。ご先祖と、生活手段、指導をしてくれる師、子孫があってこそ人間の人生である。自分とご先祖の業を行うのに、人生の師がそっと後ろで支えてくれている。焼香に己の人生が現れている。どれか一つでも欠けてもよき人生を歩めない。

 

生業に生きる

 正業は生活のお金を稼ぐだけの職業。生業は給与もないし、年金も無い。定年もない。自分の業を生かす生き方をするのが生業である。生きる法を活かす生き方をすればよい。どう生きていくかを、考えながら生きるべきである。死ぬまで現役で生業に生きれば悔いは無い。高速道路の道を走って、走る「法」を知らない人が多い。道路に道路交通法があるように、人生道を走る「法」がある。その法を勉強していないから、人生を誤る人が多い。

 

花と香の意味

 花は邪険の心を清めるために佛前に捧げる。年に一回でよい。お香は貪瞋痴(三毒をいう。貪ること、怒ること、迷い惑って理非のないことの3つの煩悩)を抑えるために焚く。「何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ」(道元)とあるように、冬になっても、貪瞋痴を避ければ、いつか春が来る。「なさざれば受けることなし」と道元禅師の言葉がある。貪瞋痴をするから、その落とし前を払わないといけないのである。過食をしたり、暴利を貪ったり、財産を独り占めするから病気や犯罪や家族争いの禍を受ける。怒るからその咎を受ける。人生道に迷うから劫火を受ける。正しいあるべき道を歩めば、迷わない。

 「迷わず あせらず 胸を張って 心にきざんで」道を歩むべし。

 親が知らないから、子が知らない。だから親が勉強して子供に教えなければならない。親の後姿を見て子供は育つ。

 

図1 馬場恵峰師の講話

図2 書道教室の加藤梅香先生の書

   (毎日文化センター・名古屋  1976年ごろ)

 

2017-09-20

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2017年9月 2日 (土)

「縁がないというご縁」に気づく

 自家のお墓を改建するにあたり、当初は現在のお墓に入っている親戚と合祀する予定であったが、その親戚より改建を反対されて、実施を諦めた。墓誌にもその親戚の戒名を刻めない情けない事態になった。しかしお陰で別の場所に今回のお墓を改建するご縁となった。その親の子の情けない対応に接したわけであるが、住職から、「この世では縁がないというご縁」を頂いたと解釈すべきと助言を頂き、成り行きに任せることにした。無理を通しても却って悪縁を招くと考えた。縁のない人には「縁の無いというご縁」がある。縁無き衆生度し難し、である。「度」とは秤の意味である。人間界の浅はかな秤では、計りしれないご縁の繋がりがあり、この世では縁のない人である。無理に縁を結ぶと禍になる。黙って身を引くのが、佛様のお計らいであると悟った。

 

問答無用

 2015年11月のパリでのISテロのように、価値観が違って育てられると、話せば分かるとはいかない。無思慮に関わると、問答無用の惨劇となる。1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校と陸軍士官候補生一団が、ピストルをふりかざして首相官邸に乱入してきた。襲撃犯の一人である三上卓は、犬養毅首相を発見すると即座にピストルの引き金を引いた。だが偶然にも弾が入っておらず不発に終わった。その様子を見た犬養首相は両手を上げて、「話せば分かる」を口にして将校たちを応接室に案内した。興奮状態にあった山岸宏が「問答無用、撃て」と叫び、別働隊であった黒岩勇が応接間に突入して犬養首相を銃撃した。

 30年も50年もある価値観で育ってきた人が、話せばわかるの一言で変わるはずがない。洗脳教育をされてきたサヨクの人が、今更、心を改めるはずがない。北朝鮮がミサイルを日本本土越しに撃ちまくっているのに、それを擁護するような記者質問を東京新聞記者が菅義偉官房長官にぶつけた(2017年9月1日)のが醜態である。そういう輩が社会い跋扈していることを前提に、自分を取り巻く環境で、どう生きていくかが問われている。

 戦場でない世間なら、相手の価値観を尊重して、そっと当方が身を引くのが、この世では正しい選択と思う。いままで60余年を生きてきて、人との葛藤で正論を掲げて、何度も痛い目をあってきた。今回、その「縁がないというご縁」の存在に気がついた。親の子供に対する教育の失敗は、本人の没後23年目でやって来る。

 

人の縁道

 人に道に縁道あり。その道が高速道路の場合もあれば、曲がりくねった山道の場合もある。そこを走る車や人は、目的も能力も違う。その道が同じと思うから、自分勝手に走り衝突が起きる。人は人として、己の道を歩めば交通事故も無い。高速道路と一般道は立体交差で衝突がないようになっている。同じように、走る世界が違うため、他の人とは歩む縁道が違う解釈して、己の世界で、最終目的地に向って、一歩、一歩を歩めばよい。遅いか早いかは別にして、最終目的地は「死」である。それに向って、歩む過程が人生道である。そう思うとき、人をうらやんだり、妬んだりする心が消える。人と葛藤が生じるとき、その人とは歩む縁道が違うと解釈すれば、怒りも消える。

 

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2017年8月 5日 (土)

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 「文以拙進道拙以成」とは、文章でも技巧を凝らしうまく見せるのではなく、道はうまく立ち振る舞おうとしないことで成就する、との意味だと菜根譚で洪自誠は言う。それは人生でも言える。世渡り上手のテクニックでうまく人生を泳ぐのではなく、正しい方法で愚直に正しい道を歩くのが、人生道だと思う。お墓に入るとき、ご先祖様に会っても「ただ今還りました」と胸を張って言えるように、恥ずかしくない人生を送りたいと思う。勤勉とは自分に対する修行なのだ。

  半世紀前に聞いたご先祖の話がずっと頭の隅にあり、2015年3月3日に両親の法事をした機に叔母の北尾自孝の死去が判明して、それから、北尾家の墓のお守りの引き受け、家系図つくり、北尾道仙探し、300年前のご先祖のお墓の改建に到る旅物語に発展した。その連綿としたご縁の不思議さに手を合わせている。

 

2017-08-05

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