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2017年8月21日 (月)

冥途駅手前で悟る師の諫言

 昔、シナのある国で繁盛している居酒屋があった。そこに来た客が食事をしたおり、その台所で火事になる危険個所に気づき、その店の主人に忠告をした。商売繁盛で接客に忙しい主人は、分かった、わかったと迷惑そうにまともに聞いてはいなかった。そんなやり取りが数回あった後に、本当に火事が起きた。店にいた客たちが火事に気づき大騒ぎをして、皆で火を消し止めることができた。主人は感激して、火事を消してくれた客たちに大盤振る舞いの料理でお礼をした。しかしその主人は、何度も火事の危険を忠告した客には、礼一つしなかった。

 

師の諫言

 病気になり、日本の名医と言われる医師を探し歩き、手術、治療をしてもらい、大感激して多大の礼をするのが人の常である。それは自宅が火事になり、消火活動に尽力をしてくれた消防士にお礼を言うようなもの。「そんな食事では病気になる。そんな間食は体に良くない。生活習慣を直せ」と真にその人のことを心配して諫言した師を忘れているのと同じである。昔のシナでも、病気を治す医師は下で、食事を指導して病気を予防する医師のほうが上とされていた。病気になってから、治療をするのは泥縄式の対処療法である。病気になる前に治せ、である。医食同源は真言である。

 

若き日の愚行

 人生で、当たり前の生き方を教えてくれる親や教師が真の師である。それを己の生き方が間違っているに、人生に迷い、街の占い師に道を訊ねる愚か者が多い。その昔(1979年頃)、自分もその愚か者の一人となって、当時流行した天中殺の占い師の二人に、上京してまでして占ってもらいに行った。今になって情けなく、また自分の成長の足跡の一つとして思い出される。当時、半年の予約待ちで30分間2万円の占い料金であった。よほど自分も占い師に転職しようかとも思ったほど儲かる職業であった。

 老いの身になり、人生の修羅場を経験し、甘いも酸いも経験した後になって、真の師の姿が観えてくる。だれが本当の師であったかと。それを冥途駅に到着直前になって気が付く。それでは遅いのだ。

 

冥途駅 全て悟って 乗り遅れ

  「天国行き」は発車しました。「地獄行き」が待ってくれています。

 

図1 大垣市桐ケ崎町の火事

 隣人が何度も可燃物の取扱いを注意したが、無視をして煙草を吸い引火した。近年稀なる大火となった。手前の消化器で、私も初期消火の手助けをしたが、火勢が強く無力であった。火の出る前に、真因を消さないと大火となる教訓である。

撮影筆者 2013年10月27日

 

2017-08-21

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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