c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2020年4月17日 (金)

磨墨智40-1 朝、起きたらその日の志を立てる

 一日は人生の縮図である。論語では15歳で人生の志を立てるように、毎日、朝起きたらその日の志を立てて、その日にやるべきことに邁進しよう。

 15歳には15歳の志があり、60歳には60歳の志がある。90歳にも90歳の志がある。歳は関係ない。志があれば、青春である。どんなことでも、始めるのに遅すぎることはない。毎日の積み重ねが、人生を創る。

 

小さな志

 小さな志でよい。その日の三食を正しく食べるという志でもよい。狂っていない正しい食事をするだけでも、健康な一日が送れる。人生は一日一日の積み重ね。それで人生が楽しくなる。医食同源。食事が体を作り、その体が資本で人生を創るのだから。

 

人を食う

 もっと良い食事は、おいしく食べれる「人」を食うことである。煮ても焼いても食えぬ人と付き合っていると、悪縁に付きまとわれる。

 ご縁は人が運んでくれる。付き合う人脈も、意識して上を目指さないと、同じレベルの人間同士の付き合いだけになってしまう。だからこそ、今日こそ、良き人に出会えるように、その「志」を立てて出会いを求めたい。

 

師との出会い

 アンテナを立て、波長の合った人や師を探したいもの。お互いの波長が共鳴しないと、出会っても、真の出会いにならない。師を求めて世界中を走り回っても、真の師に巡り合えるには、3年どころか30年はかかる。私が馬場恵峰師に巡り逢ったのは、56歳の時である。人生はよきご縁の積み重ねの賜物である。

 下記の書は、額がお洒落で、文言も気に入り、入手した。

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  馬場恵峰書

 

2020-04-17 久志能幾研究所通信 1537 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月15日 (水)

磨墨智79-1 夜、寝る前に次の日の予定を立てる

生きていればこそ

 前日の夜に、翌朝起きてやるべきことを書きだしておくこと。そうすれば、朝、目が覚めたら、寝床でぐずぐずしていられない。おちおち死んでなんかおられない。明日の朝は、新しい人生の始まりの日なのだ。

 朝、目が覚めるとは、なんと幸せなことか。そのまま永眠してしまう人もいるのだ。

 地獄のシベリア抑留で朝起きたら、「昨日まで元気で働いていた若い頑強な仲間が、朝、隣のベッドで冷たくなっていた。」シベリア抑留体験者の言葉)。私の父も今川順夫氏もシベリア抑留者であった。 それを生き延びたから、今の私がある。

Dsc096571s  馬場恵峰書  「理念と経営」コーチング型カレンダーより(コスモ教育出版)

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生きる目的                        

 地獄のシベリア抑留やアウシュビッツで生き延びた人は、生きる意味を知っていた。

 「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)

 「未来に目的を持ち、自分の存在価値を認めていた人たちだけが生き延びた。生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い、生きていてもなんにもならないと考え、自分の存在価値をなくし、がんばり抜く意味を失った人は、(いくら若く頑強な体でも)、あっけなく死んでいった。」ヴィクトル・E・フランクル著『夜と霧』)

 アウシュビッでは死亡率79%である。ユダヤ人434万人が犠牲となった。

 1945年、ソ連による国際法違反であるシベリア抑留で、極寒の屋外強制労働のため死亡した日本人捕虜は7万人で、死亡率12%である。抑留初期は、ソ連側の準備不足のため、死亡率が80%に達した。

 故今川順夫最高顧問は「こんなところで死んでたまるか。俺は生きて帰国して、会社を作るのだ」との負けじ魂で頑張り、生きて帰国して、従業員5000人の会社を創った。

 その今川順夫さんも2019年に亡くなられた。我々は、その歴史を風化させてはなるまい。それで私は使命としてこのブログを書いている。

 

シベリア収容所の地獄

 シベリア収容所では零下60度の中での重労働で体を酷使させられる。建前では零下40度以下の屋外労働は禁止だが、実際は建前無視で屋外の重労働に駆り出された。多くの若い仲間は、朝起きるとベッドで冷たくなっていた。死亡した仲間を弔う役目を申し出て、カチンカチンに凍った6名の戦友の遺体を大八車で運び、埋葬した。極寒の抑留地では凍土で被せる土もない。僅かに手に入ったコケを戦友の遺体の顔の上に乗せるのが、せめてもの供養であったという。その後、その同じ大八車で、今日食べる食料品を屋外の倉庫から収容所のバラックに運ぶ労働に従事させられた。シベリア収容所とは、そういう残酷な状況の連続である。

 23 上図:今川順夫著『夢への挑戦の礎』より

 Dsc04619s  地獄のシベリア抑留の講演会で、支給されていた一食分のパンの量を説明する今川順夫最高顧問。これで極寒の中の重労働に耐えて生還した。 

 (2014年8月14日 大垣興文地区センターにて)

 

現代のアウシュビッツ

 会社時代、一緒に仕事をして、私が1994年にミシガン大学に行ったとき、デトロイトで案内をしてくれた特許室のT君も、2002年に突然死んだ。まだ30代である。まだお子さんが小さい。彼は会社がリーマンショックで不況になり、事務職の経費節約の名目で、自動車部品の現場応援に出された。事務職としては過酷な労働環境である。彼は泊まっていた会社の寮で、朝、冷たくなっていた。

 私が仕事を一緒にした仲間の24人が、定年前かその直後に死んでいる。日本の高度成長期に起きたビジネス戦争の戦死者である。それはトップの采配ミスでの戦死である。

 

トップの無能さが組織をつぶす

 その原因は、トップが無能であったのだ。会社が学閥に支配された役員ばかりになり、決断が出来ないトップが長く君臨して、決断すべき製品開発が市場のニーズに追いつかなくなった。その結果、65年続いた会社が消滅した。市場の原理は冷酷である。

 その二の舞の事態を、私は現在の大垣市長の無能さにダブらせて見ている。小川敏の無能さで、大垣市が衰退して、泣きを見るのは無力な市民なのだ。すでに、大垣駅前商店街の従業員の8,000人が泣いて大垣の職場を去った。市民の持つ不動産財産が半分に目減りした。他市では不動産価値が上がっている。名古屋地区はリニア景気に沸いているのだ。

 今回の新型コロナウイルス騒動で、仕事がなくなり、自殺する人の出る恐れもある。岐阜県も戒厳令(非常事態宣言)が出された。新型コロナウイルスに殺されるかもしれない。まさに戦争である。シベリア抑留やアウシュビッツは、他人ごとや昔話ではないのだ。

 

愚かなリーダ

 トップの決断が、市民の命や生活に影響する。今のレベルの安倍首相や小川敏では、怖しくて、政治を任せられない。

 二人とも愚かなマスク配布政策で、墓穴を掘っている。小川敏は、パーフォマンスで1500枚の手作りマスクを作らせて、新聞社を呼んで自慢話である。

 手作りのマスクは衛生的に問題があり、ウイルス感染の危険性が却って増えるという医学界からの指摘がある。本来、マスクはクリーンルームで作られる。主婦連が不衛生な家庭で作るモノではないのだ。

 大垣市の児童生徒数は12,877人である。それに1500枚のマスクを作ったと自慢しても、大垣市の児童生徒一人あたり0.1枚しか配布できない。それで全てが解決したかのような報道ぶりである。小川敏の6選へ向けての事前選挙活動としか思えない。正に売名行為のパーフォマンスである。

 

現代社会のアウシュビッツ収容所化

 定年後、やることがなく、認知症になる人が75歳以上は25%である。65歳以上は15%が認知症である。

 日本人の半数が癌になる。死因のトップである。癌の遠因がビジネス戦争でのストレスである。その原因のもう一つは、企業が拝金主義に汚染され、美味しすぎる食品の毒をばらまいているからである。利権に取りつかれた高級官僚が、添加物の認可を有名無実にしている。

 認知症は、その逆で「やることなし牢獄」の脳死である。認知症は、本人は極楽であるが、家族を地獄の苦しみに突き落とす。

 

地獄の苦しみ

 人間として、やることがないのは、地獄なのだ。管理職として、辞めさせたい部下がいたら、仕事を与えなければ、部下は勝手に辞めていく。死ぬほど仕事があると、絶対に辞めない。それほどに、仕事とは人生なのだ。 

 「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」では、地獄の認知症への道をまっしぐらである。自分で生涯の仕事を見付けるのは、自己責任である。人は、生涯現役との意識を持つべきなのだ。それが自分の命を永らえさせる。

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 馬場恵峰書

 

2020-04-15 久志能幾研究所通信 1535 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

論語に学ぶ人生論、大垣市の経営論

 本を読む時は、初め(序章)から終わりの頁(結論)へと読む。

 スリラー小説でも、最初から読み、どんでん返しの結末に向かう。

 日本語の文書は起承転結での構成である。結論が最後である。

 しかしビジネス文書(テクニカルライティング)では、最初に結論を書き、その次に裏付けデータを書く。最後に結論が来ては、時間の無駄なのだ。それが国際標準の書き方である。こう書かないと、海外では読んでもらえない。

 

人生経営という書籍

 ビジネスや会社経営は、日本語の文書形態とは逆である。最初に結論、最終目的、経営理念、社是を宣言し、それに向かって、使える資源を最大限に活用して、目的を達成する手段を講じ、それに向かって全員で邁進する。

 人生経営も同じである。最初に志を立て、そのために学び、自分の使命・天命を自覚し、それに向かって全身全霊で、己の命を捧げる。それが人間としての生き方である。

 そうでないと死ぬ時に、人生を振り返り、「あの時に、やっておけばよかった」という後悔だけが残る。

 成り行きで生きては、動物である。それでは、人間として生きたことにならない。生き永らえただけである。何も世に残せない。

 

小川敏の論誤人生

 小川敏の当初の目的は、大垣市長になることのようであった。大垣市長になって何をやるかは、二の次であった。彼は目的と手段を取り違えたようだ。当初の公約がHPで残されていないので、それは推測でしかない。

 現在、大垣市のHPで公開されている公約から推察すると、小川敏に市長になるときに、明確な志があったとは思えない。その公約は、大垣市立図書館(現在、新型コロナウイルスの影響で閉館中)で、後日調べる予定である。

 小川敏は入社後6年で伊藤忠を退社し(追われ?)、超零細企業の家業を継いで、暗い道を歩いていたようだ。何が哀しくて超一流会社から、ド田舎の超零細企業に身を落とさねばならぬのか。それから40年が経ったが、今でも家業は超零細企業のままである。その会社のHPでは、会社規模も従業員数さえ記載していない(出来ない?)レベルなのだ。彼が有能なら、家業を大きくできたはずだ。だから現実は、伊藤忠にいたたまれなくなって退社したと推定される。

 彼が家業を継いで20年後、そこに偶然、前市長が急死をされ、それなら「市長でもやるか」で、大垣市長になったようだ。

 

最期の大団円で大金が消えた

 小川敏が、大垣市制100周年記念行事で、金をドブに捨てるように3億5千万円も浪費し、県内一豪華な新市庁舎(124億円)を建設するとは、まるでスリラー小説で最期の大団円で大金が消えるようなものだ。本来、大垣市のために志を立てて、この金を未来への投資で使うのが、正論である。今までの歴代市長が積み上げた実績を、自分の功績のように浪費するのは、結論と当初の志の順序が逆である。

 

市長が描くビジョン

 市長は、担当する街の未来ビジョンを描かなければならない。小川敏が公約で謳う大垣市の未来ビジョンには、総花的な展望で、どういう街にしたいかが全く見えない。その公約から「大垣」の名を消せば、どの街にも通用できる特徴のない公約である。それは小川敏のビジョンには志がないからだ。

 だから、小川敏が市長に就任以来、志がないから、無為無策の無能政治に迷走した。公示地価が19年間も連続で暴落し続け、大垣駅前商店街の80%が店を畳むシャッター通りになり、幽霊がさ迷う街になった。大垣中心市街地活性化計画は大失敗であった。

 それでいて小川敏は、自分たちの給与を岐阜県下一の高さにして、教職員の給与を県下最低にした。児童生徒一人当たりの教育費を県下最低レベルに落とした。元気ハツラツ市や芭蕉楽市で、園児児童を36度の炎天下で躍らせて、園児児童虐待が日本一となった。それも9年間も継続している。

 治水は放置され、市民のお安全が脅かされている。小川敏は、ドローン墜落人身事故でも説明責任を果たさず、ドローンである。それにつれて街が汚くなった。たまに大垣に帰省する人が、駅周辺の汚さを見て呆れている。小川敏はケチの精神で掃除費を削減しているからだ。

 市場の評価は、神の如くである。それほどに、志を立てることが大事なのだ。

 その小川敏の公約は、全てが惨憺たる結果である。政治は結果が総てである。小川敏は19年間も市長をやって結果が出せないので、無能なのだ。だから大垣市は県下一の没落を記録してしまった。

 

論語

 子曰、「吾十有五にして学に志す。

  三十にして立つ。

 四十にして惑はず。

 五十にして天命を知る。

 六十にして耳に順う。

 七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」。

 

孔子は、この節で一生を回顧して、人間形成の過程を述べている。

 子曰く、

 「私は十五歳のとき学問に志を立てた。

 三十歳になって、その基礎ができて自立ができた。

 四十歳になると、心に迷いがなくなった。

 五十歳になって、天が自分に与えた天命が自覚できた。

 六十歳になると、人の言うことが素直に理解できるようになった。

 七十歳になると、自分のしたいことをそのままやっても、

 人の道を踏み外すことがなくなった」と。

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 馬場恵峰師の人生

 次の論語の書は平成26年、恵峰先生から贈って頂いた。馬場恵峰先生は、「私はこの通りに生きてきた」と長崎県民栄誉賞受賞の祝賀会で、この論語を引用されて挨拶をされた。祖父、父と3代続いての県民栄誉賞受賞である。本来、馬場恵峰師は叙勲されてしかるべきだが、中国との政治環境の悪化の影響で、棚上げとなっている(県は国に叙勲の申請はしている)。

 馬場恵峰師は、2000年には中国浙江省(人口8000万人)から、教育に貢献したとして栄誉市民賞が贈られている。

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 馬場恵峰県民栄誉賞受賞祝賀会で

 2013年12月23日    長崎インターナショナルホテルで

039a12102s 馬場恵峰書 平成26年 2014年

 

2020-04-12 久志能幾研究所通信 1534 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月13日 (月)

運転が一番難しい車を、辛抱して乗りこなす

 朝起きて、生きているとは、何と素晴らしいことか。

 この世には、朝になっても、起きてこない人もいる。明日、事故・天災に襲われるかも知れぬ。人生、明日は分からない。

 その素晴らしい人生でも、生きていれば、壁にもぶち当たろう。壁にぶち当ったら、焦らず小休止すればよい。

 その壁を乗り越えるためには、自分が変わらなければならない。自分が変わろうとしない限り、何も変わらない。その小さな壁さえも乗り越えられない。幾らボヤいても、立ちはだかっている壁は、永遠に変らない。

 どんな車よりも構造が複雑で、運転が難しい車とは、「自分という名の車」。その車の一生の運転手は自分である。

 その車は、正しく運転すれば、高い壁さえ乗り越えて天馬のように飛躍する。正しい狂気を持てば、飛ぶ車にも変身させられる。

 しかし、自省と堪忍がないと暴走する車でもある。暴走したら、ブレーキも効かず、皆を道連れに地獄に直行である。小川敏の大垣市長車のように。

  馬場恵峰師の言葉(編集、加筆)  2006年5月28日 明徳塾3で

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    馬場恵峰書  平成11年(1999年)

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  馬場恵峰書  平成29年(2017年)

2020-04-13 久志能幾研究所通信 1533 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月12日 (日)

人生の守り佛が己を見守る

 2020年3月15日、馬場三根子先生のふた七日の法要に参列した。当日、馬場恵峰先生が、法要前に三根子先生の写真の整理に没頭されていた。その中から写真を選び、額に入れて、私に三根子先生の遺影と一緒に、玄関で写真を撮って欲しいと言われた。それで何故、恵峰先生が写真の整理をされていたかに合点がいった。

 幸い私には、ふた七日の法要の守り佛が釈迦如来であることの知識あった。初七日より49日まで、7日毎に法要の守り佛が存在する。それで先生宅の玄関に祭られた9仏像の中の釈迦如来像の前で、その写真を撮影した。写真を撮るにも、その知識があるかないかで、写真の価値が大きく変わる。三根子先生への良き供養になったと思う。

 

法要ごとの守り佛を下記に記する。

不動明王  秦広王  初七日(7日目・6日後)28日

釈迦如来  初江王  二七日(14日目・13日後)8日

文殊菩薩  宋帝王  三七日(21日目・20日後)25日

普賢菩薩  五官王  四七日(28日目・27日後)14日

地蔵菩薩  閻魔王  五七日(35日目・34日後)24日[2]

弥勒菩薩  変成王  六七日(42日目・41日後)5日

薬師如来  泰山王  七七日(49日目・48日後)8日

観音菩薩  平等王  百か日(100日目・99日後)18日

勢至菩薩  都市王  一周忌(2年目・1年後)23日

阿弥陀如来 五道転輪王 三回忌(3年目・2年後)15日

阿閦如来(閦=門<众) 蓮華王 七回忌(7年目・6年後)4日

大日如来  祇園王  十三回忌(13年目・12年後)28日

虚空蔵菩薩 法界王  三十三回忌(33年目・32年後)13日

 

十二支との対応

 十三仏に名を連ねる仏のうち、八仏が十二支の守護仏(守り本尊)である。各支の守護仏に合致する仏は次の通り。

子 - 観世音菩薩

丑 - 虚空蔵菩薩

寅 - 虚空蔵菩薩

卯 - 文殊菩薩

辰 - 普賢菩薩

巳 - 普賢菩薩

午 - 勢至菩薩

未 - 大日如来

申 - 大日如来

酉 - 不動明王

戌 - 阿弥陀如来

亥 - 阿弥陀如来

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 日中文化資料館の玄関に9仏が並ぶ  2011年4月2日撮影

 

自分の守り本尊

 自分の守り佛を知っておくことは、生きていく上で、大事な道標となる。あの世に行った時も、導いていただけるので迷わなくてよい。私は松本明慶大仏師に守り佛の虚空蔵菩薩坐像を作ってもらい、毎日手を合わせている。私は何時も虚空蔵菩薩に見つめられて、力と安心を頂いている。虚空蔵菩薩は「おだ仏教」のご本尊である。

 信じられる佛があるとは幸せである。無宗教者が畜生道に堕ち、現代社会で非道な罪で新聞紙上をにぎわしている。GHQが敗戦後の日本に宗教の制限を与えて、日本人の精神がおかしくなったためである。最近の日本で凄惨な事件が頻発するのは、これが遠因となっていると思う。

宗教と政治・経済

 海外でのビジネスの場面で宗教を聞かれたら、自信を持って「ブッディスト」と答えよう。日頃お寺さんとご縁が薄くても、無宗教と答えると、ビジネスで信用をしてもらえない恐れある。無宗教者はテロリストと見られるやも知れぬ。米国では大統領就任式で、新大統領は聖書に手を置いて、神に誓って宣誓する。それほど、西洋では宗教と政治、経済は密接に関連している。

 日本は、米国の陰謀で、政教分離され精神的におかしくなった。それが現代社会の癌細胞である。宗教は、魂の浄化と自身に戒律を与えるために存在する。人間は戒律がないと、堕落する。宗教は、修身が変形した形態であると思う。日本には「お天道様が見ている」という素晴らしい言葉がある。それが日本人の精神を守ってきた。

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      虚空蔵菩薩  松本明慶大仏師作、書は馬場恵峰書

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  魂の成長

 

2020-04-12 久志能幾研究所通信 1532 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

                             

2020年4月 5日 (日)

「河村義子先生、何故そんなに頑張るの?」

「つなげたいから」がその答えであった。

 

 どんな偉大な人でも、その事業やプロジェクトは一代限りである。後継者で、創業者と同じかそれ以上の能力、熱意がある人が存在することは稀である。つなげようというのは儚い希望である。後継者の誰にも、そんな能力はない。どんな帝国、会社、宗派、学閥、芸道門でも、同じである。

 

後は野となれ山となれ

 一代で栄華を極め、全てを置いて消えていく。誰からも認められなくても、真っ黒になり働き、静かに消えていく「後を継ぐ人はいない」と覚悟するからこそ、自分で出来る限りのことをして、あの世に旅立つ。後は野となれ山となれ、である。それが世の常である。無常こそがこの世の定めである。その人の能力が高いほど、熱意が多き程、その落差は大きい。

 今回、河村義子先生がご逝去された後の事象を見ていて、つくづくと無常を感じた。今川順夫最高顧問のご逝去後の状況も同じであった。後進で付き合うに値する人がいないのだ。それを利用しようとする人も存在することを知っただけ、賢くなった。私は煮え湯を飲まされて、その人たちと縁を切った。

 

生き方の再確認

 自分の事業も後進に託さず、自分で自分の道の後始末をして旅立ちたい。人生は一期一会である。期待するから裏切られる。人知れず世のためになる事に全力で尽力し、あるがままに生きる。ご縁のあった人に清風を感じてもらえば、それでよい。それが河村義子先生の最期の教えであった。死を覚悟して、力を振り絞り最後の頑張りをする河村義子先生と出会えたことに感謝である。

Dsc04341s  河村義子先生の最後の公式公演 ドレスデントリオとの共演

 クインテッサホテルでのニューイヤーコンサート  2018年1月13日

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 馬場恵峰書 2006年

 

2020-04-05 久志能幾研究所通信 1524 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年4月 1日 (水)

小川敏、御政道を逆走(2) 人づくりの未来

子供の教育行政で逆走

 子供の未来を食いものにする小川敏である。大垣市の子供たちへの一人当たりの教育費を県下最低レベルに下げて、その資金を自分たちの給与に振り向け、大垣市職員の給与を、岐阜市を抜いて県下一の高さにした。それなのに大垣市の児童生徒一人当たりの予算は、県下最低レベルに落した。その児童生徒一人当たりの教育予算額は刈谷市の半分でしかない。多治見市のそれの37%も低い金額である。大垣市の子供の未来は悲惨である。

猛暑でのエアコン問題

 一昨年、猛暑で大騒ぎをしたエアコン問題で、大垣市の小中学校のエアコン設備率は2.1%で(2018年)しかなく、県下最低レベルであった。他市は殆ど100%であったのに。これを見れば一事が万事である。いかに小川敏市政が、子供の教育を蔑ろにしているかである。

 最後は、そのエアコン設備費を国に泣きついて出してもらい、エアコン設置が完了したようだ。「ようだ」としか言えないのは、大垣市がその件で、全く報道しないからだ。私は小学校の教頭先生から、その件を聞いた。小川敏は、自分達がお手盛りでその予算を食べてしまったので、その後始末が恥ずかしくて市民に言えないのだ。大垣市は隠ぺい体質である。

子ども達の将来の年収減

 大垣市の子供は、将来、正規社員になれない確率が、他市よりも高いと推定される。子供にかける教育費は、その子の将来の年収に大きく影響する。東大に行ける子は、富裕層が大部分である。それだけ教育に金をかけたからだ。

 大垣市の子供達は、将来、大企業にも入れず、正規社員にもなれず、フリータ身分で、生涯給与額で正規社員よりも1億5千万円も低くなる確率が高くなると推定される。その悲惨な未来が予想される。

子育て日本一の大嘘

 小川敏は、口先では「大垣市は、子育て日本一を目指す」と言う。しかし小川敏は、口先の魔術師として一部を春画的表現で誇大広報しているだけで、実態は大嘘である。大垣市の子育て支援は県下最低である。小川敏は、直ぐ効果の出ない未来への投資に金を使うのが大嫌いなのだ。職員が、予算でその件で増額すれば、担当者が左遷されてしまう。19年間も独裁政治が続くと、職員は市長に逆らえない。言えば唇寒しである。大垣市職員にとって、子供よりも自分の保身が最優先である。

 なにせ大垣市の教職員の年収は、岐阜市よりも200万円も低いのだ。教師が劣悪の環境に置かれている。それでは他市に教育で負ける。

 大垣の未来の為、大垣の子供たちの為に、小川敏の6選は絶対に阻止せねば、大垣の未来はない。それが見識ある市民の義務である。

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  馬場恵峰書

 

教育費比較

 大垣市の教育は県下最低レベル

          一人当り予算   児童生徒数 

         千円  大垣100で   人

 多治見市    735    158    8,862  

 岐阜市     529    114    32,074  

 可児市     517    111    8,352   

 大垣市     465    100    14,400  

 各務ヶ原市   445     96    12,525   

 刈谷市(愛知県)918    197    11,120  

 

大垣市・岐阜市の職員給与

      一般職     教育職

大垣市   665.62万円  529.61万円  2016年

岐阜市   639.87万円  738.09万円  2014年

  給与.comより https://kyuuryou.com/city/212016/?nendo=2014

 

大垣市職員の給与は県下最高レベル

 大垣市議の年収   942万円 全国115位

 大垣市役所職員年収 685万円  全国67位( 全国792市中で上位)

           岐阜県下一位(岐阜市より多い)

 岐阜市役所職員年収 672万円 (全国117位)岐阜県下二位

 岐阜市民の年収   344万円 全国170位

 大垣市民の年収   320万円 全国280位

 

正規・非正規社員の年収比較 

 年齢    非正規社員 正社員

 15-19歳   110万円  210万円

 20-24歳   130万円  260万円

 25-29歳   140万円  310万円

 30-34歳   160万円  360万円

 35-39歳   160万円  420万円

 40-44歳   150万円  480万円

 ※1: 数値は厚生労働省、若者雇用関連データから作られたグラフから読み取った概算値。より詳しくは出典を参照。  出典:厚生労働省、若者雇用関連データ

 

生涯賃金の格差

 正社員の生涯賃金が約2億円、フリーターのそれは約0.5億円で、正社員の約4分の1である。

生涯賃金比較

 学歴       男性   女性

 中学卒      1.9億  1.3億

 高校卒      2.0億  1.4億

 高専・短大卒   2.1億  1.7億

 大学・大学院卒  2.6億  2.1億

            (単位:円、百万の位を四捨五入 )

  出典:(独)労働政策研究・研修機構(JILPT)のグラフから数値を読み取った概算値である。各数値をまとめると以下になる。

 

 非正規社員(推定値)  0.532億(根拠:年収140万×38年)

 非正規社員の生涯賃金はフリーターの平均年収(概算)140万円と、フリーターが定年まで働く年数である38年(22歳から60歳まで)で計算した。

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小川敏、精神年齢の成長に逆走

水饅頭ギネス事件

 歳を重ね、経験を積めば、精神年齢も高くなるものだ。ところが小川敏は、その逆で、19年間も市長の座にいると、居心地が良いのか、ますます幼稚になってきた。市制100周年(終焉?)記念行事でサルにも取れるギネス記録に盲進して、水饅頭の共食いの狂宴を施行した。それで日本中に恥を晒した。問題は、それを恥とも思っていないこと。

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 サルにもとれるギネス記録で小川敏は得意満面。これで市民税900万円の無駄遣い。監査役であるべき市会議員議長まで痴呆的な超協力体制なので、誰も止められない。小川敏大帝国没落の象徴行事であった。

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 2週間後に記録が破られても、この垂れ幕を1年間も大垣市役所内に掲示する小川敏の神経が恥ずかしい。

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大垣大パレード事件 

 小川敏は、市制100執念記念行事のパレードで、ディズニーのミッキーマウスとミス大垣の美女を引き連れて、米国旗を掲げたサイドカーに先導されてパレードである。無邪気に手を振って自慢している。小川敏は一体どこの国の市長なのか、呆れる。その費用は税金である。小川敏は精神が幼稚になり、人間としての成長すべきなのに、逆走で幼稚化している。市民として恥ずかしい。下品の極みである。

 

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    小川敏が、アメ車の白いオープンカーで、美女3名を引き連れ、ミッキーマウスと一緒に、星条旗を掲げたサイドカーに先導されて、己の無為無策で寂れさせた大垣駅前商店街の駅前大通りを市制100周年記念行事で、有頂天になってパレードをするとは、正気の沙汰ではない。「殿、ご乱心!」と言いたい。

 その状況を恥もなく自慢げに報道する御用新聞の痴呆紙が情けない。これこそ太鼓持ち報道である。別名フェイクニュースである。本来はこれを批判しなければ報道機関の存在意義がない。

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小川敏、精神面の逆走

 年一回の大垣のご先祖を祀る常盤神社の神事と十万石まつりを避けるように、小川敏は、2019年の十万石まつりをドイツに出張して逃げてしまった。その日程は1年以上も前から決まっているので、確信犯としての(欠席したいための)の海外出張であるとしか思えない。大垣市長として、一番大事な行事をスッポカシて海外避難逃亡など、ゴーン並みである。大垣駅前商店街の住民は呆れて、非難轟轟、非難ゴーンゴーンである。

 政治家は結果が総てである。どんな言い訳も、無意味である。神仏がそういう状況に追い込んだのだ。市長としての徳がないから、そういう状況になるのだ。

 先の年には、常盤神社での神事で、ご先祖の戸田公の前で、居眠りである。大垣のご先祖の顔の泥を塗るような宗教的な逆走である。ご先祖を大事にしない輩には罰が当たりますぞ。

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2017年10月8日 神事  「市長! 起きろ!」のアドリブの舞 

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2019年10月13日 神事   常盤神社

 正規の「陵王の舞」、小川敏市長が不在で軽やかな舞

報道の正道を逆走

 本来なら、大垣市長の海外出張なので、「広報おおがき」にも岐阜新聞社も大々的に報道するはずが、それが今回は全く報道しない。御用新聞の岐阜新聞の片隅に、「小川敏市長 終日 フレンドリーシティ訪問などに伴うヨーロッパ出張」と小さく報道がされていた。どこに何時まで、どんな行事なのかは全く報道がない。何処へ行ったかも報道されない。戸田公というご先祖の法事から逃げたというやましさがあるから、報道しないとしか思えない。正しく報道する道の逆走である。いつもなら数万円の寄付の受領でも自慢げに新聞紙上に顔を掲載させる小川敏なのに。

 市長として、リーダとして、市民に範を示さねばならぬのが、精神面の成長である。人格者への成長の道である。それが人として生まれた務めである。その自覚が小川敏には無い。Photo

 岐阜新聞西濃地域欄 2019年10月8日 

お願い:是非、このブログの情報を友達や仲間に伝えてください。市民の声が大垣を変えます。今のままでは大垣は滅亡です。

2020-03-31 久志能幾研究所通信 1519 小田泰仙

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2020年3月28日 (土)

智慧とはご縁の芸術作品

 智慧=【知識】×【熱意】+【経験】

  経験は感受性の強弱により、大の経験にも小の経験にもなる。

        松下幸之助翁の言葉

 

 熱意がなければ、何事も成し遂げられない。熱意がなければ、二階には上がれない。熱意のすべては己の心が決める。経験も心がその気になって足が動き、経験を積む行動になるから、知恵を得る経験となる。

 私は人生の事象は芸術だと思う。その事象には正邪はない。それをどう解釈するかである。

 There is no fact, only interpretation.

 事実はない、あるのは解釈だけ。 ニーチェ

 

ご縁の解釈

 例えば、自分が癌になった。天災に巻き込まれた。交通事故に遭遇した。それをご縁の出会いとして捉え、感謝するか、学びとするか、災難として捉えるかで、その後の人生が変わる。

 事件が起きてそれが美しい事象と感じるか、醜態な事象と感じるかは人の芸術に対する感受性の差である。だから(人生の)経営者は、美術、音楽等で芸術の感性を磨くべきだ。だから私は、その感性を磨くため美術品の鑑賞を続けている。私は、世界の80の美術館・博物館を回った。すべては学びのためである。

 昔の経営には美学があった。今は拝金主義が満開で、腐敗の匂いが漂う。とても経営の美学とは言えない。

 

名画とは

 残念ながら、私が回った美術館群の中に名画はなかった。私の名画の定義は、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる絵」である。名画と言われる絵は、その美術館では映えるが、日本の狭い日本和室では、絵の持ち味が死んでしまう。だから世界の美術館の中に、(幸いにも?)盗みたくなる絵はなかった。あれば私は犯罪者になっていたかもしれない(?)。

 100号近くの大きな、ゴテゴテした油絵を日本の小さな和室に飾るわけにはいくまい。ルーブル美術館にあるナポレオンの戴冠式の絵を盗んでも、自宅には大きすぎて入らない。もしそれが入ったとしても、自宅が貧民窟の部屋のように見えるだろう。ムンクの「叫び」を自宅に飾り、毎日眺めていたら、悲しみで死んでしまいそうになる。

Img_5732s  馬場恵峰書   

東日本大震災の直後、2011年4月2日、先生宅を訪問した折、お土産で頂いた。

2020-03-28 久志能幾研究所通信 1516 小田泰仙

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2020年3月26日 (木)

磨墨知33-1 タイマツを掲げよう(2)

 タイマツとは、志・夢・憲法・方針である。それが自分の行き先、組織の目指す先を示す。暗夜の中、タイマツが行き先を照らす。ニューヨークの入り江に建つ「自由の女神像」の掲げる燈火が、アメリカに移民してきた人々に勇気を与え、心を鼓舞させて、自由の国を造った。

河村義子先生の夢が、大垣の音楽芸術活動のタイマツとなった。大垣の未来を背負う子供たちに夢を与えた。 4k8a3399s  チェリストTIMMを招いてのコンサートに、120名の子供たちを「あしながチケット」で招待して、子供たちに一流の音楽に接しさせた。演奏会の前に挨拶をされ、子供たちのためにベーゼンドルファーのピアノをやさしく解説された河村義子先生。子供たちをこよなく愛した先生であった。(2017年9月29日 大垣音楽堂で)

今川順夫氏のシベリア抑留で生まれた負けじ魂の炎が、大垣の恒久平和の願いとなった。氏は子供達の為に多くの寄付をされた。Dsc04619s  地獄のシベリア抑留の講演会で、支給されていた一食分のパンの量を説明する今川順夫最高顧問。これで極寒の中の重労働に耐えて生還した。「この地獄を生きのびて日本に帰り、会社を創るのだ。こんなところで死んでたまるか」と、その負けじ魂で、シベリアから帰国後に会社を創立して、5000人の会社を作り上げた。(2014年8月14日 大垣興文地区センターにて)

安岡正篤師や渡部昇一師の著書や多くの偉人の書が、私の心に灯をともした。 

憲法の威力

 日本国憲法が戦後の日本の行動を決めてきた。日本憲法は、アメリカが二度と日本が立ち直れないようにした自己縛りの憲法である。70年前の敗戦の混乱のさなかに作られた憲法で、アメリカから押し付けられた憲法である。賞味期限が切れている。北朝鮮、韓国、中国からの侵略行為に対して、国を守るには無力の憲法である。ドイツでも戦後、数回の憲法改正を行っている。改憲しない方がおかしいのだ。

 大垣市民憲法が、大垣の行く末を決めてきた。大垣市民憲法も、小川敏が2009年に大垣市民憲法を改悪してから、大垣の没落が始った。必然の流れである。

 

行き先明示

 後に続く人が先頭を走る人が斃れても、先人が掲げたタイマツの方向が分かっていれば、後進がその方向に進路を向ければ、何時かは目的地に到達する。行き先が分かっていれば、部下は安心してリーダについていく。

 自分の行先の目的地をタイマツで明確にしよう。そうすれば寄り道をしなくても済む。寄り道が最大の時間ロスである。タイマツを掲げれば、周りからの援助もある。仏様からの援助もある。何処へ行くか分からない放浪人を、誰も援助はしない。

 己の人生の行き先は、天命、使命に示されている。

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 馬場恵峰書

 

2020-03-26 久志能幾研究所通信 1514 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年3月25日 (水)

磨墨知151-1 無意にブログを読み漁らない

結論が最初に書いていないブログを読まない。

付加価値がないブログを読まない。

自分の人生に影響しないブログを読まない。

それはTV番組でも本でも、行事や人との付き合いでも同じである。

題名に、話題(topic)と目的語(purpose)のないブログを読まない。

 

 「ブログはあくまでも個人日記。金の粒が落ちている可能性はありますが、金の鉱脈はありません。特にネット検索初心者にとってブログを熱心に読み漁るのはネットサーフィンにもつながる不毛な行為だと思います。」

  『内藤式「ザ・検索術」』の著者で心理学者の内藤誼人氏のコメント

  『プレジデント』2007.3.19号 p59

 

 人のブログを見ると、上記のコメントに納得させられる。そのブログの記事で何を言いたいのか、何を伝えたいのか、それが曖昧なブログが氾濫している。文書を読む以上、そこから得られる情報で自分の行動が変わらなければ、テレビを時間つぶしに眺めると同じで、時間の無駄である。時間は命なのだ。

 それはバラエティーショー番組で、見識のかけらもない芸人が、コメントを垂れ流す番組を見ると同じで、人生の無駄である。時間は有意に使わないと、人生が無意に過ぎてしまう。

 

無意から有意へ

 人は白紙で生まれてきたので、一番多く見たり、聞いたり、読んだりしたことしかできない。無意な情報に多く接せると、無意な行動しかとれなくなる。それは洗脳教育と同じである。それが認知症への階段を上ることになる。無意な情報を避け、有意な情報に接するべきなのだ。

 

情報の提供

 私はブログ記事を書く場合、読み手に何らかの付加価値を提供する意図で書いている。私は単なる日記としては書いていない。将来の行動にフィードバックできるように、事件の記録として書いている。

 私のブログでは、結論を最初に書き、ビジネス文書として構成している。それで何を伝えたいかを明確にしている。私が一番大事にしていることは、タイトルである。そこに文書の全てを表すタイトルにすることに注力する。次に大事なトピックセンテンス(核文)にも最大の注意を注ぐ。

 記事を読んでいただくことは、相手の時間を頂くことなのだ。自分の意見が正しいことを教えて頂いたのだと考える。人の時間を頂く以上は、倍返しで価値ある情報を提供することで、それに応えたいと思う。読んでよかったな、と思う記事を目指している。その情報で、少しでも読者の人生が変われば本望である。

 その情報で、読者の生きざま、行動、行く末に修正を加えて、皆さんの志、夢の実現に向けて、0.01歩でも前進すれば嬉しい。それで社会が良くなる。毎回のブログが私の遺稿なのだと決意して書いている。将来はこれを編集して出版予定です。

 

知りたることを教えざるは、金を借りて返さざるが如し(お釈迦様の教え)

Img_64031s  馬場恵峰書          時間は命なのだ。

 

2020-03-24 久志能幾研究所通信 1512 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。