« 2023年3月 | メイン | 2023年5月 »

2023年4月

2023年4月14日 (金)

宗教団体脱会後(10/12) 根性悪な姑と闘う  

 私は定年退職後、学生時代まで過ごした故郷の大垣に帰った。38年ぶりの故郷はすっかり変わっていて、私には浦島太郎状態であった。

 そこでの新生活は、まるで新妻が新しい家に嫁ついで来たような状態である。だからお決まりの嫁姑問題が発生する。だって私はその街では新参者と同じである。姑に相当する先住民には、新参者の私は、いびり甲斐があったようだ。なにせ大垣は士農工商社会の古い体質の街である。

 同じ町内でさえも、水門川で隔てられた廓町では、南北の区域で、上下関係が明確に存在している。お城に近い地域の町内の上級町人(と自惚れている)のお鼻は高い。町人でも上下関係があるのが大垣市である。

 

 だからその街から離れた私の街でも、老獪の権化のようなボスが存在した。それも二人の男女のボスは、私が朝にすれ違って挨拶をしても、無視され一切挨拶が返ってこなかった。1年経って、こちらから挨拶するのが馬鹿らしくなって、挨拶することを止めた。それが10年も続いた。なんと大人げない底意地の悪いボスかと呆れる思いであった。

 

公金不正

 後日、前任者から聞いた話では、その女ボスは私が町内の役に付くことを強く反対したそうだ。

 5年後、そのボスの公金不正使用が発覚した。私が摘発した。私がその役になると不正が発覚する恐れがあり、反対したと推定される。その手口は幼稚で、すぐばれる有体であった。それが何十年と続けていた理由は、町内の会計監査が、不正を黙認する慣習であったようだ。士農工商社会は不正のオンパレードである。

 

クソババア

 町内のある行事でそのボスが私に話しかけてきたが、完全無視をしてやった。そうしたら「アレ? あんた耳が遠くなったの?」とほざいたので、「ウルセイ! このクソババア」と怒鳴りつけたら、大人しくなった。スカっとした。

 スカっとサワヤカ、恨み節である。長年町内のボスとして君臨してきて、私を温和で無口な御しやすい男として見ていたから、よもやクソババア呼ばわりされるとは、驚嘆の初体験であったようだ。(笑)

 

家相

 もう一人のボスは、単純明快な愚人で、仕事が全くできない人であった。頭だけは高く、威張っていて、挨拶など絶対にしない。

 先日、築40年の家を解体して、土地を更地にして他の街に移住をしていった。40年もこの町内に住んでいて、去る時は挨拶一つなしである。まるで尻尾をまるめて逃げいくようで、なさけない末路である。

 人相でも人格が判断できるが、別に家相でも判断できることを学んだ。その家の風体は、どう見ても違和感があった。住む人の性格が、家の形にも表れることを学んだ。その歪んだ性格が家の相に現れる。後は自業自得である。

 

 この二人は、視野が狭く自分の世界に閉じこもって、やりたい放題した輩の末路として、反面教師にさせてもらった。不愉快な相手と闘わなくても、相手は自爆するのだ。人間ウォッチングの例として記録に残した。

 

私が嫁いびりを受ける

 もう一つの事例は、意地悪い姑のような主婦たちからのイビリである。わずか千円ほどの手当のことで、私を陰口三昧である。正常な実費を請求しても、それの証拠を出せと、まるで人を信用してないような言動をよこしてくる。主婦たちは、自分の事しか考えていない。その主婦が、わざわざ自宅まで押しかけてきて文句たらたらである。流石に温厚な私も堪忍袋の緒が切れて、その主婦を怒鳴りつけてやった。あまりの私の剣幕に驚いてその主婦は退散した。(笑)平和な町内で、怒鳴りつけられるのは、初体験であったろう。

 たまには過度もいいものだ。そうしないとぬるま湯状態で、ゆでガエル状態、認知症にもなってしまう。相手も私がどれだけ理不尽に対して怒っているか思いもよらないだろう。

 

 しかしそういうことに文句を言う主婦たちは、もっと大きなお金の使い道には、主婦たちは何も言わない。視野が狭い主婦たちは、大垣市からの寄付要請には従順である。お上のやることは全て正しいと主婦は思っている。それが行政の付け目である。大垣市の寄付金総額は岐阜県内の他市に比べて突出している。岐阜市の10倍である。それを主婦はなんの疑問も持たないようだ。だから大垣市は士農工商社会で、お上が絶対だ。その意識を変えないと、大垣は良くならない。

 

大垣市は乞食行政

 石田仁市長も前大垣市長の小川敏も、寄付をする業者との頻繁なツーショットで御用新聞に顔出しである。カネをねだる大垣市の乞食行政である。恥ずかしくないのだろうか。寄付金額が刈谷市の362倍は異常である。業者にも裏の利権があるから寄付をするのだろう。

 

     令和2年度 予算

      一般会計収入   うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円    0.02億円     0.003%

高崎市   1655億2000万円  1.30億円  0.078%

 

P10906971s

  布袋様 松本明慶大仏師作

  布袋様が握りしめているのが堪忍袋の緒。

   松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています。

.

2023-04-13  久志能幾研究所通信 2667号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2023年4月12日 (水)

宗教団体脱会後(9/12) 脱炭素洗脳、国民は貧乏に

 

政府がSGDsに便乗、国民を洗脳して増税

 SGDsが正しかは大いなる疑問がある。その検証は終わっていない。問題は、それに付け込んで利権漁り、増税を企んでいる財務省官僚、国会議員達である。市民はもっと真実を見ぬくべきだ。

 

 日本は昔から省エネ、節約、もったいないと無駄に資源を使っていない。SGDsはそれを錦の御旗に、利権強奪の手段となっている。排気ガスを一番多く排出しているのはC国だ。それには日本の政治家は文句を言わない。なにか貰っているだろうと思うのが正常な頭だ。

 その象徴がEV化、レジ袋有料化、過剰なごみ分別化である。EV化で有害物質垂れ流し、C国はEV用電池、太陽光パネル等の生産を爆増させている。先進国では、公害関係の規制が厳しく、電池関連製品の生産で採算が合わない。レジ袋有料化でも弊害の方が大きくなっている。だからC国とそれに食らいついた利権者たちだけが儲かっている。

「SDGsの大嘘」にほとんどの一般人が騙されるワケ

https://toyokeizai.net/articles/-/594398

 

植民地支配のツケ

 西欧諸国は今まで植民地支配、奴隷制度で王族貴族の超格差社会を謳歌して、特権階級は贅沢三昧をしてきた。それの免罪符としてSGDsを始めたにすぎない。それの残影で、世界の1%の富裕層が出す排気ガス量が、世界の全排気ガス量の半分を占めている。それに象徴されるツケをSGDsという錦の旗の下でやろうとしているだけだ。

 その代表的な取り組みのEV化しても、逆にエネルギーを多く使い、総合効率が悪くなっている。結果は、ガソリンエンジン車より多く原油を使う。ガソリンエンジン車では日本に立向かえないので、EV化で日本を追い落とそうとしているだけである。しかしウクライナ戦争の影響で、原油が高騰して、その嘘がバレた。その嘘が原因で、EV化に支障が出て行きて、ドイツは2035年にガソリンエンジン車全廃の方針に反旗を掲げだした。ピエロである。

 歴史を振り返っても、1997年、京都議定書で日本が世界に呼び掛けても、EUはあまり熱心ではなかった。それが2015年になって、国連でSGDsを持ち出し、その結果がEV化推進である。

 

ナチスの反面教師

 第二次世界大戦前は、ナチス政権がドイツ国民を洗脳して、ユダヤ人虐殺、第二次世界大戦へと誘導した。戦後、それの責任はヒトラーに押し付けているドイツ国民である。そのナチス党を支持したのは、ドイツ国民なのだ。ユダヤ人がドイツ人以上に勤勉で優秀だったので、ドイツ国民はユダヤ人に反感を抱いていたのだ。

 同じことで、日本では、政府に洗脳された国民が売国奴の議員に投票をしているから、現在の情けない日本に落ちぶれている。

 対策は、国民が目覚めて、売国奴に投票をしなければ良いだけだ。投票率が20%台や30%台では、反日勢力の強制的な動員力が大きいため、投票結果が大きく左右されてしまう。全ての責任は元凶の元を見ていない国民にある。その国民のレベル以上には政治は良くならない。国民の意識向上が必要だ。

 

2023-04-12  久志能幾研究所通信 2666号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

 

宗教団体脱会後(8/12) 大垣市長の洗脳工作と闘う

 

 宗教団体と同じ体制の「会社」に勤めると、教祖様(社長)からの指示に黙って従って働くしかない。教祖様の命令は絶対だ。逆らえば左遷である。家族の生活も懸かっている。だから会社員は、納期厳守、コストダウンの要求の厳しい仕事で頭がいっぱいで、己が住む市町村のことにまでは気が回らない。そのサラリーマン生活も自宅と会社の往復だけで、大垣市との接点は少ない。それが大垣市長の付け目で、市民に対してやりたい放題である。だから市民は市からの通達をそのまま信じてしまう。それは洗脳状態にあると同じである。

 

定年後にやるべきこと

 脱会後(定年後)は、洗脳状態から目覚め、社会の諸問題に真剣に向き合うべきだ。そうすれば今まで如何に洗脳されて来たかが分かる。もっと大垣市や日本社会の諸問題に目を向けよう。そうしないと貧乏から脱却できないし、認知症にも罹ってしまう。

 その病状の一端が、選挙での投票率の低さである。市民が声を上げない限り、大垣は良くならない。

 

洗脳の目的

 洗脳の目的は、洗脳する相手からの搾取と自分達の利権確保である。それは新興宗教団体の手口を見れば明らかだ。大垣市民は前市長、現市長から搾取されてきて、持っている不動産財産額の半分を巻き上げられた。22年前に比べて大垣市の公示地価は半値以下に暴落している。家を持つ市民は、一家庭あたり約1,000万円の被害である。しかし多くの市民はそれに気が付いていない。それが洗脳と言う恐ろしさだ。

 

前市長の洗脳の手口

 市民は「大垣は子育て日本一(を目指す)」という前市長の言葉で騙された。実態は、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。子供の教育環境は劣悪である。要は言葉の洗脳である。

 前大垣市長から大垣市商店街の活性化として「元気ハツラツ市行事」というおまじないで大垣駅前商店街の店主は騙され続けて、前市長市政20年間で60%の店がシャッターを下ろした。店主達は完全に洗脳状態にされ、店を潰された。現在、大垣駅前商店街は20年前に比べて20%の店しか残っていない。

 

石田大垣市長の洗脳の手口

 石田仁大垣市長は「ゴミが増えている」と大嘘を言って、ごみ袋有料化をごり押しした。

 しかし大垣市の中央部にある私の町内では、この10年間で10軒も家が減った。また次の10年間で20軒が減る予想である。私の町は約100世帯で、大垣市内で平均的な世帯数である。それが20年間で、合計30軒の減少とは、約3割の激減である。

 また大垣市は10年前に比べて家庭ごみ量は35%も減っている。そんな状況で、なぜゴミが増えたと言うのだ。データは嘘をつかない。

 大垣市より財政が豊かでない岐阜市は、ゴミ袋の有料化を実施していない。大垣市より質素な新市庁舎である。大垣市の新市庁舎は県下一豪華で、岐阜市のそれより2割も豪華である。

 だから石田仁大垣市長の言うことは大嘘で、その政策は、利権確保、役人達の収入増のための洗脳攻撃である。

 市長は市民にとって親も同然。それが子供である市民を不幸にする政策に邁進している。安全対策も大嘘、子育て日本一も大嘘、行政サービス最低である。こんな大垣に誰がした。

  大垣市民が洗脳から覚醒し、声を上げて、選挙でその意思を示さないと、大垣は滅びる。

 

039a16681s.

2023-04-11  久志能幾研究所通信 2665号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年4月10日 (月)

憎っくき相手も老いる 恨みは恩讐の彼方

 

命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするい蹝跡なし

 「修証義」第一章 総序

 

 先日、6年前の会議で非常識な言動で会議を混乱させた相手と、同じ会議場で再会した。私は6年前の仇を取ろうと手ぐすね引いて準備していたら、再会した相手がよぼよぼになっており、準備した「言葉」が雲散霧消した。相手は80歳を超えており、歩くのも支障がでている。往年の元気さは全くない。

 人は75歳を超えると急速に老いる。日本人の平均寿命は81歳でも、健康寿命は72歳である。世間では人生100年時代とはやし立てているが、100歳以上の人数は、全国で9万526人(2022年9月15日現在)で、全体の0.075%でしかない。要は、100歳以上の人は、千人に一人の確率で、稀有な存在である。殆どの人は72 歳で老化が顕在化して、80歳でよぼよぼになるのだ。

 いくら壮年期は元気はつらつで組織の頂点に立ち、我儘独裁的に過ごしても、老いは冷酷に襲い掛かる。その時、自分の人生のツケをはらうのだ。

 

人生は恩讐の彼方

 そこに人生を見た。相手の姿が、明日は我が身で、それが未来の自分の姿なのだと思い至った。だからこそ、人生での謙虚さと健康と若さを維持する努力が大事だと改めて思った。人生と言う入れ物も頑丈でなければならない。人生と言うライフフレームの剛健さと、人生の精神状態が健やかにするように心がけよう。傲慢に過ごすとライフフレームに早くガタが来る。

 

馬場恵峰先生の人生

 それに併せて馬場恵峰先生の93歳の時の元気さを思い出し、生涯現役を心がけた恵峰先生の偉大さに改めて感銘を受けた。馬場恵峰先生が寝込まれたのは、死の直前の1か月程であった。

 下記の写真は、馬場恵峰先生が卒寿(90歳)記念で写経書展を開催され、その開催式に挨拶をされたときの写真である。

 

4k8a8735s

 馬場恵峰卒寿記念 写経書展 2016年12月9日 長崎県波佐見町

1

 馬場恵峰書

 

2023-04-10  久志能幾研究所通信 2664号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

生きるとは

 

 生きるとは、「必ず死ぬ命」を抱えて、過去、未来を振り切り、今を自分に与えられたお役目に全力で取り組む活動である。

 

 私は人生を2005年3月27日に、そう定義した。先日、過去の京大カードの中からこの言葉を発見した。2005年とは、定年の5年前である

 

P10700601s

 活動をせず、無為に生き永らえるだけでは、生きたとは言わない。人生で何をやったかが問われる。そう思ってがむしゃらに生きてきた。

 

 お役目とは天命である。そのお役目は、「私」にではなく、「自分」に与えられたお役である。

 

 自分と言う存在は、ご先祖を10代前に遡ると1024人の親が存在する。そのご先祖1024人以上の家系の代表として、DNAを引き継ぎ、今を生きている。

 

 人は人生劇場で、お役が与えられる。主役の王様の役も有れば、脇役もある。奴隷の役もある。天が差配した役をえり好みはできない。その役も、時代と場所で位置付けが変わる。その時代も場所も親も自分では選択できない。

 

 自分が戦争時代に生れて、特攻隊に選ばれたやも知れぬ。戦争に一兵卒として駆り出され、ソ連のシベリアに抑留されなかったことを喜ぼう。終戦後、父と叔父がシベリア抑留の身となり、叔父はシベリアの土になった。

 

 自分とは、全体の中の「自ら」の「分」である。周りに支えられた存在である。

 それに対して「私」とは、利己の世界である。「私」とは、稲(のぎ偏)を、腕(ム)で抱え込んだ姿の象形文字である。

 

2023-04-09  久志能幾研究所通信 2663号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年4月 7日 (金)

石田大垣市長、市民を「猿」扱いして防災費を騙す

 

 2022年4月初旬の金曜日、危機管理室で竹内室長と担当者Iに防災補助金の増額を陳情。目的は約70万円の防災倉庫の新設のため、補助金を増やして欲しいためである。小さな自治体で、約70万円の防災倉庫新設費用は重くのしかかる。防災倉庫新設のため、補助金をなんとか増やして欲しいと約1時間の押し問答をしたが、大垣市は、「検討します」だけでオシマイ。暖簾に腕押しだった。

 大災害時は、市内が大混乱で、消防署も大混乱で、あてにはできない。それは過去の大震災時の混乱で実証すみだ。だから非常時は、自分達で自分達の街を守らねばならぬ。そのための防災倉庫の整備である。

 

 その翌週再度、危機管理室に出向き、町内の防災準備計画書を元に、防災補助金増額を陳情した。前回と同じく約1時間の押し問答をしたが、また「検討します」でおわりである。

 士農工商の封建社会という大垣市で、下々がお上に直訴すれば、なんとかなると思った私は愚かであった。

 

 その半年後、年最大15万円の補助金が2年間で30万円の補助金体制に変更されたと別ルートで教えられた。直接は教えてもらえなかった。しかし実質的に、補助金の増額は無し。

 

 そして「広報おおがき2023年4月1日号」で曰く「安全で安心できるまちづくり」の「自主防災組織支援事業」として、「防災倉庫や除雪機などの購入に対する補助金限度額を増額し、自主防災組織が行う防災資機材の整備などを支援する。」である。

 

 これでは「朝三暮四」である。これでは「大垣市長が市民を猿扱いして防災費を騙している」と同じである。その大垣市長が自慢げに「広報おおがき」で「安全で安心できるまちづくり」をぶち上げているのだ。お笑いだ。

 

 私が陳情して一石を投じた効果であったようだが、実質的には無価値の処置である。それも私が提案した内容を、如何にも市が「安全で安心できるまちづくり」の事業として市独自の計画のように発表する。恥知らずである。

  この計画は、補助金総額は変化なし。私の真の陳情内容は、補助金の増額である。

 

 新制度では、初年度に30万円の補助金を受け取ると、翌年度は補助金がゼロ円だ。大垣市は、びた一文も防災準備の補助金を増やす気はない。それでは「安全で安心できるまちづくり」はお笑いの宣言である。

 

 話を進めていた担当者Iは、2023年4月1日付で別部署に異動である。それが原因で直接の担当者は飛ばされた? お役人の世界では、前例を変えてはならないようだ。士農工商社会の大垣市では、士は商に情けをかけてはならないのだ。

 私は、また事前情報ゼロの担当者と同じ交渉をせねばならぬ。

 そもそも、本来行政が建てねばならぬ防災倉庫を、なぜ住民の負担で建てねばならぬのか。それが一番のボタンの掛け違いである。お上は大垣市民を愚かな猿と思っているようだ。

 

『列子』の「朝三暮四」の話

 宋の国に狙公と呼ばれている男がいた。狙公というのは「猿好きのおやじ」の意。猿回しをなりわいとしていた。たいへんに猿を可愛がり,猿もまた公によく懐いていた。

 公は家の者の食を減らしてまでして、猿に餌を与えていた。しかし急に貧乏になり、猿の食いぶちを制限せざるをえなくなった。

そこでまず猿を騙してこう言った。「おまえたちにドングリの実をやるのに、朝は三つで晩は四つにしようと思うが,どうかね」と。

 すると,猿たちはみな立ち上がって怒りだした。そこで狙公は、急に言葉を変えて、「では朝は四つ,晩は三つでどうかね」と言ったところ,猿たちはみな喜んだという。

  列子は、中国戦国時代の諸子百家の一人列禦寇の尊称。または、その列禦寇の著書とされる道家の文献を指す。

 これは大垣市長が大垣市民を騙す手口である。小賢しい者が、愚か者を言いくるめる手口である。

「大垣市の危機管理体制は絶対に信用するな」と心に刻んだ。

「自分の城は自分で守れ」トヨタ生産方式の鉄則である。

 大垣市長は何を勘違いしたのか、自分達の城(大垣市新市庁舎)だけを、防災万全して、のほほんとしている。なにせ県下一豪華な新市庁舎である。役人の風上にも置けない愚劣さである。その立派過ぎる市庁舎の為、3億円の維持費が足りなくなり、ゴミ袋有料化をごり押しした。それもゴミ量が減っているのに、増えたと大嘘を言っての増税である。

 

1

1_2

   「広報おおがき2023年4月1日号」

 

 2023-04-07  久志能幾研究所通信 2662号  小田泰仙

累計閲覧総数  375,608

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年4月 6日 (木)

巡礼 芸術家の心を拝む ― 若月陽子

 

 2023年4月5日、愛知県美術館ギャラリー8Fで開催されている「中部女流美術 春艸会展(4月4日~4月9日)」に行ってきた。そこで木口木版の作品に感銘を受けた。私は木口木版の作品に初めて触れた。その詳細を、実物を前に山路徹先生に解説をしてもらった。

 この作品はシルク印刷、型による押しけ版画等の複合の手法を使っているようだ。

 私はこの種の作品を初めて、本気で観たので、興味深かった。今までどこかで見ているはずだが、解説をしてくれる人が一緒にいると、それが初めて分かる。

 この若月陽子さんの作品は、岐阜市川原町のギャラリー Saganでの個展で展示される予定である。

 

木口木版

 木口木版は、木を輪切りに切り出した表面が硬質な木口板を版木として使用し、ビュランを用いて彫ることで、精密で繊細な表現ができる木版画です。

 

 木口木版は西洋木版とも呼ばれ、18世紀末にイギリスのビウイックが発明し、平圧プレス機で活字と同時に印刷できることからヨーロッパでは書籍の挿絵として発展することになりました。

 版木として使用される木材は、板目の版木よりも硬質で、目が詰っていて密度のある黄楊(ツゲ)や椿、梨、楓などの硬い木材が用いられます。しかし、これらの木材は生産量が少ないことや、木の太さのサイズまでしかとれないことなどから、四角く裁断した木口を接着した寄木の版木も作られています。

 

木口木版 - こぐちもくはん | 武蔵野美術大学 造形ファイル (musabi.ac.jp)

http://zokeifile.musabi.ac.jp/%E6%9C%A8%E5%8F%A3%E6%9C%A8%E7%89%88/

 

P1100081s

P1100084s

  愛知県美術館ギャラリー8F

P1100074s

   若月陽子作 

P1100079s

P1100080s

P1100089s

P1100090s

P1100091s

P1100092s

  若月陽子作   部分

 

 

2023-04-06  久志能幾研究所通信 2660  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年4月 3日 (月)

宗教団体脱会後(7/12) 生前火葬から逃走

自尊心と誇りが燃やされ灰になる

部長の末路

 定年退職とは生前葬である。定年延長として会社に残ると会社で「生前火葬」の葬儀がある。生前火葬では魂が焼かれる。生前葬が終わったのだから部長、課長の肩書は剥奪され、無地の白い名刺となる。白い経帷子のような派遣社員制服を着る。そして自分より能力の低い部下に、引導を渡される。派遣社員扱いで働かされ、自分の自尊心と誇りが燃やされ灰にされる。職位権限がないので、周りから軽んじられる。2,3年も務めると焼きもちの火よりも強烈で、長時間の火力に嫌気がさす。満期の5年の刑期を務める人は稀である。よほど面の皮が厚いか心臓に毛が生えているか、家のローンが残っているかでないと、続かない。その定年後の5年間で、すっかり精力、気力が燃やされて、魂の抜け殻だけが残り、生前火葬が終了する。あとは徘徊の人生が待っている。

 

料理長の末路

 職人の世界でも、辣腕の料理長として長年君臨していても、定年になって元の職場で働けば、若造から「ジジイ」扱いされ、「おいジジイ、この皿洗っとけ」である。「ジジイ」ならまだましで、「クソジジイ」ではプライドも消滅である。

 

逆縁の菩薩

 私は定年後の元部長が、昔の部下の課長の下でヘイコラとしている卑屈な姿を見て、定年後に会社に残るのをやめた。定年後の悲惨さを教えてくれた元部長は逆縁の菩薩であった。

 定年後の5年間で仕事は同じ、給与は半分以下で働けば、精力と気力を使い果し、その後の起業がほぼ困難になる。定年後の起業には体力も気力もいる。その大事な時期を生前火葬で灰にされてはかなわない。定年と言う生前葬が終わったら、その後は人生の主として歩みたい。裕福でも奴隷生活は嫌である。

 

コンビニ店の奴隷並みに転落

 定年後、会社に残って働けば、元基幹職でも給与は約三分の一に激減する。それでも年金よりは倍近く多い。定年後の計画がないなら、それでもかまわない。それでは、年間1,800時間の自由が奪われる。定年後の自由時間は、サラリーマンという奴隷生活から解放された黄金の時間である。

 年金での生活にプラス150万円程を稼ぐために1,800時間の自由時間が奪われる。150万円を1,800時間で割ると、ファーストフード店やコンビニのアルバイトの時給以下となる。

 時給 1,500,000円÷1,800時間=833円/時間

 

 会社は、経験豊かな人材を格安でこき使える。自分の老計・死計を考えると、有益な選択肢ではない。それで私は、早期入棺を拒否し、生前火葬から逃走した次第である。

 

生前火葬から逃走

 誰にでも守るべき自尊心がある。それを放棄するのは奴隷の人生である。還暦まで生きてきて、そこまで落ちぶれたくはない。私は、絡め手の引き留め工作を振り切って、焼かれる前に逃亡した。生前火葬からの逃走後に、多くのご縁が生まれた。生前火葬されていれば、新しい人生は生まれなかった。

.

現代社会の病

 現代の日本社会が停滞しているというが、現在の会社組織が持てる人材を有効活用せず、経験豊富な人財を奴隷のように処遇している結果なのだ。年功序列を捨て、安易な拝金主義に染まった結果が、今の日本の没落なのだ。1%の富裕層と99%の貧民層の格差社会を生む真因である。そこを見直さないと、日本の復活はない。

4k8a02371s 

  馬場恵峰書

.

 

2023-04-03  久志能幾研究所通信 2660  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年4月 2日 (日)

宗教団体から脱会後(6/12)未病との戦い

健康管理から未病管理に

 人は60歳までは生命力があるから、煮ても焼いてもそんなに早くは死なない。会社という宗教教団は、定期的に健康診断をして健康を管理してくれる。60歳までは、体がまだ現役で病気にはなりにくい。

 しかし還暦を過ぎると免疫力が急に減少するから、病気を発症しやすくなる。免疫細胞に抑えられていたがん細胞も活性化する。だから定年後は、発病しないように、体を労わろう。健康状態の監視と無理のない生活を心がけよう。具体的には、早寝遅起き、少食、正しい食事、適切な運動を心がける、である。

 私は今まで健康であったので安心していて、還暦後の定期検診をさぼったらガンになった。実際は60歳以上ではがんの罹患率が急上昇する。

 

未病

 未病とは、「発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態」を指す。どんなものでも生老病死である。寿命80年の機器を60年以上もこきつかえばガタが来て当然である。還暦後は病気発症の直前である。それが未病である。その壊れやすくなった体を今まで通りにこき使うから、故障(死)してしまう。それは宇宙根源の理である。

 

戦死

 私が還暦になった時、今まで一緒に仕事をしてきた仲間の24名が世を去っていた。高度経済成長期、その後の失われた20年間、彼らはビジネス戦士としてがむしゃらに働いた結果である。今思うと、当時の会社はブラック企業であったのだろう。私は生き延びられたことをご先祖に感謝をした。

 

自衛隊

 その未病状態を病気にならないようにする防衛戦争は、体内の自衛隊(免疫細胞)が遂行している。その自衛隊を後ろから撃たないことだ。そんなことをすると、2018年11月、「自衛隊は暴力装置」と罵った民主党の輿石幹事長と同じ売国奴になってしまう。自衛隊が無ければ、今頃、日本は中国に尖閣諸島を盗られている。終戦直後は、日本に自衛隊が無かったので、竹島は韓国に不法占拠され、そのままだ。体の免疫細胞がなければ、人はすぐ死んでしまう。

 運動不足、夜更かし、深酒、大食いの禁止である。添加物満載のファストフードや外食、中食、コンビニ弁当等を控える、である。狂った生活習慣を避け、狂った食生活を止め、人間として当たり前の正しい生活を過ごす。それしかない。

 

現代病の原因

 現代日本のがんの増加、糖尿病の激増という現象は、拝金主義に侵された食品メーカに、心が侵蝕され、飽食に洗脳された結果である。儲かれば、相手が病気になることが分かっていても、毒ある食品を売りつける。それが現代の食品メーカである。自分の出世のため、添加物や防腐剤の認可を無制限する。それが日本の官僚である。それが現代の食品メーカ、官僚組織である。

 拝金主義の現代医療、対処療法の安易な治療法が蔓延して、病気が更に広まっている。だから40年前の4倍に医療費が増加して、病人も4倍に増えたのだ。

 2000年前と変わらない人間の精神耐力に、過度の拝金主義過剰の仕事を押し付けられて、体が悲鳴を上げて、鬱病、精神病が増えただけである。

 

必ず死ぬ

 人は生老病死が原則である。いくら頑張っても最終到達地は死である。せめて病になる時期、死の時期を少しでも延ばすのが養生である。慌てなくても、あっちから「お迎え」は来てくれる。死ぬ時に後悔しない生き方であれば、安心である。

 未病時代は、残された時間を考えて行動すべきである。時間など無限にあると思って暮らしているのが人間である。それは2000年前から変わらない。愚かさは、2000年前から少しも進化していない。医師から余命を宣告されて慌てるのは、今も昔も同じだ。それをローマの政治家セネカが述べている。

 

 

時間の浪費   p 35

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。

     「人生の短さについて」3-4

  中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』 岩波書店 2003年

 1

   馬場恵峰書

.

2023-04-02  久志能幾研究所通信 2659  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2023年4月 1日 (土)

見学記 虎渓山永保寺

 2023年3月22日、多治見市の柴田節郎工房へ行く途中、山路徹先生の案内で虎渓山永保寺に寄り、境内を見学をした。大垣からこんな近い場所に国宝の禅寺があるとは知らなかった。見学して目の保養をさせてもらった。静かな境内を散策するだけで、心が洗われる。京都の禅寺より立派である。俗世間のお寺と違い、観光客も皆無に近い状態で、静かな佇まいである。

 

 この禅寺は鎌倉時代の1313年(正和2年)、土岐氏の招きを受けた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居し開創された。

 

 観音堂前の庭園は、臥竜池と称する池に反り橋の無際橋が架かり、浄土教的庭園の様式を感じさせる名庭である。この庭園は、国の名勝に指定されている。この禅寺は建築・庭園・墨跡など禅の美術で注目されている。

11dsc00146s

12dsc00149s

13dsc00152s

14dsc00153s

15dsc00137s

国宝 観音堂

 この本殿は下記の理由で国宝に指定された。

  1. この建物が、鎌倉末期の唐様建築のすぐれた代表的遺作
  2. 唐様建築の手法に、平安朝からひき続いた和様建築の手法を折衷させた建築
  3. 建築の主要部に比較的改修後補が少なく、当時の面影を完全に保っている

 

 桧皮茸の伸び伸びした軒ぞりを持った豊かな屋根、上屋と裳階の巧みな均斉に、どっしりとした安定感を与える荘重な姿は、代表的な禅宗特有の建築スタイルである。すなわち、

  1. 軒に垂木を用いず四隅に隅木が見えるだけで板張
  2. 枓栱が詰組でなく亜麻組
  3. 円柱の上部には粽をつけ台輪をおくが、下部には粽も礎盤もない
  4. 床は坐式礼拝ができる拭板敷、裳階前面一間通りは吹き放し

 

 正面観音開きの桟唐戸には上半に精巧な美しい花狭間の組子がはめこまれている。須弥壇の上の岩窟式厨子には、聖観世音菩薩の坐像が本尊として納められている。

(虎渓山 永保寺について|虎渓山永保寺(公式サイト)より引用編集)

 

虎渓山 永保寺について|虎渓山永保寺(公式サイト) (kokeizan.or.jp)

https://kokeizan.or.jp/pages/19/

 この禅寺で目についたのが、焼き物の灯篭である。流石、多治見市は陶磁器の里である。灯篭まで焼き物である。

 

21dsc00154s

22dsc00156s

永保寺のイチョウ

31dsc00138s

32dsc00145s

Dsc00134s

Dsc00142s

2023-04-01  久志能幾研究所通信 2658  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。