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2023年9月

2023年9月29日 (金)

巡礼 小貫善二作陶展 練り込みとウツ病、ヒトラーと薬物

 

練り込み

 岐阜河原町 gallery Saganで開催された小貫善二作陶展で、小貫さんから面白いお話しを伺った。

  陶芸における練り込みは、気の遠くなるほど手間のかかる手法である。数種類の違った陶土を重ね合わせていき、作品の模様を作る。それを小貫さんは、万華鏡で見たイメージを、陶土の模様に変えていくという高度な手法を編み出した。

 

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 小貫善二作 練り込み器  in Sagan


技法 練り込み器

 練り込みは、色の異なる粘土を組み合わせ、練り込み模様を作り出す手法である。この技法では、色粘土の組み合わせ方で様々な模様を作り出す。練り込みの色は、通常の粘土の組み合わせで色を作る。また粘土に色顔料を加えて色を作り出す手法もある。

 

 小貫さんは、「練り込みの器を作る時は、あまりに手数がかかり過ぎるので、鬱になりそう」という。だから途中で限界を感じると、製作を止めると言う。だから氏が鬱病になったことはない。それは動物的本能であるようだ。小貫さんの練り込みの陶器を見て、会社時代の鬱病を思い出した。

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器の大きさ

 ところがそういう危機状態でも盲進してしまうのが、現代サラリーマンの哀しい性である。本能よりも理屈や世間体、上司の目だけを優先して生きているサラリーマンたちである。働き過ぎで体が拒否をしているのに、さらに働いて鬱病になってしまう。それは価値観の違う上司に気を使って、働くからだ。自分を殺しての生き方では病気になってしまう。それは自分の生きる軸がなく、他人任せで、なおかつ自分の器が小さいからだ。

 芸術家の小貫さんは、人間として生きている。自分の生き方の軸を持っているから、他人に慮ることもない。小貫さんの行動と比較すると、現代のサラリーマンは人間性を失っている。どちらが進化した人間であろうか、考えてしまう。

 

人生の課題

 人間的にレベルの低い上司の左右されないような大きな人間の器を作る修行をしよう。それが人間に一生かけて課せられた課題である。人間社会で生きて行くと、周りに色んな人間に出会う。その中でどう生きるかが問われる。

 

鬱とは

 「鬱」という字は、樹に葉が生い茂り過ぎた状態を表している。要は、その木の能力以上の葉をつけたので、全体の生命力が弱くなっている状態である。それでも見栄や頭だけで生きていると、体の危険信号を感知できなくなり、そのまま突っ走って鬱病になってしまう。それが現代の状況だ。

 

現代の闇

 私が技術管理課の課長職であった時、鬱病の部下を数人抱えることになった。実戦部隊で倒れた技術者を、その上司が管理課なら閑だろうと私の課に異動させた。そのせいで私は鬱病の勉強をする機会を得た。私はそれで10冊ほどの本を読んで鬱病の研究をした。

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 患者が心療内科の病院に行くと、100%うつ病として診断される。そしてその患者の上司の私でも、部下の病状の情報が全く入らなくなる状態になる。患者の守秘義務を守ると言う大義名分で、患者の情報は伝えられず、上司は医師にも会えない。そういう状態に上司は置かれる。

 医師は、密室状態なので、安心して?患者を薬漬けにすることが出来る。ますます鬱病は治らない。鬱病は薬では治らない。病気になったのは、能力以上に負荷が大きかったのだから、鬱状態を治すには、負荷を減らして人間らしい生活に戻せばよいだけだ。しかしそれでは病院は儲からないので、患者を薬漬けにする。日本の医療の闇である。 

 ヒトラーは専属医モレルにより薬物依存にさせられ、それが原因で、ヒトラーは正常な判断が出来なくなり、第二次世界大戦を凄惨な状況に陥れた。その真の原因はヒトラーの精神を安定させようと投与された薬物であった。ヒトラーは自分の健康には最大の注意を払う真面目な菜食主義者でもあった。そのヒトラーを薬物が襲った。医師は依存性はないとヒトラーを騙して薬物を処方した。いくら悩みがあっても、それは薬では治らない。ヒトラーの病状は、薬物の怖ろしさを見せつける実証実験であった。それは現代の鬱病治療となんら変わらない。脳内への血流への異物の侵入には、鉄壁の防御があるが、薬物の侵入に対しては無防備である。

 

 

鬱病候補者

 うつ病は真面目で責任感が強い人がなりがちである。かのチャーチルでも鬱病になった。エーワン精密の梅原勝彦社長も鬱病になった。日経ビジネスにその記事が出ていた。私は梅原勝彦社長の講話を松下幸之助経営塾で聴いてから、氏に親近感を抱いた。氏は私の会社の機械を使っているとかで、機械の良さを褒めてくれた。嬉しいことだ。

 

鬱病研究

 私も一時鬱状態になった時、病院には行かず、自分で治した。病院に行けば必ず、鬱病と診断され、薬漬けにされることが分かっていた。それは自分の部下の為に、鬱病の原因と治療を研究していたから判明したことだ。そのお陰で、鬱状態を自分で治すことができた。情けは人の為ならず、である。

 当時の会社の保健婦は「小田さんは、軽い鬱状態だから、薬を飲めば、すぐよくなりますよ」とほざいていた。私は、保健婦も医師も信じず、真因はなぜかと、何故なぜを5回繰り返して、追及した。「トヨタ生産システム教」の賜物である。

 

 

2023-09-29  久志能幾研究所通信 2751号  小田泰仙

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2023年9月27日 (水)

六つ墓村の墓じまい、タタリで癌に? (2/2) 改訂版

墓じまいの「たたり」?

 墓じまいの4年後の2019年1月、私にがんが発見され、摘出手術を受けた。自覚症状がなかったので、ステージⅢaとガンが進行して手遅れ寸前であった。転移はなかったが、主治医から「5年後生存率は51.6%」と宣告された。つまり5年後までに、同じ病気の人の半分は死ぬ計算である。それは過去の統計上の確率である。

 そして手術後の標準治療として抗がん剤治療を計画された。それを受けないと命の保証はしないと脅された。私はその抗がん剤治療を拒否して、医師と喧嘩別れをした。

 それから抗がん剤治療に代わる治療を求めて、ネットや本で情報を集め全国を放浪した。横浜のHクリニックにも足を延ばした。そして船戸クリニック(養老町)に行きつき、半年ほど治療を受けた。船戸院長先生は、自身もガンを経験されており、親身になって診察をしてくれた。しかし保険がきかない自由診療で、少々お金がかかった。命にかかわることなどで、敢えてそれを進めた。

 抗がん剤はガン細胞を攻撃するが、それ以上に正常な細胞も攻撃する。免疫力の下がった高齢者には地獄である。私はその知識があったので、抗がん剤治療を拒否した。医者は大病院という組織の一員なので、病院が決めた方針に従わざるを得ない。治療をするのと、病気を治し、再発させない仁術の医とは違うのだ。現代の医学は算術である。そこに医療業界と医薬品業界との癒着の問題を垣間見た。

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 船戸クリニック   船戸クリニックのHPより

愛ある医療を目指します | 岐阜養老の船戸クリニック (funacli.jp)

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 ガン再発防止としての点滴

  週に2回、約1時間の点滴と1時間の温熱療法である。それが約半年間続いた。ガンを治すのではなく、癌が再発しないようにする予防治療である。私はずっと点滴液の落ちるのを凝視する。点滴液の落ちる様を見ながら、人生を考えた。それは座禅に似ていた。

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癌はたたり

 がんはご先祖の「たたり(多々利)の声」であった。それを私は謙虚に受け止め、がんになった真因を探り、生活習慣を見直した。なんとか今、手術後、4年生きている。

 ご先祖の使者である癌は、一言も「死ね」とは言っていない。癌はただ「間違った生活を変えなさい。そのままでは早く死ぬ」と告げているだけだ。

 ご先祖の霊はたたり(祟り)をしない。そもそも子孫を可愛いと思っているご先祖がたたり(祟り)など、するわけがない。この世では形ある力を出せない霊が、子孫のことを思って、病気や事故という形で危険を教えてくれているだけだ。そのメッセージを謙虚に受け止めよう。

 

利益

 「多々利(たたり)」「利」とは、仏様からの恩恵である。利益(りやく)とは、仏語で、仏菩薩などが衆生など他に対して恵みを与えること。恵みを与える種々の行為。また、その恵み・幸せ。利生(りしょう)の事である。

 それから派生して、利益りえき)という経済用語が出来た。

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 因果応報

 がんになったのには原因がある。どんな事象も因果応報である。良いことをすれば良き結果が生まれ、悪いことをすれば、悪い事象が起きる。癌の部分を摘出するのは対処療法である。だから癌になった真因を追及して、再発防止をしないとガンが再発する。なぜ何故を5回繰り返し、ガンになった真因を突き止めないと、再発する。元を断たなきゃダメなのよ。

 がんとは人体で日々再生される細胞の不良品である。人体は一日に1兆個の細胞を創り出している。そのうちの5千個ほどががん細胞という不良品である。正常な健康状態なら、免疫酵素がそれを排除してくれる。しかし生活が乱れていると、それがうまく機能せず、癌細胞が生き残る。それが長い間に増殖して癌となる。目に見える大きさになるまでに10年はかかる。

 人体の生産品でである不良品の削減は、トヨタ生産方式に品質管理で行う。不良品が作られてから対処するのではなく、生産工程で不良品を出さないような作り込みをするのがトヨタ生産方式である。がんの摘出手術は応急処置の対処療法である。真因を見つけてそれを無くさない、再発する。

 ある意味、ガンはご先祖様からのメッセージであった。その不幸が心筋梗塞、脳梗塞、交通事故、新型コロナ感染でないのは幸いである。それでは即死状態で死の対応ができない。また自分が認知症になれば、その対策も打てない。がんならば死ぬまで時間があるので、改心?して対策と心の準備が出来る。その警告が「たたり(多々利)の声」である。

 

使者

 がんはご先祖様が派遣した使者である。その名は観音菩薩である。観音菩薩は、衆生の悲しみの声を観て、駆けつける菩薩様である。観音菩薩様は私の生活の不協和音を観て、私に危機を伝えた。観音菩薩様はこの世では、物理的な力がないので、ガンにメッセージを託した。それは眼施(がんせ、癌施)である。私は愚で、検査するまで気が付かなかった。このガンは自覚症状が皆無であった。音なし?の構えである。

 私のピアノの師である河村義子先生が、その直前の2018年12月25日、がんで亡くなられた。それで胸騒ぎを覚え、翌年早々にがん検診を受けた。それが私のガンの発見のきっかけ(ご縁)であった。河村義子先生とのご縁がなければ、私の癌の発見は遅れただろう。それが癌の末期になる寸前で発見できて、転移もなかったのが助かった最大の要因である。

 その河村義子先生の戒名が「聖観院教音義愛大姉」である。なにか因縁のある素晴らし戒名である。

 

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

 この姿は、衆生の悲しみの声を観て、裾を上げ、一歩前に足を踏み出す姿を現している。

 この仏様は2011年にご縁があり来宅された。

 私が前職を定年延長せず、大垣に帰郷したので出会えた仏様である。

 大垣に帰郷しなければ、出会えなかったご縁である。

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がんのメッセージ

 ガンは自分の生き方を訂正しなさい、とのメッセンジである。

 生活習慣を見直して、休め。

 食生活と生活習慣を見直せ。

 自分を大切にせよ。

 毎日を大切にして、常に夢を持て。

 人の温かさに感謝せよ。

 小欲少食で。

 義務感、正義感を捨てて、気楽に生きよ。

 今一度、人生を考え直せ。

 一日一日を大事にしなさい、

 自分を受け入れ、他人を受け入れよ。

 全ての事象に感謝せよ。

 全ての事象はメッセージを発している。

 その事象は声なき経を唱えている。 

 自分の最期を考えよ。

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引用文献:

  この内容は、船戸クリニックの『フナクリ通信 第123号』を参考にした。私は船戸クリニック(養老町)の船戸祟史院長先生から、がん手術後のがん再発防止の治療を受けた。愛知県がんセンターでは、手術後の標準治療は抗がん剤治療である。私はその治療を拒否して、薬剤医師と喧嘩別れをした。それでネットで別の治療法を探して、それで見つけた病院であった。

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2023-09-18  久志能幾研究所通信 2750号  小田泰仙

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六つ墓村の墓じまい、タタリで癌に? (1/2) 改訂版

ご先祖のお墓を墓じまい

 祖母の親戚の叔母が2008年に亡くなり家が絶えた。叔母は京都の尼寺の住職であった。人間国宝の日本舞踊四世家元 四代目井上八千代の葬儀(2004年3月)では、この安寿様が導師を勤められた。舞妓さんたちがお参りする尼寺である。安寿様は愛知専門尼僧堂の青山俊董堂長に師事された。祖母は北尾家の最後の人であり、逝去された事でご先祖の4つあるお墓をどうするかの問題が表面化した。北尾家は井伊直弼公にご縁のある人であった。

 2015年、私が両親の23回忌、13回忌の法要をした時にそれが判明した。叔母はいつも何も言わない方であったが、意図があって親戚に連絡をしなかったのかもしれない。自分の代で家が途絶えることで、お墓の件で、菩提寺の住職にしかるべき対応をお願いしていたようだ。しかしその住職も認知症で2014年、施設に入院してしまったので、安寿様がどういうお願いをされたか不明である。安寿様も想定外である。その住職は私と同年である。人ごとではないが、前住職の認知症はなるべくして発病した業である。天網怪怪疎にして漏らさず。それも20年のタイマー付きである。

 叔母は、曹洞宗の住職として、永平寺に納骨をされていた。2015年4月27日、私は、福井の大本山の永平寺に出かけて回向のお経を上げていただいた。親族控え室で小一時間ほど待ち、本堂に入った。その日は3家の納経の儀があり、8名の僧侶により読経を上げていただき焼香と拝礼をした。なにかほっとした。

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旅立ち

  自分も何時かは旅立たねばならない。その時、後の人に自分の意思が正確に伝えられるかは分からない。死人に口なしで意思が捏造されることもある。明日、不慮の事故や脳梗塞、心筋梗塞で倒れるかもしれない。この3つの死因の比率は約30%である。死後の準備の間もないまま来世に旅立つ人が数多いのが現実である。今回の事象でそれの現実を教えてもらった。これが家系図の作成、遺言状の作成をする決断のご縁となった。

 

お墓の再建

 今回の件はご先祖からの啓示であった。私が叔母の先祖代々のお墓をお守りし、この機会に50年余を経過した小田家の墓を再建し、祖母方の先祖代々のお墓を統合・合祀する決断をした。同時に彦根藩に関係した北尾道仙の墓を再建する。

 50年余を経過すると、墓石の品質が明かになる。質の良い石は50年くらいでは劣化しないが、品質の悪い石は10年程でも劣化が目立つようになる。墓石のほころびが、魂を込めた仕事の大切さを教えてくれた。松居石材商店(文政12(1828)年創業)の松居保行店主が、本件で墓参りに行った時、たまたま仕事で墓地に来ていて、現物の墓石でその石の質の差を説明してくれた。

 

明徳

 今の自分の仕事の品質(徳)が10年、100年、1,000年後に明らかにされる。それが明徳の現れである。今の仕事にどれだけの徳を込めるかである。松本明慶先生が高野山中門の四天王に、今後の1,000年間の守り佛としての思いを込めて造立した志が伝わってきた。この教えこそが師天王の教えである。

 その経緯もあり、私はそのお墓を引き継ぐことを決意した。そして六基あった古いお墓を墓じまいして、三基のお墓を新たに建てた。それでご先祖のために、父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔として五輪塔を建てた。

 今振り返ると、お墓を建てた年は、高野山開山1200年の2015年で、再興された中門に松本明慶大仏師が四天王を納佛し、開眼法要をした年であった。よき因縁であった。

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 ご先祖のお墓

  京都の安寿様が守っておられた。その叔母が亡くなり、正式に墓じまいの法要をして、新たに五輪塔を建てた。

 

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 墓の字は馬場恵峰師に揮毫していただいた。

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 父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔としての五輪塔

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 松本明慶大仏師作 広目天

  高野山中門に納佛直前の姿 松本工房にて  ‎2014‎年‎11‎月‎23‎日

  高野山中門に設置されると、邪鬼の姿を含めての姿は、柵のためあまり見えない。この全身の姿を拝めたのは稀有なご縁であった。

 邪鬼は四天王に踏みつけられているのではない。四天王を支えているのだ。自分の生がご先祖に支えられていると同じである。ご先祖の姿はお墓でしか見えない。それは邪鬼の様と似ている。邪鬼とは現世で生きる我々を支える仏様の全てである。

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松本明慶大仏師作 持国天

  高野山中門に納佛直前の姿 松本工房にて  ‎2014‎年‎11‎月‎23‎日

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 高野山中門の広目天 開眼法要後 2015年4月25日

 足元の邪鬼の姿は前面の柵のため良く見えない。

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  高野山中門の持国天 開眼法要後 2015年4月25日

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2749号  小田泰仙

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2023年9月26日 (火)

巡礼 小貫善二作陶展 器

岐阜河原町galley Sagan で開催された小貫善二作陶展の器関係を紹介します。

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2748号  小田泰仙

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2023年9月25日 (月)

巡礼 小貫善二作陶展 レッド海からライト世界へ

 

小貫善二作陶展が、9月2日~9月26日、岐阜市河原町 Gallery Saganで開催されている。

 陶器で作られたランプは独創的で、幻想的である。血生臭い世間を忘れて、別世界に浸ることができる。

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 小貫善二さん  Sagan にて

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2747号  小田泰仙

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巡礼 小貫善二作陶展 レッドオーシャンからブルーオーシャンへ

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マーケティング

 小貫さんは右手に陶芸の夢を持ち、左手に算盤を持ち、背中に我慢を背負って、人里離れた山奥(に相当する地)で陶芸に没頭している。

 小貫さん作品は、持てる情熱と賢さで世界の扉を開けて道を進んできた。師はゴッホのような破天荒な生き方の芸術家ではない。師は天才肌の芸術家ではないが、その攻め方は孫子の兵法とエジソンの愚直さを兼ね備えた賢さと緻密さがある。

 

 小貫さんは陶芸の学歴もなく、芸術界の後押しもなく、その世界の師匠の後押しもなく、自力で世界の扉を開いて道を歩んできた。非力な戦士に出来ることは、兵法を正しく使うことだ。

 かの織田信長だって、尾張の兵が極端に弱かったから、鉄砲や奇策でそれを補って戦ったのだ。無名時代の信長は苦労している。それに比べて当時の今川氏は大国大軍であるので、正攻法で攻めればよかったのだ。織田信長はそれに対して、桶狭間で奇襲作戦を取った。そして勝った。長篠の戦では、日本最強の武田軍に対して鉄砲を使って勝った。織田信長は尾張の兵が弱かったから、智慧を出して戦わざるを得なかったのだ。

 (不思議なご縁があり、私はこの9月21日、桶狭間の地の画廊に行ってきた。すぐ近くで40年間ほども住んでいて、今回が初めての訪問であった。)

 

 小貫さんは、日本内の過当競争の世界を避け、欧州にその活路を求めた。過当競争の世界は血みどろの戦いがあり、それは経営学的に「レッドオーシャン」と呼ばれる。経営戦略的にそれは避けるべきである。過当競争は、無意味な労力を強いられる。無駄な血が流れる。師はそれを避けて海外に目を向けた。そこは競争相手のいないブルーオーシャンである。

  

海外進出

 師は日本ではなく、海外で評価してもらおうと、数十点の作品を作る。海外に行くために、まず海外に行く費用と作品の輸送費用の合計50万円を貯めてから、その計画を実行した。1立法メータのコンテナに60点ほどの作品を詰めて欧州に送ると35万円ほどかかる。15万円は渡航費とホテル代である。それを年に一度実行して、それを3年続けた。1995年ごろの話しである。先に欧州に飛んで、作品を売って資金を作ったのではない。順序を経て、石橋を叩くように計画を進めた。それは身近の陶芸家が自己破産をしたのを見ていて、破綻のない手法を選んで進んだ。師はきちんと算盤をはじいてプロジェクトを進めた。

 

エジソン式絨毯爆撃?

 そして欧州の陶芸雑誌の広告ページに載っている陶芸専門の画廊を訪問し、送った作品を展示してもらう方法を取った。高級品しか扱わない画廊もあり、門前払いをされたこともある。しかし行ってみなければ、それも分からない。トヨタ生産方式でいう「現地現物」である。それでも3年間、それを続けた。海外でも陶芸専門の画廊は少ない。それでそういう手法を取らざるを得なかったいう。

 エジソンも電球を開発する時、9999回のエレメントの実験を経て、やっとタングステンのフィラメントを発見できた。愚直に目的地に進まないと、プロジェクトは成功しない。小貫さんは、欧州の焼き物を扱う画廊を全て訪れて、自作の陶器を見てもらった。エジソンと同じ情熱である。

 

国立美術館にお買い上げ

 そういうふうに作品を画廊に置いてもらうようになると、彼の作品を認めてくれる画廊主が出てきて、そのつてでドイツのライプツィッヒ美術館、ベルリン陶磁器美術館、ダーレム美術館(ドイツ)等にお買い上げとなる偉業が出来た。彼の芸術作品が本物であった証しである。海外で有名になり、深せんの中国陶磁器展からも招聘され、その深せん美術館にも蔵品となっている。

 日本でくすぶっていれば、決してそんな展開にはならない。同業者がその件を不思議がっているが、彼は人がやらない行動を選択したから、そういう結果となっただけだ。人生は努力よりも選択が重要である。要は、「レッドオーシャン」を避け、ブルーオーシャンで勝負をする。それが賢さである。

 

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  ライプツィッヒ美術館の蔵品目録より

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陶芸の激戦区

 美濃地方は陶芸のメッカである。美濃焼、多治見焼、瀬戸焼、織部焼と競合が群雄割拠である。その中に戦いを持ち込むのは芸がないので、小貫さんは独自の陶器のランプや独自の陶芸作品で、勝負している。私には初めての陶器の世界で、なかなかに見ごたえがある。

 

普賢菩薩

 私の理想の仏様は普賢菩薩である。この世で自分を花咲かせるには、知識や智慧だけでは駄目で、それに加えて賢さが必要だ。菩薩とは、真の仏を目指して歩く修行僧である。私は、その陰を小貫さんの活動に見た。陰とは、佛光に照らされて、黒夜に浮かび上がる真の姿である。非力な私は、強敵と正面激突しては勝ち目がないと自覚している。理不尽な敵や天才肌の敵のいない海でなら、努力を続ければ自分の力が100%発揮できる。それがブルーオーシャンである。それを再認識させてくれた展示会である。

 

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2746号  小田泰仙

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2023年9月22日 (金)

炎天下 お墓の花台 拷問架、観音菩薩は羂索で救う

 

 お盆の時に墓参りで、お墓にお花を供えると、炎天下の強い日差しに加えて、ステンレス製の花受け内の水が炎天下で熱湯状態になっており、その水温は60度を超える。それではお花はすぐダメになる。まるで灼熱地獄の拷問架に生き物を晒すようなものだ。お花が熱中症になっている。

 そのなむごいお供えをご先祖は望んでいるだろうか。その花の命の美くしさでお墓を飾っている。お花だって生き物だ。地獄を見るために生まれてきたわけではない。仏教は生物の殺生を忌み嫌う。たまにはお花の立場でものごとを考えたい。

 お墓が地元にあり、毎日お水を補給して、面倒を見れればまだしも、お墓が遠方のお寺の墓地に在り、年に数回しか墓参りが出来なければ、上記の状況になる。

 私は、年に数回しか墓参りに行けないので、墓参り時は、お花を供えない。お花を供えれば、後始末で、お寺さんに迷惑をかけることになるからだ。

 

お花の手入れ

 奈良の興福寺の別院として大垣には南圓堂が有る。その入口横にお地蔵様が祀られている。興福寺の別院は全国で大垣だけである。毎年、地蔵盆祭りの時は、興福寺から管長か副管長がみえて読経をされる。

 このお地蔵尊のお守り役の人から聞いたお花の手入れの話しである。その方は、毎朝、地蔵尊に供えられているお花の茎をブラシで擦って、水垢を拭っている。当然毎朝、水を替える。お花をダメにするのは、茎に着いた雑菌が増殖して腐敗するからだ。それを毎朝、除去すればお花が長持ちするという。

 人間だった同じだ。まとわりつく腐敗した輩が自分をダメにする。付き合う人を選ばないと、自分の人生がダメになる。人生でも人間関係は5S(整理整頓清潔清掃)が必要だ。

 

 私が地蔵尊のお花当番の時、同じ手法で、供えられたお花を1か月間もたせたことがある。それは8月ではなく、2月であったが、それで1か月間もお花の命が持ったのだ。

 自宅の仏壇のお花も同じ手法で、お花の手入れをしている。

 

不空羂索観音菩薩

 この南圓堂の御本尊は不空羂索観音菩薩である。この仏様は、迷える衆生を地獄から羂索ですくい上げてくださる。

 お花の茎を毎日、洗ってお花を地獄から救うのも小さな菩薩行である。自分が菩薩になって世を救う稽古をしようと思う。

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 南圓堂 地蔵盆祭り 2011‎年‎8‎月‎24‎日

 読経は興福寺副貫主様

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 不空羂索観音菩薩

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 南圓堂 大般若経転読法会 2012年7月10日

  右手の僧侶が興福寺貫主様 

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     大垣 南圓堂

 

2023-09-22  久志能幾研究所通信 2745号  小田泰仙

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2023年9月20日 (水)

お墓参り お花無し、最高のお供えもの

 私はお盆のお墓参り時に、お花は供えない。これは裕福な叔母からの助言である。お墓に供えるお花は、見栄、世間体である。そんなことに金を無駄に使うな、との教えであった。

 死んだご先祖のお墓に花を供えても、お供物を供えても、墓石に毛布を掛けても、ご先祖は喜びはしない。それよりも、その金額をお布施として、お寺さんに寄進した方がよい。私はそうしている。お寺への手土産も、その代金分をお寺さんに寄進している。そうすればお寺さんもそのお金を墓地の維持管理費に回せる。皆さんのためになる。

 また自家のお墓は遠方にあるので、毎日参上して、お花を手入れができない。この炎天下の折、水を追加することもできない。花が枯れて腐っても、その廃棄処理もできず、却ってお寺さんに迷惑をかける。だから私はお花を供えない。

 

 ご先祖や亡き両親が墓参りで一番喜ぶことは、自分が元気で幸せに暮らしていることを墓前で報告し、その姿を見せることだ。健康でないと墓参りにも行けまい。墓前で手を合わせる事が出来る幸せを感じ、育ててくれた恩に感謝することが、最大の供養である。その感謝の念を持って生きていくと運命は好転する。それは感謝することの練習なのだ。感謝こそ人生を作る基礎要素である。

 

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 ガンになり、しばらく墓参りができず過ごし、久しぶりに墓参りを出来たことで、健康の有難さを痛感した。健康で幸せでないと墓参りもできない。

 

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 上図は病気見舞いのお礼として皆さんに配った色紙。

 馬場恵峰先生に、約20枚を揮毫していただいた。

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  色紙が汚れないように、後ろから書くのです。

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‎  日中文化資料館の教室にて 馬場恵峰先生 2019‎年‎10‎月‎11‎日、

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 その馬場恵峰先生もその2年後、94歳で亡くなられた。馬場恵峰先生は、健康に気を使って、最期まで現役で活躍された。健康こそが、親に恩を返す手段である。健康でなければ、感謝もできない。死んでもいいから?、健康第一である。

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2023-09-20 久志能幾研究所通信 2744号  小田泰仙

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2023年9月19日 (火)

六つ墓村の墓じまい、タタリで癌に? トヨタ生産方式で真因追及

 

ご先祖のお墓を墓じまい

 祖母の親戚の叔母が2008年に亡くなり家が絶えた。叔母は京都の尼寺の住職であった。人間国宝の日本舞踊四世家元 四代目井上八千代の葬儀(2004年3月)では、この安寿様が導師を勤められた。舞妓さんたちがお参りする尼寺である。安寿様は愛知専門尼僧堂の青山俊董堂長に師事された。祖母は北尾家の最後の人であり、逝去された事でご先祖の4つあるお墓をどうするかの問題が表面化した。北尾家は井伊直弼公にご縁のある人であった。

 2015年、私が両親の23回忌、13回忌の法要をした時にそれが判明した。叔母はいつも何も言わない方であったが、意図があって親戚に連絡をしなかったのかもしれない。自分の代で家が途絶えることで、お墓の件で、菩提寺の住職にしかるべき対応をお願いしていたようだ。しかしその住職も認知症で2014年、施設に入院してしまったので、安寿様がどういうお願いをされたか不明である。安寿様も想定外である。その住職は私と同年である。人ごとではないが、前住職の認知症はなるべくして発病した業である。天網怪怪疎にして漏らさず。それも20年のタイマー付きである。

 2015年4月27日、大本山の永平寺に出かけて回向のお経を上げていただいた。親族控え室で小一時間ほど待ち、本堂に入った。その日は3家の納経の儀があり、8名の僧侶により読経を上げていただき焼香と拝礼をした。

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旅立ち

  自分も何時かは旅立たねばならない。その時、後の人に自分の意思が正確に伝えられるかは分からない。死人に口なしで意思が捏造されることもある。明日、不慮の事故や脳梗塞、心筋梗塞で倒れるかもしれない。この3つの死因の比率は約30%である。死後の準備の間もないまま来世に旅立つ人が数多いのが現実である。今回の事象でそれの現実を教えてもらった。これが家系図の作成、遺言状の作成をする決断のご縁となった。

 

 今回の件はご先祖からの啓示であった。私が叔母の先祖代々のお墓をお守りし、この機会に50年余を経過した小田家の墓を再建し、祖母方の先祖代々のお墓を統合・合祀する決断をした。同時に彦根藩に関係した北尾道仙の墓を再建する。

 50年余を経過すると、墓石の品質が明かになる。質の良い石は50年くらいでは劣化しないが、品質の悪い石は10年程でも劣化が目立つようになる。墓石のほころびが、魂を込めた仕事の大切さを教えてくれた。松居石材商店(文政12(1828)年創業)の松居保行店主が、本件で墓参りに行った時、たまたま仕事で墓地に来ていて、現物の墓石でその石の質の差を説明してくれた。

 

 今の自分の仕事の品質(徳)が10年、100年、1,000年後に明らかにされる。それが明徳の現れである。今の仕事にどれだけの徳を込めるかである。松本明慶先生が高野山中門の四天王に、今後の1,000年間の守り佛としての思いを込めて造立した志が伝わってきた。この教えこそが師天王の教えである。

 その経緯もあり、私はそのお墓を引き継ぐことを決意した。そして六基あった古いお墓を墓じまいして、三基のお墓を新たに建てた。それでご先祖のために、父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔として五輪塔を建てた。

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 ご先祖のお墓

  京都の安寿様が守っておられた。その叔母が亡くなり、正式に墓じまいの法要をして、新たに五輪塔を建てた。

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墓じまいの結果

 その4年後の2019年に私にがんが発見され、摘出手術を受けた。自覚症状がなかったので、ステージⅢaとガンが進行して手遅れ寸前であった。転移はしていなかったが、主治医から「5年後生存率は51.6%」と宣告された。つまり5年後までに、同じ病気の人の半分は死ぬ計算である。それは過去の統計上の確率である。

 そして手術後の標準治療として抗がん剤治療を計画された。それをしないと命の保証はしないと脅された。私はその抗がん剤治療を拒否して、医師と喧嘩別れをした。それから抗がん剤治療に代わる治療を求めて、ネットや本で情報を集め全国を放浪した。横浜のHクリニックにも足を延ばした。そして船戸クリニック(養老町)に行きつき、半年ほど治療を受けた。船戸院長先生は、自身もガンを経験されており、親身に診察をしてくれた。しかし保険がきかない自由診療で、少々お金がかかった。命にかかわることなどで、敢えてそれを進めた。

 がんはご先祖の「たたり(多々利)の声」であった。それを私は謙虚に受け止め、がんになった真因を探り、生活習慣を見直して、なんとか今、手術後、4年生きている。

 ご先祖の使者である癌は、一言も「死ね」とは言っていない。癌はただ「間違った生活を変えなさい。そのままでは早く死ぬ」と告げているだけだ。

 ご先祖の霊はたたり(祟り)をしない。そもそも子孫を可愛いと思っているご先祖がたたり(祟り)など、するわけがない。この世では形ある力を出せない霊が、子孫のことを思って、病気や事故という形で危険を教えてくれているだけだ。そのメッセージを謙虚に受け止めよう。

 

利益

 「多々利(たたり)」「利」とは、仏様からの恩恵である。利益(りやく)とは、仏語で、仏菩薩などが衆生など他に対して恵みを与えること。恵みを与える種々の行為。また、その恵み・幸せ。利生(りしょう)の事である。

 それから派生して、利益りえき)という経済用語が出来た。

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 因果応報

 がんになったのには原因がある。どんな事象も因果応報である。良いことをすれば良き結果が生まれ、悪いことをすれば、悪い事象が起きる。癌の部分を摘出するのは対処療法である。だから癌になった真因を追及して、再発防止をしないとガンが再発する。なぜ何故を5回繰り返し、ガンになった真因を突き止めないと、再発する。元を断たなきゃダメなのよ。

 がんとは人体で日々再生される細胞の不良品である。人体は一日に1兆個の細胞を創り出している。そのうちの5千個ほどががん細胞という不良品である。正常な健康状態なら、免疫酵素がそれを排除してくれる。しかし生活が乱れていると、それがうまく機能せず、癌細胞が生き残る。それが長い間に増殖して癌となる。目に見える大きさになるまでに10年はかかる。

 人体の生産品でである不良品の削減は、トヨタ生産方式に品質管理で行う。不良品が作られてから対処するのではなく、生産工程で不良品を出さないような作り込みをするのがトヨタ生産方式である。がんの摘出手術は応急処置の対処療法である。真因を見つけてそれを無くさない、再発する。

 ある意味、ガンはご先祖様からのメッセージであった。その不幸が心筋梗塞、脳梗塞、交通事故、新型コロナ感染でないのは幸いである。それでは即死状態で死の対応ができない。また自分が認知症になれば、その対策も打てない。がんならば死ぬまで時間があるので、改心?して対策と心の準備が出来る。その警告が「たたり(多々利)の声」である。

 

使者

 がんはご先祖様が派遣した使者である。その名は観音菩薩である。観音菩薩は、衆生の悲しみの声を観て、駆けつける菩薩様である。観音菩薩様は私の生活の不協和音を観て、私に危機を伝えた。観音菩薩様はこの世では、物理的な力がないので、ガンにメッセージを託した。それは眼施(がんせ、癌施)である。私は愚で、検査するまで気が付かなかった。このガンは自覚症状が皆無であった。音なし?の構えである。

 私のピアノの師である河村義子先生が、その直前の2018年12月25日、がんで亡くなられた。それで胸騒ぎを覚え、翌年早々にがん検診を受けた。それが私のガンの発見のきっかけ(ご縁)であった。河村義子先生とのご縁がなければ、私の癌の発見は遅れただろう。それが癌の末期になる寸前で発見できて、転移もなかったのが助かった最大の要因である。

 その河村義子先生の戒名が「聖観院教音義愛大姉」である。なにか因縁のある素晴らし戒名である。

 

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

 この姿は、衆生の悲しみの声を観て、裾を上げ、一歩前に足を踏み出す姿を現している。

 この仏様は2011年にご縁があり来宅された。

 私が前職を定年延長せず、大垣に帰郷したので出会えた仏様である。

 大垣に帰郷しなければ、出会えなかったご縁である。

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がんのメッセージ

 ガンは自分の生き方を訂正しなさい、とのメッセンジである。

 生活習慣を見直して、休め。

 食生活と生活習慣を見直せ。

 自分を大切にせよ。

 毎日を大切にして、常に夢を持て。

 人の温かさに感謝せよ。

 小欲少食で。

 義務感、正義感を捨てて、気楽に生きよ。

 今一度、人生を考え直せ。

 一日一日を大事にしなさい、

 自分を受け入れ、他人を受け入れよ。

 全ての事象に感謝せよ。

 全ての事象はメッセージを発している。

 その事象は声なき経を唱えている。 

 自分の最期を考えよ。

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引用文献:

  この内容は、船戸クリニックの『フナクリ通信 第123号』を参考にした。私は船戸クリニック(養老町)の船戸祟史院長先生から、がん手術後のがん再発防止の治療を受けた。愛知県がんセンターでは、手術後の標準治療は抗がん剤治療である。私はその治療を拒否して、薬剤医師と喧嘩別れをした。それでネットで別の治療法を探して、それで見つけた病院であった。

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2023-09-18  久志能幾研究所通信 2743号  小田泰仙

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2023年9月18日 (月)

巡礼 平山美智子著『道はあとからついてくる』

 本書には、平山画伯の魂の遍歴の陰の部分が映し出されている。本著は平山郁夫画伯の妻である著者が「家計簿」を通して平山画伯との半生を回顧した手記である。その家計簿は単なる家計簿でなく、メモや買い物の領収書、観た映画のチケット、給与明細までがびっしりと貼られており、それは83冊に及ぶ。それを基にした平山画伯と歩んだ42年の歴史を語った手記である。

 

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    主婦と生活社 1998年1600円

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 彼女は平山郁夫画伯とは東京美術学校(現・東京芸術大学)の同級生で、彼女が首席で卒業、平山郁夫画伯は次席で, 彼女のほうが成績は良かった。卒業の翌年、日本美術院展で、彼女の「群像」が初入選・初奨励賞受賞(今だに破られていないレコードとなる)する。そんな将来を嘱望された才能をもった彼女は、平山郁夫氏との結婚を決意すると、絵を描くことが命と同じくらい大切なものとして生きてきたのに、その筆を折って、平山氏をサポートする立場に回る決心をする。これは並の人ではできることではない。もちろんその決断には深く悩みが存在したが、彼女の男まさりの性格からすると信じられない決断である。その後の画伯の業績は画伯と著者の2人3脚といってもよいのでは。その決意の表れを次のように記している。

 

 「もし、何かを捨てるなら、自分にとって、いちばん大切なもの、価値あるものを捨てる。そうでなければ、捨てる価値がない。つまらない、どうでもいいものを捨てても、何の値打ちもない。捨てたものに価値があれば、その代わりに私が得るものは、もっと価値あるものだし、価値が生じるにちがいない」(p49)

 

 絵は、鑑賞用の絵とは別に画家の思いを共感するために没頭すべき絵に分類される。画伯は中学生のとき広島で被爆し、ほんの僅かな巡り合わせで生きながられたことに運命の感謝しつつ、その被爆の影響による白血病に苦にしみながらも精神的で宗教的な雰囲気の絵画を生み出してきた。画伯の作品は精神の邂逅であろう。それは彼女も同じ道をたどったのであろう。

 

 何と言われようと、弁解などしませんが、私たちは、お遊びで人生を生きたことは、ただの一日もありません。「芸術は、悲しみと苦しみから生まれる」とピカソは言い、「絵は見るものではない。一緒に生きるものだ」とルノワールと語りましたが、私たちも、悲しみと苦しみをバネに、鑑賞用、床の間に飾る絵ではない絵を生み出そうと、ともに闘ってきました。(p145)

 

 仕送り先の実家が、金の件で非常事態になったとき、著者の父が言った一言がその後の人生を作ったと述べている。著者は夫のためアトリエのある家を建てるつもりで必死に貯めていたお金を、奈落の底に落ちるような恐ろしさを感じながらも手元の大半の金を実家に送金する。その後、不思議なことに大きなアルバイトの話が舞い込み、そのうち「土地を買ってしまえば、何とか家を建てたいと踏ん張るだろう。洗いざらい吐き出して、後に賭けよう」との考えが閃き、蛮勇を奮って土地も買うことになる。その賭がその後に思わぬ波及効果を及ぼすことになる。

 

 「金には何の値打ちもない。金の使い道でその金の値打ちが出てくる。今はそのお金をお義父さんのために使いなさい。」

 「金はな、出してしまえば、また入ってくる」と。(著者の父の言葉)(p149)

 

 絵とは、そんなに小難しいものでなく、画家というのもが、世間一般からかけ離れた特別の人種で、特別な生き方、考え方をするといことはなく、どこにもあるありふれた物語と、だれもが経験したことのある出会いや分かれ、喜びや悲しみを土台とし生きているのだということです。

 ただ、ほんの少しだけ、それに注いだエネルギーが他人より多かった、わずかに、ほかより、純度が高かっただけなのだろうと思います。(p164)

 

 当時の私たちの前に、「未来」はありませんでした。「未来展望」すらありませんでした--たただ、ひたすらに、精一杯、その日、果たすべきことを果していくしたなかったのです。道は後からついてきたのであって、あらかじめ存在していたのではありません。(p172)

 

 

 最後の言葉は何回読んでも良い響きがある。本書の題名に昇華される価値ある言葉であり、生きる勇気を与えてくれる。

 人間社会での成果は、ほんのわずかに、他より優れているか否かで決まる。ただし、そのわずかな差を出すには大変な努力が必要だ。実績で示す言葉は実に重い。

 

後日談

 志も生老病死である。自身の才能を殺して平山郁夫画伯に尽くした平山美智子だが、平山郁夫画伯の死後、遺産隠しで国税庁から摘発を受けた。

 老いるとは、志も老いることなのか。高齢の87歳の余命いくばくもない身で、現金2億円をどう使うつもりであったのか。老いても金銭欲は消えないようだ。「欲」とは、「谷」に突き落とされても「欠」けない性と書く。哀しい人間の性である。彼女は素晴らしい道を創ってきて、最後にその道に汚点を残したのが惜しまれる。

 

平山郁夫氏の遺族、遺産2億円隠す 国税局が指摘

 2009年に79歳で死去した日本画家で文化勲章受章者の平山郁夫氏の遺産相続を巡り、妻(87)が東京国税局の税務調査を受け、2億円の遺産隠しを指摘されていたことが13日、分かった。自宅にある現金の存在を知りながら意図的に申告しなかったと認定され、追徴税額は重加算税を含めて約1億5千万円。既に修正申告し、納付したとみられる。

   日本経済新聞 2013年7月13日 11:26

 

2023-09-17  久志能幾研究所通信 2742号  小田泰仙

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