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2019年7月10日 (水)

修身:神を目指さない、人を目指せ

 人は角熟を目指すべきで、円熟を目指してはならない。円熟は完ぺき主義で、神を目指すことである。神とは人ではない。だから「人でなし」である。そんな存在を目指そうとすると、人生が狂ってしまう。人は最期まで人間であって神ではない。人間としての欠点を持っていても、持てる技が卓越すると、その欠点が人間味となる。それこそ角ばったまま、熟する状態である。それが、人として目指すべき人間像である。

 人が死までの時間を意識して、円熟という完璧さを求めるから絶望的になる。人と言う存在は不完全な存在だから、寿命というスケールでは円熟(神)の域には達成できない。

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死生観

 人と生まれて、死を考えると、必然的に死生観を持つようになる。日本では、仏壇、法事等でご先祖を思い出すことが多い。いつもご先祖様が身近にいるのを感じるのが日本社会である。そして、いつかは己もご先祖の一人となるのだという考えが奥底にある。それが日本人の死生観を形作ってきた。

 欧米では、そういう考えはないようで、死んでしまえばそれで終わり、後は神様にお任せという世界のようだ。お墓でも日本は先祖代々のお墓が多いが、欧米では個人のお墓が多い。キリスト教と仏教の死生観の違いである。

 

アメリカが抱く恐怖

 その死生観も日本の「家」の制度で支えられてきた。それが玉砕や特攻を生んだとして、戦後GHQは、恐怖心から「家」の制度を破壊した。それほどに、日本兵の戦いぶりにアメリカは戦慄したのだ。

 なぜアメリカは、ご先祖を祀ることがそんなに怖いのか、日本人にはその怖れが分からない。だからGHQが行った日本精神破壊工作があまり理解できず反対もせず、従ったようだ。

 

一神教の教えが世界を不幸にした

 キリスト教では、「キリスト教徒以外は人間ではない」が教えである。そのキリスト教は現世重視の教えで、死後は神様任せである。だから現世は拝金主義、合理主義、現世主義という思想で走っているいるようだ。その究極の姿が、戦前の植民地獲得狂騒であった。欧米では、それを新航海時代と自慢するが、真実は「西洋文明が未開発の民族から強盗殺人をし放題にした時代」である。植民地から巻きあげた上がりで欧米人は贅沢三昧をしたが、多くのアフリカ、アジア民族が地獄を見た。西洋の学校では、それは教えない。アメリカで原住民インデアンを900万人も虐殺したことは、伏せて西部開拓時代と教えている。すべて勝者の歴史である。すべて人の道から外れた行動である。

 第二次世界大戦後、さすがに植民地政策はまずいというので、それが形を変えて、グローバル経済主義狂となった。それでまた貧富の差が拡大して、各地で紛争が起きだした。その根本原因を作ったのは植民地政策である。それは白人が神から選ばれた民族であるとの白人優位論から来ている。欧米は時代が変わっても本質は変わっていない。

 

東洋思想

 それと比較すると、東洋思想は、生命に優劣を付けず、人間も自然の一部として考える。そういう日本の精神文化の素晴らしさが納得できる。だからそれを大事に守らねばならぬ。拝金主義者に利他の心は分からない。

 

欧米の労働観

 欧米は現世を楽しむため、必死に稼いで、金がたまればさっさと引退して、のんびりと暮らす。それが欧米労働者の夢である。日本人のように、生涯現役で社会のために働くという考えはないようだ。彼らには、労働は神が罰として与えた苦役なのだ。

 

西洋の価値観の押しつけを拒否

 私が中間管理職時代、労働組合から、管理職も定時で帰り、有給ももっと取れと横やりが入った。私は仕事が好きで、もっと仕事がしたいのであって、別に苦役で仕事をしているわけではないと文句を言いたかった。しかし当時の赤狩りのような雰囲気では、黙って従うしかなかった。

 皆さん(新入社員)は、自分の価値観を明確にして、働いて欲しいが、この講義のメッセージである。

 

2019-07-10   久志能幾研究所通信No.1251  小田泰仙

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