地蔵菩薩尊の慈愛
私は地蔵尊が男性の仏さまだと思っていたが、違っていた。本来「仏さま」に性別はない。お釈迦様の入滅後、弟子達が表した教典の教え(仏性)を、概念として表現したものが「仏」であり、それを具体的に形に表したものが「仏像」である。「菩薩」とは、悟りを開くべく修行の道を歩いている仏の姿で、お釈迦様の若い頃の修行の姿を現している。「菩薩」とは、母性の悲愛、慈愛、母の優しさを現している。観世音菩薩や地蔵菩薩は、「母性」を現す佛様なので女性として扱われる。子安観音菩薩や子安地蔵菩薩のように幼子を抱いた仏像として表現される例が多い。
それに対して「如来」はお釈迦様が悟りを開いた後の姿で、慈愛、父親の厳しさを表している。奈良の大仏は毘盧遮那仏=大日如来、鎌倉の大仏は阿弥陀如来で、共に性別はないが、上記のように如来は「父性」を表しているため、男性的な表現が一般的である。
ちなみに、インド仏教から組み込まれた「天」には性別があり、帝釈天、梵天、四天王、十二神将、金剛力士などは男神。吉祥天、弁財天、技芸天、鬼子母神などは女神となる。
ピエタ
慈愛とはラテン語でpietaである。ピエタはミケランジェロが終生、追い求めたテーマでもある。宗教上での慈愛は、宗教派を問わず、普遍的な人間性のテーマでもある。理不尽な理由で、我が子キリストを殺されたマリアができることは、黙って慈愛の目を差し向けることだけである。それは目の前で、無差別爆撃から逃げまどい、焼死する庶民を見つめた地蔵尊と同じである。この慈愛は無償の無限の愛である。
「慈」とは「心」と「茲」から成る。「茲」は、「増える(子を増やして育てる)」=「愛」と「心」で「母」の意味を持つ。「慈」の反対語は「厳」である。旧字体は「嚴」で、冠の「□□」と「嚴」の下部(音)から構成される。「□□」は、「厳しく辻褄を合わせる」の意味で、「父」の意味を持つ。自然界は陰陽で出来ている。優しい母がいて、その背後に厳しい父がいて子供は育つ。
ミケランジェロ作のピエタ像
バチカン大聖堂のミケランジェロ作のピエタ像には、私が定年退職記念にローマ旅行した時(2010年11月10日)に出会い、衝撃を受けた彫刻であった。次元の違う彫刻に遭遇したような思いである。10日間のローマ滞在中、3回もこのピエタ像を見るためバチカンを訪れるほど引きつけられるものがあった。本物は10m先の防弾ガラス越しでしか鑑賞できないが、宗派を超越してキリスト教徒も仏教徒もイスラム教徒も世界各地から訪れた老若男女が長時間、ピエタ像を見つめていた。宗派を超越した慈愛の姿であった。
後で隣接したバチカン美術館に、この精巧なレプリカが展示してあるのを発見して、至近距離1mから長時間、お顔を拝ませて頂いたのは幸いであった。同じレプリカが岐阜県立美術館に設置されているが、バチカン大聖堂に比べると周りの雰囲気が明るすぎて荘厳でないので、なにか違った作品に見えてしまうのが残念だ。
図1、2 ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 2010年11月10日 著者撮影
見学者用柵から10m先に防弾ガラスで覆われて安置
2017-07-29
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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