« 「めんどくさい出症」は認知症の前兆 | メイン | 命無常、動画「魅惑の美少年 Top10発表」、焼香順違反 »

2023年9月14日 (木)

お墓の断捨離、三度の死、永遠の命

 

 先日(9月11日)、暑さも少し和らいだので墓参りに行ってきた。最近の異常な暑さのため、このお盆の墓参りを控えた。老いて体力の衰えた身には命の危険がある。今回、無事墓参りが出来て安堵である。雨の予想であったが、雨にも降られず良き墓参りであった。帰ってきたら雨になった。ご先祖様のご加護に感謝である。

 

 お寺の墓地を見渡して、お墓(墓石)も生老病死である、とつくづくと実感した。私が2015年に自家のお墓を改建したとき、今まで6基あるお墓を、3基に統合した。古いお墓は正式の手順を踏んで墓じまいをした。今までの複数のご先祖の墓を統合し、先祖代々の供養塔として五輪の塔を建てた。

 今までは6基のお墓にお参りをしなければならず、時間もかかり、お花代も馬鹿にならなかった。それを3基に統合して良かったと思う。お墓だって、整理整頓清潔清掃が必要である。

 

ご先祖の墓を再建

 今回のお墓の改建で、一番古いご先祖様である「北尾道仙」のお墓を再建することにした。「北尾道仙」は1734年に没したご先祖である。その敬称として「黄鶴」が付いていた。私の叔母が長年、その経歴を探していた。それを私が継続して調査して、大変なご先祖であることが分かり、このお墓だけ別に再建することにした。叔母は京都の尼寺の住職であった。

 

039a14882s

 墓の字は馬場恵峰師に揮毫していただいた。

.

墓石の生老病死

 他家のお墓を見ると、同じ場所に古い墓石が積み重ねて置かれている。墓石の字も風化でかすれており、誰の墓石かもわからない状態で、墓石が積み重ねて置かれている。その墓の所有者は、古い墓石を廃棄処分することが、罰当たりとでも思っているのだろう。しかし、それは逆にご先祖に対して失礼だと思う。位牌でも50年経つとお焚き上げするのが正式の手順である。墓石だって、生老病死があり、寿命がある。特に風雪の厳しい土地では、建立後50年も経つと、墓石がぼろぼろになりがちだ。お墓の石だってお役目が済めば丁寧に弔ってあげるべきだと思う。

 

Dsc019901s

  所狭しと置かれたご先祖の墓石の例

Img_56791

  琵琶湖の風雪で風化した墓石
.

墓地のゴミ屋敷

 その朽ちた状態で墓石を放置するのは、却ってご先祖様に失礼だと思う。またそれを管理する子孫を苦しめることになる。そんなことをご先祖も望んでいないだろう。その墓石を墓じまいすることが正解である。墓地の整理整頓である。それを放置すると、その墓地がゴミ屋敷のようになる。

 

三度の死

 人は三度死ぬ。一度目は肉体的な死である。二度目は故人を知っている人が此の世からいなくなる時である。三度目は、この世にその痕跡が無くなったときである。

 その時に墓石があっても意味がない。遠い時代の親戚の人はそれに当る。

 

 しかし、孔子、佐藤一斎師、安岡正篤師、渡部昇一師等の方はその著書が何度も再版され、その師はその著書で世に語りかけている。師がまだ生きていると同じである。そういう師のお墓は保存してお参りしても良いだろう。その師は永遠の命がある。

 私の師であった馬場恵峰先生もその遺作の書画が大量に我が家にある。私はそれを部屋に飾って、先生の遺徳を偲んでいる。その場合も恵峰先生は私の中でまだ生き続けている。わたしはそういう存在に憧れる。

 

2023-09-14  久志能幾研究所通信 2740号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

コメントを投稿