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2019年8月

2019年8月12日 (月)

未来計画-4 人生を変える

 自分の人生・運命を変えたかったら、人、モノ、カネ、時間、情報、場、方法の全てを変えればよい。惰性で流されてきた人生を変えるには、7つ要素を全て変えればよい。5W2Hの問題である。

 サムソン電子は、李健熙が「女房と子供以外すべて変えろ!」と号令を出し、DRAM市場で東芝を抜いてついにシェア世界1位となった。しかしそれは変えてはいけない倫理観・道徳観まで偏向させてしまって、できたことである。

 変えるべきものと変えてはいけないものを見極めて、人生を変えよう。 

1.人

 付き合う人を変える。人は朱に交われば赤くなる。悪い縁に染まると、運命が暗くなる。悪縁の人間とは付き合わないこと。人は悪縁の中を歩いている。一歩間違えれば、地獄へ転落である。一夜明けたら、大成功してたという話はない。毎日毎日、悪縁の道に迷い込まないように慎重に正道を進む。孟母三遷の教えは、今も生きている。私も多くの悪縁を切ってきて、今の自分がある。良いご縁が自分の人生を開花させる。縁ありて花ひらき、恩ありて実を結ぶ。

 

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2.もの

 モノを買うとは、自分を買う事。人は自分に見合ったものしか買わない。商売人は、その人を値踏みして、その人に合ったものしか勧めない。安いものを買ってくるとは、自分をディスカウントして、自分の価値を下げることになる。少し背伸びをしてでも、高いモノを買うこと。

 私もモノを買う場合は、一番高いモノを買うことを心がけている。その方が長い目で見てお得なのだ。迷って時間を無駄にしては、高いモノにつく。良いモノを長く使う。そのために日頃節約して、無駄金を使わず金を貯めている。

 

3.カネ

 カネの使い方が、人生を変える。何に金を使ったかを見直そう。金で時間も買えるのだ。カネをきれいに使えば、お金がお友達を連れて帰ってきてくれる。お金も水も、流れないと腐る。あの世にはお金をもって行けない。

 

4.時間

 人生は寿命80歳として3万日しかない。60歳ならあと1万日しかない。時間をどう使うかが、人生の分かれ道である。人が一生の間に使える時間が「命」である。有限の資源である。今、自分が何に時間を取られているか分析しよう。

 

5.情報

 情報とは情けの報せ。諫言を大事にしよう。己の事を一番知っているのは、師であり、批判者である。

 

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6.場

 天の理、地の理を生かすべく、場を大事にしよう。風水も理にあった教えである。住む場所、働く場所、行きつけの場所を変えよう。

 

7.方法

 人、モノ、カネ、時間、情報、場という資源をどのように使うかで成果が違う。一番効率的な方法を選ぶべきだ。

P1020304s   馬場恵峰書

2019-08-12   久志能幾研究所通信No.1293 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月11日 (日)

第5回ナデノワのコンクール 夢と課題

 2019年8月8日、故河村義子先生が創立された第5回カナデノワのコンクールが大垣市スイトピアセンタの音楽堂で開催された。このコンクールは、若手の人材育成の場である。私は、河村義子先生を偲んで10時から17時までコンクールを視聴した。

 カナデノワのコンクールは、故河村義子先生が5年前に思いを込めて立ち上げたコンクールである。その時には、ご自身に癌が見つかり、余命5年程であることを知っておられたようだ。そのため、死後のことを考え、このプロジェクトの後継者も育成しての取り組みであった。

 カナデノワコンクールでは、河村義子先生の弟子たちが優遇されると勘違いされるのを恐れて、義子先生はこのコンクールには一度も顔を出さなれなかった。

 本来なら河村義子先生が昨年に亡くなられて、その中止が懸念されたが、審査員長で名古屋音楽大学学長の佐藤先生から助言があり、「今まで4回まで開催してきて、ここで止めるのは残念」との温かい励ましの声で継続が決まった。河村義子先生の意思を、後継者が受け継ぎ、今年の5回目の開催にこぎつかれた。

 昨年までは私はスタッフとして写真撮影を担当したが、今年は体調の都合もあり写真撮影は遠慮した。

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 2019年8月8日 大垣市音楽堂 カナデノワコンクール

 

カナデノワとは

 「奏での輪【輪・和・羽】を意味し、アンサンブルを通して、心の・和、響の・和を大切にしながら豊かな心で大きく羽ばたいて欲しい、という願いがこめられています。

 ピアノは一人で演奏することの多い楽器ですが、連弾や歌とピアノなど、誰かと一緒に演奏することで、2倍も3倍も楽しむことができます。家族やお友達同士など音楽を愛する仲間が、ともに感じること、ともに表現することの新たな喜びを分かちあい、さらに絆を深めるきっかけとなりますように。

 HP: http://www.kanadenowa.jp

 E-mail: info@kanadenowa.jp

  カナデノワのホームページより

 

カナデノワでの協奏

 カナデノワの演奏コンクールでは、ペアで音楽を協奏する技が問われる。小さい子供から、高校生、大学生まで協演の技を競う。歌の部門では、二人で踊りながら歌ったり、先生の伴奏に合わせて歌うなど、そのハーモニーの表現はさまざまである。

 2019年の第5回のコンクールでは65人が協奏を披露した。

 

子供とのデュエットを眼で奏でる

 ピアノの先生がリードをして、小さい子とデュエットをする姿は微笑ましい。子供と先生のデュエット演奏では、やさしく子供を見守りながら演奏する先生の姿に安心して、二人の演奏を観ていられる。先生は、子供の音量、ペースに合わせて弾かないと破綻する。子供の弾く音量・音質に合わせて叩く鍵盤も加減をして音も出さねば、デュエットの意味がなくなる。主役は子供なのだ。先生が子供を見つめる目が美しい。

 同世代の仲間とピアノを弾くよりも難しかろう。子供も先生を全面的に信頼しての演奏であるが、そんなことを考えている余裕はないかもしれない。それが人生だ。師は黙って見守ってくれている。

 

掛け合いの協奏

 今回の課題曲で「とうりゃんせ」が心に響いた。小さな子供が先生と「とうりゃんせ」を歌うが如くピアノで弾き合う様は微笑ましい。聴いていて楽しくなる。

 

人生のデュエット

 世の物事は陰陽、プラスマイナス、白黒である。デュエットの演奏でも、一人が高音部をもう一人が低音部の鍵盤を担当する。当然、弾き方も違う。それが横から見ていて、二人の姿のハーモニーが美しい。それから演奏の実力がわかる。

 

ピアノの相性

 ピアノデュエットでは、一台のピアノの低音部、高音部を二人で担当して弾く場合と、2台のピアノで協奏する方式がある。今回、最後の二組が2台のピアノで協奏をした。それで驚いたのが、スタインウェイとベーゼンドルファーのピアノの協奏となったこと。設備的にスタインウェイのピアノを2台も持っているホールは皆無に近い。必然的に今あるピアノで協奏しようとすると、音楽堂のようにスタインウェイとベーゼンドルファーのメーカの異なる2台となる。しかし音色の違うピアノであるが、違和感なくその協奏が聞けて拍子抜けをした。

 後で演奏者に聞いても、二つのピアノの音色まで気を使う余裕はないとのことで、また拍子抜けした。

 

ベーゼンドルファーの選択

 今回も2台あるピアノで、ベーゼンドルファーのピアノを選択した参加者はゼロであった。昨年と同様に全員、スタインウェイのピアノを選択した。ベーゼンドルファーのピアノは、鍵盤が97鍵あるモデル290インぺリアで、横幅が普通の88鍵のピアノとは微妙に違うため、コンクールではミスタッチが怖ろしいらしく、選択が敬遠される。また音の出方が微妙に遅れるので、弾き方に習熟が求められるようだ。

 

カナデノワコンクールの

 このコンクールの視聴者が、参加者とその親御さんだけのようで、本来、もっと一般の人の参加が望まれる。浜松国際ピアノコンクールのように一般の人たちが盛り上げて、大垣のカナデノワコンクールを全国レベルのコンクールにしたいと願う。

 

カナデノワコンクールの課題

事前のPR活動不足

 今回は河村義子先生のご逝去もあり、開催できるかどうかの問題もあり、その準備が大変であった。そのため開催の案内も不十分で、その内容をもっと一般に広報すべきであったと思う。

 

協賛金の不足の課題

 こういう音楽活動には資金が必用だが、協賛金を出してくれる企業が数少ないのが大問題である。私もこのコンクールを含めて、河村義子先生主催の音楽会の協賛金を集めに走り回ったことがあるが、結局、2件で計15,000円の協賛金が集まっただけで、挫折した。資金集めに奔走された河村義子先生の苦労がしのばれる。最後は私も協賛金を提供した。

 今後、この活動をもっとPRして協賛金を集めたいと思う。

 

運営スタッフの不足

 この運営スタッフもボランティアであるが、その数も少なく、大垣市の協力があると良いと思う。

 大垣市民病院で定期的に開催されている「院内ふれあいコンサート」も当初は河村義子先生の持ち出しで孤軍奮闘して運営していたが、途中から大垣市が援助を始め、電子ピアノも購入してくれて、市役所から応援のスタッフも出してくれるようになった。感謝。

 現在は、カナデノワコンクールに大垣市からの支援が全くないに等しい。大垣の子供たちの情操教育の場であるので、市の協力が必要である。今の大垣市の文化軽視の体制では無理なのだ。それが残念だ。

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 大垣市民病院 院内ふれあいコンサート ‎2017‎年‎6‎月‎5‎日

 バイオリンの天野千恵さんと河村義子先生

 

記念撮影の必要

 昨年は私が撮影担当であったが、今年は事情があり、撮影なしである。やはり表彰の記念撮影だけでも記録に残すべきだろう。お母さんのスマホの撮影では、後年、後悔することになるだろう。スマホのカメラと一眼レフフルサイズの比較では、画質が全然違うのだ。

 

支援と広報の課題

 こういう二人で演奏する形式のコンクールは全国でも数少ないので、これを育てていきたい。私はその支援をする予定である。

 現在は、参加者の関係者しか聴講者がいないが、もっと一般の人の参加者を増やしたい。それには広報活動と市の協力が必要だ。現在の大垣市の体制ではそれが難しいので、悩みの種である。せめて大垣財閥も資金面で協力をお願いしたい。

 

大垣の未来のために

 なぜか大垣市はこういう音楽活動の文化行事にお金を出さない。大垣市長が芸術に無理解であるためである。ノーベル賞受賞者の大村智先生は、昨年8月7日の大垣市の講演会で、哲史と山本周五郎の言葉を引用された。

「芸術を楽しむことによって、情緒が高められたり、品性が陶治される(哲史)」

「すべて芸術は人の心をたのしませ、清くし、高めるために役立つべきもの(山本周五郎)」

 大村智先生は、北里研究所病院で芸術作品を教育に活用されている事例を紹介された。この講演会の場に大垣市長も同席して、挨拶で大村先生の講演に感銘を受けたと吹聴していたが、実際の行動が大村智先生とは逆で呆れる。

 カナデノワコンクールは、ボランティア活動で、子供達の未来のための投資である。こういう文化教育の行事に、大垣市は金を出さないのは、不合理である。大垣市制100年記念事業の愚劣な行事には3億4千万円余も浪費である。そのお金には腐臭が感じられる。その使用用途と会計報告は条令でマル秘なのだ。哲史が言うように、それから見ると確かに大垣市長の品性は高くない。

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 北里研究所病院内の芸術作品に囲まれての教育 

 2018年8月7日 大村智先生の講演スライド

 

大垣の未来演奏

 大垣市の未来のために、行政と市民が奏でる活動が、大垣の未来を創る。悲しいことだが、行政の指揮者の大垣市長が大垣市民とは遊離して、行政だけが勝手に自己満足の演奏を凶行して、暴走している。その影響で、大垣市は衰退していて消滅寸前である。小川敏市長の演奏は、あぶく銭の金切り音がやかましい行政毒奏である。新しい市長に期待をしたい。

 

2019-08-11   久志能幾研究所通信No.1292 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

私が毎日ブログを書く理由

大垣を良くしたいため

  故郷は自分を育てた母なる大地。母に恩返しをしたい。

  ブログ閲覧が10万人になれば大垣が変わる。

  大垣の問題は、日本の地方都市が抱える問題と同じ。

  大垣の問題を解決すれば、日本の地方都市が良くなる。

  現在の惨状を見ると、書いて置かねば死ぬに死ねない思いである。

日本を良くしたいため

  まず足元の故郷を良くし、世界に誇れる状況に変えたい。

自分の人生を良くしたいため

  大垣と日本が良くなれば、自分の人生が良くなる。

  大垣の課題に取り組むことが健康管理

  考えなければ認知症になる。65歳以上は17.5%が認知症(2020年)

  書くことで、自分の生き方の再確認ができる。

あの世に逝って、後悔しないため

  此岸の旅記録を遺すため。浄土に還りご先祖に土産話をしたい。

心の健康管理のため

  心に鬱積する悪いものを溜めない。

  澱む水は腐る。流せば清流のままで腐らない。

頭の整理整頓のため

  書くことで、カオス状態の頭が整理される。

  書く文章は、人格の身だしなみ。人格のお洒落をしよう。

自分のモチベーションの向上のため

  人に公開することで、モチベーションが上がる。

情報の共有化のため

  「情けの報せ」を恵むのは布施で、金がなくてもできる功徳。

  私の情報から、皆さんの生き方に変化が出れば幸いです。

死ぬまでにやりたい108の夢の実現のため

  書くことでやりたいことが明確になる。

前向きで倒れるため

  建設的な公式批判の銃撃なら、正しい戦いである。

  前向きに戦いながら死にたい。陰口は後ろ向き、負け戦である

  批判は世間への叱責。叱ってくれる師が、真の師である

後は野となれ山となれ、のため

  やるべきことをやれば、後は仏様が後始末してくれる。

  悪いことでなければ、なんとかなる。

 

2019-08-11   久志能幾研究所通信No.1291 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

累積閲覧総数  104,093 

2019年8月10日 (土)

癌になる生活-3  五出と五誓文

釈迦の「五出」

 お釈迦様は、心身一如の働きを完遂するため「五出」の教えをされた。五出で、心を養い気力を出し、健康になれる。癌は「今の生活習慣が間違っているよ」と佛様が教えてくれるメッセージなのだ。

 食べ過ぎて、出すべきもの出さず、ため込むから、病気になる。流れる水は腐らない。元気で感謝して汗をかいて働けば、病気にならない。悪いものをため込むから癌になる。五出はそれを防ぐ2000年前の教えである。2000年前に癌はない。

 そもそも食べるとは、他の命を頂くこと。人は他の命を食べないと生きていけない。他の命を食べる以上は、感謝して食べるべきだ。食べ過ぎは、己の為に命を捧げてくれた他の生物への冒涜である。

 

五出

 吐く息を長くする

 声を出す

 汗を流す

 便を出し切る

 精を出す(やる気を出す)

 

 人と話もせずスマホを眺め、労働で汗もかかず、悪い食生活で便秘になり、気がめいれば病気にもなるのも、自然界の理である。

 

五観文: 食事の前に唱える禅寺の教え

 一つには功の多少を計り彼の来処を量る

 (この食事を供してくれた多くの人工を考えるべし)

 二つには己が徳行の全闕を計って供に応ず

 (この食事を頂くに値する勤めをしたか)

 三つには瞋を防ぎ過貪等を離るるを宗とす

 (味や舌で貪るべからず)

 四つには正に良薬を事とする形枯を療ぜんか為なり

 (これは体を養う良薬として頂戴するのだ)

 五つには道業を成ぜんが為に当にこの食を受くべし

 (この食事のお陰で得た力で、修行・仕事にうって出るぞ)

 

大垣市の組織も擬人化される

感謝無し

 現代人は食事に感謝もせず、スマホ画面を見ながらファーストフードを食べ散らかす。病気になるのは、道理である。良く咀嚼して感謝して食べるべし。そうすれば大食いはなくなる。食べ足りなくて病気になる人はない。

 小川敏氏市長は、市民への感謝の念がない。あさましい大垣市ギネス水饅頭食い合いで、味わいもせず、感謝もせず、英霊の祀られる護国神社を侮辱し、饅頭を食べ散らかしそれを自慢するのは、大垣市が病気であることを象徴している。それを誇らしげに報道するマスコミも病気である。病気であることを認識しないもの異常である。だからフェイクニュースが氾濫する。

 

組織は頭から腐る

 小川敏市長の長期政権で、悪習をため込むから、大垣市が衰退する。長期政権が腐敗するのは世の常識である。そうなる前に身を引くのが賢人である。市長は知識があっても知恵がない。だから大垣市の地価が半値になる。人心が倦んで、市役所職員が働かない。大垣市は病気である。小川敏市長は、食事(市民税)を食べる前に、五誓文を唱えるべきだ。

 

汗をかかず

 大垣市役所職員は汗をかかない。みんな業者に丸投げである。大垣市危機存亡の時でも、現場対応は業者に丸投げである。2017年10月の市内の室村町アンダーパス水没事故時でも、担当者は現地におらず、業者が現場で対応した。

 元気ハツラツ市でも、イベントは業者に丸投げで、市役所職員はなにもやらない。

 

強欲と吝嗇の大垣市政

 小川敏市政は、強欲に刈谷市より12万円も高い市民税を大垣市民から徴収している。しかし出す時は、市長の性格を反映する吝嗇な運営で、市民にはドケチぶりを見せる。他市では無料の文化施設の駐車場料金を徴収するのが一例である。大垣市は文化芸術活動にはびた一文も金を出さない。

 お笑いの余芸(ギネス水饅頭喰い合いで)には、利権があるようで、大盤振る舞いである。900万円の予算の半分近くが使途不明である。そのお金の用途の公開は、マル秘条令を盾に、市民の前に「出さない」。吝嗇の市長が熱を入れるのだから、よほど美味しい見返りがあるのだろうと素人は考えるもの。

 また別の事例では、小川敏市長は、大垣市民に無関係の人(全国で姓が「大垣」さん)に、一人当たり10万円も100人にばらまいている。なぜその金を市民に回さないのか。出す先を間違えている。

 これでは大垣市は良くならない。小川敏市長の後、誰が市長をやっても大垣は大発展である。小川敏市長の逆をやればよいので、簡単である。五出と五誓文を唱えればよい。小川敏市長の最後で最大の貢献は、辞表をすことである。

 

2019-08-10   久志能幾研究所通信No.1290  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年8月 9日 (金)

未来設計-3 大垣市長令「♪するならメシ食うな」

 「文化都市の大垣市」を謳う以上、他市に恥ずかしくない資金と環境をこの分野に提供すべきである。現在は、大恥状態である。

大垣市は、文化芸術活動を通じて人財の育成を図るべきである。そのバックグラウンドの施設(駐車場、レストラン)に対して、支援・援助をする体制とすべきである。

 

未来設計として

 文化芸術関係の活動に、他市より多い人・モノ・金の支援をする。

 文化施設スイトピアセンタの駐車場を無料にする

 文化施設スイトピアセンタ内のレストランの営業を支援する。

 

 現在の小川敏市長の方針で、大垣市は文化芸術関係には金も人も出さず、支援もしない。

 しかし鹿児島市の議員団との大宴会等では、市民税100万円も大盤振る舞いをする小川敏市長である。大垣に何の貢献もしない単に「大垣」姓だけの100人に、一人当たり10万円を大盤振る舞いする小川敏大垣市長である。小川敏市長は、市政100周年事業で、大垣に何の貢献もしていない100名の「大垣」姓さんだけを集めて、これには関係のない20名の寄生虫ごとき大垣市関係の人間が、大パレード前日の大宴会に出席で大騒ぎである。

 文化芸術が分からない人は、精神年齢12歳の子供である。食い意地だけが発達しているようだ。

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 「大垣」さんのパレード  ‎2018‎年‎10‎月‎7‎日

 なんで、大垣のために何もしていないこんな子供にまで、一人当たり市民税10万円を使うのだ? 大垣のために汗を流した先人達に失礼だ。

 

問題点

 大垣市は、こういう文化芸術活動に資金も人も援助をしない。大垣の文化活動の場であるスイトピアセンタの施設も、その支援活動がお粗末である。

 現在は、そこにレストランがない、喫茶施設がない、駐車場料金が無料でない、文化活動自体に支援がない等で、小川敏市長の文化芸術軽視の施策が明白である。

 2019年8月8日、第5回カナデノワコンクールの午前の合唱の部は12時に終わった。ピアノ部門の審査は14時からである。現在、大垣市の文化会館のあるスイトピアセンタにレストランがなく、近くにも食堂がない。だから車で外に食事に行かねばならぬ。駐車場を一度出て、また入ると200円の駐車場料金を徴収される。

 図書館で学習している人たちも、お昼には外に出て、食事に行かねばならぬ。その分、学習時間が削られる。自主教育の妨害である。食堂施設がないのは、大垣市による学習妨害である。教育など小川敏市長は何も考えていない。

 スイトピアセンタは場所的に、繁華街から遠く、営業には不適で、まともではレストランの経営が難しい。だから市の援助がないとやっていけない。大垣市はそれを全く援助しない。だからテナント募集をしても業者が入らない。以前はツチヤや魚国がテナントとして入っていたが、市の援助が皆無に等しいので撤退した。レストランが無くなって、それが4年間程続いている。

 

カナデノワのコンクール

 2019年8月8日、故河村義子先生が創立された第5回カナデノワのコンクールが大垣市スイトピアセンタの音楽堂で開催された。このコンクールは、若手の人材育成の場である。私は、河村義子先生を偲んで10時から17時までコンクールを視聴した。

 昨年までは私はスタッフとして写真撮影をしていたので、お昼は楽屋でお弁当を食べていた。今年は写真撮影を担当しなかったので、お昼を食べる際に、この問題が発覚した。故河村義子先生の霊が、問題提起に導いてくれた。

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  カナデノワの会場 音楽堂 2019年8月8日

 

他市の状況

 岐阜市にある県立美術館・県立図書館の地下駐車場は無料である。当然、レストランもある。

 大垣市より歴史遺産の少ない刈谷市駅前の文化施設の駐車場も、無料ではないが実質的に、文化関係の利用の場合は無料扱いになっている。彦根市も同じである。

 それが大垣市では、レストランもなければ、喫茶室のなく、無料の駐車場もないのだ。それでいて、駐車場の自動化された入場門にシルバーの人が常駐していて、車の出入りを見張っている。実に無駄な仕事である。小川市政は、業務の無駄排除という言葉を知らないようだ。小川敏市長のいう「節約」に逆行している。

 この車社会で、200円の駐車料金の為、機械化された入場ゲートがあって、さらに人件費のかかる係員を置くのは狂気の沙汰である。収入は一日一万円にもならないであろう。人件費の方が高いのだ。小川市長は経済音痴である。

 岐阜市も刈谷市も彦根市も、「文化都市」などと謳っていないが、文化活動には後方でさりげなく支援している。大垣市よりもはるかに立派である。それを大垣市は、大垣市庁舎に垂れ幕で謳っている。大垣市の現状が恥ずかしい。

 

大垣市の文化レベル

 それが大垣市では、文化を楽しんでも、その施設にレストランや喫茶施設がないから外に食事に行くしかない。それで再度、駐車場料金が強奪される。「音楽を楽しむなら、メシを食うな」というが如しである。コンサートや芸術活動の視聴が終わった後、お茶でも飲んでの、仲間と芸術の議論もできない。音楽の都・ウィーンの街角の喫茶店文化とは大違いである。大垣市は衰退して、喫茶店どころか、商店街そのものが消滅しそうである。その原因は、小川敏市長の無為無策の無能政治である。

 大垣市役所の正面にぶら下げている「大垣市は産業文化都市」は大嘘である。嘘と言うより詐欺である。

 大垣市は、将軍様の小川敏市長が君臨して18年間で、大垣の地価が半分になった。その原因は、大垣市は小川敏市長が精神的にも貧乏なので、文化も貧困になったためである。前の文化芸術に理解のあった故小倉満市長とは大違いである。故小倉満市長は、音楽堂にベーゼンドルファーのピアノを導入するのに尽力された。現在の市長は、精神年齢が12歳のようで、文化芸術には興味がなく、宴会で食う事しか興味がないようだ。

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 大垣市役所の「希望あふれる産業文化都市」の垂れ幕が恥ずかしい。文化を軽視する小川敏市長が君臨するのでは、夢も希望もない。垂れ幕でテーマを宣言するとは、今、希望がないから、あえて宣言するというのが常識である。希望が溢れていれば、宣言など不要である。

 

お願い : 本ブログは「大垣を良くする階」か「久志能幾(くじのき)」で検索できます。友人にこのブログを広めて、「大垣を良くする活動」を支援してください。まず現状把握です。現状を知り問題意識を持たないと、大垣は良くはなりません。他市も同じ問題を抱えています。これは大垣だけの問題ではありません。大垣を良くすれば日本が再生します。

 

2019-08-09   久志能幾研究所通信No.1289  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

累積閲覧総数  103,674 

2019年8月 8日 (木)

未来設計-2 水都祭りが暴く小川敏市政

 大垣市の行政組織で、3名の副市長体制にするべきだ。現在は副市長が1名体制であるが、それを3人体制にする。文化芸術担当、体育事業担当、全般的行事担当の3名の副市長である。目的は、大垣市長が本来の仕事へ集中するためである。

 大垣市の姉妹都市のシュッツガルト市は、各分野担当の副市長が5人体制である。第一市長は選挙で選ばれるが、5人の副市長は行政が選ぶ。

 

現状の問題点

 今は、目立ちたがり屋の小川敏市長が総ての行事に出て、その対応しているから、一番大事な仕事である付加価値を上げる仕事や、大垣の未来を作る戦略構想に時間が割けないのだ。だからこの18年間で、大垣の地価が半分になる醜態を見せる顛末となる。それは市長が無能である証明である。

 その小川敏市長の演説が下手なのだ。論理構成がなく、支離滅裂でその場しのぎに演説ばかりである。もっとうまい演説をする副市長に任せれば、行事への参加者も時間価値が上がるのだ。今の小川敏市長の演説は、時間の無駄である。

 市長の一番の仕事は大垣に未来を創ること。大垣の人財を創ること。大垣の経済を創ること。大垣市を財政豊かにすることだ。小川敏市長は、どれも落第である。18年間も時間があったのに。

 

市長の課題

 大垣市長に要求されるのは、全ての行事に顔を出すことではない。要求されている課題に結果を出すことだ。行事に出て挨拶に忙しく、それで大垣の価値(地価)が半値に下落するなら、もう大垣市民の前に顔を出すな、である。

 

権限移譲

 部下ができることを上司がしてはならない。それは上司の付加価値創造をさぼっている職務違反である。上司は部下にできないことに時間を割かねばならぬ。上司は価値創造に時間を使わなければ、その地位にいる資格がない。

 小川敏市長は節約と投資の区別がつかないようで、「大垣市予算の一律〇%カット」と市役所各部に通達を出すが、官官接待で金を使いまくり、己は水饅頭食い合いで900万円(440万円が使途不明)、公用車で贅沢なマジェスタを2台も乗り回し、官官接待で金を使いまくっている。市制100周年記念行事で、3億4千万円を無駄遣いした。「全国の大垣さん集まれ」と「大垣」姓というだけで、一人10万円も市民税を振舞うなんて正気の沙汰ではない。そんな金があるなら、大垣市に貢献した人に報いるべきだ。

 だから大垣市市役所の職員は、だれも小川敏市長を尊敬していない。だから、市の職員のやるとこがばらばらで行政のやることに整合性が取れていない状態となった。こんな低落だから、大垣市は衰退した。

 

水都まつりの事例

 2019年8月3日の水都まつりの踊り大会で、伊藤秀光県会議員や石田仁市会議員が踊りの輪の中で汗をかいて踊っていた。大垣の伝統ある行事を盛り立てようと汗をかいている。しかし小川敏市長は、会場近くの饅頭屋で、人目を避けるように饅頭を食べて一休みをしていた。皆が汗をかいて祭りを盛り上げているのに、陰に隠れて姿を現さない。姉妹都市の鹿児島市の市長も参加してるのに、その対応を副市長に任せっぱなしである。鹿児島市の市長が大垣市民の前で挨拶をしているのに、小川敏市長は姿を見せない。えり好みで行事を選別しているようだ。その行事をえり好みで、市長の責務から逃げるのは、精神年齢12歳の子供のやることである。こんなレベルの人が市長とは、情けない。鹿児島市長に対して恥ずかしい。

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  水都まつり  2019年8月2日

 

官官接待

 この水都まつりの踊りの後は、姉妹都市の鹿児島市からの議員団との官官接待で、ホテルでどんちゃん騒ぎの宴会である。鹿児島の議員団30名、大垣市側が70名ほどで約100名の大宴会である。水都まつりの踊りで、大垣市民の前には顔を出さないが、鹿児島市との宴会には小川敏市長も出席である。小川敏市長はどこの市長なのか。それで最低100万円の市民税が浪費された。小川敏市長の口癖の「節約」が大笑いである。これでは大垣市役所の職員から尊敬されるはずがない。

 お願い :本ブログは「大垣を良くする階」「久志能幾(くじのき)」で検索できます。友人にこのブログを広めて、大垣を良くする活動を支援してください。現状を知らないと、良くはなりません。

2019-08-08   久志能幾研究所通信No.1288 小田泰仙

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2019年8月 7日 (水)

人生60余年を振り返り

 今までの60余年の人生で、己は何を学んだのか。何を後世に残すのか。何が悔いなのか。年初に癌の手術をして余命2年宣告を受けてから、毎日、自分の人生を振り返っている。それを念頭にブログを書いている。 

 いつ何時、大震災・大地震が起きて、命が絶たれるかもしれない。東日本大震災では、猶予もなく津波に流された人や、911で自爆テロに巻き込まれた人を思い、最近の無差別殺人事件の頻発を思えば、人ごととは思えない。

 今、私は癌で余命2年を宣告され、身辺整理を兼ねて、溜まった雑誌や新聞を見直し、整理している。2011年当時、ある思いがあって東日本大震災関係の主要な新聞を全て保存しておいた。それを今、引っ張りだして眺めていると、感慨にふけさせられる。人の命は儚いものだ。当時の混乱ぶりが自他共に愚かに見える。その教訓が風化寸前である。それを当時の新聞を見直して、考え直している。

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 311記事の保存新聞は、この2,3倍ほどの分量がある。

 

振り返り

 己の生きざまが、仕事の成果に現れる。人生は自分が思った通りになるのだ。会社時代の38年間、その後の9年間の足跡を振り返ると、よくやったねと、自分で自分を褒めてあげたい。

 この10年弱でリフォームもした、書庫も造った、演奏会の写真も撮った、ピアノも弾けるようになった、馬場恵峰先生の本の出版もした、経営学もマスターした、お墓も作った、終活も終わった。それで大きな悔いがないのが救いである。

 今、余命2年と宣告された命を39年に延長するための仕掛けに、取り組んでいる。まず種を撒かないと、芽は出ない。現在、大きなプロジェクトが3つ計画・進行中である。今日も、10年後に花を咲かせるために、下調べと打ち合わせに行ってきたばかりである。先方から良き感触を得てほっとしている。

 戦いは生き残るためにするもの。戦わないと老化という時間に押し流され、露と消える。人の命は儚いもの。時間との戦いで汗をかけば、命が輝くと信じている。

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  馬場恵峰書

 

小川敏市政の振り返り

 小川敏市長は、この18年間で悔いはないのか。彼にそれを問いたい。彼は大垣をどう変えたのか。彼は、この18年間で無為無策の為、大垣の価値(地価)を半分に減らした。彼は、それを失敗だと思わず、その振り返りさえしない。今もその変革の兆しさえ見ない。反省なき行政は市民を地獄に連れていく。

 小川敏市長が市長になった目的は、市長になり威張ることで、大垣を良くすることではなかったようだ。小川敏氏は、東大に行くことが目的で、そこで何を学ぶかは目的ではなかったようだ。彼は当時、東大入試中止の為、京大に入り、翌年、東大を受験して、入学した。その後の経歴を見ると、何を目的に働いたかが薄々感じられる。その意図が不気味である。彼が大垣市長になって、大垣をどうしたいのか、今後どうしたいのかが、全く見えない。それが大垣市民を地獄に落とした。

 

Wikipedia で小川敏市長の業績を調べた(青字)。赤字の解説は著者。

小川敏 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/小川敏 

それによると、小川敏市長の業績はないに等しい記述である。

小川敏市長の主な業績[編集]

 平成の大合併では、最初は西濃地区全域の計画が存在したという。実際に2003年(平成15年)の西濃圏域合併協議会発足では10市町(大垣市、安八郡神戸町、輪之内町、安八町、墨俣町、養老郡養老町、上石津町、不破郡垂井町、関ケ原町、揖斐郡池田町)が参加し、中核市への移行をも視野に入れていた。しかし、調印直前になってからの離脱が相次ぎ、大垣市、安八郡墨俣町、養老郡上石津町の1市2町が残るのみとなる。2町とも旧・大垣市とは接することなく、二重飛び地合併という結果となってしまい、現在も大垣市が日本で唯一の二重飛び地の市である。旧墨俣町の区域は「墨俣町地域自治区」、旧上石津町の区域は「上石津町地域自治区」となっている。

 (周りの市町村は、小川敏市長の本性に気が付き、大垣市に反旗を振りかざした。その原因を小川敏市長は考えていないようだ。)

 近畿日本鉄道養老線の存続問題では、存続に力を入れている。その結果、養老鉄道養老線としての存続となっている。

 (当初は、小川敏氏はこの問題に反対で、県会議員や古参の議員の周囲に説得されていやいや対応した。現在、この鉄道の存続のための負担金が、零細町村も大垣市も均等であるように画策した。関連市町村は、その不合理に怒り心頭だが、この鉄道の存続の為、泣き寝入り状態である。)

 財政再建を推進しており、大垣市は2007年度から地方交付税不交付団体になっている。

 (小川敏市長は、出すべき金までもケチり過ぎて、大垣経済を衰退させた元凶である。小川敏市政は経済音痴である。デフレで大垣財政の財布を閉めれば、大垣経済は死ぬ。このため、小川敏市政18年間で、大垣市の地価は半値になった。大垣駅前商店街は61%がシャッターを降ろした。それでいて、小川敏市長は、節約と投資の区別もつかず、祭りや宴で金を無駄づかいばかりしている。)

 「墨俣町地域自治区」の下水処理場問題では、下水処理場の建設地が安八町に近いことから、安八町が強く反対している。この問題は、元々は墨俣町は安八町の下水処理場を使用することになっていたが、西濃圏域合併協議会の安八町の離脱、墨俣町の大垣市への編入の影響でその計画が頓挫したため、「墨俣町地域自治区」単独の処理場を建設することになったことから発生している。

 (結局、小川敏氏の人徳の無さと無能に起因する行政の失敗なのだ。

以上しか、小川敏市長の業績が記載されていない。これは業績がないとの結論である。)

 

人生の戦い

 戦いとは、生きるためにするもの。大垣市長は、大垣の生き残りをかけて戦わねばならない。近い将来、少子高齢化、東京一極集中で、日本の900近い市町村が消滅すると予想されている。大垣市中心市街地活性化計画は、大垣市が生き残るためにするもの。その計画が、誰の眼にも欺瞞で、大垣衰退の道であるのが明白である。それでは市民が付いてくるはずがない。大垣市役所の人間も働く気が起きるはずがない。だから大垣市は衰退した。

 人生は成果を出すために、戦わねばならぬ。私も生き延びるために、価値ある仕事に取組み、その成果を遺して世を去りたい。

 

2019-08-07   久志能幾研究所通信No.1287  小田泰仙

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2019年8月 6日 (火)

生きよう、今日も喜んで

 これは、平澤興語録『生きよう今日も喜んで』(致知出版社 1995年1000円)の題名である。これは私が病気になった知人に、いつもお見舞いとして贈る図書である。

 今年、私は癌を患い、手術後の療養中に、この書を久しぶりに読み直して、元気をもらった。病気とは、無理があって起こる体の故障である。その故障は軽くはなかったが、修復不能ではないのが、不幸中の幸いであった。病気に気付き、治療の機会に恵まれたのは、ありがたいことであった。

 病気というのは、無理をせずに長生きをする一つの過程である、と平澤師は言う。癌を患い、つくづくとそれを実感した。病気にならないと、本当の健康の意味は理解できない。

 本当にものを知るとは、賢くなることではなく、しみじみと自らの愚かさを知り、世の不思議を感じて、それに感謝をすることだと知った。格物致知の世界である。

 

本書を自宅に在庫

 この書は、字が大きく、小冊子で、病気の人でもすぐ読めて、読んだら元気になれる言葉が一杯書かれている。私はいつも病気見舞い用に10冊単位で購入して、家に在庫している。約20年前から、そうしている。自分が人生で悩んだ時、この書が勇気を与えてくれる。この書は、心の常備薬である。

 平澤興氏は、元京大総長で、本来ならノーベル賞を貰っても不思議でない業績を上げられた。

 

以下、その抜粋

ものを知る

 本当にものを知るということは、普通に考えるように、いわゆる賢くなることではなく、むしろしみじみと自らの愚かさを知り、世の不思議を感じて、心からそれに頭を下げることだと思う。(p13)

 

朝に希望 夕に感謝

 今日一日の実行こそが、人生のすべてである。(p20)

 自ら燃える人は、人を燃やす力がある。思い切って遠慮せずに、人々に情熱を与えなさい。 (p25)

 

人生に無駄はない

 人生に無駄はない。しかし無駄にするか、しないかはその人の心がけによる。

 無駄の多い人ほど、苦労のし甲斐のない苦労をする。(p33)

 独創とは、いいつけられたことをやるだけではない。それはたんなる経験では駄目で、寝ても覚めても考え、ひたすら仕事に対して一層よりよきことを考え出すことである。

 ただ一生懸命に真面目にやるとか、熱心に仕事をするだけでは駄目で、独創とは与えられた仕事に生命をかけてよりよき道を見つけることである。

 絶えず新たしい事を考えて創造せよ。(p44)

 実行とは、覚悟をきめ、肚を据えて、目標に向かって進むことである。

 かしこいことを言うだけではだめである。実行が出来なければなにもならぬ。結局実行により成就する。(p44)

 

仕事は祈り

 仕事は祈りであるということは、自らの最善を尽くして、それ以上は神に祈るということである。

 仕事は祈りである。仕事は人生を内容づけ、価値づけるもので、人生の目的そのものといわれよう。(p48)

 

一流の人は明るい

 くよくよする人は、ストレスがたまって早死にをする傾向がある。(p70)

 大人は日に新たに、日々に新たに成長するものである。(p71)

 

道というもの

 人生は不思議そのもので、自分の工夫で生きておるのではなく、生かされて不思議な生命を生きておるのである。(p85)

 

生かされて生きる

 修養と人生、仕事と人生は一つである。

 人生をはなれた修養はない。また仕事をはなれて人生はない。(p91)

 

自己との対話

 自己との対話は、よく考えることである。

 よく考えることは、感謝することであり、拝むことである。(p106)

 

自らを拝む

 今日一日の生活、実行こそが人生のすべてである。

 この実行こそが、われわれに絶えざる希望と、道を求めてやまぬ情熱を湧きたたせてくれるのである。(p114)

 健康だけでは健康はわからない。一度その健康をこわして、しみじみと健康がわかる。健康のありがたさが本当にわかるのである。(p115)

 

一日生涯

 一期一会とは静かであっても、生命のかかった、そのうしろには燃えるような火があってこそ一期一会である。

 仕事でもよい、お茶を喫するのもよい、後ろに燃えている火がなければならない。

 明日のことはわからない。只今に生命をかけて打ち込む情熱が大事ある。

 自らを礼拝し、自らの心に頭を下げて、言葉を超えた無限のものにひたすらに頭を下げることである。(p123)

 

四苦即四喜

 病とは、無理があって起こる故障である。治療、修繕の出来る病気でなければ、故障即ち死ということになって大変である。

 そうではなく、故障の軽い中に病気に気付き、治療のチャンスがあたえられることはむしろありがたいことではないか。(p136)

 病気とはいうのは、無理をせずに長生きをする一つの過程と思われる。(p137)

 私は糖尿病のおかげで、そのため注意をしているので長生きをしているように思われる。病気は困るというより、考え方によれば、与えられた生命を無理なく長生きさせるためのものであり、それは喜びであり、感謝である。(p137)

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   馬場恵峰書

 

2019-08-06   久志能幾研究所通信No.1286  小田泰仙

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2019年8月 5日 (月)

大垣の未来設計-1 組織の再生

 これからの連載で、大垣市の未来を建設する設計図を描こうと思う。人の成長の軸(ヒト)、メシの種の経済軸(もの)、お金の軸(カネ)、情報と過去、現在、未来を見つめる時間軸(トキ)、の五次元の世界を考えた。その設計構想をこれからシリーズで記述する。

 

寿命(任期)

 組織の長の任期は8年(4年、2期)であるのが世の常識である。それを5期もやるなど狂気の沙汰である。だから狂気の沙汰の行政が氾濫するが、小川敏市長自身は、その異常さに気が付かないという狂気が生まれる。韓国の文在寅政権のように、小川敏市長には現実が見えなくなるという病気である。

 未来設計として、大垣市長の多選を禁ずる条令を作る。三選を禁止。

 

悪例の雛形

 今の小川敏市政を見て、どげんとかせねばならぬと、モチベーションが上がった。小川敏市長の悪政(というより無為無策の無能政治)が反面教師の役を務めてくれた。感謝である。小川敏市長のように政治をやると、都市がどのように没落するかを実例で示してくれた。人はどこまで愚かになれるかも示してくれた。組織がどのように腐敗するかを教えてくれた。

 

自然界からの学び=細胞の寿命

 人は生まれ、老い、死ぬ。人間の組織の細胞も寿命があり、約3か月で全ての細胞が入れ替わる。皮膚からその死んだ組織が剥がれ落ちる。それが垢であり、フケである。病気になっても、食生活を変え、生活習慣を変えれば、体の組織が入れ替わり、病気に負けない体に生まれ変わる。成長の止まった組織は新陳代謝をしない。

 

身辺整理

 どんなものにも寿命がある。今回、癌を患い身辺整理の一環として家財・家具・小物整理をしている。今まで、勿体ないで捨てられずにいた品物、家電製品等を大量に捨てた。それで買い直した品物も多い。買い直して新しいモノになって、気分が一新され、生きていく新たな気分にさせてもらった。古いまま使いもせず、場所だけ取っていたモノを捨てて、新しい空間ができて、嬉しくなった。何事も新陳代謝が必用である。

 

組織の長のリストラ

 同じように、組織の長も新陳代謝をしないと、その組織自体が死んでしまう。愚かな市長が18年も無為無策で居座すと、大垣市が衰退して、地価が半分に暴落する。いくら若い時に優秀でも、その後の学びを怠り、ルーチン的に仕事に埋没すると脳の劣化が著しい。警察署長や校長先生が一番認知症になりやすいという。それは気ばかり使って、頭を使わなかったためである。それは大垣市長も同じである。

 人生の残り時間を考えず、目の前の雑事に走り回ると、見えるものも見えなくなる。それは認知症への階段である。

 

老人よ、花と散れ

 老人がいつまでも組織に居座っていては、組織が死んでしまう。その老人より長くその組織に在籍して、組織を引っ張る人にバトンを譲るべきなのだ。それが判断できないほど地位に執着すると認知症になる。その結果が、常盤神社の朝の儀式で居眠り(2017年10月)、恥ずかしいギネス水饅頭食い合いで市民を騙して税金を浪費(2018年6月)、文科省通達を無視して園児を芭蕉楽市ステージの36度の灼熱地獄で躍らせ(2018年8月)、米国旗の先導でミッキーマウスとパレード行進するという痴性100終焉記念行事(2018年10月)を市民税でやったり、公金の使用用途を自己都合のマル秘扱いにできるという大垣特別条令を作るなどの痴態を晒す。自分で自分のことが判断できなくなってしまう。痴例が一件ならともかく、たまにしか見ない市長の行事で、これだけ多くの痴態が散見されれば、小川敏市長に認知症の疑いがあると考えるのが妥当だと思う。

 自分の老いは、自分では分からない。「老人よ、花と散れ」とは、三浦朱門氏が、組織の長に自戒を込めて記述した著書『老人よ、花と散れ』(光文社)のタイトルである。

時間の浪費 

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。

                                  「人生の短さについて」3-4  p 35

 中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』 岩波書店 2003年

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  恥ずかしいギネス水饅頭食い合い

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  米国旗の先導でミッキーマウスとパレード行進

  小川敏市長はどこの国の市長なのだ。

 

2019-08-05   久志能幾研究所通信No.1285  小田泰仙

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小川敏大垣市政は「児童虐待 日本一」

炎天下36度の灼熱地獄で園児を踊らせる「狂気の小川敏市長」

 昨年6月に文科省から小中学校へ、夏の課外活動に関する通達「35度以上の日の屋外運動禁止令」が出たが、大垣市は、それを無視して、2018年8月4日、5日に児童を金儲けのイベントに大垣市長名で駆り出し、36度の炎天下に、元気ハツラツ市、芭蕉楽市の屋外ステージで躍らせる非道を実行した。それが、もう10年近く継続している。今年も継続中である。なにが大垣市のほざく「大垣市は子育て日本一」なのか。大垣市は「児童虐待 日本一」である。

 

児童の金儲けへの出演は拒否が常識

 通常は、地元の商店街の金儲けイベントへの出演要請を商店街組合が学校に出しても、校長先生や園長先生は拒否をする。ところが大垣市役所経由(大垣市長名)で、その依頼が舞い込めば校長先生も園長先生も拒否ができない。なにせ予算も人事権も小川敏市長に握られているからだ。拒否すれば、自分が左遷されてしまう。

 昨年の2018年7月17日には、豊田市の小学校児童が課外授業で熱射病になり死亡した事件があったばかりある。それなのに、小川敏市長は園児を36度の炎天下で躍らせる非道を、約10年前から継続している。それも今年もその政策を継続である。小川敏市長は自分の都合の為には、文科省の通達など知ったことではないのだ。児童の命など知ったことではないのだ。小川敏市長は血も涙のない鬼である。なぜこんな非道が許されるのか。

 なぜ大垣市教育委員会もPTAも市議会も問題意識を持たないのか。

 

添付ファイル 文科省の通達   1_300723monka.pdfをダウンロード

園児に火傷を負わす

 

 201884日、午前9時54分から約22分間(予定は30分間)奥の細道むすびの地記念館前で、36度の炎天下の灼熱地獄さながらの「おおがき芭蕉楽市」演台で、みつづかこども園の園児が、大垣市行政命令で、「大垣の歌と踊り」を強制的に踊らせられた。園児たちは顔を赤くし(火傷状態)、疲労でいやいやしながら歌って踊っていた。他の園児たちが踊っていた時、控えていた園児の中に、座り込んでへばっていた園児もいた。しかし、この演技は、先生や親が見ているので園児は拒否もできない。歌ったり飛んだり跳ねたりといやいや演技をして、終わった後、園児たちは汗だくである。誰も倒れなかったのが、不幸中の幸いである。 

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02dsc02208  2018‎年‎8‎月‎4‎日、0‏‎9:54

03dsc02216_2  大人たちはテントの下、園児は炎天下。

04dsc02234  園児は飛んだり跳ねたりと汗だく

04dsc02232  体がだるくていやいやの演技。楽しそうではない。顔が死んでいる

子供の悲鳴

 子供は自分の不調を言語で明快に説明できないので、熱中症の症状に罹っている子もいるはずだ。時間がたてば自然治癒するので、わからないだけである。まかり間違えば7月17日の豊田市の生徒が熱中症で死亡した事故の二の舞になる。

 演技が終わった後、たまたま帰り道で園児の母親と並行して歩いたとき、その母親は、「子供の顔が赤くなって心配をした。予定の30分間よりも早く終わってほっとした」と言っていた。

 

直射日光と輻射熱で火傷状態に

 園児たちは背が低いので、地面からの輻射熱を大人より4倍も多く浴びる。輻射熱のエネルギーは距離の二乗に反比例するからだ。だから園児の体温は大人より1度も高いのは生理学的に証明されている。36度の炎天下で、コンクリートの照り返しのきつい舞台で、大人よりはるかに耐力の弱い園児を踊らせるのは、園児を灼熱地獄に追い込むと同じである。傷害罪にも相当する。熱中症で死亡事故にもなれば確信犯の傷害罪か、過失致死罪である。直前の7月17に豊田市小学校生が熱中症で亡くなる事故があったのに、である。危機管理が全くできていない。これは非人道的な行事である。それが拒否できない小川市長行政命令なら、なおさらのこと。命令した当人の小川市長は現地には来ない。エアコンの効いた涼しい場所で快適に過ごしているのだろう。

 園児の皮膚の耐力は、大人とは桁違いに弱い。この時撮った写真を検証すると園児の顔の多くが、赤くなっているので、かなりの園児が火傷状態になったと推定される。僅か20分間の炎天下の踊りである。園児の体は正直で、赤くなった頬と不機嫌な顔や汗だくの顔がそれを示している。

 汗をかく子はまだましだが、汗腺が未発達だと、熱が体に籠り余計に危険な状態に陥る。再度、写真で確認すると、汗をあまりかいていない子も多い。しかし顔は赤い火傷状態なのだ。

05dsc02219  体調不良でへばった子 

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暑さで不機嫌な子

07dsc02252 疲労困憊の子、汗が流れ落ちる 

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 目が助けてと訴えている

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 火傷で赤くなった頬が痛々しい

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 疲労困憊の子、火傷の頬が痛々しい

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15dsc02267  茫然自失のうつろな目

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17dsc02271  火傷の頬が痛々しい

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 行事が終わってほっと。頬の火傷跡が痛々しい

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 行事が終わって茫然自失状態。完全に火傷状態の頬

 

園児は拒否権なし

 幼稚園・小学校の子供達は体が成長途上のため、体温調節機能が未熟で、気温の上昇に対し、汗をかいて体温を下げる機能が追いつかないことがある。自分の体調の悪さを言葉で大人に伝え難い場合もある。特に園児では、自分の身に起きている状況を言語化できないので、周りの大人の注意が必要だ。子供では降りかかった危機に対して無力なのだ。

 2018年7月17日、愛知県豊田市で、小学校1年生の男児が校外学習の後に教室で倒れ、救急搬送されたが熱中症で死亡した。途中で「疲れた」と訴えていたという。自分では危機状態を正確に大人に訴えることができなかったのだ。

 大垣の「芭蕉楽市」のステージで気温が36度を超えて、大半の園児たちがぐったりして、顔が赤くやけどのようになっている姿が、天の声である。子供の体が悲鳴を上げている。小川敏市長にはその悲鳴が聞こえない。その場には、いないのだ。

 

行政の狂気

 大垣教育委員会の通達で35度以上の生徒の課外行事は中止となっているはずだが、教育委員会と大垣市行政は、この「おおがき芭蕉楽市」は大垣市長肝いりの「大垣市制百年記念行事」の一環なので、見て見ぬふりのようだ。日本中の夏の行事の多くがこの災害と言える猛暑で、中止になっている。それなのに、大垣市は園児を命の危険に晒して、自己満足・予算消化として行事を強行している。

 例年は、8月の元気ハツラツ市も芭蕉楽市も暑さで開催しないが、今年は市長の肝いりで、市制百年記念行事として追加で開催された。災害と言うべき猛暑の中で、本来中止すべき行事を別途追加するなど、大垣市長は狂っているとしか思えない。全ては、小川敏将軍様の御指示である。

 園長先生も先生達も、市の職員なので、大垣市長に人事権生活権生存権を握られている。だから、行政命令で出演依頼が来れば、拒否はできない。可哀そうなのは園児である。園児たちはふらふらになりながら、汗だくで不機嫌な顔で踊っていた。

 親たちは、炎天下を避けるテントの下で、子供が炎天下で踊っているのをビデオ、スマホでのんきに撮影に熱中していて、この子供の置かれた非常事態に気が回っていない。それでも親か! なぜ止めさせないのか?

 行事の進行司会の市職員も、テントの中の涼しい中で、園児たちに歌を強制していた。鬼!

 

関係者の無関心

 某県会議員がこの「芭蕉楽市」に顔を出していたが、園児のステージには近寄らず、一瞥しただけで去っていった。スイカの屋台を見て、別の屋台に行きその業者と「私は〇〇理事と知り合いです」と挨拶を交わして去っていった。アホ!

 大垣財界の有力者である某社長も回ってきたが、園児の演技の時は姿がなかった。そんな気配りしかできなくて、会社が経営できるのか。

 

事後の危機管理

 演技が終わった後、私は園長先生と先生達に「子供の命をなんと考えてるんだ」と怒鳴りつけたが、大垣市から行政命令で出演依頼がくれば拒否できない弱い立場だと思うと気の毒になった。しかし、言うべきことは言うべきとして園長に噛みついた。園長は恐縮して、「貴重なご意見ありがとうございます」で終わりである。次回、不合理で非人道的な小川市長の行政命令が来たら、園児のために抗議・拒否をして欲しいと願うだけだ。

 そのあと、帰宅して地元の元校長先生に相談して、共産党市会議員にその場で電話をして、明日の「元気ハツラツ市」での同様の行事で、その対策に動いてくれるように依頼をした。保守系の市会議員は市長とグルなので頼んでも意味がない。その市会議員は動いてくれるという。結果は、その共産党市会議員は全く動かなかった。結果報告がないのだ。

 小川敏市長は、明日の高校同窓会では卒業50年記念総会で、同窓会会長を務めるので、気もそぞろであるようだ。子供の命が、危険に晒されていることなど知ったことではないのだ。

 

鬼の体制は変わらず

 本原稿は、2018-08-04にブログに上げた「36度の灼熱地獄で園児を踊らせる「鬼の小川市長」を加筆・再編集しました。

 あれから一年経っても、小川敏市政は何も変わらない。たまたま今年の8月4日の酷暑の日に元気ハツラツ市はなかったが、先の7月6日、7日の元気ハツラツ市、芭蕉楽市でも、暑いなかで子供たちをステージで踊りの演技をさせていた。たまたま梅雨明けが延びて、炎天下でなくて幸いした。しかし今度の9月の元気ハツラツ市や芭蕉楽市では酷暑と推定される。鬼の小川敏市長がまた子供たちを地獄に追いやるようだ。

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2019年7月6日 芭蕉楽市のステージ  奥の細道むすびの地記念館前

梅雨明け前で、暑さはひどくなく幸いである。

この10年間、休日の朝に園児を、大垣市長名で招集して、金儲けの為にステージに駆り出すのは、問題である。大垣市教育員会は何をしているのか。

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2019年7月7日 元気ハツラツ市のステージ  

 なぜこんな非道が許されるのか。

 

2019-08-05   久志能幾研究所通信No.1284  小田泰仙

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2018-08-04  久志能幾研究所 小田泰仙  

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