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2022年2月 3日 (木)

運命を良くする方程式

人生の極楽方程式

 U=α×ε×C×S

   U: 人生の運の良さ

   α= フットワーク力×諦めない心力

   ε: ヒットする確率(人は誰でも同じ値)

   C: 決断回数、出会いの回数

   S: 行動の速度

    (この式は、私の人生経験から出した式)     

 

 この方程式によれば、個人の運を良くするには、

  決断力を試す回数を増やす

  多くの人と出会う

  多くの本を読む(学ぶ)

  多く発信する。それに批判されれば、多くの学びがある。

  多くの失敗をする

  多くの場所に出かける

  急がなくてもよい、確実に早くやる

 

事実

 運のいい人も、悪い人もいない。

 人生の運の総量は誰でも同じ

 運がいいと思っている人と、運が悪いと思っている人がいるだけ。

 どちらも事象に出会う確率は同じ。

 多く動けば、多くの事象に出会える。

 その出会いをどう解釈するかの問題。

 失敗を学びの機会と考える人が成功する。

 

人間の能力の差

 頭の良し悪しは、運の良し悪しとは関係ない。

 むしろ愚直で誠実な人が成功する。

 有名大学出だから運が良いわけではない。

  有名大学を出て、悪政や会社を破綻させた政治家や経営者が多い。

  陸軍大学の秀才が日本を戦争に駆り立てた。そして敗戦。

 小学校しか出ていなくても、運が悪いわけではない。

  当時の納税日本一は、小学校しか出ていない松下幸之助翁。

 江戸末期の偉人は、その幕末の混迷期、多くの人と出会っていた。田舎にくすぶっていた人で偉人はいない。福沢諭吉も渋沢栄一も海外に出て、見識を広めて明治時代府を支えた。

 大垣の文人・江馬細香の恋人であった頼山陽は、大垣に来て江馬細香と恋に落ちた。彼は日本各地を歩き、多くに志士に影響を与えた。それで江戸幕府が倒れ、今の新しい日本が生まれた。

 

他流試合

 地方の剣術の名家の当主は、江戸の小さな道場主に負ける。それは江戸の道場主は多くの道場破りの野武士たちが訪れ、多くの他流経験をしているからだ。経験の量の差である。

 

国家の運勢、企業の運勢

 人生の運勢も国家の運勢も同じである。日本が高度経済成長期で絶頂期であった1970年代は、GNP比で世界1高い科学技術費や研究開発費を投じていた。技術開発は水物で成否の確率は半々である。金をかければ、その分、多くの失敗もするのだ。当時はそれを許容する企業文化であった。

 私も当時は研究開発部に席を置き、豊富な研究開発費で多くの失敗と経験を積ませてもらった。

 当時の企業は多くの研究開発費を投じていたから、その結果として、世界一の製造業の地位を確立した。

 それがバブルがはじけ、研究開発費をケチり、さらにグローバル経済主義の導入で、失敗が許されなくなり、短期に成果を上げねばならなくなり、長期の研究開発には金を投じなくなった。その結果が長い経済の停滞である。悪循環で、対GNP比で研究開発費が先進国中で最低となった。

 同時に、政府が公的に支援する教育費が先進国中で最低となった。だから失われた30年が生まれた。誰のせいでもない。そういう政治家に投票した我々国民の責任である。

 

大垣の運勢

 大垣も東大出の市長が20年間、市政を独裁的に運営したのが原因で没落した。記憶力だけが頼りで偉くなると、教科書に書かれたこと以外はしないという行政になる。減点主義の政治では、新しいことは絶対にしない。失敗すれば、左遷だからだ。部下は上司を見て、ヒラメ状態になる。事なかれ主義の横行となる。

 その結果、大垣は没落した。都市の価値は、公示地価を見れば一目瞭然である。大垣はこの20年間で公示地価が半値以下に暴落した。要は大垣の運勢が悪くなったのだ。

 

大垣が悪運になった原因

 誰のせいでもない。その市長に投票した我々市民の責任である。東大出だから優秀だろうとの洗脳が、日本や大垣を没落させた。50年前の記憶力テストの成績だけの結果で、大垣の未来を任せた市民の責任である。

 

 私は大垣市の没落する姿に危機感を覚え、私のブログでその原因と真因を暴き、6選出馬を阻止する行動を起こした。6選が阻止出来て良かったと思う。

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 冬夜  大垣市図書館横の公園にて  2011年1月17日撮影

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2022-02-03  久志能幾研究所通信 2293号  小田泰仙

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