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2024年2月15日 (木)

死刑判決(執行猶予5年)から牛歩逃走

 

 中共では、巨額の汚職を犯して、裁判で執行猶予2年の死刑判決がよく報道される。つまり2年間別の罪を犯さねば、死刑は免れ、無期懲役になるという判決である。しかし現実に被告は刑務所内に拘束されているのだから、犯罪などはできない。つまり無期懲役という判決である。これは見せしめの脅し判決である。

 

私が受けた死刑判決

 私は5年前にガンの手術をしたが、病状は、進行がんでステージⅢBと進んでいた。その結果、主治医は、「5年後の生存率51.6%」と宣告した。つまり5年後には、同じ病状の人の2人に一人は死ぬという死刑判決である。その前提条件は、がんセンター推奨の標準治療を受けるという条件である。標準治療を受けなければ、命の保証はしないと脅された。言い換えれば、中共の刑務所内でおとなしくしていると同じで、助かりたくば、ガンセンターの言うことを素直にきけばよい、ということだ。

 

生還

 この2月で、手術後5年が経ち、昨日(2月14日)、がんセンターに行って、先日受けたCT検査結果を聞いてきた。結果は、癌の再発の気配はない、である。死刑判決(執行猶予5年)から生還できた。歩みは遅かったが、少しずつ食生活と生活習慣を変えたことで、死刑判決後の死刑執行からは逃走できたようだ。ガンと言う相手はドラゴンのような存在である。脱兎のごとくの逃走はできない。いわば匍匐逃走である。

 進行がんなので、まだ油断はできないとして、半年後、CT検査は受けることにはなった。主治医は、私が予想外に元気なのが不思議そうであった。確かに統計の確率論から言っても、そろそろくたばる頃?なのに、である。

 私が主治医の立場なら、「手術後、5年経って、再発は有りません。おめでとう」と言うが、担当医師からは、その言葉はなかった。残念そうに見えたのは、私の思い過ごしだろうか。

 私の後の診察順番の患者は帽子を被っていた。つまり抗がん剤治療で毛が抜けている。見るからに辛そうだ。抗がん剤治療で正常な細胞まで痛めつけられている証しである。抗がん剤治療は、免疫力が低下した高齢の私では耐えきれなかっただろう。抗がん剤治療を拒否したのは正解だった。

 医者はがんを治せないが、死期だけは正確に予告する。父もガンになり、手術はうまくいったが、半年後、がんが再発した。肝臓に転移したので手の施しようがなく、余命1年と宣告された。正確に1年後に他界した。そういう苦い経験があり、私が医師から受けた余命予想を覆し、癌の再発が防止できたのでうれしい。

 どんな判決を受けても、どんな選択をしても人間は100%、何時かは死ぬ。人生の最終目的は、どう幸せに生きたか、それだけだ。

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生生流転

 がんセンターの建屋から出る時、山本眞輔作「生生流転」の女神が優しく見送ってくれた。正面玄関の出口から、「生生流転」の女神に見送られて出られることが感謝である。霊安室の裏口から出て行かなくて済んだのだ。今まで多くの人から受けたご恩とご縁に感謝である。

 

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「治療」と「病気を治す」の違い 

 がんセンターの大病院では治療はするが、病気を治してはくれない。病気は自分で治すのだ。それを病院任せにするから治らない。

 身体に出来たガンは死ね。治せるものなら、治して見ろなどとは一言も言っていない。だた「変えろ」とだけ言っている。今までの生活の中で、がんになった因縁がある。それを変えろと言いているだけだ。しかし大病院は、真因を探さず、ただ対処療法をするだけである。その方が、病院経営にはメリットがあるからだ。対処療法は儲かるのだ。

 

改心・更生生活

 私はこの5年間、何故なぜを何回も繰り返し、がんになった要因を探した。改心?して、心を入れ替え、生活習慣、食事習慣を変え、がんと向き合った。がんになった因を無くすことに注力した。癌そのモノに対する治療はしなかった。それで5年後の今、がんが再発せず、生きているので、方法が間違ってはいなかったと思う。どうせ後、最長でも40年経ったら、私は死ぬのだ。

 全てこの世は佛法に従って動いている。生物は生老病死である。全ての事象は縁起である。ガンになった因がある。だから再発を防ぐには、その因を取り除けばよいだけ。あとは仏さまに全てを委ねて「生生流転」である。

 

けんか別れ

 手術後、大病院の標準治療である抗がん剤治療を強要されたが、薬剤医師とけんか別れをして、その治療を拒否した。その代替治療を日本全国に足を延ばし、探して、受けた。自由診療になるので、高額であった。そんなことは言っていられなかった。お金は残りました、しかし死にました、では洒落にもならない。

 

私が実践したがん再発防止対策は、次の記事に記載

私のがん再発防止策  死刑を逃れるために

 

内祝い

 死刑執行から逃れられた嬉しさを感じるために、中島晃法さんの飛龍の絵を玄関に飾った。龍が蓮の花の咲く泥沼の中から天に飛躍する姿を現した絵である。この絵に出会った時、何かピンときて、本年が辰年でもあり、入手する決断をした。この絵の泥沼は、今までの汚泥に満ちた食生活習慣、悪い生活習慣、ドロドロした過去の黒職業からの離脱を表しているように思えた。病魔から逃れられ、今の飛躍に感謝である。今までの出合いが全てよき糧となった。私に龍になれとの啓示である。

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2024-02-15  久志能幾研究所通信 2827号  小田泰仙

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