ゲゲゲの訪問記(5) 大餓鬼妖怪 殺しの風景
1.大餓鬼ロードの不気味さ
大垣市の駅前商店街ロードには、境港市の水木しげるロードの177体の妖怪より少ないが、多くの妖怪がパワー全開で跋扈している。
大垣市は妖怪の雰囲気が境港市より多いのに、なぜ年間200万人の観光客が訪れる境港市のように人気がないのか。人口16万人の大垣市に訪れる260万人観光客を、人口一人当たりの集客能力を比較すると、大垣市は人口3万3千人の境港市の約4分の1である。大垣市は観光都市として、それだけ魅力がないのだ。観光客は正直である。大垣市行政は嘘をつくが、データは嘘をつかない。観光客が来ないのは、大垣行政の努力と智慧が足りなのだ。大垣市はその分析さえしないし、聞く耳を持たないので、対策を打つはずがない。大餓鬼妖怪が大垣市の観光投資に回す金を食い散らしている。小川敏市長は、市制100周年記念の妖怪行事で、市民の税金を業者にばらまくのが忙しいようだ。小川敏市長は強欲妖怪に取りつかれて病気である。諫言を聞く耳を無くした。入院加療が必要だ。おべんちゃらを言う取り巻きに囲まれて長期間、権力の座に座れば、自ずと妖怪になれる。妖怪になれば、諫言をしてくれる仏様は姿を消す。
仕事の品質向上
己を律するのは他人の批判である。それが己と自分の仕事の質を向上させる。下記は自分の戒めとしている言葉である。
千年の間に、価値観の違う多くの人の目に晒される大佛という大器は、黙ってその批判に耐える。時間と言う重みに耐える品質を作る仕事が、佛師に課せられる。その品質に完成はない。
万人の眼に晒される政治の産物は、批判を受けて輝きもすれば、錆も発生する。その街の風景が政治の歴史を語る。
耳中常聞逆耳之言
耳には常に痛いことばかり。それが自分を鍛えることになる。甘い言葉で褒められるのは、遅延性の毒を盛られるようなもの。(洪自誠著『菜根譚』)
「皆が 寄ってたかって 私を幸せにしてくれる」
自分に厳しいことを言ってくれるのは、私を育てようとしている。辛口の批評は、行動の何所がいけないのかを教えてくれる。試験の成績が悪いのは、今のやり方が間違っていると教えてくれる。私を幸せにしようと思わない相手は、無視をする。愛の反対は憎悪でなく、無視である。
人が甘い言葉をいい、お世辞やおべんちゃらを言うのは、自分をKY(空気の読めない人)に育てるための罠である。厳しいことを経験しないと、実社会では通用しない。KYになっては、出世など夢の夢の話。厳しい叱責で研鑽を積み自分の能力、精神力、人を見る目が養われる。どうしようもない人には誰も何も言わない。自分に向けられる厳しい言葉を、自分を鍛える愛の言葉と解釈しよう。そう思うと神仏も寄ってたかって幸せにしてくれるご縁を恵んでくれる。
2.幽霊通り妖怪
錆びさびのモニュメント、錆びだらけの街路灯、休日でも人が歩いていない駅前幽霊通り、不気味なシャッター通りで、大餓鬼妖怪の出没である。不細工なシャッターばかりで、恥ずかしい。せめて大垣市が補助金を出して、宣伝の絵を描けばよいと思う。
寂れた大垣駅前商店街 「OKB通り」 中央の正札堂は4月に倒産した
3.強欲名食い妖怪
強欲札束妖怪が、由緒ある「廓町通り」の名前を食い殺して、己の銀行の名前「OKB通り」に挿げ替えた。大垣共立銀行は強欲名食い妖怪である。大垣共立銀行は、札束の金縛り妖術を大垣駅前商店街にかけて、商店街店主達は金縛り状態になり動けない。名前を乗っ取り、よほど嬉しかったのか、「OKB通り」になったら、大垣共立銀行の頭取が、太った体をゆすりながら商店街の各店の一軒、一軒にお礼に回ったという。先代の頭取が、息子の金にモノを言わした破廉恥な振舞いに草葉の陰で泣いている。郭町通りが「OKB通り」になっても、街の衰退に歯止めはかからない。
「OKB通り」 この岐阜バスの営業所は6月、閉鎖となった。衰退は止まらない。
4.メタボ妖怪
旨いものを食べている証しで、小川敏市長が今年の熟年式の祝辞で「私はメタボ」と自嘲するように、小川敏市長は肥満妖怪なのだ。大垣共立銀行の頭取もメタボである。他のトップを見てもこんな肥満した体は見たことは無い。米国では、肥満体は自分の健康管理ができない者として見なされ、管理職にはなれない。
5.雨漏り妖怪
郭町の大垣共立銀行の出した店舗の前のアーケード下を歩くと、雨の日は、天井から水がピタピタと雨漏りである。
冷てぃな♪、寂しいな♪、背中にゃ冷たい妖怪水♪、水♪、水♪
商店街のアーケードの保全の金をケチり、雨漏りの修繕がされていなく、市民として恥ずかしい。一事が万事で、これでは、大垣は寂れる一方である。大垣共立銀行は、「廓町通り」の名前の乗っ取りで忙しく、アーケードの雨漏り修繕費までは、金をケチり出さない。通行人が濡れても知ったことではないのだ。
銀行とは、晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる存在なのだ。中小企業の多くは銀行に殺された。大垣狂立銀行の支店長は、上司から「お前の代りは、いくらでもいる。死ぬまで働け」とノルマ地獄に落とされている。雨漏り妖怪は強欲から生まれる。
雨漏りの路上 2018年6月6日、10:18
上のアーケードから雨漏りである。
6.客を喰い殺す妖怪
私も定年後の2010年、大垣に帰郷し、銀行口座を開設に大垣共立銀行に行ったら「退職金をブラジルファンドに投資すると儲かりますよ」と若い妖艶銀行員の金儲け仕掛人(FP)に捕まり、殺されそうになった。私はその誘いに乗らなかったが、その数年後、資源国のバブルが弾けて、そのファンドは暴落した。クワバラ、クワバラ、危ないところであった。銀行は手数料を稼げれば、顧客のことなど知ったことではないのだ。とにかく客に銀行だけが儲かる商品を売りつけるのを、「客を殺す」という。
それ以来、私は大垣共立銀行を信用していない。他にもUFJ銀行、滋賀銀行、郵貯銀行、岐阜信用金庫に口座を開設したが、この種の勧誘を受けたのは、大垣共立銀行だけである。やはりやり方が異様である。妖怪なみである。
2018-12-24 久志能幾研究所 小田泰仙
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