政府の甘言を信じるな(1)、満蒙開拓移民政策
満州は夢の大地、満州移民政策
満蒙開拓移民は、1931年の満洲事変以降、1945年の太平洋戦争敗戦までの期間に日本政府の国策によって推進された。推進して移民を出した村には補助金が出た。
満州の移民先の地には、中国の農民が住んでいた。その農民の農地をタダみたいな金で強制的に接収して、先住民を追い出し、日本の開拓団を募集し、貧しい地方の三男坊を送り込んだ。だから追い出された先住民の満州人は、日本人に恨みを抱いていた。
籠原明子氏の家族は、満州の和泉村開拓団に入り、302人が入植した。冬は零下30度まで気温が下がる厳しい土地である。それが、政府が募集で言った「夢の大地」であった。敗戦後、生きて日本に帰れたのは155人だけであった。
敗戦の混乱
昭和20年8月9日、ソ連が満州に攻め込んできた後は、ソ連と周りの中国人が全て敵となった。昭和20年8月15日に正式に終戦を迎え、昭和21年10月まで、流浪した日本人は帰還の船に乗るまで、約1年間を極寒の中国国土で乞食同然の状態で、逃げ出した開拓地から港まで約1000キロの道を放浪のように歩いたという。
当時、攻めてきたロシア兵に若い女性を貢いで、村民の命を守ったという悲惨な現実を見なければならない。それで身ごもり、自ら命を絶った娘さんも数多くいたようだ。それを強いた村長を責めることはできまい。そういう状況に陥らせたのは、嘘を言って満州に移民させた政府である。
生と死を考える 戦時下の生と死と現在
2024-07-15 久志能幾研究所通信 2879号 小田泰仙
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