« 2022年8月 | メイン | 2022年10月 »

2022年9月

2022年9月 7日 (水)

老道の終りは、人生事業の廃業

 

 今日(9月7日)、町内の方より、立て続けに2件の死亡連絡を受けた。時節柄2件とも家族葬である。この訃報が私のブログ記事「希望を持ち、努力で老道を歩み、感謝して永眠する」の翌日なので、なにか神仏の啓示を受けた気がした。人が老化すれば、死に近づくのだ。どんな事象もメッセージを自分に発している。それを真摯に受け止め、今後の生き方を見直したい。

 

 一人の方はこの春に町内の悩ましい案件で、一緒に打ち合わせをしたばかりのご縁である。73歳でガン死である。暫らく顔を見ないなと思っていたら、この訃報である。この方は、自分とあまり年齢が変わらないし、自分も3年前にがんを患ったので、他人ごとではない思いである。

 もう一人は、町内最高齢の102歳の方である。天寿である。それはめでたいことだ。長寿は3大福の一つである。福禄寿こそお宝で、人生に頑張った証しである。

 

人間稼業の見直し

 死とは人間稼業の廃業である。人間は「人生」という事業を展開している。その事業を経営する以上は、何度もその事業の見直が必要だ。それに遅すぎることも多すぎることもない。

 

 人は、定年退職をして悠々自適の生活でも、何らかの社会貢献はしているはずだ。人生事業を経営するには、事業の定義の定期的な確認が必要だ。この世で永続するものはない。どんな事業も何時かは、衰退するし、その定義自体も陳腐化する。

 ドラッカーはそのため、①事業環境の定義、②使命とするものの定義、③強みの定義を見直せと言う。

 自分が生きていることが社会に役立っていなければ、人生事業を継続する意味がない。それでは、生きているのではなく、生き長らえているだけの存在となる。会社でも、人間稼業でも、生きている限り、社会に付加価値を与える存在でありたい。

 

生きるとは

 生きるとは、「必ず死ぬ命」をかかえて、過去・未来を振り切り、今、自分に与えられたお役目に全力を尽くすこと。

 定年後、自分が置かれた環境で、自分が社会にどんな貢献をしているか、見直すのはよいことだ。自分の使命を見直すのも必要だ。その使命を全うするのに、自分の強みは何かを再確認するのも必要だ。そうすれば、生涯現役として生きられる。

Img_63601s

 馬場恵峰書

2022-09-07  久志能幾研究所通信 2485s  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

希望を持ち、努力で老道を歩み、感謝して永眠する

 

 つい先日、入社して新入社員として走り回っていたと思っていたのに、いつの間にか老いを意識する日々となった。人にとって50年間などあっという間だ。私もあちこちに体の不自由さを意識する歳となっている。

 若い頃は、人様より3割も多い髪の毛(母からの遺伝)に床屋さんがいつも手を焼いていたが、いつの間にか消滅......(苦笑い)。

 

 紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし (修証義)

 

命の健康寿命

 「老」とは歳を取ることではない。歳をご先祖から頂いた結果として「老」である。それは幸せなことだ。その「老」を頂けず、還暦前に亡くなった仕事仲間の数は20人を超えた。中学校のクラス仲間の2割が、66歳までに死んだ。体の弱かった私が、過酷なビジネス戦争を生き延びれたのは、ご先祖様のご加護だろう。

 その私も平均健康寿命の歳を超えてしまった。嫌でも死を意識してしまう。せめて年甲斐もない醜態は見せまいと思う。それが「老い」の戒めである。

 

練った道

 「老」を頂くとは、練った道を歩むことだ。若気の至りが満ちていた時は、がさつな振る舞いで、荒地の道しか歩めなかった時代がある。練った道なら、人が多く歩いてくれる。自分の設計した道に賛同してくれる。

 

オイル

 「老」という字には「結ぶ」という意味がある。男と女が結婚して新生児が生まれる。物事は二つのモノが結ぶことで、生成発展する。異質なものが結合して新しものが生まれる。新しいものが生まれることを創造、化成という。異質なものを結べる力を持つのが「老」である。それが智慧である。異質なものを結ぶには、軋轢が生じる。それを潤滑油のオイルで滑らかにする。それが老いるである。

 

化ける

 「化」の偏の「イ」は背の伸びた若者を意味する。「ヒ」は腰の曲がった老人の意味である。若者と老人が結びついて、新しい文化が生まれる。古典の文化が新しくなり、化けたのだ。老から若者に伝承された芸術が、創造される。伝承されて芸術がより高度に化けていく。老人は、その成果を「置いて」人生舞台から下りればよい。

 

推敲

 同じことを何度も何度も繰り返し、より良い作品になるように練っていく。それが推敲・老練である。作品は見直した回数が多いだけ、作品は良くなっていく。自分の最大の作品は、「自分の歴史」という人生なのだ。失敗が多いだけ、見直した数だけ、よりよい人生となっていく。

 

ノーシードは老の反対語

 エリートは最初からノーシードで良いポジションから勝負なので、人生を歩くには楽である。しかしエリートは一度でも失敗すれば、それでゲームセットである。

 しかし非エリートは、何度も失敗をして、それが経験として積み重なり、人生をやり直せる。私は非エリートの道でやってきた。それが練った道を歩んだことだ。

 

老の道を歩く

 私は日々「理」と「文」の世界を結んで、新しい世界を創っている。

 私は人間と非人間の佛の世界を結んで、経典を書いている。

 私は「病」と「健康」を結んで、生と死を考えている。それは病を得ないと悟れない。病とはご先祖からの啓示である。自分で自分の生活を正さないと、病は治らない。

 失敗のない人生は、試験管ベービの人生だ。私は多くの経験を結んで、老いて、練った道を歩みたい。それが人間の歩む道だ。

 馬場恵峰先生は94歳まで現役で活躍され、最後は1か月程寝込まれ、皆さんに見守られて眠るように1月1日に亡くなられた。私が病床にお見舞いすると、恵峰先生は「縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ。ありがとう、ありがとう」と何度も言って涙ぐまれた。良き師の最善の生き方を見せてもらえて幸いであった。

Dsc045961s

Img_44131

 

Img_63871s


    馬場恵峰書

.

2022-09-06  久志能幾研究所通信 2484  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2022年9月 6日 (火)

生命の成長

 

 人間でも植物でも、栄えようとするならまず根を養わねばならぬ。人間の成長を見るなら、その雛形を植物に観察すると良い。動物でも良いが、行動が醜いので、静的な植物の方が観察しやすい。

 

 成長のため、いたずらに枝を伸ばし過ぎてもダメである。人間に例えると、各方面に手を出し過ぎの人の例である。何事も、それを達成するためには、浮気をせず、一道を極めることだ。一事一心一念道、である。

 

鬱病とは

 「鬱」とは根の大きさと樹の太さに対して、葉が鬱蒼と茂り過ぎた状態を表す象形文字である。葉に栄養が行き過ぎて、生命体全体が駄目になっていく様である。人間で言えば、鬱病である。要は、精神に許容値以上の負荷をかけ過ぎたのだ。鬱の治療に薬は不要だ。負荷を減らし、仕事を忘れ、太陽に当たり、のんびりと暮らせばよいのだ。それを医師から薬を飲まされから、鬱病が治らない。医師には、鬱病患者は金づるなのだ。薬を飲めば、却って薬害で鬱病は治らない。

 真面目な責任感が強い人が鬱病になる。あのチャーチルも鬱病になった。私も人間関係のもつれで15年ほど前に鬱症状が出て、病院に行けば間違いなく鬱病を診断される状態になった。それで、自分で生活姿勢を変えて、自分で治した。それは自分の部署の多くの精神的な病いを持った部下を持たされたため、自分でうつ病とその治療法を研究した成果である。

 

ラワン材

 幹をたくましく、根を深く広く成長させないと、大きく成長できない。南方でラワン材が成長している。ラワン材は短期に大きく成長する。しかし上の部分だけ、速く、大きく成長し過ぎてしまう。そのため、自分の体重に耐えかねて、成長途中で倒れてしまう。それがラワン材である。

 

 厳しい冬を何度も経験して、緻密な年輪を重ねた樹が、大きく成長する。その樹を丈夫に太く成長させるためには、まず根を養わないと何ともならない。

 

何も咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ。

 この言葉の作者が道元禅師であることを知ったのは、私が還暦の前後であった。20代でこの言葉に感銘を受けていて、加藤梅香先生から書道を習っていた時、お手本として、この言葉を書いてもらった。それを今でも大事に保管している。

 

Photo

 加藤梅香先生書

.

国の宝

 今の若い世代が、25年後の日本社会を背負ってくれる。若い子どもを成長させたかったら、カネをかけて教育することだ。子供への教育投資が、未来の日本を創ってくれる。日本がその昔に経済成長できたのは、子供に投資をしたためだ。

 教育にカネをかけなかった子供よりも、カネをかけた子供たちは、間違いなく豊かに成長する。

 

教育投資

 刈谷市は児童生徒一人当たりの教育費が大垣市のそれより2倍の投資額である。大垣市は児童生徒一人当たりの教育費が県下最低なのだ。大垣市の子供たちの未来が心配だ。

 利権に飢えた市長や市会議員達は、そんなことには見向きもしない。大垣市は「子育て日本一」を言っているが、大嘘である。嘘を平気で言う政治家にまともな政治はできない。大垣の政治家が教育を大事にしないから、大垣市は没落した。大垣復活の為には、市長、市会議員の総入れ替えが必要だ。

 同じことが、日本の中央の政治家にも言える。日本経済の停滞は、企業や政府が教育を軽視していることが原因だ。

 

 教育とは、人という種が永続的に組織の繁栄を続けるために、自分の身を後進に捧げることだ。カマキリは、交尾後に雄の体を栄養とするため、雌に自分の体を頭から食わせる。人間なら、血と汗で蓄積した資源を後進の子孫に捧げるのだ。今の政治家は、その資源を自分達の利益のために使ってしまうので、国賊ものである。それが今の国会議員たち、大垣市の政治家どもだ。

 

大垣市の教育は県下最低レベル(2019年)

         予算総額  一人当り予算  児童生徒数 

             千円   大垣100    人

刈谷市(愛知県)918    197    11,120

多治見市    735    158    8,862  

岐阜市     529    114    32,074  

可児市     517    111    8,352   

大垣市     465    100    14,400  

各務ヶ原市   445     96    12,525   

 

Dsc097511s  馬場恵峰書

.

2022-09-05  久志能幾研究所通信 2483  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2022年9月 4日 (日)

障子を開けて発展した刈谷市、閉じて没落した大垣市

 

 そこの障子を開けてみよ。外は広いぞ。

 第二の創業なくして未来はない。

 変わっていかねば未来はない。

 

 外に開かれた目を持ち、強い意思と情熱、素早い行動力をもって時代をかえていかねばならぬ。  

    トヨタ社長 奥田碩  2003.05.06

 

20年前 

 私が前職で技術管理課課長として事業部のIT業務改革に取り組んでいる時、トヨタの奥田社長からグループ会社に激が飛んでいた。トヨタは「クソ真面目」に自己改革に取り組み、変身をしてド田舎のトヨタから世界のトヨタに飛躍した。そこには奥田社長のリーダーシップがあった。

 しかし当時の我が社は、私が業務改革をとなえても、各課を訪問すると、そこの課長は総論賛成、各論反対で、「まず隣の課からやってくれ。うちはその後で良い」である。そのためIT業務改革が思うように進まず、私は何度も煮え湯を飲まされた。いつの間にか、わが社は社会の激流に飲み込まれて、吸収合併をされてしまった。それが今でも忸怩たる思いである。

 

20年後

 それから私は定年退職をして、帰郷し、自営でうろついている。しかし、上記の奥田社長の激を、今でも大事にしている。

 自営だからこそ、積極的に外に目を向け、強い意思と情熱を持たないと、世間に流されてしまう。自分で毎日のルーチンワークを変えていかねば、認知症にまっしぐらである。読み、聴き、書いて、発信して、師に教えを請うため九州にも飛び、人に会い、設備投資をして、自分を奮い立たせている。次は音楽サロンを造るプロジェクトのため、智慧の汗をかいている。

 

20年後の大垣市政

 奥田社長が社内の業務改革に檄を飛ばしている同じころ、大垣市長に就任した小川敏市長(当時)は、断固たる意志?で前例重視の変えない政策を遂行した。経営の基本のPDCAさえ回さなかった。どうも彼はPDCAという言葉を知らなかったようだ。お役人の世界は、前例を変えてはいけないようだ。

 

公示地価暴落

 その20年後、大垣市は完全没落し、地価は半値以下に暴落し、駅前商店街はその8割が店を畳み、駅前は幽霊通りになる惨状になった。

 当時の小川敏市長は、創業100年を誇ったヤナゲンを廃業に追い込んだ。大垣市長はヤナゲンからの駅前再開発のプランの提案を蹴った。それで、駅前通りの人通りが絶えた。刈谷市と正反対の政策である。

大垣市の公示地価推移(2001年以降)

 2001年の地価を100として2018年の地価は

  (公示地価、基準地価の総平均)2001年より小川敏氏が市長就任

 大垣市  49.5

 岐阜市  64.4

 一宮市  75.0

 名古屋市 145.1

 大府市  90.2

 刈谷市  107.2

 安城市  99.0

 岡崎市  94.3

.

 贅沢三昧の新市庁舎

 そんな貧乏で寂れた大垣市は、2020年1月、狂気を発して岐阜市よりも2割も豪華な大垣新市庁舎が完成した。岐阜県下一豪華な新市庁舎である。それも使いものにならないITオモチャを満載である。刈谷市の新市庁舎よりも豪華である。同じ規模の都市なのに、没落しつつある大垣市は、発展する刈谷市の1.5倍の豪華さである。大垣市は貧すれば貪す、である。

 

新市庁舎費用 負担金比較

       人口  新市庁舎費用 負担金    年間税収

                 市民一人当たり  一人当たり

 大垣市   159千人  126億円  79千円   386千円

 岐阜市   406千人  266億円  65千円   398千円

 各務ヶ原市 145千人   83億円  57千円

 多治見市  107千人   52億円  48千円

 刈谷市   140千人   84億円     60千円   434千円

 .

増税ラッシュ

 その小川敏の政治を継承すると宣言した後任の石田市長は、ますます大垣市を没落に導いている。大垣市は石田市政の悪政で没落に邁進している。近沢正議員が大張り切りで推進するゴミ袋有料化をはじめとして、増税ラッシュである。子育て家庭には重税がのしかかる。しかし市会議員達の9割が、自分達の利権最優先で、増税に大賛成である。なにが「大垣市は子育て日本一」なのか。カネがないなら、業務改革、自分達の給与の削減が最初にやるべきなのだ。それでいて大垣市の役人の給与は岐阜県下一の高給である。

 

子育て最低

 それでいて、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低なのだ。以前は小中学校のエアコン普及率が県下最低の2.1%であった。他市はほぼ100%であったのに。「大垣市は子育て日本一」など大笑いである。大垣市政治は狂っている。

 大垣市の児童生徒一人当たりの教育費は刈谷市の半分なのだ。大垣市の子供の未来は悲惨と思う。

 

大垣市の教育は県下最低レベル(2019年)

         予算総額  一人当り予算  児童生徒数 

             千円   大垣100で    人

 多治見市    735    158    8,862  

 岐阜市     529    114    32,074  

 可児市     517    111    8,352   

 大垣市     465    100    14,400  

 各務ヶ原市   445     96    12,525   

 刈谷市(愛知県)918    197    11,120

 .

小学生からの表敬訪問

 石田仁市長は、最優先政務を放置して、小学生や中学生からの表敬訪問にうつつを抜かしている。例えばスポーツで全国大会への出場の場合である。優勝したわけでもなく、出場だけで表敬訪問である。それを御用新聞に掲載させて、事前選挙活動として顔を売っているようだ。それは前市長の小川敏のやり方の踏襲である。高島福岡市長が実行する「表敬訪問は受けない」との政治ポリシーと正反対である。表敬訪問は、単なる売名行為で、すこしも行政に益がないからだ。むしろ害となる。

 

乞食行政

 石田仁市長も前大垣市長の小川敏も、寄付をする業者との頻繁なツーショットで御用新聞に顔出しである。カネをねだる大垣市の乞食行政である。恥ずかしくないのだろうか。寄付金額が刈谷市の362倍は異常である。何にか、業者にも利権があるのだろう。

 

     令和2年度 予算

      一般会計収入   うち寄付金額 比率

大垣市    603億6000万円  7.24億円  1.20%

岐阜市   1790億1000万円  2.10億円  0.12%

多治見市   417億5368万円  0.64億円  0.15%

高山市    422億3779万円  0.06億円  0.014%

刈谷市    607億8000万円    0.02億円     0.003%

高崎市   1655億2000万円  1.30億円  0.078%

 

再開発中止

 20年前(実際は50年前)から宣言している大垣市街地再開発で、その中心の西廓町再開発も、石田市長は最近それを断念する決断をしたばかりである。再開発をする、すると言ってやらないので、テナントも店に投資ができず、逃げ出す店主が続出である。その跡地を怪しい外国人が店を買い占め始めている。このままでは大垣市駅前商店街は、治外法権で外国人支配のスラム街になってしまう。

 

住みやすさランキング圏外

 大東建託が調査した都市住みやすさランキング2022で、大垣市は枠外でリストにも上らない。以前に東洋経済誌が発表した住みやすさのランキングで、大垣市の良き値は、詐欺のような統計結果であった。東洋経済誌が都合の良いデータだけで集計して計算していたからだ。推測だが、大垣市から裏工作があったとしか思えない。

 

20年後の刈谷市の繁栄

 トヨタグループの主要会社の本社が林立する刈谷市は繁栄を謳歌している。トヨタグループ各社も業務改革を成功させ、税収が増えたのだ。そのトヨタの経営手法を使って刈谷市政は健全である。

 

 刈谷市は、都市再開発も成功し、刈谷駅に連結したバローの商業施設を駅の南区に誘致した。それで以前と見違えるようになった。市内を走る幹線道路も整備され、地価も1割も上がっている。2千人が収納できる豪華な市民ホールも完成した。まるで百万人都市の施設のレベルである。市民大学講座も整備されいる。市民サービスは愛知県一である。その繁栄ぶりは、刈谷市が人口15万の都市とは思いづらいレベルである。

 大垣市は人口16万人で刈谷市とほぼ同じ規模である。刈谷市は名古屋からJRで20分、大垣市は30分である。予算規模も両市とも約600億円と同じ規模である。

 

 大東建託が8月24日に発表したした「街の住みここちランキング2022」で、刈谷市は全国で189位の上位に食い込んでいる。大垣市は300位よりも欄外に追放され、ランキングリストに顔もでない。

 大垣市は2019年は195位、2020年は255位、2022年は300位よりも下位となって没落の一途である。世間の評価は、神の如しである。

 

 なにが刈谷市と大垣市の興亡を分けたか、それは自己改革を行ったか、否かである。自己改革ができない政治家は去れ、である。利権まみれ、既得権益にしがみつき、現状の変革を拒否する市長、市会議員の総入れ替えが必要だ。

 

2022-09-04  久志能幾研究所通信 2482  小田泰仙

累計閲覧総数 338,441

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

仁和寺の水先案内人はあらま欲しき事なり

 

 私が本の選択をする手法を紹介します。私が本を買う場合は、新聞や雑誌の書評欄を参考にしている。乱読で多量に読むのも良いが、自分の人生時間には限りがある。その時間を大事にするため、本を多く読むよりも、良書の選択が大事である。それには信用ある書評が有益だ。書評こそ、本が溢れる大海の水先案内人(先達)である。人生で良き水先案内人を探すのが、良き人生を送るために必要である。私は泰観院の水先案内人である。泰観院は私のために建ててもらったお寺である。将来、私はそこの住職になる。

 

 仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただ一人、徒歩より詣でけり。………

 少しの事にも 先達はあらまほしき事なり。

         吉田兼好 徒然草 第52段

 

整理集約

 私は新聞や雑誌の書評を切り抜いて、クリアファイルにファイルをしている。切り抜きと言っても、そのまま新聞を4つ折りにしてファイルするだけだ。新聞で気になった図書広告をそのままファイルである。雑誌の書評は、書評欄をそのまま1頁分を切り抜くか、コピーしてファイルするだけである。手間はなるべくかけない。

 情報取集の要点は、整理するな、一か所にまとめろ、である。

 

まとめ

 最近、その資料を整理しなおして、16冊のクリアファイルにまとめた。整理と言っても、ただファイルしただけだ。情報は一か所にまとめることに価値がある。一冊に40ポケットのあるクリアファイルで、約50年分の人生水先案内資料が収まった。私のお宝である。

 

人生見直し

 日々、そのファイルを見直して購入図書を探している。その昔、自分がどんな本に興味を持ったか、その成長の記録がそのファイルにはある。

 時折、中から選んで本を注文しても、絶版になっていることがあり、焦ることがある。しかしアマゾンで中古品も手に入るので、何とか入手している。その書評を読むだけで、本の内容の半分は手に入る。それも智慧の糧である。

.

酒を飲むより読書を

 酒を飲んでくだをまくより、本と静かに対話した方が、人生は豊かになる。

 酒の問題点は、酒は少量でも発癌性物質となることだ。また酒は頭を酩酊させ、同じことを何度も話す痴呆現象を起こさせる。それは脳の短期記憶領域が酒で麻痺するからである。それを繰り返すと認知症になるようだ。脳の細胞を酒の毒で繰り返し攻撃すれば、脳細胞は死ぬのだ。

 アルコール消毒とは、アルコールが細菌を殺すこと。同じように、体内の血液中に入ったアルコールが脳細胞も殺す。60歳以上のアルコール依存症の人のうち、4割以上が何らかの認知機能障害を合併しているという報告もなされている。

Dsc095721s

Dsc09571s

 

2022-09-03  久志能幾研究所通信 2481  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2022年9月 3日 (土)

坂上の玉 雨が降ったら 傘をさす

「雨が降ったら傘をさす」(松下幸之助翁)

 

 私はその言葉を思い出して、雨が降ったら傘をさして散歩をすることにした。今までは、雨が降ったらそれを口実に散歩を止めていた。人は言い訳をしだすと何でありである。やると決めたことを簡単に破ってしまう。だから私は雨が降っても、傘をさして無理しても散歩をすることにした。

 人は坂の上の置かれたボールのような存在だ。意識をして下に転がらないようにいつも筋肉を使わないと、下に転げ落ちてしまう。その場で何もしないと、ボールは下まで自然に転げ落ちる。下まで落ちるとは、「死」である。使わない器官は退化する。だから雨が降ろうが槍が降ろうが、筋肉は使わねばならぬ。さすがに大雨時は散歩を控えるが、普通の雨なら、私は傘をさして朝の散歩を継続している。死んでもいいが、健康第一である。

 

 そうは言っても後30年間もこの歩ける健康状態が続くわけではない。人は老い死んでいく。80歳、90歳になればその散歩も叶うまい。だからこそ歩けるうちに歩かないと、歩く筋力が減退してしまう。普通に歩けるとは何と幸せなことか。日本人男性の平均健康寿命は72歳で、平均寿命の81歳である。日本では9年間を寝たきりで過ごす人が多い。60歳の定年後、5年程ぶらぶら過ごしたら、後7年後には寝たきりか、認知症(脳死)になる年なのだ。だから第二の人生の大事を急げ、である。時間は待ってくれない。

 66歳の時、中学校の同窓会に参加した。その時、当時のクラス仲間の2割が既に亡くなっていることを知って愕然とした。次は自分の番なのだ、と。

 私は健康で過ごせて、歩けることに感謝して、毎日歩いている。

 

P1140531s   馬場恵峰書

.

運動不足の害

 早稲田大学スポーツ科学学術院の川上泰雄教授は以前、宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに長期滞在した場合、体がどうなるかという実験をした。無重力の状態を再現するため、被験者に3週間、ほぼ寝たきりの状態で過ごしてもらった。その結果、実験開始から2週間目には太ももの筋肉が14%も減少した。14日間で14%ということは、1日1%の割合で太ももの筋肉が減ったことになる。通常の成人の場合は加齢により太ももの筋肉が1年で約0.5%減るそうなので、1日で2年分も筋肉が減ったことになる。

 

怖いのは筋肉だけでなく、脳への影響

 「脳は体に『動け』という指令を与える機会が少なくなると、その神経系にマイナスの適応が起きてしまい、思うように体を動かすことが出来なくなるんです。ですから、運動を続けるということは、筋肉を鍛えるとともに、神経系を刺激し鍛えるという意味もあるんです」(川上教授)

運動不足だと1日で2年分の筋肉が落ちる? 自粛生活での行動が分かれ道 | パラサポWEB (parasapo.tokyo)

https://www.parasapo.tokyo/topics/30566

 

成年重ねて来たらず
一日再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月は人を待たず

  陶淵明(365~427年)『雑詩十二首』

Dsc077391s

  馬場恵峰書

2022-09-02  久志能幾研究所通信 2480  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2022年9月 2日 (金)

私の「ものつくり工房」完成

 2年前に別宅を入手してから、少しずつ居間を整備してきた。約2年が経ち、やっと居間が「ものつくり工房(仕事部屋)」として成長した。部屋だって目標があれば成長するのだ。

 少しお金はかかった。運命学では「お金とは、新しい可能性を模索するための資源」である。お金は貯めて死蔵するものではない。お金自体に価値はない。お金は使ってなんぼである。人生経営での課題は、持てる資源をどこに、どう配分して、いつ使い、どう最大の成果を上げるかである。その人生経営の社長は、自分である。

 

 新しい部屋から新しい人生が始る。新しい畳から、新しい多くの可能性が生まれる。古女房ではだめなのだ。新しい世界では、畳は新しくなければならない。人は裸で生まれて裸で死んでいく。お金はあの世に持って行けない。生きている間に、良き服を着て、良い人と語り合い、良いものを作る。そこからご縁が生まれる。「もの」とは作品、著書、イベント、教育、貢献等で、自分が社会へ送り出した知的財産である。最終的な作品は、自分自身である。

 私にとって新しい服とは、書斎であり、仕事部屋であり、新たに身に付けた知識である。人物鑑定をするなら、その人の書斎と書棚を見れば、一目瞭然である。それでその人の人生観が分かる。

 

Dsc09564s

Dsc09563s

ものつくりのための道具

 先日、ドラフターを設置してやっと仕事部屋としてさまになった。ドラフター横の机も、倉庫で20年間寝ていた机を活用した。立机も2年前に、山路先生に特注で作ってもらい設置した。使っているとモノが増えていき、机面が狭く感じたので、最近、机面を20cmほど拡大する追加工事を山路先生にしてもらった。

 立机での仕事だから、椅子は置いていない。私は「仕事の疲れは仕事で取る」がモットーである。だから椅子は不要である。

 電気スタンドは、1970年代に英国で製造されていたモデルで、2004年に復刻された製品である。落ち着いたデザインに魅了されて、ヤマギワ電気で購入した。

 

Dsc09565s

資料

 資料も50年分のスクラップ資料(約300㎏)が整理できた。それは日経ビジネス、週刊ダイヤモンド、東洋経済、Will、致知、ゲーテ、週刊誌等のバックナンバー、記事のスクラップである。

 ニューヨークタイムズも8年分を整理した。これは後藤悦夫先生から勧められて、購読を始めた。2010年から2017年までの8年分の新聞の抜粋である。ニューヨークタイムズの記事は、テクニカルライティング上で勉強になると後藤先生から言われた。

 書棚(幅80×高180㎝)を別宅に14個導入した。自宅には4トンの蔵書がある。

Dsc09568s

  50年分のスクラップ資料

Dsc09567s

  8年分のニューヨークタイムズ

.
 またパソコンが普及する前は、B6のカード(京大カード)で情報を整理していた。そのカード数が約10,000枚を超えた。それをB6ケースに整理した。それを立机の横に設置した。今でもそれを活用している。これも私が50年間、京大カードにメモを書き続けてきた人生跡である。

 

Dsc09566s

IT道具

 プリンター兼コピー機(ブラザー製、2万円)も新設した。安価なWindow11ノートパソコンも先月に導入した。CPUはセロンだが、意外と性能がよく、安いパソコン(約9万円)を見直した。

 モニターもドラフターと場所を入れ替えた。モニターだからテレビは映らない。なにせアンテナ線もない。また電話を設置していない。静寂な環境を一方的に破壊するのは電話である。だから電話線は設置していない。必要な時、スマホを持ってくるだけだ。

 

おもてなし

 来る人行く人は皆福の神である。心しておもてなしをしよう。来客用の椅子も低座椅子を用意した。昔から使っていた普通の椅子の足を切って、低座椅子に改造した。低座椅子は、座ると視点が低くて、部屋が広く感じられて、落ち着いた気持ちになる。

 来客用で、小型冷蔵庫も設置した。中には飲み物しか入れていない。料理道具はケルトと小型電磁コンロだけである。

 

Dsc09569s

ものつくり

 本箱の上のグライダーの模型キットは50年前の年代物である。結局組み立てず、そのままになっていた。その模型キットの箱を展示である。いつか組み立てたいと思っている。

 その横のヘリの箱は、ゴム動力式のスウェーデン製の模型キットである。美濃市の模型店で昨年、購入した。もったいなくて組み立てていない。これは飛ばせば直ぐ壊れそうだ。

 今後、飛行機の図面も書きたいし、音楽サロンの建築図面も書きたい。

 

Dsc09570s

 

039a2571s

 馬場恵峰書

2022-09-01  久志能幾研究所通信 2479  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。