2020年8月 9日 (日)

危機管理16 『チーズはどこへ消えた?』(1/2)

 スペンサー・ジョンソン博士著『チーズはどこへ消えた?』(2000年 扶桑社880 円)がベストセラーになった。話はたわいない内容であるが、現実には深刻な人間の性を寓話的に描いた作品である。ある迷路に 2匹のねずみと 2人の小人が住んでいた。そこに美味しいチーズがあり、満ち足りた生活をしていた。ある日、そのチーズがなくなる時が来た。その時の4者(匹?)の対応ぶりのお話である。ここで登場する「チーズ」とは、我々が人生で求める仕事、家族、財産、精神的な対象の象徴である。「迷路」とは我々の幸せを求める場所、仕事場、家庭の象徴である。登場する2匹のねずみと2人の小人は我々の性格を象徴している。チーズが消えた時、自分ならどうするかを自問自答して読む哲学書でもある。

 

この物語の教訓

 変化は起きる   チーズはつねに持っていかれ、消える

 変化を予期せよ  チーズが消えることに備えよ

 変化を探知せよ

   常にチーズの匂いをかいでいれば、古くなったのに気がつく

 変化に素早く適用せよ

  古いチーズを早く諦めれば、それだけ早く新しいチーズを楽しめる

 変わろう     チーズと一緒に前進しよう

 変化を楽しもう

   冒険を十分に味わい、新しいチーズの味を楽しもう!

 進んですばやく変わり再びそれを楽しもう

          チーズはつねに持っていかれる

1

 スペンサー・ジョンソン博士著『チーズはどこへ消えた?』(2000年 扶桑社880 円)

 

警告の書として

 会社は放置すると死んでしまう。そんな厳しい現実を、形を変え、たわいもない寓話にしてのが『チーズはどへえ消えた?』である。今、企業は生き残るため、従業員の意識改革と教育に必死である。必死でない企業が倒産している。そんな背景もあり、この書は米国の多くの有名企業(*) の教育用テキストとして使われてベストセラーになったようだ。今ある状態が永遠には続かない、今の本業がいつかは成り立たなくなるときが来る。その時にどうするか、その時の各人の生きざまがこのお話しの中でたとえで語られ、そこに登場する4者(ねずみと小人)のどれに自分は当てはまるかを自問自答させられる厳しい物語でもある。

 赤字の会社・事業部・部門・個人(赤字の人生)は、変化が来るとは思わず、変化を一時的なものとしてしか認めず,変化を怖がり、安全な場所で今までどおり働きたいと思い、変化をしようとする人の足を引っ張る人や体制が多いし、体質がそうなっている。少なくとも黒字の会社と比較するとそういう傾向が多い。だから、この書を警告の書として世界の企業のトップは読めと勧めている。たぶん変わらない部下にイライラしながら。なにせ大前研一氏は「35歳から50歳までの社員は企業内の不良債券だ」とまで極言している。そんな意見がでるのもそれなりの根拠があるはずだ。本当に著者が伝えたかったのは「変化を恐れるな、変化を楽しみなさい」である。それが出来ない人が不良債権となり、会社を危機状態に陥らせるのです。

 

*:シティーバンク、エクソン、イートストマンコダック,ジェネラルモータース、グットイヤー、マリオット、モービル、オハイオ州立大学、ゼロックス、教会と病院、政府機関、米軍等で活用(他15社名が記載)

   (この情報は邦訳本には記載されていない。原書のみの情報)

 

経営者の本音

 この物語は、かっての高校のクラスメートの一人マイケルが自分の会社の仲間に配ったお話として語り、その後に、この話の聞かされた元クラスメート達による静かな熱い議論がある。ここからが経営者の本音の部分である。そこで私が注目した重要な現実(変化しない自分)とシリアスな発言(変化しない人は解雇)があった。

 

変化しない自分

 ビシネスウーマンのローラが疑問を投げかけた。「変化を恐れている人はどれくらいいるの?」と、その場のかつてのクラスメートに挙手してもらった。しかし、たった一人しか挙手しなかった。で、「自分以外の人は変化を恐れていると思っている人は?」との質問に変えたら、全員が挙手した。つまり自分では気づいていない。認めたくないという現実がある。この種の教訓は品を変え形を変え我々に教訓という苦い薬を提供してきた。それはいかに人間が変われないかの証明でもある。また、変わったつもりでも、回りからは変化してとは見えないという事実でもある。その格差に気づいてほしいのである。

 

 私が受けた某経営者セミナー(2000年頃)で、我々はリーダーとして、また経営者として変わるつもりで、参加したのだが、実際は少しも変わっていない自分との出会いがあった。その出会いに気づいただけでも自分を褒めてあげたい。普通の人はそれさえ気づかない。

 

変化しない人は解雇

 変わらなかった人に対しては、どうしたのだという質問が飛び、「辞めてもらうしかなかった。全員働いてもらいたかったが、我が社が急激に変わらなければならない状況で、そうしないと全員が困る状況に陥るからだ」と、マイケルは苦渋に満ちて告白した。米国企業のトップがこの書を勧める本音がここにあるような発言である。我々がリーダーや経営者の意識で、これらの4者の人達を俯瞰的に観て、組織を運営していかねばならない。しかし危機状態でも変われない人達がいる、その現実を知ることである。ここに組織の縮図がある。あなたが4者の上に立つリーダーなら、どういう運営をするかの命題としても読める「楽しい」大人のファンタージーである。これが楽しく読めなければ、あなたはヘムである。リストラを覚悟するか、意識改革をしなくてはなるまい。

 

10年間で8割が倒産

 日本には約3,000 万社の中小企業が存在するが、10年間で8割が倒産する現実がある。残るのはたった2割である。これが50年間となると、存続するだけ奇跡と言われる。単純に確率計算をすると,0.2 の5乗は0.00032 である。確率的に3,000 社に1社しか生き残れない。

 大企業でも、普通は企業の寿命は30年といわれる(2000年頃)。花形産業でもその寿命は30年である。今の技術革新の激しい時代(2020年)は、その寿命は18年と言われる。

 私の前職の会社も創業65年で、市場から名が消えた。その会社を吸収合併した会社も、以前に倒産寸前になって別の大会社の資本が入った。

 兵庫県明石市の人麻呂神社には、50年前に当時の地元の企業100 社が寄進して社の修復をおこなった。坂の石段にその時に寄進した企業名が刻まれている。しかし、当時の企業で現在も存続している企業はたった1社しかない。それもその企業名は確かに残っているのだが、その企業の業態は変わっている。上記の確率から計算と現実をみると、現実の厳しさを実感できる。現在は、倒産しないという神話のある業界や大企業の破綻の噂が目白押しである。

 そもそも寄進とは隠徳である。寄進を行為を石に名前を刻ませるとは売名行為である。名前を刻む作業にも費用が発生して、寄進したお金が目減りしている。トップのそんな傲慢な姿勢が、50年後に企業が消滅する因果を招いたのではと思う。売名行為をする、それは企業が成長の頂点を極め、後は衰退するとの暗示である。

 数百年続いた伝統あるお菓子屋さんがある。そこが生き延びた理由を店主に聞くと、伝統を絶えず時代に合わせて変え来たので、今の伝統が守られているという。伝統を守るには変わらないと守れないのである。それが守破離である。

 

私のチーズが消えた---過去を抹殺して

 私は、前職の事業部の看板商品の開発に、入社以来20年間、開発一筋に携わってきた。ところが人事異動で生技開発室を担当することになり、今までやっていた自分の経歴を否定する技術開発に取り組みを命じられた。自分の過去を抹殺する業務である。今、自動車部品開発で、新工法技術が価格競争とグローバル競争で、求められる技術の一つであるからだ。いつまでも過去の技術にこだわっていると部品事業部の製品が売れない結果となる。私自身、目の前からチーズが消えた現実に置かれた。

 

 当社の看板商品のもう一つが自動車部品事業部の油圧部品である。当時、時代は地球環境保護、省エネ、の流れを受け、電気化のニーズが高まっている。当社の油圧部品は、世界市場シァアで15%の世界第2位であるが、5年後に今の製品の(チーズ)の市場は激減している恐れがある。少なくとも電気化のニーズが高まるのは各種の予想で警告されている。油圧部品市場が激減した時になって、「チーズはどこに消えた?」と狼狽してはなるまい。

 現在、美味しいチーズがいくら大量にあっても、日々どんどん古くなり、減っていく。「ホー」が「新しいチーズは今までの場所ではなく、外にあるのではないか」と考える瞬間がある。それこそ著者が一番言いたかったことなのだ。

 

 この書の著者スペンサー・ジョンソン博士は心理学者である。20世紀は頭の時代で、21世紀は心と魂の時代と言われる。頭だけで考えているだけでは登場人物のヘムとホーのように変化に対応できない。まず行動が必要だ。変化は起きるものとして、変化を予期し、素早い対応が求められる。そうできない企業は破産し、人は破綻する。変化する、変化に機敏に対応する、そうした倒産への防御が危機管理である。そのためには企業は変化し続けなければならない。企業を構成するのは人間である。その人間が変わらないと企業も変わらない。

 

2020-08-09 久志能幾研究所通信 1698   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

連絡 カテゴリー追加「b-図書」

 表記カテゴリーを追加しました。

私の読書感想、図書の紹介です。

 

2020-08-09 久志能幾研究所通信 1697   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月 8日 (土)

危機管理30  あなたの臨終

 死とは、人生で最初で最後の最大のプロジェクトである。その経験を伝えた人はいない。だから希望として、自分の死は悔いのないプロジェクトとして完成させたい。

 私は、自分の臨終を考えて、理想の死にかたを追求している。それが美味しいモノに誘惑されて病気になり、心筋梗塞やガンで死ぬことは避けたい。美味しいモノには毒がある。その毒物がこれほど溢れている時代は人類史上、初めてである。毒と分かっていても、つい手を出してしまう。その誘惑を排除して、心と体の健やかさ(健康)を保って、天寿を全うしたい。理想は老衰死である。それが危機管理である。

 不慮の事故等で死ぬのは、危機管理ができていなかった証である。その事故に遭う確率を少しでも減らして生きたい。身の回りは危険が一杯である。

 天命を全うするため、死というプロジェクトに本気で取り組みたい。それこそ本当の終活である。財産や品物の整理や身辺整理は、些細なこと。そんなことは、後の人がやってくれる。後は野となれ山となれでよい。

 それより何のために生きて、何のためなら死ねるのかを、明らかにすれば死は諦められる。諦めるとは、死を明らかにすること。

 

「詩人の颯声を聴く」

  本気になると

  世界が変わってくる

  自分が変わってくる

  変わってこなかったら

  まだ本気になってない証拠だ

  本気な恋

  本気な仕事

  ああ

  人間一度

  こいつを

  つかまえんことには

 

 これが但馬銀行に掛かっている。谷山さんが掛けられた。その詩でずいぶん救われた人がいる。何故かというと、銀行ですから、破産した人、しそうな人,いろいろ来る。お金借りたいと思って来て、そして、「わしは、まだ本気でなかった」と。「本気でやらなかったからこうなったんや」と。それで、「だから、銀行からお金借りません」って。そして帰ってやり直す。たくさんの人が「本気」で救われました。

 

息をしている瞬間が臨終

 一遍上人は「ただいまの念仏の外に臨終の念仏なし。臨終即平生なり」という。つまり、あなたも私もいま、息をしていますが、その息をしている瞬間が臨終だ。毎時毎秒、 1分 1分が臨終なんだ。今、そういう気持ちで生きている人間がいますか。そこまで徹底して追及した人はいません。一日一生などといいますが,一瞬に比べたら、一日はとても長い。

 一遍さんは息をしているときがすなわち臨終だという。そう考えたら、なんでもできる。人間、いま死ぬんですよと言われて、すると、慌てふためく人もいれば、そうかと考えて、なすべきことを全部しようという人もいます。死ぬ気でやれ、なんていったりしますが、本当に死ぬ気でやったら、できないことはないんじゃないですか。

 

創造する人間

 「老人は早起きだというが、そんなことはない。私が普通の人と同じように遅くまで寝ていたい。しかし、私が普通の人と同じように遅くまで寝ていて、どうして人々の心に光を灯す詩が書けますか。創造する人間は絶えず、危機の中に身をおいてないといけない」

 

著者プロフィール

 四国松山に住まい、

 ひたすら詩作に一道精進を続ける。94歳(2003年1月現在)

 随筆集「念ずれば花ひらく」の著者。

 1980年 正力松太郎賞受賞

 1989年 愛媛県教育文化賞受賞

 1991年 仏教伝道文化賞受賞、愛媛県功労賞受賞

 2006年12月11日 逝去

 坂村真民(聞き手藤尾秀昭)著「詩人の颯声を聴く」より。一部編集。

 致知出版社(2000年) 1300円

 

本気

 「本気」の詩を見てご臨終になる人、生き返る人。自分はどちらであろうか? 今日元気であっても、明日地震で死ぬかもしれない。東日本大震災、阪神淡路大震災のように。明日、テロに遭遇するかも知れない。ニューヨーク貿易センタービルの同時多発テロのように。いつ何時、レバノン大爆発の巻き添えにあうかもしれない。いつ何時、ガンで余命宣告をされるかもしれぬ。癌ならまだ時間余裕があり幸せである。心筋梗塞、脳梗塞に襲われれば、即死状態である。その数は年間20万人余である。

 「今、すなわち臨終」との一遍上人の言葉が、心に重くのしかかる。今を必死に生きない人に明日は無い。それは生きているのではなく、生き長らえていることで、ただ息をしているだけの人生ではないのか。

 私の好きな詩に「本気」がある。本気で物事に取り組んでいれば、道半ばで斃れても、本望である。それは名誉の戦死である。本気でないから、死に臨んで悔いが出る。

 

河村義子先生の本気

 私も1年半前に、余命2年半の余命宣告を受けた(5年後の生存率51%)。計算上は後1年の命である。

 義子先生は、死の5年前にその余命を悟られたようだ。義子先生は、死を明らかにして、諦めて本気で人生最後の5年間を生きた。私はその最後の5年間にご縁があったことに、感謝である。義子先生から、人生のフィナーレの生き方を教えて頂いた。

 

 本気ですれば大抵のことはできる。

 本気でしていると何事も面白い。

 本気でやっていると誰かが助けてくれる。

 人を幸福にするために、本気で働いている者は、みな幸せである。

                       作者不明

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 馬場恵峰書

 

2020-08-08 久志能幾研究所通信 1696  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月 7日 (金)

狂った日経新聞 乳癌の遠因「レモンケーキ」大宣伝

ガン増進団体の広報部が日本経済新聞?

 私は日本経済新聞「夏にさっぱりレモンケーキ」(2020年7月18日付)の全面特集紙面を見て、顔をしかめた。日本経済新聞は狂っている。私はこんな記事を見るために、日本経済新聞を購読しているわけではない。私は、ケーキ類は体に悪い影響を与える毒だと思っているので、食べない。

 テレビや新聞にとって、菓子メーカは大スポンサーだから、それに不都合な記事は絶対に載せないし、放映されない。マスコミは日本人の健康を害する団体である。そう認識して、自分で自分の身を守るしかない。

 

社是に違反

 日本経済新聞社は、報道の本質を忘れて、日本人の癌の原因となる食品の宣伝に余念がない。日本経済新聞社はその社是で「責任ある言論を通じて、自由で健全な市場経済と民主主義の発展に貢献することである。」とあるが、それに反して、特定の業界を過剰に優遇した報道をしている。

 記事「夏にさっぱり レモンケーキ」(2020/7/18)は、国民の健康を無視して、食欲を扇情させる記事である。砂糖は麻薬と同じであり、その過剰な摂取が日本人女性の乳癌発生率を上げている。日本人女性の乳癌発生率はこの40年で3倍になった。そんな記事を載せるのが、報道機関の使命なのか。

 それは何のための報道か? 砂糖、乳製品、添加物を扱う企業の商売拡大である。しかしそれは読者の健康を害する行為だ。社是に反する国賊行為である。

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 日本経済新聞 2020年7月18日

 

砂糖は麻薬と同じ

 肥満の原因は糖分の摂り過ぎである。糖分は依存性があり、麻薬と同じとWHОは定義している。肥満は万病のもとで、癌も糖尿病も誘発する。肥満は癌の死亡率を上げる。5キロ体重が増えると、乳がんの死亡率が1.6倍になる。

 私も40年前の入社当時から30年間で体重が20キロも増えて、それが遠因で癌になったと推定される。私はお酒を飲まなかったが、甘いものは好きでよく食べていた。

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 日経ビジネス 2016.02.08

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 日本経済新聞 2019年10月18日

 

糖尿病

 また糖尿病は癌よりも質が悪い病気である。下手をすれば失明である。人工透析になれば、週に2,3回も透析でベッドに拘束される。白い天井を眺めて無為に半日も過ごさねばならぬ。それで数百万円の費用がかかる。その分、健康な人の健康保険料も高くなる。国賊者である。

 それを助長させる記事は日本経済の破壊行為である。

 

味の極楽ポイント

 食品メーカは、売上させ増えればよいと、「味の極楽ポイント」の開発に余念がない。止められない、止まらない、という味の極楽ポイントの開発にしのぎを削っている。拝金主義の菓子メーカは、国民の健康など知ったことではないのだ。食品メーカは「食の罠」で国民を不幸にしている。日本の癌の急増は甘いスィーツの摂り過ぎにあると思う。自分の体は自分で守るしかない。

 そのスィーツを扇情させる記事は、日本経済の破壊行為である。

 

砂糖という麻薬

 血液の中にはさまざまな有害物質が流れています。それが脳に流れ込まないように血管と脳との間には厳重な関所が設けられています。

 タンパク質、脂肪、糖の三大栄養素のうち、この関門を通り抜けられるのは糖だけです。

 つまり、脳は糖だけを栄養としているのです。そのため甘いものを食べると脳は幸せを感じます。一種の麻薬ですね。

 だからつい甘いものに手を出してしまうわけですが、幸せはたまにあるから良いのです。年がら年中では「麻薬漬け」と同じです。(p73)

 砂糖がたっぷり入った食品、たとえばケーキやチョコレート、アイスクリームなどを口にすると、食べた瞬間はハッピーな気分になり、そのあと眠気が襲ってきます。実はこのとき、血糖値が急激に上がって140以上になっているのです。

 血中の糖分は血管内の内皮細胞を傷つけます。それを修復しよとかさぶたができて動脈硬化を起こすのです。甘いものを食べて血糖値が上がっているときには、タバコ4本分の血管が傷ついていると考えてください。

 また血糖値が上がると、体は脾臓からインスリンを分泌して、糖を脂肪に作り替えます。こうして脂肪が蓄積されます。

 さらに糖分を摂り続けていると、インスリンも絶えず分泌され、脂肪は過剰になっていきます。そうすると、私たちの体はこれ以上脂肪を蓄えないように「飽食」の環境に適応していく。そうインスリンにあまり反応しなくなるのです。

 そうなれば脂肪もたまりにくく、「食べても太らない体」を手に入れることができますね。お気づきかもしれませんが、これが糖尿病です。(p71)

  南雲吉則著『50歳を超えても30代に見える生き方』講談社より

  朱は編者(小田)

 

砂糖依存症

 2008年の研究「砂糖依存症の臨床根拠:砂糖の周期的な過剰摂取に関する行動神経化学的機能」でも、砂糖が脳内ドーパミンとオピオイドに作用し、依存症となる可能性についての臨床根拠が得られており、「乱用」「離脱症状」「渇望」「交差感作」の四つの過程において行動主義的に砂糖乱用が強化因子として作用すること薬物依存との比較を通じて立証された[1]。神経の適合は、ドーパミンとオピオイド受容体の結合、エンケファリンmRNAの発現と側坐核におけるドーパミンとアセチルコリンの放出の変化を含んでいる。

 リーア・アリニエーロは、砂糖依存症とラットの実験について、以下のように述べている[5]。

 近年のラット実験は、砂糖とドラッグの共通点を示している。薬物依存は一般に、薬物摂取の増大、摂取停止からの離脱症状、薬物への渇望と摂取回帰という三つの段階を経由する。砂糖を投与したラットも同様の行動をとった。実験では、餌を与えずに12時間経過してから砂糖水を与えた。周期的な過剰摂取(乱用)によって摂取は増大し、倍加した。餌の停止またはオピオイド遮断によってラットは歯ぎしりや震えといった、薬物中毒者と同様の禁断症状を発症し、再発の兆候も示した。ラットへの砂糖水投与をやめると、砂糖水の出るレバーを何度も押すようになった。

 砂糖関連の企業が行った実験では、ラットに対してカロリーゼロの甘味料投与によって類似作用が報告されている[6]。

 砂糖と甘味は、脳のβエンドルフィン受容体の部位を活動させる刺激となるが、これらはヘロインとモルヒネを摂取した際に惹き起こされる反応と同じものである[要出典]。

 「砂糖依存症」より

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』朱は編者(小田)

 

日本経済新聞 社是

中正公平、わが国民生活の基礎たる経済の平和的民主的発展を期す

基本理念

 わたしたちの使命は、幅広い経済情報の迅速で的確な提供や中正公平、責任ある言論を通じて、自由で健全な市場経済と民主主義の発展に貢献することである。

 わたしたちは、民主主義を支える柱である「知る権利」の行使にあたって、人権とプライバシーに最大限配慮しつつ、真実の追究に徹する。

 わたしたちは、社会や市場経済を左右する情報に日々接し、発信する立場にあることを深く自覚し、法令の順守はもとより、常に国際的視野に立って良識と節度を持って行動する。

 わたしたちは、力を合わせて創意工夫と精進を重ねて活力にあふれた組織を築き上げ、経営の独立、安定を維持する。

 

2020-08-07 久志能幾研究所通信 1695  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月 6日 (木)

私を吹き飛ばしたレバノン大爆発  カウントゼロから復帰

AFPBB News  2020/08/06 14:35

【AFP=時事】レバノンの首都ベイルートで2020年8月4日発生した大規模爆発の原因とされる大量の硝酸アンモニウムは、少なくとも6年間、港の倉庫にぞんざいに保管され、いつ爆発してもおかしくない状態だった。

 治安当局筋によると、保管されていた硝酸アンモニウムの爆発の威力は、TNT火薬少なくとも1200トンに相当する。地震のような揺れを伴う大爆発で街の大半が破壊されたのも不思議はない。

 複数の治安当局者がAFPに語ったところによれば、レバノンの港湾当局と税関職員は、ベイルート港に硝酸アンモニウムが保管されていたことを知っていた。しかも、昨年になって治安当局が調査を開始し、倉庫から硝酸アンモニウムを移動させるよう求めていたという。

 

 そうなんです。危ないことは前から分かっていたんです。神様は何回も警告を出していたんです。それを無視したから、カウントダウンがゼロになり、大爆発をしたのだ。

 

心疾患による死亡数は年間20万4,837人

 厚生労働省発表の「人口動態統計の概況」によると、平成29年(2017)1年間の死因別死亡総数のうち、心疾患(高血圧性を除く)は204,837人で、死因別死亡数全体の15.3%を占めており、悪性新生物(がん)に次ぐ2番めに多い数字でした。

死因別死亡数を性別にみると、心疾患で亡くなった男性は9万6,319人で男性全体の13.9%、女性は108,518人で女性全体の16.7%という結果に。男女とも死因の第2位となっています。

 

脳梗塞による死亡数は年間6万4,523人 

 厚生労働省発表の「人口動態統計の概況」によると、平成27年1年間の死因別死亡総数のうち、脳血管疾患は111,973人で全体の8.7%を占め、全死因の上位から4番目という結果になりました。性別では、男性が53,576人、女性が58,397人で、ともに4位でした。

 一般社団法人 日本生活習慣病予防協会のHPより

http://www.seikatsusyukanbyo.com/statistics/2019/009997.php

 

日本人へのカウントダウン

 日本では、新型コロナウイルスでの死者は1000人である。例年のインフルエンザでの死者は3000人である。マスコミは新型コロナウイルスに過剰に騒ぎ過ぎである。恐怖を煽動すればテレビや新聞を沢山見てくれて、儲かるから恐怖を煽り立てているのだ。それより年間20万人が死ぬ心疾患が怖しい。癌で死ぬ人が60万人である事実が怖しい。それをマスコミは無視している。何故か? それはマスコミにとって、儲からないニュースだから、避けているのだ。その真因が、大スポンサーの食品メーカの「狂った食品」であるから、それから目を逸らしているのだ。

 日本人は食べてはいけない「狂った食品」をマスコミの宣伝で煽られて摂取して、癌や心疾患、脳梗塞になって死んでいく。仏様はその前に警告のカウントダウンとして、病気の症状を与えてくれている。病院も「栄養過多、太り過ぎ、過飲、喫煙、糖分の取り過ぎ、運動不足」と警告を与えている。しかし患者は、それを「分かっちゃいるけど、やめられない」と長年、無視してきた。しかしその蓄積が限度を超え、血管内のプラークが剥離して、それが脳とか心臓の毛細血管に飛び、結果として「大爆発」が起こり、突然死の脳梗塞、心筋梗塞を引き起こしたのだ。本人にはレバノン大爆発に相当する大惨事となり、死ぬことになる。誰のせいでもない、己の健康管理の怠慢のせいだ。レバノンの大爆発でも、危険物の管理不行き届きだけが原因である。

 マスコミは、その「狂った食品」を食品メーカの手足となって、テレビ、新聞、雑誌等で宣伝している。その真因から眼をそらすため、新型コロナウイルスの恐怖を煽り立てている。

 

私のカウントダウンをリセット

 私は真島消化器クリニックの真島院長から、脳梗塞、心筋梗塞の発症の寸前だとの診断で、その治療として食事療法を2年間してきた。それでやっと死神の手から逃れられた。レバノン大爆発から逃れられたと同じである。残念だが、私は昨年、癌を罹患してしまい、癌の魔の手からは逃げ遅れてしまった。レバノン大爆発の余波は逃れられなかった。しかし、真因を見つけて、対策を打ち、なんとか生き延びることができた。気が付いた時に手を打てば、手遅れにはならない。今からでも遅くないのだ。

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2020-08-06 久志能幾研究所通信 1694  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

危機管理11 カウントダウン

 近くで時限爆弾のチクタクが聞こえる

 人生・仕事の危機管理とは、爆発(信用破綻、破滅、病気、解雇、事故、突然死、自殺)までのカウントダウンの秒読みの「佛の声」が聞こえるかどうかである。大自然は、声なき経を唱えている。人体は、声なき助けの叫びを上げている。

 危機意識に対する感性の低い人は、このカウントダウンが聞こえない。仕事を始めれば、自動的に危機状態へのカウントダウンが始まる。また決断を引き延ばしていると、いつの間にか最終カウントダウンの状態に陥る。人生では、いかに早くそのカンウトダウンに気づいて、リセットボタンを押す能力と意欲、その姿勢が問われている。

 そして危機に気づかず、リセットボタンを押せなかった人が、年間32,000人(2002年)も自らの命を絶っている。前年度は22,000人だったのにである。2019年現在は、少し自殺者は減ったが、それでも20,169人である。今はそんな厳しい時代である。

 

◆◆◆カウントダウン3

 上司はやさしい人です。部下の育成を願い、注意や叱責をしてくれる。そして3回目迄は許してくれる。でも仏の顔も3度まで。1回目の「督促」は要注意である。「残りはあと2回ですよ」と。2回目になるとイライラした怒りなのだ。「あと一回で爆発ですよ」と。3回目は爆発して、もう「この件に関してはダメ!」との烙印を押す。仏が鬼に変貌したのだ。もう4回目は無い。仕事が他の人に回るのだ。まさにリストラの危機である。上司は何回言っても判らない人、言っても仕方のない人には何も言わない。そうしないと、組織全体が危機に陥ってしまう。

 

◆◆カウントダウン2

 自動車メーカーはもっと厳しい。1回目の品質問題か納入問題を起こして、キチントした再発防止を打たず、2回目の問題を再発させると、自動的に納入停止である。最悪の場合は取引停止である。そうなれば倒産である。なにせ、自動車部品の生産ラインは他には転用がきかない。トヨタへの納品が出来ないから、他のメーカーに納めるなどは出来ないのだ。でもそういう厳しさが有るからこそ、トヨタグループ全体としては、なんとか勝ち組みに入っている。

 

◆カウントダウン1

 怒鳴るお客様は親切である。きちんと間違いを指摘してくれるのだから。その店が好きで、なんとか改善してほしいと思っているのだ。文句を言うのが当たり前と思われる米国でも(マーケッテッング調査による)、クレームを言う客はたったの5%である。

 でも真のお客様はもっと厳しいのだ。お客様はお店に来て、一回の不愉快さを感じると、もう来てくれない。95%の客は黙って、何も言わず去って行く。それが一番冷酷である。そういった危機感を持って仕事を遂行しないと、仕事が無くなる。店が潰れる。会社が社会的制裁を受ける。

 

・今ここ/カウントダウン0

 しかし運命の女神様はもっともっと冷たく厳しい。あの時、あの状況、あの人達との巡り合わせは2度と来ない。今その時に全力を投入しないと、悔いが残るのである。失った時間,チャンスは二度と帰って来ない。しかし積極的に運命に対面する人には女神様は優しい。行動するから新しい局面が展開する。

 

悪魔のカウントダウン

 決断しない、行動をしない、優柔不断に引き延ばす、こんな行動では、全て悪魔にカウントダウンのスイッチを押させる行為なのだ。決断しない、それは決断しなければない項目が目前にあるはず。判っていても、できない。行動しない、頭では行動しなければ思いながらも、動かない、動けない。それこそが悪魔にカウントダウンの時計を速める。すべて自己の選択の結果である。決断しないという選択をしている。決断・行動をしない人には運命は冷酷なのである。その件に決断しなくて、結果に対して泣き言を言う人は、子供なのだ。自分の決断に責任が取れないのだから。決断をしなかったという、選択・決断をしている。

 しかし、本物の時限爆弾と違い、人生での危機は、その状況に気づきそれをリカバーする気になれば、遅い速いは別にして、リカバーの手段は無限にある。それが唯一の救いである。それさえ気づかない人が絶望して命を絶つ。その数32000人(2002年当時)。

 

一期一会

 一期一会とは危機管理の言葉。人生に、もう一度の機会などはないとの危機感が必用である。悪魔は黙ってカウントダウンのスタートボタンを押す。心耳を澄ませば、あなたの頭上で音もないカンウトダウンが聞こえるはず。それは何のカウントダウン?

 

懐かしい思いで

 以前の部署の上司で、トヨタから出向されていたО部長には、この件で厳しく指導された「3回督促して、上司の要求に応えられない時は、もうその件ではダメ!」との烙印を押される、と指導された。

 「これで3回目ですよ。小田さんって、そんな情けない人だったんですか」と言われたことが多々あった。それはなんと辛く情けないことであったことか。言い方は優しいが、心にグサッと突き刺さるような厳しさがあった。でもこの厳しさはトヨタ自動車では当たり前で、思えば私にはかなり甘い指導であったようだ。О部長が受けた指導はそんな生半可なものではないようだ。そういう人財がトヨタを支えている。だからトヨタは生き残っている。

 「リーダーとは厳しく、嫌われてなんぼの世界、それが組織を生き残らせる条件」と割り切れば、人を厳しく教育するのに抵抗はない。なまじっか人に好かれようとするから、人を指導できなくなる。組織とてやるべきことが出来なくなる。自分が甘くては人を指導できない。組織の業務改革はできない。

 入社以来、数多くの上司が私の前を通りすぎていった。優しい上司や冷酷な上司は記憶に薄いのだが、厳しく指導をしてくれた上司ほど記憶に残り、厳しさを教えて頂いた熱意にありがたさをつくづくと感じる。人は甘やかされ、何も言われなくなったら、おしまいなのだ。その状態に気づくのが危機管理である。

                         初稿 2003年7月2日

Photo   馬場恵峰書 2006

2020-08-06 久志能幾研究所通信 1693  小田泰仙

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2020年8月 5日 (水)

危機管理3 トヨタの危機管理

毎日、毎時が修羅場

 トヨタを始め自動車産業界では、生き残りのため修羅場の戦いが続いている。お客様(トヨタ等)からの納期、品質要求は絶対である。ライントラブルや品質問題で部品の納入ができなければ、トヨタのラインが止まる。それはトヨタと部品メーカの心臓が止まること。トヨタのラインが止まるとは、グループ全体のラインが止まるのだ。

 1997年2月のアイシン精機工場の火災の時は、たった一点の部品が届かないため、トヨタグループの30万人が、仕事ができず一日遊んだ。カンバンシステムで在庫を持たない生産システムでの最悪のケースであった。カンバンシステムでは、部品1点が足りなくても、車が完成しない。全ラインが止まる。

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ペナルティ

 そんな事故を起こしたメーカにはペナルティとして、納品ストップがかかる。トヨタは各部品を危機管理として、部品の2社発注を原則としている。トヨタは、一社を切って、もう一社のメーカに発注をする。だからサプライヤーは、お客様(トヨタ)からの信頼を得る難しさを毎日体感してる。

 

納品ストップの悲惨さ

 親会社から納品が拒否されれば、数十億円かけたラインが無用の長になる。当然、そこで働いていた人間も配置転換である。正規社員はまだ幸せだが、臨時工は即解雇である。凄惨な首切りである。でもそれはパートなので、新聞紙上で話題になることはない。人知れず消えていく。

 またそうなれば、会社としての信用を失い次回からの受注競争に負けるのだ。前職の会社でも1990年代の初期、某自動車メーカへ納入した自動車部品の品質問題があり、注文が完全に途絶えた。その取引再開には、10年間の地道な信用回復の年月が必用であった。そういう厳しさで自動車部品業界は生きている。その厳しさがないと、会社がつぶれるのだ。

 だからエアバッグで死亡事故を起こし、その対策を胡麻化したタカタが倒産して当然の結果である。

 事故原因を隠蔽して再度の死亡事故を起こした三菱自動車が左前になって当然の結果である。

 

現場の修羅場

 部品納入で2回、同じ品質問題を起こすと、打ち首である。なにせ自動車の部品は人の命がかかっている。リコール問題や死亡事故となったら、企業の屋台骨に影響する。トヨタだって潰れるかもしれない。そのトヨタも米国で欠陥問題で、あらぬ疑いをかけられて、豊田章男社長が、米国議会でつるし上げにあった。世界最大のGМさえ倒産する時代である。それ故、トヨタも危機管理上から、問題を起こした会社への発注を止める。

 

前面の虎、後ろの崖

 自動車の部品の生産ラインは、トヨタから注文がなくなったので、一般のお客様に売ればいいというものではない。そうなったら打つ手がない。それで責任問題も発生する。

 前職の会社でも、ある部品の品質で問題を起こし、トヨタから納品停止を宣告された。その責任を問われ、私が親しく付き合っていた責任者が、2月の人事異動で私の前から姿を消した(海外に飛ばされた)。首から血が流れると同じである。設計部署は生産に直結した部署なのだ。生産ラインでもパートの人が解雇されたのだろう。生活に困ってパートに来ている人たちである。これが凄惨な修羅場なのだ。

 

電機業界との差

 自動車部品の生産は、普通の製品とは、影響の広がりが2桁も3桁を違う。物づくりの現場ではタマをきらせないために、死に物ぐるいの取り組みをしている。そうしないと本当に首が飛ぶのだ。この厳しさがあるからトヨタグループが生き延びている。これが日本の製造業を支える二大産業のもう一つである電機業界との差である。

 

渓谷に渡した綱を渡る

 自動車部品の生産ラインは綱渡りで生きている。何か有るとすぐ赤字になる。それくらい厳しいコスト設定をしている。車の値段は、この数十年間、他の製品に比べるとあまり上がっていない。その分、親会社からのコストダウン要請は厳しく、それに応えているから価格が上がっていない。そんな厳しい競争業界である。

 問題が起これば、真っ先に社外工の人達が切れらる。経費節減でも、最初に要請されるのはこの費用の削減である。私の隣の職場の係長の奥さんもパートの仕事を切られて、半年ほど仕事のない状態が続いていたそうだ。全員総力を上げて業務に取り組まないと、業界の中で負け組みになるのだ。

 

天国と地獄

 それに比較して,事務系は天国である。現場の厳しさは、事務系のプロジェクトがうまくいかなかったら、納期を延ばして解決などとはレベルが違う。カンバン方式はサプライヤーには恐怖のしくみである。毎日、毎時が死に物狂いの戦場だ。時として、同じ仲間同士で罵り合いごとき議論が闘わされる。

 新ラインの立ち上げ時、問題を抱えていると、その対応で神経がずたずたになる。事実、私もそうなった。新しい開発の取り組みをすると当然,いろんな問題を抱えてラインを立ち上げることになるからだ。そういう直接部門に私は6年間在籍した。

 企画という間接部門に異動すると、神経の疲れが全く違う。幸せだと感じた。今ある仕事に不満など言うのは贅沢だと思う。その仕事さえなくなる恐怖をもって仕事をしている人に比べれば、である。

 

私の修羅場

 私も技術部と現場の開発部での任期中、そんな崖っぷちの体験を数回経験した。今もってよく首がつながったのが不思議だ。それを思い神様に感謝している。これもリーダーシップのとり方の指導をしてくれた私の上司のおかげだと感謝である。上司はトヨタから出向していたキレ者であった。

 新ライン立ち上がり当初は,新規設計の型寿命が計画通り持つかを心配しながら、毎日毎夜ひやひやしながら過ごしていた。そして予定していた寿命の1桁しかないと判明した時は、地獄に突き落とされた。なにせ代わりのダイキャスト型を発注しても、その納入は2カ月後なのだから。もう針の筵状態である。どうやってタマをだすのだと。

 お盆休み返上でダイキャスト型を突貫工事で作ってもらうため、その型メーカに懇願しに、北陸まで飛んで行った。危機状態を助けて頂いたその型メーカの社長さんには感謝でいっぱいです。お礼を申し上げます。

 これが事務系の間接部門でしか働いたことのない人間と、設計や製造部門の厳しさを体験した私との意識の差である。

 百聞は一見にしかず。百見は一験にしかず、を実体験した。

 

修羅場でのリーダーとは

 その修羅場で必要になるのはリーダーの決断力である。間違っていてもとにかく、何かを決めて進めるしかない。部下には、リーダーより専門能力ではるかに優秀な人が多くいる。しかし、その人たちが勝手な行動を取りだすと、組織としては崩壊し、修羅場の戦場では負け戦となる。特に頭のいい人たちに限って組織の運営に逆らうものだ。それがなぜ問題なのかを頭のいい人たちは理解していない。上司がばかにみえるのだ。

 

日産の修羅場

 そのよい事例(悪例?)が日産である。日産はトヨタよりも優秀な人が沢山いる。しかし結果は見ての通りだ。工場閉鎖、人員整理という血なまぐさい修羅場に遭遇するのだ。

 そしてゴーンという強引なリーダーが登場して、やっとまともになりかけている。しかしその化けの皮が剥がれて、その対応が対処療法で、真実の改革でなかった。それが虚実の改革だとばれるのに20年間もかかったので、現在の日産は地獄に堕ちる寸前となっている。

 なにせ日産の検査員資格のゴマカシ事件での記者会見にゴーンは雲隠れであった。

 トヨタの社員は、全員がリーダーシップを取って、一つの方向に進んでいるから生き残っている。日々組織の目的に向かって一丸となって取り組まないと、国内市場でさえ生き残れない。

 

エピソード1

 1997年2月1日のアイシン精機刈谷工場の火災事故の翌日は、私が異動先に室長として赴任した初日であった。これから何をやるか、上司と相談しようとしたら、その上司がアイシン精機工場火災事故の対策総責任者として本社の対策本部に拉致(?)され、カンヅメ状態にされてしまった。アイシン精機が生産していた部品を当社で代替生産をするための緊急対応である。そうしないとトヨタのラインが止まったままになる。私は上司の顔も見られない日々が続いた。結局、上司とお会いできたのは1カ月後であった。

 

エピソード2

 アイシン事故の当日、私のマンションの近くを数十台の消防車が走り回り、市内は大騒ぎの様相であったようだ。私は現場部門への異動になってことで落ち込んでおり、当日は昼近くまで寝ていた。その騒ぎに気づかず、床屋に行って話しを聞き、知らないで寝ていた私は、理髪店の奥さんに呆れられた。それほどの大騒ぎであった。

 

エピソード3

 アイシン精機で生産していたのはエンジンのブレーキバルブであった。その穴加工には特殊な工具が必要である。事故発生を知って、ある部品メーカの調達担当者は、商社に指示してその工具を全量抑えてしまった。トヨタグループの全メーカがその商社にたどり着いた時は、既に遅し、である。その会社は業績も一流である。やはり危機管理ができているからこそ、業績もいいのだろう。事故を知ってから、どう対応するかを即座に行動できる感性がすばらしい。それが危機管理である。泥縄では駄目なのだ。

 

エピソード4

 アイシン精機の工場火災は。日本の産業史上に刻まれる火災事故であった。その後、トヨタグループではこの面の危機管理が徹底される。また二社発注も徹底され、受注してもうかうかしていられない情勢となる。私もその関係で、特設消防隊の隊長を務めることになり、危機管理にも力を注ぐことになる。

           初稿 2003年7月12日 

 

2020-08-05 久志能幾研究所通信 1692  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

痴人の愛 「愛人HD」のご臨終

 ビデオをこよなく愛する知人が嘆いていた。この3年間で二人の愛人がご臨終になったと。

 要は、ビデオレコーダーのハードディスク(HD)が故障(クラッシュ)して、録画してあったデータが総てオシャカになったという。

 救いは、3年前の故障時に、録画してあった全データが消えるという痛い目に会ったので、それに懲りて、ビデオレコーダーの外付けHDには、SeeQVault対応品に変えて使っていたこと。それで、その使用中のHDに追加録画はできなくなったが、録画してあったデータは、別のビデオレコーダーで見ることだけはできるという。

 

生は偶然、死は必然

 ハードディスクにも寿命がある。一般論で3年が正常に使える限度である。それを超えたらご臨終を想定して、バックアップやBDへの保存が必要である。ハードディスクは、直径3.5インチの円盤が高速、7000rpmで回転している。それ磁気読み書き用の小さな磁気ヘッドで、その円盤の上をサーチしている。磁気ヘッドの大きさをジャンボ機に例えると、全長70mのジャンボ機が地表5㎝ほどを浮いて飛んでいるようなもの。ハードディスクとは、いかに精密かが想像できる。だからハードディスクはチョットした衝撃で簡単に壊れる。だからハードディスクは壊れて当然の製品である。それは消耗品である。

 生あるものは必ず死がある。それは万物に当てはまる。ビデオレコーダーもしかりである。生きている間だけだよ、手に取ってお互い、生きていることを確認できるのは。

 同じように人の明日の命は分からない。何時までもあると思うな親とカネ。

Photo

 馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」(久志能幾研究所刊)より

 2016年

 

2020-08-05 久志能幾研究所通信 1691  小田泰仙

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2020年8月 4日 (火)

ご縁のリストラクチャリング

悪手の山     

 米長邦夫元名人は、その著で、「人は悪手の中を歩いている、一手間違えれば簡単に人生が暗転する」という。

 同じ意味で、人生には多くの縁が溢れているが、その多くが悪縁である。因果応報で、悪縁と交われば人生は下り坂である。悪縁の人は、悪縁を招く習慣と考え方とそれに纏わりつく人脈がある。その腐臭がすさまじいが、鈍感な人はそれに気が付かない。知らずに付き合うと、悪縁が心に染み込む。「君子危うきに近寄らず」でありたいが、宮仕え生活ではそれもままならない。サラリーマン時代はそれを避けることは、至難の業であったので、かなりの被害を受けてきた。まるでタバコ副煙流の害毒如きである。

 

ご縁の選択肢

 しかし定年後に組織を離れたことで、寄ってくる縁を選別できるようになった。些細なことや対応ぶりから、友人、知人、業者の人生哲学が垣間見えて、縁の鑑定ができる。それが悪性の縁と分かった時点で、その縁を切ることにした。よき人生は良きご縁から始まる。悪縁を切ると、空いた空間に良きご縁がすり寄ってくる。組織を離れたら、縁は自分で選びたい。

 

人生のリストラ

 リストラとは、事業の再構築(restructuring)が本来の意味で、首切りは単なる一つの方法論である。還暦後の第二の人生を門出して、正しい道を歩むために、人生再構築のリストラが必要である。

 企業経営でも、不正をする人、業績を下げる人、定年になった人はお払い箱である。そういう新陳代謝をしないと会社が左前になってしまう。同じ考えで、自分株式会社に害をなす縁者はお払い箱にして、身辺整理をしてリストラしないと自分の人生が傾いてしまう。切るべき縁を切らないから腐れ縁となる。腐った縁は、周りに害を及ぼす。人生経営の6Sをして縁の整理整頓をすべきである。

 

食料というご縁

 生きていく為には食べなければならぬ。その食料が、添加物まみれ、農薬まみれ、養殖魚の病気防止で抗生物質まみれ、ショートニング、マーガリン、植物油まみれの加工食品でもお腹は膨れるし、当面は生存が可能である。しかしその食物は遅延性の毒である。10年、20年のスパンで食の人生を考えた場合、そのツケを慢性病、成人病、ガンという病気という形で支払う日がやってくる。日本をはじめ先進国で加工食品が増えるに比例して、医療費が増大している。

 良薬口に苦し、医食同源を基本に、食べ物とのご縁を大事にしたい。

 

生きていくためのご縁

 社会で生きていく上では、ご縁が必要だ。しかし質の悪い縁に囲まれると、それが遅延性の毒として人生を覆い、不運という人生生活病に侵される。

 約束を守らない人、こちらが散々お世話をしたのに、恩を仇で返す輩、信心深くても己だけの幸せを願う人、苦情対応で不誠実な企業、新興宗教にはまっている人、車検を依頼した車を私用で乗り回す修理工場社長(ドライブレコーダで露見)、人の迷惑を顧みず自慢話ばかりする元副社長、前職の不祥事の責任を回避する後任の長、先祖を大事にしない親類縁者……….よくこれだけいい加減な人がいるものかと呆れるばかり。そういう人と付き合うと血圧が上がるので、自分の組織を守るため、その悪縁を切ることにしている。

 

ご縁のリバイバルプラン

 そのご縁が良いか悪いかは、誰にも分からない。悪だくみをしている人には、詐欺の話しがよい話になるだろう。善人にはその逆である。

 確実に言えることは、じっとしていて動かなければ、永遠にご縁はやって来ない。まず動いてみて、感触が良ければそれに手を出すことだ。今まで数十年間も生きてきて、直観という能力で物事を判断できるはずだ。それに素直に順うことである。来るものは拒まず、去る者は追わず。あとは佛様がよきに計らってくれる、と信じよう。信ずるものは裏切られる? 裏切られても良いではないか。それから、その縁を切ればよいのだ。それで一つ賢くなる。おだ仏教では、そうしている。

 

人生のご縁収支決算

 人生とは、集めた¥高を誇る競争ではない。円を集めた額を誇示するのではなく、ご縁に接し、その縁に報い、よき縁を人にどれだけ分福したかに価値がある。

 人生は集めたものでなく、どれだけ与えたかで評価される。いくら集めてもそれを喜ぶのは己だけでは哀しい。お金は、あの世には持っていけない。人から分捕った分、不幸になった人がいる。グローバル経済主義では、99人の富をたった1人が強奪独占する。強奪した富には多くの人の怨恨が籠っている。

 人に与えたことは多くの人が評価してくれ、その結果として与えたご縁に花が咲き、実が結ぶ。それでこそ、自分の人生の意味がある。悪しき縁からは、良き人生は生まれない。その縁の選別眼が人生価値を左右する。

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2020-08-04 久志能幾研究所通信 1690  小田泰仙

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伝承とは祈り

 私が師匠から教わった一番大事なことは、「技術はいらない。精神性と心を磨け。心が伴なわない人に、技術なんてロクなもんにはならない。」。

 私はそう教わって、次に人にそれを少しでも伝えられたらいいと思う。そうやって結果を残すことが、現場を含めて、人づくりもそうですわね。そこが一番の恩返しかなと思います。

   西山 天龍寺 庭師 平木信行氏 談

 2020年7月6日放映NHKBS「京の都を守る霊山 祈りの道」より

 

何のために?

 どんな仕事でも、イベントでも、心が籠っていない仕事は、人に感動を与えない。やっつけ仕事で、いくらイベントを上手くやっても、同窓会幹事だけが自己満足しているようでは、ガキの作業でしかない。

 その仕事は、何のために? 誰のために? 何を残すために? 何を継承するために?を自問したい。その答えは千差万別でも、それをやり遂げる人の心こそが肝要である。

 それを突き詰めると、何のために生きているのだ?

 その答えを求めて生きている人は幸せである。少なくとも、人として生まれて、学んで人間を目指して精神を磨いているからだ。

 魂の浄化こそが、動物で生まれて、人間になるための目的である。

 

 学ばないと宿命的存在、つまり動物的、機械的存在に成り下がる。学ぶことで運命的存在、つまり人間的存在になる。

               安岡正篤

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何のために市長になったのか?

 2017年12月21日、小川敏の母校の忘年会で、集まった同窓生の場で、上座にふんぞり返って小川敏は、翌年の市制100周年記念行事の件を誇らしげにぶち上げた。その忘年会の開催目的は、小川敏が同窓生にその演説をブツための集まりであった。同窓生は卒業すれば、皆同列である。それを小川敏が上座で演説をぶつように段取りした幹事は、仲間の裏切り者である。忖度である。50年前の母校の同窓会としての最初で最後の忘年会を、段取りした幹事は、その目的を忘れて走り回った。多くの同期の仲間を呆れさせた。虚しい幹事作業であったと思う。 P10909022

小川敏は何のために大垣市長になったのだ?

 その市長としての心がけがないから、市政が最低である。小川敏には、市民のためという心も大義名分もないから、大垣市は小川敏が市長になってから、19年間連続で没落し続けた。大垣市の公示地価が冷酷にそれを示している。

 

020-08-04 久志能幾研究所通信 1689小田泰仙

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