「知情意」を活かす
人生成功の秘訣は、切り替えを早くすること。何時までも愚痴っていてはダメ。それを「智慧がない」という。智慧ある人はグズグズしない。人生はいつもルンルン気分の時ばかりではない。不遇の時でも、愚痴を言わず、早く気持ちを切り替えよう。その不運は、いつまでも続かない。
心豊かな人は無理をしない。ジックリと見ていく心がある。それが情である。情とは「忄(心)」が「青い」と書く。つまり心が青春である状態である。心が青いから、余裕があり、感受性が豊かなのだ。「怕」とは「心」が老人のように「白く」なって、恐れている状態を示す。心が老化しては、感情は動かない。
何ごとも「有意」で事に当たる。「無意識」で行動してはダメである。どんな状況でも、どんな些細なことでも、真剣に「意」を込めて事に当たる。無意識にやってはダメなのだ。
馬場恵峰師の知己塾(2006年12月2日)での言葉を編集・加筆。
西洋人と日本人の差
「知情意」とは「知性」、「感情」、「意思」の意味で、哲学者カントが提唱した言葉と言われる。人間はこの3つのバランスの上で動いている。西洋人は、知と論理構成を優先して動いている。テクニカルライティングもその技法は、論理構成が主体である。それが発展してAI技術となっている。
ところが日本では論理構成より情が優先される場合が多い。その「情」には義理、徳、恩義、情熱、悲情が含まれ、人は論理だけで物事を処理しているわけではない。
人に頼み事をお願いに行って「君の言うことはさっぱり分からないが、私は君が好きだから、賛同してあげる」と支離滅裂な展開になることがある。
私は会社時代では、この論理性を最優先にして仕事を進め、文書で相手を説得してきた。しかし私の文書は、冒頭に結論を単刀直入で書くので「君の書く文書はキツイ」と敬遠され、仕事が理屈通りに行ったわけではない。
「日本人だから“情”を大事にして何が悪い。ものごとは論理だけではない」と暗に煙たがられてうまく行かないことが多かった。要は、「俺はあんたが嫌いだ。言うことの理屈は合っているが、賛同できない」である。ミシガン大学で学んだ論理構成の無力さに途方に暮れた。
コミュニケーションは相手に合わせて、その論理構成を変える必要があるようだ。コミュニケーションとは意思の伝達である。文書で当方の意図は「伝」はされても、実際の相手の心に「達」するのは難しい。日本では、それには「情」を付加することが必要のようだ。だから私は文書に人格を込めて、その「情」以上の価値を込めるように心がけている。
2020-05-04 久志能幾研究所通信 1566 小田泰仙
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「4月27日の小川敏大垣市長の動静」として「午前10時 市PTA連合会新役員があいさつ」とある。それもこの日は、この予定だけである。
なぜこの非常事態の時期に、緊急でもない市PTA連合会新任役員の挨拶なのか。あたりさわりのない挨拶を交わして、どういう付加価値を大垣市に与えるのか。この挨拶行事は、市長の執務時間を盗んでいる。
「不要不急の用を止めよ」と岐阜県が非常事態宣言を出しているのに、大垣市の行政の長である小川敏が率先して破っていては、世話はない。岐阜県は緊急事態宣言でなく、非常事態宣言なのだ。市民が新型コロナウイルスという見えない敵と戦っているのに、小川敏はノー天気、非常識である。
同じ西濃欄の記者ノート『伝えるべきこと』で、柴田洋希記者は「ウイルスという見えない敵との戦いは長く続く。広い心を持って臨みたい」と書いている。
小川敏は目先の狭いことしか目に入らないようだ。小川敏には危機管理意識が欠乏している。小川敏は、この日は、この行事以外に何をやっていたのだ。これこそ大垣没落の象徴である。
2017年11月4日に大垣市で起きたドローン墜落人身事故での大垣市役所の無責任体制から何も変わっていない。小川敏が大垣市行政組織に危機管理室を新設しても、「形作って魂入れず」である。大垣市新市庁舎の危機管理室の隣は、市営墓地と犬の届け出窓口である。小川敏の甘い考え方が推して知るべし、である。
大垣市新市庁舎
2020-05-04 久志能幾研究所通信 1564 小田泰仙
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人の上に立つということは、真っ白な衣を着て、ぬかるみを歩くようなものだ。泥を撥ねまいとして、一歩一歩細心の注意をして歩く。その繊細さがなければ、その団体は知らず知らず堕落していくのだ。 (P363)
神渡良平著『一粒の麦 丸山敏雄の世界』致知出版社
私の管理職としての反省
私も会社時代、管理職として出世欲があったせいで、つい良き意味での暴走をしたこともあった。堕落をしたわけではなく、功名心、正義心を出し過ぎて失敗した。これは正しいことだと全力で前を向いて突走っていて、ふと後を振り返ったら、誰も付いてきていなくて愕然としたことが多々あった。それは会社が要求する理想と現場が乖離していたのが原因である。私はその失敗から、経営学と人間学の勉強にのめり込んだ。
一人の中間管理職がいくら頑張っても、会社は動かない。実務を動かすのは社員である。方針決定は社長である。全員がその気にならないと、業務改革は進まない。
支配欲
中間管理職でも、人はつい人を支配したいという欲にかられる。人を支配する心の動きは、競争心であり、創造の力ではない。それでは人を動かせない。会社や社会を変えるのは人である。世の中は正しいことが、常に通るほど単純ではない。もっとドロドロした世界である。それを体験したことが良き経験である。それで智慧が付いた。
綺麗ごとだけでは、世の中を渡れない
私が管理職として心がけたことは、不正に手を染めない事だ。後日、仕事の身体検査をされ、不正が露見することは恥であり、絶対に避けねばならぬ。不正だけは絶対にしてはならない。これだけは自負を持って取り組んだ。逆にその正義感から、会社生活では、足をすくわれた。皮肉なもの。会社はそんなに綺麗ごとばかりでない。
正しいことが、常に正しいことではない。ハーレムで泥棒をしてはいけないと叫んでも、狂っていると思われるだけだ。ハーレムでは泥棒をしないと生きていけない。
人殺しは犯罪だが、国家間の戦争になれば、真面目に人殺しをしなくてはならない。戦争では人殺しは正義となる。一人を殺せば犯罪だが、10万人を殺せば、英雄である。東京大空襲・日本大空襲を指揮して非戦闘員100万人を虐殺した。米軍の将軍は、戦後、日本から勲章を授かった。昭和天皇は、その授与式を拒否された。本人も言う。「米国が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と。
小川敏の市長としての立場
小川敏の大垣市政を見ていて、とても小川敏の行動が上記の「人の上に立つ」というレベルとは思えない。彼にあるのは、支配欲と名誉欲だけである。私は過去の経験に照らして小川敏の心境がよく見える。
下記はその堕落だらけの状況である。これでは大垣市の没落も必然である。大垣市の復活には小川敏のリコールが必用である。
小川敏市政の堕落
ドローン墜落人身事故で責任放棄して逃走
行政の予算使用用途のマル秘条令を制定
市制100周年記念行事の不明朗会計
市制100周年記念行事の会計報告がマル秘
元気ハツラツ市での会計報告なし
岐阜県下一贅沢な新市庁舎建設
それと対照的な大垣駅前の極貧ビル群
その上で、金が足りないと寄付を募集。恥さらし
岐阜県下一給与の高い大垣市役所職員
それでいて、児童生徒一人当たりの教育費が県下最低
なおかつ、教職員の給与が県下最低
大垣市長5選。無投票当選で連続3選。
対抗馬が出れないように、大垣財界に事前工作
長期政権で腐敗しなかった例は歴史上にない。
19年間に及ぶ独裁政治で、役人がヒラメ病状態になっている。
その弊害に気が付けば、5期も市長の座に座るのは狂気である。
ヒラメになれば不正も見て見ぬふりをするようになる。
ヒラメ病症候群は、新型コロナウイルスのように職員に蔓延する。
19年に及ぶ小川敏独裁政治では、何を提案しても却下される。
あるのは予算カットだけ。
大垣は日本と同じでデフレ経済に陥っている。大垣没落である。
諦め病ウイルスが、大垣市職員に蔓延している。
馬場恵峰書
2020-05-03 久志能幾研究所通信 1564 小田泰仙
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死んでもいいけど病気にならない。
病気とは、人生航路での事故である。
生死は神様の管轄範囲、事故・病気は人間様の管轄範囲である。
事故・病気で死ぬのも運命。
死ぬとは此の世でやることが無くなり、神仏に召されたのだ。
そうでないなら、此の世でやることが残っており、死に物狂いで使命を達成するため生きねばならぬ。
事故とは
事故・病気ほど時間を無駄にするものはない。
首相の乗る飛行機が事故に会った例はない。
事故は心がけの怠慢からで起きる。構えないから、事故になる。
危機管理の意識をしていないから、事故になる。
再発防止をしないから、事故になる。
神仏を敬わないから、罰が下る。
親の死の原因を考えないから、同じ病気になる。
事故は神仏からの警告である。
1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する。
ハインリッヒの法則
傷害を伴った災害を調べると,傷害は伴わないが類似した災害が多数発見されることがよくある。潜在的有傷災害の頻度に関するデータから,同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害のうち,300件は無傷で,29件は軽い傷害を伴い,1件は報告を要する重い傷害を伴っていることが判明した。このことは5000件以上について調べた研究により追認されている。 重い傷害とは保険業者や(米国の)州の補償委員に報告されたものをいい,軽い傷害とは応急手当だけですむ擦り傷や打撲等をいう。傷害を伴わない災害とは,人間や物資,光線などの移動(スリップ,転倒,飛来,吸入等)を伴う計画外の事象で,傷害や物の損害の可能性があるものをいう。報告のある傷害(重い傷害)のうちの大多数は死亡事故や手足を切断したような大事故ではない。全部が休業を伴うものでもなく,補償金の支払いを必要とするものでもない。傷害を伴うにせよ伴わないにせよ,すべての災害の下には,おそらく数千に達すると思われるだけの不安全行動と不安全状態が存在する。--H. W. ハインリッヒ、D. ピーターセン、N. ルース(著)井上威恭(監修)、(財)総合安全工学研究所(訳) 『ハインリッヒ産業災害防止論 海文堂出版(株) 1987年(昭和62年)9月 2版 ISBN 430358052X p59-60』
この項、wikipedia「ハインリッヒの法則」より
2020-05-03 久志能幾研究所通信 1563 小田泰仙
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道を間違えたことに気が付いて、そのまま間違った道を進むのは、人生で最大の過ちである。人生で最大の時間喪失である。道を間違えたことに気が付いたら、直ぐに引き返そう。メンツの問題など些細なことだ。
朝令暮改、君子豹変で人生を歩もう。
優柔不断が時間創出の最大の敵。
人生経営とは、臨機応変に対応すること。
・・・なのに、どうして中止しないのだろうか? どうして諦めないのだろうか?
答えは決まっている。慣れ親しんだこと、波風を立てず痛みを生まないことに、何時までもしがみ付いていた方が楽だからだ。
アメリカ独立宣言の一節に、こんな警句がある。「全ての経験が示しているように、慣れ親しんだやり方にしがみ付くために、あらゆる害悪に耐えるだけ耐えるというのが、私たち人間の性というものだ」
行き止まりに出会ったら、引き返す勇気を貴方は持っているだろうか?
セス・ゴーディン著『ダメならサッサとやめなさい!』マガジンハウス p64
2007.12.31
私の君子豹変
私はインプラントの手術を決断して、手術2時間前に取止めの決断をした。そのまま手術を受けていれば、大変なことになるところであった。その経緯は本ブログのカテゴリー「ma_経営診断♠インプラント」を参照ください。
小川敏の不決断
大垣市の元気ハツラツ市を、やればやるほど大垣駅前商店街の営業妨害になり、却って大垣駅前商店街の衰退を加速させていた。それが10年間も継続された。結局、小川敏は、毎年1千万円、10年間で1億円を投入して、大垣駅前商店街を叩き潰した。それで大垣駅前商店街の80%の店が閉店した。大垣駅前商店街はパンデミック状態となった。
小川敏は知識とプライドはあっても、智慧がない。儲かったのは、その行事に取り入って甘い汁を吸った輩たちだけだ。なにせ公共の金を使って、会計報告がない。
もし小川敏が本気で大垣をよくしようとするなら、小川敏に引き返す勇気があったら大垣はここまで没落しなかったはず。しかし彼にはその勇気がなかった。反面教師としてよきサンプルである。
2020-05-02 久志能幾研究所通信 1562 小田泰仙
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夢を語れない人はリーダではない。
夢を語ってビジョンを出していくのが、リーダ優れた資質だ。
堀紘一の経営者十番勝負⑧ 『週刊朝日』1997年10月31日号
私の夢への挑戦
私は自身を構成する37兆個の細胞を運営する主人公で、その経営リーダである。自分はご先祖様のDNAを受け継ぎ、ご先祖様の期待を背負い、現代を走る代表選手として生かされている。生きているのではない。生かされた自分の使命を自覚して、利他の精神で活動している。
自分の夢を見て、人に夢を語り、日々、一歩でも、0.1歩でも前進する取り組みをしている。新型コロナウイルスの緊急事態宣言が出ようが出まいが、やることが山積で、おちおち死んでなんかいられない。「外出自粛、自宅待機で、やることがない」と言う人が信じられない。
小川敏は夢を語る能力がない。リーダ失格である。
小川敏は、市長として大垣の夢を語る能力がない。彼は左脳だけが発達している。彼の50年前は、記憶力だけは良かったから最高学府に進学できたが、知恵が必要とされる実社会では使い物にならない。彼は創造的な夢を語れない。彼には夢がないから、彼の顔に笑顔がない。だから大垣の未来は暗い。だから大垣は没落した。
私は、小川敏からその夢を聞いたことがない。小川敏の語る公約は、夢のレベルではない。小賢しいオリコウさんでは、夢を語れない。その公約さえ守れなかった。
悪夢
小川敏は夢として、市民に「安心安全を」を公約した。「安心安全を」は市長としての当然の責務で、できて当たり前である。
その小川敏は、夢どころか悪夢を見させてくれた。ドローン墜落人身事故、その責任逃れ不祥事、室村町アンダーパス水没事故、市庁舎の非常用電源なしの露見、元気ハツラツ市で園児虐待等である。
小川敏は、夢として「子育て日本一」という大嘘をついて、児童生徒一人当たりの教育費を県下最低にした。子供の教育で最大の功労者の教職員の給与を県下最低にした。その財源を自分たちの懐に入れてしまった。大垣市の市民は、子供に夢を託せなくなった。
小川敏は夢として「元気あるまちづくり」と言いながら、大垣を県下最低の商業地に落としてしまった。大垣は投資に値しない街にしてしまった。地価を半分に暴落させた。大垣市民は夢も希望もなくしてしまった。小川敏は、大垣駅前商店街に「中性子爆弾」を落として、80%の店が閉店するというパンデミック(感染爆発)状態にした。大垣駅前商店街は幽霊通りになってしまった。汚川から発する衰退病原菌で大垣の産業は爆発的感染汚染である。大垣駅前商店街の従業員8,000人が、夢も希望を無くして、大垣を去った。
「大垣市未来ビジョン」で見る地獄
小川敏は、「大垣市未来ビジョン」を作ったが、これはお役人の縦割りの行政機能で各部署に作らせた「お作文」である。当たり前を絵に描いた餅である。お役人が、今の延長線上で出来なくても責任を問われれないように書いた絵である。腐った餅である。フルカラー版の143頁の「お作文集」を作っただけ税金の無駄遣いであった。今が正常な政治が出来ていないのに、未来が創造出来るはずがない。
副タイトルが「みんなで創る 希望あふれる産業文化都市」とある。小川敏が勝手にこの冊子を作った。小川敏の19年間の悪政で、大垣が衰退した。公示地価は暴落し、産業は衰退し、文化は衰退し、児童生徒一人当たりの教育費は県下一最低になり、未来の希望が無くなった。
「大垣市未来ビジョン」の冊子 フルカラー版の143頁
今が衰退の一途なのに、こんな未来があるわけがない。
ロボットに支配された大垣なんぞ、不気味である。
ロボットのように感情の無い小川敏には、夢も情熱もない。
馬場恵峰書 2014年
2020-05-02 久志能幾研究所通信 1561 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
小林恵智著『ツイている人になる“未来4行日記”』青春出版社
自分の場合
幸せになるために、自分を客観的に見よう。過去の私には、その観点が足りなかった。
頼むより頼まれる人となれ。貴方がいなくては困るという人になれ。今、そうなるように精進中です。
時間は命。他人の時間も命である。他人の時間も大事にしよう。これこそ、私の信条である。それで自著『時間創出1001の智慧』が生まれた。
不機嫌な仏頭面では、門にドクロをぶら下げているようなもの。意識して笑顔を見せよう。顔は人生劇場での己の性格を表す最大の衣装である。顔を見れば、その人間の心が見える。
私の過去のスナップ写真を見ると、結構、苦み走った顔をして写っているケースが多い。昔は構えていて、自分の弱みを見せまいと壁を作っていたのだと、今になって反省がしきりである。壁を作るとは、弱いのだ。ベルリンの壁、ソ連の鉄の壁等は、虚弱な共産主義経済圏を守るためにあった。それこそ弱さの表明である。
大垣市の小川敏の場合
下記の様な小川敏が市長では大垣市が没落して当然。良き反面教師である。
小川敏が市長である限り、大垣に幸運はやってこない。
1 立場
小川敏は寄付の依頼ばかり。伝聞では、小川敏は頭を下げるのが大嫌いのようだ。人を見下して、命令ばかりである。
小川敏は、自分のために施策を行っている。市民にはピント外れの事ばかり。大垣市の地価は暴落だが、それでいて大垣市の税金は高い。
2 頼み事
小川敏は園児に灼熱地獄の「元気ハツラツ市」への出演依頼ばかり。依頼ではなく、行政命令である。幼稚園の園長先生は、小川敏に人事権と予算で縛られて拒否できない。
市民への寄付を募集が頻繁にあるなど、市長として醜態である。寄付は自発的な行為で募集するものではない。
3 時間価値
小川敏は無駄な行事、下らない挨拶で、市民の時間を奪っている。
小川敏は、大垣を没落させ、市民の不動産財産価値を暴落させた。両親が汗水、時間をかけて貯めた金で買った不動産財産を破壊した。不愉快極まりない。
4 仏頭面
小川敏の不機嫌そうな仏頭面では、玄関にドクロをぶら下げているようなもの。小川敏は滅多に笑顔を見せない。市民は不愉快である。
この顔で19年間も君臨すれば、大垣が没落して当然。
寄付を受け取る小川敏。 岐阜新聞 2020年3月12日
寄付を下々から受け取ってやるのだ、という尊大な顔である。下々に寄付をさせても、ニコリともしない。
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福沢諭吉著『学問のすすめ』から
第17編 「人望論」 顔つきをあかるくすること
「人の顔色は、いわば家の門口のようなものだ。広く人に交わって自由に客を引き寄せるには、まぜ門口を開放して、玄関を掃除し、ともかくも人を来やすくすることが肝要であろう。
人に交わるのに、顔色を和らげようともせず、かえって偽善者の風を学んで、わざと難しい顔つきをみせるのは、家の入口に骸骨をぶら下げ、門の前に棺桶を据え付けるようなものだ。」
当時の日本の人口が約3千万人の時、400万部売れた。今に換算すると1200万部の超ベストセラーである。
馬場恵峰書 2006年
2020-05-01 久志能幾研究所通信 1559 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。