太陽光パネル問題は中東の宗教戦争と同じ、孤立無援、孤軍奮闘
宗教対立
イスラエルとアラブ諸国の対立は、2000年来の対立の問題で、解決の目途さえ立っていない。お互い自分の信じる宗教を絶対視して、相手の主張を受け入れないので、2000年経っても状況は変わらない。一神教は、相手の主張を絶対に認めない。神の名のもとで闘うので、それが免罪符として動き、虐殺行動が残虐である。
意見対立
本日(7月16日)、大垣市役所に太陽光パネルの件で相談に行ったら、急に会議室に引きずり込まれた。なんでも直前、ハウスメーカの人が6人も来庁して、私のことで相談に来たという。私が太陽光パネル設置に対して、反対の意思表明した結果であった。
激論の結果
そこで大垣市役所で、2つの部署の4人の役人と太陽光パネルの設置に関して、激論を2時間弱戦わせた。しかし、いくら議論を続けても平行線で、かみ合わない。
冒頭の様に、イスラエルとアラブ諸国の対立と同じである。立場上で折り合い点はない。まるで「太陽光発電礼讃教」と「太陽光発電反対教」の宗教戦争である。各自、その教えを固く信じているので、折り合い点がない。それだけである。
日本は自由社会なので、太陽光パネルを付ける付ける付けないかは、本人の自由である。法的には、太陽光パネルの設置を止めることはできない。それは重々承知で、私は反対運動をしている。
その解釈の違いが、私と市役所・ハウスメーカの間にあるだけである。日本は民主主義社会だから、意見の対立があるのが健全である。
事実はない。解釈の違いがあるだけ。(ニーチェ)
There is no fact, only interpretation.
同じ事象を見ても、人の立場により解釈の違いがあるだけである。スラム街ではスリにあった方は社会的に被害者でも、盗ったほうは、スラム街では英雄で、正しい行動なのだ。
テロでの殺し合いも、テロ側は、正しいと信じての行動なのだ。
使命感
あくまで私は、地域住民の安全安心を守るためと思っての行動である。自治会長としての立場ではなく、自治会長としての責任で反対している。この行動を取っても、一銭の得にもならない。反対しないで、見て見ぬふりをした方が賢いだろう。損もしないだろう。あくまで使命感だけで動いている。私は死ぬまでの最後のご奉公と思って行動している。一度は余命宣告された身である。
立場
イスラエルとハマスの対立は、太陽光発電の賛否と同じである。何を信じるかである。私は太陽光パネルに反対の立場である。あくまで住宅密集地で太陽光パネル設置を規制して欲しいだけである。全面反対ではない。
国や地方自治体は、太陽光発電を補助金まで出して推進しているので、太陽光パネル発電に問題があっても反対意見を受け入れるわけにはいかない。反対すれば、役人としての地位が危なくなるからだ。
連合自治会も大垣市の手先なので、反対するわけがない。
ハウスメーカは、売上目標達成の会社の至上命令がある。それに逆らうと、失業である。住民が反対しても、会社のためにごり押しである。
議員も裏金が入り、チューチューできるので、反対するわけがない。
マスコミも住宅メーカからの広告費をもらっている立場で、批判などするわけがない。批判記事を出せば、ハウスメーカからの広告費が止められてしまう。だからマスコミで太陽光パネルの反対記事など見たことがない。
他の自治会長は1年交代なので、そんな問題意識は持っていない。
一般の人は、マスコミからの情報がないので、その危険性を全くしらない。
だから私は孤立無援である。
トランプ銃撃事件
トランプが再選されれば、バイデン大統領の再生エネルギー政策が、逆展開になるだろう。それでは困る連中が、先日トランプ暗殺を試みた。太陽光パネルの危険性の声を上げるのは、そんな怖ろしい利権争いに巻き込まれる恐れがある。
過去の事例
世間の事象にたいして問題があると声を上げた人は、当初、少し頭のおかしいか、狂人扱いであった。歴史がその正しさを示すには数十年が必要であった。しかし当時、勇気ある人が、その声を上げてくれたので、今の進展があった。それが無ければ、その是正にかなりの遅れが出て、犠牲者も増えたはずだ。
足尾銅山公害
田中正蔵の意見の正しさが裁判で認められたのは100年後である。
水俣病公害事件
裁判で解決したのは、30年後であった。
イタイイタイ病公害事件
裁判で解決したのは、50年後であった。
ハンセン氏病事件
ハンセン氏病の差別は90年間も続いた。
戦争中の反戦の正論
つい先の大戦のことである。国民は「鬼畜米英、一億総玉砕」と言わないと非国民扱いであった。下手をすると特高に睨まれて、獄死になった。
福島原発の津波の影響を警告
その警告が現実化したのは、東日本大震災であった。それを警告した人は、狂人扱いされて、対策が打たれず、あの惨事となった。
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孤立無援
だから私は本件に対して、孤立無援であることを再確認させられた。それが正しいかどうかの答えは10年後か、トランプが大統領として返り咲いた後の数年後である。
地域住民や住宅購入者は、太陽光パネルの危険性を全く知らされていない。それが問題である。無知は人生の壁を作る。
「地域への啓蒙活動をボチボチとやっていくしかない」,「小さい声を上げ続けるしかない」が、権力を持たない一般人の私の結論であった。
馬場恵峰書
「忍」とは、「これで良いか、これで良いか」と自分の心に刃を突きつけて自分に問う事。そこから「認」という言葉が生まれた。
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2024-07-16 久志能幾研究所通信 2880号 小田泰仙
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