「100mの巻物」という人生(1/2)
一回目の撮影
馬場恵峰先生が100mの白紙の巻物を中国から買ってきて、今からこれに揮毫するという話を聞いたのが、2012年の知己塾の時である。恵峰先生は今まで10mを20本、30m、50mの巻物を書かれてきたが、今回、日本人も中国人も書いたことの無い100mの巻物に挑戦され、2年がかりで、2014年初春に完成された。この話を先生から聞き、こういう御縁は生涯でも滅多にないと感じ、また弟子としても記録に残さねばと思い、2014年4月10日、写真を撮らせて頂くために長崎に飛んだ。写真撮影で100m巻物を扱うのに、一人では無理なので助っ人として福田琢磨さんに応援を頼んだ。
なにせ100m巻物なので、まだ誰もこの作品を全部鑑賞した人はいない。たまたま写真撮影の前日に、知己塾の日程を1日間違えて、お弟子さんの一人が先生宅を訪れるという御縁があり、私の写真撮影の話を聞いて、それなら、私もお手伝いをさせてもらうと、仲間を誘って田添さん、兼俵さん、黒川さんが写真撮影の応援に来ていただけた。撮影を開始すると2人ではとても無理なことが分かり、応援に来て頂いた皆さんに感謝をし、日程を間違えてもらい写真撮影の縁があった不思議さを感じた。
当日200枚ほどの撮影をしたが、大垣に帰宅後、詳細に確認するとピントが甘く、不出来な写真があったので、再度、取り直す決断をして、1週間後に再度、長崎に飛んだ。前回お手伝いをして頂いた4名の方も、再度の撮影の応援に快く応じていただくことになり大感謝でした。当日は4時半起床、6時32分発の電車に乗り7時50分発のANAでセントレアから長崎に飛び、3時間ほどかけて400枚前後の写真撮影(安全をみて各2枚撮影)をして、19時50分発のANAでトンボ帰りをして22時30分に帰宅した。さすがに疲れが2,3日残ってしまったが、心地よい疲労感のある経験であった。1週間に2回も大垣からの先生宅訪問だったので、三根子先生も呆れ顔であった。
一字一生
この100 m巻物に人生を感じてしまう。100 mの巻物に、一字、一字、文字に心を込めて埋めていく作業は、人生に似ている。間違ってはいけない。焦ってもしかたがない。無駄な文字を書いてはならない。書いて来た痕跡が人生だ。意味ある言葉、自分が歩んできて学んだ言葉やその時、感じた所感を文字に移していく。途中で止めては、巻物は完成しない。自分の人生という巻物に、何を書くかは自由であるが、そこの己の人生観と成長の過程の証が表れる。人生に感じている美学も根性も露見する。
100 mの巻物において、素人目で見て、先生は3文字のミスをされているが、それをきちんと修正をされている。100 mの巻物を書いて、一文字も間違いがないのが理想であるが、それでは、人間の所業ではない。人ではない所業である。人でなしである。神業の筆力を持つ先生にも間違いがあって、むしろ安心をした。そこに人間の温かさがあった。
人生のやり直しはできない。しかし、間違いを正すことはできる。出直しもできる。間違いに気づいたら修正すればよい。出直しをして、新たな巻物に、第二の人生を書き始めればよい。それをせず、うやむやに第二の人生を中途半端に過ごすから、第一の人生の巻物をくしゃくしゃにする。自分が半生を歩んだ足跡を人生巻物に残し、その事実を直視して、新しい人生巻物に挑戦をしたいもの。
鬼美濃
武田家の武田四天王といわれた馬場信春公は、馬場恵峰先生のご先祖である。武田三代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加したが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかった。このため「不死身の馬場美濃」、「不死身の鬼美濃」と評されている。
長篠の戦いの中、織田・徳川連合軍との決戦で、武田軍は敵の鉄砲隊との攻防で有能な人材を次々と失い大敗を喫した。武田勝頼が退却するのを見届けると、殿軍を務めていた馬場信春公は、反転して追撃の織田軍と壮絶な戦いをして戦死した。『信長公記』に「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評される最期だった。享年61。人生50年といわれた時代の61歳で、現役の将として桁外れの奮闘には驚嘆する。
大阪夏の陣(慶長20年・1615年)に参戦した子孫が戦いに破れて、九州の山奥に落ち延び、焼き物の窯元として身を隠したという。
100mの巻物の挑戦を下書きなしの一発勝負で、たった3文字しかミスがなく、揃った字体、どんぴしゃの文末配置、素晴らしい書体を見ると、鬼美濃と呼ばれた馬場信春公の先祖がえりで、剣を筆に持ち替えただけと理解すると、先生の天分の由来が理解できる。表の顔の馬場恵峰先生は仏のような方だが、筆を持たせると書道の鬼となる。鬼にならなければ、後進を指導できないし、後世に残る作品は生まれない。
図1 100m巻物を前に馬場恵峰先生
図2 100mの巻物の撮影風景
100mの巻物の取り扱いは4人かかり。巻き取るにもその重量と巻き癖の修正で大変。その間、思わず手を止め巻物の書体に見とれる黒川さん
図3 欠
図4 100m巻物の思い出深いワンショット
勢い余ってお手付き? 撮影した600枚中の1枚。良き思い出の記念写真。手の位置も「雅の趣が残る」とは、偶然にしては出来すぎのご縁です。人生という巻物で見えない四隅で巻物を押さえて頂いている手がある。それに気が付くかどうかが、人生の幸せを決める。
図5 中友好書画交流展 大村市 2012年12月14日
10m、30m、50mの巻物を書き上げてきた実績があって、100m巻物が完成する。ローマは一日にしてならず。
2017-08-20
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。
コメント