c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2023年1月15日 (日)

縁起 「この世で縁がない人」との付き合い方

 

 性善説、性悪説を唱えるのは儒教である。「全てのことは縁に始る」との縁起説は仏教である。これは恵峰先生の三回忌法要で圓鏡寺の住職様が、説法でこの教えを説かれた。

 私は、昨年12月24日に九州での恵峰先生の三回忌、昨日(1月14日)に東京での親戚の三回忌に参列して縁起説を意識した。恵峰先生は、儒教の「性善説、性悪説」の教えを否定された。性悪説に従えば、悪人がいくら勉学、修行をしても、善人にはなれないことになるからだ。

 

 仏教の縁起説では、人生は縁の出会いで始まる。良い出会いが、良い縁を招く。だから良き出会いを求めばならぬ。また出会いを良いものにする努力をしなければならない。

 その出会いは全て心が決める。心とはすなわち、その人の魂である。魂の向上を目指さないと、人生は豊かにならない。類は類を呼ぶからだ。

 

4k8a93721s 馬場恵峰書

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縁の多様性

 世間を騒がしているKK問題もやんごとなきお家の騒動も、全て悪縁、穢れた縁との付き合いから始まっている。縁起である。

 安陪さんを殺めた山上徹也容疑者も、その母が間違った教えの縁に関わったのが始まりである。間違った縁につながると、間違った思想に洗脳されてしまう。それから、いくら正気に戻そうとしても無駄である。

 

縁なきご縁

 親戚関係でも、相手がある考えに思い込むと(洗脳状態)、いくら当方が正論を言っても、理解しようとさえしない。だから話し合いが無駄である。それは山上徹也被告の母を説得して1億円のお布施を止めさせるようなものである。その人とは「この世では縁がない」という縁でつながっている。

 現在、私が分かり合えていない親戚たちは80歳以上である。もう時間が無く、生きている間に分かり合える縁もなかろう。それが、「この世では縁がない」という縁である。つい最近、その中の2名が亡くなった。私と分かり合えないままに世を去ったのだ。歳月という名の「佛様のお裁き」である。

 

 515事件では、犬養毅首相が「話せば分かる」というのに、反乱軍は「問答無用」と発砲した。此の世では縁がなかった。その極端な例の惨劇である。

 

 もしお釈迦様が生きておられて、習近平と話し合う機会があっても、ご縁が無いから、分かり合えないであろう。我々が思い違いの人との分かり合いが無理なのと、同じである。

 

全方位外交の愚

 日本には1億2千万人の人間がいる。全能でない凡人の我々は、その全てに人間と縁を結べるわけではない。限られた付き合いの中で、その縁を結んでも、「縁がない人」と無理に縁を結ぼうとするから軋轢が起きる。そういう縁には、近づかず、そっと縁を遠ざけるのが、賢い人の行動である。

 お釈迦様は、全ての人と仲良くせよとは仰せでない。お釈迦様でさえも、縁なき衆生を「縁なき衆生は度し難し」と突き放されている。お釈迦様ではない凡人の我々は、全ての人と平等に付き合うなど無理なのだ。

 第二次世界大戦中のドイツでヒトラーから迫害を受けたユダヤ人で、命を守れたのはドイツから逃げ出した人達だけであった。狂人のヒトラーと個人で戦うのは、狂気の沙汰なのだ。ライオンが襲ってきたら、ウサギのような我々は逃げるしかない。

 

 日本政府も狂国や敵国と、全方位友好外交をする必要はない。それなのに、ノー天気外交で、媚中派の岸田政権は、敵国、味方国の区別なく全方位友好外交を強行している。財界の太鼓持ちのマスコミに踊らされている現状は、痴呆症外交である。次の選挙で自民党にお灸を据えないと、日本国家が危なくなる。

 

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2023-01-15  久志能幾研究所通信 2589  小田泰仙

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2023年1月13日 (金)

「コンド―さん」と絶縁 ご縁のカンバン方式

 

 私は「今度、〇〇します」が口癖の人とは、意識的に縁を遠ざけている。そういう人には、「今度は」は永遠にやってこない。

 私ががんになり、それを伝えると、そういう人は「今度お見舞いに行くね」と言うが、その人が今だかって来たためしがなかった。現実に、そういう人が数人もいた。

 そのうちの一人から4年ぶりにメールの年賀が来て、「一度会いたいですね」と書いてあったので、何時もどうぞ、と返信したが、全く応答がない。

 私ががんになり、その件で、虚言を吐く多くの知人が明らかになり、喜ばしい限りだ。残り少ない人生で、そんな人と付き合いを避けることは、自分の人生時間を創造することなので嬉しいのだ。

 

 人生でやりたいことがあれば、今、やればよい。今度やろうとして、そんな「今度」は永遠にやってこない。いつやるの? 今でしょう!

 

トヨタ生産システム

 それをトヨタ生産システムでは、カンバン方式という。必要な時に必要な数だけを前工程から引いて、必要な数だけを生産して、後工程に流す。早からず、遅からず、である。 

 人生でやるべき事を確実にやっていれば、幸せのご縁は必ずやってくる。幸運の女神もトヨタ生産方式に則って幸運を生産している。トヨタ生産方式で生産すれば、効率的で、女神さまも楽なのだ。

 それが「縁ありて花開き、恩あって実を結ぶ」である。

  

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2023-01-13  久志能幾研究所通信 2588  小田泰仙

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2023年1月10日 (火)

108歳目標(15/16) 詐欺型「侵型コロナウイルス」を防ぐ

 

 人生は多くの毒菌から身を守ることで長寿を達成できる。長寿を妨げるのは、人の悪縁(心の隙に侵入する詐欺型の「侵型コロナウイルス」)によってもたらされる人災である。悪縁により、前向きの意欲が削がれ、生きる気力が無くなる。カネも奪われる。結果として長生きできない。

 結論として、詐欺型の「侵型コロナウィルス」に感染した輩には近寄ってはならない。ソーシャルディスタンスをとり、心に防毒マスクをして、手ではなく、その人との縁から足を洗う事。東大卒の学歴も、社長という肩書も、元会長という肩書も、経営研究会という錦の名目も、それは粗製乱造のワクチンと同じように信用できない。虚名のワクチンを信用し過ぎると超過破産の憂き目にあう。

 

ワクチンの期待外れ

 その悪縁も、相手が社長だから信用できるわけではない。社長と言っても、日本全国には会社が386万社あり、そのうち99.7%は中小零細企業である。そのうち大企業はわずか1000社ほどだ。残りの385万9000社は、中小企業の社長である。だから社長と言っても吐いて捨てるほど存在する。私は信用してつきあった社長に裏切られた。それまで、社長と言えば、大企業の人徳ある社長をイメージしていたからだ。

 東大卒とのワクチンブランドを信用してはならない。働ける期間を40年とすると、その間の東大卒の人間は40万人も存在するのだ。それだけの人数がいれば、ピンからキリまで存在する。ブランドの大学卒の首相が日本を危機に陥れた事例は、数多い。

 歌舞伎町を歩けば、全員が「社っ長さん!」と客引きに呼び止められる。コロナワクチンを打ったから安全ではないと同じで、会社の社長だから、また経営研究会の会員だから信用できるわけではない。私はコロナワクチンを信じていなかったが、経営研究会という名のワクチンにも裏切られた。社会を生き延びていくための詐欺的「侵型コロナウイルス」対策が必要である。

 

ガン予防

 人はガンでは死なない。ガンで免疫力が低下して、入ってきたばい菌により、肺炎等の炎症を起こして死ぬ。だから私は、がんの術後の療養として、体力向上、免疫力向上を心掛けている。狂った生活習慣、狂った食生活を避けている。がんは生活習慣病である。だからその生活習慣を正さないと治らないし、再発する。詐欺的「侵型コロナウイルス」対策も、元を断たなきゃ真の対策とならない。

 往々に、詐欺的「侵型コロナウイルス」に感染した医師は、対処療法しかしない。その医師は、拝金病も併発している。なぜなら対処療法の方が短期に効果が出て、なおかつ儲かるからだ。しかし降圧剤を代表例に言うと、対処療法では長期で認知症、ガン、心筋梗塞、脳梗塞になりがちである。

 

大垣市の病状

 組織はカネを餌にする詐欺型「侵型コロナウイルス」のような輩によって、ボロボロにされる。政治家の利権行為は、組織の生き血を吸う新型コロナウイルスと同じである。それが原因で大垣市は衰弱した。新型コロナウイルスのような利権政治家だけが太った。

 今回の「ゴミ袋有料化政策」で、一部の利権業者がまた暴利で太るようだ。これも詐欺型「侵型コロナウイルス」による病状である。

 大垣市は寄付金を業者から他市よりも10倍以上もたかっている。業者も大垣市からたかられれば、その分、どこかで取り戻す行動に「写す」のが自然の理である。業者も生きて行かねばならぬ。そういう積み重ねで、大垣市は生き血を吸われ、衰退した。都市の価値は公示地価で計算される。いわば大垣市の市場価値である。市場の評価は神の如くである。それによれば、この20年間で、大垣の価値は半値以下に暴落である。

 結論は、「人は、朱に交われば赤くなる」である。詐欺型「侵型コロナウイルス」に交われば、強烈な病気に罹患する。人が詐欺型「侵型コロナウイルス」をもった人と交われば、その人の強欲な病原性性格が転写される。

 

大垣市

 支庁や議員や業者が利権という侵型コロナウイルスに犯されれば、その都市を取り仕切る為政者の利権第一主義の経済となる。その結果、大垣駅前商店街は衰退し、20年間前の60%が店を閉め、80%の店がシャッターを下ろしたことになった。いわば生き血を抜かれたのだ。大垣駅前商店街は幽霊通りとなった。

 

共産国家

 C国共産党に染まれば、赤くなる。赤くなれば領土拡大の猛者に変身する。日本共産党も同じで、その最終目的は、天皇陛下の首をちょん切ることなのだ。その共産党を支持する日本人がいることが信じられない。そんなに共産党がよいと思うなら、C国に移民すればよい。

 先進国では、共産党の存在自体が法律で禁止されている。日本だけ、共産党が許されるのは、異常である。共産党の党是は、民主主義の否定なのだから。

 

米国

 それに対して、良性のアメリカ菌に接すれば、アメリカンドリームを夢見る前向きの精神に転写される。政党は己の宣伝に余念がない。それはプロパガンダである。その中身で正悪がきまる。どちらが正しいかは、分からないが、私は民主主義が正しいと思う。だから私は民主主義のプロパガンダを発信する。

 プロパガンダ(羅: propaganda)は、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為をいう。

 

某家庭

 KK問題のように、穢れた悪性縁者に犯されると、一家が滅亡する事態となる。KKの叔父祖母が自殺、父も自殺である。彼のその後の行動も異常である。なにか脳が疫病に犯されたと言わざるを得ない。つまり穢れた詐欺型「侵型コロナウイルス」に犯されたのだ。

 

某社長からの感染を水際で防止

 経営研究会の元会長から、統一教会と同じレベルの新興宗教団体に誘われたことがある。元会長とのブランドで盲信してしまい、もう少しで詐欺型「侵型コロナウイルス」に感染寸前であった。そうなれば破産であった。

 

 拝金性「侵型コロナウィルス」感染の社長に車検を頼むと、車を営業車代わりに乗り回される事態となる。その悪事は、私の車に取り付けてあったドライブレコーダーにシッカリと記録されていた。運転中の携帯電話の営業活動会話もしっかりと録音されていた。

 その社長は、毎回、違った外車で私の家に来ていた。上記の件を考えると、顧客が車検に出した高級車を勝手に乗り回していたようだ。私はその不正の発覚後、その輩と縁を切った。その後、10年が経つが、その会社は全く発展していない。その原因は、推して知るべきだ。

 

 もう一人の社長は、親が遠くの県にある会社を倒産させ、岐阜県に夜逃げしてきた経歴がある。その20年後、自分の会社も経営不振で整理する事態となった。その社長が、ホテル宴会のドタキャンをやり、そのドタキャンの賠償金を踏み倒しである。

 私は、その社長達とは経営研究会の仲間として付き合っていた。しかしある種の腐臭に気が付いて、縁を切った。詐欺型「侵型コロナウイルス」は腐臭を発するのだ。それに気が使いない人が、心の内部に侵入されて感染する。

 

感染防止

 詐欺型「侵型コロナウイルス」感染を防ぐには、距離を取る(ソーシャルディスタンス)、マスクをする(賄賂を拒否、親密な付き合いを避ける)、手洗い(菌の除去、定期的な監査、悪縁から足を洗う)をするである。自己防衛策の当たり前を当たり前にする。それしか感染を防ぐ手段はない。

自分を滅ぼすのは、自分のガードの甘さである。

危機管理意識の無さである。

自分の城は自分で守れ。

耳を洗い、目を拭って相手の本性を見抜け。

 

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2023-01-09  久志能幾研究所通信 2585  小田泰仙

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2023年1月 7日 (土)

「♪夕焼け小焼け」で死を伝える

 

 2019年12月12日の「生き活き教養塾」で、馬場恵峰先生は童謡「夕焼け小焼け」を通して自分の死を暗示された。その翌日、恵峰先生は中国の友人に別れを告げるため、北京に向けて最後の中国旅行に出発された。鈍感な我々は、その暗示に気が付かなかった。恵峰先生はその1年後に亡くなられた。

 そして私は恵峰先生の三回忌(2022年12月24日)に参列し、元旦に大垣フォーラムホテルに泊まって、やっとその暗示に気が付いた。当時の先生が自分の死が近いことを察して、皆さんにお別れのメッセージを託したのだ。それに今まで気が付かなかった自分の鈍さに呆れるばかりである。恵峰先生ご夫妻をこのホテルのスィートルームにお泊めして良かったと思う。

 

 縁ありて花開き、恩有りて実を結ぶ

 

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童謡「夕焼け小焼け」

 童謡「夕焼け小焼け」は人生哲学の唄である。恵峰先生が旧第五高学校(現熊本大学)で心理学の教授から、その意味を教えられたという。時に太平洋戦争開戦の直前である。

 

夕焼け小焼けで日が暮れて

山のお寺の鐘が鳴る

お手々つないで皆帰ろう

烏と一緒に帰りましょう

子供が帰った 後からは

まるい大きな お月さま

小鳥が夢を 見るころは

空にはきらきら 金の星

    中村雨虹作詞、草川信作曲、大正8年に発表 

 

歌詞の意味

夕焼け小焼けで日が暮れて♪

 人生劇場で盛大に赤く燃えた人も、静かに燃えた人も、何時かは人生劇場の幕が下りる。自分がどれだけ人生で燃えたかを死の床で振り返る。

 私、恵峰も92歳、いつしか歳老い、人生が暮れようとしている。

山のお寺の鐘が鳴る♪

 己の葬式で導師が叩く鐘の音に合わせて、参列者が己のために合掌する。

お手々つないで皆帰ろう♪

 どんな人も必ず死ぬ。皆で一緒に浄土に還るのだ。

 遅いか早いかである。死ねば皆、佛である。

 その差の年月は、長い歴史上では誤差範囲である。

カラスと一緒に帰りましょう♪

 頭の黒い人間でも一緒に浄土に還っていく。雀でも白鳥でもなく、一緒に帰っていくのは黒いカラスなのだ。

 一緒に逝くのは、黒い喪服を着たカラスなのだ。悪いことをしたカラスでも「一緒に」浄土にいくのだ。

 カラスは仏教では重要な位置付けの鳥である。インドの古代仏教では大黒天様がカラスの頭の姿で描かれることがある。カラスがヒンドゥー教と入り混じって取り入れられたブータンでは、ワタリガラスが国鳥である。

 

 宗教学者の山折哲雄氏は、「夕焼け小焼け」の歌詞の背景には、『般若心経』の真言があるという。般若心経の最後の部分は「ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか」である。その意味は、「いきましょう。ゆきましょう。囚われなき悟りの世界へ人々と共に行きましょう。」である。

 

子供が帰った 後からは♪

まるい大きな お月さま♪

小鳥が夢を 見るころは♪

空にはきらきら 金の星♪

 

 夢の中で、自分の金のような人生目標が空に輝いている。

 死ぬまでにその目標に向かって少しでも実現したい。

 皆が眠った(死の)後は、丸い大きなお月様(佛様)が皆を見守っている。

 だから安心して眠りなさい。

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  馬場恵峰書

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  馬場恵峰先生   2019年12月12日、11:07

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「夕焼け小焼け」の教え

 私は馬場恵峰先生の解説を聞いて、初めてこの童謡の意味を知った。

 だからこそ、永眠する前に精一杯の精進をして自分の夢を実現させたいと決意した。それでこそ金の星の夢を抱いた人間である。

 私は4年前、大病をして死期への時間意識に目覚めた。人は必ず死ぬ。その見極めをして、決断すべきを決断して、死の間際に悔いが残らないようにしたい。やらない悔いよりもやって失敗した悔いの方がよい。大垣フォーラムホテルに宿泊して、先生の遺言に目が覚めた。

  

2023-01-07  久志能幾研究所通信 2583  小田泰仙

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2023年1月 3日 (火)

一念の計は、山籠もり禊にあり

 

 今年の大晦日と元旦は、大垣フォーラムホテルに籠って「一念の計(一年の計)」を考えた。山籠もりとして、ホテルの最高の部屋に籠り、外界の喧騒を断ち切り、冷水で身を清め、今までの人生の振り返り、今後の人生を考える時間を持てたのは、有意義であった。それは私の禊ぎでもあった。それが一事一心一念道である。

 大垣フォーラムホテルさんからの厚遇に感謝である。これも亡き馬場恵峰先生の陰ながらの御差配と感じた。

 

展望

 その修行は、ホテルの天井界(8階)にある一番大きな部屋を利用した。その部屋は通常の部屋の3倍の広さである。寝室も居間とは別にあり、トイレも洗面台もクローゼットも2つある部屋である。居間には台所の流しも備わっている。宮様も利用するお部屋である。天上界からの展望も素晴らしく、初日の出(ただし1月2日。元旦は寝過ごして拝めなかった)も拝めた。冷水シャワーで身も清めた。

 また展望の視野内に、元三洋電機(羽島市)のアーチ型の巨大なソーラーパネルも眺められて、その最後の姿を拝んだ。このパネルは今年中には撤去されるとのこと。時代の流れを感じた。その現実に万物の生老病死を突き付けられた。生物だけではなく、建物にも生老病死があり、永遠の命はないことを思い知らされた。

 やりたいことが出来るのは、生きているうち、今のうちなのだ。自分の今までの人生を展望して、残りの人生を精一杯に生きようと決意した。今、生きていることが奇跡なのだ。

 人の生は偶然だが、死は必然である。

 人生計画は死から逆算して、立案すべきである。

 いつまでもあると思うな 親と自分の命。

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    天井界の部屋

 

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       元三洋電機のアーチ型ソーラーパネル  ホテル8階の部屋より   2023年1月2日

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振り返り

生老病死、ご縁は夢幻

 この部屋は、2018年4月、私が馬場恵峰先生ご夫妻を彦根と関ヶ原合戦場跡に案内した後、大垣で恵峰先生をお泊めした部屋である。翌日、私は恵峰先生ご夫妻を名鉄犬山ホテルへレクサスLSでお送りした。三根子先生に大変喜んでもらえて幸せであった。

 そのレクサスLSも、恵峰先生が大垣に来られることが決まり、それならばと構えていたら、ご縁で直前に入手できた。しかし、私はレクサスLSの維持費の高さに音を上げて2年後には手放した。別荘と二号さんは、持ってはならないのだ。乗らない時の維持費が大変なのだ。しかしそれも良きご縁で、よき経験であった。早からず、遅からず、ご縁はやってくる。恵峰先生ご夫妻をレクサスLSで送迎できたことは稀有の必然のようなご縁であった。今は、レクサスLSを買う気になれない。それは佛のご差配であったようだ。レクサスLS所有は108の夢の一つであったが、実際それを所有して見ると、「ああこんなもんか」と現実に目が覚めるのだ。それも良き経験である。今ではそれは夢幻であった。それも人生を振り返るための貴重な経験である。人生ではやってはいけないことをやってみて、やってはならないと悟るのだ。人とは愚かな存在だ。

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「佛様のお裁き」 

 その翌日の10月21日、馬場恵峰先生は塾ОB会の講師として、名鉄犬山ホテルに泊られた。しかしそのホテルは1年後の2019年8月に急に閉鎖された。耐震強度問題が露見して、安全上の観点で、取り壊されてこの世から消滅した。それも因果である。先生が泊まられた時、事故が起きなくてよかったと思う。宿泊客の命を最優先にした名鉄さんの決断は素晴らしいと思う。建物さえ、生老病死の因縁があり、あっという間に消滅する。まるで人の生死のようだ。

 それが今回、ご縁があり、私自身が大垣フォーラムホテルのその部屋に泊まることになった。自分でその部屋に泊まってみて、恵峰先生ご夫妻を極上のいい部屋にお泊めして良かったと改めて思った。

 翌日に恵峰先生が泊まられた名鉄犬山ホテルの部屋は普通室であった。馬場恵峰先生はその会の講演者なのだから、一般よりも格上の部屋にすべきだと思う。それが講師の先生への敬意である。

 その酷い扱いに比べて、私はよいことをしたと、改めて4年前のことを思い出し、嬉しくなった。それは名鉄犬山ホテルを予約した幹事達の人格の低さから起きた事件である。人格に低い人間は、何をやってもダメなのだ。当時、私はその幹事たちと事前準備をしている途中で、彼らの人格の低さに反吐が出て、私は幹事役を辞退して縁を切った。

 「佛様のお裁き」が、幹事達のドタキャンの露見とその後の不祥事である。そしてその思い出のホテルの取り壊しである。私は、その時の自分の絶縁の決断を褒めてあげたいと思う。悪縁と付き合うと、その分の大事な人生時間が潰される。

 そのOB会の直前、その幹事たちのドタキャン失態が露見した。私はその幹事役を降りていたので関係が無かった。しかし馬場恵峰先生の名誉のため、私はその後始末に走り回ることになった。恵峰先生と相談して、迷惑をかけた旅館に塾ОBの代表としてお詫びをして、先生の書を進呈した。その書は「縁あって花開き、恩あって実を結ぶ」の掛け軸であった。

 違和感を覚える人との付き合いは、心配が現実の危ない事件に発展する。この件で、よき知恵を授かった。その感性を大事にすることが危機管理である。

P1100226s 名鉄犬山ホテル   2018‎年‎3‎月‎27‎日撮影(事前調査で訪問)

 その1年後、取り壊された。その跡地には2022年3月1日、新しいホテルが開業した。

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  名鉄犬山ホテル前の駐車場で  この車で恵峰先生を送迎した。

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歳月人を待たず

 その翌年の2019年2月、私はガンの手術を受け、病床に伏した。手遅れ寸前で5年後の生存率は、51%の状態であった。なんとか生き延びることが出来た。佛さまが助けて下さったようだ。

 その10か月後の2019年12月13日、恵峰先生は自身の死を悟られたようで、中国へお世話になった方々に最後の挨拶をするため中国旅行に出発された。その前日、「夕焼け小焼け」の童謡の意味を先生の教室で解説された。それが恵峰先生の生徒たちへの最後のメッセージであったようだ。三根子先生は、その3か月後の2020年3月3日に突然、亡くなられた。それから新型コロナウイルスが猛威を振るい、私が九州に行けなくなり、8か月が経ったら、恵峰先生が倒れられた。その後、一月ほど寝込まれ2021年1月1日、亡くなられた。

 恵峰先生が死の床で繰り返し口にされたのは、「縁あって花開き、恩あって実を結ぶ」、「ありがとう、ありがとう」の感謝の言葉であった。

 もう恵峰先生をこの大垣フォーラムホテルの部屋にお泊めする機会はこない。私は1週間前(2022年12月24日)に馬場恵峰先生の三回忌に参列したばかりで、一連の流れに、歳月人を待たず、を痛感した。

 故馬場恵峰先生の高台に立つ図書館2階の書斎からは、長崎空港、九州高速道路、長崎新幹線(当時は建設途中)が眺められて、恵峰先生は、よく思索にふけっておられた。このホテル8階からの眺めも、同じように、名神高速道路の車、東海道新幹線の走る姿が眺められて、感慨にふけさせられた。

 

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 日中文化資料館の図書館2階からの眺め  2011年4月2日

  大村湾の長崎空港と目の前に九州高速道路と長崎新幹線の予定地が見える。

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今後の計画

ホテルでのお仕事

 私は、その部屋の6人用会議机に資料を広げ、もう一つの机にはノートPCを置き、人生計画作成のお仕事に没頭した。作業エリアが広く、資料を広げたままに出来るため、私は今までになく快適に思索を練ることが出来た。年に一度、静かな環境で自分の人生を振り返ることは良いことだ。

 部屋には計2台の大型テレビが設置されていたが(居間に1台、寝室に1台)、一度も電源は入れなかった。未来の計画をして夢を見たいのに、下世話で騒々しいテレビなど見る気にならない。

 禁酒しているので酒は一滴も飲まず、コーヒーと白湯だけで過ごした。この宿泊は、今までの穢れを落とす山籠もりの禊なのだから。

 

持ち込んだ資料は、

 「人生計画・自戒」のクリアファイル、

 「死ぬまでにやりたい108の夢」のクリアファイル、

 「人生の課題」のクリアファイル、

 青山俊董著『わが人生をどう料理するか』、

  叔母が青山俊董堂長より頂いた本で、叔母が私に贈ってくれた。

  青山俊董堂長は、私の叔母(京都の尼寺の住職)の師である。

 田口佳史著『超訳 言志四録』、

 松本明慶友の会会誌「苦楽吉祥」最新号、

 大村智博士の新聞記事、

 書抜きした京大カードから抜粋した約50枚で、ある。

 

 「人生計画・自戒」のクリアファイルには、「18歳から105歳までの人生実績・計画表」、自戒の言葉、「家系図」、研修記録、自分の性格分析等がファイルされている。自戒の言葉や年度計画も40年前からの資料が残してある。その変遷が、それで自分の歴史であり、自分の成長も辿れる。年に一度、それらを見直して今後の10年間の予定を考えている。

 「108の夢」のクリアファイル、には「死ぬまでにやりたい108の夢」の資料がファイルされている。今までの実績、これからやりたいことのリストを更新した。まだやりたいことが108個まで出しきれていないのが残念だ。紙にやりたいことを書いておくと、自然と実現するものだ。夢の実現には、まず見える形にするのが、秘訣である。

 「課題」のクリアファイルには、教育問題、認知症問題、少子化問題、日本再生、大垣再生、資金調達等の自分で考えたいテーマの資料(雑誌の切り抜き等)をファイルしている。それを見直して、新たな知見を書き込んだ。

 溜め込んだ情報と知識を、賢さで智慧に消化すると新たな知見が浮かんでくる。そのために場を変えてみるのも効果があった。それも極端に変えるのも良いことだ。それで惰性の人生が変えられる。

 ニュートンの運動力学第一法則は、止まっているものは永遠に止まっている、である。それを変えるには、少しの力を与えればよい。

 

 

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 大きな机の上に広げた資料を展望

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永眠の練習

 部屋の寝室には大きなダブルベッドと普通サイズ(それでもデカい)のベッドの2つが設置されていた。貧乏性の私は初日は、大きなダブルベッドは遠慮して、普通サイズのベッドで寝た。しかし翌日の夜、気を取り直して、使えるものを使わないと勿体ないと考え直し、2日目は大きなダブルベッドを使って、永眠の練習をした。お陰で熟睡が出来きて、日の出前に目が覚め、2日の日の出を拝むことが出来た。

 人は毎日が永眠の練習である。一生の内、一度だけ目が覚めない時がある。それが永眠(死)である。私は次の言葉が大好きだ。

 よく働いた一日は、安らかな眠りが与えられる。よく働いた一生は安らかな永眠を賜る。

             ゲーテ

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2023-01-03  久志能幾研究所通信 2581  小田泰仙

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2023年1月 1日 (日)

生涯目標 魂と人格の成長

 明けましておめでとうございます。

 私の年度目標・生涯目標は、自分の魂の成長と人格の向上です。それが人としての最大の課題である。課題とは、目標と現実の乖離をいう。その乖離を少なくする取り組みが修行である。

 いくら知識を持っても、有名大学を出ていても、カネが沢山あっても、地位が高くても、大きな屋敷に住んでいても、人格の低い人間は、何をやってもダメである。人格が低くては、出せる成果に限界がある。その人格は魂の支配下にある。

 

子供は動物

 どんな高貴な人でも、子供は人間ではなく、動物である。人は、躾、教育、経験を経て人間になる。人は艱難辛苦を経て魂が成長した人間になる。人間とは、人と人の間の社会でまともな生活が出来る人である。親が子供に教えるべきは、魂の成長と人格の向上である。

 今、日本で頻発している悲惨な事件は、その躾が軽視されているために起こる。「息子には、お小遣いを月50万円あげているから、息子が不良になるわけがない」と警察に怒鳴りこんだ有名女優が存在する。その息子は覚せい剤で何度も捕まっている。彼女は良妻賢母役の女優業が忙しく、実の息子には何の躾もしなかった。

 日本の現代社会で「誰でもよかった」と無差別殺人が頻発している。全て親の教育の失敗である。親が命の大切さ、子孫の永続を教えなかったのが原因だ。

 「日本は嫌いだ」と言いながら日本国民の税金で外国で豪遊している元皇族がいる。親の後姿を見て育った結果である。子供は親の言うことは聞かない。親がやっているようにする。反面教師の実例である。

 動物から人間になっても、人格が低いと、全てが下品な振る舞いの人生となる。その親の子供も成長して下品になる。

 

積める人生

 「人生はつまらい」と嘆く人は人格が低い。つまらないことをつめるのには、高い人格が必要だ。つめないから、つまらない人格になる。

 

見えない世界

 高い人格に成長すると、見えないものも目えてくる。山の5合目から見える景色と、山頂から見える景色がまるで違うのと同じである。

 仏様の世界でも52段階の位がある。最高階の第52位にはお釈迦さが居られる。その次に即位されるという現在51位の弥勒菩薩様は、56億7千万年後に現れるとされる。つまり弥勒菩薩様は、あと56億7千万年間の修行を積まないと、お釈迦様の段位の悟りに到達できないのだ。位を一段でも上げる修行は厳しく長い年月が必要である。

 

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人間としての修行

 修行を積み、長所を伸ばし、人格が高くなると、持てる欠点も人間味となって、味のある人間になる。人間の欠点はなくしてはならない。欠点のない完璧な人間になれば、人ではなくなってしまう。それは神である。それでは人でないので、「人でなし」である。欠点を持ったまま、熟してこそ、欠点が人間味となり、人格が上がる。それが角熟である。人として技を磨き、精神を高揚させることが修行である。

 人には108の煩悩がある。その煩悩を消すのが修行である。煩悩を一つ消せば、位が一つ上がる。私は年に一つずつ煩悩を消していきたい。そのため、108歳まで修行が必要だと私は判断した。

 煮ても焼いても食えぬ喰えん人間が下品なのだ。味のある人間は喰える人だ。人間社会で美味しく食べてもらってこそ、社会への貢献である。カマキリは、交尾が終わると、雄は雌に頭から喰われてしまう。生体系の摂理で、麻酔が分泌されて、食われても雄には苦しみはない。その雄の体が子供の栄養となるからだ。それが種の保存の摂理である。

 

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 自著の「修身」のテキストより

 

魂の成長

  人には魂がある。その魂の本質は「鬼」である。その「鬼」が「云う」と書いて、「魂」である。本来、人は鬼なのだ。その鬼を「人に非ず」と書いて、「佛」である。人と超越した存在の「佛」になるために修行がある。

 己の中は佛も住めば、鬼も住む。此の世は全てプラスマイナスの世界である。己の中には、「向上しよう」とする己と、「そんな辛気臭いことは止めとけ」と足を引っ張る鬼のようなもう一人の己がいる。その鬼が自分のいやらしい面をよく知っていて誘惑してくる。それを克服するのが修行である。鬼に見つめられれば、襟を正さなければならぬ。私は国家試験の受験勉強中に、机の前に松本明慶大仏師作の「魂(おに)」を置いて、睨んでもらって勉強をした。

 しかし受験には失敗した。そのお陰で、致命的な病気が発見できて、治療を始めることができた。そのため、突然死のなる手前で、間に合い、手遅れにならなかった。その時、治療を始めなければ、今頃、心筋梗塞、脳梗塞になってこの世を去っていただろう。認知症にもなっていただろう。ただ癌にはなってしまったが、死は免れた。受験失敗も仏様からの啓示である。それで良き経験を積むことが出来た

 

 

Dsc04554sjpg 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」

Dsc09818s 松本明慶大仏師作  

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 馬場恵峰書

 

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 聖人の要素だけでできた人間はいない。その鬼を抑え込んでこそ、人間である。それを抑え込む過程が修行である。内なる鬼を抑えられなければ、本能のままに生きる犬畜生と同じである。

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2023-01-01  久志能幾研究所通信 2580  小田泰仙

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2022年12月30日 (金)

自惚れは「佛さまのお裁き」を防ぐ

 

 自惚れが自分を成長させる。自惚れとは自己満足である。自分が一番だと自惚れれば、更に技を磨くから成長する。自分はダメだと卑下していては、絶対に成長しない。

 ファッションショーでモデルは自分が一番美しいとうぬぼれ、胸を張って歩くから、その美しさが映える。「私なんか」と思えば、努力もできず、持てる魅力も半減である。それでは成長できない。

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 大垣市壽年式-ファッションショー 平野学園出演 2018年4月17日

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佛さまのお裁き

 ところが多くの人は、人が努力して結果を出している才能をけなし、悪口ばかりを言う。そういう人は、人の荒探しばかりをして、自分では何も努力をせず一生を終えるのがオチである。人をけなす時間があれば、自分を磨くべきなのに、そういう人は何もしない。そして無為に人生を過ごし、老いて、死の床で自分が何も為してこなかったことを悟る。そして「オレの人生は何だったんだ」と絶望して死んでいく。それが「佛さまのお裁き」なのだ。

 

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    知己塾  2020年1月9日
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良薬は口に苦し 

 うぬぼれなければならないが、うぬぼれてしまってはダメだ。うぬぼれて更に精進して己を磨いてこそ自惚れである。うぬぼれを批判されてこそ、何くそと頑張るから、成長する。批判こそ、「良薬口に苦し」である。人とは自分より少しだけ優れたものをけなすのが性である。それを感謝して受け止めよう。

 

佛の教え

 佛さまの教えを守る。それが「法を信じ 法に生かされて 法を学ぶ」という生き方である。仏教で三寶とは、佛、法、僧をいう。佛の存在、佛の説く法、それを実践する僧の3つである。自分は修行中の僧なのだ。己を一修行僧として精進を続けるのが仏様の教えを守ることだ。それを「一時一心一念道」という。

 馬場恵峰先生の雅号は、三寶斎恵峰である。原田観峰師から贈られた雅号である。

 新興宗教には法が無い。あるのは、カネという道具の力を信じ、より多く寄進すれば極楽に行けると説く道具論だけである。それはカネという道具に振り回される人生だ。カネは法ではない。カネは単なるこの世の利用料という道具である。

 私は馬場恵峰先生の知己塾ビデオを見直して、この一年を振り返り、来年も「一事一心一念道」を更に追求しようと決意した。

 本内容は2020年1月9日の知己塾を振り返り、作成した。

  

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 理念と経営カレンダーより(株式会社コスモ教育出版 2013年)
  2020年1月9日 馬場恵峰先生の教室で撮影

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2022-12-29  久志能幾研究所通信 2577  小田泰仙

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2022年12月28日 (水)

宗教はウーバーイーツと同じ

宗教とはご先祖の教え

 宗教の「宗」は、「ウ冠」と「示」からなる象形文字である。ウ冠は我家の事、「示」は神事でお供えや生贄を置く台の象形文字である。つまりその家の教えが宗教である。言うなればご先祖から伝わる家訓である。

 つまり仏教とは、お釈迦様(仏の悟りを開かれた方)の説かれた教えである。キリスト教はキリスト様の教えである。すべてを称して宗教である。

 家訓とは、「正直であれ、勤勉であれ、盗むな、人を殺すな」等のその家の教えである。三井家の家訓、豊田家の家訓、住友家の家訓の内容は、まるで宗教の経典と同じである。すばらしい家訓がその家を繁栄に導いた。神様が繁栄に導いたわけではない。ご先祖の教えが家を繁栄に導いたのだ。いわば人生を生きていくための家庭料理法のようなレシピである。

 その例として住友家の家訓を文末に示す。住友財閥は、日本の三大財閥の1つで、ロスチャイルド財閥を超える世界最古の財閥である。その歴史は400年以上前にさかのぼる。

  それに対して仏教やキリスト教やイスラム教の三大宗教は、全国チェーン店レストランのレシピである。そのレシピは家庭料理と中身が大きく変わるわけではない。言っていることは、人間として当たり前のことを戒律として定めただけだ。家庭料理と外食レストラン(大量生産、大衆向け)の料理の中身が同じであるのに似ている。

 まるでスマホで外食を頼むウーバーイーツ(Uber Eat)と同じで、信じる宗教(好きな料理)を何処に頼むかで、配達される料理が変わる。日本では新興宗教が跋扈しているので、すこし宗教の興味を持てば、信徒獲得に飢えた新興宗教団体が入会勧誘に飛んでくる。まるでウーバーイーツの出前と同じである。

 Uber Eats の登録店舗数が2021年に 10 万店を超えた。Uber Eats は2016 年 9 月に東京で 150 のレストランパートナーとして始まり、現在 Uber Eats は 35 都市以上で展開している。

 日本には18万余の宗教団体があるという。その数はUber Eatsといい勝負である。日本では、一人平均2~3個の宗教を信じているようだ。それは馴染みの個人営業の飲食店(Uber Eat)があると同じである。

 

日本の宗教の実態

 日本の信者数は2億1972万人、日本の宗教法人総数は18万3581(文化庁 1994年度『宗教年鑑』より)。日本の人口は1億2千万人だが、統計によると、一人2つぐらいの宗教を掛け持ちしているようだ。意思を持って信者になるには、高校生くらいにならないと思想が確立しないだろう。それを考えると8,000万人が信者候補である。だから一人で3つぐらいの宗教を信じているようだ。つまり神様、仏様、鬼太郎様である。日本人はキリスト教のように一神教でないので、節操がない。

 

オダブツ教

 だから自分の家の代々の家訓をその家の宗教として子供に教えればよい。小田家の家訓を宗教にしたのが、オダブツ教である。世界の宗教の本質は同じである。その宗教が生まれた環境でその戒律が変わる。貧乏な家の家訓と裕福な家の家訓が違うように、温暖な環境の地で生まれた仏教は穏やかな戒律である。厳しい砂漠の環境で生まれたユダヤ教、キリスト教は厳しい戒律を信徒に課している。

 しかしその本質は同じである。宗教とは茶筒を環境により切り方を変えて見える世界の差と同じである。茶筒を横に切れば丸、縦に切れば長方形、斜めに切れば楕円形である。見える形は違うが本質は同じである。まるで盲人が像を撫でて、その形態を他人に伝えると同じである。愚かな人間にはその本質を伝えきれない。

 

新興宗教の怖ろしさ

 家庭料理と外食レストランの差は、それに洗脳という調味料が有るか無いかである。その調味料は麻薬のようなものだ。それに気が付くかどうかで、人生が変わる。ある人は、麻薬のような調味料に洗脳されて、一億円もお布施を出す事件が起きた。そのバタフライ効果で、安陪さんが殺された。宗教とは何かを自分で考えず、宗教に嵌った人の末路である。

 宗教とは我が家の教え、助けてくれるのは自分と悟れば、人生に破綻はない。

 ベートベン曰く「神に頼るとは何事か。自分で解決せよ」と。

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資料

住友家 家訓

1. 主務の権限を越え、専断の所為あるべからず。

2. 職務により自己の利を図るべからず。

3. 一時の機に投じ、目前の利に走り、危険の行為あるべからず。

4. 職務上過誤、失策、怠慢、疎漏なきを要す。

5. 職務上に係り許可を受けずして、他より金銭物品を受領し又は私借すべからず。

6. 名誉を害し、信用を傷つくるの挙動あるべからず。

7. 私事に関する金銭の取引その他証書類には各店、各部の銘柄をもちうべからず。

8. 廉恥を重んじ、貧汚の所為あるべからず。

9. 自他共同して他人の毀誉褒貶に関して私議すべからず。

10. 機密の事を漏洩すべからず。

11. わが営業は信用を重んじ、確実を旨とし、もって一家の強固隆盛を期す。

12. わが営業は時勢の変遷・理財の得失をはかり、弛張興廃することあるべしといえども、いやしくも浮利に走り軽進すべからず。

13. 予州別子銅山の鉱業は我が一家累代の財本にしてその業の深長は実に我が一家の隆衰に関す。よろしく旧来の事跡に徹して将来の便宜をはかり、ますます盛大ならしむべきものとす。

 

  

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2022-12-27  久志能幾研究所通信 2576  小田泰仙

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2022年12月25日 (日)

恵峰先生の三回忌に参列、長崎震撼線から啓示

 

 馬場恵峰先生の三回忌参列準備のためブログ更新が遅れました。恐縮です。 

 2022年12月24日、馬場恵峰先生の三回忌が大村市の日中文化資料館で執り行なわれた。約50名の参加者があり、厳かに執り行われ、生前の先生の遺徳が偲ばれた。圓鏡寺の新しく来られた住職様(新婚)の力強い読経の声で、先生の功徳を偲んだ。

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 馬場恵峰書  日中文化資料館蔵

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 この2年間、私はコロナ禍で巣ごもりしていたが、久しぶりに九州まで遠出をして、社会の変化を感じた。

 

所用時間短縮

 今回長崎新幹線が開通したことで、大垣市から大村市までの所要時間が、従来より30分間ほど短縮された。有難いことだ。それでも片道6時間半である。今までは7時間を要した。それをこの10年間、毎月のように先生宅に通った。その費用総額約1000万円である(=10万円×10回/年×10年)。それを評価して、それだけの価値がある先生であったと回想している。男が男に惚れるとカネがかかるのだ。

 所用時間が30分短縮されたが、武雄温泉駅と博多駅間は単線の在来線特急である。長崎新幹線が佐賀内を経由して博多まで通すには、政治のエゴが立ちふさがっていて見通しが立たない。経済の発展と技術の発展は政治に左右される。日本の政治が貧困であるので、経済が停滞している。

 

長崎新幹線

 長崎新幹線の車内は新しい車両だけに、広く明るくスマートに感じた。畳も嫁も新幹線も新しいのは良い。武雄温泉駅と新大村駅間は所要時間が11分なので、自由席を利用した。自由席も東海道新幹線より、なぜかゆったりとしている感じがする。車内色は山吹色でハデハデである。

 ウクライナ戦争の影響か、物価高騰が身に染みる。2年ぶりに乗った山陽新幹線内のコーヒが310円から340円に値上がりしていた。東海道新幹線内は、320円が350円に値上がりである。約1割の値上がりである。

 これは物価上昇の一現象であって、他の食品の値上げを象徴している。新型コロナ対策で300兆円ものカネをどぶにすてるような対策しかできないのが、岸田政権のクズさぶりである。300兆円ものカネを浪費して増税はなく、たった20兆円の防衛費の増加で増税の発案である。

 閣僚の身内に媚中派が跋扈を放置している。まるで穴の開いたバケツで火消しをしているようだ。それでいて日本は、コロナの世界一の感染率である。不適正な対策のため医療関係者はウハウハである。おかしいではないか。岸田首相は、鳩山首相、菅首相に匹敵する最悪さである。次回に選挙で国民の意思を示さないと、日本は復活できない。

 

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大村市は人口が増加

 長崎県内で大村市と諫早市の隣の市だけが人口増である。長崎市は人口減少である。世の高齢化で、坂の多い長崎市は老人には住みにくく、人口が減っているという。他の市は、日本国内と同じ状況で、人口減である。

 その中、大村市には国際空港もあり、新幹線駅も新設され、電子産業も盛んで、自衛隊基地もあり(国の金が落ちる)、土地も平らで広く、住みやすく若い人が移住してくるという。行政も子育てに力を入れているという。

 新設された新大村駅の回りは、今は何もない状態だが、これから多くの施設が出来る計画があるようだ。未来があることは、楽しみである。新しい駅が出来る。新しい道ができる。新しい施設が出来る。それが都市発展の起爆剤になる。

 

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 新大村駅の周辺

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大垣市との対比

 それを鏡に大垣を振り返ると、大垣市内は、利権のぶつかり合いで、閉塞感が溢れている。何も変わらない。変えたのは、衰退の道への施策ばかり。ごみ袋有料化が最たるもの。為政者たちはその利権あさりで忙しい。石田市長は市民の為の決断と実行には無縁である。大垣市行政を破壊、改革してほしい。できないなら、市長を変えるしかない。

 大垣市は、「子育て日本一」とほざいているが、実質的には県内で最低の子育て環境である。児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。だから若い人が移住してこない。今、大垣は死につつあるのだ。そんな状況で、「前市長の政策(無為無策)を継承する」という石田仁市長には、痴気と狂気を感じる。

 

市の長期ビジョン

 駅の誘致、飛行場の誘致、道路の整備、産業の誘致は市の長の責任である。50年前の大垣市は、豊かな水を利用して繊維産業を誘致して栄えた。その恩恵で私は育てられた。その繊維産業が衰退してから、大垣市は無為無策である。電子産業、ソフト産業、自動車産業を誘致して発展を図るべきだった。大垣市はそれをやらなかった。前市長は愚劣な元気ハツラツ市行事にうつつを抜かし、大垣市の駅前商店街を破壊した。前市長は実にその6割を閉店に追い込んだ。現在、その8割がシャッターを下ろした。その結果が現在の衰退である。市(組織)の興亡は、行政の長一人によって決まる。それが恵峰先生の暮らした大村市からの啓示であった。今度乗車した長崎「震撼」線は、よき啓示を与えてくれた。

 

大垣市の教育は県下最低レベル(2019年)

         予算総額  一人当り予算  児童生徒数 

             千円   大垣100    人

刈谷市(愛知県)918    197    11,120

多治見市    735    158    8,862  

岐阜市     529    114    32,074  

可児市     517    111    8,352   

大垣市     465    100    14,400  

各務ヶ原市   445     96    12,525   

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2022-12-25  久志能幾研究所通信 2574  小田泰仙

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2022年12月22日 (木)

尖った鉛筆に母の愛、無謀な東大進学、H様問題

 

 私が学生時代、飛行機好きの私は名古屋大学の航空学科に進学したい夢を抱いたが、東大に入るよりはるかに難しいことが分かった。また当時は、日本の航空機産業が壊滅状態で就職口も皆無に近く、メシが食えないと分かり早々に諦めた。私の学力と志望校のレベルがあまりにかけ離れていた。どんな夢でも叶わないことはないはずだが、それに対する道が隔絶しすぎていると、嫌でも納得して諦める。それが普通の人間の常識だ。だから私の飛行機好きはあくまで趣味でとどまっていた。

進学校での辛い日々

 並みの才能では、進学校でいくら必死に勉強しても上位になれない冷酷な現実があった。あまり勉強していないような学友が、はるかに良い成績を出している。進学校では、周りは自分より成績の良い生徒ばかり。そういう現実を知って、社会の厳しさを実感する。学力が平均より少しだけしかよくない私は、進学校で塗炭の苦しみを味わった。

 当時(1960年代末)は、団塊の世代がしのぎを削り、4当5落と言われた受験戦争時代である。自分がそういう時代に生れた宿命である。しかし時代が変って生まれれば、特攻の隊員に選ばれたやもしれれぬ。父の5人兄弟のうち3名が戦争に行き、2名は戦死である。私が平和な時代に生れたことに感謝である。

 私が地元の進学校に合格した時、母は喜んでくれた。私が学生時代には、両親から「勉強しろ」と言われたことは一度もない。私は自分で勉強を真面目にこなして、同時に趣味として飛行機に凝っていた。

母のあたたかい支援

 それでも、学業では毎夜1時、2時、3時まで机に向かう日々であった。母は黙って夜食を作ってくれて、鉛筆も削ってくれていた。当時は何とも思わなかったが、今、その鉛筆の束を眺めると母の愛情を感じる。

  (今は、当時の睡眠を削って勉強したことを反省している。脳生理学の研究では、睡眠はしっかりとらないと記憶力が低下することが分かってきた。)

 その鉛筆の束は今でも大事に残してある。今見ると、まるで花を生けたあるように見える。当時の鉛筆入れは、廃空き缶利用である。当時の母の節約ぶりが推察できる。それが母として最大限の愛情の証しだと思う。母は若い頃は華道の池ノ坊の師範であった。また洋裁の先生であった。できた母であった。

 その尖った鉛筆の削り方で、母の尖った性格を思い出す。母は標準偏差から外れた能力の持ち主だった。知人の社長が「お前の母親は、大垣中の会社社長の誰でも太刀打ちできない。女傑だ」と一目置いていた。それでも母は私の勉強の仕方には何も言わなかった。

 今にして振り返ると、経営上(師範として教育上で)の観点から、母は自分の経験したことのないことには、口を出さなかったのだと思う。私も会社に入って多くの仕事を経験して、その仕事を経験しないと偉そうに口は出せないのだ。現場の人が一番よく知っているのだ。会社では研究開発部に長く所属していたので、全て自分でやる経験をさせてもらった。それが自分の宝である。

 

Dsc09762s 50年前に母が削った鉛筆の束。今も母の形見として大事に保存している。

 今見ると、花を活けたように見える。

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天皇陛下対応

 多分同期の中では、私が誰より多くの種類の仕事の経験をしたと思う。1975年頃(不況の折)、工場実習の名目で土方の仕事、コンクリート打ち、道路つくりもさせられたこともあった。その道路は、トヨタの天皇(豊田英二社長)が来社さることで社内が大騒ぎとなり、研究開発部への道を舗装することが決まった。それで実習中の若手(技術者)を集めて道路工事が始まった。私はその工事に一土方として駆り出された。今にしては、お笑いの対応である。当時は大不況で、会社にカネがなかったのだ。それで土方とはどんなものかを実体験した。

 また私は3Kの最たる現場(鍛造、鋳造、熱処理工場)の管理職も担当した。また特設消防隊長として放水訓練も経験した。だから管理職として、現場を経験して多くの知見を得た。経験がないと、現場の人間には何も言えない。だから両親は私の受験勉強に対して、何も言わなかったのだろう。50年経って今になりそれに思い至った。母は若い頃は華道の池ノ坊の師範であった。できた母であった。

 

H様問題で炎上

 現在、ネット上でH様問題が炎上している。世には息子の絶対的学力が低いのに、息子を見栄で東大に行かせたいと裏で画策する親がいる。両親とも学生時代は勉強を真面目にせず、遊び惚けて下駄を履かせてもらって卒業した。両親は苦労をしていないので人間が出来ていないようだ。

 だからこの両親は安易に東大入試を上から視線で眺めている。自分が受験勉強を真面目にしてこれば、それがそれだけ難しいかはわかる。両親は学生時代には遊び惚けていたのだ。それなのに、息子には勉強方法に口出し、超有名進学校で受験勉強を強いても滑稽である。

 有名進学校では勉強についていくだけでも大変だ。だからその裏の画策が「蒸気」を逸している。要は思考の沸騰点を超えている。だから国民は呆れている。皇統の危機である。子供の将来は親次第である。自分が管理職、経営者として実務をこなしてきた故にわかる、この両親に感じる違和感である。

 子供は親の背中を見て育つ。H様問題は、良き反面教師の実例である。

 

Img_64111s 馬場恵峰書

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2022-12-21  久志能幾研究所通信 2572  小田泰仙

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