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2019年1月10日 (木)

己は何者か

 己の実態とは何か? 己は、体と脳と魂からなる存在である。体とは脳と魂を収める単なる筐体である。病気になるとは、その筐体が故障しただけだ。その体は、脳と魂に支配される。その体は、大事に使わないと、脳と魂が十分に働けない。筐体という体には寿命がある。本能で生きると、欲望に身を任せて、その体を大事にしない。

 脳は生存本能に支配されて、利己的に働く。本能で生きると利己的、刹那的な欲望に身を任せがちである。また生物としてすべての生物には遺伝子DNAに、「生きろ」、「命をかけて同胞を守れ」という命令が刻まれている。コンピューターのPROMに焼き付けられた命令言語と同じである。

 それに対して魂は世の為、人のために利他的に働く。脳が利己的、快楽的に働くのとは対照的である。それが動物と人間を分ける境界である。その両方の使い方で、人間性が問われる。その魂は教育と自己研鑽でしか育たない。その魂は、体は亡くなっても、後進に受け継がれる。

 その魂の高低差は、大震災や暴動時での民衆の行動で、顕著な差を見せる。それが東日本大震災の時の整然とした日本民族の行動であったし、ロスアンゼルス市の大暴動で商店の商品強奪や、隣国が見せた日本の災害被害を喜ぶ姿との差であった。

 最近の経済界の不祥事を見ていると、脳に支配された動物的な輩が跋扈している。戦後、日本が米国からのGHQ洗脳教育に侵されたための弊害が顕在化してきた。日産の旧支配者ゴーン被告の顔は、どう見ても利己的で強欲丸出しで、受け入れがたい顔である。

 

己の使命

 己は何のために仕事をしているのか? それは脳が支配しているのか、魂が支配しているのか、何方の比重が大きいか自問したい。金のため? 金が十分にあれば仕事をしないのか? 人が死んでから残るものは、人生で集めたものではない。世の中に残したもの、与えたものである。

 

仕事と苦役

 「仕事 work」とは「事」に仕えて、世の為になせる業である。橋を架けるのも、機械をつくるのも、人を育てるのも世のため人のためである。そういう無形有形のものが世の中に残る。

 それに対して生きる糧を得るために動くのは「苦役  job」である。神がアダムに与えた罰である。だから西洋では、金が貯まれば、苦役から逃れて早く引退して優雅な生活に遁走する。日本の労働とは、違う価値観である。日本には働く喜びがあるが、欧米では仕事を逃れて遊ぶ喜びである。

 

仕事の痕跡

 松本明慶先生の50年間仏像を彫り続けた手に、命の軌跡が残る。仕事での書・文・絵・仕事に携われば、手・足・体にその軌跡が残る。そこに己とは何者であったかが現れている。

 河村義子先生の40年間の音楽活動を通しての社会奉仕の痕跡は、「カナデノワコンクール」、「世界で一流の音楽を楽しむ会」、「子と音」、「子と音mama」、毎年のクリスマスコンサート、定期的院内コンサート等の活動にある。それは河村先生が育てた後進に受け継がれて、これからの大垣の音楽文化を支えていく。

 私も10年後、20年後にそんな軌跡を後世の人に見せられるように、恥ずかしくない仕事を残したい。

Photo「佛師のげんこつ」松本明慶師作  松本明慶佛像彫刻美術館にて

 松本明慶美術館の許可を得て掲載しています。

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2018年12月15日 大垣市音楽堂 クリスマスコンサート2018

 演出・振付:林葉子  音楽監督:河村義子先生

 出演:林葉子バレエアカデミー

 ピアノ:小林朱音   電子オルガン:相原里美  語り:伊藤応子

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2018年12月15日 大垣市音楽堂 クリスマスコンサート2018

 子と音

   演出・振付:伊藤応子  音楽監督:河村義子先生

 

2019-01-10 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 8日 (火)

河村義子先生の分身に出会う

 河村義子先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人とセントレアの「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」に出かけた。そのショップに展示してあったボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードカットモデルに、河村先生の面影を発見して、そのカットモデルを購入した。

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2018年1月のニューイヤーコンサート

 1年前の2018年1月13日に、ドレスデントリオと河村先生の共演の「ニューイヤーコンサート」をクインテッサホテル大垣で開催した。当時、河村先生がこの世の最後の演奏会と覚悟をして開催したとは、私には分かっていなかった。それでも開催にこぎつけるため、資金面、撮影、運営でお手伝いをできて、今にしてそのご縁に有難いと思う。そのドレスデントリオが、2018年1月7日にルフトハンザ航空機で到着するので、私はセントレアに出迎えに行った。

3dsc02821   2018年1月7日  ルフトハンザ航空機 セントレア着陸

4dsc02852   到着したドレスデントリオ

 河村先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人が当日、セントレアに行くというので、思いついてルフトハンザ機を含めて飛行機の着陸時の写真撮りを兼ねて、セントレアに出かけた。ところが、ルフトハンザ航空機は、当日のセントレア到着便はないのが分かり、撮影は空振りとなった。しかし、もう一つの来訪目的が、昨年末に開店したボーイング787の展示館「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」の見学であったので、友人と見学して過ごして、今回のご縁に出会った。

 そこに併設されたショップで、ボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードのカットモデルが売られていて、何か感じるところがあり、購入を決めた。値段は72,360円。残り2つの限定品だという。年初の最初の売上とかで、お店の担当者も喜んでいた。人は誰しも「限定品」「あと2つ」という魔の言葉に弱い。そのボーイング707エンジンの誕生年が河村先生の生まれ年が同じで、ジェットエンジンのブレードの役目が、ピアノの鍵盤を叩くことに重なって見えたから、ご縁を感じて購入を決めた。私が飛行機マニアであることも重なった。

 

陰の仕事

 ジェットエンジンのタービンブレードは、回転速度約10,000rpm、12時間の飛行(日本と欧州間の飛行)を年間150回するとして、その寿命が5年間として計算すると、ジェットエンジンのタービンは約5億回転して、旅客機の推力としての空気を後方に送ることになる。それで多くの海外旅行客を運ぶ仕事を陰で支えている。

 ピアノをモノにするには、一日8時間、10年間続けないと一人前のピアニストになれないという。単純計算で一秒に1回鍵盤を叩くとして計算すると、それを30年間続けると、3億回も鍵盤のキーを叩いてきたことになる。ひたすら鍵盤を叩いて、人びとに安らぎと喜びを与える音楽を世に送り続けているのがピアニストである。

 そのエンジンの製造年が河村先生の生まれ年と同じだと気が付いて、ご縁として購入を決めた。

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 川村義子先生の手 2015年1月23日

 

人知れず働くもの

 展示された目の前のタービンブレードが、人の見えないところで生きて仕事をすることの象徴のように感じた。人の目には触れず、小さな、当たり前の、繰り返しの仕事で、その長年の積み重ねが、社会に貢献していることを象徴していると感じた。飛行機の美しい着陸姿勢も、力強い離陸も、ひたすら巡航速度で飛行するのも、エンジンがひたすら回っているからできるのだ。しかしけっして表には出てこない。

 また30年前に、当日同行した友人が当時の職場で、GEからジェットエンジンのブレードを加工する機械の見積業務を私は横目で見ていた。その受注はできなかったが、私は見積用のエンジンブレードの実物を手に取って見たことをよく覚えている。それのご縁も購入を決めた一因である。

 

一燈を掲げて

 そのブレードを今日1月5日に、玄関に飾った。前衛芸術作品のようで、サマになっている。極限状態で稼働する部品には、贅肉が削がれ、極限の機能美がある。ブレードの曲面も芸術作品である。玄関に飾ってみて、見る角度によっては、十字架のように見えて、不思議さを覚えた。河村先生の家は臨済宗なので、キリスト教は関係ないが、言葉の綾で、十字架を背負い仕事をするという意味で、仕事の象徴として考えた。どんな小さいことも仕事として継続すれば、世の中に何かには貢献できる。仕事とは、ひたすら毎日毎日、同じことの繰り返し。その世の中に燈を灯す活動が集まって、大きな力となる。それが「一燈を掲げて暗夜を行く」(佐藤一斎著『言志四録』)と通じる。

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  馬場恵峰書 お手本として揮毫  2012‎年‎2‎月‎18‎日

 

2019-01-08 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

霊信として『「言志四録」51選訓集」』

 年末の12月25日に河村義子先生がご逝去されて、弔意の1週間ブログ休載で、馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選集」』(小田泰仙編 久志能幾研究所刊 A4版、64頁2800円)の出版案内を控えた。

 この本は、12月25日付けの出版であるが、最終校正で誤字脱字が見つかりその修正で、3日遅れの12月28日に、印刷完了本が印刷会社より自宅に届いた。本来、25冊は私宅、25冊は他所、50冊は九州の馬場恵峰先生宅に直送されることになっていたが、手違いで私宅に25冊以外に、恵峰先生分の50冊が届いた。それで大慌てで恵峰先生宅に転送した。

 出来た本を見直すうち、12月30日になって、河村義子先生の命日がこの書の出版日と気が付き愕然とした。これは偶然という人もいるが、私の菩提寺の住職様の意見では、馬場恵峰先生へ寂滅のご挨拶として、私の家経由で、私の代わりに九州に行ったのだと言われた。手塩かけて出版した本は、私の子供である。偶然と見えることも、実は必然のことだと住職様に言われた。河村義子先生と馬場恵峰先生は直接の対面はないが、お互い私の私費出版本を通じて旧知の仲であった。

 「神秘的な体験をするには、雰囲気と心の準備が必要だ。」(水木しげる著『水木しげるの娘に語るお父さんの戦記』より)

 

私の使命

 今、振り返ると河村義子先生に対する私の使命は、河村先生の遺徳を記録として残すことだと悟った。

 カメラ歴50年、文章道歴50年、科学工業英語検定1級所持(一級は日本に500人もいない)の技を持ち、ピアノに憧れを持って40年を過ごしてきて、64歳でグランドピアノを購入した人間が、河村先生とご縁ができたのは仏縁である。「人は出合うべき縁に、早からず遅からず出会う」とは、森信三先生の言葉です。

 そんなつもりはなかったが、記録をひも解くと、河村先生に関する写真はこの5年間で8600枚ほど撮影した。そのうち河村先生が写っているのは数%であるが、先生の周りの人を含めて、自然体の良い写真を多く撮影できたと思う。そのお陰で共演された音楽家達ともご縁ができた。先生に関するエッセイ(A4で4頁の作品が30通余)、演奏会のビデオが5本である。このブログ休載中に整理をして、ご遺族に贈るためにBRディスクに収めための編集をした。

 

河村義子先生の病気

 河村先生は、5年まえに病気が見つかり、手術をすると後遺症が残りピアニストとして活動できなくなるとして、延命手術を拒否され、最期までピアニストとして生きる道を選ばれた。このことは、葬儀場に掲げられたご子息の挨拶文で初めて知った。思えば、私が先生に出会ったころである。

 私は、河村先生が覚悟を決め、最後までピアニストとして生きたいとして、死病と戦っているのを知らないから、自然体で写真が撮れ、エッセイが書けたと思う。先生の死病を知っていれば、人間ができていない私は構えてしまい、良い写真は撮れなかったと思う。そのためエッセイも自然体に書けたと思う。私は、先生が死病と戦っていることを知ってはいけなかった定めだと改めて感じた。それも観音様のご意志で、運命である。

 今思うと、河村義子先生の言葉の節々に、死を予告する言葉があったが、鈍感な私は気が付かなかった。それに気が付けば、「それでは、もう小田さんではない」と、義子先生の親友に慰められた。それがせめてもの慰めである。まだまだ人間ができていないと、反省のしきりである。

 

出版計画

 今回のブログ休載中に「写真集 河村義子先生を偲ぶ」(解説は英訳併記)、「河村義子先生の想い出」(エッセイ集)、「ウィーンにかける六段の調べ」(英訳、ドイツ語、併記)を出版する計画ができた。これが河村義子先生への私の追悼と鎮魂の書となる。

 

2019-01-08 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 5日 (土)

河村義子先生の為写経を納経

 河村義子先生が亡くなられて1週間たった2019年1月2日、思いついて河村義子先生の為写経を行った。私はほぼ毎日写経をしていて、丁度、ご先祖様11名分の為写経が一巡した所で、しめくくりの最後として、河村義子先生の為写経をした。それでなにか心の平安を得た。河村義子先生の戒名「聖観院教音義愛大姉」が心に沁み込んでくる。

 翌日の1月3日に彦根の自家の菩提寺を訪れ、12人分の為写経を納経した。1月3日はお寺も特に行事もなく、静かな茶室の中で、住職さんと河村義子先生の想い出を語り、春の追善供養の計画をお話しした。

 

何故写経をするか

 馬場恵峰先生は今までに写経を1万5千字以上も書かれている。私が恵峰先生に「何故、写経をされるのですか」と聞いたところ、「それが一番のご先祖供養になるからだ」といわれた。それ以来、私もほぼ毎日、時間を見付けて写経をしている。

 2017年4月にウィーンに行ったときも、ヒルトンホテルで、朝、写経をして心を落ち着かせた。私がウィーンに行った目的は、『ウィーンにかける六段の調べ』(英訳、ドイツ語、併記)を出版する計画があったからだ。河村義子先生が、戸田伯爵夫人の六段とブラームスの物語にご縁があった。河村義子先生は宗次ホールでその演奏会を公演されている。

 

現在の写経行

 写経と言っても、一日に般若心経の2行を筆ペンで書くだけである。2015年に自家のお墓を再建した時は、構えてお墓の完成まで毎日斎戒沐浴して1枚の写経を書き続け、計110枚ほどの写経を書き上げた。それを新しいお墓の納骨室に敷いて、その上に移設したご先祖のお骨を収めた。よい功徳をしたと思う。

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 今は、一日、般若心経の2行分の写経で所要時間10分弱、1週間で般若心経の1枚の写経が完成する「写経は一日2行でいい。そうすれば長続きする」と、馬場恵峰先生に教えられて、今も継続している。たまに寝過ごして書けない時もあるが、それをヨシとして自然体で継続している。なによりも、写経よりも自然に長く寝ることはよいことだ。歳をとると長時間の睡眠が難しくなる。睡眠を削って無理してまで写経をするのも本末転倒である。写経は書の勉強にもなり、多少は字がうまくなった。

 

上達の極意

 やはり書かなければ、上達しない。写真も数多く撮らなければ、上達しない。文章も書かなければうまくならない。多くの人と接しないと、人を見る目は養われない。多くの失敗をしないと智慧はつかない。当たり前のことである。何も上達の秘密はない。

 般若心経の内容は、読むより、写経した方が頭にスーと入ってくる。恵峰先生曰く「10回読むより、1回写せ」である。これは記憶術でも言われる原則である。

 物事は手で覚えるのだ。足で意志を表し、耳で相手の心を観る。目でモノを言う。口で世間を渡る。鼻で真贋を見分ける。多くの人は、手足口耳目鼻の使い方を間違えている。

4k8a0270   馬場恵峰書  2017年入手

推薦の写経手本

 私が使っている写経紙は、馬場恵峰先生の推薦で、「しあわせへの道 羯諦写経」(お手本 山田無文老師 なぞり書き般若心経のお手本7枚、写経用用紙14枚)である。価格2400円ほど。私はネット経由で購入している。

 使用する筆ペンは株式会社呉竹の「八号 くれたけ万年毛筆」。これはナイロン製の毛で、腰がしっかりしていて書きやすい。正式の毛筆だと、細かい字を書くには、腕がないと書きにくい。私は、この筆ペンで写経をしている。

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2019-01-05 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 4日 (金)

河村義子先生への弔辞

 2018年12月27日の故河村義子先生の葬儀で、「世界で一流の音楽を楽しむ会」の事務局長田中重勝さんの弔辞を聴いて、初めて河村義子先生の知られざる活動の偉大さを知った。私は先生の最期の5年間のお付き合いだけであったが、その活動の一部しか知らずに接してきたことが恥ずかしい。

 義子先生は5年前に病巣が見つかり、手術をするとピアニストとして生きていけないと分かると、手術を止めて対処療法の治療の道を選ばれ、最期までピアニストとして生きる決断をされた。私がそれと時期を同じくして先生と巡り合ったのもご縁である。それを周りに気が付かせず、活動されたことに頭が下がる。今思うと、先生の言葉に節々にそのことを示唆しておられたが、鈍感な私は気が付かなかった。それが悔いである。

 義子先生とご縁ができてから、多くの良きご縁に巡り合わせて頂いた。別れの悲しみよりも、義子先生とのよきご縁に出会えて感謝です。出合いがあれば、別れがあるのが、この世の無常。よき出会いであるほど、悲しい別れである。河村義子先生(戒名「聖観院教音義愛大姉」)のご冥福をお祈りします。合掌。

 

下記は田中重勝さんの弔辞

 

弔辞

 

義子先生

こんなにも早く、悲しい別れの言葉を述べなければならないなんて、とても残念でなりません。

大垣市スイトピアセンターの音楽堂をこよなく愛した義子先生。

私が文化事業団事務局長の時には、音楽の専門家としてサポートをお願いしたところ、快く文化事業団アドバイザーを引き受けていただきました。

スイトピアをいつもピアノが響き渡っているところしたいとの思いに賛同していただき、ロビーでも使えるピアノを浜松へ購入に行った時は、この子が来たがっていると、小躍りするようにピアノを選定していただきました。

また、文化ホールと音楽堂のスタウェイをオーバーホールした時には、多くの人が演奏した思い出のピアノのハンマーを皆さんにプレゼントすることを一緒に考えていただきました。大垣市民病院でも、ロビーコンサートでのピアノを購入していただくよう一緒にお願いをしてきました。どれも義子先生に選んでいただいたピアノが設置されています。

また小さな子ども達にも本物の音楽を聞かせたいとの願いから、かすみの会の活動の一つとして保育園コンサートを続けておられたました。子ども達に夢を与えるこうした事業を文化事業団の芸術の贈り物事業として取り組む事とした時には、教え子達を次の指導者に育成するプログラムを加えるなど人材育成に余念がありませんでした。

さらには、小さな子どもにもクラシックをとの思いから、クリスマスコンサートを音楽堂や文化ホールで行っていただきました。しかもこれまで行ったことのない飲食を伴うもので、音楽を聴いてお菓子を食べ、ジュースをのみ、また音楽やバレーを楽しむものでした。文化ホールでは、ロビーでキャラメルポップコーンを楽しむこととしたため、ロビー全体がキャラメルの匂いと子ども達の歓声に包まれることとなりました。こんな事が出来たことを楽しい思い出として何回も何回も聞かせていただきました。

こうした子ども達を育てようという活動の中で、子と音の立ち上げ、子と音キッズへと発展させ、次の世代への橋渡しもなされてきました。

私が文化事業団事務局長を辞したのち、世界で一流と言われた演奏家の招へいと子ども達に本物の生の演奏を聴かせたいとの願いを受けて、世界で一流の音楽を楽しむ会を立ち上げ、多くの企業の方にも応援していただいてあしながコンサートを開催してきました。このコンサート後の感想文集には、子供たちの感動があふれており、開催してよかったと一緒に喜びあいました。

本年の2回目のコンサートでは、途中から病により入院を余儀なくされ、手術の前日で、苦しいなかでプログラムを作成していただくこととなってしまいました。しかもコンサートを聴いていただくこともできませんでした。しかし、感想文集を届けたときには本当に喜んでいただくことができ、ホットしたところです。

先日、病室に伺ったときには、来年9月に予定の3回目のコンサートについて、輝くばかりの目でお話をいただきました。演奏者としてヘンシェルはどうかと言って、早速メールをされましたので、私は東京芸大の澤学長にプロモーションをお願いする手紙を出しました。

でも、ヘンシェルから9月は無理で十一月ならとの返事に、それまでは私はもたない! 重勝さ―ん とメールで言ってこられた義子先生。

あまりにも早い旅たちで驚いています。

音楽を通して人を育てる夢に全力で立ち向かわれた義子先生。

いま、どんな音色の中におられるのでしょうか。ブラームスと六段の調べをきいているのですか?

多くの教え子達の心には、素晴らしい音色が刻まれ、音楽とともに生きる力が育っていくに違いありません。音楽は心の糧です。

成長する教え子の皆さんの姿を見守り続けてください。

義子先生本当にありがとう!

 

平成三十年十二月二十七日

 

世界で一流の音楽を楽しむ会

田中重勝

2019-01-04   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 3日 (木)

磨墨知594. 禁初詣、初詣も叶わぬ哀しみ

 神仏は365日24時間営業です。有名な神社仏閣は、正月三賀日は超混雑で、参拝には多大な時間ロスが発生する。それを避けるのが時間創出である。それより家で神社の方向に向って一年間の無事のお礼の拝礼をした方がよい。初詣に行くなら三賀日を避けてお参りすればよい。その浮いた時間で勉強・仕事をすることだ。それが世のためになる。

 

神様だって忙しい

 なにも神様が超多忙な時に、初詣に行かなくてもよい。神様の身になって考えよう。芋を洗うような雑踏の中では、静かに反省とお礼が言えない。神様だって、以前は人の子なのだ。芋を洗うような振る舞いに呆れている。

 三賀日でも、混雑の少ない時間帯を選べば、超混雑でロスする時間が激減する。そうやってお参りして、人生を豊かにして、人より多く稼げるようになれば、お賽銭も多く奉納できる。そうすれば神様は喜んでくれる。神社仏閣の設備の維持更新にも多くのお金を寄進できるのだ。

 その昔、元旦に熱田神宮に初詣の参拝をしたが、入り口の鳥居を通って、拝殿まで辿り着くまで1時間を要した。大事なご先祖から頂いた時間(命)を浪費して、今にして神様に対して申し訳ない気がする。

 

宇宙の法則を捻じ曲げ?

 初詣に行ってお願いさえすれば、それが叶うと思っているのは愚かである。そんな極楽とんぼのような考えで、願いが叶うわけがない。この世では、死に物狂いの努力をして、棒ほど願ってやっと針ほどしか願い事は叶わない。

 神仏に祈ることは、自分を謙虚にして、ただ感謝の表明と自分の決意表明だけなのだ。生きている事さえ稀なのだ。生きているのではない。生かされているのだ。

 それなのに、感謝以外に、押しつけのお願いのため初詣だけ神仏に手を合わすのは不遜である。それで願いが叶えば、全宇宙のニュートン、アインシュタインの法則を捻じ曲げてしまう。それを僅か10円のお賽銭で、あれもこれもなんて、お笑いである。逆に罰が当たりますぞ。

 

生産の平準化

 トヨタ生産方式では、生産の平準化が原則である。それが無駄を省き利益を生む。日頃、神仏に足を向けず、世間体とお願いごと生産で三賀日だけお参りするのでは、人生のご利益は少なかろう。日頃から神仏に手を合わせ、お参りしていれば、三賀日はお参りを無しにしてもよい。

 

師の最期の教え

 1分間、拝殿までの行列に並ぶと、100円のロスである。初詣はその1分の何十倍もの時間がかかる。初詣の時間ロスが勿体ない。その分の己に課せられた使命・天命に使う時間が無くなるのだ。時間は命である。命を使うと書いて、「使命」である。使命に反した効率の悪い時間を使ってはならない。己に与えられた時間は、もう残り少ないかもしれないのだ。いくら頑張っても後40年は生きられない。

 「貴方も何時か死ぬのですよ」。それが河村義子先生の最期の教えであった。義子先生は、人生の残り時間を人の3倍も4倍ものスピードで走り抜け、現役のまま斃れられた。河村義子先生は、私が12月9日17時に届けた12月8日の米原バレエ公演「白鳥の湖」ビデオを、病床で見ながら、12月15日の大垣公演のために、最後の音楽監修をされた。

 河村義子先生がそのビデオを見て、弟子の小林朱音さんは義子先生から感想や最後のご指導を受けた。義子先生は、「素晴らしいよ」と泣いて喜こばれ、小林朱音さんは「師匠に少しは恩返しができた」と感涙である。

 12月16日、義子先生は再入院され、帰らぬ人となった。再入院の連絡をされたメールでは、穏やかな文面でそんな気配はみえなかった。少し落ち着いてからお見舞いと思っていたら、12月25日の突然の訃報で茫然自失である。

 その後ろ姿が、弟子への生きる教えである。義子先生は、62歳の初詣に行けなかった。2018年12月25日、7時33分寂滅、享年61歳。

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 2018年12月8日 米原 ルッチプラザ ベルホール310 「白鳥の湖」

 オデット:高木美智子  王子:都築空良  ピアノ:小林朱音

 林葉子バレイアカデミー

 

 12月26日のお通夜の席で、魂友の天野千恵さんが、義子さんの鎮魂と追悼のために「G線上のアリア」をバイオリンで奏でられた。天野さんは棺に横たわる義子先生の顔を見ながら、語りかけるようにその荘厳な調べを内藤先生の電子ピアノと一緒に奏でられた。横で聴いておられたご主人は目頭を押さえてみえた。私はそれを至近距離で見ていて目頭が熱くなった。写真は控えます。

 

「人生の本」の執筆者

 今年の元旦の朝、目が覚めて、最初に目が行ったのは、下記の馬場恵峰先生の軸であった。2年前に手に入れた軸である。いつも私の寝室に掲げているが、今まではあまり意識して見ていなかった。今回の河村先生の逝去の関係か、魂の周波数がそれに共鳴して、目が釘付けになった。

 何時、我々の命が無くなっても不思議ではない。東日本大震災のような災害が来れば、明日の命もわからない。病魔が襲うかもしれない。だからこそ、時間(命)を惜しんで、自分の天命・使命のために時間を使うのだ。その過程が、自分の人生の本となる。河村義子先生は、最高の「人生の本」を遺してくれた。合掌。

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 馬場恵峰先生書 

 

2019-01-03     久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 2日 (水)

聖観音菩薩の慈愛

気新光照

 気を新たに、師の教えの光に照らされて、道を歩く。

 いつまでも落ち込んでいては駄目と自戒のブログを書いている。河村義子先生の遺言は「湿っぽいお葬式はイヤ。音楽で明るく送って欲しい」でした。師のように社会を明るくする貢献を全力でしてこそ、それが師への恩返しだと思う。河村義子先生との別れは辛いが、それよりも、そんな尊い義子先生とのご縁に出会い、ピアノレッスン、演奏会の写真撮影、演奏会のお手伝いの関係で、師の最後の5年間を共に過ごせたことを喜びとしたい。

 

院号

 師の戒名は、「聖観院教音義愛大姉」。観音様のような義子先生に相応しい戒名である。戒名の前に付ける院号とは、導師が故人のために建てる来世でのお寺の名である。そのお寺で佛になるべき精進を続けなさいとの引導である。院号は生前の業績に相応しいお寺名をつける。河村義子先生にピッタリの院号である。院号は金儲け主義のお寺なら、誰でも金で買えるが、厳格なお寺では、お金を積んでも相応の業績がないと院号を付けてもらえない。それから見て「聖観院」とは高貴な院号名である。「聖観音菩薩」の観音様名からとった名前である。

 2011年、当家に納佛された大佛師松本明慶師作の佛像が「聖観音菩薩像」である。私が61歳の時で、その2年後に河村先生との出会いがあった。河村先生の享年は61歳。河村先生は、私の中学の英語の先生である内藤信吾先生の娘さんである。今回の葬儀の場で、内藤信吾先生の奥様に初めてお会いできて、何か因縁を感じた。

Img_32292 聖観音菩薩像  楠 1尺

 大仏師松本明慶師作、絵仏師岩田明彩師の眼入れ

 

戒名

 戒名は、本人の名を一字とり、生前の活動に相応しい名前を付ける。故人は引導する導師の弟子となり、来世で佛道に精進するため授ける名が戒名である。河村先生の戒名は、「音を教え、愛に義を奉じた」という名前である。「大姉」は敬称で、「信女」より格が高い。この戒名は、変にうがったところがなく、そのまま生前の人柄が偲ばれる素晴らしい戒名です。

 

義子先生の遺徳

 平成29年5月26日より始めたブロブで、昨年末(585日間)で累計閲覧総数55,700余回、記事総数987通になりました。師が寂滅されて7日間、ブログを休みましたが、その訃報のブログ1通だけで、過去最高の閲覧数を記録して、改めて故河村義子先生の遺徳の偉大さを感じました。故河村義子先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

補足説明

 「気新光照」は、2011年12月10日、馬場恵峰先生に年賀状の雛形を書いてもらう時に教えてもらった言葉です。当時、3月11日に東日本大震災があり、日本中が沈み込んでおり、その翌年の年賀にお祝いの言葉「謹賀新年」では、はばかれたのです。

2019-01-02 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年12月25日 (火)

訃報

河村義子先生が、今朝733分にご逝去されました。

 

12/26(水)19:00〜 お通夜

12/27(木)12:00〜 告別式

どちらも会場は、アスピカホール大垣です。

 

突然の訃報で、まだ信じられない気持ちです。

河村義子先生のご冥福をお祈りいたします。

当ブログは1週間お休みをさせて頂きます。

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小田泰仙

2018年11月28日 (水)

浜松国際ピアノコンクール(10) 調律師の闘い 

 ピアノコンクールは、勿論ピアニストの戦いであるが、その舞台裏で調律師達の戦いがある。その過程はNHK BSプレミアム「もう一つのショパンコンクール~ピアノ調律師たちの闘い」に詳しい。オンデマンドでご覧ください。

 

調律師の激務

 浜松国際ピアノコンクールは20分の演奏、それが3人続き、20分の休憩。その間に調律師の戦いが繰り広げられる。当然、昼休み、夕休みの1時間、その日のコンクールが終わった深夜に、調律師の出番である。コンクールでの調律師は一見華やかだが、社運を賭けた戦いであるので、現場は3Kの世界である。海外のコンクールでは、他社を含めての調律のスケジュールが組まれており、深夜の2時、3時しかピアノに触れないことも多い。その間、床で仮眠をする場合もあるとか。調律学校の卒業生は7~8割が女性だが、コンクールでは、激務のせいで女性は殆ど見ない。

 

ピアノメーカの体力勝負

 ヤマハ、カワイ、スタインウェイの 3社で30台のピアノを会場に持ち込んだという。舞台の本番用のピアノ以外に、参加者の練習用に27台のピアノを持ち込んだのだ。先のショパン・コンクールでは、ヤマハは電子ピアノを50台無償提供して、参加者のホテルの部屋に準備したという。それに随行する調律師も10人単位である。ベーゼンドルファーの支配人が、「弱小メーカの我々は、資金的に耐えられないので、参加が難しい」という。世界的ピアノコンクールは金がかかるのである。ちなみにヤマハのピアノ生産高の1/10 がスタインウェイ、その1/10がベーゼンドルファーである。

 だから、2018年春の高松国際ピアノコンクールで、ベーゼンドルファーが参加したのは驚きであった。私には、ベーゼンドルファーのピアノと他社との比較が出来て幸せであった。そのピアノは280VCで、お披露目の意味もあったようだ。

 

ピアノの選定

 今回の浜松国際ピアノコンクールでは、第一次予選で、ヤマハ39人、カワイ28人、スタインウェイ24人が各ピアノメーカを選定した。どのメーカのピアノが一番多く挑戦者に選定されたかが、一番気になるところ。

 過去9回のコンクールで優勝者が使ったピアノはヤマハが7回、カワイが2回である。第10回の今回はカワイSK-EXが優勝を飾った。

 

コンクールやコンサートでの調律

 ピアノの調律は、基本的に音程比を扱った理論である。調律は、理論的には測定器だけでも出来る世界である。しかしそれが音楽的かどうかは全く別の世界である。だら、測定器の理論通りの調律では、蒸留性の水を飲んでいるみたいで、全く味気の無いものになりがちである。それでは演奏家から「音楽的でない」とそっぽを向かれるという。

 

感性の世界

 音楽の響きというのは、数学的に完全に割り切れるものではない。それはギターみたいに弦が 6 本しかないと、測定器でやっても、それほど気になるものにならない。しかしピアノは一つの音でも 3 本の弦が張ってあり、全体では約230本の弦があり、全体が調和して鳴るためには、数学的にビッシと割り切れる世界ではない。そこは感性の世界が広がる。それを音楽的に調律せねばならぬ。当初は、本当に胃が痛くなる毎日であったとヤマハの鈴木俊郎さんはいう。

 それを重ねてていって、どうしよう、どうしよう、こうしてもダメ、ああしてもダメという中で、一つひとつ答えを見つけていくと、なぜか音楽的な調律ではなくなってしまう。ただ、調律の制度から言うと、きちっと音は揃っている、音程感も合っている。誰が見ても、全然悪くない。しかし音楽の芸術家の世界ではそれが通用しない。

 これは永遠のテーマであるし、そこの 1点が、ある程度ポイントをつかめれば、非常にいい響きになると思うけども、要は音を音楽として聞いてないとだめなのだ。それは調律だけの音なのだ。

 特にホールに行くと、いろいろな音が返ってくる。ホールの場所によって、饗きが全然違う。それは一般の家庭でも、同じであるが、色んな音が返ってくる。それを、トータルとして捉えてなければ、音楽の音にならない。ーつのトータルバランスとして、整合が取れない。鈴木さんは今まではピークだけを捉えていて調律をしていたので、演奏家から総スカンを食ったのだ。。

 

コンサート技術者の仕事

 調律師は芸術家ではなく、コンサート技術者である(鈴木俊郎さんの持論)。コンサートの場合は、調律とそれから整調である。それから整音の 3 つが欠かせない作業である。全部が大事である。3つともきちんと揃っていないと、だめなのだ。

 調律は、聴力のバランスを整えて正しい音律にする。整調というのは、アクション機構の、鍵盤を押してハンマーが弦を打ってハンマーがキヤッチするまでの一連の行動のアクションの動きを調整する。整音というのは、いわゆるハンマーに弾力感をつけたり、針を入れることによって弾力感をつけたり、音の飛ばし方、音の広がり方を変える。ただ、音色には関係するんだけれど、整調をやることによって、音色に関係する。調律をやることによって、タッチにも関係する。

 

調律師の仕事

 だから、この3つが全ていい方向で絡み合わないと、コンサートピアノは調整できない。そこからが調律師の勝負である。具体的には、ここはこういう響きだから合うかな、といじってみる。直らない、鳴らないなあ。調律やってみようか。ああ、これでいけそうかな、こんなもんかなあ。もうちょっと良くなるかなあ、余計ダメになった。この繰り返しでである。

 作業的には、一つひとつやって重ねていくが、1個だけ突出しても、絶対いいものにはならない。だから 3つずつ重ねながら頂点へ持っていって、この辺の擦れ違う所で、どういうふうに持っていこうか、これを上に持っていこうか、ちょっと調律を変えてみようかとか。それでやはりうまくいかない。ちょっと鍵盤を深めにしてみようかと。そういうことをやって、ああこれでいいかな、こんなものかなあという作業の繰り返しである。

 

鍵盤の重さ?

 鍵盤は軽ければいいというものでもない。その軽い重いとか、よく言われるが、演奏家からも「ちょっとこの鍵盤、軽すぎるわ」「重すぎるわ」とかの表現がされるが、物理的に重くするか軽くするというのは、できない。そこは音のタイミングをちょっとずしたり、一瞬速めたりとか、音の立ち上がりの頭の音を少し広めたり小さくするような、調律をする。

 

音の立ち上がり 

 音の立ち上がりで、感じが変わる。感じが、ピシッといくか、ちょっと柔らかくいくかとかになる。タイミングというのは、ハンマーを叩いて、押し上げてカクッと外れるような構造になっている。そこの外れるタイミングを変えたりすることで、音の立ち上がりが変わる。一つのキーあたり、整調という作業は、一つのキーあたり、10 箇所ぐらいある。それが 88 鍵あり、後はアクション全体で機械的に行う作業がある。

 バランスよく揃えるということが基本である。しかし、それが生楽器だから、揃わないのだ。そこがまた楽器としての魅力にもなってくる。もちろん、一つひとつ音は揃えていくというのが原則である。

 

耳で聴き、耳で判断

 最終的には弾くほうが耳で聴くわけで、決して測定器を持ってきて聴くわけではない。調律する方も、自然に聴いていて心地よい、弾いていて、弾きやすいとか、音楽的な調律というのが重要だ。調律のための調律ではだめで、音楽のための調律が大事なのだ。

 コンクールの調律は、調律師の腕の見せ所である。ヤマハの花岡さんの前任者の鈴木俊郎さんも「音楽的でない」と言われて悩みぬいた方だ。コンクールで戦う調律師のリーダーは、全てこの思いを持っているのだ。

1p1110882 2018年11月9日 

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2018年11月12日 花岡昌範氏の調律風景

前回のショパン・コンクールでの調律師の闘い

 2015年のショパン・コンクールでの優勝者のチョ・ソンジンが選んだピアノはスタインウェイであった。しかし彼は予備戦のときはヤマハを使っている。それは、彼がソロはヤマハの方がコントロールしやすいと判断したためであった。その彼も、1~3次予選ではスタインウェイに変更した。彼はスタインウェイ社に調律上の要望を強く出していたが、スタインウェイを選定したピアニストが多かったので、なかなか彼の要望を聞いてもらえなかったという。ファイナリストに選ばれた中では、スタインウェイを選んだ演奏家が少なく、結果的に彼の要望を聞いてもらえるようになって幸いしたという。

 1次、2次、3次予選の課題曲は各ステージで異なり、その課題曲の雰囲気が異なる。また決勝の課題曲は、オーケストラを背景にしての演奏である。チョ・ソンジンは「ソロはヤマハでよいが、オーケストラを背景にしての演奏では、オーケストラに負けないような豊かな響き(派手な音)が必要で、それはスタインウェイのほうがよい」としてスタインウェイを選んだ。ヤマハからスタインウェイに機種変更をした他の2名も同じようなコメントをしている。

 かようにソロ演奏とオーケストラとの協演では、最適な響きのピアノは違うようだ。派手の音ではソロのショパンの静かな曲では相性が良くないだろうし、また全てに合わせた調律も難しい。ピアノにも個性があり、合う合わないということがあるようだ。

 ショパン・コンクールは、ショパンの作品だけによって競われる特殊なコンクールである。それに対してチャイコフスキー・コンクールは、それぞれの楽器を弾きこなし、世界で活躍していく演奏家を発掘するのが目的である。「どんなに演奏家に腕があっても、どんなに音楽的才能があっても、どんなに素晴らしピアノでもショパンにふさわしい演奏でないと優勝は難しい」と音楽評論家の青柳いづみこ氏は言う。またそれを評価する審査員も絶対的な基準があるわけではない。その人の感性で評価が変わる。極端な評価をする審査員がいるのも現実である。

 「対象に合わせた調律も、弾くピアニストが多いと、誰の好みに、またどの曲に焦点を当てて調律するかが難しい。全ての演奏家に満足した調律は困難だ」と調律を担当したヤマハ調律師花岡昌範氏は嘆く。どこで落とし所を見つけるかが、多くのファイナリストがヤマハを選んだがために出てきた悩みである。

 

 FAZIOLIのピアノ調律師越智さんも、ショパンの曲だからと、柔らかな温かい音つくりをして、会場に乗り込んだが、他のメーカが派手な音作りの調律をしてきた影響のためか、78名の参加者中、1名にしか指名されなかった。かように音作りは調律での命である。

 越智さんは「ハッと思わせる音、ぞくぞくするような音の仕上げたい」と現地に乗り込んだが、音の好みは芸術家と環境により大きく変わるという現実の壁にぶちあったたようだ。

 花岡昌範氏はコンクールでのピアノの調律方針を、「心を震わせるような音、聞いていて感動させるような音、響きを重視した音作りをしたい」として取り組んでいる。

 

車とピアノの関係

 ピアノは、よく車をたとえられる。ピアノの調整と、アーティストの好みというのは、車の特性のようなものだ。ドイツ車はサスペッション硬いとか、日本車は足回りがやわだとか、言われるが、硬くても、ガチガチのペコペコはねるような形じゃダメなのだ。柔らかくても、攻める時には、がんがんロールしていて、どこまでロールしていくか分からないのでは不味い。つねに硬くても柔らかくても路面に吸い付き、ふんばっている感触が運転者に分からないとダメ。だから硬いとか柔らかいというのは、好みである。それからメーカーの個性差である。きちっとサスペンションが動いているというか、そいうイメージがピアノにもあると思う。(鈴木俊郎氏談)

 

ピアノの個性の発揮

 調律といっても、ハンマーの状態、アクションの状態とか、全部が関わって、最終的に調律の音として出てくる。これでまたアクションの調子を変えたりすると、響きも変わってしまう。その辺の噛み合いの調整の仕方は、ホールへ行って実際にやってみないと分からない。また、ピアノは生楽器であるので、弦でもハンマーでも、全て均ーではない。フレームの材質にしてもそう。だから同じ3本の弦がありながら、1本ずつ叩くと、みんな音が違う。それは整音だけの違いではなくて、ある種のバラつきの差というのもある。だから、やはりそこを調律でうまく一番伸びるところを探しているのが調律師の仕事である。まるで人間の個性と同じである。

 

調律とは(教科書用語説明)

 ピアノ調律(piano tuning)とは、ピアノの音程を整える作業、または調律時に行う鍵盤タッチの調整や音色を整える作業などをいう。

  • 調律

 チューニングハンマーと呼ばれるピアノ専用の調律工具を使用し、弦が巻かれているチューニングピンを回して音の高さを調節していく。 ピアノは構造上、弦楽器の一種であるが、一般的なギターやバイオリンなどと違い、ほとんどの鍵盤1音につき2本または3本の弦張られている。このため、ミュートと呼ばれるフェルト状の工具を使用し、1本のみ音が出る状態にして音を聞き分ける。

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  • 整調

 鍵盤のタッチ(弾き心地)を調整する作業を整調という。鍵盤を指で押し始めてからハンマーが打弦し音を出た後、鍵盤から指を離して音が止まるまでのアクションとよばれる各種部品の動作を調整する作業であり、これらは単に鍵盤が押し下がる負荷、重い・軽いの調整だけではなく、アクションの動きが複雑に関係している。

 

  • 整音

 ピアノの音色・音質を整える、または音色を変える作業を整音という。ピアノの製造段階では最初から工程に組み込まれているため、仕上げと呼ばれる最終段階では「整える」ことに主目的があり、ここから「整音」という言葉が生まれた。

 

 鈴木俊郎氏のコメントは、自動車技術会中部支部でインタビューした時の記録(2002年)を基にした。鈴木俊郎氏は中村紘子さんの御指名の調律師であった。先日、名古屋ヤマハホールでのコンサートで、その姿を見つけて、名刺交換をさせて頂き、光栄であった。

 今回の浜松国際ピアノコンクールで、花岡昌範さんと名刺交換をさせて頂いた。

 

2018-11-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月19日 (月)

浜松国際ピアノコンクール(9) 二番じゃダメなんです

一番をめざせ

 日本で一番高い山はどこか? 答えは富士山であるが、では二番目は?と聞くと誰も答えられない。私も二番目の山の名を一度は覚えたが、すぐ忘れて次に名前が出てこない。それくらい1番と2番の差は大きい。

 浜松国際ピアノコンクールで選ばれた一番は、名前を憶えてもらえ、世界で活躍するピアニストに成長する機会を与えられる。しかし2番目以降は一番ほどには名前を覚えてもらえない。それが社会なのだ。だから一番を目指して全員が頑張るのだ。二番とは、限りなくビリに近い順位なのだ。

 一番になるためには、まず一次予選を通過しなければならぬ。95人の挑戦者中、24人しか通過できない。過酷なレースは続く。その挑戦は一生続く。

2p1050985 1次予選通過者の発表式の直前    2018年11月13日19時3p1050989

       1次予選通過者

ピアノのレース

 コンクールでは、挑戦者が本番で弾くピアノを15分間の試弾のうえで選べる。コンクール挑戦者が自分の中で、これが一番だと思うピアノを選べば、2番目のピアノの出番はない。舞台の片隅でお休みである。だからピアノメーカも一番に選定されるために、開発に金と人の投入を惜しまない。

 

明日の一番  

 今日の1番以外は、全員が敗残者である。そこに明日の勝利者になるネタが埋まっている。それを見つける挑戦を諦めたら終わりである。それを糧に敗残者は明日の一番を目指すから、成長がある。一番になっても自惚れるとすぐ没落である。その挑戦は生涯続く。前回のコンクールでは、カワイさんが優勢だったが、今回はヤマハさんが巻き返した。

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選ばれた舞台のピアノ。他社は後ろで控えている。

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2018-11-19 久志能幾研究所 小田泰仙

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