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2022年1月

2022年1月 3日 (月)

愛癌千日回峰行 感謝して歩む(改)

 

お見送り

 目の前の自分のガンと自分の死を考えていたら、この5年間で、師を7人も失っていたことに気が付いて、愕然とした。同じ世代の上司や元仲間が数多く旅立って行った。自分も人生劇場から退場する歳になったのだと思い知らされた。

 生かされている有難さと、日暮れて道遠し、を改めて感じた。

 いつかは、自分も見送られる身となる。だからこそ、一日一日を大事にしたい。何を遺すのか、それを考える日々である。昨年と今年ほど、それを痛感した年はない。その中で日々好日との生き方を貫きたい。

 

 3年前の2018年12月25日に河村義子先生が亡くなられて、それで胸騒ぎを覚えてガン検診を受けたら、私にもガンが見つかり、2019年2月に手術であった。

 

伊與田覺先生 (2016年没、101歳)、百歳の論語を学んだ

渡部昇一先生 (2017年没、86歳)、知的活動を学んだ

河村義子先生 (2018年12月25日没、61歳)、私のピアノの先生

私のガンの手術 2019年2月12日 

今川順夫先生 (2019年6月24日没、95歳)、

             丸順の創業者、父がダモイの会のご縁 

後藤悦夫先生  (2020年没、76歳)、私の英語の師

馬場三根子先生 (2020年3月3日没、88歳)

馬場恵峰先生  (2021年1月1日没、94歳)

元上司のMさん (2021年没、73歳)

元上司のS元副社長(2021年没、84歳)

仕事仲間のM課長 (2021年没、76歳)

隣部署のH部長  (2021年没、71歳)

 

定期的ガン検診

 先日(2021年11月1日)、愛知県がんセンター(愛癌山)で癌の定期検診を受けた。その結果で前立腺癌と肺がんが疑われ、再検査でMRIと血液検査を受けさせられた。今日(2021年11月8日)、その結果を聞きに、愛知県がんセンターに行ってきた。結果は、異常なしでほっとした。検査機械は疑わしき場所に過剰反応をするようだ。それで再検査となる。

 私はガンの手術後、3ヶ月ごとに血液検査、半年ごとのCT検査、1年毎に胃カメラとCT検査であった。この3年間は、毎回その結果に左右される不安の日々であった。私は、それを払拭するために、前向きの取り組みをして全力で生きている。そうでないとガンに押し潰さるだろう。

 

 

手術前に葬儀の段取り

 2019年2月12日、私は愛知県がんセンターで癌の手術をした。私のがんはステージⅢで、5年後の生存率51%であった。つまり5年後には同じ病気の人の半分が死ぬ。私は覚悟を決め、葬儀の段取りのお願いをして、その費用を払い、戒名の手配、死後50年間の法要の費用を払ってから手術を受けた。

 退院後後、馬場恵峰先生に戒名を揮毫してもらい、それを墓誌に刻んだ。まだ生きているので、戒名の刻字に朱の墨を塗った。

 ご丁寧に死を焦った?せいか、墓誌の字に手違いがあり、墓誌をつくり直す失態を犯した。それも3回も、である。墓誌は石であるので、間違えれば造り直しである。半端な金額ではない。軽自動車が買えてしまう金額である。情けない話であるが、まだ死ななくても良いとのお告げと解釈した。

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    墓誌の写真(個人情報につき省略)

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 司法書士に死後の財産の贈り先の遺言状を作成してもらった。

 大峯千日回峰行では、行に入る前に生前葬儀が行われる。回峰行では死に装束で大峯山を歩く。

 私の場合も、それを意識した準備でもあった。

 

私の行

 今日(2021年11月8日)で、手術後丁度1,000日が経過した。今、その計算して、数値が千日ピッタリであったのでビックリである。私にとってこの1,000日間は、毎日が癌再発防止との闘いで、それは千日回峰行と同じ修行であった。毎日、目が覚めると愛癌山に登り、誘惑の多い怠惰な生活を断つ修行の日々を送り、修行の愛癌山から下りて眠りにつく。この千日間は、それとの闘いの繰り返しであった。

 

 大峯千日回峰行では、毎朝、滝行として滝で水を打たれてから出発する。

 私は、ナグモクリニックの南雲吉則先生から助言を受けて、毎朝、毎夜、お風呂で水を浴びることを再開した。これは皮膚に刺激を与えて、自律神経の活性化を図る意味がある。自律神経の活性化は、免疫力の向上につながる。現在で2年くらい、水浴びを継続している。

 大峯千日回峰行では、その修行を途中でやめるには、持っている短刀で切腹するか紐で首を吊って、皆さまに死をもってお詫びをするしか、その行を終えことができない。

 癌患者は、癌再発防止の生活の掟を破ると、切腹(開腹手術)である。毎日が死との闘いである。すこし油断をすると癌が再発する。

 この千日間、愛癌山への長い坂(地下鉄自由が丘駅から愛知県がんセンターまでは長い坂道)を何度も上って、下りてきた。幸い、神仏のご加護で現在まで生き延びさせていただいた。同じ病の河村義子先生は、その途中で亡くなられてしまった。それを思うと自分の幸せを感じる。

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晴れた朝、がんセンターまでの長い坂を上る。 2021年10月19日、9時

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 愛癌山からの帰路で、午後は雨となった。

 時には涙(雨)に濡れて長い坂を下ることもある。

 回峰行では、途中で挫折(死)もあるだろう。2021年10月19日、13時

 

癌との闘いに負けなかった理由

 私が癌を再発させず、3年間を生き延びられた最大の要因は、がんと闘わなかったためだと思う。医師の余命宣告を信じなかったためである。

 塩沼亮潤大阿闍梨が著書『人生生涯 小僧のこころ』(致知出版社)言われているように、「大峯山を征服して千日回峰行を達成するのだ」と、山を征服するつもりで、山道を蹴って闘うが如く歩くのでは、千日回峰行を達成できなかったという。それでは山からしっぺ返しを受ける。そうでなく、一歩一歩を「感謝、感謝」と念じながら歩いたから達成できたという。

 

 それと同じで、我々凡人も毎日の歩みを感謝で生きることだ。癌になったのも感謝である。癌になった運命を恨んだり、嘆くだけではガンは治らない。対処療法だけでも治らない。この世は因果応報である。癌になったのには原因がある。また私が癌にならなければ、狂った生活を続け、早晩に心筋梗塞、脳梗塞等で死んでいただろう。私は癌になった原因の狂った生活を見直し、健全な生き方に変えた。

 がんは外からきたウイルス等ではない。自分の内なる細胞が、自分の狂った生活でガン化しただけである。今までなんと間違った生活をしてきたかを、がんになって気が付かされた。毎日を正しい生き方で、日々の出来事に感謝して生きれば、がんは再発しないと確信した。

 

残り人生、生老病死

 そうは言っても、後50年も生きられる訳ではない。生あるものに、死は必然である。此の世は生老病死、輪廻転生である。今生きていることを喜び、感謝して与えられた使命を全うしたいと思う。後世の残す仕事をして旅立ちたいと、毎回、愛知がんセンターのロビーに展示されている「生生流転」の像を見る度に思う。自分は何のために生れたのか、自分の使命は何か、と。自分は生きているのではない、生かされているのだ、と。

 この像は、私が愛知県がんセンターに入院中、何度も何度も見続けた像である。この像をみて生老病死、輪廻転生を考え続けた。

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2019年1月28日 撮影 愛知県がんセンター ロビーにて

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2021‎年‎11‎月‎1‎日、‏‎10:20    撮影

がんセンターの入り口に、3年前はなかった「入口専用」「出口専用」の表示ができた。新型コロナ対策の一環である。

人生でも生を受ければ、何時かは死をもってこの世を出ていかねばならぬ。その表示に人生を感じた。

 

 

大峯千日回峰行

 千日回峰行 (大峯)は、奈良県大峰山において金峯山修験本宗で行われる、回峰行の1つ。吉野山金峯山寺蔵王堂から大峯山山上ヶ岳頂上までの片道24kmを往復(48km、標高差1,355m)する。それを千日続ける。雨が降ろうが、台風が来ようが、24km先の大峰山に行かねばならぬ。行かなければ、その時点で終わる。

 

 金峯山修験本宗の1400年間で、大峯千日回峰行を満行したのは、2人のみ。その一人が1991年に大峯千日回峰行を満行した塩沼亮潤大阿闍梨である。

 比叡山での千日回峰行では、51人の満行者がおられる。

 

 1日で一往復する。往復する期間は、戸開けの5月3日から9月23日の戸閉めまでの山開きの間で行う。決して途中で止めることはできない。止める場合は死出 紐や短刀で自害する。

 

毎日の行動

 蔵王堂の地獄谷の宿坊に寝起きする

 前日の午後11時25分に起床し、滝行を行う。

 参籠所で死出装束を整える

 0時半頃出発し、山中118箇所の祠で般若心経を称える

 金峯神社、新茶屋跡、百丁茶屋跡、五番関、泥辻茶屋を経て8時半頃に大峰山頂に到着

 

参考文献

塩沼亮潤・板橋興宗著『大峯山千日回峰行』春秋社

塩沼亮潤著『執らわれない心』PHP

塩沼亮潤著『人生生涯小僧のこころ』致知出版社

塩沼亮潤著『毎日が小さな修行』致知出版社

塩沼亮潤著『人生の歩き方』致知出版社

 

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2021-11-08  久志能幾研究所通信 2202号  小田泰仙

2022-01-03  久志能幾研究所通信 改定 2260号

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2022年1月 2日 (日)

今度は戦争だ! 人間とゴジラの戦い、南海トラフ巨大地震

 

 人間が怪獣ゴジラに戦いを挑むのは愚かである。勝てるはずがない。それはウサギがライオンに歯向かうようなもの。脱兎の如く逃げるのが、最良の選択である。

 南海トラフ巨大地震は、2035年±5年で100%起きることが統計的に計算されている。巨大地震が巻き起こす巨大津波は、人間にとってゴジラと同じである。いくら知恵を絞っても勝てるはずがない。「孫子の兵法」の「三十六計逃げるに如かず」である。

 

津波の恐怖

 南海トラフ巨大地震は、日本列島の近傍で発生するので、32m高の津波が、わずか5分間で海岸沿いに襲ってくる。東日本大震災時は、遠くが震源地だったので、津波が来るまでに1時間の余裕があったので逃げられた。それでも東日本大震災では、津波高さ10mである。それが南海トラフ巨大地震では、津波高さ32mで、10階建てビルと同じ高さである。津波襲来が地震の5分後では、10階建てのビルの屋上に物理的にも、体力的にも逃げることができない。車で逃げても、5分間では物理的に遠くに行けないし、道路が大渋滞となるはずで、逃げられないだろう。

 

政府の対策

 智慧ある人間にできる手段は、海岸沿いに住んでいるなら、そこから住居を移すことだけである。巨大な防波堤を造るか、沿岸部の施設を内陸部に移せばよいが、物理的、費用的、時間的に困難がある。いくら困難でも、巨大な防波堤を造り、施設や住宅を内陸部に移す国土強靭化対策を取れば、その被害は少なくできる。決断があるだけである。

 相応の投資をすれば、総額1410兆円と想定される被害が、かなり減らせるのだ。これは戦争だとして、防災に300兆円を投資しても、結局日本にとって利益があるのだ。わずか国家予算の3倍だ。働いて返せばよいだけだ。国土強靭化政策の一環としてやるべきだ。

 

 これは政治の問題である。今の優柔不断な岸田政府では、絶望である。市民にできることは、そんな政治家に投票しないことだ。そうしないと日本は変わらない。

 現在の政府は、2022年冬季オリンピックのボイコットさえ、直ぐに決断できない情けなさだ。C国の人権侵害非難決議さえできない拝金主義者・風見鶏たちである。世界から笑われている。だれがこんなレベルの政治家に投票をしたのだ。

 

個人でできる対策

 しかし、個別に住居を内陸部に移すことは、約10年の時間があるから、個人の決断さえあれば可能である。今が働き盛りなら、10年後の定年退職に向けて津波から安全な内陸部に計画的に新居を建てればよい。たとえ地震で家が壊れても、津波に飲み込まれる事態は避けられる。命さえあれば、立ち直れる。

 

疎開

 太平洋戦争の時、東京の人の多くは、B29の空襲を避けるため、田舎に疎開した。1944年の東京大空襲で11万5千人が焼死されたが、疎開した人は助かった。疎開した人は、竹槍でB29と戦かおうとは考えなかった。賢明な市民にできたことは、疎開(逃げる)することだけだった。

 東京大空襲で生き延びたのは強い軍人達ではない。環境にもっとも適応して、「逃げた(疎開した)」民間人たちである。

 

ダーウィンの法則

 (危機に遭遇して)生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」。

 巨大津波が来ることが分かっていれば、その場所から逃げる決断をした人種が生き延びるのだ。来ることが分かっているのに、無為無策で過ごすのを愚かという。そういう種は、地震が来る前に滅びる。

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   東京大空襲後の焼け野原

 

助言

 私は危険な場所に住んでいる昔の仲間に、この件を助言していく計画である。昔の仲間がみすみす津波で死ぬのを見逃せない。多くの仲間が名古屋市の南部の海抜ゼロメータ地域に住んでいる。

 災害は、準備をすればその8割は被害を減らせる。

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 上図は大垣の新市庁舎。高さ38m。市民税を貪り食う妖怪が住む館である。

 大垣市の役人達は、岐阜市よりも2割も過剰に豪華で、安全な市庁舎に居座り、市民の家の耐震補強工事の補助金を以前は200万円だったのに、新市庁舎建設の為、今の50万円に減額する仕打ちをする役人達である。耐震補強工事の補助金は、南海トラフ巨大地震対策での補助金なのに、この有様である。後は推してしるべし、である。

 南海トラフ巨大地震では、大垣新市庁舎の高さの津波が地震5分後に沿岸部を襲う。東日本大震災の津波のレベルではないのだ。「三十六計逃げるに如かず」しかない。

 それが賢い選択である。

Dsc06566s 松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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2022-01-02  久志能幾研究所通信 2259号  小田泰仙

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2022年1月 1日 (土)

大晦日・元旦は山籠もり、心の断食

 

 今年の年末年始は、山籠りで頭と心の中を整理、整頓、清掃、清潔をして、心のゴミも捨てた。大晦日夜の一仕事が終わって眠り、目が覚めたら、日の出の時間であった。山荘(標高30m?)の窓から日の出を拝み、合掌して人生の決意を新たした。トヨタ生産方式の5Sをして人生を新たにした。その後、入浴して、ちめたい冷水シャワーで身を清めた。おせち料理も頂き、年初の決意と、静かな山荘の室内で今後10年間の目標も決めた。

 

 今後10年間で、小ホールの完成、コンサートピアノの購入、ミニホールの改造工事(拡張、防音工事、エアコン設置)、震度7に耐える家の新築、を目標に定めた。そのための最優先事項は、健康管理である。健康で生きていればこそである。死んでもいいから、健康であることだ。

 

お体お大事に

 大晦日の夜は、山荘で年越しそばも頂いたが、それに無料サービスで、缶ビールと缶オレンジジュースが付いていた。しかしそれは辞退である。私は完全禁酒である。缶ジュースは糖質が多く、血糖値を急上昇させるので、血管内部の細胞を傷める。それが病気や認知症の原因となるから、私は飲まない。山荘側ももう少し客の健康を考えて欲しい。

 

空の世界

 自宅にいると、家中に煩悩の塊のような品々が溢れているので、つい雑念が入り、精神が清らかにならない。山籠もりの山荘の部屋には、何もないので、落ち着いて考え事が出来る。

 山荘では、テレビは全く見なかった。番組表を見ても、毎年のドタバタ番組ばかりで、見る気にもならない。

 備え付けの冷蔵庫の中もからっぽである。家にいると、中に入っている食料に釣られて、つい冷蔵庫のドアを開けてしまう。それがないので平和である。

 電話がかかってくることも、来客が来ることもない。

 郵便物も新聞も、メールも山荘には来ない。

 そのお陰で静かな新年を迎えることが出来た。

 

 羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経(行きましょう、ゆきましょう、とらわれなき悟りの世界へ)、である。

 

新境地

 心も環境もからっぽで、何もないから新しい考えが浮かんでくる。空即是色、色即是空である。コップに一杯水が入っていれば、それ以上に水を入れることができないと同じである。水を新たに入れるには、入った水を出さねばならぬ。

 息を吐いて吐いて、さらに一息吐いて、肺をからっぽにすれば、新鮮な空気が肺に入ってくる。中途半端に息を吐くから、体の新陳代謝が活性化しない。それと同じである。

 

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2022-01-01  久志能幾研究所通信 2258号  小田泰仙

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寅年、年初の決意

 

 私は毎年、年初に人生方針を見直している。その決意を再確認した。守るべきは、自分の人生である。自分の人生を幸せにすることが親孝行である。親は自分が幸せになるために、最大の支援をしてくれた。自分が幸せになることが、最大の恩返しである。

 

 

過ぎ去る時間は命の刻み

一刻の値は血の一滴

人生の大事を急げ

 

未来への道なき道は、常に泥濘で赤信号。

報恩感謝と希望を持ち、志を高くして、

一歩又一歩、勇気を出して赤信号を前進する。

歩んだ後が道となる。

 

仕事とは祈り。祈りが未来を創る。

人生の最大の仕事は自分創り。

志を天命と信じ、人事を尽くす。

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 馬場恵峰書

2022-01-01  久志能幾研究所通信 2256号  小田泰仙

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