2019年1月14日 (月)

「病気と闘う」とは佛様への暴言

 病気になった原因は己にある。佛様は己の体を慈しみ、最高の結果として病気を授けたのだ。日頃、適量以上に食べ過ぎれば、爬虫類の脳は、この40億年間の飢餓状態に思いを馳せ、餓死を防ぐために己のお腹に脂肪をせっせと溜めるため本能を働かせる。食べ物が豊富にあるのは、有史以来でこの数十年間にしか過ぎない。それまではずっと飢餓状態であった。食べ過ぎれば太り、結果として高血圧、糖尿病になるのは、生理学的に最高の結果である。

 

病気の真因

 ガンとはストレスや食べ物が原因の腫瘍で、種の保存の本能で悪いものを一箇所に集めて全体に拡散させないための結果である。それで節制すれば、腫瘍の傷口が自然と癒えるが、その不摂生を止めなければ、その傷口が大きくなり、それがガンとなる。そこを手術で除去すれば当然、集める場所を新たに作ることになる。それがガンの転移である。ガンになった原因を除去しない限り、ガンは無くならない。

 高血圧も血管の硬化や肥満化で、血圧を高めないと毛細血管の細部まで血が行き届かないので、血圧を上げて生命の維持を図っているに過ぎない。それを佛の働きという。病気と闘うのではなく、頂いた病気を佛様からの啓示と受け止め、病気と共存して生活習慣を正す。それが病気という赤信号で報せてくれた佛様へのご恩返しである。

自然界の共生

 人間は他の命を奪うことで生きている。太るとは食べ過ぎであり、他の命を必要以上に殺めている。自然界の共生に反する行動であり、罰が当たった結果が病気である。例えば、種の保存の防衛手段として、卵には食べ過ぎると毒になる成分が含まれている。その毒が痛風を発症させる。

 食べ過ぎて出すことをきちんとしないから、老廃物が体内に蓄積して病気なる。入れるより出すことが大事なのだ。頭に血のめぐりを良くさせないから、認知症、うつになる。

 

心の病の真因

 金を貯めるだけで出さないから、日本の景気が良くならず、子孫の醜い相続争いが起こる。経済の病気である。ご縁の恵みを回さず不義理をするから、不運という病気になる。悪縁を排除しないから、悪縁が寄ってくる。全て自分の責任である。不運の御祓いを神仏に願ってもお門違いである。病気、事故、不運は全て神仏からの啓示である。悪い生活習慣を変えず、薬やご祈祷のお札だけで治そうとするから、佛様の反撃を食らう。様にもメンツがある。佛様の顔をつぶしては駄目。佛様を怒らせるとヤクザより怖い。

 

病気は仏様の使者

 病気は、仏様が慈しみで遣わす「死の使者」である。「今の悪い生活態度を続けると死ぬよ」と警告の使者なのだ。「死の使者」も、仏様の使者なので、手ぶらでは帰れない。本人が生活習慣を悔い改めれば、仏様に良き報告ができるので手ぶらで帰れる。そうでないと本人を連れてあの世に帰らねばならない。辛いお役目である。たまには「死の使者」の立場で考えよう。

 

企業の生存問題

 その昔、私は管理職として部下を指導して、「死の使者」の役目をしたことがある。その葛藤で胃が痛くなった。だから仏様の気持ちがよくわかる。その部下に思うことは、「なぜわかってくれないのか」であった。そうなれば企業の生存本能で、切るしかない。そしないと他の社員が不幸になる。

 煙草を吸うのがガンになる確率が高いのは自明である。喫煙すれば、生理学的に最高の結果が肺がんなのだ。飽食や添加物一杯の食べ物、甘いモノを食べ続ければ、病気になるのが生物生理学の最高の結果なのだ。

 

病気はお客様として接遇すべきもの

 病気は戦うものではない。病気は頂くものなのだ。気づいた時点で、改めるべきことを改めれば、佛様のご加護がある。1日早ければ1日早い、病魔・悪縁からの離脱がある。病気とは自分で治すもの。病院は金の儲かる治療はするが、病気は治せない。本人が治す気にならないと、病気は治せない。気づいたときが、最高の始める時である。死期が目前でも、一日一生の信念で、一秒でも早く方向転換をすべしだ。人は死ぬ直前まで、健康で魂を成長させるべきだ。それが魂を持った人間の務めだ。そのためにも長寿であるように日頃の生活を心して送るべきだ。

 病気を仏様からの手紙と思い、感謝の念で返信しよう。生き方の改善が、最善の返信である。

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 材料は東日本大震災で倒壊した神社を再興したときに出た端材の桧。

 馬場恵峰先生書、材料は齋藤明彦氏提供、大工の新立広美氏製作。  2013年9月

 

2019-01-14 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月13日 (日)

還暦になって観る悪夢

私独裁帝国が迎える最期の日

 60年間、己は私独裁帝国の独裁者であった。人生の最盛期は、飲み放題、食べ放題、やりたい放題で人生を謳歌してきた。しかし人生の戦いも末期を迎え、私独裁帝国に夕暮れが迫ってきた。ある日、鬼神佛連合軍の爆撃隊が頭上に現れ、原死爆弾(解雇、死病告知、倒産、定年離婚、子息の犯罪・逮捕)を落とした。その被害で帝国の指令本部内は混乱を極め、側近が、「総統、ご決断を」と迫る。己はなす術もなく、虚ろな目が宙に舞う。私独裁帝国が音もなく崩れてゆく。

 

四天王の諫言

 世の中は最高のことしか起こらない。世の真理は一つである。宇宙の真理を人の想いで形にしたのが大日如来像の姿である。かくの如く人生を過ごせば、来るべき結末は一つである。暴飲暴食、不摂生、縁の不義理の結末である。それを「運が悪い」、「なんで俺だけが」では神佛に不遜である。全ての原因は己にある。あの時、広目天の「視野を広げて観よ」、多聞天の「法の話を聴け」という叫びを無視した己がいた。

 この絶体絶命の状態で、自分は何ができるのか、それが問われている。まだ神佛は自分を殺さずに生きる道を示し、見えざる手を差し伸べている。それに気づけないのでは畜生である。早く己の愚かさに目覚め、目を見開いて観よ、耳を澄まして声なき声を聴け。今からでも遅くない。打てるあらゆる手を打て。

1039a1185  高野山 中門 広目天 大仏師松本明慶師作

     眼入れは岩田明彩師   2015年10月8日 撮影

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  高野山 中門 多聞天 大仏師松本明慶師修復(江戸時代の作)

     眼入れは岩田明彩師  2015年10月8日 撮影

 下記チャップリンのスピーチで、奴隷を食や金に対する己の弱さ、国境を己の周りに築いた壁、貪欲を己の欲、獣を世の娯楽産業に置き変えると、チャップリンの凄さを感じる。

 この演説で、「自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たち」を拝金主義者、グローバル経済主義者、共産主義者に置きなおすと、世の中の動きが分かる。当時と何が違うのか。日本の未来を考える為に自問したい。

 

「絶望してはいけない」

 チャップリンの史上最高のスピーチ【独裁者】

 私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。

 この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。人生の生き方は自由で美しい。しかし私たちは生き方を見失ってしまったのだ。欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく薄情にした。私たちは考え過ぎで、感じなく過ぎる。機械よりも私たちには人類愛が必要なのだ。賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。

 飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界が一つになることを呼びかける。今も私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、絶望した男性達、女性達、子供達、罪なき人達を拷問し投獄する組織の犠牲者の元に届いている。

 私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。

 私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。

 兵士たちよ。獣たちに身を託してはいけない。君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。

 そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。君たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。君たちは人間だ。君たちは心に人類愛を持った人間だ。憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ。愛されず、自然に反する者だけだ。

 兵士よ。奴隷を作るために闘うな。自由のために闘え。『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。君たちの中になんだ。君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。

 だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。皆でひとつになろう。新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。

 そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らは嘘をつく。約束を果たさない。これからも果たしはしないだろう。独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。

 今こそ、約束を実現させるために闘おう。世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。(一部割愛)

 出典 NEWSポストセブン「こんな時代だからこそ胸に沁みる・・・チャップリンのの感動すぎるスピーチを聞け!

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チャップリンの「独裁者」1940年より

 「独裁者」(1940) :チャップリンが監督・製作・脚本・主演を務め、アドルフ・ヒトラーとナチズムの風刺が主なテーマ。ヨーロッパの大国トメニアの独裁者ヒンケル(チャップリン)は、世界征服とユダヤ人排斥を旗印に、世界に君臨しようとしていた。一方、ユダヤ人のゲットーの床屋であるチャーリー(チャップリン)は、ヒンケルと容貌が似ていた。そして、ふとしたことからチャーリーがヒンケルに間違われてしまう。

Photo_3  馬場恵峰書 2006年

 

2019-01-13 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

曼荼羅とのご縁

 曼荼羅の言葉は知っていたが、その詳細はおぼろげな理解であった。2014年11月20日、仙台市での松本明慶仏像彫刻展に出かけ、そこで絵佛師の岩田明彩師から内容を教えてもらった。それが曼荼羅との新しきご縁の始まりであった。ご縁とは足を使って自らが動いて、手に入る我が宝である。足で歩くから道ができる。

中門とは曼荼羅への入口

 弘法大師が、高野山の立体曼荼羅が広がる根本大塔前に中門を設置して、門の四隅に四天王を配した意味は深い。その先に人間の歩く道がある。まずその門を通らないと始まらない。人生の目的地までは千里の道のりである。

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 高野山 中門 四天王が睨みを利かす

2039a1174  広目天 大仏師松本明慶師作

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 持国天  大仏師松本明慶師作   2015年10月8日撮影

 『新約聖書』マタイ伝第七章に「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその路は広く、これより入る者多し。いのちに至る門は狭く、その路は細く、これを見出す者なし」という。「狭き門」は、キリスト教で天国に至ることが困難であることを例えた言葉である。転じて、入学試験や就職試験など、競争相手が多くて突破するのが難しいことの例えである。

 仏教でも同じことを教えている。人は狭い門の母の経道を通り、母親を苦しめて人間界に生まれてきた。決して大門を楽に通ってきたわけではない。大門は人も動物も生き物が通ってくる。その中で魂を持って生まれてくるのは人間だけである。魂を持った人のみが、その次の中門に入れることができる。人は自分の使命に向って進む。動物は欲望のまま生きる。中門に入界審査官の四天王が立ち、通る人の心に問うている。己はその四天王の目を直視できるのか。その先には大宇宙を表す立体曼荼羅が広がっている。己の目的地はどこか。

 

人の狭き門

 人として生まれたのなら、構えた門の下に何を置くかである。門の下に「人」を置けば「閃き」である。門の中に人がチラッといるのを見るという意味である。閃きは生きている人間にだけに与えられている。閃きは仕事、修行において求めるものを探求し艱難辛苦の果てに天与されるもの。贅沢三昧の極楽温泉に浸かり心が緩んだ人には授からない。

 「間」とは門を閉じても日光、月光がもれるさまから、隙間を意味する。月の光は日に照らされて放つ光である。だから「閒」とも書く。言動から佛性の光が漏れ出るのが人間である。己は縁ある人に何を照らし与えているのか。功徳ある照らす存在でありたい。光を吸い込むブラックホールの存在では哀しい。

 「開く」は「門」+「幵」で、「幵」は、両手の象形である。門に両手をかけて開くの意味を表す。己の人生の新しい門は、己の両手で渾身の力で押さないと開けられない。開けられないのは門が重いからではなく、力の出し方が足りないのだ。

 「才」を置けば「閉じる」である。「閂」も同じである。門を木のかんぬきでとじた様を表す。己という人生の門にかんぬきをしては、人生は始まらない。

 門の下に「口」を置けば「問う」、「耳」を置けば「聞く」。人生を生きていくために、己の門の下に何を置くかが問われている。かんぬきだけは置くのを避けたい。見ざる聞かざる言わざる、ではサルの畜生である。

 門の下に心を置けば、「悶える(もだえる)」。口には出さずに、心を門の下に置いて公衆に晒す状態である。智者の行為ではない。

 

Dsc002342   馬場恵峰書 「あせって」の書体にほれ込んで入手した

2019-01-13 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月12日 (土)

未来は変えられないが、過去は変えられる

 過去の自分を虐めた輩は、佛が身をやつして、自分を鍛えるために表われた佛様である。昔の苦労・試練をいじめと解釈するか、修行・諭しと思うかどうかで、己の未来は変わる。自分を厳しく鍛えてくれたがゆえ、今の成長した自分がある。その昔、自分を厳しく育ててくれたトヨタから出向の大森部長がいた。その他の優しかった部長達の思い出は少ないが、厳しく育ててくれた大森部長は、今も心の中で私を睨んでくれている。

 病という佛様が、己を虐めてくれるから、自分の生活状況を見直せる。世間との葛藤の悩みから師や仏門を叩くご縁が生まれる。試験に落ちたご縁から、自分の病や弱点を発見できる。全てのご縁は仏様である。

 過去の事象をどう解釈するかである。そうすれば過去はどうにでも変えられる。そうれば未来は明るい方向に変えられる。全て己が作り出す世界である。

 

四衆

 何時までも過去のしがらみに囚われていては、未来は開けまい。人を箱に閉じ込めて「囚」れの人にするのは、己の狭い了見である。己は何の固定観念に取り付かれているのか、自問したい。身の回りの人は全て師である、仏様である。

 「修証義」に曰く「その形いやしといえども此の心を発せば已に一切衆生の導師なり、たとえ七歳の女流といえども四衆の導師、四衆の慈父なり、男女を論ずることなかれ、これ佛道極妙の法則なり」。四衆とは佛教に帰依した弟子(仏語))

 

己を俯瞰

 タイムマシンに乗り、過去の自分を今の時点で眺めると未来が見えてくる。過去と未来を見せてくれるタイムマシンは、同窓会、卒業アルバム、親睦会、仕事場、己の過去の仕事等で、己を移す鏡として身の回りに多く存在する。もっと眼を凝らして、見えない世界を観よう。見る気がないから、見たくないから、その真実が観えないだけである。

 以上は2015年1月4日の高校同窓会に出て感じたことが、今回、河村義子先生の葬儀で過去の写真を整理して更にその思いを新たにした。

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 上図は馬場恵峰書 道元禅師 『修證義』

 馬場恵峰書『報恩道書写行集』(久志能幾研究所刊)より

 

 「修証義」等の経典を読めば読むほどに、人生の深淵を垣間見る思いである。歳を取り、経験を積んで、初めてハッとする言葉を発見する。今まで何回も読んだのに、気がつかなかった己の盲目さに呆れる。

 

2019-01-12 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

両界曼荼羅

 曼荼羅は、サンスクリット語のnandalaの音写した言葉で、本来の意味は“本質、中心、真髄などのもつもの“を表し、仏教では仏の悟りとその世界を意味する。特に密教においては、聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表した図をいう。

 

曼荼羅が意味する人生

 曼荼羅は日本密教の教えの中心ともなる大日如来を中央に配して、更に数々の「佛」を一定の秩序にしたがって配置した人生の俯瞰図である。「胎蔵界曼荼羅」、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」または「両部曼荼羅」と称する。胎蔵曼荼羅が真理を実践的な側面である現象世界として捉えるのに対し、金剛界曼荼羅では真理を論理的な側面である精神世界として捉えている。こういう概念を1300年も前に曼荼羅の図に表した創造者の知恵には、畏敬の念が起こる。

 

佛様の意味

 胎蔵曼荼羅には様々な姿の佛の御姿が表されている。一人ひとりの佛にも意味がある。各々の佛が曼荼羅の世界でその場所のお役目を果たしている。自分が歩む人生で、与えられた時代とその与えられた場所で、佛としてのお役目を果たすのが、自分の使命である。人は生きているだけでも、佛の価値がある。己の周りの人は全て仏様である。それを教えてくれる曼荼羅図は神秘的だ。

 曼荼羅の図は、ネットの画像検索で見てください。

2019-01-12 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月11日 (金)

記事一覧公開

1000回の記事リストを公開します。

 添付ファイル参照: 「記事一覧_久志能幾研究所通信-2019-0110-ed」

 _20190110ed.pdfをダウンロード

 

記事が多いのでカテゴリーから探して下さい。

総分量は、A4版で約3500頁あります。

webでは、「久志能幾 & “記事名”」で検索すると、ヒットします。

カテゴリーは、冒頭の文字で分類をしています。

 

0_english edition(英語版)

  海外の音楽家に読んでもらおうと英訳しました。

ap_飛行機

        私は50年来の飛行機マニア

b-佛像彫刻・大佛師松本明慶

c-馬場恵峰師の写真集・言葉

 

l:は人生論関係

 l-五重塔を照らす智者の言

          馬場恵峰師の人生訓

 l0_命の器で創る夢の道

           夢とは魂の言霊である。私の人生論。

          火事に遭遇して得たご縁で、夢が仕事を創ると悟った。    

 l1-吾が人生の師天王

    私の人生論。多くの師から学んだこと。

   l2_志天王が観る世界

    私のご先祖探し、家系図作り

 l3_書天王が描く世界

       自家のお墓造りのお話し

 l4_詞天王が詠う老計・死計

    私の終活

 l5_佛が振るチェカーフラグ

    私の終活

 

m:は音楽関係

 m-大垣からウィーンへ架ける六段

    戸田伯爵夫人の記事。ウィーン旅行記

 m-音楽道

   河村義子先生の話を中心に

 m-ピアノ騒音殺人事件

   私の音楽履歴 。その出発はピアノ騒音殺人事件。

ma:はマネジメト関係

 ma_ダイエット

   私が7か月で14キロ痩せた実践記録。己の体の管理です。

         自分の体が管理できなくては、人生は豊かになれない。

 ma_危機管理

         私が経験した危機管理の実例集。前職は危機管理の責任者です。

   ma_時間創出1001の磨墨智

   私の時間哲学。

   ma_ネッツトヨタ南国の経営

         私がほれ込んだネッツトヨタ南国の経営方式の報告

 ma_人生経営・会社経営

 ma_経営診断

   経営コンサルタントとしての診断

 ma_経営診断♠インプラント

    私はインプラント手術を手術2時間前にドタキャン。その内幕   

 ma_経営診断♦社是

    経営理念から企業を診断

 ma_極楽運転道

    テストドライバー経験の眼で運転ノウハウを公開

 ma_生活VA

   いかに無駄を省いて贅沢をするかのノウハウ

 

o:は大垣関係   

 o-四季の路

   松尾芭蕉の奥の細道に模した「ミニ奥の細道散歩道」の紹介

 o-大垣の文教

   江戸時代から続く大垣の文化・教育の歴史紹介

 o-大垣の歴史

 o-大垣まつり

 o-大垣の歴史

 o-大垣を良くする階

   大垣市への提言。大垣市行政への批判。

 

書道・テクニカルライティング

   文書を効率的に書くノウハウ。ミシガン大学で学んだ手法。

桜田門外ノ変の検証

  私のご先祖の桜田門外ノ変にまつわるお話し

美容・健康

      私が心がけている健康管理の内容

 

2019-01-11 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

人生の曼荼羅とは

 人生を俯瞰的に見ると、人生はピラミッドや高山の頂点を目指して歩む姿に例えられる。それは人生の宇宙観であり、緻密に築かれた城の石垣にも例えられる。

 

世界観

 人生の目標とする所が山の頂点なら、俗世間的に言えば会社の社長である。佛の世界ではそのトップは大日如来である。そこに達するには、地獄界、畜生界、邪鬼界、人間界、天界、菩薩の世界を経ないと到達できない。人は生まれながらに頂点で生まれるのではなく、試練・修行を経て悟りの境地に達する。お釈迦様も修行・試練・弟子の離散の地獄を見て、悟りの境地を得られた。お釈迦様は万能の存在ではなく、悩みある我々凡人と同じ人間である。また大日如来も単独では存在できない。その回りの菩薩、天、鬼がいてこそ存在できる地位である。

 

己が作り出す観念

 人生では、あるときは地獄の鬼と対面するときもある。不渡り倒産の危機に直面して、七転八倒の苦しみを得ながら進む地獄界のときもある。時には鬼となって相手に借金の返済を迫るときもある。天として(部下や会社の)守り佛として会社を自衛する四天王となるときもある。人間とは人を殺めるような鬼畜の性もあれば、童を愛する天女のような心の両面を持つ。その心は流転して無常である。すべて己の観念が作り出している世界である。

 

人間とは

 人間とは「人」と「人」の間にある「門」を毎「日」渡り歩き、悟りの世界を求めて歩く修行僧といえる。どれだけ富財宝を手に入れても、死ぬときは全て手放して裸であの世に旅たつ。それ故、人生では人に与えた価値で評価される。

 それを悟るにどれだけの失敗・恥・経験を積むかが、人生の受験勉強である。人は痛い目を経験しないと目が覚めない愚かな存在である。かの釈尊でさえその過程を踏襲された。せめて第二の人生までに悟りの「合格」世界に到達したい。そうできなかった人が、現世で幽霊の道に迷いこむ。帰らぬ過去の後ろ髪を引かれ、まだ来ぬ未来に目を向け、虚ろな目を向けて迷う生き様である。すべて人のせいにする被害者意識の人生である。

曼荼羅は己の履歴

 人生の曼荼羅に、自分の歩いた履歴が表れている。その曼荼羅の中に現れている佛に自分の宇宙観が現れる。出会うご縁は全て自分を良くしようと現れる佛様である。だから人生に無駄な縁は無く、自分以外は全て我が師である。貧乏神のコスプレで現れる逆縁の菩薩にも尊い教えがある。

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  馬場恵峰書

 

2019-01-11   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2019年1月10日 (木)

己は何者か

 己の実態とは何か? 己は、体と脳と魂からなる存在である。体とは脳と魂を収める単なる筐体である。病気になるとは、その筐体が故障しただけだ。その体は、脳と魂に支配される。その体は、大事に使わないと、脳と魂が十分に働けない。筐体という体には寿命がある。本能で生きると、欲望に身を任せて、その体を大事にしない。

 脳は生存本能に支配されて、利己的に働く。本能で生きると利己的、刹那的な欲望に身を任せがちである。また生物としてすべての生物には遺伝子DNAに、「生きろ」、「命をかけて同胞を守れ」という命令が刻まれている。コンピューターのPROMに焼き付けられた命令言語と同じである。

 それに対して魂は世の為、人のために利他的に働く。脳が利己的、快楽的に働くのとは対照的である。それが動物と人間を分ける境界である。その両方の使い方で、人間性が問われる。その魂は教育と自己研鑽でしか育たない。その魂は、体は亡くなっても、後進に受け継がれる。

 その魂の高低差は、大震災や暴動時での民衆の行動で、顕著な差を見せる。それが東日本大震災の時の整然とした日本民族の行動であったし、ロスアンゼルス市の大暴動で商店の商品強奪や、隣国が見せた日本の災害被害を喜ぶ姿との差であった。

 最近の経済界の不祥事を見ていると、脳に支配された動物的な輩が跋扈している。戦後、日本が米国からのGHQ洗脳教育に侵されたための弊害が顕在化してきた。日産の旧支配者ゴーン被告の顔は、どう見ても利己的で強欲丸出しで、受け入れがたい顔である。

 

己の使命

 己は何のために仕事をしているのか? それは脳が支配しているのか、魂が支配しているのか、何方の比重が大きいか自問したい。金のため? 金が十分にあれば仕事をしないのか? 人が死んでから残るものは、人生で集めたものではない。世の中に残したもの、与えたものである。

 

仕事と苦役

 「仕事 work」とは「事」に仕えて、世の為になせる業である。橋を架けるのも、機械をつくるのも、人を育てるのも世のため人のためである。そういう無形有形のものが世の中に残る。

 それに対して生きる糧を得るために動くのは「苦役  job」である。神がアダムに与えた罰である。だから西洋では、金が貯まれば、苦役から逃れて早く引退して優雅な生活に遁走する。日本の労働とは、違う価値観である。日本には働く喜びがあるが、欧米では仕事を逃れて遊ぶ喜びである。

 

仕事の痕跡

 松本明慶先生の50年間仏像を彫り続けた手に、命の軌跡が残る。仕事での書・文・絵・仕事に携われば、手・足・体にその軌跡が残る。そこに己とは何者であったかが現れている。

 河村義子先生の40年間の音楽活動を通しての社会奉仕の痕跡は、「カナデノワコンクール」、「世界で一流の音楽を楽しむ会」、「子と音」、「子と音mama」、毎年のクリスマスコンサート、定期的院内コンサート等の活動にある。それは河村先生が育てた後進に受け継がれて、これからの大垣の音楽文化を支えていく。

 私も10年後、20年後にそんな軌跡を後世の人に見せられるように、恥ずかしくない仕事を残したい。

Photo「佛師のげんこつ」松本明慶師作  松本明慶佛像彫刻美術館にて

 松本明慶美術館の許可を得て掲載しています。

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2018年12月15日 大垣市音楽堂 クリスマスコンサート2018

 演出・振付:林葉子  音楽監督:河村義子先生

 出演:林葉子バレエアカデミー

 ピアノ:小林朱音   電子オルガン:相原里美  語り:伊藤応子

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2018年12月15日 大垣市音楽堂 クリスマスコンサート2018

 子と音

   演出・振付:伊藤応子  音楽監督:河村義子先生

 

2019-01-10 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 9日 (水)

佛様との出会い

両界曼荼羅

 人生の短い期間に出会う佛様(人)の数は限られている。両界曼荼羅では1,875尊の佛様が描かれている。それは人生で価値ある人との出会いが、物理的に2千名程度しかないとの寓意である。

 その佛様には、人だけの出会いだけでなく、病気とか事故、自然災害も含まれる。病気や事故が、その後の人生の生き方に大きな影響を与えれば、それも人生で出会う佛様である。その人からの学びには、正の場合も負の場合もあるが、それは自分の成長次第である。

 逆縁の菩薩様からも多くの学びがある。佛様が差配した慈しみの出会いである。その出会いはすべて己の責任である。そういう縁に出会うべき業をしてきた。因果応報である。この世で起きることは、全て必然である。会えば必ず別れがある。生まれれば、必ず死がある。

 

選択

 人の寿命の制限内で、出会う佛様の数には限りがある。一尊の佛様との出逢いがあれば、もう一尊の佛様とのご縁は、この世ではかなわない。選択とは一方を選べば、もう一方は捨てること。その両方を選ぶから曖昧さを生み、人生の無駄時間を生む。人生では寿命の制限があるからこそ、その出会いに緊張感が生まれる。「人は必ず死ぬ」との大前提に考えないから、時間と機会を無駄にする。

 

ご縁

 ご縁を成就するためには、時間と労力と情熱が必要である。身を清め、服相を正し、心を整えて、時間を計って、初めて一つのご縁が生まれる。それでこそ出会うべき人に、早からず、遅からず出会える。その心掛けがないから、ご縁を見逃すのだ、そのご縁が佛様である。だからこそ、出会う人、出合う機会を自分の目で厳選しないと、自分の人生価値が希釈化される。それが選択であり、決断である。縁あって花開き、恩あって実を結ぶ。

 

与える価値

 己が相手に与える価値は何か。自分が会うことで、相手の二度と戻らぬ命(時間)を奪ってはいないだろうか、自分は相手が期待している成長をしているだろうか。去っていった佛は、自分の未熟さに呆れて、去っていったのではないか。佛が袂を分かち去って行ったのは、全て己の責任である。人生では与えたことだけが、返ってくる。奪ったことは消えていく。

 

全て己の責任

 郵便ポストが赤いのも、全て己の責任である。己があの時、遊び惚けず、もっと真剣に受験勉強をしていれば、東大に入り高級官僚になり郵政次官、郵政大臣に就き、郵便ポストの色を己の意思で変えられたはずと思いたい。

 

曼荼羅とは

 曼荼羅は、胎蔵界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅からなる。弘法大師が唐より持ち帰った曼荼羅を、弘法大師が晩年、金銀の単色で描いた曼荼羅は、高野山の至宝である。

 胎蔵界曼荼羅は、世の仕組みを俯瞰的に表現している。金剛界曼荼羅は、生から死に至るまで、人が佛として9つの段階を経て成仏する精神面の変遷を描いている。人が各段階の世界で精神的な修行を積み、佛となり次の世界に進む。人がその界を卒業して成仏する過程を表す。決められたステップを踏まないと次に界に行けない。

 サラリーマンに例えれば、受験地獄と大学天国を通過し、新入社員として修行の界に入り、実践の場に進み熟練の領域に進む。現場実習界、職場研修界、営業界、中堅の世界、課長職界、企画界、経営者界、窓際族の界等で、その界の修行が不十分のまま、次の界に進むとその界では浮いた存在となる。何事も順序を踏んで進まないと成仏は出来ない。みほとけに一歩でも近い界に行くことが出世である。

曼陀羅の絵は画像検索で確認ください。

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お礼

 お陰様で、今回で1,000回目の通信となりました。累積閲覧総数57,753です(2018年1月9日21時)。皆様の閲覧にお礼を申し上げます。私にとって一つの文書作品は、佛像彫刻作品と同じです。私は文書を書く場合、佛像彫刻を仕上げるように、何度も遂行を繰り返し、磨き上げます。見直した回数が多いほど、よき佛様が出来上がります。文書の題名は、佛像の顔です。トピックセンテンス(格文)は、佛様の眼です。佛様は眼でモノを言われます。佛像を拝むとは、自分を拝み、自分自身に対峙することです。

 私も昔の自身のエッセイを読み直し、襟を正すことが多々あります。私のエッセイが皆様の自他の幸せを考え、人生を考えるヒントになれば幸いです。

 

2019-01-09 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 8日 (火)

河村義子先生の分身に出会う

 河村義子先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人とセントレアの「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」に出かけた。そのショップに展示してあったボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードカットモデルに、河村先生の面影を発見して、そのカットモデルを購入した。

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2018年1月のニューイヤーコンサート

 1年前の2018年1月13日に、ドレスデントリオと河村先生の共演の「ニューイヤーコンサート」をクインテッサホテル大垣で開催した。当時、河村先生がこの世の最後の演奏会と覚悟をして開催したとは、私には分かっていなかった。それでも開催にこぎつけるため、資金面、撮影、運営でお手伝いをできて、今にしてそのご縁に有難いと思う。そのドレスデントリオが、2018年1月7日にルフトハンザ航空機で到着するので、私はセントレアに出迎えに行った。

3dsc02821   2018年1月7日  ルフトハンザ航空機 セントレア着陸

4dsc02852   到着したドレスデントリオ

 河村先生が逝去されて1週間たった2019年1月1日、友人が当日、セントレアに行くというので、思いついてルフトハンザ機を含めて飛行機の着陸時の写真撮りを兼ねて、セントレアに出かけた。ところが、ルフトハンザ航空機は、当日のセントレア到着便はないのが分かり、撮影は空振りとなった。しかし、もう一つの来訪目的が、昨年末に開店したボーイング787の展示館「FLIGHT OF DREAMフライトパーク」の見学であったので、友人と見学して過ごして、今回のご縁に出会った。

 そこに併設されたショップで、ボーイング707のジェットエンジンのタービンブレードのカットモデルが売られていて、何か感じるところがあり、購入を決めた。値段は72,360円。残り2つの限定品だという。年初の最初の売上とかで、お店の担当者も喜んでいた。人は誰しも「限定品」「あと2つ」という魔の言葉に弱い。そのボーイング707エンジンの誕生年が河村先生の生まれ年が同じで、ジェットエンジンのブレードの役目が、ピアノの鍵盤を叩くことに重なって見えたから、ご縁を感じて購入を決めた。私が飛行機マニアであることも重なった。

 

陰の仕事

 ジェットエンジンのタービンブレードは、回転速度約10,000rpm、12時間の飛行(日本と欧州間の飛行)を年間150回するとして、その寿命が5年間として計算すると、ジェットエンジンのタービンは約5億回転して、旅客機の推力としての空気を後方に送ることになる。それで多くの海外旅行客を運ぶ仕事を陰で支えている。

 ピアノをモノにするには、一日8時間、10年間続けないと一人前のピアニストになれないという。単純計算で一秒に1回鍵盤を叩くとして計算すると、それを30年間続けると、3億回も鍵盤のキーを叩いてきたことになる。ひたすら鍵盤を叩いて、人びとに安らぎと喜びを与える音楽を世に送り続けているのがピアニストである。

 そのエンジンの製造年が河村先生の生まれ年と同じだと気が付いて、ご縁として購入を決めた。

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 川村義子先生の手 2015年1月23日

 

人知れず働くもの

 展示された目の前のタービンブレードが、人の見えないところで生きて仕事をすることの象徴のように感じた。人の目には触れず、小さな、当たり前の、繰り返しの仕事で、その長年の積み重ねが、社会に貢献していることを象徴していると感じた。飛行機の美しい着陸姿勢も、力強い離陸も、ひたすら巡航速度で飛行するのも、エンジンがひたすら回っているからできるのだ。しかしけっして表には出てこない。

 また30年前に、当日同行した友人が当時の職場で、GEからジェットエンジンのブレードを加工する機械の見積業務を私は横目で見ていた。その受注はできなかったが、私は見積用のエンジンブレードの実物を手に取って見たことをよく覚えている。それのご縁も購入を決めた一因である。

 

一燈を掲げて

 そのブレードを今日1月5日に、玄関に飾った。前衛芸術作品のようで、サマになっている。極限状態で稼働する部品には、贅肉が削がれ、極限の機能美がある。ブレードの曲面も芸術作品である。玄関に飾ってみて、見る角度によっては、十字架のように見えて、不思議さを覚えた。河村先生の家は臨済宗なので、キリスト教は関係ないが、言葉の綾で、十字架を背負い仕事をするという意味で、仕事の象徴として考えた。どんな小さいことも仕事として継続すれば、世の中に何かには貢献できる。仕事とは、ひたすら毎日毎日、同じことの繰り返し。その世の中に燈を灯す活動が集まって、大きな力となる。それが「一燈を掲げて暗夜を行く」(佐藤一斎著『言志四録』)と通じる。

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  馬場恵峰書 お手本として揮毫  2012‎年‎2‎月‎18‎日

 

2019-01-08 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。