« 観魂学で「みとりし」上映会とLINEを観望する | メイン | 結婚式場の撮影体制に問題あり、仕事道具は命 »

2024年6月28日 (金)

名古屋の結婚式風景を諦観する

 

 先日、姪の結婚式に参列した。四半世紀ぶりの結婚式参列である。退職してから、その種の式典には縁がなかった。

 今回、結婚式に参列して感じたことは、昔に比べて結婚式はショー化している、である。その進み過ぎには疑問をもったが、もともと名古屋の結婚式はド派手である。しかしそれは先人の知恵で、ド派手にして、二度とあんな大変なことはしたくないと思わせ、離婚を踏みとどまらせる手段でもあるようだ。

 姪の結婚式も、当初、本人たちは、身内の関係者だけでこじんまりとやろうとしていたが、各所からの圧力?に負けて、正式のド派手結婚式に変更になったようだ。めでたしめでたし?である。

 

結婚式の舞台風景

 結婚式では、式場の教会で神父の前で誓いの言葉を交わし挙式、チャペルの鐘に送られて白いリムジンで出発である。人生の晴れ舞台なのだ。人生舞台の演劇の主役と思えば、恥ずかしくもなく演じられる。(古い価値観の私が当事者なら、恥ずかしすぎて逃亡である。)

 本人たちは仏教徒であるので、教会で挙式を挙げるのに私はわだかまりがあった。しかしよく考えると、キリスト様は「愛に命を捧げた教祖様」だから、その場の担当としては、グローバル経済主義上で適任なのだと納得した。

 披露宴では、白いスーツと白い洋装、お色直しで華やかさが際立つ色打掛である。女性にとって花嫁姿は夢なのだろう。

 披露宴の料理はフランス料理に和食のてんこ盛りである。フランス料理に刺身、赤飯、吸い物では違和感ありである。更にウェディングケーキまでおすそ分けで振る舞われた。さすが名古屋の結婚式場のスタイルで、脱帽、満腹である。

  結婚式が派手なのは、日本経済活性化には良いことだ。たまには人生の最大のお祭りとして羽目を外すのは良いことだ。

Dsc04770s

Dsc04800s

Dsc04836s

Dsc048421s




テクニカルライティングの検証

 披露宴で残念だったのは、主賓の挨拶がだらだらと長かったこと。テクニカルライティング上で、「何が言いたいのだ?」と突っ込みを入れたくなった。場所柄、立場上でそれも言えず我慢であった。

 それを踏まえて私の乾杯の音頭の挨拶は、「言いたいことは3つ」と結論を最初に言って、簡潔に述べた。

 

 

 主賓の挨拶が、だらだらと長いのは昔からである? それで私はその人の仕事能力を計っている。そんな人が会社幹部だと、その人とその会社の将来が心配となる。

 言葉とは言霊である。その使い方、構成の仕方次第で、その人の運命が支配される。その言葉の影響を一番多く受けるのは自分なのだ。

 

 

2024-06-28  久志能幾研究所通信 2870号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

コメント

コメントを投稿