b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2019年9月28日 (土)

夢の中でも仕事をする

 静岡市の伊勢丹で開催されている松本明慶仏像彫刻展(2019年9月25日~30日)で、松本明慶作の新製品(?)の「力神」を鑑賞した。

 「魂(オニ)」の変形である「力神」は、ユーモラスな顔つきで、今までの「魂」とは違う新しいスタイルの作品であった。松本明慶先生から、この新しいアイデアの仏像(力神)の説明をして頂いて、思わず明慶先生に質問をしてしまった。「どこからそんなアイデアが出てくるのですか?」

 明慶先生曰く「俺は夢の中でも仕事をしている。そこで浮かんだアイデアを起きてから、彫って形にする」と言われて感銘を受けた。

 そういう環境から生まれた「魂(おに)」も、この数年間で10体近く作ってきて、今回の「力神」のアイデアが生まれたという。

 仕事とは、「事」に「仕える」と書く。寝ても覚めても仕事を考えていると、素晴らしいアイデアが生まれてくるようだ。いい加減に「事」に仕えるから、アイデアが生まれない。芸術の創造者は、24時間365日、仕事の事しか考えない。芸術家はサラリーマンではないのだ。仕事師もサラリーマンではないのだ。労働基準監督署ことは知ったことではないのだ。

 

走る青鬼

 その昔、華明(先生の奥様)さんが、雑誌のインタビューで、明慶先生のことを尋ねられて「明慶さんは寝ていても、うわごとで、仕事のことを口走っている。明慶さんは「寝ていても走り回る青鬼」のような人です」と答えたとか。明慶さんが笑いながら、その説明をしてくれた。

 

仕事とは

 作業や労働は生活の糧の為にやること。仕事は命をかけてやることである。作業や労働は、やり過ぎると疲れてしまうが、仕事はやればやるほど面白くなる。給与など考えては、やってられない。そうでなければ、それは仕事ではない。

 仕事では、お金は後から追いかけてくるのだ。作業や労働は、金を追いかけ、お金に釣られてさせられるのだ。その違いを認識して、仕事に取り組むべきだ。

 仕事をしながら寝ているのは言語道断? 反省

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 「力神」松本明慶大仏師作

 「力神」と持ち上げている岩は一木彫り。上の不動明王は白檀製。

 写真は松本工房の許可を得て掲載しています。

 

2019-09-28   久志能幾研究所通信No.1351  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月11日 (水)

人間性分析 1/2  総論

 人間性とは、人生と組織の運命を左右する。その理論をもとに、田中角栄、菅直人、大村智博士、小川敏現大垣市長を実例で検証する。

 

自分とは何か(組織論)

 「我」とは稲(禾)を刃先がぎざぎざしたほこ(戈)で刈って、自分のものにしている様を表わす。「私」とは稲(禾)を腕(ム)で自分のものとして抱える姿を表している。「自分」とは、何者かによって生かされている全体の中で、「自ら」の「分」である。己は世の中の一部として考える姿である。その反対が「利己」である。己のことだけしか考えないから、囚われの闇の世界に落ちていく。自分の一族の中での位置づけを考えよう。

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自分とは何か(人間として)

 人間を人間たらしめる要素として、本質的要素付属的要素がある。本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より)

 人は知識でその人間の偉さを選別してきたのが、今までの偏差値教育である。それで人に順位付けをして、組織の構成をしてきた。人間の属性的要素(知識、学歴)だけを尊重した人間評価で組織を動かすから、往々に組織が壊死してしまう。その悪例が、東電、三菱自動車、日産、タカタ、三菱重工、大垣市の行政である。

 人は不完全な存在であるからといって、完全なる神を目指してはなるまい。それでは人でない存在を目指すこと、人でなし、になってしまう。あくまでも人間として欠点もありながら、それを人間味として、徳性を育成して角熟した人間に昇華した人生を目指したいと思う。本質的要素と付属的要素をバランスよく成長させる。その過程で自分の発見がある。

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新人教育資料「修身」 2004年  小田

 

自分とは何か(神仏鬼神として)

 自分とは何かを追及すると、己の心には佛も住めば鬼も住む。神を住めば魔モノも住む。それを超越して自然と佛と一体になること、それが仏教である。それを目指すのが人間であることに行き着いたのが、弘法大師である。

 東洋の思想では、人は全て佛性を持つとされる。悪人でも閻魔大王の前で、地蔵菩薩が弁護人として救済してくれるとの思想が生まれ、地蔵菩薩信仰が生まれたという。それゆえ東洋の宗教には救いがある。悪があるから善が映える。人間である以上、一度も罪を犯さなかった人はいまい。それに目覚めさせてくれるのが懺悔する心であり、ご先祖に手を合わせる環境である。

 

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 松本明慶先生作「童地蔵菩薩」

 

 

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは、神のお告げと神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

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ご先祖

 自分の運命は、己に流れるご先祖の血が左右している。己の無意識の行為に、ご先祖様の姿がある。家系図でご先祖の後姿を見れば、己の血が分かる。善も悪もご先祖様の教えである。ご先祖はやってはいけないことの結末を、30年後に孫に見せている。その行動の全ては、すべて遺伝子に書き込まれる。それは「天網恢恢疎にして漏らさず」の結果となる。

 ご先祖様は家系図内で人生劇場を演じている。そこには平家物語もあれば方丈記、リア王の物語もある。東西の宗教の差や宗派の違いは、単なる派閥争いの類で、手を合わせ自省することは、宗派を超越した行為である。

 

人生の螺旋階段

 西洋では神が完全無欠の絶対的存在であるので、不完全な人間は悪でしかない。最期の審判で、人は天国と地獄に行き先を振り分けられる。敗者復活戦はありえない。その最期の審判を凝視する姿がロダン作「考える人」である。

 地獄の前で最期の審判を見なくても、家系図を見ればその人が分かる。自分の考え方を見れば、人生の結末が観える。両親の教育を見れば、人の行く末が観える。

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 「考える人」 大垣市興文地区センター前

 

運命を決める遺伝子

 最近の凄惨な無差別殺人の多発がそれを象徴している。自分の考え方、親の教育次第を見れば、人生の螺旋階段を昇るのか、地獄へ下るかは、おおよそ見える。親が子供へ与えるメッセージが子供の遺伝子に影響を与える。自分のこどもの将来は、親が握っている。

 人は組織として疎外感に苛まれて、起こす事件である。「利己」ではなく、「自分」という考えを持てば、そんな凄惨な事件は起すまい。全て利己が起こす事件である。人間として知識だけで評価されて、社会の底辺の突き落とされて起こす事件である。人間として、ご先祖を敬う躾を受けなかった咎で起きる事件である。

 

2019-09-11   久志能幾研究所通信No.1335  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 7日 (土)

未来計画-11 大垣シンクタンクを創設(1/2)

大垣改造論

 私は今、大垣改造論をぶち上げたい。この20年にわたるデフレ経済と東京一極集中化で日本各地がおかしくなった。大垣は小川敏市長の無為無策、無能な緊縮財政と頓珍漢な方面への投資で、大垣経済は、衰退スパイラルに突き落とされた。

 私は大垣改造論で、大垣を再生して、日本各地の地方都市が悩む問題を解決するモデルケースとしたい。そのためにシンクタンクの創設が必要だ。大垣を引っ張る頭、つまり経済の頭、政治の頭、教育の頭、文化の頭の智慧が必用だ。その頭が集まって智慧を出せば、大垣は再生する。多くの智慧を結集すれば文殊の智慧となる。

 先代の小倉満市長の時代は、ブレーンが優秀であった。小川敏市長の時代になり、自分より優秀なブレーンは全て追放してしまった。だから小川敏市長に意見を言える優秀なブレーンがいなくなってしまった。だから大垣市は没落した。

 市長に東大卒はいらない。知識は金で買える。知識は知識を持っている人を雇えばよいのだ。智慧は金で買えない。小倉前市長は、東大出ではないが、優秀なブレーンを活用して大垣を栄えさせた。

 知識だけあって智慧のない悪い頭では、大垣の再生など無理である。それには外部の血が必用だ。自惚れの頭では、井の中の蛙大海を知らず、となりがちだ。今までのような内部だけの人の計画では、「大垣市中心街地活性化計画」のように大失敗するだけである。

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 文殊菩薩 松本明慶大仏師作 2019年

 

現状のやり方は衰退の道

 小川敏市長が大垣の行政を18年間やってきて、大垣が衰退したのだから、現状のやり方に問題がある。このままで、いくら頑張っても無理である。それは間違った考えに凝り固まった悪路である。

 大垣を良くしようとするなら、まず良くしたいと思わないと何ごとも進展しない。棒ほど願って、針ほど叶うである。千里の道も一歩から。まず正しい一歩を踏み出そう。間違った道にいくら進んでも、目的地には到達しない。

 自分の人生も間違ったままの道では先は知れたもの。今からでも遅くない。新たしい視線で、新しい道を探りたい。

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  「道」 馬場恵峰書

 

2019-09-07   久志能幾研究所通信No.1331  小田泰仙

新しい大垣を育てる階  連絡先 080-3102-1284(SNSで連絡ください)

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年9月 3日 (火)

志天王とは ― 魂の叫び

 佛の世界にも仏界の中枢の四方を護る四天王がおわします。四天王とは、持国天、増長天、広目天、多聞天である。その仏の世界を凝縮した自分と言うご本尊を護る佛が守り佛である。

039a0676s   高野山 中門 ‎2015‎年‎4‎月‎25‎日撮影

039a0694s  高野山の中門を護る広目天  松本明慶大仏師作

039a0695s   高野山の中門を護る持国天  松本明慶大仏師作

私の守り佛

 私の人生の四方を文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、虚空蔵菩薩が守っている。そのうち、虚空蔵菩薩が私の守り佛である。

 この仏像は、松本明慶先生が高野山の四天王像の納佛が終わってから、製作をしていただいた。私の家の宝である。

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4k8a04251s  虚空蔵菩薩座像  松本明慶大仏師作

 

生ある万物は欲を持つ

 「欲」とは、生あるものが「谷」に蹴落とされても「欠」けないものである。最大なる欲が生存欲である。宇宙にも沸様にも欲がある。宇宙にも理にそった順法という欲がある。人間の理念が作り出した佛様にも、人を救いたいという欲がある。欲のなくなったとき、それは無機質なものに変わり、死を迎える。

 人として欲がある以上は、できるだけ大きな欲を持ちたいものだ。金儲け、性欲、食欲、権力欲、名誉欲などの小さな欲ではなく、人類に貢献するような大きな欲を持ちたいもの。その大きな欲こそが「志」である。志なき人は、単に生存欲のみの畜生の存在でしかない。

 

大きな欲

 「欲箭清浄句」と般若理趣経にある「宇宙を生かし、宇宙を生み出してきたほどの大きな欲を持って生きよ」と説かれる。薄汚れた小さな欲ではなく、世の中を良くしていこう、充実して生きようという大欲を持てという。そうすれば自ずと清浄になっていくはずだと。

 

経済とは

 「経済」はもともと仏教用語であり、「経世済民」のことである。「経」とは全ての人が助かる真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」ことである。つまり「経済」とは世の中の人を救うために沸が行う活動である。要は「みんなが仲良くご飯を食べられる仕組み」の意味である。経済観念の無き企業経営は戯れである。理念なき金儲け活動は、畜生の餌漁りである。

 

経済無視の小川敏市政

 小川敏市政のように己の名誉欲だけで、18年間の無為無策で、大垣経済を衰退させ、大垣の地価を半分に暴落させ、大垣駅前商店街を消滅寸前にさせ、百貨店ヤナゲンをこの8月31日に閉店に追い込み、大垣の商業人口の8,800人の職を奪ったのは、「経世済民」に反しており、大垣市長として落第である。

 

志天王

 志天王とは、人が誰でも持っている沸性である。それの存在に気がつけば生き方が変わる。佛はどこにもいない、己の内におわします。自分の「魂(オニ)」が志天王である。「鬼」が「云う」と書いて魂である。自分の魂の叫びに耳を傾けよう。お陀仏教は、志天王が事業広報部長である。

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 「魂(オニ)」 松本明慶大仏師作

 

志天王シリーズ

 自分が、その志天王になった気で、我が半生記を綴ったエッセイを、本ブログのカテゴリー「志天王」シリーズに掲載している。ご参照ください。

 l1_吾が人生の師天王

 l2_志天王が観る世界

 l3_書天王が描く世界

 l4_詞天王が詠う老計・死計

 

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  我が家の仏壇に納めるため馬場恵峰先生に書いて頂いた般若心経

 

2019-09-03   久志能幾研究所通信No.1327  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年8月24日 (土)

「自己チェックリスト」という仏様(5/5)

---時間---

人生というものは、チェス・ゲームのようなもの。

  その対戦相手は時間である。

  もし貴方がためらっていたら、相手はどんどん先に進んでしまう。

  あなたの対戦相手は決して優柔不断でないのだ。

即断即決   決断が遅くないか、優柔不断でないか?

春風秋雨  

  前倒しの取り組み 

  → 今できること,できる状況になったことは即実行

  見切り発車する先見性を。競争社会ではスピードが最優先。

  今日では遅い。敵は昨日済ませている。

  今日でも遅いのに明日では・・・

  判断ミスと思ったら、直ぐ修正すれば良い。

   決断を出さなければ、修正も出来ない。

  決断した内容の70%程が当たっていれば、皆は付いてきてくれる。

  その決断は、スピードが必要か? 傲慢でないか? 待つか?

  我慢も一つの決断。

 

徐害省事*4

  一利を興すは一害を除くに如ず、一事を生むは一事を省くに如ず

  全部自分で背負込まなかったか?

  物事の絶対量には限界あり。部下に任せられないか?

  仕事時間中に、余分なこと、考えで惑わされなかったか?

  (上司に雑談へのスキを見せなかったか?)

死金、死時間を使わなかったか?

今日、新しい「時間を稼ぐアイデア」を出したか? 

莫妄想  

  考えても仕方のないことを考えかはしなかったか? 時間の無駄

  約束の時間と、時間のけじめを大切にしたか?

時間とは一分いくらで売れる貴重な商品。

  仕事、時間の見切り基準を持っているか?

  無駄時間を作っていないか?

  だらだらした居残りは、労働ではない。

自分の価値観を。起床時間の変動はなかったか?

相談事は解決策をもって、行ったか?

疑問点があればすぐ聞き返したか? あとで聞くのは時間の無駄。

部下の注意はその場でしたか?

  後からでは意味がない。見逃しが組織をだらけさせる

重要な仕事でなく、安易な仕事から手を着けていないか?

  問題を先送り、嫌なこと、抵抗ある状況から逃げなかったか?

  この状況が鍛練の元。

  飛び込みの仕事の重要度を冷静に判断できか?

  自分の今やっている仕事が最優先 

    部下の指導もする。この件が分からない人が多過ぎる。

  机の上の資料は即日決裁したか?

  一時に一事をやり通したか?  次の日に残さない

  午前中の貴重な時間を資料、本を読むような安易な事で使わなかったか?

文書は従来の2倍、人の2倍の時間かけてチェックする。

 (急ぎなら尚更チェックを)

  自分の書類は人より2倍間違いが多いと認識せよ。

人より早く歩いたか?

  追い抜かれたら抜き返す(時間節約、ダイエット,老化防止のため)

メモはこまめに。電話をかける時もメモしてから

整理整頓  乱雑は凶を呼ぶ

再発防止  同じミスを繰り返すほど時間の無駄はない。

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  馬場恵峰書

 

2019-08-24   久志能幾研究所通信No.1314  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

「自己チェックリスト」という仏様(4/5)

---謙虚---

謙虚さと笑いがあったか?

 謙虚しすぎると萎縮する。人生に勢いは必要だが行き過ぎは傲慢だ。 

現場主義

  五感の経験が直感力を高める。

  1日に一度は現場に。意識して何を観るかを考える。

上司,部下の陰口・厭味・愚痴・ぼやきを言ってないか?

  厭味を言う人間は2流

負け戦は誰でも反省する。勝ち戦の時にこそ反省を。

 なにか至らなかったことがあるはず。

 1日に1通の反省書を。記録に残すこと。

自慢話をしたり、褒めることを暗に強制しなかったか?

  自慢が謙虚を駆逐する。

何故か? 何故か? 何故か? 本当にそうか?

 思い込みは無いか?  再確認を

公私の区別が下へのシメシとなっているか?

 鬼神に対してやましいことをするなかれ

誰かに批判されたか?

  批判されて初めてプロの仕事。褒められるのはヒヨコ。*2

読書したら同じ時間だけ考えたか?

  思考なき読書は「洗脳」と同じ。

自分の立場と自尊心を混同するな。

人生とは、障害と困難の克服なのだ。

自分の弱さを知るには、失敗は正確な物差しとなる。

失敗は自分の弱さを正す機会だ。

本気でやっていると誰かが助けてくれる。

 

---その他---

叱るべきときに,叱っているか?

  好き嫌いで人を区別していないか?

  感情を込めなくては叱れない

自分自身の体の管理が出来ているか?

  特に酒に対して自制心は(酒は頭に悪い)

発表

 準備が自信をつけ、練習が自信を大きくし、場数が自信を持たせる。

  継続が自信を作り上げる。

成果は仲間と分かちあえ。

 

注記)*1:米長邦雄著『人間における勝負の研究』参照  *3:添付資料10-4 参照

   *2:添付資料10-3 参照    *4:耶律楚材   *5:川上哲治

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   松本明慶大仏師作 聖観音菩薩

     観音様の眼で観る事

P1010406s_2    馬場恵峰書 

2019-08-24   久志能幾研究所通信No.1313  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「自己チェックリスト」という仏様(3/5)

---惜福*1---

報酬以上のサービスをすること。必ず報われる

具体的願望に対して、「代償」を差し出したか? 期限を決めたか?

念ずれば花開く

  「夢」に対して「思い・目標」があるか?

 行動しなければ,全てはただの夢。

  目標さえあれば、「政策・戦略」が出てくる。

過去の延長線での思考は「対策・戦術」。

  諦めさえしなければ夢は叶う。

     それを阻止するのが自分の心に住む「鬼」。

   ⇨ 道は後からついてくる

  一番入れこんだ者が勝つ。

  自分が一番入れ込んでいるか、貪欲だと断言できるか?

  夢は大きくしているか?   棒ほど願って針ほどかなう。

10倍の目標に。

  何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を延ばせ。

   ⇨ 常に自己啓発しているか?

  年間目標,10年後の目標を(チェックを毎日)

TF式情報処理システムを

     T(今日),W(今週),M(今月),F(今年,将来、願望)

     を4つに物事を別けて、P→M→W→Fの順に考えていけ。

楽天的に過ごしたか? 

否定的言葉を使わなかったか? 自分が運がいいと信じているか?

  「自分は成功する」との自己確信の強さが成功への鍵。

楽天思考が自己の力を倍増する。

  明るく振る舞え。

ぶっちょう面や落ち込み状態では,来ているチャンスさえ見えない。

量より質に重点をおいているか?

  しかし,最後を決めるのは時間の絶対量。

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  馬場恵峰書 

2019-08-24   久志能幾研究所通信No.1312  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月23日 (金)

「自己チェックリスト」という仏様(2/5)

自己チェックリスト       1999.07.31

---変化---

分からなくても,とにかく前進しているか?

幸福は行動することによってもたらされる。

  行動しなければ何も生まれない。

潜在意識にひらめいたことは、直ちに実行せよ

不二の法門  考えるネタが無くなるまで考えています。

       ⇨ 色即是空・無念夢想

  万策が尽きるとも最低あと3案は用意せよ。

  仕方なしの諦めでは進展なし。

  投了は最後の最後迄粘ってから。それが次のステップに生きる。

  失敗しても最後まで踏みとどまる努力をしたか

  「真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴がでる。

       いいかげんだと言い訳ばかり。」*5 

      自分の中にある可能性を最大限に信じよ

  愚痴、言い訳、ぼやき・悲観的言葉・落胆態度とは、次の手を封じるお呪い!

   ⇨ 現在は過去の因果因縁の積分値。他人の責任ではない。

すべて自分のまいた種。

  変化をさせたか、したか、新挑戦をしたか?

  人は変化を通して成長する。

   ⇨ 1日1項の変化。1日0.1歩でもいいから前進を。

  一ヵ月後に、上司へ自分の改善内容を説明できるか?

  課内の人不足、能力不足は禁句 

   ⇨  育てよ、不足でも始めてしまえ

  部下が働きやすい環境を作り、改善しています。

「一期一会」 出会いの種を蒔いています。

  出会いのチャンスは自分で作っています。

  今を最大限に生きる。それには自分自身の充実しかない。

管理者であるよりも、指導者として活動しています

  まず、自分の結論を出すこと。

  自己の価値観と自分で決断を。

  決断を人に任せれば、その人間に支配される。

  自分が主体となって,仕事を考えているか。

  他に流されていないか?

  一つ上のレベルの立場で仕事を?

  実務は課長まで,部長以上は別の仕事を

  決断・判断・職務を上司・部下に押しつけないこと。

  自分の職位での職務とは?

  人の目を気にしすぎ,気にしなさすぎはなかったか? 

  時には、鬼神をも恐ぬ決断を。

小さな変化を見逃しまいません。

 小さな変化に大きな問題が潜んでいる。

2番では駄目、何が何でも1番を目指しています。

一流では駄目、超一流*3を目指したか?     

  1番でなければ、この世では使い捨てにされる。

  同じ程度の能力者は掃いて捨てるほどいる。

目で見える状態に管理しているか?  

  測定できないものは管理できない。

常に困難な道を選べたか?  

  挑戦する意欲が人を大きくする

  安易な選択が障害を招く

何時,何処へ飛ばされてもいいように身辺整理を

  (机上,身の回り,引き出し)

  煩雑は凶を呼ぶ

他人との比較でなく、絶対価値との比較で考える

  比較するなら身近な回りとではなく、もっと広い世界との比較を

目標値の達成や資格を取得しても、それを継続

  勝って兜の紐を締めよ。それは途中の一通過点でしかない。

出来なかったことと、やらなかったことを混同していないか?

今の仕事が将来への布石になっているか?

 

2019-08-23   久志能幾研究所通信No.1311  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「自己チェックリスト」という仏様(1/5)

 約20年前、私が中間管理職の時代は、あちこち頭をぶつけ、叩かれ、何度も落ち込んで、忸怩たる思いに突き落とされた。あるプロジェクトの孤軍奮闘で、錦の御旗を掲げて、猪突猛進しても、ふと後ろを振り返ると、誰も付いてきていないことを発見して、何度泣いたことやら。

 その時、自分で自分の行動のチェクリストを作り、PDCAを回して、匍匐前進をして、敵の弾に当たらないように、地雷を踏まないように慎重に進んだ。中間管理職でも上になると、誰も助言をくれない。グローバル経済主義社会では、人の失敗は喜びなのだ。上司も自分のことが精いっぱいで、助けてくれない。団塊世代の私の代わりは、掃いて捨てる程、沢山いる。だから自分で自分を律するしかない。職位が上になるほど、風当たりが強くなるのは、自然の理である。

 

小川敏市長の無能経営

 小川敏市長は、そんなことはお構いなく、ノー天気に市政を「経営」しているようだ。羨ましい限りである。やりたい放題の18年間の市政で、結果として大垣市は衰退した。

 小川敏市長は、自分は頭がいいと思っているので、人の意見は聞かないし、自己チェックなどしないだろう。取り巻きは、ヒラメばかりのようで誰も諫言しない。骨のある人材は、左遷させた。だから有能なブレーンがいない。前小倉満市長と大違いである。これでは大垣が衰退するのも故あること。まるで韓国の文在寅大統領のようである。文在寅大統領は毒饅頭の「反日運動」を食べ、小川敏市長は毒入りギネス水饅頭を食べた。それで毒が回り、本人は幸せ、回りや大垣市民は不幸せである。

 小川敏市長は、ドケチに徹して、小銭を稼いで大金を失っている。未来の大垣を失っている。小川敏市長は、人・モノ・金・情報を活用せず、予算をケチり、シルバー人材を首にして、大垣市役所職員を正規の業務以外にこき使い、園児達を金儲けのため炎天下で躍らせている。この18年間で約8,800人の小売商従業員の職を奪った。市民の不動産財産価値を半分に目減りさせた。大垣市民を不幸せにしている。それでいて無駄な宴会や祭り、派手な意味なきIT事業に無駄金を使っている。

 

人生経営とは

 皆さんも部下のある身なら、自己チェックリストを自作して、自分の人生経営することをお勧めする。最大の部下は己自身である。経営とは、自分の持てる経営資源(人モノ金時間)を、自分株式会社の社長として最大限に活用することである。特に人を活かすことが経営の要点である。その目的は、己を幸せにして、生き甲斐を創出することにある。

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 馬場恵峰書

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 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」

 

 次項(2/5~5/5)は、私の20年前の自己チェックリストである。今も活用中である。これは私の仏様、私を戒めてくれる魂(オニ)である。ご参考。

 

2019-08-23   久志能幾研究所通信No.1310  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月22日 (木)

AI時代に使う武器「5つの汗」

 人がかく汗には「体の汗」、「知識の汗」、「智慧の汗」、「心の汗」、「魂の汗」の5つがある。体の汗の仕事は、機械に取って変わられる。知識の汗の仕事は、コンピュータに置き換えられる。智慧と心と魂の汗をかく仕事が、人間の仕事である。心の汗の無い仕事は、付加価値のない仕事である。魂の汗のない仕事は、AIの機械に置き換えられる。それらの仕事に携わっていると失業する。

 

体の汗

 動いて「体の汗」をかいて仕事をするのは当たり前。なにせお客様からお金を頂いているのだから。汗をかかなければ月給泥棒である。人として汗をかいて体を動かさなければ、病気になる。なるべく楽をして、人を騙してでも金儲けしようとするから、世の中が荒んでくる。それが欧米のグローバル経済主義の本質である。

 

知識の汗

 先人が成し遂げた知識を学ぶことに汗をかきたい。そうすれば、先人の失敗の轍を踏まないですむ。先人の苦労の上に積み重ねて、より大きな成果が出せる。

 

智慧の汗

 それでもう少し「智慧の汗」をかいて仕事をすると、体力のいる作業が減り、仕事が効率的になり、より高品位な商品をお客さまに提供できる。智慧の汗をかかなければ、それは仕事ではなく、低賃金、低付加価値のルーチン作業である。それでは新しい付加価値は作れない。

 

心の汗

 その仕事に「心の汗」を付加すると、お客さまに感動を伝える仕事(商品)ができる。その汗とは、その仕事に対する思いと誠意から滲み出るものだ。どんな仕事でも、作る商品は後工程に対するサービスである。お客さまが感動しない商品を売っていては、競争の激しい時代、いつかは淘汰される。それは企業でも、役所でも、組織(含む家庭)でも、個人にもあてはまる冷酷な事実である。そうなると不幸になるのは会社、組織、個人、最後は家族が不幸になるのです。その責任は汗をかかなかった当人にある。心の汗をかくのにお金は不要である。

 

魂の汗

 その仕事は世のためになるのか。ご先祖が喜ぶのか。魂に問いかけたい。良いことなら、断じて行えば鬼神も退く。己は鬼が睨みつける刃のような視線に堪えられるか、自問したい、それだけ気迫で魂の汗をかけば、何事も成就できる。それがたとえ冷や汗でも、世のためになれば、良しとしたい。いくら成果が出ても、世のためにならないことでは、やったことにならない。

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 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」、馬場恵峰書「不動心」

 

汗をかかない弊害

 今、マスコミを賑わしているリストラ、倒産事件や不詳事は、すべてこの5つの汗をかかなかったためである。汗をかかなかった人は、社会や人に責任転嫁する。そして、自分はかわいそうな存在ですと同情をもらうのだ。なにせ人に責任転嫁するのは楽なのだ。しかし、それは被害者の人生である。原因を自分に求めないと事態は解決しない。

 

小川敏市長は「無汗の王」

 大垣市が衰退した原因は、小川敏市長がこの5つの汗をかかなかったため。彼がやった施策は、無為無策で汗の匂いがない。やることが自己顕示欲の塊のようなことばかり。だから後工程の大垣市民は喜ばない。小川敏市長の政策は、市民税を無駄遣いし、市民の財産を目減させ、業者だけを喜ばせた。大垣市民は、小川敏市長の強行した行事には呆れはしても、感動はしない。だから大垣市は地価が半分以下になった。

 小川敏市長の18年間にわたる無為無策で商店街が衰退した。市長就任時の2001年には、大垣市内で小売商店従業員(22,000人)が働いていたのに、2018年にはその約40%(約8,800人・回帰分析の推定値)が職を追われ、消えた。いわば大垣市のイビデン工業(単独3,525人)、太平洋工業(単独1,820人,グループ4,390人)が倒産して、その従業員が路頭に迷ったと同じなのだ。

 大垣経済は、そんな非常事態なのに、小川敏市長は、市政100周年記念行事の宴に酔い痴れ市民税3億4千万円の金をばらまいた。毒入り水饅頭の盃で乾杯(完敗?)である。市民税を浪費しても会計報告をしなくてマル秘にできるので、やりたい放題である。大垣市議会の一般質問でも、議員はヨイショの質疑ばかりである。地方紙も追求せず、黙認である。大垣市が寂れて当然である。

 

2019-08-22   久志能幾研究所通信No.1306  小田泰仙

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