カテゴリ「馬場恵峰書の写真集」を新設
馬場恵峰書の写真集に関する情報を掲載します。
2017年9月24日 小田泰仙
馬場恵峰書の写真集に関する情報を掲載します。
2017年9月24日 小田泰仙
来る10月11日に100m巻物の馬場恵峰書『百尺巻頭書作選集』を出版します。本日、ユタカコピー㈱との印刷の詳細打ち合わせが終り、明日から印刷の工程に入ります。10月中旬より販売いたします。
A4横サイズ、全144頁、価格7,000円です。
本ブログは、下記のブログ内容と一部ダブりますが、総まとめとしてご参照ください。
下記はブログは、詳細情報として、ご参照ください。
「100mの巻物」という人生(1/2) 2017年8月20日掲載分
「100mの巻物」という人生(2/2) 2017年8月21日掲載分
カテゴリ「詞天王が詠う老計・死計 」
『百尺巻頭書作選集』の内容
本書は、書を学ぶ人のため、書芸の流派を超えて、書は心の鏡、文章は心の声なるものを紙面に分かりやすく多用化して揮毫された。後世に残すために書のお手本として、全種類の書体を揮毫されたのが、本書である。詩仙李白から始め「十首」、「六首」、「60」二字、「50」三字、「40」四字、「52」五字、「35」文、六字「八句」七字「七」、八字「十句」計262課題、唐詩16種、恵峰随筆、絆他9課題、知己塾講話26講(この分だけで15m)、恵峰詩文44、歌詞加古川旅情他恵峰作歌詞24、扇額「30」、扇面かな「21」、古典5、子供のしつけ方10条他名文「10」、一休いろは歌「48」、各種型状かな文42、訓言「10」等々550課題大文字、中字、細字、かな古典、現代かな調和体等の集大成である。
師の気力自己挑戦の巻を手に取って見て頂きたい。実物を見るのは4人がかりで大変だが、本の形で皆さんに見て頂けるようにしたのが本書である。師は上手でなくとも、真似していただけるような書を残したいとして揮毫された。素人の私からみて3カ所のミスがあるが、きちんと修正はされている。100mの巻物でたった3カ所のミスしかないことに驚嘆である。それも明治の三大名筆、近代書道の父と呼ばれた日下部鳴鶴の書を上回る名筆である(私の感想)。まさに神業で、それでミスがなければバケモノである。師が生身の人間であることの証明ともなる。
撮影の経緯
本書は、日本人も中国人も書いたことの無い100mの巻物に馬場恵峰師が挑戦され、2年がかりで2014年初春に完成された。この話を先生から聞き、こういう御縁は生涯でも滅多にないと感じ、また弟子としても記録に残さねばと思い、2014年4月10日、写真を撮らせて頂くために長崎に飛んだ。写真撮影で百mの巻物を扱うのに、一人では無理なので助っ人として福田琢磨様に応援を頼んで出かけた。
なにせ百mの巻物なので、まだ誰もこの作品を全部鑑賞した人はいない。たまたま写真撮影の前日に、知己塾の日程を一日間違えてお弟子さんが先生宅を訪れるという御縁があり、私の写真撮影の話を聞いて、それなら、私もお手伝いをさせてもらうと三名の書友の方が写真撮影の応援を頂いた。撮影を開始するととても2人では無理で、応援の書友の方に感謝と、日程を間違えてこの写真撮影の御縁に巡り逢うありがたさを感じた。
当日200枚ほどの撮影をしたが、帰宅後詳細に確認するとピントがあまく、不出来な写真があったので、再度、取り直す決断をして、一週間後に再度、長崎の飛ぶという御縁ができた。当日は4時半起床、6時32分発の電車に乗り7時50分発の飛行機でセントレアから長崎に飛び、3時間ほどかけて400枚前後の写真撮影(各2回撮影)をして19時50分発の飛行機でトンボ帰りをして22時30分に帰宅した。さすがに疲れが二、三日残ってしまったが、心地よい疲労感のある経験であった。
その後2年余が経過して、恵峰先生の書の写真集を作成していく過程で、カメラが世代交代し、今の目で見ると当時の撮影の拙さが目についてきたため、カメラを最新型に更新して、2016年11月28日に再度撮影する決断をして、完成したのが今回の書である。
前回からカメラ、三脚、照明装置、水準器が変わり、撮影技術、編集技術が回数を重ねることで向上して、現時点ではほぼ満足で来る仕上がりとなった。やはり経験を積まないと何事も向上しない。また良い機材は良い結果をもたらしてくれることを再確認した。高いものにはわけがある。
2017年5月に、初めて馬場恵峰書『報恩道書写行集』を出版して、その過程で多くの学びがあり、その反省を2冊目のこの「百尺巻頭書作選集」に反映できた。何事もやってみなければ分からないことばかりである。初めてこの100mの巻物を撮影して3年目してこの出版が完成する。感慨無量である。感謝。
2017-09-19
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。
百m巻物の再撮影
2014年4月に百m巻物を2回撮影して、百m巻物の写真集としては形にはなったが、当時は製本まではいかず、クリアファイルに各頁を納めて完成とした。その後2年余が経過して、恵峰先生の書の写真集を30冊余も製本化して作成していく過程で、カメラが世代交代し、撮影スキルも編集技術も向上した。今の目で見ると当時の撮影の拙さが目についてきた。それでカメラを最新鋭に更新して、2016年11月28日に再度撮影する決断をして撮影に臨んだ。
撮影の改善
前回からカメラ、三脚を更新して、照明装置を追加して、カメラに高精度水準器を設置した。撮影技術、編集技術が回数を重ねることで向上して、現時点ではほぼ満足で来る仕上がりとなった。やはり経験を積まないと何事も向上しない。また良い機材は、良い結果をもたらしてくれることを再確認した。高いものにはわけがある。この100m巻物の撮影は、これで3年越しの3回目の撮影である。何事も一回ではうまくいかないもの。良いものを作るには3度くらいの手間が必要だと納得した。
出版の目的
この巻物は、後世に残すお手本として書かれたと恵峰師はいう。この巻物をみようとすると数人係りでないと見えない。またどこに何が書いてあるか、書かれた恵峰師もうろおぼえである。製本化することで、A4版で索引として目次を追加したので、探せるし、書道のお手本としても価値がある。この100m巻物の試し刷りを見たお弟子さんたちにも好評であった。私の目的が達成されそうである。この100m巻物を、馬場恵峰先生の第二の公式出版書籍として、現在準備中です。10月出版を目途にしています。
当日の撮影状況
当日は、我々6名が100m巻物撮影を先生の教室の南側で進める中、恵峰先生は机の上で黙々と墓誌の揮毫に集中された。揮毫されている先生を垣間見て、我々はその集中ぶりに感嘆した。普通の書は下書きもせずそのまま書かれるが、墓誌に刻印するためか、寸法を測りながら慎重に揮毫を進められた。
撮影の合間に昼食になって、お手伝いに参加された自称「熟女」・「一応主婦」(?)の皆さんが手作りに昼食を持ってみえた。九州の家庭料理の美味しさと温かさに舌鼓を打って、疲れが取れた思いである。事前の皆さんからの手紙では「熟女5人が勢揃いしてお待ちしております。」との連絡があり、どうなることかとビクビクしながら(?)赴いた撮影現場である。
図1 撮影風景 照明器具の追加と三脚が更新された。
図2,3 私の家の墓誌の揮毫をされる馬場恵峰先生
2017-08-21
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一回目の撮影
馬場恵峰先生が100mの白紙の巻物を中国から買ってきて、今からこれに揮毫するという話を聞いたのが、2012年の知己塾の時である。恵峰先生は今まで10mを20本、30m、50mの巻物を書かれてきたが、今回、日本人も中国人も書いたことの無い100mの巻物に挑戦され、2年がかりで、2014年初春に完成された。この話を先生から聞き、こういう御縁は生涯でも滅多にないと感じ、また弟子としても記録に残さねばと思い、2014年4月10日、写真を撮らせて頂くために長崎に飛んだ。写真撮影で100m巻物を扱うのに、一人では無理なので助っ人として福田琢磨さんに応援を頼んだ。
なにせ100m巻物なので、まだ誰もこの作品を全部鑑賞した人はいない。たまたま写真撮影の前日に、知己塾の日程を1日間違えて、お弟子さんの一人が先生宅を訪れるという御縁があり、私の写真撮影の話を聞いて、それなら、私もお手伝いをさせてもらうと、仲間を誘って田添さん、兼俵さん、黒川さんが写真撮影の応援に来ていただけた。撮影を開始すると2人ではとても無理なことが分かり、応援に来て頂いた皆さんに感謝をし、日程を間違えてもらい写真撮影の縁があった不思議さを感じた。
当日200枚ほどの撮影をしたが、大垣に帰宅後、詳細に確認するとピントが甘く、不出来な写真があったので、再度、取り直す決断をして、1週間後に再度、長崎に飛んだ。前回お手伝いをして頂いた4名の方も、再度の撮影の応援に快く応じていただくことになり大感謝でした。当日は4時半起床、6時32分発の電車に乗り7時50分発のANAでセントレアから長崎に飛び、3時間ほどかけて400枚前後の写真撮影(安全をみて各2枚撮影)をして、19時50分発のANAでトンボ帰りをして22時30分に帰宅した。さすがに疲れが2,3日残ってしまったが、心地よい疲労感のある経験であった。1週間に2回も大垣からの先生宅訪問だったので、三根子先生も呆れ顔であった。
一字一生
この100 m巻物に人生を感じてしまう。100 mの巻物に、一字、一字、文字に心を込めて埋めていく作業は、人生に似ている。間違ってはいけない。焦ってもしかたがない。無駄な文字を書いてはならない。書いて来た痕跡が人生だ。意味ある言葉、自分が歩んできて学んだ言葉やその時、感じた所感を文字に移していく。途中で止めては、巻物は完成しない。自分の人生という巻物に、何を書くかは自由であるが、そこの己の人生観と成長の過程の証が表れる。人生に感じている美学も根性も露見する。
100 mの巻物において、素人目で見て、先生は3文字のミスをされているが、それをきちんと修正をされている。100 mの巻物を書いて、一文字も間違いがないのが理想であるが、それでは、人間の所業ではない。人ではない所業である。人でなしである。神業の筆力を持つ先生にも間違いがあって、むしろ安心をした。そこに人間の温かさがあった。
人生のやり直しはできない。しかし、間違いを正すことはできる。出直しもできる。間違いに気づいたら修正すればよい。出直しをして、新たな巻物に、第二の人生を書き始めればよい。それをせず、うやむやに第二の人生を中途半端に過ごすから、第一の人生の巻物をくしゃくしゃにする。自分が半生を歩んだ足跡を人生巻物に残し、その事実を直視して、新しい人生巻物に挑戦をしたいもの。
鬼美濃
武田家の武田四天王といわれた馬場信春公は、馬場恵峰先生のご先祖である。武田三代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加したが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかった。このため「不死身の馬場美濃」、「不死身の鬼美濃」と評されている。
長篠の戦いの中、織田・徳川連合軍との決戦で、武田軍は敵の鉄砲隊との攻防で有能な人材を次々と失い大敗を喫した。武田勝頼が退却するのを見届けると、殿軍を務めていた馬場信春公は、反転して追撃の織田軍と壮絶な戦いをして戦死した。『信長公記』に「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評される最期だった。享年61。人生50年といわれた時代の61歳で、現役の将として桁外れの奮闘には驚嘆する。
大阪夏の陣(慶長20年・1615年)に参戦した子孫が戦いに破れて、九州の山奥に落ち延び、焼き物の窯元として身を隠したという。
100mの巻物の挑戦を下書きなしの一発勝負で、たった3文字しかミスがなく、揃った字体、どんぴしゃの文末配置、素晴らしい書体を見ると、鬼美濃と呼ばれた馬場信春公の先祖がえりで、剣を筆に持ち替えただけと理解すると、先生の天分の由来が理解できる。表の顔の馬場恵峰先生は仏のような方だが、筆を持たせると書道の鬼となる。鬼にならなければ、後進を指導できないし、後世に残る作品は生まれない。
図1 100m巻物を前に馬場恵峰先生
図2 100mの巻物の撮影風景
100mの巻物の取り扱いは4人かかり。巻き取るにもその重量と巻き癖の修正で大変。その間、思わず手を止め巻物の書体に見とれる黒川さん
図3 欠
図4 100m巻物の思い出深いワンショット
勢い余ってお手付き? 撮影した600枚中の1枚。良き思い出の記念写真。手の位置も「雅の趣が残る」とは、偶然にしては出来すぎのご縁です。人生という巻物で見えない四隅で巻物を押さえて頂いている手がある。それに気が付くかどうかが、人生の幸せを決める。
図5 中友好書画交流展 大村市 2012年12月14日
10m、30m、50mの巻物を書き上げてきた実績があって、100m巻物が完成する。ローマは一日にしてならず。
2017-08-20
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