お報せ
河村義子先生の49日以来、体調を崩して、ここ7日間ほどブログを休載しました。体調も少し戻り、これからぼちぼち復帰します。皆様にご心配をかけ恐縮です。
休載中にも関わらず、この間、1060回以上の閲覧をして頂き、累計閲覧数は66,280を超えました。ありがとうございました。
2019-0219 久志能幾研究所 小田泰仙
河村義子先生の49日以来、体調を崩して、ここ7日間ほどブログを休載しました。体調も少し戻り、これからぼちぼち復帰します。皆様にご心配をかけ恐縮です。
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2019-0219 久志能幾研究所 小田泰仙
この世は一期一会、偶然手に入った自分の若さも、いつかは別れなければならぬ。永遠の師も、恋人も、友人でもいつかは別れが訪れる。
縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ。しかしそれはこの世の一時のこと。その花もいつかは散る。得た実もいつかは無くなる時が来る。散ることを知って、一期一会を全うしたいと思う。今日の己は、昨日の己にあらず。明日の己は、今日とは別の己である。
縁にも生老病死がある。いくら自分が成長しても相手が成長しなければ、その人とのご縁は老病死である。いくら仲が良くても、共に同じような成長は難しい。己と成長のペースが同じでない人との付き合いは苦痛となる。それで自然な別れが生じる。それもご縁である。
5年ほど前に、友のたった一言の使い方が原因で、40年来の友と別れたことがあった。今にして思うと、私は友の成長のなさが我慢できなかったようだ。友人であっても同じように成長し、同じ価値観を共有しないと、友人として成立しない。縁は偶然だが、別れは必然であることを実感している。同じようなことを渡部昇一先生が『95歳』という著書で書いてみえる。
縁は偶然の産物。その縁を掴むか、育てるかは、その人の縁力である。縁力を高めるお心肥をケチる人に、良きご縁は回ってこない。人格の低い人、仏縁の薄い人には縁の育成は難しい。
馬場恵峰書『源氏物語より(1)』「桐壺」
「限りとて別るる道の悲しきに、いかまほしきは命なりけり」(『源氏物語』)
どんなご縁にも、どんなに愛しい恋人ともいつかは別れが来る。そのとき「いかまほしきは命なりけり」と望んでも運命は残酷である。だからこそ頂いた命と命の出会いは一期一会、ご縁を大切にすべし。この世で出会う相手は、人生の恋人なのだ。
2019-02-12 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
人生の結論は死である。そこから始めて何を残すか、何をやるかを考えるのが人生設計であり、そこから死計の智慧が生まれる。若い頃は頭で薄々分かっていても実感の無かった死という結論が、あちこちと体に不調を抱える歳になり、お墓作りを通しておぼろげながら見えてきた。
人生の四計(生計、活計、老計、死計)を考えない人は、スリラー小説みたいな人生を無為に送り、上り坂、下り坂、マサカの場面に遭遇して転落する。本を読んだり、スリラー小説、演劇を見るときは、初めから終わりへと頁をめくり、観劇をする。そのストーリーのクライマックスで、どんでん返しを見せられて狼狽する。そうならないように、死計を考えて生きていきたい。
クライテリア(CRITERIA)とは基本方針である。1994年のミシガン大学テクニカルライティング受講時、出会ったキーワードであり、一番感銘を受けた言葉である。先ず方針ありきで、その基本方針・考えがないと書類作成も仕事でも何事も進まない。会社経営では、終わりの目標から始めて、そこに到達するために、衆知を集めて取り組む。人生経営で、自分はどんなクライテリアの基づき生きてきたのか。残された時間をどのように使うのか。
米国ビジネス社会では「読みにくく、内容不明瞭な文書を、受取手(上司、同僚)が読まなくてもなんら責任がない」とのスチーブンソン教授の見解は、論理構成の重要性を再認識させられた。読んでもらうために、真剣に書類の「クライテリア」を明確にして「デザイン」をしなくてはならない。
文書デザインは、ビジネス社会で情報を伝えるツールとしての書類に、命を与える。書類を「設計」するには、その基本概念の明確化と書類の戦略と戦術が要求される。それは製品を作るためプロセスと同じである。
人生デザインは、何のために生きるかというクライテリアを盛り込んだ人生設計図である。それなくして死計もありえない。一番素晴らしい人生とは、死に臨んで死計として従容として死に就くことである。よく働いた日が安らかな眠りを誘うように、計画を完遂した人生は安らかな死を賜う。それはやるべきことをやり遂げた人への佛様からのご褒美である。いつ死んでもよいように、今を一生懸命に生き、仕事をして、使命を果たす。一念とは「今」の迷う「心」を一つにして、背中に我慢を背負い、右手にソロバンと左手に海図(理念・経典)を持って、明日は分からない命を抱えて生きることである。そのためには、命の運搬手段としての体に悪い影響を与える事象を遠ざけるのが死計である。
余生とは、生きながらえている状態である。人生設計図に余生などはない。最期まで現役であれば、余生は不要である。この歳まで無事に「歳を頂いた」のだから、ご先祖とこの世にお返しをしなければなるまい。
馬場恵峰書 『恵峰人生書画詩文旅日記』 日中文化資料館蔵
上図は『報恩道書写凝集』(久志能幾研究所)に収録
『佛が振るチェッカーフラグ』p68より
2019-02-12 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
人は棺を覆ってその評価が定まる。評価する以上は、その評価基準が明確でないと、評価ができない。
私が信ずる評価法は、一生に間にどれだけ稼いだか、集めたかではない。どれだけ人に与えたかである。人生はお金ではないのだ。お金は人生で価値を生み出すための手段に過ぎない。それを間違えるから、人生道を誤り、社会に害毒を流すことになる。長い目で見て、その誤謬の実例が今の欧州の混乱だと思う。この世では、最高のことしか起きない。因果応報である。
欧州の混乱の真因
欧州人の過去の覇権主義思想が、現代欧州社会に混乱を起こすという、最高の結果をもたらしたのだ。欧州の現代人は、ご先祖がしでかした罪の尻ぬぐいをしているにすぎない。その真因を探らず、対処療法で、手当をしているから、混乱が収まらない。欧州のご先祖は、アフリカから現地人を奴隷として拉致して、金儲けをしてきたのだ。アジアを植民地にして、アジア人を見せしめで虐殺してきた。それが植民地政策であった。今更、人権重視だ、差別反対だと、ほざいても、現実の欧州社会は、有色人種に明確な差別がある。アメリカを発見したコロンブスは、奴隷商人であった。
ホリエモン語録
「誤解を恐れずに言えば、人の心はお金で買えるのです。」、「人間を動かすのはお金です。世の中にカネで買えないものなんて、あるわけないじゃないですか。」、「お金が最も公平な価値基準です。」
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以上の言葉の真偽は、ホリエモンが棺に入らないと、分からないだろう。少なくともグローバル経済主義的には、正しい考え方だろう。それを実践することで1%の富者は、99%の富を独占することができた。それで99%の人が不幸になる社会が正しいのだろうか。戦前は、植民地政策、侵略戦争で、覇権国が富を独占できた論法である。私の個人的見解では、間違っていると信じている。
河村義子先生の評価
義子先生は音楽と後継者育成に命を掛けたが、お金は貯まらなかった。わずか(?)100万円程の演奏会主催費用の捻出に苦労をされた。コンサートは、金儲けでやるなら、やらない方がましなのだ。大垣の子供たちの音楽教育のため、命を掛けて音楽活動をされた。あしながチケットを子供たちに贈って、音楽の素晴らしさを体験させた。大垣の音楽文化を向上させるために、教育と音楽活動に命を捧げた。だから、葬儀の弔問客が1000人にもなった。私は良き師と巡り合って幸せだと思う。河村義子先生は、人生の価値評価とは何かを、体で教えてくれた。感謝。合掌。
2019-02-11 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
日本は「農薬大国」で、年間約60万トンもの農薬が生産されている。農薬は主に殺菌剤、除草剤、殺虫剤として使われる。これらの中には、発がんリスクの高い猛毒を含む。我々は普段の食事で、体によいと思って食べている野菜や果物と共に、そのような毒物も摂取している恐れがある。日本人の体内脂肪から有機塩素材(農薬)の残留量が世界平均の3倍も検出されたというデータもある。
日本の年間約60万トンの農薬を一人当たり年間に換算すると、6kgの農薬を「浴びて」いる計算になる。輸入される外国の農産物に使われる農薬や防腐剤を含めると、我々は恐ろしい量の「毒」を浴びている。
ガン患者の増加
1975年の医師数が約13万人、がん死者数は約13万人だった。その後の40年間で、医師数は約3万人増加し、がんに関する研究や治療は格段に進歩したのに、2014年のがん死者数は36万人を越えた。
1970年代の日本の総医療費は10兆円であった。2010年代に総医療費は40兆円までに拡大したが、がん患者は減るどころか3倍に増えている。
1950年から2010年までの60年間でみて、肉の摂取量9.8倍、卵6.3倍、牛乳・乳製品が18.2倍と著増し、米が半分、芋類は10分の1と激減した。つまり、肉・卵・牛乳・バター・マヨネーズなどに代表される「高脂肪」の欧米食が現代日本人のがん増加の原因の一つであると推定される。その証拠として、以前多かった胃がんや子宮頸がんなどの日本型のがんは減少して、肺、大腸、乳、卵巣、子宮体、前立腺、すい臓、食道がんなどの欧米型のがんが著増している。
畜産品は、利益最優先で牛、豚、鶏の成長を早めるため、成長ホルモンが投入されている。畜舎の中に過密状態で育てるため、伝染病の予防で多量の抗生物質が飼料に投入され無理に飼育されている。そうやって育った肉や乳製品を多く食べれば、病気にもなるのは「理」に合っている。「理」に適わない食品が体に毒になる。それは「宇宙根源の理」に反した食物である。
ハムや加工肉を日に50g以上食べ続けると大腸がんになる確率が18%増加するとWHOから報告があった。ハムや加工肉は、防腐剤や添加物が多く入っている。そんな肉を長年食べれば、病気になるのが必然である。
2000年も前から漢方医学では「食は生命」としている。贅沢な欧米型の現代食生活を謳歌すると、20年後に病気と言う悪魔のサイクルのご縁を頂く。因果応報である。がんという病気を対処療法で治しても、その根本原因である食生活を直さないと病気は治らない。気づいた時には遅いが、遅くても、一日でも早く食生活を正すのが、ご先祖へのご恩返しである。
データは2016年当時。 『書天王が描く世界』(全246頁)p220より
2019-02-11 久志能幾研究所 小田泰仙
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-- 価値観の相違を乗り越えて
正義を通すと、人は鬼にならざるを得ない。お互いが相手の価値観を排除しあうから、戦いとなる。お互いが阿修羅ごとき戦う神となると、相手には悪魔のごとき所業を犯すのが常である。お互いに価値観を受け容れて許容する心が仏心である。全て受け容れるから海の如く大きな器ができる。佛教は神仏融合を含めて包容力があるから日本の「和」の精神にあって受け容れられた。一神教は、排他的な思想が濃いため不幸なご縁を作り出す。聖徳太子の憲法17条は、和の精神である。
自佗は時に随うて無窮なり。海の水を辞せざるは同事なり、是の故に能く水聚りて海となるなり。(修證義)
お釈迦様は2500年前、自分が生まれ育った国を他国に滅ぼされる憂き目を受けている。その際、お釈迦様は他国の軍を前にして3回、座って止めようとした。しかし、4回目は止めることをせず、他国に攻め滅ぼされた。お釈迦様は、武力に対して、武力ではなく対話と行動で止めようとした。
浄土宗を開いた法然上人は、幼少期に武士であった父親を敵対する者によって殺される経験をしている。父は死の直前に若き法然上人に対し、「敵を恨んではならない。これは前世における行いの報いなのだ。もし、おまえが恨み心をもったならば、その恨みは何世代にもわたって尽きることはないだろう。早く俗世を逃れ、出家して私の菩提を弔ってほしい」と遺した。それにより、法然上人は敵を討つことをやめ、自分や人々が救われる道を求めて、僧侶となった。法然上人は、報復の連鎖を繰り返すことをやめたのだ。
幕末から現代の戦い
1860年、安政の大獄では、幕府の体制を守り、開国して欧米の植民地侵略から日本を守るため井伊直弼公は鬼となり多くの志士を処罰した。それから幕末の殺伐たる争いが巻き起こった。
1868年、西郷隆盛軍は、江戸城明け渡しを求めて、100万人が住む街を焼き討ちすると脅して、勝海舟に降伏を迫った。どんな理由があれ、平和に暮らす民を焼き討ちするという発想が許せない。そこには大儀を掲げ、己の価値観が最高という驕りがある。
太平洋戦争後のビルマでは、戦勝国の英国兵は現地人をモノ扱いして、人間とは認めていなかった。倉庫の食糧を盗むため侵入した現地人を英国兵が射殺した。英国兵は、動かない死体を足で蹴って「end」と表現したと、会田雄次氏はその著書の『アーロン収容所』で書いている。「dead」なら人間としてその対応しなければならないが、「end」だから、モノ扱いをすれば良いと考えているようだ。欧米人にとって、有色人種は人間ではない。価値観の隔離した動物扱いの存在である。
1945年、米国は非戦闘員20万人を原爆で殺した。日本人が白人であれば、決して落とさなかった原爆である。
1940年、ドイツ帝国は、アウシュビッツでユダヤ人を工場生産のように死を大量生産した。ヒットラーがユダヤ人の価値観を認めなかったからである。
現代でも中共は、チベット弾圧を繰り返し、約120万人の人民を虐殺した。人口の約20%にも及ぶ。日本に換算すると2,000万人の民を殺したことになる。
中共が建国以来、自国民の4,000万人を死に追いやったのは歴然たる史実である。共産党にとって、人民は労働力で人という価値を認めていない。
1946年、ソ連のシベリア抑留では80万人の日本人が強制労働をさせられ、10万人が極寒の異国の土になったといわれる。私の父もシベリア抑留されたが、生還できたから、今の私の命がある。父の弟はシベリアの土になった。共産党のソ連にとって、捕虜は人間ではなく単なる労働力であった。国際法上でも違法であるが、その国際法の価値観を己の価値観に合わせて無視をした。
2015年、パリISテロでは、ISは己の正義を信じてマシンガンの銃口を無実のキリスト教徒に向けた。宗教の価値観の違いを認めなかった結果である。
2019-02-11 久志能幾研究所 小田泰仙
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2015年に改健したお墓の当初計画は、現のお墓に入っている親戚と合祀する予定であった。しかしその親戚より改建を反対されて、実施を諦めた。墓誌にもその親戚の戒名を刻めない情けない事態になった。しかしお陰で別の場所に今回のお墓を改建するご縁を得た。その親の子の情けない対応に接したのだが、住職から、「この世では縁がないというご縁」を頂いたと解釈すべきと助言を頂き、成り行きに任せることにした。無理を通しても却って悪縁を招くと考えた。
縁無き衆生
縁のない人には「縁の無いというご縁」がある。縁無き衆生度し難し、である。「度」とは秤のことである。人間界での浅はかな秤では、計りしれないご縁のつながりがあり、この世では縁のない人である。黙って身を引くのが、佛様のお計らいと感じた。
2015年11月のパリでのISテロのような者たちのように、価値観が違って育てられると、話せば分かるとはいかない。問答無用の惨劇となる。相手の価値観を尊重して、そっと当方が身を引くのが、この世では正しい選択と思う。
いままで60余年を生きてきて、人との葛藤で正論を掲げて何度も痛い目をあってきた。今回、やっとその「縁がないというご縁」の存在に気づかされた。親の子供に対する教育の失敗は、本人の没後23年目でやって来る。
ご縁の道
人に道に縁道あり。その道が高速道路の場合もあれば、曲がりくねった山道の場合もある。そこを走る車や人は、目的も能力も違う。その道が同じと思うから、自分勝手に走り衝突が起きる。人は人として、己の道を歩めば交通事故も無い。高速道路と一般道は立体交差で衝突がないようになっている。同じように、走る世界が違うため、他の人とは歩む縁道が違う解釈して、己の世界で、最終目的地に向って、一歩、一歩を歩めばよい。遅いか早いかは別にして、最終目的地は「死」である。それに向って、歩む過程が人生道である。そう思うとき、人をうらやんだり、妬んだりする心が消える。人と葛藤が生じるとき、その人とは歩む縁道が違うと解釈すれば、怒りも消える。
東山魁夷画伯「道」、軸は馬場恵峰先生書
『書天王が描く世界』(全246頁)p177より
2019-02-11 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
惚けの始まりか、認知症の始まりか、単なる運動神経の老化のせいか、2015年11月初旬に、自車をバック時に壁にぶつけ、バンパーを傷つけてしまった。半年前に悪戯でボディに傷をつけられたため、全面塗装をしたばかりである(警察に被害届を提出)。車歴15年(2015年当時)でも全面塗装後は、気持ちよく乗ることができていた矢先のことである。このまま放置しておいても、大した問題ではないが、何か引っかかるものがあり、修理することにした。修理費用で4万円余がかかったが、そのまま放置するより、懐に痛い思いをすることで、今後、細心の注意をすることができると考えての修理であった。
その修理が、2015年11月14日に終り、11月15日(日)に納車された。馬場恵峰師揮毫の墓石字を確認した翌日のことである。たった一つの傷を放置すると、全体が崩壊するという「蟻の一穴」の格言と「破れ窓理論」を思い出して、修理をして正解であったと思う。
破れご縁
これから思い起こしたのが、ご先祖や周りのご縁の展開での歴史の流れに俯瞰すると、悪縁の風が入ってくる運命の窓が破れていると、家が傾く事象に思い至った。小さな縁を大事にしない人たち、ご先祖のご縁を大事にしない人たちは、破れ窓の「運命の家」に住んでいると思う。破れ窓の在る家には「破れご縁」が入ってくる。悪縁が悪縁を呼ぶ悪魔のサイクルに陥るようだ。逆も真なりで、よきご縁と付き合うと、良きご縁が循環するようで、それを今回のお墓つくりで体感した。
私の親戚にも、両親の七回忌以降の法事をやっていない家がある。そんな考え方だから、その家とやり取りをしても不愉快になったので、付き合いをやめてしまった。それが当方にとってはよき展開であったようだ。「君子悪縁に近寄らず」である。今回のお墓作りで体得した人生の智慧は、「割れ窓理論」で説明される。それを私なりに解釈したのが「ご縁の割れ窓理論」である。
割れ窓理論
割れ窓理論(英: Broken Windows Theory)とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング(英語版)が考案した。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。
割れ窓理論とは
治安が悪化するまでには次のような経過をたどる。
1.建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
2.ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。
3.住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。
4.凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。
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したがって、治安を回復させるには、一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも取り締まる(ごみはきちんと分類して捨てるなど)。警察職員による徒歩パトロールや交通違反の取り締まりを強化する。地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する。などを行えばよい。
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ビジネス界の例[編集]
ビジネス界において、割れ窓理論を適用して成功を収めている例がある。
日本・東京ディズニーランド・東京ディズニーシーでは、ささいな傷をおろそかにせず、ペンキの塗りなおし等の修繕を惜しみなく夜間に頻繁に行うことで、従業員や来客のマナーを向上させることに成功している。
アメリカのデパートチェーン、ノードストロームは、単に傷を治しておくという消極的対策だけでなく、「割れ窓」の対極である意味合いのピアノの生演奏を顧客に提供するなどして、成果につなげている。
Wikipediaより 2015年11月18日より編集
『書天王が描く世界』(全246頁)p128より
2019-02-11 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
生あるものは必ず死ぬ。春夏秋冬、始まりがあれば終わりがある。飛行機も飛び立てば、必ずいつかは着陸せねばならぬ。飛行機の離着陸に人生を感じる。
飛行はプロジェクト
旅客機がある飛行場から飛びたち、目的地の飛行場に着陸する飛行は一つのプロジェクト(以下PJ)である。操縦士だけでなく、機関士、クルー、キャビネットアテンダントを含め、10数名のクルーによって遂行される目的を持ったPJである。地上の整備員、管制官等の多くのサポータ全員の協力があって、このPJは完遂する。一つでも、一人でも欠けても完遂ができない。
多くの支援を受けて、飛行機が全出力を出して飛び立っていく。引力を振り切っての離陸である。その姿は健気である。巡航飛行に入り、高度10,000mを飛ぶ飛行機は、コンパスを使い、目的地を目指す。コンパスが無ければ、何処に行くか分からない。目的地の上空に差し掛かれば、高度を下げ、速度を下げ、フラップ、ギアを降ろして、優雅に静々と大空から降りてくる。
着陸の美
着陸には離陸とは違った美しさがある。離陸から巡航、そして着陸に到る過程はまるで一つの人生のようである。人生の旅立ちでは人間としての育成が必要で、どこに志すかが必要で、壮年期は、北極星に相当する己の戒め、使命、志を見つめて歩かないと、人生行路で墜落・沈没する。いくら盛大な人生を送っても、晩年を見据えて行動しないと、惨めな末路が待っている。
お墓という飛行場
お墓とは一つの人生を終えて、次世の大空に旅立つための基地である。戒名という来世飛行コードをもらい、佛弟子として佛道を行じるという修行航路を向かう。墓地はその離陸する飛行場なのだ。
一人で生きてきたつもりでも、多くに人のご縁・支援があって全うできた人生である。飛行機事故の80%は着陸時に起きている。それは人生の終着点で、道を誤る人が多いのに似ている。その事故例は私の家系図にも見受けられる。人生の着陸が近づいてきたのに、速度を落とさず、地面に激突する人もある。荷物(遺産)や燃料を積みすぎて、離着陸での失敗をする人も多い。多すぎるお金が、人生を不幸にする事例に事欠かない。遺産相続争いで、家族の間で炎上するのは、醜態である。それは感謝を忘れ、利己だけを考えた人生の結末である。人は裸で生まれ、裸で死んでいくことを忘れた咎である。
残すのが金だけの人生は哀しい。何のために生まれたのか。それでは授かった天命を知らずに生きたのと同じで、屍の人生である。人生で残るのは、集めたものではなく、与えたものなのだ。人と生まれた以上、稼ぐ人生よりも、与える人生でありたい。
河村義子先生の49日
2019年2月9日、河村先生のご主人に明日の所要の件で、連絡を取ったら、たまたま明日の2月10日は義子先生の49日だという。その日の私の所用と触れ合って、その偶然に驚いた。偶然とはいえ、義子先生の霊が私にさよならを言ったような気がした。義子先生を思い浮かべ、頂いた多くの教えに感謝して、手を合わせた。
河村義子先生の人生飛行は、昨年の聖なる日の12月25日に無事着陸して、その後、整備を終えて、新しい飛行コード(聖観院教音義愛大姉)で浄土に向けて離陸した。それも多くの人に送られてである。
天の差配
死んだのではない、ただ、お迎えが来ただけなのだ。飛行場の管制官は、必然の業務として、お迎えの離陸の管制をしているだけだ。此の世の運命は必然である。天の差配は人知を超える。私は地上整備員の一人として、義子先生の人生飛行、着陸、離陸の仕事関係で、多くのお手伝いができたことをありがたいと思う。合掌。
いつか私も人生飛行を終えて着陸して、西に向かって飛び立たねばならぬ。それまでに、やるべきことは多い。やることが多いとは有り難いこと。
地上クルーの打ち合わせ
赤道上のシンガポールから夜を徹して飛行してセントレアに着陸 2015年11月11日
2019-02-10 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
企業診断士とは、企業の経営を診断する「先生」である。私はその卵の姿を5年間見てきて、占い師と合い通じるものを発見した。自分の体や姿を観て、自分の生き方を診断・改革・改善できず、何が企業診断士かと思う。企業の診断とは、経営診断である。
経営とは、生き物である会社の営みである。その営みは、歴史と現代の世相の絡み合いから生まれる状況である。それを観ようとするなら、身を正さないと、見るべきものも見えない。
人の短処は良く見えるもの。企業診断士である前に、「自分株式会社」を経営する己でありたい。自分の株主は、両親でありご先祖様なのだ。
診断士の様相
肥満体の診断士、だらしない服相の診断士の卵、重箱の隅をつつくような診断士の指導教官等である。自分の体の診断をしてその対策もできない人に、経営の診断などできるわけがない。だらしない服相の企業診断士を顧客が信用するのか。単に教科書に載っている指標だけで、企業を診断しても、その信ぴょう性は薄い。重箱の隅を突っつくような事象だけを捉えて、本筋を外れた診断をしてどうするのか。
未来予想
未来は誰にも分からないが、その姿からおおよその推定はできる。現実の姿は、未来の予告なのだ。それがそんなにも外れた推定ではないことが、60にもなると分かってくる。その結果は、その顔や外観、日頃の行動に刻まれている。責任ある人間なら、己の顔にも責任を持たねばならぬ。顔とは、名刺であり、服相であり、言葉遣いであり、交友関係の顔である。50代の男の顔を観れば、おおよその未来は見えてくる。その言動を観れば、未来は確定である。
音を観る
人の外見や行動は、一つのメッセージを発している。そのメッセージを観るのが観音様である。自分が佛となって、人を観ないと、自分の未来は拓けない。自分の未来は人様が運んでくれる。その人が良縁を運んでくる福の神か、悪縁を運んでくる貧乏神かの見極めをしたいもの。それを見極める力の育成は、自己研鑽しかない。
『馬場恵峰書 佐藤一斎著「言志四録」51選集』(久志能幾研究所刊)より
『書天王が描く世界』p60より
2019-02-09 久志能幾研究所 小田泰仙
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