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2020年5月29日 (金)

英国戦争博物館 ゼロ戦の落日 

 1991年6月に英国戦争博物館を見学した。この英国戦争博物館には、日本の零戦のコクピット部のカット展示がされていた。昔からこの博物館の零戦はその筋では有名で、飛行機キチガイの私は見学することが長年の夢であった。しかし実物に接して本来嬉しい筈が、何故か悲しいとか、虚しいとか、なんとも言い難い心境になってしまい、予定外の心境に陥ってしまった。先の英国科学博物館での技術の歴史への感激とは全く異質の心境である。

 この展示を見て感じたのは、当時世界最高の戦闘機と呼ばれた零戦の、航空雑誌の写真では分からなかった工作技術の意外な低さであった。まるで出来の悪いブリキ細工のオモチャみたいに見えて、私は悲しい思いにさせられた。こんなものに命を託して、お国のために戦わなければならなかった当時の人々の哀愁が漂ってきて、先に見た大英博物館でのエジプトのミイラ棺を連想してしまった。

 

技術の並列展示

 この零戦を単独で見ればそう感じなかったかもしれないが、並列して展示してある同時代のランカスター爆撃機(英)、スピットファイア(英)、フォッケウルフ(独)、ムスタング(米)と比較すると当時の日本と欧米の製造技術の格差が認識でき、戦争に負けた一端の理由が技術者として理解できる。

 例えば、操縦席のガラス(キャノピー)を比較すると、ゼロ戦は金属枠で囲われたガラス構成である。それに対してムスタングやフォケフルフ、スピットファイアのキャノピーは一体型で金属枠が無いか少ない。これは日本に高性能のガラスを製造する技術がなかったから、金属枠で補強をせざるを得なかったためである。小さな技術の積み重ねで航空機はできている。それが航空機の部品の隅々に現れる。それが国力の差である。

 

工作機械はマザーマシン

 零戦を見たのはこれが最初ではなく、日本でも航空ショーで見ているのだが、こういう製造技術のレベルで比較観察したのは初めてであった。工作機械はマザーマシンと呼ばれてその国の技術の基盤をなすものだが、それがこういった兵器の形の最先端の工業製品にその底力が現れるものだと、歴史の証拠として示してくれた。ゼロ戦だけ地上に晒しの者のように展示してある。そういった事をさり気なく、この差が分かる者には明白に示す英国人の意外と冷酷な性格もヒンヤリと感じた。

 この零戦は当時としは世界最高水準の設計であったが、その設計技術に製造技術が追いつけ無かった例としては良い実例であると私は思う。しかし歴史は皮肉なもので、今欧米がこのギャップの手痛いしっぺ返しを日本から受けていると言うと言い過ぎだろうか。今や日本の工作機械、電子技術なしには米国の最先端兵器が生産出来ないのはアメリカ政府のジレンマであろう。

 

東芝機械ココム違反事件

 その苛立ちの象徴がココム違反事件である。東芝機械ココム違反事件とは、1987年に日本で発生した外国為替及び外国貿易法違反事件である。東芝機械がソ連に輸出した工作機械は、潜水艦のスキュー加工の精度が上がり、海中での騒音の低減になった。そのためソ連の潜水艦技術が進歩して、アメリカ軍に潜在的な危険を与えるようになった。それが日米間の政治問題に発展した。

 工作機械業界は有る面では3Kの一面を持っているが、基礎製造技術として技術国家にとってかけがいの無いもので、今後この面の軽視は許されないと感じた。この事を示唆してくれたこの博物館の意義は大きい。

 

戦争博物館の本領

 なおこの博物館は兵器ばかりでなく戦争の悲惨さを描いた絵画、写真、映画、青年を徴兵に誘う当時のポスター、ヒットラーの歴史上の記録も2階、地階に同時に展示してある。日本の防衛庁等が設営している飛行機博物館とは一寸趣を異にしている。

                        初稿1991年6月

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 零戦

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 フォッケウルフ(ドイツ)

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 ムスタング(米国)

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 スピットファイア(英国)

 

2020-05-29 久志能幾研究所通信 1611  小田泰仙

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