2019年1月 8日 (火)

己を支え、人を支えてこそ人の道

 重き荷を背負おわされるのは、佛様からの慈しみである。重いからこそ人生を歩く力が付く。受験勉強もスポーツも、頭の筋肉、足腰の筋肉をつけるには負荷をかけないと、筋肉は強くならない。自分を甘やかした生き方では、弛んだ人生しか歩めない。人生力とは、重き荷を背負ってこそ向上する。その重き荷を遠くに長く運んでこそ人の道である。

 背負う荷が重いのではない。背負う力が弱いのだ。軽くする智慧がないのだ。遠くに運ぶ知識が欠けているのだ。頭の汗をかいて、智慧を出す能力を鍛えてこそ、人生を力強く歩める。負荷をかけないと、極楽トンボの生活に陥り、認知症への道をまっしぐらである。持国天は国を支えている。総理大臣は国を動かしている。己は自分を支えている。天はあなたに総理大臣の仕事をしろとは言っていない。それに比べれば、凡人の持つ荷など軽いもの。己を支えるのは自分である。天は自ら助けるものを助ける。東西の教えは同じ事を言っている。

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仕事量Jは下記の式で表される。

  J=μ×W×L

     μは摩擦係数 ,  Wは仕事の重さ,  Lは運ぶ距離

μとは世間の摩擦

 μとは仕事と大地(世間)との滑り摩擦係数。仕事量ロスを減らすには、摩擦係数を小さくすれば良い。摩擦係数を小さくする技が、知識であり、智慧である。人と人との間の摩擦を減らす潤滑剤は笑顔である。苦渋に満ちた顔つきで力任せに運んでも、笑顔の智慧を使った仕事には及ばない。己が非力ならば、みんなの力を借りて智慧を出せば、大きな仕事ができる。

 一人で運ぶから大変なのだ。一人で荷を持つから、遠くには運べない。重い荷はみんなで運べば、遠くに少しは楽に運べる。笑顔があれば皆が協力してくれる。みんなで協力して運べば、重い荷も軽くなる。

 

皆の力

 明慶先生が、一人で悩んでいた岩田明彩師に言った言葉、「何を一人でもがいているんや、みんなそばにいるぞ。みんなを信じてもっと頼りなさい」。仲間は人生の宝である。身の回りには宝が一杯ある。宝が目の前にあるのに助けてもらわないのは、米蔵の前で餓死するようなもの。己の心を開き、人生の門を開けば、みんなの笑顔が出迎えてくれる。赤信号、みんなで渡れば怖くない。重い荷物、みんなで持てば軽いもの。それが組織の力である。

 人は及ばないから、少しでも良くなろうと努力をする。金も力も有り余ってあれば、努力などしまい。そうなれば堕落の道しか無い。及ばないから、みんなで足りないところを補い合ってこそ人間社会である。人に頼むのに躊躇するのは、己の我があるからである。我を無くせばうまく行く。

 

櫂の木

 「皆」とは「比」+「白」からなり、「比」とは人が並んでいる様を表し、「白」は、モノを言う意味と、人が声をそろえて言うの意味から、みな、ならぶ、とも、の意味を表す。

 「偕」とは、「人」+「「皆」で共にするから、「つよい」である。一人の人間は弱いが、皆が集まれば強い組織となる。力ある人は我を張らない。我があると揃わない。

 「喈」は「口」+「皆」で、人が声を揃えて言うで、気心が揃って和らぐの意味を表す。

 「楷」とは「木」+「皆」で、枝や幹が正しく並ぶ木の名を表す。転じて整った手本の意味を表す。曲阜(山東省)の孔子廟に子貢がみずから植えたといわれる木の名である。

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Photo_10   櫂の木の春夏秋冬

 「楷の木」が大垣市スイトピアセンター内の図書館横に植えられている。学名「トネリコバハゼ」、和名「久志能幾」と言う。中国山東省曲阜の聖廟に、孔子の高弟子貢の手植えの「楷の木」二世が、今も鬱然と繁り紅葉するところから黄連樹とも呼ばれる。この公園に植えられた樹は、曲阜聖林から採取発芽させた東京湯島聖堂内苑の樹から取り木された唯一の木で、学問文化に深い由緒をつなぐ名木である。

 この樹は戸田公入城350年(昭和60年・1985年)を記念して、大垣文化連盟が、スイトピアセンター内の公園に植樹した。封建時代の藩主を称えて植樹されるのは、戸田公が大垣の学問文化の発展に多大の貢献をされ、その威徳が未だに輝いている証である。1985年は、私が初めての海外体験としてスウェーデンに4ヶ月間の出張をした年である。

 この樹は春には緑豊かな葉を飾り、夏は蝉の抜け殻を抱き、秋には紅葉が鬱然と繁る。冬は全ての葉が落ち、まる裸となる。それは次の春に向けて内部蓄積をする姿でもある。人生の春夏秋冬を表している姿は、一つの教えである。

 

2019-01-08  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

霊信として『「言志四録」51選訓集」』

 年末の12月25日に河村義子先生がご逝去されて、弔意の1週間ブログ休載で、馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選集」』(小田泰仙編 久志能幾研究所刊 A4版、64頁2800円)の出版案内を控えた。

 この本は、12月25日付けの出版であるが、最終校正で誤字脱字が見つかりその修正で、3日遅れの12月28日に、印刷完了本が印刷会社より自宅に届いた。本来、25冊は私宅、25冊は他所、50冊は九州の馬場恵峰先生宅に直送されることになっていたが、手違いで私宅に25冊以外に、恵峰先生分の50冊が届いた。それで大慌てで恵峰先生宅に転送した。

 出来た本を見直すうち、12月30日になって、河村義子先生の命日がこの書の出版日と気が付き愕然とした。これは偶然という人もいるが、私の菩提寺の住職様の意見では、馬場恵峰先生へ寂滅のご挨拶として、私の家経由で、私の代わりに九州に行ったのだと言われた。手塩かけて出版した本は、私の子供である。偶然と見えることも、実は必然のことだと住職様に言われた。河村義子先生と馬場恵峰先生は直接の対面はないが、お互い私の私費出版本を通じて旧知の仲であった。

 「神秘的な体験をするには、雰囲気と心の準備が必要だ。」(水木しげる著『水木しげるの娘に語るお父さんの戦記』より)

 

私の使命

 今、振り返ると河村義子先生に対する私の使命は、河村先生の遺徳を記録として残すことだと悟った。

 カメラ歴50年、文章道歴50年、科学工業英語検定1級所持(一級は日本に500人もいない)の技を持ち、ピアノに憧れを持って40年を過ごしてきて、64歳でグランドピアノを購入した人間が、河村先生とご縁ができたのは仏縁である。「人は出合うべき縁に、早からず遅からず出会う」とは、森信三先生の言葉です。

 そんなつもりはなかったが、記録をひも解くと、河村先生に関する写真はこの5年間で8600枚ほど撮影した。そのうち河村先生が写っているのは数%であるが、先生の周りの人を含めて、自然体の良い写真を多く撮影できたと思う。そのお陰で共演された音楽家達ともご縁ができた。先生に関するエッセイ(A4で4頁の作品が30通余)、演奏会のビデオが5本である。このブログ休載中に整理をして、ご遺族に贈るためにBRディスクに収めための編集をした。

 

河村義子先生の病気

 河村先生は、5年まえに病気が見つかり、手術をすると後遺症が残りピアニストとして活動できなくなるとして、延命手術を拒否され、最期までピアニストとして生きる道を選ばれた。このことは、葬儀場に掲げられたご子息の挨拶文で初めて知った。思えば、私が先生に出会ったころである。

 私は、河村先生が覚悟を決め、最後までピアニストとして生きたいとして、死病と戦っているのを知らないから、自然体で写真が撮れ、エッセイが書けたと思う。先生の死病を知っていれば、人間ができていない私は構えてしまい、良い写真は撮れなかったと思う。そのためエッセイも自然体に書けたと思う。私は、先生が死病と戦っていることを知ってはいけなかった定めだと改めて感じた。それも観音様のご意志で、運命である。

 今思うと、河村義子先生の言葉の節々に、死を予告する言葉があったが、鈍感な私は気が付かなかった。それに気が付けば、「それでは、もう小田さんではない」と、義子先生の親友に慰められた。それがせめてもの慰めである。まだまだ人間ができていないと、反省のしきりである。

 

出版計画

 今回のブログ休載中に「写真集 河村義子先生を偲ぶ」(解説は英訳併記)、「河村義子先生の想い出」(エッセイ集)、「ウィーンにかける六段の調べ」(英訳、ドイツ語、併記)を出版する計画ができた。これが河村義子先生への私の追悼と鎮魂の書となる。

 

2019-01-08 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 7日 (月)

正しい道を考えながら歩く

 「スラスラ書いても正しく書く。漫然と習うより考えて書く」(恵峰先生)。正しい道で考えることが大事である。書道もピアノ道も人生道も同じである。河村義子先生からも、「漫然とピアノのキーを叩くのではなく、指の先の動きに神経を集中させて、考えながら指を動かしなさい」と教えられた。正しくない道で、頭を真っ白にして修行しても無駄である。宗教狂団に入って最大の努力をしても、行き先は絞首台である。

 人と会うにしても、漫然と会うのではなく、相手の行動と姿を見て考え、相手が佛として演技をしていると考え、裏に潜む考えや意図を考えたい。相手が漫然と振舞っていれば、その本心は赤裸々になっている。相手の潜在意識まで見抜かないと、己が地獄に引きずりこまれる。時として相手は獲物を狙っている逆縁の菩薩である場合もある。その出会いは一期一会。どんな出逢いにも学びがある。学ぶ気がないから騙される。相手は言葉以外に93%の情報を表情、身振り、服装から本心を伝えている。口で誤魔化しても外見や素振りを見れば、その本心は明らかである。それが人を観る目である。

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河村義子先生の指導

 仕事、芸道、人生道では、正しい道を正しい歩き方で、正しい姿勢で考えながら進まないと、誤った固定観念に囚われて迷いの道に迷い込む。良き師の指導こそが人生の宝である。人生曼荼羅では、出あう人皆我師である。

 この頁のピアノを弾いている写真を、当初、あるピアノの先生のHPから引用した。それは中学生の生徒が弾いている写真であった。それを河村義子先生が見て「手の甲の位置が低く正しい弾き方ではない」と指摘された。正しい弾き方の写真でないと間違った道を教えることになる。ネットには玉石混合の情報が溢れている。世間も同じである。正しい師について学ばないと間違った道に迷い込む。心して道に励みたい。(初稿2015年1月)

 そのご縁があって、河村義子先生のピアノを弾く手を撮影する記録が残せた。ご縁に感謝。

Photo_2 恵峰先生は考えながら三好輝行先生のお祝い色紙の末尾から筆を運ぶ。20141113

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どの指を何処まで飛ばすのか考えながら弾く河村義子先生の指運び  2015123

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馬場恵峰書     2014年の年末に書かれた。この直後、便秘で断腸の思いをされた。無事に済んでなりよりでした。Photo_4恵峰先生書 

2019-01-07  久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月 6日 (日)

死に支度

 今まで出会った人を振り返れば、自分という存在が分かる。泥棒を求めて旅すれば、泥棒に出会う。佛を求めて旅すれば、佛にご縁のある人に出会う。菩薩の「謦咳」に接すれば、その気が己の肌から体に入ってくる。それが人生での佛との出会いで、人生曼荼羅である。役割・資格・地位・機会等の物理的な出会いのプロセスが、胎蔵界曼荼羅で表され、精神面での出会いと成長の過程が、金剛界曼荼羅で表現される。

 

命とは

 人は多くの人と出会い、叩かれ虐め抜かれて、自分という佛が脱皮・成長しなければ次の界に進めない。「命」とは「人」が棒「一」「叩」かれる様を表している。一人では人になれない。叩いてくださる他人様あっての人である。何時までも成長しない人が、周りに迷惑をかける。人は日々成長している。己の怠慢が、成長している周りの佛に迷惑をかける。成長していないと、それが悟れない。そのために増長天の存在がある。

 

成仏とは

 今立っている界段を卒業しないと、次の界で場違いの扱いを受ける。まず今、立っている界段で、次の界に行くための死に支度をすべきである。次の界で生きていくためには前の界を殺さなければならない。それが成佛である。死無くして新しい世界は生まれない。死ななければ前世に未練を残す幽霊である。卒業するためには、最後の最期まで、現役で前向きに倒れて成佛したい。

Photo  馬場恵峰書  2006年

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 恵峰先生の教室にて  201312

 右の軸を伊勢神宮御神水の磨墨と見て即入手した。

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2019-01-06  久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月 5日 (土)

磨墨知595. 神さまに感謝の気持ちを

 感謝の気持ちが時間の恵みを生み出してくれる。それは価値ある時間である。すべての事象を神様仏様からの時間創出のために試された試験だと受け止めよう。

「こんな状況でも、前向きに時間を作れるかい? 落ち込んでいる時間が勿体ないよ。あんたの残りの時間は余りないかもしれないよ」。

 

言霊の燈台

 日暮れて道遠し。人生道を急ごう。暗い夜道で頼りになるのは、師が照らす人生道の燈火である。その燈火は師の言霊で、それが人生航路の燈台である。

 下記の書は、今度出版予定の馬場恵峰書「養心日活本」の一頁である。これは馬場恵峰先生が中国から買ってきた珍しい色紙に揮毫した18の人生訓をまとめて、それに私の所蔵の恵峰書と私のエッセイを追加した書である。師の言葉が人生を導いてくれる。

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1p1050231   大垣市 住吉燈台 水門川

Dsc01741  大垣市 水門川にかかる江戸時代の燈台

Photo_3   シシリア島チェルファの灯台      地中海を航行する船のガイド役である

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2019-01-05   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

出版案内 『佐藤一斎著「言志四録」51選訓集」』

  馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選訓集」』(小田泰仙編 久志能幾研究所刊)を、2018年12月25日付けで出版しました。A4版、全64頁、一部カラーを含む。価格2800円、送料360円です。

 印刷部数が少なく、一般書店では販売できませんので、直販です。メールにて小田まで申し込みください。

 昨年末に河村義子先生のご不幸がありましたので、出版案内が遅れました。

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2019-01-05   久志能幾研究所 小田泰仙

 e-mail:yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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河村義子先生の為写経を納経

 河村義子先生が亡くなられて1週間たった2019年1月2日、思いついて河村義子先生の為写経を行った。私はほぼ毎日写経をしていて、丁度、ご先祖様11名分の為写経が一巡した所で、しめくくりの最後として、河村義子先生の為写経をした。それでなにか心の平安を得た。河村義子先生の戒名「聖観院教音義愛大姉」が心に沁み込んでくる。

 翌日の1月3日に彦根の自家の菩提寺を訪れ、12人分の為写経を納経した。1月3日はお寺も特に行事もなく、静かな茶室の中で、住職さんと河村義子先生の想い出を語り、春の追善供養の計画をお話しした。

 

何故写経をするか

 馬場恵峰先生は今までに写経を1万5千字以上も書かれている。私が恵峰先生に「何故、写経をされるのですか」と聞いたところ、「それが一番のご先祖供養になるからだ」といわれた。それ以来、私もほぼ毎日、時間を見付けて写経をしている。

 2017年4月にウィーンに行ったときも、ヒルトンホテルで、朝、写経をして心を落ち着かせた。私がウィーンに行った目的は、『ウィーンにかける六段の調べ』(英訳、ドイツ語、併記)を出版する計画があったからだ。河村義子先生が、戸田伯爵夫人の六段とブラームスの物語にご縁があった。河村義子先生は宗次ホールでその演奏会を公演されている。

 

現在の写経行

 写経と言っても、一日に般若心経の2行を筆ペンで書くだけである。2015年に自家のお墓を再建した時は、構えてお墓の完成まで毎日斎戒沐浴して1枚の写経を書き続け、計110枚ほどの写経を書き上げた。それを新しいお墓の納骨室に敷いて、その上に移設したご先祖のお骨を収めた。よい功徳をしたと思う。

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 今は、一日、般若心経の2行分の写経で所要時間10分弱、1週間で般若心経の1枚の写経が完成する「写経は一日2行でいい。そうすれば長続きする」と、馬場恵峰先生に教えられて、今も継続している。たまに寝過ごして書けない時もあるが、それをヨシとして自然体で継続している。なによりも、写経よりも自然に長く寝ることはよいことだ。歳をとると長時間の睡眠が難しくなる。睡眠を削って無理してまで写経をするのも本末転倒である。写経は書の勉強にもなり、多少は字がうまくなった。

 

上達の極意

 やはり書かなければ、上達しない。写真も数多く撮らなければ、上達しない。文章も書かなければうまくならない。多くの人と接しないと、人を見る目は養われない。多くの失敗をしないと智慧はつかない。当たり前のことである。何も上達の秘密はない。

 般若心経の内容は、読むより、写経した方が頭にスーと入ってくる。恵峰先生曰く「10回読むより、1回写せ」である。これは記憶術でも言われる原則である。

 物事は手で覚えるのだ。足で意志を表し、耳で相手の心を観る。目でモノを言う。口で世間を渡る。鼻で真贋を見分ける。多くの人は、手足口耳目鼻の使い方を間違えている。

4k8a0270   馬場恵峰書  2017年入手

推薦の写経手本

 私が使っている写経紙は、馬場恵峰先生の推薦で、「しあわせへの道 羯諦写経」(お手本 山田無文老師 なぞり書き般若心経のお手本7枚、写経用用紙14枚)である。価格2400円ほど。私はネット経由で購入している。

 使用する筆ペンは株式会社呉竹の「八号 くれたけ万年毛筆」。これはナイロン製の毛で、腰がしっかりしていて書きやすい。正式の毛筆だと、細かい字を書くには、腕がないと書きにくい。私は、この筆ペンで写経をしている。

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2019-01-05 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 4日 (金)

河村義子先生への弔辞

 2018年12月27日の故河村義子先生の葬儀で、「世界で一流の音楽を楽しむ会」の事務局長田中重勝さんの弔辞を聴いて、初めて河村義子先生の知られざる活動の偉大さを知った。私は先生の最期の5年間のお付き合いだけであったが、その活動の一部しか知らずに接してきたことが恥ずかしい。

 義子先生は5年前に病巣が見つかり、手術をするとピアニストとして生きていけないと分かると、手術を止めて対処療法の治療の道を選ばれ、最期までピアニストとして生きる決断をされた。私がそれと時期を同じくして先生と巡り合ったのもご縁である。それを周りに気が付かせず、活動されたことに頭が下がる。今思うと、先生の言葉に節々にそのことを示唆しておられたが、鈍感な私は気が付かなかった。それが悔いである。

 義子先生とご縁ができてから、多くの良きご縁に巡り合わせて頂いた。別れの悲しみよりも、義子先生とのよきご縁に出会えて感謝です。出合いがあれば、別れがあるのが、この世の無常。よき出会いであるほど、悲しい別れである。河村義子先生(戒名「聖観院教音義愛大姉」)のご冥福をお祈りします。合掌。

 

下記は田中重勝さんの弔辞

 

弔辞

 

義子先生

こんなにも早く、悲しい別れの言葉を述べなければならないなんて、とても残念でなりません。

大垣市スイトピアセンターの音楽堂をこよなく愛した義子先生。

私が文化事業団事務局長の時には、音楽の専門家としてサポートをお願いしたところ、快く文化事業団アドバイザーを引き受けていただきました。

スイトピアをいつもピアノが響き渡っているところしたいとの思いに賛同していただき、ロビーでも使えるピアノを浜松へ購入に行った時は、この子が来たがっていると、小躍りするようにピアノを選定していただきました。

また、文化ホールと音楽堂のスタウェイをオーバーホールした時には、多くの人が演奏した思い出のピアノのハンマーを皆さんにプレゼントすることを一緒に考えていただきました。大垣市民病院でも、ロビーコンサートでのピアノを購入していただくよう一緒にお願いをしてきました。どれも義子先生に選んでいただいたピアノが設置されています。

また小さな子ども達にも本物の音楽を聞かせたいとの願いから、かすみの会の活動の一つとして保育園コンサートを続けておられたました。子ども達に夢を与えるこうした事業を文化事業団の芸術の贈り物事業として取り組む事とした時には、教え子達を次の指導者に育成するプログラムを加えるなど人材育成に余念がありませんでした。

さらには、小さな子どもにもクラシックをとの思いから、クリスマスコンサートを音楽堂や文化ホールで行っていただきました。しかもこれまで行ったことのない飲食を伴うもので、音楽を聴いてお菓子を食べ、ジュースをのみ、また音楽やバレーを楽しむものでした。文化ホールでは、ロビーでキャラメルポップコーンを楽しむこととしたため、ロビー全体がキャラメルの匂いと子ども達の歓声に包まれることとなりました。こんな事が出来たことを楽しい思い出として何回も何回も聞かせていただきました。

こうした子ども達を育てようという活動の中で、子と音の立ち上げ、子と音キッズへと発展させ、次の世代への橋渡しもなされてきました。

私が文化事業団事務局長を辞したのち、世界で一流と言われた演奏家の招へいと子ども達に本物の生の演奏を聴かせたいとの願いを受けて、世界で一流の音楽を楽しむ会を立ち上げ、多くの企業の方にも応援していただいてあしながコンサートを開催してきました。このコンサート後の感想文集には、子供たちの感動があふれており、開催してよかったと一緒に喜びあいました。

本年の2回目のコンサートでは、途中から病により入院を余儀なくされ、手術の前日で、苦しいなかでプログラムを作成していただくこととなってしまいました。しかもコンサートを聴いていただくこともできませんでした。しかし、感想文集を届けたときには本当に喜んでいただくことができ、ホットしたところです。

先日、病室に伺ったときには、来年9月に予定の3回目のコンサートについて、輝くばかりの目でお話をいただきました。演奏者としてヘンシェルはどうかと言って、早速メールをされましたので、私は東京芸大の澤学長にプロモーションをお願いする手紙を出しました。

でも、ヘンシェルから9月は無理で十一月ならとの返事に、それまでは私はもたない! 重勝さ―ん とメールで言ってこられた義子先生。

あまりにも早い旅たちで驚いています。

音楽を通して人を育てる夢に全力で立ち向かわれた義子先生。

いま、どんな音色の中におられるのでしょうか。ブラームスと六段の調べをきいているのですか?

多くの教え子達の心には、素晴らしい音色が刻まれ、音楽とともに生きる力が育っていくに違いありません。音楽は心の糧です。

成長する教え子の皆さんの姿を見守り続けてください。

義子先生本当にありがとう!

 

平成三十年十二月二十七日

 

世界で一流の音楽を楽しむ会

田中重勝

2019-01-04   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 3日 (木)

磨墨知594. 禁初詣、初詣も叶わぬ哀しみ

 神仏は365日24時間営業です。有名な神社仏閣は、正月三賀日は超混雑で、参拝には多大な時間ロスが発生する。それを避けるのが時間創出である。それより家で神社の方向に向って一年間の無事のお礼の拝礼をした方がよい。初詣に行くなら三賀日を避けてお参りすればよい。その浮いた時間で勉強・仕事をすることだ。それが世のためになる。

 

神様だって忙しい

 なにも神様が超多忙な時に、初詣に行かなくてもよい。神様の身になって考えよう。芋を洗うような雑踏の中では、静かに反省とお礼が言えない。神様だって、以前は人の子なのだ。芋を洗うような振る舞いに呆れている。

 三賀日でも、混雑の少ない時間帯を選べば、超混雑でロスする時間が激減する。そうやってお参りして、人生を豊かにして、人より多く稼げるようになれば、お賽銭も多く奉納できる。そうすれば神様は喜んでくれる。神社仏閣の設備の維持更新にも多くのお金を寄進できるのだ。

 その昔、元旦に熱田神宮に初詣の参拝をしたが、入り口の鳥居を通って、拝殿まで辿り着くまで1時間を要した。大事なご先祖から頂いた時間(命)を浪費して、今にして神様に対して申し訳ない気がする。

 

宇宙の法則を捻じ曲げ?

 初詣に行ってお願いさえすれば、それが叶うと思っているのは愚かである。そんな極楽とんぼのような考えで、願いが叶うわけがない。この世では、死に物狂いの努力をして、棒ほど願ってやっと針ほどしか願い事は叶わない。

 神仏に祈ることは、自分を謙虚にして、ただ感謝の表明と自分の決意表明だけなのだ。生きている事さえ稀なのだ。生きているのではない。生かされているのだ。

 それなのに、感謝以外に、押しつけのお願いのため初詣だけ神仏に手を合わすのは不遜である。それで願いが叶えば、全宇宙のニュートン、アインシュタインの法則を捻じ曲げてしまう。それを僅か10円のお賽銭で、あれもこれもなんて、お笑いである。逆に罰が当たりますぞ。

 

生産の平準化

 トヨタ生産方式では、生産の平準化が原則である。それが無駄を省き利益を生む。日頃、神仏に足を向けず、世間体とお願いごと生産で三賀日だけお参りするのでは、人生のご利益は少なかろう。日頃から神仏に手を合わせ、お参りしていれば、三賀日はお参りを無しにしてもよい。

 

師の最期の教え

 1分間、拝殿までの行列に並ぶと、100円のロスである。初詣はその1分の何十倍もの時間がかかる。初詣の時間ロスが勿体ない。その分の己に課せられた使命・天命に使う時間が無くなるのだ。時間は命である。命を使うと書いて、「使命」である。使命に反した効率の悪い時間を使ってはならない。己に与えられた時間は、もう残り少ないかもしれないのだ。いくら頑張っても後40年は生きられない。

 「貴方も何時か死ぬのですよ」。それが河村義子先生の最期の教えであった。義子先生は、人生の残り時間を人の3倍も4倍ものスピードで走り抜け、現役のまま斃れられた。河村義子先生は、私が12月9日17時に届けた12月8日の米原バレエ公演「白鳥の湖」ビデオを、病床で見ながら、12月15日の大垣公演のために、最後の音楽監修をされた。

 河村義子先生がそのビデオを見て、弟子の小林朱音さんは義子先生から感想や最後のご指導を受けた。義子先生は、「素晴らしいよ」と泣いて喜こばれ、小林朱音さんは「師匠に少しは恩返しができた」と感涙である。

 12月16日、義子先生は再入院され、帰らぬ人となった。再入院の連絡をされたメールでは、穏やかな文面でそんな気配はみえなかった。少し落ち着いてからお見舞いと思っていたら、12月25日の突然の訃報で茫然自失である。

 その後ろ姿が、弟子への生きる教えである。義子先生は、62歳の初詣に行けなかった。2018年12月25日、7時33分寂滅、享年61歳。

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 2018年12月8日 米原 ルッチプラザ ベルホール310 「白鳥の湖」

 オデット:高木美智子  王子:都築空良  ピアノ:小林朱音

 林葉子バレイアカデミー

 

 12月26日のお通夜の席で、魂友の天野千恵さんが、義子さんの鎮魂と追悼のために「G線上のアリア」をバイオリンで奏でられた。天野さんは棺に横たわる義子先生の顔を見ながら、語りかけるようにその荘厳な調べを内藤先生の電子ピアノと一緒に奏でられた。横で聴いておられたご主人は目頭を押さえてみえた。私はそれを至近距離で見ていて目頭が熱くなった。写真は控えます。

 

「人生の本」の執筆者

 今年の元旦の朝、目が覚めて、最初に目が行ったのは、下記の馬場恵峰先生の軸であった。2年前に手に入れた軸である。いつも私の寝室に掲げているが、今まではあまり意識して見ていなかった。今回の河村先生の逝去の関係か、魂の周波数がそれに共鳴して、目が釘付けになった。

 何時、我々の命が無くなっても不思議ではない。東日本大震災のような災害が来れば、明日の命もわからない。病魔が襲うかもしれない。だからこそ、時間(命)を惜しんで、自分の天命・使命のために時間を使うのだ。その過程が、自分の人生の本となる。河村義子先生は、最高の「人生の本」を遺してくれた。合掌。

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 馬場恵峰先生書 

 

2019-01-03     久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 2日 (水)

聖観音菩薩の慈愛

気新光照

 気を新たに、師の教えの光に照らされて、道を歩く。

 いつまでも落ち込んでいては駄目と自戒のブログを書いている。河村義子先生の遺言は「湿っぽいお葬式はイヤ。音楽で明るく送って欲しい」でした。師のように社会を明るくする貢献を全力でしてこそ、それが師への恩返しだと思う。河村義子先生との別れは辛いが、それよりも、そんな尊い義子先生とのご縁に出会い、ピアノレッスン、演奏会の写真撮影、演奏会のお手伝いの関係で、師の最後の5年間を共に過ごせたことを喜びとしたい。

 

院号

 師の戒名は、「聖観院教音義愛大姉」。観音様のような義子先生に相応しい戒名である。戒名の前に付ける院号とは、導師が故人のために建てる来世でのお寺の名である。そのお寺で佛になるべき精進を続けなさいとの引導である。院号は生前の業績に相応しいお寺名をつける。河村義子先生にピッタリの院号である。院号は金儲け主義のお寺なら、誰でも金で買えるが、厳格なお寺では、お金を積んでも相応の業績がないと院号を付けてもらえない。それから見て「聖観院」とは高貴な院号名である。「聖観音菩薩」の観音様名からとった名前である。

 2011年、当家に納佛された大佛師松本明慶師作の佛像が「聖観音菩薩像」である。私が61歳の時で、その2年後に河村先生との出会いがあった。河村先生の享年は61歳。河村先生は、私の中学の英語の先生である内藤信吾先生の娘さんである。今回の葬儀の場で、内藤信吾先生の奥様に初めてお会いできて、何か因縁を感じた。

Img_32292 聖観音菩薩像  楠 1尺

 大仏師松本明慶師作、絵仏師岩田明彩師の眼入れ

 

戒名

 戒名は、本人の名を一字とり、生前の活動に相応しい名前を付ける。故人は引導する導師の弟子となり、来世で佛道に精進するため授ける名が戒名である。河村先生の戒名は、「音を教え、愛に義を奉じた」という名前である。「大姉」は敬称で、「信女」より格が高い。この戒名は、変にうがったところがなく、そのまま生前の人柄が偲ばれる素晴らしい戒名です。

 

義子先生の遺徳

 平成29年5月26日より始めたブロブで、昨年末(585日間)で累計閲覧総数55,700余回、記事総数987通になりました。師が寂滅されて7日間、ブログを休みましたが、その訃報のブログ1通だけで、過去最高の閲覧数を記録して、改めて故河村義子先生の遺徳の偉大さを感じました。故河村義子先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

補足説明

 「気新光照」は、2011年12月10日、馬場恵峰先生に年賀状の雛形を書いてもらう時に教えてもらった言葉です。当時、3月11日に東日本大震災があり、日本中が沈み込んでおり、その翌年の年賀にお祝いの言葉「謹賀新年」では、はばかれたのです。

2019-01-02 久志能幾研究所 小田泰仙

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