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2017年7月28日 (金)

人生能舞台という音楽発表会(改定)

 人生の舞台とは、幕が上がっている間だけが舞台ではない。幕が上がるまでの血みどろな練習、舞台への階段を上がる時の挙動、舞台を下りるときの後姿も全て人生劇場の演技である。観客が見る舞台での演技は一コマに過ぎない。一刻たりとも気を抜けない。観客は見ていなくても、神様仏様そして内なる己という佛が見つめている。

 舞台での一番の見せ場が、曼荼羅で言えば中心の大日如来である。その一番の見せ場を盛り上げるため、各場面での佛達の演技がある。すべて見せ場のための脇役である。それが大日如来を支える観音菩薩であり、四天王であり、邪鬼である。歌舞伎でも脇役がいて主役を支えている。脇役無き主役など存在しない。邪鬼あっての四天王である。脇役としてお役を頂いたら、どれだけ脇役に徹することが出来るか、それが将来主役を演じるときの練習となる。

 一局を舞い舞台を下りて初めて「人生曼荼羅の織物」での横糸を形作る一尊が完成する。人生とはその連綿とした行動の積み重ねである。観客が見ている時だけが、舞台ではない。人生とは、1875尊が演じる曼荼羅である。どんな役者も最初は脇役である。最初から主役を演じるエリートは、晩年にその借金を払う。

音楽発表会

 2017年7月23日(日)、大垣フォーラムホテルの「天の間」で、「かすみの会」(代表・河村義子)と「音えんぴつ」(代表・伊藤応子)主催の音楽発表会があり、私は河村先生の依頼で写真撮影に赴いた。私はその発表会を見て、能舞台を連想してしまった。役者(演奏者)は5歳から40歳代までの23名である。演奏者は一言も発せず、舞台に上がり観客に一礼をしてピアノに向かう。ある子は能芸者として歌を披露。ひたすらピアノを弾き、歌って、演奏が終われば一礼をして舞台から降りる。その一挙一動作が能の舞台役者である。それよりも舞台に上がる前の練習が、大舞台であったはず。演奏会という能舞台では、一人で全役を務める大役である。

演奏会場の雰囲気

 今回の大垣フォーラムホテルの会場は、95名の観客席で、昔の宮廷音楽会を連想させられた。大ホールのような大上段に構えるのではなく、同じ視線で音楽が楽しめた。弾くほうも身近に聴衆の目と耳を意識しての演奏である。将来、プロを目指している子は、大垣市の音楽堂での演奏を希望するようだ。どちらも捨てがたい魅力があり、毎年、交互に開催すればよいかもしれない。

 惜しむらくは、ピアノが40年程前のヤマハのグランドピアノG3であった。大垣は水の都で、ウィーンとも友好のある音楽の都である。大垣市スイトピアセンター学習館の音楽堂は、日本百選の選ばれている名ホールである。調律師が苦労をして調律をしたので問題がないが、大垣市で一番格式あるホテルとして、もっと良いピアノがあると市民から喜ばれるだろう。

能舞台の人生スタイル

 事前に登録したメッセージを司会者が紹介した後、本人は一言も発せず、ピアノに向かい弾く。ある人は頭をかしげてピアノを弾き、音楽にのって体を動かしながら、ある子はひたすら背筋を伸ばしてまっすぐ前を凝視してピアノを弾く。座る椅子の高さを真剣な目で調整して着座する子。

 最年少の5歳の女の子が「初めての舞台です。緊張していますが、一生懸命に弾きます」との司会者からの代読メッセージが流れる中、ピアノを健気に弾いたのは微笑ましく可愛くあった。舞台に立ち、床の印の位置で一礼して、観客席の親に視線を向けたしぐさが微笑ましい。一緒に連弾した河村先生が優しく見守りながらの演奏であった。5歳で初舞台とは偉いな....。(私も河村先生から、発表会に出なさいと「脅迫?」されているが、逃げ回っている....(^-^;)

 この演奏会を区切りに受験勉強に専念しますと宣言した高校生もいた。ニコリともせず能面のような表情でピアノを弾く子もいた。よほど緊張しているようだ。事情を聞けば直前まで上手く弾けず、一夜漬けみたいな猛練習をして当日に臨んだようだ。それも人生である。同じような経験が今後、立て続けに起こるはず。この修羅場のような経験がきっと活きるはず。若い学生が男女で連弾をした。息を合わすのに大変な練習が必要であったはず。それでも、晴れ舞台の発表会で皆さんが間違えず立派に弾いたので素晴らしかった。ここから近い将来、国際舞台で活躍する子が巣立っていくことを祈念したい。

 ハラハラドキドキは観客の親御さんの方である。多くの親御さん方がカメラを持ち、ビデオを回し、緊張して我が子の演奏を見守っていた。演奏会後に、舞台で記念撮影をしている家族が多くいて微笑ましい。そんな愛情を与えられた子からは不良はでまい。

ゲームの邪鬼が人生を食い殺す

 芸を習うとは、自己を習い、自己と向き合い、自分つくりである。若い時に快楽に流した時間は、大人になって涙となって返ってくる。最近はピアノ等の芸事の稽古でなく、同じ時間をゲームに没頭する子が多い。しかしゲーム大会で一番をとっても、誰も褒めてくれまい。親も自慢したくもない。10年後に芸事に励んだ子と、ゲームで時間を無為に過ごした子と人格が同じであるはずがない。本人ではなく、親がわが子の躾に失敗して、子供の犯罪で後悔の涙を流すときもある。どれだけゲームに時間をかけても、精神の成長にはなんの役にも立たない。その分、成長の時間が削がれる。なんら生産性の向上、人格の向上に役立たないゲームへの没頭は亡国の前兆である。私も一時期、パソコンゲームの「上海」に取りつかれたことがあるが、これは中毒みたいなものだ。その後に時間を無駄にしたとの後悔の念が残るだけ。ゲームで殺人ゲームをしても、リセットすればそれで生き返る。そんな感覚をゲームで飼育された少年達が、いじめや凄惨な殺人事件を起こしている。そんなゲーム事業で業績回復をしようとしているソニーは許せない。ソニーの社是にゲームで日本人を不幸にするとは書いていない。草葉の陰で創業者の井深さんが泣いている。

 

スマホのゲーム利用者は約6割・・・・うち半数が毎日ゲームを起動

 MMD研究所は、「スマートフォンゲームに関する調査(利用実態編)」を実施した。同調査によると、スマートフォン所有者のうち、ゲームを利用したことがある人は61.7%で、そのうちの51.6%がゲームを毎日起動することがわかった。

 スマートフォンゲームの1日の平均起動時間は、77.1%が30分未満である一方、10.3%の人は1時間以上であった。調査期間は、8月8日から8月11日。調査対象はスマートフォンを所有している15歳~う59歳の男女566人。(インターネットコム) (2013年8月21日 読売新聞)

 

図1 最年少演奏者。きちんと床の印の場所に立って一礼

   観客席の親に向けるまなざしが可愛い

図2 お姉さんがタンバリンで伴奏をしながら優しくサポート

図3、4 最年少演奏者と河村先生が連弾

図5 河村先生と連弾

図6 先生が優しくサポート

図7~8 ピアノ伴奏での独唱。伴奏は河村先生、伊藤美幸先生

図9 ピアノの他にトロンボーンもの多才な神徳くん。伴奏は伊藤応子先生

図10 椅子の高さを真剣なまなざしで調整

図11 吾が子の演奏にやきもき

図12 演奏会後、先生から講評と花束をもらう

図13 出演者全員で記念撮影

図14 人生は能舞台

図15 過去から未来へ「人生曼荼羅の織物」

 

2017-07-28

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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