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2017年8月31日 (木)

仕事とは自分を写す鏡

 宗教も仕事も芸術も、自分の魂を昇華させる燃料である。自分の心の状態がプロジェクターで投影されるように、宗教や仕事に反映される。みほとけとは自分の心のある考えの象徴である。仕事を通して完成されるのが、自分の魂である。未完の自分をいかに高めて次のステージに移るかが、この世で問われる課題である。人生に完成はない。いかに理想に近づけるかが腕(魂)の見せ所である。出あった仕事をどう解釈するかで、その人の生き様が変わる。

 

雑用

 言いつけられた用を雑にするから、雑用になる。その仕事だけを取り組んでいる人にとって、雑用はない。その「雑用」で、心を込めて取り組めば「神聖なご用」となる。私が上司として部下に、「雑用」を頼むときは、その取り組み方をしっかりと観察していた。それが次の仕事を任せるかどうかの情報となる。

 渡辺和子シスターが若い頃アメリカの修道院で修行をしたとき、食事前の準備でテーブルに皿を並べる「雑用」を言いつけられた。彼女がその雑用をそこそこにこなしていると、それを見ていた修道院長から、「何を考えて皿を置いていますか」、「何も考えていません」、「お皿を置くときに、なぜ、その席に座る人の幸せを祈れないのですか。お皿を置くごとに、お幸せにお幸せに、とお祈りしながらお皿を置きなさい」と叱られたという。皿をテーブルに並べるという雑用が、心を込めることで神聖な仕事に昇華する。

 

2・26事件の葛藤

 2016年12月30日、渡辺和子シスターが永眠された。私はシスターの著書と講演CDから多くを教えてもらった。ご冥福をお祈りいたします。渡辺和子シスターは、陸軍教育総監だった渡辺錠太郎の次女で、4人兄弟の末っ子だった。9歳だった1936年2月26日、陸軍の青年将校らによるクーデター未遂事件「2・26事件」で、父が殺害される場面を目撃する。渡辺錠太郎は体に43発の銃弾を受け殺害された。その直後の傷口を包帯で巻かれて化粧された父の遺体を触って、その冷たさの感触を長い間覚えていたという。

 渡辺家は浄土真宗だったが、和子さんの母は、父を失った娘の将来を悲観して、キリスト教系の女子校に入学させる。和子さんは献身的な修道女の姿に感銘を受け、1945年に洗礼を受けた。しかし和子さんが洗礼を受けることを最後まで母は反対する。その反対を押し切って洗礼を受け、米国での修行での出来事が上記である。それがその後のシスターの仕事の仕方を変えた。

 憎しみを花に変える努力は続けなければならない。渡辺和子シスターの言葉「希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること」。いくら修道女といっても、父を殺した相手へのわだかまりが簡単に消えるわけではない。シスターは、それが氷解するには50年の月日が流れた。相手の遺族の苦しみに気が付いた時、それが和解と赦しとなった。どんな相手でも、お幸せにと言えるまでには、多くの修行が必要のようだ。私自身も、日暮れて道遠しを感じる。

 

人生料理

 自分という作品を仕上げる仕事は、苦境、逆境、自己、非難、天災という試練が良き料理をしてくれる。強弱にない単調な火加減では、単調な味の人生料理となる。自分の人生を味のある風味にするため、神仏は試練を与えてくれると考えよう。

 

2017-08-31

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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