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2019年7月 9日 (火)

修身:二つの教育

 人は修身として、人間になるために学ぶ。その学びには2つの種類がある。一つは与えられる教育、もう一つは自ら学ぶ教育である。

 

「つ」までの教育

 人の「一つ」から「九つ」までの教育は、親が与える躾である。「九つ」までに躾ができていないと、挨拶ひとつできない人が出来上がる。「つ」の間に、脱いだ靴は揃える、挨拶、掃除を躾られないと、大きくなっても小人(ことな)のままで、大人(おとな)になれない。だから目上を敬わない習慣ができる。

 

GHQの日本精神破壊工作

 今の社会が堕落した風潮は、親が躾を放棄した結果である。大学教授も「今の親が、子共の教育上で一番悪い」と嘆いている。こんな親に誰がした。

 戦後、60年が経って、GHQが施した日本精神破壊の工作が効いてきたようだ。我々はそれを打破せねば、日本再生は叶わない。

 

日本の役割、自分の役割

 欧米の文化思想は、科学技術万能論、金儲け万能主義である。科学とは、物事を細分化して、さらに細分化して物事の本質を極める手法である。すべて金に換算して考える。その究極の姿が、グローバル経済主義として世界を席巻した。それは金融工学という道具まで開発して、金儲けに邁進である。それで世界は、99%の富を独占する1%の富裕層と1%の富しか配分されない99%の貧困層に峻別された。

 東洋の思想は、その逆で、統合の文化である。心を自然と一体化して考えるの東洋思想である。また人の心までは分解しようとは考えない。金で人の心は買えない。西洋思想とは価値観が違うのだ。

 科学技術の前に、人としてその技術が正しいかを考えねば、本末転倒の結果となるのは、歴史が証明している。科学が最大に発達して、毒ガスが開発され、原爆が開発され、水爆が開発された。欧米の為政者は、「それで戦争を早期に終結できて、人類の幸せに貢献した。それが科学の勝利である」という。それが人類の幸せなのか。

 日本は精神文化の再興で、世界に貢献せねばならない。その第一歩が己の人間としての完成である。自分の役割とは何かを考えて欲しい。金儲けの為に、親は君たちを教育したわけではない。

 

与えられる教育と取りに行く教育

 会社に入るまでは、与えられる教育である。会社に入ったら、与えられる教育はなくなり、自ら学ばないと世間から置いていかれる。会社は儲ける場所(今までの教育を試す場所)であって、教えてくれる場所ではない。自ら学ばないと、20年後の会社人生が保証されない。会社の寿命も30年を切った。製品寿命は10年である。私の前職の会社も製品寿命の見極めを誤り、市場から消えた。企業は、常に新しい飯の種を作っていかないと、会社自体が存続できない。その賞味期間が、どんどん短くなっている。会社が学びを怠り、進歩できなくなった会社が市場から淘汰される。

 

第二の敗戦

 JALも倒産した。日産も倒産しそうになり、ルノーに吸収されそうになっている。GМも潰れた。マツダも潰れそうになり、一時、フォードに身を預けた。三菱自動車も潰れる寸前である。トヨタでも、この技術革新の激動に時代、明日も分からない。安泰であった銀行も潰れる時代である。松下電器が大リストラを行い、シャープは潰れそうになり、台湾の会社(実質は中国)に身を売った。三洋電機は消滅した。グローバル経済主義狂の蔓延である。

 すべては経営の驕りで、経営者が利己主義に走った結果である。会社存続の志を見失い、経営の学びを怠り、経営の本質を見誤り、危機管理を怠り、結果として、世界経済戦争に敗れたためである。

 経営の本質は、皆で仲良く食べていける社会(経済)の実現である。「経済」とは仏語である。それが世界は、グローバル経済主義狂に席巻されてしまった。全世界にとって、第二の敗戦である。

 

瓶の例え

 人が学ぶ姿は、広口瓶、狭口瓶の姿に例えられる。入り口を広く貪欲に学んで欲しい。口の大きさで、学ぶ量が異なる。狭口では、世間が教育のネタを降り注いでも、入りきらない。世間が悪いのではなく、受け手の問題である。

 いくら口が大きくても、横になったコップでは、上から水を注いでも、水は溜まらない。立ち上がって、世の学びを多く受け入れて欲しい。

 自分はどんな瓶に例えられるか、考えて欲しい。蓄えた「水」は世のために使って欲しい。何かに注がないと腐ってくる。

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2019-07-09   久志能幾研究所通信No.1250  小田泰仙

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