訃報 馬場恵峰先生
昨夜、九州の馬場恵峰先生がご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
ブログは1週間休載します。
2021-01-02 小田泰仙
昨夜、九州の馬場恵峰先生がご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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2021-01-02 小田泰仙
毎日、大垣の「ミニ奥の細道」を歩いていると、会社勤め時代に仕事の上でビジネス戦争を交わした仲間のことが思い出される。
定年後の10年間の人生を振り返ると、会社時代とは違う仲間、師との付き合いの中、多くの人間関係での葛藤を思い出す。そんな思い出が、東北の地で詠んだ芭蕉の句と重なりあう。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」 (岩手県平泉町)、
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 (山形県・立石寺)
そんな仕事上でのチャンバラも今は昔である。この10年間の人間関係の葛藤が夢のようである。蝉が地上に出て、騒々しい鳴き声を響かせるのもせいぜい1週間である。長い人生を思えば人間の絶頂期の数年は、蝉が鳴く期間と同じであろう。どんなに騒々しく働き栄達を極めても、10年もたてば会社から消える。一緒に一時期を戦い、ゴマすり戦争に敗れ飛ばされ、過労死や病魔に襲われ亡くなったビジネス戦士を思うと、哀愁を感じる。芭蕉も戦国時代に思いをはせ、上記の俳句を詠ったのであろう。自分はよくぞ無事に還暦を迎えられたと神仏に感謝したい。それから10年が経ち、癌に侵されたが何とか生き延びさせてもらっている。感謝である。
諸行無常
その帰属した会社さえグローバル競争時代を迎え、同じグループ会社と合併を余儀なくされ消滅した。グローバル競争時代にあっては、年商5千億円の自動車部品メーカは、中小零細企業なのだ。それでは生き延びられないと親会社からの指示で戦略的合併をさせられた。うたい文句は対等合併であったが、実質的に吸収合併で、吸収された方は、悲哀を味わうことになった。
会社の寿命も60年である。いくら花形産業としてもてはやされても、それは10年も続かない。いつかは衰退産業となり消えるのが運命だ。諸行無常である。会社生活の38年間、私は何と闘っていたのか、歩きながら考えている。
人生は旅であると芭蕉は詠う。「旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る」それが実感として伝わってくる。
無意識の罪ある人生
私も昨年は癌を患い、余命宣告され、芭蕉の読んだ句が、頭をかすめたことが度々であった。人は必ず死ぬ。それを前提に考えると、目の前の葛藤など些細なことだ。死んだ後、「後は野となれ山となれ」では投げやりの人生だ。そうでなく、人としてこの世に何を残すかを考えて生きたい。やりたいことではなく、やるべきことをやって、浄土に行くべきだ。人には使命、天命がある。それを実行する道具の体を大事にしないのは、天に対する反逆である。
人皆わが師
人生を振り返ると、「他人の言動や病は自分の師」なのだ。周りには、悪の師が多いが、そういう事をしてはならないとの反面教師でもあった。家族をタバコで癌にさせ結果として殺しても、その自覚もないまま、その夫も息子もまだ煙草を吸っている。家族がタバコを吸えば、乳がんの発生率が1.6倍になる。煙草は認知症のリスクも上げる。
新型コロナウイルスに罹るのも、発病する原因が自分にあったのだ。それをはねのける自己免疫力が低下していたのだ。
そういう人間の無意識の行動が、反面教師として「人皆わが師」である。
地獄への下り坂
私自身も、長年の狂った生活、狂った食生活で、自分を自分で癌に追い込んだ。その真因を悟らず、対処療法で済ませるから、多くの人は地獄に落ちていく。多くの人はその自覚さえない。自分がそういう罪を犯さないように、自分が反面教師の役目をしていた。自分が病の床に着かないと、そういう夢は見ない。
人は知らず知らずに「がんセンターへの長い坂」を登り、「地獄への下り坂」を辿っている。すべて自分が原因なのだ。
馬場恵峰書『奥の細道』全集 日中文化資料館蔵
2020-12-29 久志能幾研究所通信 1877 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
自分に厳しいことを言ってくれる方は、私を育ててくれる佛様だ。辛口の批評は、自分の行動の何所がいけないのかを教えてくれる。試験の成績が悪いのは、今の勉強のやり方が間違っていると親切に教えてくれている。
仕事での失敗は、何か間違っていると教えてくれている。市場での失敗は、自分の見識の未熟さを教えてくれている。市場は神の如くの評価をする。
大垣市の公示地価の暴落は、市長の小川敏の失政を市場が告げている。
病気とは、己の体の使い方に関する佛様の苦言なのだ。認知症は、狂った食生活、狂った生活習慣をしていることを教えてくれている。癌は生活習慣病である。狂った食生活、狂った生活習慣の結果なのだ。
私を幸せにしようと思わない相手は、無視をする。愛の反対は憎悪でなく、無視なのである。
人が甘い言葉をいい、お世辞やおべんちゃらを言うのは、自分をKY(空気の読めない人)に育てるための罠である。厳しいことを経験しないと、実社会ではやっていけない。KYになっては出世など夢の話。正規社員にもなれない。厳しい叱責で研鑽を積み自分の能力、精神力、人を見る目が養われる。佛の皆さんが私のために、能力向上のため、幸せになって欲しいと鍛えてくれている。どうしようもない人には誰も何も言わない。私もサラリーマン生活で、部下を持った時、見込みのない人間は無視をした。そうしないとやっていけない。
自分に向けられる厳しい言葉を、自分を鍛えるための愛の言葉と解釈をしよう。そう思うとき、曼荼羅の佛様がよってたかって自分を幸せにしてくれる。
耳中常聞逆耳之言
耳には常に痛いことばかり。それが自分を鍛えることになる。甘い言葉で褒められるのは、遅延性の毒を盛られるようなもの。(洪自誠著『菜根譚』)
あなたを地獄に落とす贈賄側の人間は、甘言で誘いノーパンしゃぶしゃぶ接待に連れて行く。苦労をしていない高級官僚が簡単に堕ちる罠である。
ああ、私も誘われたい…..
2020-12-27 久志能幾研究所通信 1875 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
芭蕉の「奥の細道」の旅は、最上川の急流を舟で下り、霊山巡礼登山で旅の峠を迎えた。芭蕉は、山岳信仰の霊山で知られる出羽三山の一つである月山に登った。元禄2年(1689年)6月6日、頭を白木綿の宝冠で包み、浄衣に着替えて、会覚阿闍梨と共に、宿泊地の羽黒山南谷の別院から山頂までの8里(約32km)の山道を登り、弥陀ヶ原を経て頂上に達した。時は既に日は暮れ、月が出ていた。山頂の山小屋で一夜を明かし、湯殿山に詣でた。他言を禁ずとの掟に従い、湯殿山については記述がない。唯一、阿闍梨の求めに応じた句として、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」で秘境の感銘を詠んでいる。現代でも、湯殿山での撮影は禁止されている。
『奥の細道』の作風は、この峠を境に雰囲気が大きく変わる。芭蕉三百年恩忌(1994年)で『奥の細道全集』(上下巻)を揮毫された馬場恵峰師も、この峠の記述を境に巻を分けて構成された。
人生の峠
小さな人生にもドラマがあり人生の峠がある。しかし、その峠にもたどりつけず鬼門に入った仲間が身近で10名余にも及ぶ。還暦を迎えて、無事に人生の峠に辿り着けた有難さを強く感じる。還暦を迎えてからも仕事仲間の5名の訃報に接した。還暦は人生の峠である。
還暦後に出会った音楽の師の河村義子先生にもドラマがあった。私が還暦を迎えた直前に義子先生は癌にかかられた。それが治癒した後の5年後に癌が再発され、余命5年と宣告されたようだ。手術をするとピアニストとして生きていけないと分かると、ピアニストとして最期まで生きたいと決断されたため、手術を拒否され、音楽道の深山に進まれた。その当時に、私とご縁ができたのは、仏様の差配だろう。
人生の深山
人には、語れぬ人生の深山がある。人生で、いつかは足を踏み入れねばならぬ深山である。芭蕉は死者としての白木綿の宝冠で包み浄衣に着替えて、山に入った。人は経帷子に身を包み、人には見せられぬ醜い自分を見るために、山を登る。人生で一度は越えねばならぬ峠である。その峠で、過去の自分の臨終を見送る。
死者として深山を上り、新しく生まれた赤子になって、上ってきた山道を下る。「他言を禁ず」の戒律は、人には語れぬ醜い己の臨終への佛の経なのだ。峠を下れるだけ幸せである。峠を下れずに、山腹で骨を埋める仲間も数多い。自然が唱える不易流行の経の声を聴き、己が神仏に生かされていることに感謝を捧げる。
義子先生も癌を患ってから、弟子に真の病気状を知らせたのは、限られた人だけであった。義子先生は、黙々と人生の音楽深山の石段を一歩一歩登って深山に分け入り、後進を育て、後世に残る仕事をされた。しかし義子先生はその深山の峠で、越えねばならぬ峠を越えられず、帰らぬ人となった。享年61歳。若すぎる死である。明日の12月25日は命日である。ご冥福をお祈りします。
出羽三山の一つ 羽黒山 ニの坂 2019年10月24日撮影
合計2,446の石段が続く
馬場恵峰書 『おくのほそ道』上巻 最終頁 日中文化資料館蔵
2020-12-24 久志能幾研究所通信 1872 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
今を精一杯生きているからこそ、鳴く声に生命力を感ずる。明日の命は分からない。今やるべきことをなせ。やりたいことではなく、やるべきことを成せ。交通事故、天災、新型コロナウイルス禍で、明日がどうなるかも分からない世の中だ。
蝉は土中で成長し、成虫となって地上でたった1週間の命を輝かせる。その間に子孫を残すために全力を尽くす。人ならば、死を前にして世に残すものに全力をかけて臨みたい。それが出来なければ、蝉にも劣る存在になってしまう。
明日は死
日本では、お風呂で年間2万人が死ぬ。自殺で2万人、一時は自殺者が3万人を超えていた。交通事故死で3千人だが、一時は1万人を超えていた。新型コロナやインフルエンザに罹り突然に3千人が死ぬ。心疾患で20万4,387人(2017年)が死ぬ。そのうち3万7,222人(2015年)が急性心筋梗塞の即死同然で死ぬ。それがこの20年間で2倍に急増している。死は他人ごとではない。
人は遅くても50年後には死ぬのだ。10年20年は誤差範囲である。
余命宣告
私も河村義子先生の葬儀後に、胸騒ぎを覚えて検診を受けたら癌が発見された。その癌の5年後生存率が51%だと医師から言われた。5年後に半分が死ぬ。余命2.5年の宣告と同じである。だから私は残された時間を大事にしている。時間は命なのだ。
河村義子先生は余命5年と宣告され、手術をするとピアニストとして生きられないと分かると手術を拒否して、ピアニストとして音楽道を全力で生きる道を選択された。私には死ぬ気配も見せなかった。だから義子先生の突然の訃報に茫然自失である。
人生で余命20年も5年も、人生の長さから言えば、誤差範囲である。余命1ヶ月なら、金を使いまくり毎日楽しく過ごせばよい。しかし1年以上も余命があるなら、人生で一仕事が出来る。虚楽的な生き方では、娯楽が逆に苦痛になる。だから余命宣告された人は、命をかけて世に残す仕事に全力をかける。
不死の者
多くの人は時間などいくらでもあると思って時間を無駄して生きているが、今日が人生最期の日かもしれないのだ。余命を意識して一日一日を大事に生きている者から見ると、他人は不死の者であるかのように振舞っている。しかし、いくら頑張っても後50年は生きられないのだ。だからこそ無為に生き永らえるよりも、限りある命を輝かせて、今を全力で生きたいと思う。
時間の伝教師
私は見送られるよりも、知人を見送ってあげたい。だから私は時間の大切さを皆さんに伝教している。
12月25日が河村義子先生の命日である。河村義子先生の追悼写真集(全134頁)が完成し、明日、印刷会社から自宅に届く。河村義子先生を覚えている人がいる限り、この記録がこの世に残る限り、義子先生は皆さんの心の中で生きている。明日、義子先生のご霊前にこの追悼写真集を届けます。
2020年12月24日、10時半に自宅に届いた
2020-12-23 久志能幾研究所通信 1871 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
馬場恵峰師の日本書道史上初の掛け軸60本の写真集(試し刷り)が完成した。あと微調整をして出版する。
前回(2020年11月19日、恵峰師の元を訪問した折、新幹線の中で、そのゲラ原稿を読み切って、やっとその内容を確認した。まさかこの歳で、幅30cm、長さ84cmの原稿60枚を、新幹線の中で校正する機会を得るとは思わなかった。
下記は、その「編集後記」である。
編集後記
この書は、日本書道史上初の掛け軸60本の写真集である。この軸の内容は、明徳塾、知己塾、日頃の書道塾で馬場恵峰師が教えられた内容の集大成である。馬場恵峰師の自叙伝でもある。
明治・大正・昭和・平成を通して、一つのテーマで掛け軸60本を書き上げた書家はいない。93歳という年齢から考えて、その掛け軸60本から師の尊い想い伝わってくる。
それを直接、表装してある60本の軸に、わずか3ヶ月ほどで書き上げられた。神業である。
撮影は2019年の年初に終わっていたが、私が大病を患い、その後の経過が芳しくなく、編集作業が延び延びになった。また馬場三根子先生の突然の逝去もあり、新型コロナ禍も影響もあり、着手が遅れた。
馬場恵峰師とのご縁は、不思議なめぐり合わせであった。「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。もし私の前職の会社が合併されなければ、馬場恵峰師とのご縁はなかった。このご縁の不思議なめぐり合わせに、ご先祖に手を合わせる日々である。
人間の持つ生活模様の変化が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、正しく進めて欲しい」と恵峰師は訴える。
人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、生老病死を経て、浄土に旅立つ。人は生きている間に、どれだけ多くのお世話とご縁を頂いたことか。恵峰師は、その報恩感謝の気持ちを掛け軸で示された。恵峰師は、それができるのも「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、自分の思いを伝えるなら、生きているうち」として揮毫することを決意された。
恵峰師は、「人との佛縁は、天の計らいである。これから生涯の旅をする皆様が、この軸で人生の生き方を考え、残り人生の歩みを見直していただければ幸いだ。老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と93年の人生を回顧して軸に揮毫された。
時代の流れで、世の書展では競書が多い。それは他人相手の闘いの姿である。またその書展では、判別不能な抽象的書体を競い合う自己満足の世界に堕している例が多い。文字とは何かの原理原則を忘れた邪芸である。
それに対して、この軸は全くその対極にあり、自分との闘いの所業である。それは道修行の一環である。「競争」という言葉は、明治以前には日本に存在しない。日本が開国して西洋思想の展開が始まった。福沢諭吉翁が西洋文献の翻訳時に創作した言葉が「競争」である。西洋での弱肉強食の競争には必ず、勝者と敗者が生まれる。
それに対して東洋では「強欲」ではなく「共生」「利他」の思想である。日本で別の形で花開いたのが「道」の思想である。武士道、書道、華道、等の芸事には勝者も敗者もない。日本の哲学は共生、利他、切磋琢磨、自己精進という言葉で象徴される。日本では、他人を蹴落として勝者になるのは美学とされない。近代西洋では、グローバル経済主義の行き過ぎで混迷の袋小路に入りつつある。新型コロナウイルス騒動は、それに対する天からの鉄槌であろう。修行としての書道を、是非ではなく西洋文化との対比として、生き方を再確認する手段として見たい。
今、私は大病を克服し、精一杯、生かされた命を生きている。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と馬場恵峰師の言葉に力づけられている。
今回、自分が60本の軸を撮影する佛縁を頂いたことに感謝である。恵峰師との出会いのご縁、恵峰書の撮影のための最高の撮影機材を買えたご縁、ここ数年間、恵峰師の書の撮影をしてきて最高の撮影技術を習得できたご縁、撮影を援助してくれる書友のご縁があって、この軸写真集が完成した。どれが欠けてもこの写真集は生まれなかった。まさに佛縁である。この写真集の作成に協力していただいた書友の皆様にお礼を申し上げます。 合掌
令和2年12月9日 小田 泰仙
2020-12-17 久志能幾研究所通信 1865 小田泰仙
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義子先生の死を思うと、なぜか李白の「国破れて山河在り」の詩が頭をよぎる。義子先生が活躍していた「音楽の国」が破れてしまった。義子先生が亡くなっても音楽を愛する人たち、友人、門下生が変わりなく生きている。大垣の山河も変わりなく四季の移り変わりを演奏している。自然は声なき音楽を奏でている。
私も老いて髪も白く薄くなったが、音楽を愛する気持ちは変わらない。義子先生の志を継いで、大垣の「音楽の国」の再建に向かって、一助として精進したい。朝起きて、まだ息をしていれば、「この世でまだまだやるべきことがある」との仏様からの啓示である。「起きたけど 寝るまでやることなし」ではない境遇に感謝である。
2020-12-12 久志能幾研究所通信 1859 小田泰仙
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知識とは議論において相手をねじ伏せるための武器である。時としてその知識が己の行動を縛る。智慧とは議論をしなくても問題を解決する佛智見である。知識で論理的に戦うことは、理でしか戦えない偏った戦いである。理だけでは感情を理解できない。だから「感動」はあっても「理動」はない。智慧とは理知をもって俯瞰的に物事を導く佛力である。お釈迦様はこの佛智見を衆生に教示するため現れた。
智慧なき経営
世の中には有名大学出の社長が経営していても、情けない会社が多い。超エリートがトヨタより多くいる日産が、外国企業に身売りをし、半官半民の潰れるはずがない日航が倒産した。東大卒のホリエモンが知識を悪用して、ライブドア事件に狂騒した。頭が良くて知識があっても智慧がないから、会社を自滅に追い込んだ。知識を人より多く抱え込み、知識に固執して社内闘争に明け暮れ、金に目が眩みマネーゲームに走り、母なる己の組織を殺す顛末になる。
知識過剰
どんなモノでも過剰にあると毒になる。モノが過剰にあると探す時間と保管の時間を取られ、人生の時間(命)が蝕まれる。人生経営指標の無形資産回転率が低下する。モノには精霊が籠もっていて、使われない悲しみの表われである。知識もありすぎると、どれが有用なのかが分からなくなる。1テラの知識量よりも一つの智慧が勝る。
智慧の経営
浄土とは智慧で悟る世界である。穢土とは知識に振り回される煩悩が溢れる世界である。普賢菩薩と文殊菩薩は浄土から穢土に理知を運ばれる。
知識は時代と共に正誤がかわる。知恵は不変である。知識を武器に相手を論破する競争よりも、黙々と下に根を伸ばす精進で智慧を育むことが大事である。不毛な議論は時間の無駄で、議論の正誤は神仏のみぞ知ることである。多くの人が嫌がることは正しいことではない。人に喜ばれてこそ功徳である。不毛の議論は犬も食わぬ。
馬場恵峰書『人生訓80恵峰選』(2005年)より
普賢菩薩と文殊菩薩
普賢菩薩は文殊菩薩と共に釈迦如来の両脇侍として、尊ばれてきました。仏教を信仰し、精進に努める誓いと行いを求めて努力をし、信仰者を守護してくださいます。普賢菩薩は象に座しておられますが、象は大力を持ち何者にも動じず、菩提(悟り)に運んでくれる徳を持っているとのことです。
文殊菩薩は釈迦如来の両脇侍として、大乗仏教の上頭とされます。三人よれば文殊の智慧というにように、智慧を象徴するみほとけです。経軌によると文殊菩薩は清らかな心を持つ童子の姿とすることが記されています。
また文殊五尊像は、獅子(威厳を象徴)に座した文殊菩薩とその従者たちが、海を渡って飛来する情景を表し、中国山西五台山はその聖地として巡礼者の信仰を集めてきました。
(松本明慶著『慈 大仏師松本明慶作品集』2004年 小学館)より
松本明慶大仏師作 普賢菩薩像、虚空蔵菩薩像、文殊菩薩像
2020-11-28 久志能幾研究所通信 1841 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
貴方が会社勤めの管理職で、他部署に異動となったら、その部署の年間行事を把握すべきだ。毎年、ある時期にはその時期の資料の作成が必要となるからだ。来ることが分かっている行事を構えていて、その仕事が来たら準備万端でこなせば、その時に慌てて処理するよりも処理時間が短くなり、質も向上する。
私は、人事異動で新しい部署に赴任した時は、その部署の過去資料の全てに目を通した。それでその部署の状況を把握した。それからPC内HDに年度ごとの行事フォルダを作成して、年間の行事で必要な資料のフォーマットを用意した。それで、ルーチンワークをこなしていた。
何事も余裕を持ってこなそう。
馬場恵峰書
2020-11-27 久志能幾研究所通信 1839 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。