« 飽食という名の認知症 | メイン | 仕事とは自分を写す鏡 »

2017年8月31日 (木)

インプラント 40(天国と地獄)

3.40 天国と地獄への分かれ道

  毎朝の散歩の途中に敬教堂の跡地がある。敬教堂とは江戸時代から続いた大垣藩校の学問所であり、江戸・明治時代に多くに政財界の偉人を輩出した。その跡地に孔子像が建っており、その向こう側の建屋前(旧図書館)にロダン作を模して「考える人の像」が建立されている。その像の横に螺旋階段がある。その螺旋階段を横目に「考える人」が朝日を浴びてじっと考えている。天国への階段は、一歩一歩曲がりながらも上へ上へと続く。地獄への階段には、見えない隙間があり、踏み外すと地獄に真っ逆さまだ。50年の風雪に耐えて考え続けた「考える人」像には、選択に悩んだ苦悩が感じられる。

 

努力より選択が大事

 人生は選択の連続である。選択は努力よりも大事である。間違った道を選んで、人生を棒に振りたくはない。真理の道から大きく外れたオオム真理教団の中で、優秀な人材が幾多の血を浴びる修行をして教団最高位に上り詰め、たどり着いた踊り場が絞首台の13段目であった。

 間違った人生の道でさえなければ、やり直しは出来ないが、登り直しや出直しはできる。時間はかかるが天国に少しは近づく。しかし絞首台への階段は、引き返せない道である。インプラント手術とは、自分にとって天国か地獄のどちらの道なのか真剣に考えるべきである。正解はわからないが、真剣に考えなければ、人生の道を誤る。インプラントはやり直しがきかない。取り外すという手術は、できなくはないが、大変な手術となる。迷ったら、一時保留が正解である。時間が正解を持ってきてくれる。

 

図1 敬教堂跡に建つ孔子像

図2 「考える人の像」

 

2017-08-31

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

Photo_3

Photo_4

コメント

コメントを投稿