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2020年6月

2020年6月 5日 (金)

観察記:スミソニアン航空宇宙博物館と大垣市狂走(2/2)

大本営発表の亡霊

太平洋戦争のデータ

 海軍機のコーナで、太平洋戦争での日米の消耗戦の状況をグラフで示してあるのには感心した。時間系列で、沈んだ艦船のトン数、潜水艦の消耗トン等が日米の比較をグラフで示している。こういった冷酷な数値・グラフで示すのが、アメリカの合理主義である。人を説得するのは、感情を排した冷静なデータしかない。それこそテクニカルライティングの神髄である。他のコーナでは、ついぞこんなグラフにはお目にかからなかったので余計目についた。

 それに対して日本の大本営発表は形容詞に満ちて、精神論が前面に出る。いくら形容詞も使って表現しても、こういった数値、グラフの説得にはかなわない。何ごとも他と比較して考えないと、政府に騙される。日本国民は政府に騙されて、玉砕寸前まで追い詰められた。

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 太平洋戦争の日米の消耗戦のデータ。赤丸が日本のデータ    

 日米の格差が冷酷に表示されている

 

大本営発表に便乗の大新聞

 太平洋戦争中の大本営は、軍部に都合の良い報道しかしなかった。データの裏付けのない大嘘の発表ばかりであった。国民はそれが嘘であることに薄々は気が付いていたが、秘密警察の憲兵が怖しくて、口外できなかった。

 太平洋戦争前もイケイケどんどんの報道ばかりで、日本を戦争に駆り立てたのは朝日新聞等であった。曰く、満州は日本の生命線、満州を開拓しよう、鬼畜米英に負けるな、英霊の神風特攻隊万歳である。新聞社も戦争の記事のほうが景気良く、新聞部数も伸びるからである。

 

現代の大本営発表

 拝金主義のグローバル企業に支配されたマスコミは、反グローバル経済主義のトランプ大統領が大嫌いで、やることなすこと反対である。だから大手の米国マスコミはトランプの選挙の優位を報道できず、トランプ当選を予想できず大恥をかいた。また大手マスコミは、フェイクニュースが多いのが露見した。

 大手マスコミは、旧日本の大本営発表と変わらない。それはイギリスのEU離脱報道でも同じであった。今のマスコミは、拝金主義者に支配されている。それを念頭に報道を見ないと、洗脳される。

 現在でも、全世界が中国のやり方に大ブーイングをしていても、日本のマスコミはそれを小さくしか報道しない。日本のマスコミは、中国に気兼ねをしている。その原因は、マスコミのスポンサーである日本の大企業が、中国の商売に未練があるからだ。日本のマスコミは、中国に何度も煮え湯を飲まされても、強欲に取りつかれて、目が覚めない。中国が毎日、領空侵犯、領海侵犯をして、日本領土が奪われる危機があるのに、中国市場に未練がある日本財界の意向を受けて、日本のマスコミはそれを報道さえしない。

 

大垣市の御用新聞・岐阜新聞は大本営発表

 今でも大垣市の小川敏の意向を受けた御用新聞の岐阜新聞は、小川敏に都合の悪いことは報道しない。大垣の御用新聞の体質は、戦前と変わっていない。読売新聞が海津市の5億円のコロナ対策費を大きく報道しても、岐阜新聞は、2020年6月2日の紙面で、小川敏に気兼ねをして、記事中に小さく5億円を記載する。タイトルで「海津市、買い物券配布」である。完全に報道を捻じ曲げて、読者の注目を浴びない細工をしている。正に偏向報道である。5億円が、市民一人当たりで計算すると、大垣市の10倍であることは報道しない。

 岐阜新聞は、そのフェイクニュースまがいのタイトルで、大垣市の無策ぶりを目立たなくさせる意図が明白である。そのタイトルは嘘ではないが、報道人として無能のタイトルである。報道人は、「買い物券配布」といった抹消的な事象を報道するのは子供である。市長として、危機管理上でどうしたかを報道すべきである。

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 岐阜新聞 2020年6月2日

 

大垣市・小川敏の大本営発表

 大垣市では、小川敏が口先だけの宣伝で、市民に誤解を与えて続けている。結果として騙していると同じである。小川敏は針小棒大の言葉の魔術使である。曰く、大垣は子育て日本一、安全第一、大垣独自のコロナ対策、新市庁舎で街の活性化、元気ハツラツ市で街の活性化、カメの池で街の活性化、等である。すべて大ウソである。

 小川敏の19年間の無為無策で、県下で大垣市だけが、没落が一番大きい。大垣市の公示価格の下落が総てを表している。市場の評価は、神の如くの評価をする。(松下幸之助翁の言葉)

 今回の新型コロナウイルス対策でも、やっていることを針小棒大に説明するが、その対策費の総額は口が裂けても言わない。実質的に無為無策であることが露見するからだ。大垣市のコロナ対策費は、市民一人当たりで海津市の1/10以下である。この非常事態で、小川敏は危機管理能力がないことが露見した。彼は無能指揮官である。

 

2020-06-05 久志能幾研究所通信 1619  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 4日 (木)

観察記:スミソニアン航空宇宙博物館と大垣市狂走(1/2)

冷酷な技術展示

 1984年8月13日、スミソニアン航空宇宙博物館を見学した。ここは大人も子供も興奮の大人のビックリ箱(大人のオモチャと言うと語弊がある?)。26のテーマブースに分かれた部屋は、飛行機、宇宙船の夢の世界である。飛行機マニアの私は、どこから見ていいのか目ウチュウりして、困るほど。

 各ブースでは各テーマのビデオ画面が10~20程あり、エンドレスに上映されている。この建物の全ビデオ数は200~400はあると推定される。まともに見入ったいたら日本に帰れなくなるほど。ここは1回来ただけではとても、スミソーニぁないほど量・質が高い。(初稿 1994年8月)

 

B29エノラゲイ号  RESTORATION OF THE ENORA GAY

 26の部屋に分かれたテーマブースの一つが、第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機である。ここの入口のビデオコーナが、広島に原爆を投下したB29エノラゲイ号の記録であるのはこの大戦の象徴である。

 その内容は、原爆投下までの記録、被災者の治療中の映像、広島市街、被爆後の広島ドーム、階段に写った死者の影等の映像が淡々と映し出して、単に記録の映像に徹しているので不気味である。特に原爆投下直後の機上からの映像で、画面が爆発の衝撃で大きく揺れるのは無言で不気味な迫力がある。

 あと後半に現在、8000時間をかけて、展示の準備復元中の映像があった。この入り口の展示に多少のアメリカの特別なる配慮を感じた。結構多くの人が足を止めて見入っていた。

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    図⒌10   B29エノラゲイ号のビデオ 

 

後日談

 帰国後に見た1994年9月2日付、日本経済新聞紙面で、このエノラゲイ号の展示をめぐってもめている話が掲載されていた。来年にこの博物館での特別展示「最終章 原爆と第2次世界大戦の終わり」のテーマブースにこの機を展示する計画だが、その内容が日本側の戦災にだけ焦点をあて、バランスを欠くとの抗議が米退役軍人や議会からのクレームが来て一騒動を起こしていた。歴史としての冷静な観点で展示したい博物館側と自分の不利益に直結するのを嫌がる軍政界人との衝突である。米国内でもこの話は統一がされていない。

 非戦闘員を対象にした原爆投下が犯罪なのは説明するのもけがわらしい。当時日本国内で終戦工作のためソ連に働きかけている動向が米国に筒抜けで、敗戦必至の日本に原爆を投下したのはソ連への牽制であったのは現代史に係わる人には常識の話である。50年経っても真理の分からない軍人は世界のお荷物である。人間の生死に係わる歴史にたずさわる以上は軍人・政治家は後世の批判を仰がねばならないし、自己弁護は許されないと思う。後世に伝えうるのは事実だけだ。その厳しさを、米国のボンクラ共はちっともワカッチャーいない。米国が世界の指導者の立場で、今一番求められるのは謙虚さである。ちなみに、この機は1984年から35,000時間と百万ドルの費用をかけて修復されているそうだ。

 

零戦

 第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機のブースに入ってすぐの頭上に零戦52型が宙に浮かぶ形で展示してある。中二階に上がると目の前に零戦が「飛んで」いる。ここにあるメーサーシュミットM109、ムスタングP51 、スピットファイア、B26等に比べて破格の展示処遇である。これを零戦の技術の高さへの敬意と、私は理解して嬉しくなった。展示の機体はかなり程度の良いものである。

 しかし、防備の貧弱な零戦は、終戦近くには米軍機の恰好の餌食にされた。脚を上げて展示してあるこの零戦は、その点で足をすくわれたことを象徴していると見るのは、皮肉好きな私の考え過ぎかしら?

 技術者の目で零戦を見ると、いつも極限設計の意味を考えさせられる。零戦は極限までの限界設計をして、当時としては最高の性能を誇った機体であるが、その限界設計がその後の発展に大きな制約になったことは考えさせられる。零戦出現後に米国で開発された機体は全て「おおらかな」設計(余裕のある設計)をしている。逆にこの事がエンジン乗せ替え等の性能向上の改造設計にどれだけ貢献したかわからない。極限設計した零戦はあまり後の設計変更が効かなかった。極限設計には「余裕」がない。

 そのことは機械設計だけでなく、人生すべてに言える事だと思う。なにごとも余裕がないとその後の進歩は知れたもの。無駄のない張り詰めた設計には美しさがあるが、日々の技術革新が求められる世界では、その緊張は永くは続かない。人生の真理だろう。

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    図⒌11   零戦52型

  二階に上がると目前に飛ぶように浮かんでいる

 

アポロ11号の母船

 この宇宙船が1Fのメインブースに展示されている。この宇宙船の外側や脚は熱反射用の銀紙、金紙で覆われているので、まるでオモチャのように見える。これを見ると、アボロ11号の偉業も、米国のどこかの砂漠で模擬演習したのを、あたかも月に行ってきたように見せた嘘のショーだと言う説が、もっともらしく見えるからおかしい。

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    図⒌12 アポロ11号の母船

  

飛行機用コンピュータ

 航空機用の1958年開発のIBMのコンピュータのメモリーは、たった4Kバイトで、2,400 ㎏の図体である。知識として知っていても、実物を見ると感慨にふけさせられる。ENIACの例もあるが、あれは大きすぎて実感として分かりづらい。航空機の発達はコンピュータの発達と歩調を合わせて進んできた。それの進歩の激しさを各コンピュータボードの展示で見せるので興味深い。ジェミニの小さな宇宙船の中で、大きなスペースを占めるコンピュータボードを小さくするのが如何に重要なテーマだったかが理解できる。

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    図⒌13  4Kバイトのメモリー

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    図⒌14  ジェミニとアポロのコンピュータボードの比較

 

2020-06-04 久志能幾研究所通信 1618  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 3日 (水)

小川敏コロナ対策は大便ごとき、海津市の1/10以下

 海津市(人口3万人、予算規模150億円)は、2020年6月1日、コロナ対策で5億円を補正予算計上すると発表した。それに対して、大垣市(人口16万人、予算規模603億円)のコロナ対策費は、たったの2億2480万円である。

 それを市民一人当たりで計算すると大垣市のコロナ対策費は、たった1415円で、海津市の1/10以下である。大垣市は、小川敏の口先だけ、カッコだけの対策である。それを小川敏は、針小棒大に発表する。その発表文に肝心の対策費の総額は記載されない。金額が少なすぎて恥ずかしいからだ。

 海津市は、その財源確保で、市長や副市長、教育庁が給与を20%~10%を減らす処置で、痛みを感じる対策を打っている。大垣市は全くその処置はない。ぬくぬくとした小川敏に、子育て日本一を謳うに資格があるのか。

 

コロナ対策費比較

           大垣市     海津市

人口         158,832人    33,004人(2020年1月1日)

令和2年度一般予算   603億円     150億円

コロナ対策費     2億円2480万円   5億円

市民一人当たり対策費   1,415円   15,149円

 

子供へ         5千円ギフト券    1万円を補助

市民へ          なし       3000円の買い物券

新生児に        なし        1万円を補助

一人親限定で      2万円

(数が少ない)

市長給与の減額     なし    市長の給与を 20%減

(財源確保)            副市長の給与を15%減

                  教育長の給与を10%減

        口先、カッコだけの対策  長が痛みを感じる対策

 

疑問

 何故、緊急事態宣言でも収入減の影響を受けない公務員が、特別給付金10万円を支給されるのか。世の中が狂っている。なぜ大垣市の役人は辞退しないのか。

 

大便のような対策

 大垣市のトピックス、新着情報の伝達に「おおがき便」と名付けるセンスを疑う。まるで長期政権で腐敗した大垣市市政の大便を連想させる。わざわざ「おおがき便(びん)と言い訳をしなければならないお粗末さである。この名前では(びんと毎回言い訳の活字を入れなければならぬ。そのスペース分、伝えるべき情報が減る。ひらがなも漢字でも、文字数が増えれば、その分、印刷費用が発生する。役人は命名の基本さえ知らない。私なら当たり前の誰でもわかる「大垣通信」と名付ける。

 「便」とは「人」と「更」からなり、「更」は力を加えて変えるの意味である。要は人(小川敏)の都合のよいように変えるの意味があるから、都合がよいの意味を表す。(『新漢語林』より)

 「大垣」をひらがなにする必然性もない。「大垣」「おおがき」とは全く違う意味なのだ。「大垣」が意匠登録してあるかどうかは未調査だが、その観点で、市の名前は漢字が正式である。

 名前は命なのだ。名前を見れば、全てがわかる。それを見れば、名付けた人物の性格さえわかる。命名者は、物事に名前を付ける際に、誤解を受けないような気配りさが全くない。コスト意識もない。杜撰な性格なのだ。上記の対策を見ると、役人根性丸出しのまさに大便のような対策である。

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  コロナ対策費の総額はどこにも記載がない。小川敏は「がんばろう」の精神論の口先だけ。小川敏は金を出さない。

 

2020-06-03 久志能幾研究所通信 1617  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 2日 (火)

大垣市仮想肖像画美術館 vs 如来の御尊顔

 大垣市に将来、肖像画美術館ができたら、市長であった小川敏の肖像画や似顔絵が展示されるだろう。現在でも、動態美術館として、新聞や元気ハツラツ市、各種の行事で小川敏の「動態」肖像画を鑑賞できる。人間観察として、人間学と心理学の勉強になる。

 肖像画に描かれる顔だけが、人格表現の手段ではない。全身の動作・表情の全てが人格表現の手段である。

 人間以外の動物は、全て言葉以外の非言語コミュケーションで済ませている。文書では、たった7%の比率の言葉だけで伝わる。それ故、言葉の一つ一つが敏感に他人に影響する(文のトーン)。それ以外は、声の質や顔の表情が、その人の人格や性格を示している。

 

人が他人から受け取る情報の比率

 話す言葉の内容             7%

 声の質(高低)、大きさ、テンポ    38%

 顔の表情               55%

     アメリカの心理学者  アルバード・マレービアン博士

 

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氷山の一角

 日頃の言動や顔に出る一瞬の表情は、その人の人格の氷山の一角である。水面下の潜在意識がその人物の行動を支配している。潜在意識は、人生観、仕事観、人間観から構成されている。小川敏の言動や顔を見ると、人生観、仕事観、人間観が未完成で、決して上等のレベルではない。指導者として不適の人格である。

 Photo_3   日ごろの言動は洗剤意識の氷山の一角

 

小川敏のキャラクター図

 この頻繁に登場するキャラクター図はヒトラーを連想させる。ニコリともせず「ハイル ヒトラー」と叫ぶ姿を連想させるキャラクターに、私は不快感を覚える。いかにも俺が一番偉いのだとのポーズで、ニコリともせず、唯我独尊の姿である。大垣市民として、こんな図を見ると恥ずかしい。

 

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『Wao! Club 2020年6月』より

 人口16万人の大垣市が2億2480万円のコロナ対策費で自慢している。それに対して人口3.4万人の海津市が5億円のコロナ対策費を出している。それなのに、恥ずかしくもなく針小棒大で自慢するのが、小川敏である。

 

しかめっ面

 小川敏は、いつもしかめっ面で威厳を保つ。市民から寄付を受け取るときでも、ニコリともしない。まるで玄関にドクロをぶら下げているようだ。

 「顔色や容貌を、いきいきと明るく見せることは、人間としての基本的なモラルである。なぜなら人の顔色は、 家の門口のようなものだからである。広く人と交際して、自由に付き合うには、 門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。

 ところが、本心は人と交際を深めたいのに、顔色に意を用いず、孔子の格言を信じて、ことさら渋い顔つきを示すのは、入口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。これでは誰も近づかなくなる。」(福沢諭吉)

  Img_3134sjpg   2011年1月9日 出初式で、ブラスバンドの演技を観閲する。

  この面前で、子供たちが休日に出初式に駆り出されて、ブラスバンドの演技をしている。小川敏は冷血漢の輩のような眼で、眺めているだけである。子供の前でもニコリともしない。

 この顔で19年間も君臨すれば、大垣が没落して当然。

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2011年1月9日 出初式で、ブラスバンドの演技を観閲する。

Img_3120s   2011年1月9日 出初式で。

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  寄付を受け取る小川敏。  岐阜新聞 2020年3月12日

  寄付を下々から受け取ってやるのだ、という尊大な顔である。下々に寄付をさせても、ニコリともしない。

 

下品な笑み

 小川敏が笑う顔を見せたのは、ギネスの金儲け商売に騙されて水饅頭共食いの記録の認証を受けた時に思わず出た下品な笑みだけである。

 

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 市政100周年記念行事「水饅頭の共食い記録達成」で

 

 米大統領リンカーンの言葉「男は40を過ぎたら自分の顔に責任を持て」

 以上を考察すると、小川敏の顔はリンカーンからは失格の烙印を押されるだろう。

 It is said that Abraham Lincoln, when he was President of the U.S., was advised to include a certain man in his cabinet. When he refused he was asked why he would not accept him. "I don't like his face," the President replied. "But the poor man isn't responsible for his face," responded his advocate. "Every man over forty is responsible for his face" countered Lincoln.

http://www.sermonillustrations.com/a-z/l/lincoln.htm

  

仏像のお顔

 人としてあるべき指導者の理想の顔は阿弥陀如来、釈尊如来、大日如来の顔ではないか。仏師はそれを意識して仏の顔を彫る。観音菩薩像や普賢菩薩像、千手菩薩像のお顔では、組織の長として優しすぎるお顔である。普賢菩薩像のお顔は、知的財産事業部の担当役員のお顔である。それは慈悲の眼差しを持ったお顔である。不動明王の表情では怖すぎる。それは佛大国防衛庁の長官のお顔である。

 やはり如来様のような威厳あるお顔が理想の指導者のお顔であろう。「如来」とは、「かくの如く来たれし者」という意味で、あるべき理想の姿を言う。そういうお顔は人格からの発露である。そういう観点で、仏像の顔を鑑賞すると、それを創りだした仏師の意図と願いの心が見える。仏師はそのお顔の彫りに命をかける。

 

1  松本明慶大仏師作 阿弥陀如来(部分) 慈照寺

 『大仏師 松本明慶作品集』(小学館)より

(松本明慶美術館より掲載許可を得ています)

P10409361s   松本明慶大仏師作 不動明王像

  怒りの表情だが、目は慈愛に満ちている

Dsc01363s 松本明慶大仏師作 千手観音菩薩像(福山市 三好眼科蔵)

Dsc06566   松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

 

2020-06-02 久志能幾研究所通信 1616  小田泰仙

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2020年6月 1日 (月)

見学記 米国肖像画美術館

 ワシントンDCスミソニアン博物館群の中に建つ「肖像画美術館」を1994年8月11日に訪問した。下記はその印象記である。(初稿1994年8月)

 最初は肖像画なんてと思って、行くのが後回しになってしまった。ここの面白さは入場するまで、しょうじょうが、つかなかった。

 この美術館はアメリカ美術館と同じ建屋で、その内部を二分する形で、南半分の建物がこの肖像画美術館となっている。ここのハイライトは米国歴代の大統領の肖像画コーナである。その部屋の造りも重厚で、他の部屋のそれと格段の差がある。また各大統領の個性を表現した肖像画は写真とは一線を画するものがあり、肖像画の各人の顔と業績を重ね合わせると、何か納得できるイメージを与えてくれるから不思議である。なぜか歴史に名を残した人の顔はどこか威厳がある。私はその昔、人相学を研究したことがあり、その知識を元に人の肖像画を見ると非常に興味深い。なぜならこの世で一番美味なものは、人を食うこと。顔にその人の人生が現われる。現在、自分も古希に近い歳まで生きてきて、その思いを新たにしている。

 その他に、米国の歴史上の人物の肖像画が所狭しと展示してある。

   

2  図⒌17 大統領の肖像画の部屋      

1fdr_2  図⒌16   “FDR as the great sphinx "   ルーズベルト大統領

       

 大統領たちの肖像画のコーナでの最大のユーモアは、フランクリン・ルーズベルト大統領のスフィンクス像である。このユーモア溢れるスフィンクス像は、子供協会が氏を名誉ゲストとして招いたパーティでFDR図書館に寄贈された。その名も“ FDR as the great sphinx " 。厳粛な大統領たちの肖像画の部屋の入口部で、パイプをくわえ、ニャリとしながら一瞥しているさまはおかしい。特にこのコーナの中央部で物思いにふける建国の父リンカーン大統領の肖像画と、視線をそらすかのようなトボケたマスク像との対比は面白い。こういうユーモアは日本のお役所には無いものだ。生真面目な日本のお役所も、こういった余裕・ユーモアを少しは見習ったらと思う。

3fdr_2 図⒌18 FDR as the great sphinx が睨みを効かす大統領肖像画の部屋

     (正面はリーカーンの肖像画)

 

 さしずめ日本の首相で、この種の像に似合うのは葉巻をくわえた吉田茂かな。満州事変当時の関東軍をも白けさせた軍国主義的な過激な言動や逮捕歴*1、および人を食うのが一番の長生きの秘訣といって憚らなかった氏の胸像は “YOSHIDA as the grate sphinx" と命名すべきだろう。

 

注)grate 〔同音:great〕:不快感を与える。(キーキートイウ)音を立る。 (おろし金で食料を)おろす、(人の感情を)害する。

 逮捕歴*1: この経緯は城山三郎著『落日燃ゆ』に詳しい。吉田首相が戦後日本の政界に君臨できたのは、単なる時局に巡り合わせとしか言えまい。人材の払拭した当時の日本には氏しかいなかった。私は『落日燃ゆ』の広田首相が立派だと思うのだが、歴史は大なる皮肉を作ってくれる。

 

ニクソン大統領

 数ある大統領の肖像画の中で、この人の肖像画だけが横長の額となっている。そのポーズも独特である。これは寝業師と言われた氏を象徴していると言ったら言い過ぎか。その職位に就く人の天分・才能は、その就くべき職種・地位・階級によりその標準偏差が異なる。当然大統領職を担う人々の偏差値は高い。その大統領としてのグループ内で、ニクソン氏の天分のレベル・才能・人格としては平均以下だと私は思うが、それを自分の努力、情熱で平均以上に持ち上げた実績はすばらしいと思う。ダーティなイメージの付きまとうこの大統領は、決して私の好きな政治家ではないが、この点には敬意を表せざるを得ない。天分の才能に恵まれていない我々凡人には、良き反面教師と思う。挫けても、なおかつはい上がろうとする情熱には敬意を表したいし、見習いたい姿勢でもある。その晩年の執筆活動、自分の葬儀の段取り、自分の弔辞をクリントン大統領に頼んでいた周到な準備等には頭が下がる。この肖像画はそんなことに思いを馳せらせてくれる。

 

日本の首相肖像画美術館?

 日本にはこの種の首相の肖像画を集めたアトリエがないのは、狭い国土のためいたしかたないのかもしれない。米国の大統領のように、国の統合の象徴として尊敬を集めるに値する人格の首相が、日本に過去何人いたことやら。また、1年で4人も首相が変わるようでは(1994年当時)、すぐに飾る部屋もなくなってしまう。狭い国土では大問題である。悲しい現実である。

 

モールス

 1837年に発明されたモールスの通信機とそれを公開実験している場面を描いた絵が展示されている。精巧なおもちゃのような通信機は金メッキされ展示されているが、そのメカニックな外観は機械屋の私には興味深いものがある。歴史の実物とその絵画がペアで展示されている趣向に心憎い心配りを感じた。

 このだだっ広いアメリカ大陸での通信の重要性を考えると、このモールスの発明品の展示の重みが認識でき、なぜこの発明品がここに展示されているかが分かろうというもの。

 

4        図⒌19 モールスの実験風景(手前がモールス通信機の実物)

 

Photo       図⒌20 モールス信号機 1837年

 

付属図書館

ここの美術館内にある付属の図書館が興味深い。内部はビクトリア調の雰囲気のある、美術関係の図書館で、静粛な(当然?)たたずまいである。ここまではお上りさんは来ない。その中でパソコン等の近代的なOA機器を使って(25年前の1994年当時)しているのが、違和感なくマッチしている。ここで、しばらく机に向かって図書を閲覧するのもおつなもの。私はここで少々のオアシスのワープロ作業をした。当時はノートPCではありません。

 

6       図⒌21 付属図書館の内部

 

2020-06-01 久志能幾研究所通信 1615  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。