生涯目標 魂と人格の成長
明けましておめでとうございます。
私の年度目標・生涯目標は、自分の魂の成長と人格の向上です。それが人としての最大の課題である。課題とは、目標と現実の乖離をいう。その乖離を少なくする取り組みが修行である。
いくら知識を持っても、有名大学を出ていても、カネが沢山あっても、地位が高くても、大きな屋敷に住んでいても、人格の低い人間は、何をやってもダメである。人格が低くては、出せる成果に限界がある。その人格は魂の支配下にある。
子供は動物
どんな高貴な人でも、子供は人間ではなく、動物である。人は、躾、教育、経験を経て人間になる。人は艱難辛苦を経て魂が成長した人間になる。人間とは、人と人の間の社会でまともな生活が出来る人である。親が子供に教えるべきは、魂の成長と人格の向上である。
今、日本で頻発している悲惨な事件は、その躾が軽視されているために起こる。「息子には、お小遣いを月50万円あげているから、息子が不良になるわけがない」と警察に怒鳴りこんだ有名女優が存在する。その息子は覚せい剤で何度も捕まっている。彼女は良妻賢母役の女優業が忙しく、実の息子には何の躾もしなかった。
日本の現代社会で「誰でもよかった」と無差別殺人が頻発している。全て親の教育の失敗である。親が命の大切さ、子孫の永続を教えなかったのが原因だ。
「日本は嫌いだ」と言いながら日本国民の税金で外国で豪遊している元皇族がいる。親の後姿を見て育った結果である。子供は親の言うことは聞かない。親がやっているようにする。反面教師の実例である。
動物から人間になっても、人格が低いと、全てが下品な振る舞いの人生となる。その親の子供も成長して下品になる。
積める人生
「人生はつまらい」と嘆く人は人格が低い。つまらないことをつめるのには、高い人格が必要だ。つめないから、つまらない人格になる。
見えない世界
高い人格に成長すると、見えないものも目えてくる。山の5合目から見える景色と、山頂から見える景色がまるで違うのと同じである。
仏様の世界でも52段階の位がある。最高階の第52位にはお釈迦さが居られる。その次に即位されるという現在51位の弥勒菩薩様は、56億7千万年後に現れるとされる。つまり弥勒菩薩様は、あと56億7千万年間の修行を積まないと、お釈迦様の段位の悟りに到達できないのだ。位を一段でも上げる修行は厳しく長い年月が必要である。
人間としての修行
修行を積み、長所を伸ばし、人格が高くなると、持てる欠点も人間味となって、味のある人間になる。人間の欠点はなくしてはならない。欠点のない完璧な人間になれば、人ではなくなってしまう。それは神である。それでは人でないので、「人でなし」である。欠点を持ったまま、熟してこそ、欠点が人間味となり、人格が上がる。それが角熟である。人として技を磨き、精神を高揚させることが修行である。
人には108の煩悩がある。その煩悩を消すのが修行である。煩悩を一つ消せば、位が一つ上がる。私は年に一つずつ煩悩を消していきたい。そのため、108歳まで修行が必要だと私は判断した。
煮ても焼いても食えぬ喰えん人間が下品なのだ。味のある人間は喰える人だ。人間社会で美味しく食べてもらってこそ、社会への貢献である。カマキリは、交尾が終わると、雄は雌に頭から喰われてしまう。生体系の摂理で、麻酔が分泌されて、食われても雄には苦しみはない。その雄の体が子供の栄養となるからだ。それが種の保存の摂理である。
自著の「修身」のテキストより
魂の成長
人には魂がある。その魂の本質は「鬼」である。その「鬼」が「云う」と書いて、「魂」である。本来、人は鬼なのだ。その鬼を「人に非ず」と書いて、「佛」である。人と超越した存在の「佛」になるために修行がある。
己の中は佛も住めば、鬼も住む。此の世は全てプラスマイナスの世界である。己の中には、「向上しよう」とする己と、「そんな辛気臭いことは止めとけ」と足を引っ張る鬼のようなもう一人の己がいる。その鬼が自分のいやらしい面をよく知っていて誘惑してくる。それを克服するのが修行である。鬼に見つめられれば、襟を正さなければならぬ。私は国家試験の受験勉強中に、机の前に松本明慶大仏師作の「魂(おに)」を置いて、睨んでもらって勉強をした。
しかし受験には失敗した。そのお陰で、致命的な病気が発見できて、治療を始めることができた。そのため、突然死のなる手前で、間に合い、手遅れにならなかった。その時、治療を始めなければ、今頃、心筋梗塞、脳梗塞になってこの世を去っていただろう。認知症にもなっていただろう。ただ癌にはなってしまったが、死は免れた。受験失敗も仏様からの啓示である。それで良き経験を積むことが出来た。
馬場恵峰書
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聖人の要素だけでできた人間はいない。その鬼を抑え込んでこそ、人間である。それを抑え込む過程が修行である。内なる鬼を抑えられなければ、本能のままに生きる犬畜生と同じである。
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2023-01-01 久志能幾研究所通信 2580 小田泰仙
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