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2022年12月18日 (日)

大垣の士農工商は現存 「生類憐みの令」同等が発令

過度・過激もたまには良いものだ

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 たまには過度にやらないと、ぬるま湯の人生、流され者の人生になり、老いて死ぬだけの人生となる。止っている人間は、外部から力を与えない限り、何時までも止っている (ニュートンの第一法則)

 何事も一歩前に出るエネルギーを与えないと、動くきっかけにならない。世界は凄い速度で走っている。世界の背中を見て全力で追いかけてやっと歩調が合う。止っているか、ゆっくり歩けば、置いてきぼりだ。

 

奴隷の人生

 人が闘う事を止めたとき、人は老いる。言うべきことを言わなくなった時、人は奴隷に落ちぶれる。異常事態に黙っていれば、認知症である。それは人の死である。生活を脅かす刺激(問題)に対して、人として発言して行動しなければ、生体反応のない状態(死)である。

 周りが敵ばかりの時、言わないで搾取されることを黙認することが、羊の習性なのだ。私は搾取され続ける羊にはなりたくない。それは洗脳された状態だ。

 

理不尽な「生類憐みの令」と同等な施策を発動

 昨日、久しぶりに村の寄合いで、お上の役人に過激な追及をしてしまった。それは理不尽な「生類憐みの令」同等の施策に対するお上からの下々への説明会であった。しかしそれは私が理に合わないと感じた疑問点を追及をした。しかし周りはモノ言わぬ羊たちばかりで、押し黙っていた。お上の仕事で利権のある関係者たちが、お上からの代弁者として私を黙らせた。私は言うべきことは言い、現状把握で味方と敵が識別できたので、黙ることにした。久しぶりに、まだまだ自分の血が沸騰することを確認できた。不正に血が沸騰するだけ、まだまだ私には若気の血が回っている(?)。若いということは素晴らしい。

 利権の関係者たちとは、お上から仕事を請け負っている怪計の武士と、引退前はお上から禄を食んでいた輩だ。彼らはお上の通達に盲順である。その怪計武士が曰く「『生類憐みの令』は、議会で決まったので、お上に逆らっても仕方がないだろう。反対して打ち首になりたいのか」

 この怪計士には、今回の「生類憐みの令」同等な施策のお陰で億単位のカネが動き、それに伴い新しい仕事がお上から回ってくる。だからその怪計士にとって、その政策が中止になっては困るのだ。だから村の仲間の前で威圧的に私を黙らせた。

 大垣が21世紀の今でも封建社会が続き、士農工商の世界であるという現状を再確認できたのは、良いことだった。大垣では「士(殿様、役人、会計士)」が一番偉いのだ。町民は士農工商の最下層で人間扱いをされない。それも大垣没落の一因であるようだ。大垣の夜明けはまだまだ遠い。トヨタ生産システムでは問題解決の第一歩が、現状把握である。敵を知り己を知れば百戦危うからず。

 

エピローグ

 その深夜、私は津波の夢を見て、うなされて目が覚めた。私は「津波が来るぞ」と声を枯らして叫んだが、みんなに無視された。そして大津波が来て、封建社会の大垣は流されてしまった。

津波とともに去りぬ  Gone with TUNAMI

 久志能幾研究所通信: ゴミ袋有料化は、大垣の梨泰院圧死事件

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2022-12-18  久志能幾研究所通信 2569  小田泰仙

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