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2020年11月11日 (水)

付加価値を入れる器

 

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。その間に、どれだけの知識、経験、喜び恨みを得て、己の付加価値を上げ、社会にご恩返しをして、あの世に旅立つかである。

 赤子は生まれるとき、手を握り締めて生まれてくる。その手の中に「ご先祖の霊」を掴んでいる。だから人を「霊止(ひと)」とも書く。人はご先祖の生まれ変わりである。

 人が死ぬときは、弛緩状態になり手を開いて何も持たず旅たつ。どれだけ莫大な財宝を現世で集めても、死ぬときは裸である。すべてパーである。人は生前に集めたものではなく、人に与えたもので評価される。

 

サーブリック分析

 ギルブレスが考案した分析手法にサーブリック分析がある。これはあらゆる作業に共通する基本動作を、18種類の動作に分解して分析をする手法である。

 そのうち「加工」「組み合わせる」「使う」「分解する」は価値を生む動作であるが、「運ぶ」「掴む」は価値を生まない動作に分類されている。だからいくら金を集めて掴んでも、何も価値を生まない。お金は使わないと価値を生まない。

 

人という名の器

 人は小さな器を持って、必ず訪れる死に向かって人生を歩く。人の成長に合わせてその器は大きくも小さくもなる。人生とは料理の鍋を煮るが如しである。その器に知識・経験・愛情憎悪という調味料を入れて、事故や災害、病気に遇いながらも、鍋に入った料理がこぼれないようにして器を持って歩く人生舞台である。その材料にどういう味(付加価値)をつけるかが、人生で問われる。鍋にいれた材料のままで料理が完成したら、手抜きで、味気ない人生だ。そこにどんな己の付加価値を付けて、未完の料理を最高に仕上げるかである。

 

認知症への道

 その人生調理の工程での大きな問題は、その器の底に小さな穴が開いていること。歳をとるほどに、その穴が少しずつ大きくなっていく。若いときは気がつかないが、歳をとると、その穴から料理をした記憶や知識が大量に流出していることに気づき愕然とする。それ故、穴が大きくなるのを防ぐ努力をしないと、いつの間にか器が空になる。

 老いても、その器への料理投入を怠ってはならない。生涯現役で、料理材料を投入し続けねばならぬ。それをしないと認知症になる。全て自己責任であり、自然の摂理である。

 

料理後に残るもの

 死ぬときには、器としての肉体自体が消滅するので、器の中身は何も残らない。しかし器の下から加熱(仕事、修行、功績)して昇華したものだけが世の空気の中に残る。それがその人の航跡である。加熱の足りない人の航跡は、何も残らない。

 人は二度、死ぬ。本人の死が一度目、二度目はその人を覚えている人が死ぬときだ。その人の航跡とは、人の心に長く残る思い出であり、業績であり記録である。しかしどんなに大きな航跡でも時間ともに消えていく。それが2000年も継続して記憶されている先人は偉大である。

 

 今やっていること、金儲け、魚釣り、飲み会、女漁り、競馬、競輪、ギャンブル、グルメ探求、旅行、権力の座へのしがみ付き、等に没頭して人生で何が残るか、自省しよう。残したもので、子孫から呆れられるのは、恥である。

 

 人生で残るのは書いたものだけ、やって来たこと(価値あるものを創った)だけ。人に伝えたことだけ、与えたものだけ。

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2020-11-11 久志能幾研究所通信 1821  小田泰仙

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